今日の産経ニュース(2021年7月29、30日分)

自民、総裁選へ動き本格化 「衆院選前か、後か」焦点 - 産経ニュース
 今の支持率では衆院選前に総裁選をやったら、たとえ「党員選挙否定、議員選挙オンリー&二階幹事長(二階派ボス)、麻生副総理・財務相麻生派ボス)らによる議員締め付け」でも、「菅おろし」が起きかねません(場合によっては二階、麻生が菅を見捨てて、菅おろしに動くことすらあり得る)。とはいえ「9月30日には総裁任期満了」なので、「選挙後に総裁選をやりたい」なら、9月30日より前に解散して選挙にするか(これならば衆院選中に9月30日になっても、『衆院選後に総裁選』を正当化しやすい)、解散時期に制約をつけたくない(10月以降の解散の選択肢を残したい)なら任期を無理矢理延長するかどっちかしかない。しかし前者は「今のコロナ状況、支持率状況で解散できるのか」と言う問題があり、後者は「任期延長の理屈をつけづらい」問題がある。
 菅にとっては「衆院選前に総裁選」も「衆院選後に総裁選」もどちらも「茨の道」でしょう。


【政界徒然草】小池都知事、女性初首相に3本の道 その最善手は - 産経ニュース
 『希望の党の惨めな失敗』でもはや、小池には『国政復帰』の考えはないでしょう。当初予測(議席半減)に比べれば『健闘した』ものの都議選では都民ファは大幅に議席減し第一党の地位から転落(第一党は自民)。また、共産や立民が議席を増やしており、「自民批判派」として都民に評価されてるのはもはや「都民ファだけではない」。
 しかも議席減をできる限り回避するために小池がやったことは体調不良やコロナ対応を口実に、選挙応援演説などせず雲隠れすることでした。『私、小池の都民ファを是非支援してください!』と自らアピールすることではなかった。東京の感染が高止まりしていることについても『五輪開催反対派』を中心に『菅首相だけではなく、小池都知事の責任も大きい』と批判する声も強い。この状況で国政復帰を企むほど小池も無謀ではないでしょう。そもそも何を基盤に国政復帰するのか。「当時の前原民進党」が小池を担いで、希望の党を結成したようなことを、枝野立民は考えてないでしょう。小池の「排除の論理」で希望の党から枝野らが排除されたときに『枝野を支持したアンチ小池』が立民の有力支持層です。小池と手を組むことはその有力支持層を切り捨てることであり不利益が大きすぎる。前原が政治的に失脚した(現在の国民民主代表は玉木)ように「枝野が失脚」するでしょう。
 とはいえ、最大野党・立民以外に『小池と手を組んでくれる可能性がいくらかでもあり、手を組むことがメリットがある政党』なんか他にないでしょう。左派の共産や社民は小池と手を組みたがるわけもなく、一方ウヨの小池も手を組みたがらない。
 保守政党とは言え、支持率の低いれいわや国民民主と手を組んでも小池に利益がないし、最大与党・自民と手を組めば『自民とは違う政党』として宣伝してきた都民ファの自己否定になる。都民ファで国政復帰では、「東京しか勢力がない」わけで小池としてもそうしたことを「やるメリットがない」でしょう。


【正論】犠牲が尊敬を生むオリンピック 東京国際大学特命教授・村井友秀 - 産経ニュース
 無料記事ですが登録しないと途中までしか読めません。引用は省略しますが、タイトルから予想されるとおりの内容です。しかし、例えば「東京で感染者3000人越え」なんて犠牲が本気で「日本人選手のメダルラッシュ(柔道など)で国民に選手への尊敬(感動)を生んでる。だから貴い犠牲だ」と強弁する気でしょうか?。まともな人間なら五輪開催派でも「感染者増加」については仮に「五輪は続行する」と居直るにしても「犠牲(感染者)を増やしたこと」については村井のように「貴い犠牲」などとバカなことは言わず「犠牲の減少に努力する」というでしょうに。
 尊敬(感動)のためならそうした犠牲も許されると言う村井には
「感動」とは安全に優先するものではないと思う(そもそも「組み体操」で「感動」なんか私はしない)(1) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
「感動」とは安全に優先するものではないと思う(そもそも「組み体操」で「感動」なんか私はしない)(2) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)と言う言葉を贈呈したい。
 全く正気じゃないですね。村井のようなバカには「感染して死ねばいいのに」「死なないまでも高熱や倦怠感で苦しめばいいのに」「後遺症で苦しめばいいのに」と言いたい。


団交拒否訴訟で大阪市敗訴 地裁「労組を軽視」 - 産経ニュース
 維新ではおそらく控訴するのでしょうし、控訴審判決がどうなるかも何とも言えませんがまずは維新の悪事が断罪されたことを素直に喜びたい。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年7/29分:荒木和博の巻)

朝鮮戦争の話(R3.7.31): 荒木和博BLOG
 7分20秒の動画です。説明文だけで見る気が失せます。実際見る価値は全くありません。
 「拉致問題の解決(拉致被害者の日本帰国)」と朝鮮戦争と何の関係があるのか。あえていえば「朝鮮戦争が正式終戦すれば緊張が緩和し拉致解決に資するかもしれない」つうことはありえますが、終戦してない状態(現状は建前では休戦、停戦に過ぎません)で「小泉訪朝による拉致被害者帰国」があったように「終戦しなければ拉致が解決しない」と言う話ではない。ましてや「朝鮮戦争はなぜ起こったのか(原因論)」「朝鮮戦争はその後、周辺諸国にどのような影響を与えたか(影響論)」などは拉致解決と全く関係ない。勿論「朝鮮戦争によって南北関係が緊張したこと」は「拉致を助長した」でしょうが、「朝鮮戦争で拉致が起こった」という単純な因果関係には勿論ない(まあ、拉致解決という意味ではそんな因果関係はある意味どうでもいいことですが)。
 例えば和田春樹氏には

朝鮮戦争
◆『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店
◆『朝鮮戦争70年*1』(孫崎享氏などとの共著、2020年、かもがわ出版
【拉致】
◆『同時代批評:日朝関係と拉致問題 2002年9月~05年1月』(2005年、彩流社
◆『拉致問題を考えなおす』(共著、2010年、青灯社)
◆『安倍首相は拉致問題を解決できない』(2018年、青灯社)

と言う著書がありますがもちろん、拉致の著書では朝鮮戦争の話など「基本的にはしません」。拉致解決には関係ないからです。拉致に関係ないことを「最近、朝鮮戦争について改めて勉強している」などとどや顔する荒木のアホさには心底呆れます。
 最後に朝鮮戦争でググってヒットした本を参考に紹介しておきます(既に上で紹介した和田本は除く)。

【刊行年順(刊行年が同じ場合は著者名順)】
神谷不二*2朝鮮戦争』(1990年、中公文庫)
萩原遼*3『「朝鮮戦争」取材ノート』(1995年、かもがわ出版
萩原遼朝鮮戦争』(1997年、文春文庫)
◆朱建栄『毛沢東朝鮮戦争』(2004年、岩波現代文庫)
◆西村秀樹*4『大阪で闘った朝鮮戦争吹田枚方事件の青春群像』(2004年、岩波書店
◆脇田憲一『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』(2004年、明石書店
金賛汀*5『在日義勇兵帰還せず:朝鮮戦争秘史』(2007年、岩波書店
◆金東椿*6朝鮮戦争の社会史』(2008年、平凡社
◆五味洋治*7朝鮮戦争は、なぜ終わらないのか』(2017年、創元社
◆西村秀樹『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(2019年、三一書房
◆陳肇斌*8『中国市民の朝鮮戦争』(2020年、岩波書店
◆藤原和樹『朝鮮戦争を戦った日本人』(2020年、NHK出版)
孫崎享朝鮮戦争の正体:なぜ戦争協力の全貌は隠されたのか』(2020年、祥伝社
崔銀姫*9『韓国のミドルクラスと朝鮮戦争』(2021年、明石書店


