「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/7分:高世仁の巻)

原発とジャングル1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 渡辺京二さん*1さんの話ばかりで読者もうんざりかもしれないが、きょうは彼の「ジャングルと原発」(「原発とジャングル*2晶文社刊に所収)という評論について書きたい。

 ええ、うんざりですね。俺は高世と違って渡辺など何一つ評価していませんので。むしろ渡辺には否定的です。大体原発を論じるに当たって原発専門家でもない渡辺を持ち出すなんて馬鹿げています。
 東電元社員(原発技術者)である蓮池透氏の著書『告発:日本で原発を再稼働してはいけない三つの理由』(2018年、ビジネス社)でも高世は論じたらどうなのか(追記:と思ったのですが原発は前振りにすぎず、高世と渡辺がやりたいことは「ピタバン族の生活がいかに素晴らしいか」という話のようです)。
 なお、なぜ渡辺を評価しないかについては「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/6分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログにも書きました。
 そもそも以前「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(8/10分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで指摘していますが、産経新聞に登場して「自虐史観」なんて言葉を平然と使う極右が渡辺です。なんでそんな人間を高世は「元左翼」のくせに評価できるのか。高世も「自虐史観反対」という渡辺と同じ極右の立場なのか。
 「いや俺はそんな考えは支持しない」「それ(渡辺の「自虐史観」批判)とこれ(高世が支持する渡辺の言説)とは別」なんてのは詭弁です。「自虐史観」なんて言葉を使い、笠原十九司*3林博史*4、吉見義明氏*5といった研究者を侮辱する渡辺がまともな人間の訳がないでしょう。

原発がいやならジャングルへ戻れと、「戦後最大の思想家」は言った。

 これだけですぐに分かる方も居れば「何のことだか分からない方」もいるでしょうが、ここでの「戦後最大の思想家」つうのは吉本隆明*6のことです。
 まあ、カギ括弧つけてるつう事は、渡辺はそうは思ってないのでしょうが。
 俺もそうは思っていません。そもそも「新左翼の教祖」などと呼ばれた吉本をそこまで高評価するのって「新左翼運動が盛んだった頃の一部新左翼活動家(平たく言えば吉本シンパ)」だけですよねえ。
 自民党社会党共産党などはむしろ吉本には否定的でした。
 例えば五十嵐仁氏*7(記事執筆当時、法政大教授。現在は法政大名誉教授、全国革新懇代表世話人)などは3月17日(土) なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのか:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログ

 吉本隆明が死んだそうです。最大級の評価と追悼の言葉が、テレビや新聞で報じられています。
 昨日の朝7時のNHKニュースのトップが、吉本の訃報でした。夕刊各紙も、多くの紙面を割いて業績を紹介したり、その死を惜しむ言葉を掲載しています。「戦後思想の巨人」とか、「戦後の思想界を代表する評論家・詩人」だなどという賛辞が溢れていました。
 しかし、忘れてならないのは、吉本の思想と言説が全共闘運動や新左翼の学生達に多くの影響を与えたということです。既成の左翼運動を徹底批判し「新左翼」の教祖的存在となったこと、全共闘世代の若者の熱狂的支持を受けたことは、当時、若者であった私も良く知っています。
 そして、その言葉に影響され、これらの誤った運動へと足を踏み入れて暴力をふるったり、暴力によって負傷したり、命を失ったり、人生を狂わされた学生や青年達が多くいたことも。そのような学生の一人によって、私は旗竿で右目を突かれ、失明させられました*8
 その思想的淵源の一つが吉本隆明であったかもしれません。内ゲバにまで至り、惨憺たる結末を迎えた全共闘運動や新左翼運動に対して、「教祖」として思想的な影響を与えた吉本隆明には大きな責任があります。
 それなのに、なぜ、誰も吉本隆明の責任を追及しないのでしょうか。人々の行動を左右し、生き方にまで深く影響を与えた思想の「結果責任」を、どうして誰も吉本隆明に問わないのでしょうか。

と吉本を酷評しています。小生も同感ですね。なお、「話が脱線」しますが、以前「例の野原さん」に「五十嵐氏のような吉本批判をどう思いますか?」「あなた反原発派を自称していますが、それと、あなたの吉本への高評価とどう両立するんですか?。吉本って原発推進派ですよね?。原発推進の部分については、脱原発派としてさすがに吉本を批判しますか?」と沈黙の核あるいは〈関係の絶対性〜大衆の原像〉 - noharra’s diary吉本原発論批判をすべきだ - noharra’s diary*9などと彼のブログのコメント欄で質問したら「いつもの決まり文句」『興味ない』で応じられて心底呆れたことがありました。
 どうやら野原には「是々非々の評価」ができないようです。
 「確かに五十嵐先生の言うように吉本には新左翼の暴力に対する道義的責任がある、しかしそれでもこういう部分は吉本は立派だ」といえない。
 「当時、左翼運動において強い影響力を持った既成左翼(社会党共産党など)を批判した吉本は立派なんだ」と彼が言うと「吉本批判を彼は何一つ出来なくなる」。とはいえ、「五十嵐氏のような批判」あるいは「脱原発派からの原発推進派・吉本への批判」について「吉本は正しい。五十嵐氏や脱原発派の吉本批判の方が間違ってる」とは野原さんも言えない(特に原発問題ではとてもそんなことは言えないでしょう。彼は自称脱原発派ですから)。
 結局すっとぼけるしかなくなるわけです。これは吉本だけではなく、前川元文科次官など他の件でも同じですが。
 野原が「前川さんの加計告発は偉大だ」というと「前川批判を彼は出来なくなる」。
 しかし彼には皮肉なことに前川氏は「彼とは違い」朝鮮学校無償化除外を「国による違法行為であり差別」と批判しています。その件について「あなた、俺を朝鮮学校無償化除外になぜ反対するって批判したよね?。じゃあこの件では前川氏を批判するの?」と聞いたら、いつもの「興味ない」です。
 是々非々の評価が出来ず「全肯定か全否定かしないかないのが野原」だから「全肯定や全否定ができない場合」はとぼけるしかなくなるわけです。どんだけ卑怯者なのか。長い人生、そんな卑怯で下劣な態度で生きてきたのが「60歳を超えて定年退職したじじい(当人の自己申告による)」の野原なのか。こんな卑劣な人間が「朝鮮総連北朝鮮に甘い」と言い出すのだからその下劣さ、デタラメさには心底呆れます。「朝鮮総連関係者が北朝鮮批判する」のに比べたら野原が「前川氏や吉本を批判すること」なんか何らハードルは高くないでしょう。
 他人にハードルの高い行為を要求しながら、自分はハードルの低い行為でもやらない。「なぜやらないのか」と俺に批判されても「興味ない」で片付ける。どれほど野原はデタラメなのか。
 まあ「野原への悪口はこの程度にして」話を元に戻しますが、「最近の若者」など吉本隆明を否定する、しない以前に吉本なんて知らないでしょう。
 吉本のことを「作家・吉本ばなな*10の父親」と知ってればまだいい方です。下手したら吉本ばななも最近の若者は知らないでしょう。ばななは正直「一般によく知られてる作家」とはいえないでしょう。
 下手したら冗談ではなくマジで「吉本興業の創業者*11ですか?」といいかねないのが最近の若者でしょう。最近の若者にとって吉本とは「明石家さんま」「桂文枝*12」「桂文珍」「ダウンタウン」「千原兄弟」「ナインティナイン」「博多華丸・大吉」「ハリセンボン*13」「山田花子」などなど多数のお笑い芸人*14を擁し「今や日本最大のお笑い芸能事務所」となった吉本興業のことでしかないでしょう。
 しかし

原発がいやならジャングルへ戻れと、「戦後最大の思想家」は言った。

て。
 高世や渡辺の指摘が事実*15なら「吉本はアホか」ですね。昭和戦前に原発なんかあったのか。もちろん日本だけでなく欧米も含めて「どこの国にもない」わけです。原発が誕生したのは戦後のことですから。原爆技術を民生転用して生まれたのが原発ですから。
 世界の全ての国に原発があるのか。もちろんないわけです。「ジャングル云々」なんてのは産経レベルの低劣なデマです。
 原発がなければもしかしたら「生活レベルは落ちるかもしれません*16」。しかし「ジャングルに戻ること」はありえない。つうか日本にジャングルなんてありませんし。
 かつこうした吉本発言は「ジャングルで生活してきた人々」に対する明らかな差別暴言でしょう。
 しかし野原さんに「吉本の『原発がいやならジャングルへ戻れ』発言をどう思いますか?」と質問するとすっとぼけるんでしょうねえ。さすがに彼も「そうだ、ジャングルへ戻る気なのか。原発は必要なんだ」といえないし、一方で吉本批判も出来ない。
 まあそういう批判的な質問を俺にされたくないからでしょう。

普通・無知であること - noharra’s diary
 id:bogus-simotukareさんについては、書き込み禁止にしています。

と俺の書き込みを拒否したあげく「拒否して何が悪い」と平然と居直るのだから心底呆れます。小生もここまでデタラメなくせに誠実ぶってる馬鹿野郎は野原さん以外ではネット上ではMukkeくらいしか見たことがないですね。
 まあ「荒木和博や島田洋一など産経文化人」に代表される日本ウヨはデタラメですが、彼らは「誠実なリベラル」を必死に装う野原さんやMukkeと違い「デタラメ右翼であることを隠そうとしてない」のである意味「誠実」です。

 吉本氏は原発反対運動が大嫌いで、リスクの伴わぬ技術進歩はない、そのリスクを人間は引き受けてゆくべきだ*17と言って、さすがの「戦後最大の思想家」もモウロクした*18のではと疑われた。しかし、吉本氏を散々罵った*19原発反対派は、年間四千人の死者を出しつつ平気でクルマを乗り回している*20。一体福島原発放射能汚染で何人死んだか*21。吉本氏の発言は筋の通ったものだった。

 「別に原発やめたってジャングルへ戻らないから。戦前はどこの国にも原発なんかなかったがそれなりの生活水準だった(繰り返しますが原発が誕生したのは戦後です)。デマも大概にしろよ」と渡辺が言うかと思いきや「吉本氏の発言は筋の通ったもの」だそうです。
 「予想外すぎて」「異常すぎて」一瞬言葉がないですね。よくもまあこんな馬鹿げた渡辺の発言を高世も好意的に紹介できるもんです。
 高世の妻子ですら「お父さん、馬鹿なことは言わないで」と呆れるんじゃないか。
 おいおいですね。「年間四千人の死者を出しつつ平気でクルマを乗り回している」て、じゃあ自動車をやめろというのか。やめられるわけがないでしょう。
 そんなこと言ったら「飛行機は落ちる恐れがあるから運行すべきでない」「鉄道や船も、脱線や沈没など、死亡事故が起こる恐れがあるから運行すべきでない」なんてことにもなってしまう。極論すれば「中世ヨーロッパの馬車」「江戸時代の武士の乗馬」だって事故(馬が何らかの理由で暴走)で人間が死ぬことはあるわけです。ならば中世ヨーロッパや江戸時代において「馬の利用は危険だから人間は歩いて移動すべきです」つう話になるのか。もちろんなりません。
 「そういうこというならまずお前らが自動車と鉄道と飛行機と船の使用をやめろよ、高世よ、渡辺よ。それで生活が出来る物ならやってみろ」「お前の出版した本も、本の販売に自動車と鉄道と飛行機と船の使用はするなよ、高世よ、渡辺よ。それで本が売れる物ならやってみろ」と思うのは俺だけではないでしょう。しかし晶文社も良くこんな与太の書かれた本「原発とジャングル」を出版したもんです。
 だったらまず晶文社が「本の製造販売」に「文明の利器を使うこと」をやめるべきでしょう。
 問題は「近代化それ自体ではない」。近代化が生み出す弊害をどうなくしていくか、減らしていくかと言うことです。
 で、原発というのは「水力、火力、地熱、風力、潮力、太陽光」などという別の発電方法がある以上、「原発事故のリスクを抱えてまでやるべきではない」。
 一方自動車や鉄道、飛行機などは「死亡事故のリスクもあるが移動時間が大幅に短縮できるメリットも大きく」、かつ「自動車、鉄道、飛行機に変わる代替手段もない」。だから「リスクを最小限にする」方向を目指していく。ただそれだけの話です。

《文明の進歩がいやならジャングルへ戻りなさいというとき、そのジャングルの生活とは野蛮、蒙昧、悲惨の代名詞であるはずである。》
 ところが、実際のジャングルの暮らしは、その先入観を覆すものだったという。渡辺さんはダニエル・L・レヴェレット『ピダハン*22』(みすず書房)に記された、アマゾン支流マディラ川のほとりに住むピダハンという400人ほどの部族を例に挙げる。彼らの生活は川と森に依存している。川での漁と森の採集によって、《一家力を併せて日に2、3時間働けば暮らしてゆける》という。
(以下略)
(つづく)