予備自衛官のすすめ(R3.7.29): 荒木和博BLOG
予備自衛官訓練の話など(R3.7.30): 荒木和博BLOG
 予備自衛官のすすめ(R3.7.29): 荒木和博BLOGが8分29秒の動画、予備自衛官訓練の話など(R3.7.30): 荒木和博BLOGが8分13秒の動画です。説明文だけで見る気が失せます。実際見る価値は全くありません。馬鹿馬鹿しいので俺も途中で見るのを辞めました。
 「拉致問題の解決(拉致被害者の日本帰国)」とそんなことと何の関係があるのか。この動画はいつから「荒木が好き勝手に漫談する動画になった」のか。まあ拉致関係だって荒木の話は「くだらない漫談」ではありますが。

予備自衛官のすすめ(R3.7.29): 荒木和博BLOG
 15年間の予備自生活でしたが、迷彩服で平壌に乗り込むという夢はかなわなかったものの、本当にやってよかったと思います。

 「迷彩服で平壌に乗り込むという夢」ね。さすがに正気ではなくジョークでしょうが、非常識すぎて絶句です。自衛隊もこんなキチガイ右翼に

予備自衛官のすすめ(R3.7.29): 荒木和博BLOG
 応募できる方はぜひ予備自衛官を目指して下さい。

と宣伝されても「ありがた迷惑」でしょう。

*1:1950年に開戦してるので「開戦からカウントすると」、2020年で70年になる(なお、休戦(停戦)は1953年)。

*2:1927~2009年。慶應義塾大学名誉教授

*3:1937~2017年

*4:著書『北朝鮮抑留:第十八富士山丸事件の真相』(2004年、岩波現代文庫

*5:著書『朝鮮人女工のうた:1930年・岸和田紡績争議』(1982年、岩波新書)、『異邦人は君ケ代丸に乗って:朝鮮人猪飼野の形成史』(1985年、岩波新書)、『甲子園の異邦人:「在日」朝鮮人高校野球選手の青春』(1988年、講談社文庫)、『ぼく、もう我慢できないよ:ある「いじめられっ子」の自殺』(1989年、講談社文庫)、『関釜連絡船:海峡を渡った朝鮮人』(2003年、朝日選書)、『在日、激動の百年』(2004年、朝日選書)、『拉致』(2005年、ちくま新書)、『将軍様錬金術』(2009年、新潮新書)、『韓国併合百年と「在日」』(2010年、新潮選書)、『北朝鮮建国神話の崩壊』(2012年、筑摩選書)など(著書名で解るように近年は明らかにアンチ北朝鮮右翼化している)

*6:著書『近代のかげ:現代韓国社会論』(2005年、青木書店)、『韓国現代史の深層:「反日種族主義」という虚構を衝く』(2020年、梨の木舎

*7:著書『北朝鮮と中国』(2012年、ちくま新書)、『女が動かす北朝鮮金王朝三代「大奥」秘録』(2016年、文春新書)、『金正恩が表舞台から消える日:北朝鮮 水面下の権力闘争』(2021年、平凡社新書)など

*8:東京都立大学教授。著書『戦後日本の中国政策:1950年代東アジア国際政治の文脈』(2000年、東京大学出版会

*9:仏教大学教授。著書『「反日」と「反共」:戦後韓国におけるナショナリズム言説とその変容』(2019年、明石書店

珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年7/29日分)(副題:魯迅『故郷』再読&今日も高世に悪口する)

「藤野先生」再読 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 東京の一日のコロナ感染者が3000人を超え、昨日、今日と過去最多を更新し続けている。
 菅首相はどこまでも突っ走るつもりらしい。今の政府を、「負けがこんでしまった博打うちと同じでやめられなくなっている」と評した人(中野晃一*1上智大学教授)がいる。言い得て妙だ。五輪で盛り上げて総選挙へ・・との目論見だと言われてきたが、もうそんな段階じゃなくて、まともな判断力を失い、賭け続けるしかない博打うち。

 高世には「やれやれ」ですね。
 「負けがこんでしまった博打うちと同じでやめられなくなっている」のは菅よりもむしろ

◆小泉訪朝(2002年)から無為無策に18年間がたっても未だに展望のない制裁路線に固執
◆段階的帰国を目指すべきところ、現実性の低い即時一括全員帰国に固執
◆国内で40人も発見されており明らかに『北朝鮮拉致ではない特定失踪者』を巣くう会が『特定失踪者は北朝鮮拉致の疑いがある』と放言するのを容認
◆巣くう会に批判的な人間(たとえば平壌に常駐事務所を設置すべき、段階的帰国でもいいのではないか、経済支援とバーター取引すべき、横田めぐみさんが生きている保証はないと主張など)は『小泉訪朝の立役者』田中均氏であろうとも、『元家族会事務局長』蓮池透氏であろうとも『元自民党幹事長』石破茂であろうともいたずらに敵視

という「巣くう会言いなりの家族会」ではないのか。
 高世の物言いをもじれば

 経済制裁で追い詰めて拉致被害者帰国へ・・との目論見だと言われてきたが、「2002年の小泉訪朝から18年もたって、有本嘉代子や横田滋ら高齢化する拉致被害者家族が死去する中、何ら成果は出ず」もうそんな段階じゃなくて、まともな判断力を失い、賭け続けるしかない博打うち。

ですね。
 おそらく家族会も、さすがに、皆が皆「巣くう会を全面的に信頼しているわけではない」と思います。小泉訪朝から18年たっても何の成果もないわけですから。しかし、当初、巣くう会の言いなりになって、ついに蓮池透除名までやらかしたことで彼らは「負けがこんでしまった博打うちと同じでやめられなくなっている」わけです。今の路線を辞めるには「巣くう会の反発を受けても彼らと縁切りした上」で田中均氏、蓮池透氏にわびる必要がありますが、彼らは「謝罪で面子が潰れる恐怖」「縁切りで巣くう会から攻撃される恐怖」でそれができないのでしょう。無様で滑稽な話です。
 「今の路線を続けても」拉致解決の展望はないのに。何のための家族会なのか。拉致解決のためではなかったのか。もはや家族会は完全に目的を見失っています。ただの「巣くう会の傀儡団体、操り人形」と化している。
 そして高世も「拉致問題で一時は一発大きく当てたがために(そして大きく当てたときは巣くう会万歳の主張だったがために)」、最後までそれをやめることができず、「拉致の風化」が起こるとかえって会社を潰す羽目になり、そして会社を潰した今になっても
これじゃあ「ジャーナリスト」でなくて「反北朝鮮活動家」だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2012.2.27
そういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.12.21
北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.4.28
巣食う会とか家族会系の連中とかかわった北朝鮮関係の言論人は、その後ろくな状況でないと思う(関川夏央や高世仁、恵谷治、李英和ほか) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.7.14
と批判されるような醜態をさらすわけです。正直俺的には「高世や家族会に比べたら菅の方がよほどましだ」ですね。それは菅が立派という話ではなく「高世や家族会が酷すぎる、菅さえもまともに見えるほどのクズ」と言う話ですが。まあ、そう言われたら「俺が菅以下の人格で人間のくずとはどういうことだ!」と高世はマジギレかもしれませんが。

あの「内山書店」が76年ぶりに中国に復活した。

 以下の記事を紹介しておきます。魯迅ゆかりの「内山書店」が天津で復活--人民網日本語版--人民日報は7/29記事ですが魯迅が通った日中文化人サロン「内山書店」、天津で復活…日本関連の書籍が半数以上 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンラインは7/10記事、魯迅ゆかりの「内山書店」 中国 天津に復活 日中文化人が交流 | NHKニュースは7/11記事です。
 しかし約3週間前の記事を今頃紹介する高世も変な男です。「魯迅ファン」佐高信氏(後述します)に最近教えてもらった記事なのか?

魯迅が通った日中文化人サロン「内山書店」、天津で復活…日本関連の書籍が半数以上 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンライン2021.7.10
 戦前の中国・上海で文豪の魯迅が通った「内山書店」が10日、天津市に開業した。中国での営業は上海店が閉鎖した1945年以来となる。地元の中国人男性が「日中文化交流の舞台を再建したい」と東京・神田神保町の内山書店に「のれん分け」を求め、76年ぶりの復活が実現した。
 1917年に上海で創業した内山書店は、文化人が集うサロンとして知られた。魯迅は社会思想や美術など日本の書籍に親しみ、店主の内山完造(1959年死去)は魯迅の執筆活動も支えたという。
 地元テレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する記録番組を制作した際、2人の交友に感銘し、「中国店の再興」を志すように。完造の親戚で、内山書店を経営する内山深さん(49)が、東京まで来て頼み込む趙さんの熱意にほだされ、「内山書店」の商標ロゴの使用を認めた。資本関係はないという。

魯迅ゆかりの「内山書店」 中国 天津に復活 日中文化人が交流 | NHKニュース2021.7.11
 内山書店は、その後、東京にも開店しましたが、上海の店は終戦とともに閉店していました。
 ところが、天津のテレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する番組を制作したことがきっかけとなり、地元政府の協力を得た企業が東京の店から商標権を取得して、中国で戦後初めて天津に復活させました。
 10日は開店を祝う式典が行われ、東京で内山書店を経営する内山深さんがビデオメッセージを寄せ「中国に再び開店させることは、数十年来の夢でした。皆さんの支援に感謝します」と述べました。
 また、式典に参加した魯迅の孫の周令飛さんは、「上海の店はまだ復活していないが、みんなの努力で必ず戻ると信じている」と話していました。

魯迅ゆかりの「内山書店」が天津で復活--人民網日本語版--人民日報2021.7.29
 1917年に内山完造が上海に開業した内山書店は、文豪の魯迅郭沫若、田漢*2、郁達夫*3などが通ったことで知られている。そんな内山書店が今月、天津のドキュメンタリー監督・趙奇氏と内山家の人々の熱い思いが実り、天津で復活した。
「内山書店」復活のきっかけは、趙氏が「海外書店」という番組を手掛けた2013年にまで遡る。趙氏は番組の取材で東京の「内山書店」を訪れ、「内山書店」の4代目店長・内山深氏をはじめとする内山家の人々と知り合うことになった。
 2015年4月3日、趙氏は内山深氏と、上海の万国公墓にある内山完造の墓参りをした。内山深氏は、内山完造の弟で東京の内山書店を創業した内山嘉吉の孫にあたる。内山深氏は内山完造の墓前で涙を流しながら、「祖父らの夢は中国で内山書店を再び開店させることだった」と語り始めたという。
 2019年、天津市党委員会宣伝部の指導者らが趙氏と連絡を取り、幾たびもの話し合いを経て、天津市は、天津出版伝媒集団が内山書店の開店と運営などを担当することを承認した。そして2020年に、内山深氏らは、「内山書店」の商標を中国で独占排他的に使用する権利を天津出版伝媒集団に授与することを認めた。同年8月、天津出版伝媒集団は子会社の「天津内山書店有限公司」を立ち上げた。
 天津内山書店有限公司総経理に就任した趙氏によると、天津の内山書店には現時点で、6000種類以上の本が並び、うち、中日文化交流関連の本が2000種類以上を占めるという。

 さて高世記事の紹介に戻ります。

 私も触発されて魯迅の本を再読した。
 「藤野先生」に感動した。

 高世には「やれやれ」ですね。
 朝鮮学校無償化除外などに加担する自らが「藤野先生とは真逆の在日差別者だ」という認識はないのか。
 朝鮮学校無償化国賠訴訟の弁護団や支援者等こそが「藤野先生のような存在」という認識はないのか。
 「河野談話否定論」「朝鮮人強制連行違法性否定論」などを放言する巣くう会右翼(西岡巣くう会会長、島田巣くう会副会長など)が「藤野先生とは真逆の在日差別者だ」という認識はないのか。西岡ら巣くう会右翼のような「在日差別者のデマ屋」がでかい面をしていて拉致に解決の展望があると思ってるのか。
 「藤野先生に感動した」と抜かすのなら高世は1)自らの朝鮮学校差別の非をわびた上で、2)「河野談話否定論」「朝鮮人強制連行違法性否定論」などを放言する巣くう会右翼(西岡巣くう会会長、島田巣くう会副会長など)を批判したらどうなのか。

 藤野先生は、のちに魯迅が有名になったことを知らされたが、よく覚えていなかったという。彼にとってはごく当たり前のことをしたという認識だったようだ。
 「藤野先生」は今でも学校で教えてされているのだろうか。これこそ、愛国心の教育には格好の教材だと思うのだが。

 俺も魯迅作品は短編「藤野先生」と「故郷」*4を国語教科書で読んだ記憶があります。
 やれやれですね。何で「愛国心」なのか。
 藤野先生は「愛国心」から魯迅に親切にしたのか。違うでしょうよ。教師としての義務感からそうしたわけです。
 それとも、高世が問題にする「愛国心」とは「中国の植民地化」の危機を前に「文学による国民啓蒙」を志す「魯迅愛国心」か。
 ただしあの小説でスポットが当たってるのは魯迅愛国心より「藤野先生の教師としての立派さ」ですよねえ。
 そして魯迅愛国心に共感すると言うことは「中国を植民地化しようとしていた日本への批判」を意味するわけですが、その点を「長年、巣くう会と野合してきた高世」はどう考えてるのか。
 なお、ここからは「性格のひねて歪んでる俺の邪推であること」「俺は高世を『人間として全く信用してない』ので奴の言動にはすべて『薄汚い裏』があると疑っていること」をお断りしておきます。
【1】
 以前、高世が

シリア難民の番組ディレクターに「放送人グランプリ」大賞 - 高世仁の「諸悪莫作」日記2021.7.9
 きょう午後は、ある用事で、佐高信さんにお会いした。
初対面だったのだが、とても気さくな方で、同じ山形県出身ということもあり、サクランボの品種の話(佐藤錦より紅秀峰の方がうまいとか)やら同郷の藤沢周平石原莞爾大川周明の話で楽しくおしゃべりしてきた。勉強家で人脈の広さには驚く。
 別れ際、佐高さんの『石原莞爾 その虚飾』(講談社文庫)を勧められたので、読んでみよう。

として佐高氏にこびていたこと(佐高氏のコネ、つてで仕事が欲しいのでしょう)
【2】
 佐高氏には

◆『魯迅烈読』(2007年、岩波現代文庫)
◆『いま、なぜ魯迅か』(2019年、集英社新書)

と言った魯迅関係著書があることを考えると、この記事は高世による「魯迅ファン・佐高氏への媚びへつらい」ではないのか。
 ジンネットを倒産させて、もはや拉致では食えないことを自覚した高世が「巣くう会、家族会に代わる新たなご主人様(?)の一人」として佐高氏を選び「佐高氏から仕事をもらうこと」をもくろんだと言うことではないか。もちろん「この俺の邪推が仮に正しいとしても」そうした高世のもくろみが成功するかは解りませんが。何も佐高氏のつてで仕事をもらおうとしているのは高世だけではないでしょうし。