 吹き出しました。いや「ジャングルの生活は意外と豊か」とは言ってもそれは「近代化した文明社会」を否定していい話ではないでしょう。
 「まさかとは思いますが」、渡辺はともかく「ダライラマ支持者」高世ってチベットについても「チベットはいわゆるチベット解放などされなくて良かった。それは別に中国共産党が独裁的でチベット民族文化に無神経だからではない。私がそうした面で中国共産党を批判しているため誤解している人が居るかもしれないが、たとえ中国共産党が民主的で、チベット民族文化に理解があってもも解放される必要はなかった。なぜなら近代化されなくてもチベット人チベット民族)は幸せだったからだ。未開のジャングルに暮らすピダハン部族と同じだ」「チベット鉄道とか、チベットの電化とかチベットの近代化なんか全く必要ない」と言い出す気でしょうか。
 そして高世や渡辺には「そんなにピダハンがうらやましいならアマゾンに家族引き連れて移住して来いよ、止めないから」と心の底からいいたい。
 まあ、でもマジレスすればたぶんピダハン族も「徐々に」「遅々とした歩み」ではあれ「チベット解放後のチベットのように」いずれ近代化していくでしょうね。

【追記】

ピダハン ダニエル・L・エヴェレット著 定説を揺るがす豊かな精神世界 :日本経済新聞
 ピダハン語には、従属節、数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しないものが多い。それらを必要としない文化なのだ。たとえば方向は、マイシ川の上流側か下流側かで表現される。数に替わる概念は相対的な量で表わされる。

 近代化しないならそれらは確かに必要でないかもしれない。ただ近代化するなら「数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しない」というわけにはいかないでしょう。日本語や英語など多くの言語にそうした言葉が存在するのは「必要だから」です。必要がなければそんな言葉は生まれない。
 高世や渡辺が「数詞、色や複雑な家族関係を指す言葉、左右を表わす言葉など存在しない未開社会」でも「ピタバン族が幸せだと思ってるならそれでええやないか。奴らがそういう生活でもわしらにとって困ることはないし、わしらが近代化してやろうなんて思い上がりや」つうならそれは勝手です。俺もアマゾンの未開民族ピダハン族なんかには興味もありません。そもそも高世のこの文章を読むまでそんな部族の存在も知りませんでしたし。
 ただ俺個人はこんな社会が高世や渡辺が言うように、「むしろ日本人にとって生活の参考になるんじゃないか」とは全く思いませんね。
 「文明社会日本」に「文明化(近代化)による問題」があるからといって「未開社会(たとえばピダハン族)に憧れを抱く」つうのはまともな言動ではないでしょう。
 それにしても「ピタバン族が幸せだと思ってるならそれでええやないか。奴らがそういう生活でもわしらにとって困ることはないし、わしらが近代化してやろうなんて思い上がりや」という態度の高世が、朝鮮学校関係者に頼まれても居ないのに「朝鮮学校の教育は金日成崇拝でゆがんでるから無償化除外してでも正常化してやろう」と思い「わしら部外者が朝鮮学校に上から目線なんて思い上がりや」と思わない神経は理解不能です。あるいは寺越親子に頼まれても居ないのに「寺越武志さんは拉致だ」と言い出す神経は理解不能です(いや正直な話、なんとなく理解は出来ますが明らかにピタバン族への態度とは矛盾してるでしょう)。
 ピタバン族への高世の態度を朝鮮学校や寺越親子にスライドすれば「教育内容なんぞ朝鮮学校関係者の思い通りにやらせてやればそれでええやないか。奴らがどういう教育でもわしらにとって困ることはないし、わしらが正常化してやろうなんて思い上がりや」「寺越親子が拉致だなんて言ってないのにわしら部外者が拉致だと騒いでも無意味や」になるでしょうにねえ。だから俺は「矛盾だらけ」「デタラメだらけ」の高世が反吐が出るほど大嫌いです。

*1:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『神風連とその時代』(2006年、洋泉社MC新書)、『なぜいま人類史か』(2007年、洋泉社MC新書)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』(2008年、洋泉社MC新書)、『私のロシア文学』(2011年、文春学藝ライブラリー)、『維新の夢』(2011年、ちくま学芸文庫)、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『私の世界文学案内』(2012年、ちくま学芸文庫)、『近代の呪い』(2013年、平凡社新書)、『無名の人生』(2014年、文春新書)、『幻影の明治:名もなき人びとの肖像』(2018年、平凡社ライブラリー)など

*2:2018年刊行

*3:都留文科大学名誉教授。著書『アジアの中の日本軍』(1994年、大月書店)、『日中全面戦争と海軍:パナイ号事件の真相』(1997年、青木書店)、『南京事件』(1997年、岩波新書)、『南京事件三光作戦』(1999年、大月書店)、『南京事件と日本人』(2002年、柏書房)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史』(2007年、平凡社新書→増補版、2018年、平凡社ライブラリー)、『「百人斬り競争」と南京事件』(2008年、大月書店)、『日本軍の治安戦』(2010年、岩波書店)、『第一次世界大戦期の中国民族運動』(2014年、汲古書院)、『海軍の日中戦争』(2015年、平凡社)、『日中戦争全史(上)(下)』(2017年、高文研)など

*4:関東学院大学教授。著書『沖縄戦と民衆』(2002年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)、『戦後平和主義を問い直す』(2008年、かもがわ出版)、『戦犯裁判の研究』(2009年、勉誠出版)、『沖縄戦 強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『沖縄からの本土爆撃:米軍出撃基地の誕生』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など。個人サイト(http://hayashihirofumi.g1.xrea.com/)。

*5:中央大学名誉教授。著書『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)、『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)など

*6:著書『老いの超え方』(朝日文庫)、『改訂新版 共同幻想論』、『改訂新版 心的現象論序説』、『定本 言語にとって美とはなにか』(以上、角川ソフィア文庫)、『言葉からの触手』(河出文庫)、『西行論』、『写生の物語』、『書物の解体学』、『高村光太郎』、『追悼私記 完全版』、『マス・イメージ論』、『マチウ書試論・転向論』(以上、講談社文芸文庫)、『今に生きる親鸞』(講談社プラスアルファ新書)、『最後の親鸞』、『カール・マルクス』(以上、光文社文庫)、『詩の力』(新潮文庫)、『超恋愛論』(だいわ文庫)、『源氏物語論』、『初期歌謡論』、『思想のアンソロジー』、『悲劇の解読』、『宮沢賢治』、『柳田国男論・丸山真男論』(以上、ちくま学芸文庫)、『宮沢賢治の世界』(筑摩選書)、『島尾敏雄』(筑摩叢書)、『父の像』、『夏目漱石を読む』(以上、ちくま文庫)、『世界認識の方法』(中公文庫)、『背景の記憶』(平凡社ライブラリー)、『甦るヴェイユ』(洋泉社MC新書)など

*7:著書『徹底検証 政治改革神話』(1997年、労働旬報社)、『政党政治労働組合運動』(1998年、御茶の水書房)、『戦後政治の実像』(2003年、小学館)、『この目で見てきた世界のレイバー・アーカイヴス』(2005年、法律文化社)、『労働政策』(2008年、日本経済評論社)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)、『対決 安倍政権:暴走阻止のために』(2015年、学習の友社)、『活路は共闘にあり:社会運動の力と「勝利の方程式」』(2017年、学習の友社)、『打倒安倍政権:9条改憲阻止のために』(2018年、学習の友社)など

*8:都立大学生時代の五十嵐氏が「民青系の活動家だったこと」や「そのため民青を敵視する新左翼学生に暴行されて右目を失明したこと」は彼のブログ記事3月26日(金) 暴力に抗した友情の絆-松田さんと「支える会」の40年に寄せて:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログ7月22日(水) 残された左目を殴られたのは1972年2月28日のことだった:五十嵐仁の転成仁語:So-netブログを参照して下さい。

*9:吉本原発論批判をすべきだ - noharra’s diaryのタイトルだけ見ると「吉本批判を彼がしている」ようですが、そうではなく「吉本批判しない理由をただ言い訳してるだけ」の醜悪な文章です。

*10:著書『ごはんのことばかり100話とちょっと』、『ふなふな船橋』(以上、朝日文庫)、『キッチン』、『パイナツプリン』(以上、角川文庫)、『哀しい予感』、『サーカスナイト』、『下北沢について』、『人生の旅をゆく』、『スウィート・ヒアアフター』、『すぐそこのたからもの』、『すばらしい日々』、『パイナップルヘッド』、『発見』、『バナタイム』、『ばななブレイク』、『花のベッドでひるねして』、『日々の考え』、『日々のこと』、『まぼろしハワイ』、『もしもし下北沢』、『夢について』、『ゆめみるハワイ』(以上、幻冬舎文庫)、『鳥たち』(集英社文庫)、『赤ちゃんのいる日々』、『イヤシノウタ』、『さきちゃんたちの夜』、『白河夜船』、『とかげ』、『どんぐり姉妹』、『なんくるない』、『ハゴロモ』、『みずうみ』(以上、新潮文庫)、『おとなになるってどんなこと?』(ちくまプリマ―新書)、『海のふた』、『サウスポイント』、『小さな幸せ46こ』、『TUGUMI(つぐみ)』、『ハチ公の最後の恋人』、『ハネムーン』(以上、中公文庫)、『イルカ』、『彼女について』、『体は全部知っている』、『ジュージュー』、『スナックちどり』、『チエちゃんと私』、『デッドエンドの思い出』(文春文庫)など

*11:ちなみに創業者は吉本吉兵衛・せい夫婦です(ウィキペディア吉本興業」参照)。

*12:小生は今でもつい「三枝」といいますが。彼が大阪ABC(テレ朝系列)『新婚さんいらっしゃい!』などで大いに名を売ったのは三枝時代ですからね。

*13:ボケ役が「角野卓造じゃねえよ!」とぼけるネタで知られるコンビですね。

*14:あげた例が最近の若手吉本芸人の名前でなくて恐縮です

*15:事実なのでしょうが。

*16:小生個人は「他に発電方法があるので落ちない」と思いますし、ある程度レベルが落ちても「身の安全には変えられない(原発事故の恐怖におびえたくない)」と思いますが。

*17:リスクの程度によりますね。「ローリスク・ハイリターン」ならその通りですが、「ハイリスク・ローリターン」ならばリスクを引き受けるのは馬鹿げています。

*18:もうろくしたのではなく、吉本は最初からろくな人間ではなかったのでしょう。

*19:「批判した」「非難した」と書かず、吉本批判者が感情的であるかのように印象操作する当たり渡辺も呆れたゲスです。

*20:車に乗ってるのは何も原発反対派だけではないですが。

*21:福島原発事故で直接の死者が出なかったのは単に事故が幸運にも小規模にとどまったからです。最悪の場合、相当数の死者が出たでしょうし、「いわゆる震災関連死」を渡辺が無視するのも酷い話です。

*22:2012年刊行

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年5/2分:三浦小太郎の巻)(追記あり)

「平成」のどこが平和な時代だったのだろう | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 三浦の文章とは関係なく「三浦の記事タイトルから思いついた」個人的感想を書いておきます。
 「平成が平和な時代(例:前天皇の発言)」という場合、想定されてるのは「日本が戦争の直接実行者として関わる戦争がなかった」という話ですね(もちろん憲法九条を厳守すれば、専守防衛しか認められてないので「戦前の日本軍」のような「日本国外での自衛隊武力行使」はあり得ないわけですが)。
 この点、明治は「明治初期の士族反乱秋月の乱佐賀の乱神風連の乱西南戦争萩の乱)」「日清、日露戦争」、大正は「第一次世界大戦日英同盟を口実にドイツ植民地であるパラオ山東半島に出兵)、シベリア出兵」、昭和は「日中戦争、太平洋戦争」などがありました。
 一方
1)戦争を「日本が戦争の直接実行者として関わったもの」に限らず、「在日米軍基地から米軍が出撃していった」、あるいは「そもそも日本が全く関係ない戦争」も含めれば、平成時代にも

カンボジア内戦(昭和45~平成5年)
 内戦発生は昭和ですが、正式終戦は平成になってからです。平成5年4月から6月まで国連の監視下で総選挙が行なわれ、ポル・ポト派をのぞく全政治勢力が参加したことで(ポト派が降伏していないという問題はありましたが)内戦が事実上終結しました。なお、カンボジアPKOでは日本人からは国連ボランティアの中田厚仁氏と高田晴行警部補の2人の殉職者が出ています。
 ポト派ですが、1998年のポル・ポト*1死去、ヌオン・チア*2、キュー・サムファン*3の投降で壊滅したとされます。
湾岸戦争(平成2年)
■ユーゴ内戦(平成3~11年)
■米国のアフガン侵攻(平成13年)
■米国のイラク侵攻(平成15年)
■シリア内戦(平成23年~)
リビア内戦平成23年~)
 カダフィ政権と反体制派の内戦は反体制派勝利で決着しましたが、反体制派が内紛を起こし、新たな内戦が現在発生中です。
■クリミア紛争(平成24年~)
 ロシアのクリミア編入ウクライナが認めておらず軍事対立が続いています。
■イエメン内戦(平成25年~)

などの戦争が日本国外でありました(以上の記述はウィキペディアを参照)。また事実上終戦してるとは言え、朝鮮戦争は未だ正式には終戦していませんし、小競り合いとは言え南北朝鮮間の軍事衝突として、例えば「ヨンビョン島砲撃事件(平成22年)」がありました。
 また戦争ではないものの、いわゆる「九州南西海域工作船事件」があったのは「平成13年」です。戦争ではないものの、「北朝鮮と思われる工作船(不審船)を海保が銃撃で撃沈する事件」の存在を考えれば、「アンチ北朝鮮活動家の三浦」ではない小生でも「平和な平成」というのには「カギ括弧をつける必要があるかなあ」とは思います。いや別に小生は三浦のようなアンチ北朝鮮の極右活動家じゃないんであの事件をネタに「自衛隊軍拡」「打倒北朝鮮」とか主張する気もないですが。既に北朝鮮も不審船活動などやってないですしね。
2)また話を戦争に限らず、「災害や犯罪、経済問題」も含めれば

【災害】
阪神・淡路大震災(平成7年)
東日本大震災およびそれによる福島原発事故平成23年
【犯罪:権力犯罪も含む】
ルワンダ大虐殺(平成6年)
■沖縄米兵少女暴行事件(平成7年)
 これについては赤旗記事
沖縄米兵 中3少女暴行/凶悪犯罪 またも/抗議の声広がる
主張/女生徒暴行事件/米軍人の極悪非道に抗議する
沖縄米兵少女暴行/県議会が抗議決議
米兵少女暴行事件/沖縄 全自治体で意見書・抗議決議
を紹介しておきます。
地下鉄サリン事件(平成7年)
建国義勇軍のテロ事件(平成14年)
 建国義勇軍社民党朝鮮総連田中均氏などへ脅迫状を送付
■パリ同時多発テロ事件(平成27年
【経済問題】
北海道拓殖銀行の倒産(北洋銀行へ営業譲渡)、山一証券の倒産(平成9年)
■いわゆるリーマンショック(平成20年)

などの災害や犯罪などが日本国内外でありました。まあ、だから「平成は平和な時代」というかどうかは、結局の所、価値観の問題ですね。
 まあ「平成は日本人にとって日中戦争、太平洋戦争のようなことがなかった平和な時代」といってもいいとは「個人的には」思います。昭和の「日中戦争、太平洋戦争」のように日本が当事者としてがっつり関わる戦争はなかったし、当然ながら「東京大空襲や原爆投下、沖縄戦」のような悲劇も日本国民にはなかったわけですから。それは決してどうでもいいこと、小さな、つまらないことではないでしょう。
 改憲して集団的自衛権行使を可能にして、イラクやアフガン当たりで米軍と共同軍事作戦で自衛隊が他国民を殺傷に及ぶという可能性も正直「ゼロではなかった」が平成においてはそれはなかったわけです(今後もそういうことはなしにしたいですね)。
 ただ、「個人的には」小生が上で触れたような問題(国外での戦争、国内での災害や犯罪など)も一方では意識する必要はあるかと思います。

【追記】

https://twitter.com/noharra/status/1123889754213355520
野原燐
‏・湾岸戦争
カンボジアPKOとそこでの犠牲
チベット民衆決起と、長野における(ボーガス注:2008年北京夏季五輪の)聖火リレー抗議運動*4、そこで現れた大量の「中国人留学生*5」との対峙だけを(ボーガス注:平成が平和とはいえないと三浦が考える理由として)挙げて、アフガンイラク戦争への日本の加担を挙げない*6。馬鹿馬鹿しい史観!
「平成」のどこが平和な時代だったのだろう | 三浦小太郎BLOG Blue Moon

 一時、安倍を「安倍さんのおかげでウイグル政治犯が解放された!」と散々持ち上げていた野原が、モリカケ疑惑その他で、いきなり安倍批判したのにもびっくりしましたが、今まで「三浦がつくる会理事に就任しようとも、沖縄の基地反対運動を公然と敵視しようとも」何一つ三浦小太郎を批判しなかった、それどころか三浦を持ち上げることしかしなかった野原が「三浦の書いた記事」「平成」のどこが平和な時代だったのだろう | 三浦小太郎BLOG Blue Moonについて「馬鹿馬鹿しい史観!」と悪口雑言です。一体全体、何があったんですかね?
 何らかの理由で三浦とけんか別れしたのか(もしかして「例の守る会」も退会したのか?)。そうすると今後は野原のツイートやブログで三浦への悪口雑言が始まるんでしょうか。期待して見ていたい。
 それにしても、この記事で三浦批判するんだったらこんなこと(アフガン戦争、イラク戦争にふれてないこと)より、

「平成」のどこが平和な時代だったのだろう | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
・「新しい歴史教科書をつくる会」による「戦後民主主義史観」への問題提起。
・この動きからは色々な立場の言論が出現し、少なくとも戦後の公的な場での言論を支配してきた、単純な日本悪玉史観*7が国民レベルで否定されたことは確か*8でした。朝日新聞が吉田証言の誤報を認めたこと*9も、この運動なくしてはあり得なかったと私は信じます

て部分(歴史修正主義運動である「つくる会*10」の美化や、河野談話否定論)でしょうよ。なんで三浦のこの部分を野原君は「河野談話否定論、南京事件否定論つくる会を支持するなんて三浦は馬鹿馬鹿しい史観!」と批判しないのかねえ?。あんた「河野談話支持者」「南京事件否定論批判者」だって公言してたよね、野原君?。やっぱ三浦には野原君は義理やしがらみがあるから厳しい批判なんかできませんか?
 野原も本当に変な奴です。これじゃ三浦批判も「今回が打ち止め」「今回は口が滑っただけ」「未だに三浦とは親しく交遊(例の守る会も今も所属)」で今後は期待できないかな?
 それにしても「平成は平和な時代だったのか」つう話から「つくる会運動は素晴らしい」と言い出す三浦も意味不明なアホです。

【参考:三浦や野原が持ち上げる聖火リレー妨害について】

■2008年北京オリンピック聖火リレーウィキペディア参照)
 19番目の走者となった卓球選手の福原愛が走行中のときにチベット国旗を持った台湾籍亡命チベット人の男タシ・ツェリンが「FREE TIBET!」と絶叫しながら乱入したが、すぐに併走していた警官数人によって取り押さえられ現行犯逮捕された。また、11時10分頃には生卵を投げつけた日本人の男が威力業務妨害容疑で逮捕された。
 最終的に、長野での聖火リレーでは妨害を行った台湾籍亡命チベット人タシ・ツェリンと日本人5名が逮捕され、タシ・ツェリンら3名が長野地方検察庁に送検された。

asahi.com:北京五輪聖火、騒然 長野でリレー 3人逮捕、けが人も・走者囲む警官100人 - この記事を手がかりに - NIE - 教育
北京五輪聖火リレーが26日、長野市内であった。ギリシャで採火された聖火を80人のランナーが4時間余でつないだ。チベット問題で世界中の注目を集めたため、中国人学生やチベットの支援者などが詰めかけて市内は騒然となり、リレーに対する妨害行為も相次いだ。
・途中、JR長野駅前で10番目を走っていたタレントの萩本欽一さんに対しチラシなどが投げ込まれたほか、神奈川県の男(30)が道路に飛び出した。19番目に卓球選手の福原愛さんが走った際には沿道からチベットの旗を持った台湾人の男(42)が飛び込もうとし、警備の警察官に取り押さえられた。51番目のランナーのときにも男が飛び出して卵のパックを投げ込み、取り押さえられた。
 県警はこの3人をいずれも威力業務妨害容疑で現行犯逮捕した。別の地点でも、男1人が車道に飛び出して取り押さえられた。
・場所によっては沿道から怒号が飛び交い、多くのランナーが緊張した面持ちで聖火を運んだ。
・沿道には早朝からチベット暴動をめぐって中国に抗議する人や、逆に中国を応援しようという人らが詰めかけた。中国人留学生団体の代表によると、留学生は3千~4千人。複数の場所でにらみ合いや小競り合いが起き、警察官が阻止する場面も相次いだ。日本の右翼団体と中国人の団体とのいざこざで中国人の男性が額にけがをする場面も。長野市消防局によると、この男性を含め、中国人男性計4人が病院に運ばれた。いずれも軽傷という。
・世界各地で聖火リレーへの抗議活動が起きるきっかけをつくった「国境なき記者団」(本部・パリ)のロベール・メナール*11事務局長は聖火への直接の妨害活動はしなかった。リレー終了後、「日本の福田*12首相も中国に圧力をかけてほしい。我々の今回の活動は成功した。中国とチベットとの対話の動きが出てきた。我々の活動がきっかけだったならうれしい*13」と話した。

厳戒の長野聖火リレー終了、4人負傷し3人を逮捕 | ロイター
 北京五輪聖火リレーが26日に当地で行われ、大きな混乱なく終了した。消防・警察によるとリレーを支持する中国人4人が負傷、男3人が逮捕された。逮捕された男の1人はチベットの旗を持って沿道からリレーコースに飛び出し、警察官らによって取り押さえられた。
 今回の聖火リレーでは、チベット問題をめぐる妨害行為が予想されたことから、警察官3000人以上が動員され厳重な警備体制が敷かれた。
 聖火ランナーの走行中は、100人近い警察官がランナーの左右両サイドで二重の盾となり警護。白と青のトラックスーツを着た中国からの聖火警備隊2人もランナーのそばで並走した。沿道には多くの中国支持者らが赤い中国国旗を振る姿がみられた。
 また、長野駅周辺では、中国人グループやチベット支援者らによる抗議グループ、日本の右翼系活動家らによる小競り合いがあり、負傷して顔から血を流す男性の姿がテレビで放送された。

 ちなみに2022年に北京冬季五輪がありますがまたフリーチベット云々をやるんですかね。「聖火リレー妨害を美化する連中(三浦や野原、ペマ・ギャルポ、産経といった反中国右翼連中。たぶんI濱やMukke、阿部治平もそうでしょう)」は絶対に認めたくないでしょうが、2022年北京冬季五輪の開催決定自体が「2008年北京夏季五輪聖火リレー妨害の政治的失敗」の証明でしょう。聖火リレーなんぞ妨害しても世間は「五輪とチベットの問題は別」「何で北京五輪しちゃいけないの?」「つうか北京五輪に反対でも聖火リレー妨害はダメでしょ」としか理解せず、今回「2022年北京冬季五輪」の開催も決定しました。
 大体「中国はチベット問題があるから、民主主義や人権面で問題があるから北京五輪反対」云々つうなら「全斗煥軍事独裁の時代に開催された1988年ソウル夏季五輪に反対したのか?」「プーチン*14大統領が独裁的な政治を行うロシアで開催された2014年ソチ冬季五輪や2018年サッカーW杯には反対したのか?」つう話になりますしねえ(少なくとも三浦や野原はそんな反対はしてないでしょう)。

*1:カンボジア共産党書記長、カンボジア首相

*2:ポト派政権において国会議長。カンボジア共産党副書記長

*3:ポト派政権においてカンボジア首相

*4:まあフリーチベットとか叫んでる人々がやった無益な聖火リレー妨害行為ですね。ああした妨害行為は日本国内においてほとんど支持されなかったと言っていいでしょう。そして北京五輪は無事開催されました。もちろん「三浦小太郎らウヨ」や「Mukke、I濱教授、阿部治平といった自称チベット支持者」は「(聖火リレー妨害は)素晴らしい正義の行動」「支持しない奴らが悪い」というのでしょうが。下手したら「三浦小太郎らウヨ」や「Mukke、I濱教授、阿部治平といった自称チベット支持者」は「北京五輪モスクワ五輪のようにJOCはボイコットすべきだった」「北京五輪開催を認めたIOCが許せない」「聖火リレーに協力した人間(萩本欽一福原愛など)が許せない」と言い出すかもしれません。

*5:野原や三浦がカギ括弧つける理由がよく分かりません。「自称留学生に過ぎない」とでも言いたいのか?