【参考:藤野先生】

藤野厳九郎 - Wikipedia
 1874年、敦賀坂井郡本荘村下番(現福井県あわら市)で、代々続く医者の家に生まれた。愛知県立医学校(名古屋大学医学部の前身)卒業後、同学校の助手となり、のち助教授に昇格。郷里に近い第四高等学校医学部(後の旧制金沢医科大学、現在の金沢大学医学部)への転勤を希望したが却下。知人の紹介で仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に講師として赴任、1904年7月に解剖学講座の教授に昇格。1915年、仙台医専東北帝国大学医学部に改組された。帝国大学教員には帝大卒の資格が必要であったため、医学専門学校卒の藤野は資格を満たせず、退官して郷里の福井県に戻り、三国町で開業医となった。
 戦後になると日中友好に貢献した人物として評価されるようになる。その後「藤野先生」は日中両国で国語の教科書に取り上げられ、彼の名は両国に広く知られた。1961年には記念碑が福井市に建てられ、旧宅はあわら市に移築されて藤野厳九郎記念館となった。東北大学では彼の名を冠した「東北大学藤野先生賞」「東北大学藤野記念奨励賞」が設けられた。

【参考:魯迅『故郷』】 
『故郷』の訳で一番普及しているのは竹内好訳ですが、 魯迅 井上紅梅訳 故郷井上紅梅 - Wikipedia訳が、魯迅 佐藤春夫訳 故郷佐藤春夫 - Wikipedia訳が全文読めます。

魯迅の「故郷」 中国では日本より読まれない?--人民網日本語版--人民日報2014.11.5
 日本の著名な魯迅研究家である藤井省三*5東京大学教授*6)が3日、南京外国語学校で「村上春樹魯迅」というテーマで講演を行った。
 藤井氏によると、日本の中学3年生の国語教材を出版する出版社のうち、5社が魯迅の「故郷」を収録しているという。
 高校の国語教材では、「藤野先生」と「孔乙己*7」が最も多く収録されている。「藤野先生」は、魯迅が日本に留学していた時の恩師を描いた作品で、日本人にも馴染み深い。また、「孔乙己」の主人公の孔乙己は、科挙制度の犠牲者として描かれているが、試験は日本の高校生にとって最も現実的な問題だ。「むしろ自国の村上春樹川端康成大江健三郎といった作家の作品は、国語教科書においてそれほど重視されていない」と藤井氏は語る。
 日本の教育基準(?)では、「故郷」は中学生の必読作品、「藤野先生」は高校生の必読作品と定められているのだ。

身分による差別を描く:魯迅「故郷」
 魯迅の短編小説「故郷」は、日本の中学三年生の国語教科書すべてに採用されているそうである。
 周知のようにこの作品は、かつての中国社会における厳しい身分差別と、下層身分の人々の悲惨な暮らしぶりを描いたものだ。そうした身分差別が現在の日本社会に遍在するわけではないし、また、この小説に描かれているような貧困が、蔓延しているわけでもない。だから、この小説を読んだ中学生の多くは、そこに描かれていることがらを、自分の身に引き比べて考えることはしないだろう。身分差別といい、貧困といい、可能性としてありうるものとして、観念的にとらえるだけだろう。少なくとも、想像力を働かせない限りは。
 たしかに、この小説を読むには、かなりの想像力が必要だ。想像力を働かせない限り、そこに描かれていることは、現実の日本社会とそこに生きている自分自身にとっては、かかわりのない絵空事だ、と思えるだけかもしれない。だが、想像力を働かせて読めば、身分による差別というものがどんなに非合理なもので、また、民衆の貧困がもたらす悲惨さも、決して絵空事ではなく、少なくともかつての中国社会に現存したものだということを、少なくとも頭の中では理解できようし、それについて自分なりに判断することもできるだろう。国語教育がこの作品に期待したのは、そうしたもろもろの事柄なのだろう。
 この小説は、魯迅の実体験にもとづいている。魯迅は、北京での生活基盤が整ったところで、紹興に住む母親や妻を引き取って、一緒に暮らす決心をする。そして自分から紹興まで迎えに出向くのだが、この小説は、その時のことを下敷きに書いているのである。
 この小説には妻は出てこないが、母親が出てきて、主人公のためにいろいろと世話をする。その中で、かつて主人公の子ども時代の親友だった閏土(ルントウ)の近況について話して聞かせ、近く訪ねてくるはずだと知らせる。その知らせを聞いた主人公には、一気に昔の記憶がよみがえり、閏土とともに遊んだ少年時代の楽しい思い出が次から次へと蘇ってきた。そしていよいよ、その閏土が自分の目の前に現れる。主人公は、子ども時代と同じような気持ちで閏土に接しようとする。ところが閏土が最初に発した言葉は、「旦那さま」という言葉であった。
 この言葉に接した主人公は、身震いしたような気がし、自分と閏土との間に、「すでに悲しむべき壁が築かれたことを覚った」。母親は母親で、二人の間を気遣って、折角何年ぶりかであったのだから、そんなによそよそしくしないで、昔どおりに接すればよいではないかというのであるが、二人の間に築かれてしまった壁は、簡単には乗り越えられないのである。
 さて、差別といい、貧困といい、この小説のテーマは非常に暗いのであるが、ひとつだけ明るいところがある。それは、子どもたちの未来に希望を託しているところである。こうした明るさがどこにもなければ、この作品は読むに耐えないだろう。
 小説の末尾で、魯迅は次のように書いて、希望とは人々が作り出すものだという意味のことを言うのだ。
「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(竹内好*8訳)

魯迅『故郷』教材雑感①|神楽坂いづみ|note2020.5.28
 正直、20世紀前半に中国で書かれたこの物語が、現代の国語の教科書に掲載され続けている意義がよくわからなかった。学校図書の教科書のねらいには「他者と共有し得る未来への願いを考える」とあるが、このねらいを達成するフィクションは他にもあるのではないか?と考えていた。
 1920年代の中国という非常に特殊な時代状況の中で、魯迅という多様な背景を持つ作家によって書かれたこの物語を、現代の生徒にどう繋げるべきなのか。国語の教材を「べき」論で語っていいかはわからないが、とにかく接続の方法に苦慮した。
 でも、読み込んでいくと、『故郷』が孕んでいる特殊性と普遍性というのは均衡が取れるものなのかもしれないと思うようになってきた。もちろん、当時の時代背景を調べる取り組みはするが、時代背景の知識に大きく依存しなくても、この物語の「本質」めいたものにたどり着けるのではないか。
(中略)
 寂寥感を払拭するように、「私」は閏土(ルントウ)と過ごした「三十年近い昔」の風景に没入する。その中の閏土は「艶のいい丸顔で、小さな毛織の帽子をかぶり、きらきら光る銀の首輪をはめていた」。生命力と活力に溢れている理想の少年として「私」の記憶(幻想)の中に現れる。
 この回想はただの回想ではない。先ほども述べた通り、あまりにもわびしい故郷の風景から来る寂寥感を忘れるためのものに思える。現実から逃れるために回想に自分の身を投じている。
 寂寥感から逃げるために理想に没頭した「私」だったが、また現実の光景に引き戻される。そして、現実を目の当たりにすればするほど理想(閏土との過去)を希求する。その結果が、閏土が家を訪ねてきたとき「思わずあっと声がでかかった」という反応である。叫び出しそうになるくらいに「私」は閏土を望んでいた。
 しかし、そこにもまた「現実」が立ち尽くしていた。
 「私は感激で胸がいっぱいになり」というように、「私」は閏土との再会を喜んでいる=理想に固執している。
 その理想を打ち砕いたのは閏土の「旦那様!」という言葉だった。その言葉によって、楊おばさんとの会話以上に「悲しむべき厚い壁が二人の間を隔てて」いることを実感する。
 閏土は子どもである水生(シュイション)に叩頭することを促す。竹内の訳では「お辞儀」となっているが、ここでは単に会釈をすることではなく、跪き、額を床に当てる「叩頭」である(藤井省三の解説より)。
 そして閏土の口から直接現在の窮状が語られ、さらには母が客人である閏土に「自分で台所へ行って、飯をいためて食べるように勧め」る。閏土は客であっても、「私」や「私」の母とは身分が違う。歓待される者ではあり得ず、どこまでいっても「仕える者」である。
 「私」は理想としての「故郷」も、理想としての「閏土」も喪失した。何も残されていないと考えていた「私」に、新しい理想を与えたのが甥である宏児(ホンル)の言葉だった。家に帰りたいという宏児に理由を訪ねたところ「だって、水生が僕に、家へ遊びに来いって」と無邪気に述べる。この言葉に「私」と母が「はっと胸をつかれた」。「私」は宏児と水生の間にありし日の「私」と閏土の純粋な友情を投影したことであろう。
 その感動もつかの間、母の口からは閏土の窃盗まがいの行為や、楊おばさんに閏土の行為を明らかにした報酬を求められたエピソードが語られ、また現実に引き戻される。そうして現実に侵された「私」の心情は「名残惜しい気はしない」というものだった。
 そして、その現実をまたもや振り払うかごとく、宏児と水生という「若い世代」への希望を語り始める。

 希望を言えば、彼らは新しい生活を持たなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。

 ここで終われば、これまで抱いていた理想は失ったものの、その代替として、若い世代に理想を託すという道を見出した、という非常に前向きな終結を迎えることができた。
 しかし、この理想としての「希望」も「私」は否定しなければならなくなる。
 香炉や燭台という仏具に固執する閏土を「相変わらずの偶像崇拝だな」と軽蔑しながら、自分が抱いている「希望」も、「手製の偶像」、つまり実態のない信仰の対象に過ぎないという認識に至る。再度理想の中に自己を浸そうとしても、その自己は現実の光景によって理想からまたもや引っ張り上げられる。
 最後の段では、「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない」が、「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という境地にたどり着く。この一節からは様々な心情が読み取れることができる。諦念、渇望、決意…。
 理想にも現実にも身を投じることができない「私」は半ば宙ぶらりの存在として自己を規定し、語りは閉じられる。
 このように、語ることで生じる葛藤、苦痛を見るには『故郷』は絶好の教材であり、これは他の教材にはない特徴である。時代背景を詳しく調べなくとも、テクストの論理を辿っていけば「私」の葛藤に触れることができる。
 自分を語るという経験が浅い中学生にとって、「私」の「語る苦しみ」がどこまで近しいものと感じられるかはわからない。しかし、人は人である限り、いつか自分を語るときは来る。そのときのためにも、自己を語ること、理想を語ることは、自家撞着に陥り、現実の自己や現状と乖離していく可能性を孕んでいるということを学ぶことは有意義に違いない。

*1:著書『戦後日本の国家保守主義:内務・自治官僚の軌跡』(2013年、岩波書店)、『右傾化する日本政治』(2015年、岩波新書)、『私物化される国家:支配と服従の日本政治』(2018年、角川新書)など

*2:1898~1968年。中国の国歌『義勇軍進行曲(義勇軍行進曲)』の作詞者として知られる。なお『義勇軍進行曲』はもともとは1935年の映画『風雲児女』の主題歌として作成され国歌として作成されたわけではない。文革中の1968年に獄中で病死。そのため、彼の作詞した歌は歌えず、国歌も曲の演奏にとどめられた。集会ではその代わりに毛沢東を称える『東方紅』が歌われた。1979年、田漢の名誉は回復された。1982年12月4日の第5期全国人民代表大会第5回総会で再び『義勇軍進行曲』が中国の国歌と正式に定められた。(田漢 - Wikipedia義勇軍進行曲 - Wikipedia参照)。

*3:1896~1945年。1945年に失踪し、生死不明となる。日本憲兵隊に殺されたとも、抗日戦線に「漢奸(対日協力者)」として秘密裏に処刑されたともいわれているものの今なお謎とされている。1952年、中国政府は、郁に「革命烈士」を追贈した(郁達夫 - Wikipedia参照)。

*4:故郷 (魯迅) - Wikipediaによれば「日本では、中学3年用国語教科書の5社(学校図書、教育出版、三省堂、東京書籍、光村図書)すべてに採用されており、親しまれている。」

*5:著書『中国文学この百年』(1991年、新潮選書)、『東京外語支那語部:交流と侵略のはざまで』(1992年、朝日選書)、『魯迅「故郷」の読書史』(1997年、創文社)、『台湾文学この百年』(1998年、東方選書)、『現代中国文化探検』(1999年、岩波新書)、『中国映画:百年を描く、百年を読む』(2002年、岩波書店)、『中国見聞一五〇年』(2003年、NHK生活人新書)、『村上春樹のなかの中国』(2007年、朝日選書)、『魯迅』(2011年、岩波新書)、『中国語圏文学史』(2011年、東京大学出版会)、『魯迅と日本文学』(2015年、東京大学出版会)、『魯迅紹興酒』(2018年、東方選書)、『魯迅と世界文学』(2020年、東方書店)など

*6:2014年当時。現在は東京大学名誉教授。名古屋外国語大学教授(藤井省三 - Wikipedia参照)

*7:これについては魯迅 井上紅梅訳 孔乙己で全文が読めます。

*8:1910~1977年。著書『日本とアジア』(1993年、ちくま学芸文庫)、『魯迅入門』(1996年、講談社文芸文庫)、『日本イデオロギイ』(1999年、こぶし文庫)など(竹内好 - Wikipedia参照)

今日の中国ニュース(2021年7月28日分)(副題:楊海英のバカさ、クズさに呆れる、ほか)

台湾、安倍前首相の訪台意欲を「歓迎」 - 産経ニュース

 台湾の外交部(外務省に相当)は同日までに「安倍氏は国際社会に尊敬される重要な指導者で、台湾の国際組織*1への加盟を積極的に応援してくれた貴重な友人だ。必要な協力を全力で提供する」とのコメントを発表。超党派議員連盟「台日交流聯誼会」の会長を務める游錫堃(ゆう・しゃくこん)*2立法院長(国会議長)は「安倍氏の訪台を強く歓迎する。来られるときはぜひお会いしたい」と記者団に語った。
 また、頼清徳*3副総統はツイッターに「とても感動しています。李登輝*4元総統の精神を受け継いで、ともに自由と人権のために闘いましょう」と投稿した。

 首相を辞めてから訪問する男など、まるきり信用に値しませんが、それだけ台湾・蔡英文*5政権が中国に政治的に追い詰められてると言うことですね。無様というか何というか。習*6主席とは器が違うというか。
 それにしても「反中国、台湾ロビーの政治家なら誰でもいい」のでしょうが、よりによって「モリカケ、桜」「ホワイト国除外」の「無法者」安倍を「ともに自由と人権のために闘いましょう」ねえ(呆)。せめて正直に「反共の同志として中国と戦いましょう」と言ったらどうなのか。


安倍前首相が訪台の意向 李登輝氏死去1年で表明 - 産経ニュース
 首相を辞めたらこれです。安倍晋三というのも、まったくわかりやすい野郎だと思う(苦笑) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)という指摘の通り、安倍もわかりやすい男です。


◆楊海英のツイッター

楊海英
 (ボーガス注:エンゲルス存命時に起こった英国・アフガン戦争での英国軍の敗北をネタに)アフガンに入る者は自滅する、とかのエンゲルスも指摘していた。タリバンが中国を葬るのも、時間の問題。

楊海英
 ソ連はアフガンに侵攻して崩壊した。米国も撤退。次は「アフガン人民の友人*7」の番だ。
「信頼できる友人」 タリバーン幹部が訪中、王氏と会談(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
 中国外務省は28日、アフガニスタンの反政府勢力タリバーンの代表団が同日、天津を訪れ、王毅(ワンイー)国務委員兼外相と会談したと発表した。
 タリバーン側は対外交渉責任者のバラダル幹部らが出席。王氏は会談で、「アフガニスタンの内政に干渉せず、友好政策を実行していく」と説明。
 バラダル幹部は「中国はアフガン人民が信頼できる友人だ」とし、国家再建や経済発展への貢献に期待を示したという。

 楊のデマには吹き出しました。まず第一にタリバンを支援してるのはパキスタンであって中国ではありません。
 第二に、中国の立場は「米軍撤退で、パキスタンの支援を受けたタリバンがアフガン現政権を打倒し、アフガン全土を支援するだろう」と見通しの元、勝ち馬になるであろう「タリバン」に「勝利の暁には我々、中国もよろしく。経済支援の用意があります」と声をかけたに過ぎません。当然「アフガン侵攻のソ連」「ベトナム戦争の米国」等と違い、タリバンが今後仮に衰退しようとも「タリバンに過剰に肩入れしているわけでもない」中国にそれほどのダメージはないでしょう。むしろ一番ダメージを受けるのはパキスタンではないか。

楊海英
 日本のある左派を自称する作家兼大学教師が数年前に北京で安倍晋三独裁批判して日本にドヤ顔で帰る。

 まずは

◆「左派を自称するある作家兼大学教師」とやらの具体的名前
◆数年前とはいつなのか
◆安倍批判とは具体的にどんな内容をどのような形でやったのか(講演?)