*6:まあそりゃ三浦は挙げないでしょうねえ。そうした加担を「正しい行為」と見なしてるウヨですから。

*7:「単純な」という枕詞をつけてるところが三浦のせこさです。「単純な日本悪玉史観」も何も三浦らウヨは「日本は全く悪くない」という「単純な日本善玉史観(しかもそうした善玉史観が嘘であると分かりながら、つまらない『日本人の誇り』とやらを理由に垂れ流してる)」で「いかなる形でも日本の悪事を謝罪する気はない」のに何を言ってるのか。そして日本の戦争やそこで起こった戦争犯罪南京事件慰安婦731部隊など)について「日本は全く悪くない」なんていえるわけがないでしょう。

*8:歴史修正主義者・安倍が総理になったことは残念ですが、それは安倍のような歴史修正主義言説が国民的支持を得たことを意味しません(国民がそうしたことに愚かにも無関心とは言えますが)。だからこそたとえば安倍は未だに河野談話を公然と撤回など出来ないわけです。つうか、仮に国民がこぞって安倍的歴史修正主義を支持したらなんなのか。それは国際社会で通用する代物ではなく日本の評判が落ちるだけです。

*9:そもそも吉田証言についていえば、一時「信用されただけ」で、朝日の報道の多くは吉田証言など根拠にしてないのだから言いがかりも甚だしい。野原も「吉田証言を振り回す奴は馬鹿者」と以前ツイートしていたのになぜか今回のツイートでは「吉田証言を振り回す三浦小太郎は馬鹿者」とは言いません。本当に野原も変な奴です。野原がやはり「しがらみや義理のある三浦」に対し批判を躊躇してるのでしょう。「アフガン戦争やイラク戦争になぜ三浦は触れない!」というくらいなら三浦は野原を「意見の違い」として許してくれる(少なくとも野原はそう思ってる)。しかし、「なぜつくる会運動なんか三浦は支持する!」といったら三浦が「つくる会の何が悪い!」「自虐反日史観は黙れ」とマジギレして、野原との交遊関係が終わるのでしょうね。まあ、「それで終わる関係なら終わらせろよ」「自称河野談話支持者のお前にとって、河野談話否定論者の三浦との交友関係がそんなに大事か、野原?。お前にとって三浦って何なの?。三国志演義劉備関羽張飛みたいに義兄弟の契りでも結んでるの?」と思いますが「三浦と交遊が大事」なんでしょうね。

*10:現在、三浦はつくる会理事です。

*11:2008年3月24日にはメナールを含めた国境なき記者団の3人が北京五輪の採火式を混乱に陥れたため、逮捕された。この騒動を起こした目的は、中国政府がチベットの市民権運動を厳重に取り締まっていることへの抗議だったという。2014年4月4日よりベジエ市長を務めている。マリーヌ・ルペンが党首を務める極右政党・国民連合の支持を受けており、「難民申請希望者たちがベジエにやってくる!」と移民の恐怖をあおるパンフレットを作成したことや、ベジエにこれ以上(ボーガス注:トルコ難民の?)ケバブレストランを開かせないと宣言するなどの排外主義的言動で批判されている(ウィキペディアロベール・メナール』参照)。

*12:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*13:まあ、どう考えてもそんな動きは出てこず、むしろ中国の反感を招いただけだと思いますね。

*14:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相などを経て大統領

統一地方選「共産党選挙結果」についての阿部治平・論文を論評する(チベット問題にも最後にちょこっと触れます)

リベラル21 選挙における左翼敗退の理由—わが村の場合
 まあ今回共産党統一地方選で、「個々では議席を増やした自治体もあります」が、残念ながら「トータルでは議席を減らし」、また阿部氏のすむ「長野の某村での村議選」でも共産候補が落選したそうです。
 アンチ共産の阿部氏が「アンチ共産のリベラル21」で共産への悪口をどや顔で始める事は容易に予測できますし、実際そうなのですが賛同できる点と賛同できない点があります。「基本、阿部氏が大嫌いな共産支持者の俺」ですが、今回は「阿部氏に悪口しか基本的にしない、いつもと違い」阿部氏全否定ではありません。共産支持者の俺ですが、「一定の正当性があると思われる共産批判」は受け入れたいと思っています。
 なお、「阿部氏がすむ長野の某村での共産党村議の政治活動、選挙活動(今回落選)」に対する阿部氏の批判的、否定的な事実認識、評価がどの程度正しいかどうかを言い出すと話が進まなくなるし、俺にそれを論じる知識や能力もないので、「細部はともかく、大筋では彼の批判的認識が正しい」つう前提で話を進めます。なお、最後に俺的な形で「チベット問題に触れていること(阿部氏への悪口です)」を予告しておきます。

【彼の主張で賛同できない点】
【1】「野党が無能だから俺たち困ってる」つう、お客様意識、他人事意識が露骨で「俺はこうする、こうしたいんだ!」「野党の敗北は俺の責任でもある」などといった当事者意識に欠ける
 いわゆる「お任せ民主主義」「お客様民主主義」と皮肉られる態度が阿部の態度かと言っていいと思います。なお、「お任せ民主主義」でググったら、佐高信編著『さらば おまかせ民主主義』(1997年、岩波ブックレット) という本がヒットしました。 
 この点は「我々はこうしなければいけないと思う」「俺はこうするつもりだ」「俺は今こういう運動をしている」つう文章が結構ある澤藤統一郎氏など*1と阿部の違いです(ただしリベラル21に掲載される澤藤氏の文章は、「リベラル21にしか掲載されない阿部の文章」と違い、澤藤個人ブログ澤藤統一郎の憲法日記からの転載ですが)。まあ、安直に「楽観的展望を語ってもまずい」のですが、ここでの阿部の文章はただただ「共産はダメだ」「野党はダメだ」「だから俺たちアンチ自民の国民が困ってる」つう、あえて単純化して表現すれば「正義の味方(共産など野党)が無能だから悪党(安倍自民)に困らされる被害者の僕ら(安倍自民批判派の国民)」つう話でしかありません。
 彼にとって「統一地方選で敗退した」のは「左翼」「野党」という「自分とは関係ない存在」でしかなく、自分はその「敗退によって苦しめられる善意の第三者」でしかないようです。当然「そうした敗退」について自己の責任を感じることは彼にはおそらくありません。
 彼は「俺たちアンチ自民の国民は野党の敗退を防ぐことが出来なかったか」「今の野党を変えることが出来なかったか」「今の野党が旧態依然の存在なら俺たちこそが新しい野党を、市民運動を作り出すべきじゃないか」という問題意識がまるでない。単に「自分と関係ない存在」としての野党を「上から目線でdisる」、それが彼のこの文章です。もしかしたらこんな文章を平然と載せてるリベラル21にもそんな問題意識は全くないのかもしれません。
 そんな問題意識の欠落した連中が「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民のメディア、リベラル21を創った」とは「悪い冗談」ですが。
 「政治の世界においては国民は傍観者ではなくプレーヤーなんだ」「今の政治に不満があるなら、デモをするとか、選挙に自分が立候補するとかいろいろやってもいいんだ」という意識がこの阿部文章にはあまりにも欠落しています。
 まあ、「阿部の名誉(?)のために断っておけば」こういう人は日本では珍しくはないのでしょう。もちろん一般人にとって「欧米とは違い(?)」日本では政治に対する敷居が高いことも否定しません。小生だって情けないことにリアルの政治活動なんて投票以外にはろくにしていません。とはいえ、ここでの阿部の文章はあまりにも他人事過ぎるでしょう。
 こうした阿部の「お任せ民主主義的態度」は「俺の認識」では、実は皮肉なことに「彼の関心事らしいチベット問題」でも「同じ」です。
 彼はチベット問題ですら「中国は酷い」「それを容認する国際社会は酷い」「だからダライ猊下は酷い目に遭い、ダライ支持者の俺たちも悲しい思いをしている」とただぼやくだけです。「チベット問題を改善するために俺はこうします!」つうのが全然ない。これまた安易に楽観的展望を語るのもまずいでしょうが、「自称チベット支援者」でありながら「チベット問題改善のためにこうしたい」つう当事者意識にあまりにもかけています。あえて単純化して表現すれば彼のしている話は「正義の味方(国際社会)が無能だから悪党(中国)に困らされる被害者の僕(ダライラマ亡命政府と阿部らその支援者)ら」つう話でしかありません。おそらく彼はチベットの現状についても「支援者として自分の無能さにつらい思いをしている」なんてことはないでしょう。彼が感じてること、それはただただ「中国の無法を許す国際社会への怒り」です。
 あくまでも彼は「お客様の立場」でしかない。当事者意識がまるでない。被害者意識しかない。
 そんなんで何がチベット支援者なのか。リベラル21は今回の阿部の文章に俺が感じたような、そういう疑問を感じないのか。感じた上で「それでも書き直しも求めずにこのまんま掲載した」のか?。「何だかなあ」という違和感を禁じ得ません。
【2】阿部氏の村での問題を「共産党全体」や「左翼全体」「野党全体」に広げてる点
 まあ、「彼の村の共産党」も「共産党の一部」ではありますから、そこは「共産党の問題」といってもいいかもしれない。しかしそれを「共産党以外の左翼や野党」にまで広げるのは明らかに不当でしょう。そもそも「過大評価は禁物」ですが「トータルはともかく」個別には共産や「共産以外の野党(立民、国民民主、社民)」が議席を増やした自治体もあります。

【彼の主張で賛同できる点:阿部氏の指摘をより抽象的、一般的に要約しています】
■彼の村での共産党候補の敗因についての評価(なお、「しつこく繰り返しますが」彼の事実認識が概ね妥当という前提で論じてます)
・選挙で勝つためには「候補者や党の魅力をアピール」しなければならない。
「俺は政治的に正しいんだ、だから選挙民は俺についてこい」ではダメであり、地道な政治課題をどう解決していくかを明確に示し、かつ「口先だけでなく」実績を示さないといけない。
 その点、わが村の共産党村議と組織はそうした「地域での地道な活動」がかけていたと思う。
 特に国政はともかく、少なくとも地方政治においては「安保法反対、安倍政治反対」のような話よりも「わが村の老朽化した体育館を建て直そう」的な生活に密接な話が大事だ。国政はともかく地方政治では自民候補支持だからと言って、それは必ずしも「国政での自民政策支持」を意味しない。しかし、わが村の村議と党組織は「安保法反対、九条擁護」的な話(つまり国政レベルの話)が多かった。
 そのため、私、阿部は「共産党の地方活動家で親友のN」が、生前「共産党を頼むよ」といったこともあり、「わが村では唯一のリベラル議員」である共産党村議候補を支援したかったのだが今回応援する気になれなかったし、実際応援しなかった。そうしたこと(つまり阿部氏の理解では村議候補の主張が村民の要望にフィットしてない)もあってか、今回、共産党村議候補はわが村では落選した。今回は共産党統一地方選において議席を改選前よりトータルでは減らしたが、そうした背景にはこうしたこと(地元民の要望にフィットできなかった、そしてその理由が国政課題のアピールだったこと)もあったのではないか。
 これでは国政では一定の無党派の支持が得られても、地方政治ではうまくいかない。そして地方政治で十分な支持が得られないことは「地方政治と国政は別だから問題ない」ともいえず国政にもある程度影響する。地方での議員や後援会などの力が国政選挙において基礎票となるからである。
 なお、こうした事態には「党中央の責任がない」などとは言えないが、末端党員の責任も重く党中央ばかりを非難できない。地方政治において適切に地域の課題を把握し対応すると言うことは「国政とは違い」一義的責任は地元の末端党員にあるだろう。
【文章が下手だし「俺なりの共産愛(わが日本共産党は永遠に不滅です!(長島茂雄風に))の発動」によって「共産への思いを正確に伝えたい」と思い、要約と言いながらかなり長くなりました。「本当に支持してるのか?」と疑いたくなる、口の利き方が無礼な阿部と違い、小生は基本的には共産支持ですので「阿部の同類」と誤解されたくないと思い、つい長くなりました。】

 まあ、この阿部氏の指摘「地方政治においては地方に密着した課題の解決が大事であり、安保法云々などの国政の課題アピールはポイントがずれてる」は「阿部氏の村の共産党についての彼のそうした認識が正しいかどうか」はともかく、一般論としてはその通りでしょう(上で既に「阿部には当事者意識がなさ過ぎる」と書きましたが「そこまで言うならお前が共産党とは別にそういう候補を村議候補に立てて当選させろよ、共産や野党一般に上から目線で悪口して終わりかよ、阿部」つう不快感は正直あります。ただし、そうした問題と「ここでの阿部指摘の是非」はもちろん別問題です)。「ほとんど政党候補」の国政と違い、地方選挙において「無所属候補が多い(まあ自民に親和的な保守系が多いのではありますが)」のもそういうことです。
 あるいは、たとえば「共産党ではありませんが」非自民の保坂世田谷区長(元社民党代議士)の当選もそういうことでしょう。彼は国政では当選が難しかったが世田谷区長としては「楽な選挙ではない」でしょうが「2011年の初当選」から今回、三度目の当選を果たしました。
 「地方政治と国政」の違いは「今更の話」ではありますが大事な話でしょう。
 実際、こうした指摘は阿部氏以外からもなされ、「必要十分ではない」にせよ共産党の「中央も地方も」それなりに認識し、対応しようとしてるとは思います。それが例えば後で紹介する「和歌山県議選」「京都の大山崎町長選」などではあるでしょう。
 小生も「共産支持者」ではありますが「党員、後援会員ではない」し、しがらみもないので、こうした共産への批判的な指摘には「まあ、耳が痛いけどそういう面もあるのだろうね」と素直に受け入れます。
 そもそも和歌山県議選での自民幹事長の地元で勝利/和歌山県議選御坊市区 楠本氏、自民現職破るという「共産にとっての嬉しいニュース*2」は「逆の意味で阿部指摘の正当性を裏付けてる」でしょう。
 何せ「自民党王国で相手は二階幹事長子飼い、定数1」です。この選挙で勝つには確実に「自民党支持層」の支持も必要であり、そのためには「安保法ガー」「安倍政治反対」『だけ』では勝てはしません。
 あるいは
京都・大山崎町長に共産党支持の前川氏/自公など推薦の現職破る
共産が勝った理由 京都・大山崎町長選 統一選にも影響か - 産経ニュース
という「自民、公明、立民、国民民主四党相乗り候補の現職町長を敵に回して、僅差だが勝利した大山崎町長選」なども阿部指摘の正当性を裏付けてるのではないか(ただし今回共産が町長選で支援した候補は「元自民の保守派」で党員ではありませんが)。あるいは「少し古い話」になりますが、自民党とタッグを組んで中里長門・市議を当選させた陸前高田市長選挙とか。
 和歌山県議選、大山崎町長選、陸前高田市長選で地元の共産党が何をどうしたのか、小生は無知、不勉強なので詳細は知りません。またこれらの選挙での勝利を過大評価してもいけないでしょう。また「他の地方自治体に単純適用できない和歌山や大山崎町陸前高田市の特殊事情もある」でしょうが、「地方政治においてどう保守層の支持を得ていくか」で「他自治体の共産党組織」や、もっと話を広げて「立民や社民など野党一般」が学ぶべき材料はあるかと思います。
 さてこれだと「共産支持者なので正直、どんな内容でアレ批判は、愉快ではない。大体、阿部の口の利き方*3も無神経で無礼千万*4だが、阿部の共産批判は一理あると思う、共産党や支持者は無視してはいけない指摘だと思う」で「阿部氏への褒め言葉ばかり」で阿部治平嫌い、共産党シンパとして「しゃくに障る」ので最後に彼への悪口を書いておきます。ただし「お前の母ちゃんでべそ!」「黙れ、反共産分子・阿部治平!」のような建設的でない話ではなく、俺的には「それなりに建設的な話」ですが(ただし阿部氏はこれから俺がいうような話には「ダライ猊下を馬鹿にするな」と怒るだけでしょうが)。
 さてここでの阿部氏の話のポイントの一つは「俺は正しいからみんなついてこい、では人は動かない。もっと実利的なもんで人は動く」つうことですよね。
 「地方選では『安保法云々、安倍政治反対云々』より生活に密着した課題が大事だ、その点で問題があったからわが村での共産党村議候補は落選したのだと思う。そして他地域の共産党の市区町村選挙まで調べてないが、トータルで減らしたのはそういう問題が、わが村以外の共産党の選挙でもあったのではないか」つうのはそういうことです。
 で「今回の阿部氏への悪口」はそういう「実利は大事だ、そういうこと軽視したことで今回、市区町村議選でトータルで共産は議席減らしたんじゃないか?」つう人間・阿部氏がチベット問題では「ダライ猊下は正しい、中国のチベット統治は間違ってる、中国を容認する国際社会はチベットに冷たいと、ただただダライ万歳しかしない、そして中国や国際社会に悪口しかしない」のはいかがなもんかいねえ、矛盾してねえ?、ダライ一味に甘過ぎねえ?、おかしいんじゃねえの?、身びいきじゃないの?、つう話です。
 id:Bill_McCrearyさん記事インドで亡命生活60年の人と中国政府のもとで働いたその兄弟とでは、明らかに兄弟のほうがチベットの人たちの役に立っている(ほかに学校のことなど) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 拙記事今日の中国ニュース(2019年3月11日分) - bogus-simotukareのブログ
今日の産経ニュースほか(2019年3月28、29日分) - bogus-simotukareのブログ
で紹介した

「中国に存在消される」チベット動乱60年、募る危機感:朝日新聞デジタル
 バイラクッペには祖父母や親の代から暮らす家庭の子が通うチベット人学校もあり、その児童生徒数も減り続けている。英語で学ぶ私立学校に通わせ、欧米の大学を目指す傾向が強くなった。寄宿学校に通うテンジン・チョギャルさん(18)も「両親と一緒に外国に住むのが夢」と言う。
 「チベット社会のために働くと言っても教師か亡命政府職員くらいしかない。悲しいことだが、よりよい教育や仕事を求めるのはやむを得ない」。
 そう語るツェリンさんの娘2人も米国とスイスに渡った。

チベット亡命政府60年 ダライ・ラマ高齢化で岐路に - 毎日新聞
 亡命チベット人約10万人が暮らすインドでは欧米を目指す若者が増えている。亡命3世でホテル従業員のテンジン・シェラプさん(25)も欧米への移住を希望する一人だ。大学を卒業したが、インドではホテル従業員以外の職が見つからなかった。「父までの世代はインドで自由に信仰ができるだけで満足できた。僕たちの世代は自由な信仰だけでなく、経済的な豊かさもほしいんだ」と話す。
 テンジンさんは欧米で活躍する亡命チベット人の女性ポップ歌手にあこがれる。
 「彼女はダラムサラで寺や貧しい人に寄付している。若い世代は亡命社会を捨てたいのではなく、むしろ貢献したい」
 亡命チベット人が文化を維持してこられたのは、インド各地に共同体があったからだ。
 だが欧米に向かう人の増加に加え、中国の監視強化によってチベットからインドに逃れる人が激減し共同体は縮小傾向だ。
 自身も米国に留学経験がある教員のツェテン・ドルジさん(52)は「欧米に向かう人が増えれば、文化の維持は難しくなるだろう。欧米に移住した本人は『チベット人』という意識は強まるが、世代を経れば、現地社会との同化が進んでいくのは他の移民を見ても明らかだ」と見る。
 また社会活動家でジャーナリストのロブサン・ワンギャルさんは「欧米での文化や慣習の維持に取り組むことが必要だ」と指摘し、こう付け加えた。
「我々は国土を失った民だ。このままでは数十年先に文化までも失いかねない」

【チベット動乱60年(中)】インド亡命「中国に屈さない」(1/3ページ) - 産経ニュース
 ニューデリーチベット人居住地域で暮らすサンポさん(20)は「自分は積極的にチベットに帰りたいと思わない」と話す。今は電気技師として働くが、将来的には米国への留学を希望する。「中国が憎いことに親世代も私も変わりはない。だが、それよりはインドで生活を安定させ、前を向いて進みたい」と“新世代”の心境を代弁した。

印のチベット難民社会で失われる活気 国境警備厳格化、中国の圧力じわり - SankeiBiz(サンケイビズ)
 インドの1人当たり国民総所得は中国の約5分の1の年1680ドル(16年、約18万円)。豊かな欧米に再亡命を図る若者は増加するばかりだ。
 ニューデリーで暮らす難民のドルマ・パルゾムさんは「インドには良い仕事がないので、欧米に亡命したい」と話した。
 ダラムサラで日本料理店を営む山崎直子さんの店でも、難民従業員の多くがオーストラリアなどに移住した。
 山崎さんは「豊かになった中国で就職したいと考え、中国当局の許可を得て自治区に戻ろうとする若い難民もいる」と指摘。「ダラムサラの難民は高齢者ばかりになった。チベット伝統の祭りも減り、チベット難民の一大拠点としての一体感も次第に薄れてきている」と話した。

なんて話は「実利的なもんで人は動く」のチベット版です。これに対し「中国に戻って恥ずかしくないのか」「欧米やオーストラリアに移住して恥ずかしくないのか」「そんなにカネが大事か」「ダラムサラのダライ猊下を見捨てるのか」「それでもお前はチベット人か、チベット人としての誇りがないのか」といってもどうしようもない。
 「ダライ猊下と彼を支持する俺たちは正しい、だけでは人は動かない。もっと実利的なもんで人は動く」つうことですよね。「一帯一路」「AIIB」「チベット鉄道(チベットの交通が便利になった)」「中国のチベット統治で、チベットは経済的に発展し、チベット人の平均寿命は長くなり、所得も大幅にアップしました」つう実利的なもんで人は動く。
 「中国全面肯定ではないにせよ」何もチベット人全てが「ダライ万歳でもない」でしょう。何も自治区に住むチベット人全員が焼身自殺してるわけでもない。「数が少ないからたいした問題じゃない」つう話でもないですが自治区住民全体から見れば焼身自殺者なんつうのは少数派に過ぎません。
 このチベットの現状について「ダライ支持者」阿部氏は何というのか。たぶん日本共産党に対し「国政課題も大事だが、もっと地元の生活課題に適切に対応せよ、その点で問題があるから議席が減ったのではないか」といったようにはダライラマ一味に対して「あんたらチベット亡命政府の対応が適切でないから、欧米に移住するチベット人が増えるんや。国際社会もあんたらに冷たいんや」とは言わないだろうな、むしろそういう指摘に「ダライ猊下を馬鹿にするな!」「中国の無法を容認するのか!*5」「ダライ猊下を見捨て欧米に移住するようなチベット人の誇りを失った奴を容認するのか!」などと激怒するだろうな、あの人そういうデタラメな人だよねえ、感がありますけど(苦笑)。たぶんMukkeやI濱教授もそういうデタラメな人間でしょう。
 まあ、これ、いわゆる傍目八目(『傍目(傍観者)の方が、頭が熱くなってる対局者よりも冷静に八目(八手)先の囲碁や将棋の手が読める』つう意味。転じて『当事者より傍観者の方がしがらみや思い入れがないので冷静に正しい判断が出来ることが少なくない』という意味)つうことなんでしょう。つまり「傍目の俺やid:Bill_McCrearyさん」の方がMukkeやI濱教授、阿部氏よりも冷静にチベットが見れるつう話でしょうが、共産党にこういうこというなら、阿部氏ももっとダライを客観的な目「傍目八目」で見たらどうなんですかね?。
 まあ、傍目八目は「安倍自民VS安倍批判派」「トランプVSトランプ批判派」などでも同じ事ですが「中国VSダライ」も同じ事です。
 「我々ダライ亡命政府がこういう手を打ったら中国はこう反撃してくるだろう」つうのを「最低でも八目(八手)先ぐらいまで冷静に読んで対応する」位のことをしないともうどうにもなりません(「有能な経済大国・中国」相手に「無能で貧乏なダライ一味」にそういうことが出来るとは正直思ってませんが。まあこういうこと言うから俺はMukkeやI濱教授なんかに嫌われるわけですが)。「猊下は正しいんだ、中国のしてることはチベット差別だ」「なぜ安倍晋三やイタリアのコンテ首相は一帯一路参加を表明した!。チベットを見捨てるのか!」でどうにかなるなら苦労しない。
 話が脱線しますが拉致問題も「傍目八目」です。「こう動いたら北朝鮮はどう動くのか」など、八目(八手)先を読むような冷静さなしで、拉致被害者家族会のように「とにかく北朝鮮を制裁すればいいのだ」では何年たっても問題は解決しません。
 それはともかく、ダライ衰退の「大きな理由、背景」は明らかに「ダライ一味が時代錯誤だから」でしょうに。で、ダライもそれはある程度自覚しているからこそ「転生霊童をやめようかと思う」などと言い出すわけです。えーと、話がぐだぐだで、まとまらなくなってきましたが、ここでひとまず終わりにします。

*1:例は澤藤氏でなくてもいいですが

*2:過大評価は禁物ですが、こうした「成功例」にまるで触れず、共産党への悪口しかしない阿部には「(阿部の場合『野党共闘のパートナーとして共産を一応支持する』という広い意味での支持者だとは言え)ほんとに支持者なのかよ」感を禁じ得ませんね。一方で阿部は本当に支持してるらしいダライ亡命政府については「日本ウヨとの野合」も「オウム真理教からの多額の金銭受領」も何一つ批判しません。

*3:内容はともかく口の利き方がいつもながら阿部は無礼ですね。「もう少し言い様があるだろう」と思います。理由はともかく、なんか、共産党に恨み辛みとか、含むところがあるんでしょうか?