について具体的に書け、そしてこんなツイートをする楊は「安倍をどう評価してるのか、書け」という話です。仮にも「大学教授の肩書きを持つ男」がよくもまあこんな意味不明なツイートしてどや顔できるもんです(呆)。

楊海英
 (ボーガス注:台湾との)統一がいい、と中国は方々へ吹聴。では、南北モンゴルの統一はどうだろう?東西ドイツが統一されたように。

 吹き出しました。そもそもどう見ても中国はそんなことを認める気はないし、外モンゴルも中国とごたついてまでやる気もないでしょう。

楊海英
 日本の左派・リベラルは「安倍独裁」は批判するが、習近平独裁には沈黙。

 吹き出しました。
 楊は「日本共産党(日本の左派の一つ)はウイグル問題、香港問題などで中国政府を批判してない」と強弁する気なのか。
 なお、共産党の中国批判としては例えば
香港民主活動家の即時釈放を求める/「中国は国連憲章と国際法を順守せよ」という国際世論で包囲を/志位委員長が記者会見2002.12.4
香港選挙制度変更/志位委員長が中国に強く抗議2021.4.1
主張/香港国安法1年/中国は人権・自由の弾圧やめよ2021.6.30
を紹介しておきます。
 それにしても「モリカケ、桜の腐敗政治家」安倍を批判するのは当たり前の話でしょうに。楊が安倍にこびたところで「何かいいことがあるとも思えない」んですが、何なんでしょうか、このバカ。 

*1:WHOのことか?(但し、首相辞任後)

*2:宜蘭県長、民進党秘書長、総統府秘書長、行政院長(首相)などを経て立法院長(国会議長)

*3:台南市長、行政院長(首相)などを経て副総統

*4:台北市長、台湾省主席、副総統などを経て総統

*5:副首相などを経て総統

*6:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*7:中国のこと

今日の朝鮮・韓国ニュース(2021年7月28日分)

〈広島無償化裁判〉広島弁護団と広島朝鮮学園が抗議声明 | 朝鮮新報
 過去の最高裁不当判決から、今回の不当判決も予想の範囲内ではありますが、怒りを禁じ得ません。ひとまずリンクを張っておきます。


【産経抄】7月31日 - 産経ニュース

 韓国のMBCテレビが五輪開会式の中継で、ウクライナの紹介にチェルノブイリ原発の写真を使うなどした問題は、多くの国をあきれさせた。

 アンチ韓国の産経らしいですがこの一件、韓国国内から「ウクライナに対して無礼ではないか」という批判意見が出て、テレビ局側が謝罪してる話です。そうしたことについて全く触れずに韓国に悪口とは実に産経らしい。

 中国大陸の辺境にあって天下の情勢を知らず、自国を大国と思い込んでいた夜郎侯は、2千年以上たつ今も名を残す。
夜郎自大」。
 恥ずかしい存在としてである。

 むしろ夜郎自大

◆米国相手に勝利可能という間違った認識で太平洋戦争を始めた戦前日本
◆「河野談話否定論」を放言する産経(国際的に支持されるわけがない)

の方でしょう。ちなみに恥ずかしい言葉としては「大本営発表」なんてのがありますね。もともとは「大本営(日本軍最高指導部)の発表」と言う意味ですが、「太平洋戦争中のミッドウェー海戦での日本軍敗戦(これ以前は、米軍と互角の勝負だったので大本営発表も概ね正しかったが、これ以降、日本が敗北を重ねる)」以降は「戦意高揚のために、故意に日本の敗戦を隠し、米軍相手に連戦連勝であるかのように偽っていた」ため、今では「大本営発表=虚偽発表の隠語」になっています。


帰郷へ 日本は諦めないで 拉致被害者の蓮池さん:北陸中日新聞Web
 こういう集会がほとんど話題にならないあたり拉致は完全に風化しています。
 なお、1)蓮池薫氏は「バーター取引論」を口にしたのに記者が救う会、家族会の反発を恐れて記事にしなかったのか、2)そもそも蓮池氏自身が救う会や家族会を恐れて「バーター取引論」を口にしなかったのかはともかく、この記事に「バーター取引論」が出てこないことにはがっかりします。「早期解決を望む」と「救う会や家族会の反発は買わない」ものの、「毒にも薬にもならない」抽象的なことをいったところで、もはや何の意味もないでしょう。蓮池氏も含めて、今我々がすべきことは「バーター取引論」を主張していくことではないか。おそらくそれ以外には現実的な解決法はないでしょうから。


「拉致」を風化させない|【西日本新聞me】
 既に完全に風化しているのに今更何を言っているのか?。しかも有料記事というあたりが失笑物です。こういうタイトルなら無料記事にすべきでしょう。


【正論9月号】北でうごめく反金正恩のマグマ 関東脱北者協力会代表 木下公勝 - 産経ニュース
 どう見てもそんなもんが「うごめいているようには見えない」ので馬鹿馬鹿しい。
 何せこの記事で出てくる話は

北朝鮮政治犯収容所に(中略)最近、金正恩の異母兄・金正男を暗殺した実行犯が収容されたとの証言が北から伝わってきた。
◆私が脱北者仲間とも協力して北朝鮮内部から得た情報によると最近、北朝鮮では前例のない反金正恩勢力が、緻密に組織化され運動を展開しているようだ。

などという「根拠薄弱な怪しい話ばかり」です。要するにいつもの「北朝鮮崩壊するする詐欺」でしょう。


東京五輪:世界1位の桃田を破った許侊熙…韓国では中継なかった=バド男子単-Chosun online 朝鮮日報

 東京五輪バドミントン男子シングルスで28日、韓国の許侊熙(ホ・グァンヒ)=世界ランク38位=が同1位の日本の桃田賢斗を破り、準々決勝に進出した。「五輪の歴史に残る番狂わせ」と評される試合だったが、韓国のテレビでは許侊熙のプレーを見ることができなかった。

 1)あまりに番狂わせであり、誰もホ選手が勝つと思ってなかった上に、2)おそらく韓国で「それほどバドミントン人気がない」がゆえに放送予定がなかったところ、「番狂わせの勝利」で突如注目が集まったというのも皮肉な話です。これで「メジャー大会での優勝で渋野日向子に注目が集まった」ように、韓国でも今後は、多少は「ホ選手とバドミントン」に注目が集まるんでしょうか?


不適切発言で日本公使捜査 韓国、刑事処罰は回避か - 産経ニュース
 もちろん、菅政権はいざとなれば「自主的に引き渡す」どころか、「外交官の不逮捕特権発動」で逃がそうとするでしょうし、そんなことは文政権も解ってるでしょう。
 つまりは本気で逮捕起訴したいわけではなく、「日本側への政治的アピール(強い不快感の表明)」にすぎません。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年7/28日:島田洋一の巻)(副題:LGBT問題で稲田朋美に悪口する島田)(追記あり)

島田洋一
 産経、阿比留論説委員の本日のコラム。さすが一流記者の文は多彩かつ明快だ。我々はLGBT差別などしていないし、無理解だと稲田朋美議員や野党議員に説諭される筋合いはない。
【阿比留瑠比の極言御免】出版界にあふれるLGBT - 産経ニュース

 「最高裁お墨付きの捏造記者」阿比留の駄文なんか持ち出しても恥さらしにしかなりません。
 ちなみに島田ツイートには阿比留記事の画像が張ってあって、それによれば

高殿円の小説『上流階級 富久丸百貨店外商部 - Wikipedia
◆映画化もされた万城目学の小説『プリンセス・トヨトミ - Wikipedia
◆山口恵以子の『食堂のおばちゃん』
週刊モーニングに連載中のよしながふみのマンガで、テレビ東京でドラマ化された『きのう何食べた? - Wikipedia
粉山カタのマンガ『不可解なぼくのすべてを』

が人気作家の「作品中にLGBTが登場する小説、マンガ」としてあげられています*1がそんなもんをいくらあげようとも「昔に比べればLGBT差別が弱くなった」といえるかもしれないが、「日本にLGBT差別がない」なんて話には全くならない。
 何せ島田や阿比留らウヨは「織田信長と小姓(森蘭丸など)の衆道(男性同性愛)など」を持ち出して「だから日本にはLGBT差別なんか昔からない」と強弁するのだから「はあ?」ですね。
 全く「1970年代の党のLGBT認識には問題があった」と謝罪した志位和夫氏とは偉い違いです。

島田洋一
 LGBTに理解を示すテレビ番組や小説漫画がこれだけ溢れる中、左翼活動家を利するだけの統制的法律など必要ない。
【阿比留瑠比の極言御免】出版界にあふれるLGBT - 産経ニュース

 なお、「例のLGBT法案」は「理念法」にすぎないのでとても「統制的法律」とはいえません。「差別はなくそう」と書いてあっても別に罰則が定められてるわけでもない。
 しかし「小説やマンガでLGBTネタが増えてきたから差別はなくなった(島田や阿比留)」。「正気か?」ですね。
 
【追記】
 気になったのでググったところ、以下のような小説があるようですね。とはいえ「あふれてる」とはとても言えませんが。

【知ることから始めよう】LGBTQを描いた小説7選 | P+D MAGAZINE
吉本ばななのデビュー作、『キッチン』
◆第122回芥川賞受賞作である(ボーガス注:藤野千夜)『夏の約束』は、ゲイのカップルやトランスジェンダー、その友人といった若者たちのひと夏の出来事を描いた作品です。

島田洋一
 稲田氏は米最高裁で最左派に位置したギンズバーグ判事(昨年死去)への尊敬の念をしばしば口にしてきた。

 仮に「LGBT問題限定」「政治的スタンスはともかく、米国における女性判事の草分け、先駆者として活動してきたことには尊敬する」とかであっても稲田が「リベラル派」「米国民主党支持(最高裁判事任命もクリントン大統領時代)」ギンズバーグへの「尊敬の念」を口にするとはびっくりです。
 もちろん島田のようなウヨはギンズバーグのようなリベラル派は激しく嫌ってるわけですが。「島田らウヨが嫌うギンズバーグ」に好意的言及をする稲田が「杉田水脈」などと違って「ウヨイメージから脱却したがってること」「ウヨイメージの少ない女性議員(野田聖子など)のようになりたがってること」は明白でしょう。もちろんだからこそ島田が稲田を「裏切り者」として憎悪するわけですが。正直、稲田は「ガチ右翼」と当初思っていたので非常に意外です。しかし「あの稲田」ですら「極右イメージを脱却したがってる」のに巣くう会右翼といつまでも、付き合い続ける家族会ってどれほどバカなんでしょうか?。まあ、増元照明なんかは本人自体が「ガチ右翼」のようですが。

【追記】
 気になったので「ギンズバーグ、稲田」関係でググったところ以下の「俺的に面白い」記事やツイートがヒットしました。

古田大輔
 アメリ最高裁の女性判事だったルース・ベイダー・ギンズバーグが「最高裁判事は女性が何人いるべき?」と聞かれたとき、「全員女性にするべき」と答えた。周囲が冗談と思ったときに彼女は真顔で「これまで全員男だったんだから」。
 この言葉で「逆差別」「女にしたらいいというものではない」と反応した人は、ギンズバーグほど優れた人がなぜ、こう発言したか考えると良いと思う。
 全員女性は異様だと思った人は、全員男性であることが異様だと気づけていたか。それが彼女の真顔の理由。
夫婦別姓訴訟「裁判官の半分が女性ならこの結論にはならない」弁護団長が指摘 | ハフポスト

 つまりは「冗談、皮肉」ですがこういうのは「真顔で言うから」皮肉として効くわけです(真顔だと読解力がない人間には「本気だ」と誤解されるリスクがありますが)。「自分で笑いながら言っては、相手がしらけて受けない」というのが冗談、皮肉を飛ばすときの「重要ポイント」だと俺は思っています。と言っても、冗談を言うときに「照れ隠しで」つい笑って、相手をしらけさせるのが俺ですが。

稲田朋美
· 2020年9月24日*2
 昨年私が最も勇気をもらった映画『ビリーブ』の主人公、アメリ最高裁判事ギンズバーグ女史がお亡くなりになりました。
 女性が偏見にさらされている時代、信念をもって法の正義と公平を実現した偉大な法律家でした。一度お会いしたいと思っていたので残念です。
 御冥福をお祈りします。

 なお、映画『ビリーブ』(米国公開2018年、日本公開2019年)ですが、ビリーブ 未来への大逆転 - Wikipediaによれば

ギンズバーグ
 フェリシティ・ローズ・ハドリー・ジョーンズ(1983年生まれ)
 博士と彼女のセオリー - Wikipedia(2014年公開)で物理学者スティーヴン・ホーキング博士(エディ・レッドメイン*3)の元妻であるジェーン・ホーキングを演じて、アカデミー主演女優賞にノミネート(ただし主演女優賞受賞はアリスのままで - Wikipedia言語学者のアリス・ハウランドを演じたジュリアン・ムーア*4

だそうです(小生は洋画は全く見ないので実感がわきませんが)。

2日遅れの国際女性Dayネタ:オルブライト元国務長官と稲田朋美議員。|向山淳|note
◆インタビュアー
 次世代の女性たちのために、どのような政策・社会を実現したいとお考えでしょうか。
◆稲田
 最高裁判事ギンズバーグ氏が言った言葉に、「自分が大切にしているもののために闘いなさい。でも他の人があなたにそれに賛同するような闘い方をするのです」というのがある。どうしたら他の人の共感を得て巻き込めるのか、その視点が必要です。寡婦控除の時も最終的に男性をも巻き込んだので成立することができた。どうやって自分のファンを増やしていくかが非常に重要だと思う。どうしても、女性議員は自分の前の階段を登っていく過程でその余裕がない。目の前のことでいっぱいいっぱいになるけれど、少し余裕を持って色々な人を大切にすることがとても重要だなと思う。

 まあ、ギンズバーグや稲田に言われるまでも我々皆が「何となく気づいてること」「但し、言うは易く行うは難し」でありますよね。
 「多くの支持を得るために」例えば共産党は「いろいろと妥協して」野党共闘している。大阪では「維新との闘い」のために自民との共闘にも踏み切った。
 まあ、下手に妥協すると「ただの現状追認」になる恐れはありますけど。
 一方、ギンズバーグとは逆に「多くの人が呆れて去って行くような戦い方」の上に「自分が大切にしているもの(北朝鮮に拉致された家族)のために闘ってんのか、あんた?。そんなんで家族が日本に帰国すると思ってるのか?」と問いただしたくなる「酷い戦い方」の典型が横田早紀江増元照明ら「拉致被害者家族会」ですね。
 蓮池透氏や田中均氏を敵視し、あげくトンデモ右翼の荒木や西岡にへいこら。増元にいたっては「極右政党・次世代の党」から出馬(勿論落選)ですから心底呆れます。拉致敗戦も自業自得と言うべきでしょう。俺は家族会にはもはや軽蔑や憎悪、憤怒と言った負の感情しかありません。