*4:リベラル21も「もう少し軟らかい表現にできませんか?」と書き直させたらどうなんですかね?

*5:安倍論文での共産批判が自民支持でないのと同様、こうしたダライ批判は中国支持ではありません、

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/21分:荒木和博の巻)(追記あり)

投票日【調査会NEWS2967】(31.4.21): 荒木和博BLOG

 少しでも拉致問題に関心のある候補者に票を投じてもらいたいと思う次第です。

 おいおいですね。大阪、沖縄の衆院補欠選ならともかく統一地方選後半戦(政令市を除く市町村の首長および議員の選挙*1)」で拉致なんかどう関係するのか。
 これがまだ「拉致事件が起こった佐渡市」ならまだわかる。
 まあどこでもいいんですけど小生の住む埼玉を例にとれば
クレヨンしんちゃんの住む春日部市
芝園団地のある街・川口市」「西川口駅前がリトル中華街化してるという川口市
小江戸川越市
西武ライオンズの本拠地・所沢市
梶田隆章さん*2が名誉市民*3東松山市
渋沢栄一(次の1万円札肖像)の出身地・深谷市
瀬戸大也*4観光大使毛呂山町」「ペマ・ギャルポが一時すんでた毛呂山町
共産党員市長*5蕨市」「一部でワラビスタンという異名がある蕨市」などの首長選や議員選で「拉致ガー」とか正気を疑われますよ。

【参考:春日部とクレヨンしんちゃん

クレヨンしんちゃん登場のフリーペーパー発行、春日部市が移住促進で 東京、千葉、神奈川で配布
 移住促進を図ろうと、埼玉県春日部市は人気アニメ「クレヨンしんちゃん」が登場するフリーペーパーを発行、市役所や市のホームページ、東京、千葉、神奈川の県外3地域で配布する。
 フリーペーパーのタイトルは「クレヨンしんちゃんのなるほど春日部マガジン」。A4判、フルカラー、20ページで3万部を作成した。春日部が舞台の人気アニメ「クレヨンしんちゃん」描き下ろしの漫画を軸に、都心からのアクセス、子育て・住宅環境の良さなど市の魅力を発信する。
 市はこれまで移住促進の一環としてアンケート調査を実施。(ボーガス注:クレヨンしんちゃんのおかげで)春日部の地名は知られているものの、市の特徴について認知度が低いことが課題に上がったという。

【参考:川口の中華街】

池袋・川口…ミニ中華街が続々 共生の一歩は太極拳?|オリパラ|NIKKEI STYLE
・首都圏で「ミニ中華街」が増えている。もともと横浜、神戸、長崎が「三大中華街」として知られるが、東京都の池袋、さらに最近では埼玉県の川口市が新しい中華街として発展してきた。
川口市では、ここ十年ほどで急速に中国人の住民が増えている。今年4月時点の中国籍住民は1万9719人。市の人口の3%強を占める。
牛肉麺、火鍋、米線。
 西川口などの駅前では、中国語で書かれたメニューを掲げる中国料理店も増えている。たいていの店が中国人による経営で、日本語でもメニューを提供するが、店内は中国語の掲示が目立ち飛び交う言葉は中国語が大半だ。中国の様々な地方の「本場」の料理や雰囲気を味わうことができるため、一種の「観光スポット」にもなりつつある。
 川口市で中国人の住民が増えた背景の一つは、家賃が相対的に安い点がある。西川口駅周辺は風俗店が多かったが、埼玉県警が摘発を進めた結果、2006年ごろから空きビルが目立つようになった。周辺の家賃水準は下がり中国人が集まって暮らすようになった。
 一方、芝園団地でも住民の高齢化が進み空き室が目立つようになり、入居に際して保証人などは不要で国籍の制限は無いといった利点が中国人の間で口コミで広がっていった。西川口駅などからはJR池袋駅上野駅まで電車で20分前後と交通の便が良いことも支持されているようだ。
 日本の中華街に詳しい立正大学山下清*6教授は「新しいタイプの中華街が郊外に広がっている」という。中国では1978年に改革開放路線を打ち出して以降、海外に移る人々が増えた。古くからある日本の中華街で暮らす華僑とは異なり、「新華僑」と呼ばれるこれらの人々が働き暮らす場所を求めたのが東京・池袋だ。川口同様に風俗店の摘発の後に生じた空きビルなどで、90年代ごろから中国人向けの飲食店や中国人が集住する場所が増えた。
 その後も日本で暮らす中国人は増え続けた。2017年末で73万人となり、10年間で2割以上増加。子ども連れや両親帯同で日本で暮らすといったケースが増えており、繁華街の池袋に比べ家族で過ごしやすい川口が選ばれているようだ。山下教授によると東京・亀戸や大阪・西成地区などでも新華僑が経営する飲食店が増えており、周辺で川口のように中国人が集まって暮らす地域が出てくる可能性もある。

【参考:東松山と梶田氏】

ノーベル賞:梶田さん記念碑の除幕式 埼玉・東松山 - 毎日新聞
 埼玉県東松山市出身で昨年のノーベル物理学賞を受賞した東京大学宇宙線研究所長、梶田隆章さん(57)の業績をたたえる記念碑が出身校の同市立野本小学校や同市立南中学校など市内4カ所に設置され、24日、除幕式が行われた。母校2校の式典には梶田さんも出席し、後輩らと記念碑ができた喜びを分かち合った。

【参考:深谷渋沢栄一

東京新聞:新1万円札肖像画に渋沢栄一 出身地・深谷など喜びの声:埼玉(TOKYO Web)
・新一万円札の肖像画深谷市出身の実業家・渋沢栄一(一八四〇~一九三一年)が採用されることが発表された九日、県内では「うれしい」「大きな誇り」などと喜びの声が相次いだ。 
・市内にある渋沢栄一記念館で会見した小島進市長は「深谷市民の誇り。今の日本の社会で、渋沢翁の精神が皆さんに分かってもらえれば。記念館や生家も訪ねてきてほしい」と期待。「今ある施設を充実させ、できる限りPRしていきたい」と語った。
・渋沢は第一国立銀行をはじめ、多くの企業の設立・育成に関与。江戸時代の盲目の国学者塙保己一はなわほきいち)、日本初の女性医師荻野吟子と並び「埼玉ゆかりの三偉人」の一人とされる。
 上田清司知事はこの日の定例会見で「大変うれしいニュース。渋沢は日本資本主義の父。お札は経済の象徴で、一万円札に最もふさわしい方が選ばれた」と喜んだ。

 まあ小生は

韓国メディア、渋沢栄一を「収奪の象徴」と批判 - 産経ニュース
 日本政府が新一万円札に渋沢栄一肖像画を採用すると発表したことを受け、韓国メディアは9日、「渋沢は朝鮮半島に対する経済収奪を象徴する人物だ」との反発を示し、「植民地支配の被害国である韓国への配慮に欠けているとの批判が予想される」と伝えた。
 聯合ニュースは、渋沢が設立した第一銀行が1900年代初頭に朝鮮半島で発行した紙幣にも渋沢の肖像画が使われたとし、「韓国に恥辱を抱かせた」と指摘。今回の採用は「過去の歴史を否定する安倍晋三政権の歴史修正主義が反映された」との分析を報じた。

を考えると素直に喜べませんし、「他(5000円の津田梅子、1000円の北里柴三郎)はともかく渋澤はやめるべき」と思いますが。


【参考:毛呂山瀬戸大也

毛呂山町初代観光大使に競泳の瀬戸大也さんら 埼玉 - 産経ニュース
 毛呂山町と町観光協会は「もろやま町観光大使」を創設し、いずれも同町出身で競泳の瀬戸大也さん(21)、男性デュオ「サスケ」、アイドルグループ「PASSPO☆*7」メンバーの根岸愛さん*8(23)に初代大使を委嘱することを決めた。
 瀬戸さんは8月の世界水泳選手権競泳男子400メートル個人メドレーで2連覇を達成。

【参考:毛呂山チベット

【チベット動乱60年(下)】「力貸して」日本政府への思い(1/3ページ) - 産経ニュース
西蔵氏は、インド・ダラムサラチベット亡命政府が、将来のチベットを担う人材を育てるため日本に派遣した最初の留学生5人のうちの一人。
・留学生5人で受け入れ先の埼玉県毛呂山町にある病院の宿舎で共同生活を送り、勉強に明け暮れた。やがて埼玉医科大に進学し、医師免許を取得。今は同県日高市にある武蔵台病院で院長を務めている。
・仲間もそれぞれの道を歩んだ。最年少のダムデン・ギュルミー氏は同県嵐山町*9で開業医になった。日本体育大で柔道を修めたギュルミ・ワンダー氏はダライ・ラマ14世のボディーガードになり世界を歴訪した。大学卒業後にインドへ戻ったトプゲイ・ブティア氏は日本大使館の現地職員として日印交流に貢献した。リーダー格だったペマ・ギャルポ氏は拓殖大国際日本文化研究所教授になり、チベット問題の解決を訴える活動*10を続けている。

埼玉の小さな町にダライ・ラマがやってきた理由 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
・2016年11月26日、埼玉県毛呂山町にある埼玉医科大学のキャンパスは静かな興奮に包まれていた。東京から電車を乗り継いで約1時間半。埼玉県の小さな町にあるこの大学に、来日中のチベットの精神的指導者ダライ・ラマ法王14世がやってくるのだ。
 寒空の下、法王を待つ大学関係者と報道関係者の中に、一握りの民族衣装を着た人たちも混じっている。毛呂山町在住のチベット人コミュニティーの人々だ。実は毛呂山町は半世紀前にインドに亡命したチベット難民を受け入れており、それをきっかけにチベットとの交流が始まっていた。ダライ・ラマ法王が埼玉医科大学を訪れるのもこれで3回目だ。チベットとこの町の間には、知られざる絆があった。
・1965年、埼玉県毛呂山町に5人のチベット人留学生がやってきた。彼らはインドのダージリンにある難民キャンプからやってきた少年たちだった。その1人が毛呂山町在住で来日当初12歳だった西蔵ツワンさん(64歳)だ。
 当時、世界各国でチベット難民受け入れの動きが広がっていたが、日本は国として受け入れることはなかった。しかし、戦中にチベットに潜行し諜報活動に従事した木村肥佐生*11が受け入れに奔走。最終的に埼玉県毛呂山町の毛呂病院院長、故・丸木清美*12博士が5人の少年たち*13の受け入れに名乗りをあげた。
・後に15人のチベット人少女たちも来日。総勢20人のチベット人少年少女が毛呂山町で勉学に励んだ。
埼玉医科大学でのダライ・ラマ法王の講演は今回で3度目だ。その背景には大学の創立者である丸木博士が西蔵さんらチベット人を暖かく迎え入れた来歴があるのはいうまでもない。

 ちなみに「例のチベット支援者Mさん」がこの話知ってるかどうか。何せ「プンワンを知らない」と公言しちゃう人ですからね(苦笑)。


【参考:ワラビスタン】

あなたの知らない日本の外国 埼玉県蕨市「ワラビスタン」 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
 もともと蕨や川口など埼玉県南東部には、外国人の労働力を頼りにする町工場などが多く、外国人を受け入れる素地があった。そんな背景もあり、蕨にはイラン系クルド人がまず定住したという。彼らを頼って、次々とクルド人が増えていく。いつしか蕨は、クルディスタンクルド人の大地)とかけて「ワラビスタン」と呼ばれるようになった。

*1:都道府県、政令市の首長および議員」選挙は前半戦でやりました。

*2:東京大学宇宙線研究所長。2015年ノーベル物理学賞受賞者

*3:彼の出身が東松山で、最終学歴は「東大の大学院」ですが、埼玉大卒です。県民的には「埼玉の誇り」として大変有名だと思いますが全国的には残念ながら多分違います。

*4:リオ五輪・水泳男子400m個人メドレー銅メダル。毛呂山町出身

*5:例えば、蕨市長選 頼高氏再選/「ともに歩む」市政評価/公約95%実現・着手/幅広い市民が支援参照

*6:著書『チャイナタウン:世界に広がる華人ネットワーク』(2000年、丸善ブックス)、『池袋チャイナタウン:都内最大の新華僑街の実像に迫る』(2010年、洋泉社)、『新・中華街:世界各地で〈華人社会〉は変貌する』(2016年、講談社選書メチエ)など

*7:2009年に結成されたが2018年に解散。

*8:PASSPO☆元リーダー。PASSPO☆解散後もソロで芸能活動を継続。

*9:「日本の公園の父」と呼ばれる本多静六(東大教授、日比谷公園の設計者)が、昭和3年(1928年)、当時の埼玉県比企郡菅谷村(現、埼玉県比企郡嵐山町)にある嵐山渓谷周辺を訪れた際、風景が京都の嵐山(あらしやま)によく似ているとして、武蔵嵐山(むさしらんざん)と命名したことにより、のちに駅名(東武東上線菅谷駅武蔵嵐山駅)や自治体名(比企郡菅谷村→比企郡嵐山町)が改称されている(ウィキペディア嵐山町」「武蔵嵐山駅」「本多静六」参照)。

*10:ペマの反中国活動を「チベット問題の解決を訴える活動」とは呼びたくないですね。

*11:著書『チベット潜行十年』(中公文庫)

*12:埼玉医科大創立者。元埼玉県議。

*13:で、その一人がペマです。

今日の中国ニュース(2019年4月17日分)

リベラル21 農業の崩壊、それとどう闘うか阿部治平
 マジでずっこけ、そして呆れました。いくら「長野で農業やってる」とはいえ、農業学者でも農業ジャーナリストでも何でもない人間の文章を載せますか?(まあ俺個人は中国問題だって阿部に書かせることが適切か疑問に思ってますが)。リベラル21編集部ってどれほどバカなんでしょうか?。阿部治平など特定の人間しか記事を書かせない上にこれです。こんなんでリベラル21が社会への影響力を持つことなんか絶対にないでしょう。「老人連中の自慰行為、内輪ぼめ」でしかない。
 しかも落ちが

 後継者問題や小規模耕地・遊休農地の整備、さらには外国人労働者の導入など、課題は山積している。これを何とかしなくてはならないと思うが、自分がすでに年を取り過ぎたのが残念である。

だから呆れます。何の展望、解決策も示されてない。ただのぼやきでしかない。
 これのどこが「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民のメディア、リベラル21を創った」なのか。繰り返しますが単なる「老人連中の自慰行為、内輪ぼめ」でしかない。


【新時代】第4部 ポピュリズムの脅威(4) 反日の根は消えない - 産経ニュース

 2015年9月3日、北京での「抗日戦争勝利70年」記念行事。中国の習近平*1国家主席は「偉大な大勝利は、日本軍国主義が中国を植民地とし、(中国人を)奴隷のように酷使しようとするたくらみを徹底的に粉砕した」と演説し、現代中国人の心の奥底に沈殿する日本への敵愾(てきがい)心*2をあおった。

 単なる事実の指摘を反日とは酷いデマです。この式典に出席した

ベラルーシ大統領アレクサンドル・ルカシェンコ
ボスニア・ヘルツェゴビナ大統領ドラガン・チョヴィッチ
カンボジア国ノロドム・シハモニ
チェコ大統領ミロシュ・ゼマン*3
コンゴ民主共和国大統領ジョゼフ・カビラ
・エジプト大統領アブドルファッターフ・アッ=シーシー*4
カザフスタン大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ*5
キルギス大統領アルマズベク・アタンバエフ*6
ラオス国家主席チュンマリー・サイニャソーン*7
・モンゴル大統領ツァヒアギーン・エルベグドルジ*8
ミャンマー大統領テイン・セイン*9
パキスタン大統領マムヌーン・フセイン*10
・韓国大統領朴槿恵
・ロシア大統領ウラジーミル・プーチン*11
セルビア大統領トミスラヴ・ニコリッチ*12
南アフリカ大統領ジェイコブ・ズマ*13
スーダン大統領オマル・アル=バシール
タジキスタン大統領エモマリ・ラフモン
東ティモール大統領タウル・マタン・ルアク*14
ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフ*15
ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロ*16
ベトナム国家主席チュオン・タン・サン*17
エチオピア首相ハイレマリアム・デサレン*18
・バヌアツ首相サトー・キルマン
・アルゼンチン副大統領アマド・ブドゥー
キューバ国家評議会第一副議長(第一副大統領)、閣僚評議会第一副議長(第一副首相)ミゲル・ディアス=カネル*19
アルジェリア下院議長アブデルカデル・ベンサラー
ポーランド下院議長マウゴルザタ・キダヴァ=ブオニスカ
朝鮮労働党中央委員会政治局員、書記局書記・崔竜海*20
・タイ副首相兼国防相プラウィット・ウォンスワン
・ブラジル国防相ジャック・ワグナー
・フランス外相ローラン・ファビウス*21
ハンガリー外相シーヤールトー・ペーテル
・インド内務相ラジナット・シン
・イタリア外相パオロ・ジェンティローニ*22
リビア外相ムハンマド・ダーイリー
・オランダ国務相ナウト・ウェリンク
チュニジア防相ファルハット・ホルシャニ
国連事務総長潘基文*23

なども産経的には反日や「中国の犬」なのか(出席者についてはウィキペディア「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」参照)。


ローマ法王側近、異例の中国訪問へ 関係改善の動きか:朝日新聞デジタル
物流ハブへ「中国と利益が一致」ギリシャ外相 :日本経済新聞
ギリシャ外相「中国の“一帯一路”と戦略一致」
英財務相、一帯一路フォーラム出席へ 中国と協力協議 | ロイター

ローマ法王側近、異例の中国訪問へ 関係改善の動きか:朝日新聞デジタル
 中国・北京で29日から始まる国際園芸博覧会ローマ・カトリック教会法王庁バチカン)が参加することが分かった。中国外務省の陸慷報道局長が17日の会見で認めた。司教の任命権について昨年9月に暫定合意したことを受けた関係改善を表す動きとみられる。
 バチカンによると、約200平方メートルのパビリオンを設け、薬草について記録した古文書などを展示するという。文化評議会議長(文化庁長官に相当)を務めるラバージ枢機卿も北京に派遣。ローマ法王の側近である枢機卿が国交のない中国を公式に訪問するのは異例だ。
 バチカンは、欧州で唯一、中国ではなく台湾と外交関係を持つ。ローマ法王の承認を受けずに独自に司教を任命してきた中国と長年対立してきたが、昨年9月に任命権についてバチカンが歩み寄る形で暫定合意。今後、台湾と断交し、中国と国交を結ぶ可能性が指摘されている。バチカンメディアは「今回の訪問が(中国との)外交関係の改善に向けた対話を継続する姿勢を示すものだ」と報じている。

物流ハブへ「中国と利益が一致」ギリシャ外相 :日本経済新聞
 ギリシャのカトロガロス外相は都内で日本経済新聞記者と会い、国内最大の港湾への投資受け入れなどで深まる中国との関係について、物流のハブを目指すうえで「利益が一致している」と述べた。中国の投資に伴う安全保障上の懸念は生じないとも強調した。

英財務相、一帯一路フォーラム出席へ 中国と協力協議 | ロイター
 英国のハモンド*24財務相は、月内に開催される中国の「一帯一路」フォーラムに出席する予定。英財務省が公表した。議会日程次第だという。

 今更ですが産経などウヨの反中国主張「国際社会から孤立する中国」がいかにデタラメかが分かります。


中国の景気回復は本物か 市場は楽観、過剰債務なお深刻 - 産経ニュース
 この記事から分かること、それは「今更ですが」中国経済が崩壊したら日本や世界の経済も大ダメージだと言うことです。株価などにも大きな影響が出るでしょう。


トランプ政権の危険な台湾政策|コラム|21世紀の日本と国際社会 浅井基文のページ
 浅井先生の主張には全く同感ですね。過去の経緯を無視して台湾独立論を支持するのかと疑われるような行動をトランプがとり、中台間の緊張を高めることは事態を悪化させることにしかならないでしょう。もちろん蔡英文の無神経な態度も極めて問題ですが。
 ただし浅井先生が言うように「中国も進んで軍事行動に打って出ることはまずない」でしょう。
 経済的締め付けなど他に出来ることはいくらでもあります。ただし、台湾側が「独立を目指してるとしか理解できない言動」をエスカレートさせれば「軍事行動に出る可能性」はゼロではありません。以前から中国は「台湾が独立を宣言するなら軍事行使もあり得る」としているからです。


【正論】チベット仏教復活は夢ではない 文化人類学者、静岡大学教授・楊海英 - 産経ニュース

 パンチェン・ラマダライ・ラマと異なって中国との共存を図ろうとしたが、文化大革命中に人糞(じんぷん)を食べさせられるなどの凌辱(りょうじょく)を受け、1989年1月急死した。

 文革時代は劉少奇*25という「漢民族最高幹部」すら「糖尿病の持病があるのに治療どころか殴る蹴るの暴行やネグレクト(治療しないで放置)などで病気が悪化し虐待死」「あげく共産党から永久除名(もちろん文革復権)」で酷い目に遭ってますからね(これについては例えば、王光美*26、劉源*27ら共著『消された国家主席 劉少奇』(2002年、NHK出版)参照)。
 そして楊は「陵辱」云々と書くことで1989年の急死を「中国の暗殺(謀殺)」か「パンチェンの抗議自殺」とでも印象操作したいようですが、今のところ中国政府の公式発表「急病死」を覆す材料は何もないでしょう。

 法王がウランバートル*28を訪問する度に、次はモンゴル草原から生まれ変わるのではないか、との推測と希望が現れる。事実、4世ダライ・ラマはアルタン・ハーンのひ孫で、名門チンギス・ハーン家から誕生*29している。独立国のモンゴルが中国の顔色を気にせずに法王を支援すれば、新しい「チベット仏教世界」の構築も夢ではなく、真の平和も訪れるだろう。

 楊も本当は「よく分かってる」でしょうが、まあモンゴル政府はそんなことしないでしょうね。ただ「ボグド・ハーンの存在」などで分かるようにモンゴルにもチベット仏教支持者が歴史的経緯から結構いるようなので、そうした「個々のモンゴル人」がダライ支持することはあり得るでしょうが。

*1:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*2:そんなもんがあるなら日本に観光に来ないし、ドラえもんが中国でヒットすることもないでしょう。

*3:下院議長、首相などを経て大統領

*4:防相、第一副首相などを経て大統領

*5:カザフ共産党第一書記などを経て大統領

*6:貿易相、副首相、首相などを経て大統領

*7:防相、副首相、国家副主席などを経て国家主席

*8:首相を経て大統領

*9:首相を経て大統領

*10:シンド州知事を経て大統領

*11:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*12:国会議長、副首相などを経て大統領

*13:副大統領を経て大統領

*14:大統領、首相を歴任

*15:財務相、副首相、ウズベキスタン共産党第一書記などを経て大統領

*16:国会議長、チャベス政権外相、副大統領を経て大統領

*17:ホーチミン市党委員会書記、国家主席など歴任

*18:副首相兼外相を経て首相

*19:ビジャ・クララ州党委員会第一書記、オルギン州党委員会第一書記、高等教育大臣、国家評議会第一副議長(第一副大統領)、閣僚評議会第一副議長(第一副首相)などを経て国家評議会議長(大統領)、閣僚評議会議長(首相)

*20:朝鮮人民軍総政治局長、朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長、国防委員会副委員長、朝鮮労働党中央委員会副委員長(党組織指導部長兼務)、国務委員会副委員長などを経て最高人民会議常任委員会委員長、国務委員会第1副委員長

*21:国会議長、財務相、外相、首相を歴任

*22:外相、首相など歴任

*23:韓国外交通商部長官を経て国連事務総長

*24:キャメロン政権運輸相、国防相、外相などを経て、現在、メイ政権財務相

*25:全人代委員長、国家主席を歴任

*26:劉少奇の妻。

*27:劉少奇と王光美の息子。 河南省新郷県長、河南省鄭州市副市長、河南省副省長、武装警察部隊副政治委員、中国人民解放軍総後勤部副政治委員、軍事科学院政治委員、総後勤部政治委員など歴任

*28:モンゴルの首都

*29:「俺がわざわざ言わなくても皆さん、分かるでしょうが」もちろん「偶然ではなく」、アルタン・ハーンとやらの支援を受けるためにチベット僧侶たちが彼の孫を4世ダライに仕立て上げたわけです。最初からダライなどインチキ認定だったという話です。

今日の産経ニュースほか(2019年4月10日分)(追記あり)

【第586回・特別版】慰安婦が奴隷でなかった証拠を見つけた « 今週の直言 « 公益財団法人 国家基本問題研究所西岡力
 預金通帳があったから、貯金できた*1から慰安婦は奴隷じゃないとは無茶苦茶な暴論です。本気で言ってるなら人権意識がなさ過ぎだし、故意に虚言を吐いてるならクズです。拉致被害者家族会も良くこんなクズと付き合えるもんです。
 問題は「貯金できたかどうか」ではなく「当人が奴隷だと思うような酷い扱いを受けていたかどうか」なのですが。貯金できれば「今ソープランドなど風俗で働いてる女性」は当然に「奴隷ではない」のか。そんなことはないわけです。
 大体その理屈なら「平壌市職業総同盟副委員長。北朝鮮の女性と結婚し、子どもも3人いる(ウィキペディア「寺越武志」参照)」という「それなりに恵まれた生活」を彼の地で送ってる寺越武志さんは「拉致被害者じゃない」ということにならないのか?