*1:小生はどれ一つとして読んでない(映画やドラマも見てない)ので評価できませんが。まあ、阿比留にしても『こういう本があるから日本にLGBT差別なんかない』というために持ち出してるだけでおそらくどれ一つとしてまともに読んでないでしょうが。

*2:なお、ギンズバーグの死去は2020年9月18日

*3:1982年生まれ。2015年にスティーブン・ホーキングを演じた『博士と彼女のセオリー』でアカデミー主演男優賞を受賞

*4:1960年生まれ。2002年に『エデンより彼方に』でヴェネツィア国際映画祭女優賞を、2003年に『めぐりあう時間たち』でベルリン国際映画祭女優賞を、2014年に『マップ・トゥ・ザ・スターズ』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞し、いわゆる世界三大国際映画祭の女優賞をすべて制覇(ジュリアン・ムーア - Wikipedia参照)

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年7/28分:荒木和博の巻)

捕まえた工作員を釈放しろと朝鮮総聯が警察に押しかけた金南鮮事件(石川県加賀市現地了解): 荒木和博BLOG
 呆れて二の句が継げませんね。そんなことが「拉致問題の解決(拉致被害者の日本帰国)」と何の関係があるのか。


日本はなぜ拉致をされ続けたのか(R3.7.28): 荒木和博BLOG
 6分39秒の動画です。説明文だけで見る気が失せます。荒木動画を批判するために、俺は一応全部見ましたが、実際見る価値は全くありません。
 何が馬鹿馬鹿しいか。「拉致問題の解決(拉致被害者の日本帰国)」においてそんなことはどうでもいいことです。
 どうせ「日本政府が無能だから」「泳がせ捜査していた」だの抜かすことが視聴前から予想できますが、そんなことと「拉致問題の解決」と何一つ関係ない。
【追記】
 実は予想は外れて「憲法九条のせいだ」「何をやっても軍事的反撃がないと北朝鮮になめられていたからだ」と九条改憲を放言です(まあ、予想の範囲内ですが)。
 呆れますね。その荒木の主張と「北朝鮮は日本以外にも拉致をやってる(但し、曽我夫妻の目撃証言など信用に値する証拠があるルーマニア人拉致やタイ人拉致などを除けば、ほとんど『特定失踪者』にすぎませんが)」と言う主張とどう整合するのか。
 ルーマニアやタイに憲法九条があるのか。
 「北朝鮮は日本人以外にも拉致をやってる」といって北朝鮮に悪口雑言しながら、一方でそれと矛盾する「拉致は憲法九条のせい」を放言できる荒木には心底呆れます。
 つうか、こんなバカなことを言えば「何だ、巣くう会というのは北朝鮮を口実に九条改憲を画策する右翼団体か?」となり、1)護憲派、2)真面目に拉致の解決を考えてる人間、3)改憲派だがさすがに『拉致を口実に九条改憲を放言するような汚い行為』はできないと思う『それなりにまともな改憲派』は巣くう会や家族会から離れていきます。
 巣くう会や家族会に残るのは『九条のせいで北朝鮮になめられたから、拉致が起こった』だの『九条がなければ自衛隊拉致被害者が救出できる』だのほざくデマ右翼の西岡、島田、荒木らばかりになる。それで拉致が解決するわけがないでしょう。


もう少し腹を立てよう【調査会NEWS3474】(R3.7.27): 荒木和博BLOG
 本文を読む前からタイトルだけで「北朝鮮にもっと腹を立てよう」と抜かしてることが予想できますが、そんなことが拉致の解決と何の関係があるのか。
 何の関係もない。
 腹など立てても問題は解決しないのであって「どう拉致被害者を日本から帰国させるか冷静に考えないといけない」。
 これは拉致解決に限りません。「北朝鮮拉致」に限らず、不正や人権侵害などに憤るのは人間として当然です。しかし「その怒りをどう問題解決につなげるか」を考えなければ、その怒りには何の意味もない。例えば「北方領土を不法占拠するロシアが許せない」と言ったところで島は帰ってこない。
 つうか、俺が一番腹が立つのは「拉致問題を解決する気もなく、北朝鮮叩きや九条改憲に悪用する気しかない荒木ら巣くう会」と「巣くう会いいなりで、蓮池透除名などという愚行までした家族会」ですね。
 おそらく日本人の多くはもはや「北朝鮮に対する怒り」よりも「巣くう会や家族会に対する怒りや空しさ、徒労感」しかないでしょう。
 巣くう会や家族会は「俺たちのやるとおりにやれば拉致が解決する」といって日本政府に『北朝鮮経済制裁をやらせた』。結果、小泉訪朝で期待された日朝交渉が挫折した。
 しかし小泉訪朝から18年たっても、「小泉、第一次安倍、福田、麻生、鳩山、菅直人、野田、第二~第四次安倍、菅義偉(日本)」「ブッシュ子、オバマ、トランプ、バイデン(米国)」「金大中盧武鉉李明博朴槿恵文在寅(韓国)」と政権が何度も変わっても拉致は解決しない。そこで「もはや経済支援とのバーター取引しかないんじゃないか」と言う声が当然出てくる。
 ところがそれを「腰抜け」あるいは「北朝鮮シンパ」と罵倒する。そうした「バーター取引」主張をした蓮池透氏は家族会から除名される。そのあげく、荒木は「拉致被害者の居場所もわからない」のに「自衛隊拉致被害者救出」を放言する。
 「居場所もわからないのにそんなことはできない」という声に対して荒木は「自衛隊に探す気がないから解らないのだ」と無茶苦茶なことを言って自分の主張の非を認めない。これで「巣くう会や家族会に対する怒りや空しさ、徒労感」を感じなかったらその方が変です。

 YouTubeで昭和46年7月に起きた金南鮮事件について「現地了解」(ライブではなく録画したものを編集して後日公開)をアップロードしました。
 この事件は福井県との県境に近い石川県加賀市篠原新町の沖合で不審船が目撃され、その後上陸する工作員4名のうち1名を逮捕した事件です。

 そんな50年前の密入国事件と拉致解決と何の関係があるのか。

 うちの幹事長のお父さんがかつて脚本を書いていた東映のヤクザ映画の高倉健のように、我慢に我慢を重ねても最後に殴り込みをかけるというのをそろそろやっても良いのではないかと思います。

 馬鹿馬鹿しい。高倉映画なんかただの作り物です。実際のヤクザ世界ではあんな「自殺攻撃(殴り込み)」はない。ヤクザ映画でもよりリアルな方向を狙った『仁義なき戦い』シリーズ、『極道の妻たち』シリーズではあんな殴り込みはしません。
 大体、拉致問題で殴り込みとはどういう意味なのか。
 そして「殴り込み」というか批判を受けるべきなのは「拉致を九条改憲の口実に政治利用して恥じない」荒木ら拉致右翼でしょう。
 ちなみに「うちの幹事長=特定失踪者問題調査会幹事長の村尾建児」で、村尾の父親(脚本家)が「村尾昭」と言う人物です。
 「村尾昭」については

村尾昭氏死去/脚本家 | 全国ニュース | 四国新聞社2008.11.6
 5日午後4時35分、多臓器不全のため東京都杉並区の病院で死去、75歳。兵庫県出身。
 自宅は杉並区(以下略)。葬儀・告別式は9日正午から杉並区(以下略)、長明寺会館で。喪主は長男建児(たつる)氏。
 「昭和残侠伝」「新網走番外地」シリーズなどの映画で脚本を担当。「新 必殺仕置人」などテレビドラマの脚本も手掛けた。

を紹介しておきます。