【浪速風】私利私欲を戒めるお札の肖像。ゴーンさんご存じ? - 産経ニュース
 タイトルで吹き出しました。「万札の肖像は渋澤→渋澤は商業道徳の重要性を主張→背任容疑で逮捕のゴーンに商業道徳がないと悪口」とはさすが産経らしいこじつけです。もちろん褒めてません。


ダライ・ラマが入院、肺感染症と診断「深刻ではない」 - 産経ニュース
 昭和天皇や渡辺ミッチー*2の末期がんが最後まで隠されたことを考えれば実際がどうかは分かりません。またダライの年齢を考えれば、いつ「誤嚥による肺炎→死亡」などが起こっても不思議ではないわけです。ダライ&側近連としても「ポストダライ(転生霊童を続けるのか、ローマ法王方式に切り替えるのか)」を改めて深刻に考えたことでしょう。


安倍晋三首相「被災地の皆さまにおわび」 桜田五輪相辞任 - 産経ニュース
 失言していいとは言いませんが「麻生*3ナチス発言」「稲田*4の都議選失言(稲田の防衛相更迭は建前では引責ではなく通常の内閣改造の一部です)」でも処分しなかった男が随分あっさりと切り捨てたもんです。失言の悪質さでいったら麻生や稲田の方がよほど問題でしょう。
 つまりは「更迭するかしないか」は安倍にとっての「重要度」や「親密度」の差でしょうか。


【正論】G20は国際秩序回復の機会だ 拓殖大学総長・森本敏 - 産経ニュース

 スリランカは債務の代わりに港を99年間、中国企業に使わせることになった。モルディブ国内総生産(GDP)の30%に当たる負債、パキスタンも港の建設に100億ドルの負債を負わされている。
 ジブチはGDPの80%に相当する負債が返済できずに、自国内に中国軍基地を造らせた。エクアドルは65億ドルの負債の見返りに、原油の対中輸出を合意させられた。アルゼンチンは負債の見返りに50年間の土地借款と衛星基地建設を認めさせられた。

 反中国の産経らしいですが、これらが「中国が罠にはめて利権をあさった」と産経が決めつける根拠は何なのか?。「お互いの合意の元」、お互いがそれなりの利益を得てお互い納得してるのなら部外者がああだこうだいう話ではないわけです。
 大体G20は別にそういうことを話し合う場でもないし。

 日本は6月末に20カ国・地域(G20)首脳会合を主催する。安倍晋三首相は4月22日から欧米諸国を歴訪し、G20への対応を協議する。その際、先進7カ国(G7)がリードして国際秩序を再構築する施策を真剣に協議してほしい。今、日本ほど国際秩序回復のイニシアチブをとるのに有利な立場にある国はないのである。

 どこがどう有利なんだかさっぱり分かりません。森本も何一つ「有利だと思う根拠」をあげていません。


NGT48暴行、運営幹部が新潟県に謝罪 「信頼失った」 - 産経ニュース
 わびるのなら一にも二にも被害者である山口さんでしょう。そのあたりどうなってるのか。新潟県が不信感を持ってるのも「山口さんへの謝罪がまともにされてないから」でしょうに。


自民、改憲訴えるマンガ 9条中心、若者に分かりやすく - 産経ニュース
 一体誰がどんな漫画をかくかによるでしょうねえ。


蔡英文台湾総統、日本との協力強化表明 米でビデオ講演 - 産経ニュース
 落としどころを全く考えず、中国にけんかを売るようなまねをすれば困るのは蔡英文だと思うのですがね。常識がないというか何というか。
 蔡英文が期待しているらしいトランプにせよ安倍にせよ、蔡が期待するほど中国と対決する気もないでしょうに。


「衆参ダブル」「安倍続投」自民支持層は賛成多数 FNN調査分析(1/2ページ) - 産経ニュース
 今更ながら安倍支持層というのは気が違っていますね。「モリカケ」安倍四選支持はもちろん気が違っています。いつまで安倍政権を続ける気なのか。そして小生なんぞはダブル選挙に賛成かと聞かれたら「たとえ共産に有利ですら」反対と答えますけどね(まあ自民が不利な場合に安倍が解散することはあり得ませんが)。なぜなら「党利党略でしかない」からです。
 「勝ちさえすえばいい、大義などなくても」とはまともな人間だと言いづらいですがもはやそういう節度も常識もないわけです。

*1:俺はこの問題に残念ながら無知ですが、もちろん「本当にその貯金は自主的な貯金で後で自分で引き落とせたのか」「強制貯金で、日本軍側に還流するインチキな仕組みじゃないのか?」つう問題もありますが。

*2:福田内閣厚生相、大平内閣農水相、鈴木内閣蔵相、中曽根内閣通産相自民党政調会長(中曽根、竹下総裁時代)、宮沢内閣副総理・外相など歴任

*3:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*4:第二次安倍内閣行革相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣防衛相を歴任

今日の産経ニュース(2019年4月6日分)(追記あり)

大阪ダブル選 追い詰められた自民、劣勢か(1/2ページ) - 産経ニュース

 代表である松井氏の敗北は維新の重大危機に直結するため、維新の創設者である橋下徹前代表が救援に乗り出すか注目された。だが結局、ツイッターなどで援護射撃はしたものの、応援演説に立つことはなかった。

 今回のダブル選挙で維新がダブル敗北することを期待するアンチ維新の「俺の願望込み」ですが、つまりは橋下にとって「見捨てるわけにはいかないが深入りしたくもない」、それが今の維新でしょう。橋下が応援したからと言って勝てるか分からないし、勝ったところで都構想にとってバラ色の未来があるわけでもない。そういうことでしょう。


前日銀副総裁ら「脱デフレへ消費増税凍結を」 都内で反対シンポ - 産経ニュース
 言ってることは間違ってないと思うのですが、「やめたとは言え」安倍政権下の日銀副総裁だった人物が「デフレ脱却してない」というのには「何だかなあ(安倍が散々デフレ脱却を宣伝していたのを事情はともかくあんたは容認しただろ!)」感があります。まあそれだけ「10%増税に恐怖感を感じてる(後世、増税を黙認した不況の戦犯扱いされたくない)」つうことでしょうが。


「ポスト安倍」菅官房長官も有力候補 二階幹事長が明言 - 産経ニュース
 自らがした安倍四選支持発言への不評に耐えかねて「いや俺は総理が四選したいと言って、自民党の議員や党員が皆支持するなら反対する理由はないと言っただけだ。何が何でも四選がいいなんて言ってない」「首相はまだ何も言ってないし四選なんてまだずっと先の話だ」「別に首相の四選でなくてもいいんだ」と火消しを始めた二階氏*1です。
 しかしここで「官房長官は重要閣僚だ。過去にも官房長官経験者からの首相は、吉田*2内閣官房長官だった佐藤首相、池田内閣官房長官だった大平*3首相、鈴木首相、佐藤、田中内閣官房長官だった竹下*4首相、竹下内閣官房長官だった小渕*5首相、鈴木内閣官房長官だった宮沢*6首相、小泉*7内閣官房長官だった福田*8首相、安倍*9首相がいる。だから例えば菅さんがポスト安倍の首相でもいいんだ」と心にもないこと言い出すのが滑稽です。
 二階氏としてはここで「麻生*10副総理・財務相」「石破元幹事長」「石原*11元幹事長」「岸田*12政調会長」「河野*13外相」「野田*14元総務会長」といったマスコミ世論調査で名前が挙がってる人間の名前を下手に出すと「狭量な安倍」が「本当にあいつをポスト安倍にしたいのか」と逆ギレしかねない、と思ったのでしょう。しかし誰の名前も出さないのでは「安倍四選でなくてもいい」といっても今ひとつ説得力がない。そこで「重要閣僚だが名前を出しても安倍が怒りそうにない安全パイ(安倍政権官房長官以外ろくな役職に就いてない無能)」として菅の名前を出したと言うことでしょう。


【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(5)一乗寺下り松 尊氏との和睦 上奏の真意(1/3ページ) - 産経ニュース

 京合戦で敗れた尊氏は、九州まで落ちる。その後、京の奪回を果たして得意のはずの正成の意外な言動を『梅松(ばいしょう)論』は記している。
 〈正成奏聞(そうもん)して曰(いわく)、義貞を誅伐(ちゅうばつ)せられて、尊氏卿(きょう)をめしかへされて、君臣和睦候(そうら)へかし。御使におひては正成仕らんと申上たり〉
 反旗を翻した尊氏を召し返して和睦(わぼく)なさってほしい。正成はその使者となります、と後醍醐天皇に上奏したというのである。和睦のためには、尊氏と不仲の義貞を罰せよというのだから、思い切った進言だ。
 戦勝気分にひたっていた後醍醐天皇の廷臣たちは嘲笑したが、正成は本気だった。九州に落ちる尊氏に付き従う兵たちが予想以上に多かったのを、兵庫の浜で見たからだ。政権が人心を失っていることを、誰よりも正成は感じていた。

 この記録を信用するならば、
1)勝利におごり高ぶることなく、事態を冷静に判断し、尊氏を完全に打倒することは無理と判断し
2)その判断の下に最も現実的な「後醍醐政権の権力基盤強化策=尊氏との和睦&義貞の左遷」を義貞の立場をあえて無視して主張するのだから、楠木正成もなかなかの切れ者、合理主義者です。
 小泉訪朝による拉致被害者帰国を自らの手柄であるかのようにおごり高ぶり、北朝鮮が簡単に打倒できるかのように勘違いし、経済制裁を主張し「日朝交渉の進展」を妨害した家族会と正成は偉い違いです。
 問題は第一にこうした彼の進言を後醍醐や公家らが受け入れなかったことです。まるで「正成の勝利=蓮池薫氏ら帰国」「尊氏=北朝鮮」「後醍醐や公家=家族会や救う会」「正成=田中均氏」を連想させます。
 最大の功労者・正成の進言を「尊氏ごときに屈服できるか」「九州に落ち延びた尊氏など怖くない(彼が落ち延びたのは正成の手柄なのですが)」と思い上がって「馬鹿なことを言うな」と切り捨てた愚かな後醍醐ら同様、家族会は愚かにも「北朝鮮ごときに屈服できるか」「馬鹿なことを言うな」と「拉致被害者帰国の功労者」田中均氏らの交渉論をむしろ否定しました。
 第二にそれでも記録を信用するならば、正成はこうした合理主義を徹底できず、忠義心から後醍醐と縁切りできず、「足利氏に鞍替えするどころか」、敗戦を覚悟で戦い、実際に討ち死にしたわけです。正成を失った南朝はその後は「長いスパンで見れば」足利氏が擁立した北朝に押され、衰退の一途をたどることになります。


【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(7)湊川前夜…今も心揺さぶる「桜井の別れ」(1/3ページ) - 産経ニュース

 桜井の別れを書いているのは『太平記』だけだ。そのため史実でないとする説もある。これについて、直木三十五(さんじゅうご)の弟で歴史家の植村清二*15は著書『楠木正成』でこう断じる。
 〈たとえフィクションであるとしても、遺憾なく正成の当時の心情を写している。そして正成死後の楠木氏の、足利氏に対する久しい抵抗は、この遺訓をそのままに実現した観がある。その点からいえばこの説話は、充分に国民的伝承としての価値がある〉

 「史実かどうか」という話をしているときに「史実でなくても史実として語り継がれたことは重要だ」というのは話が混乱しています。
 まあ確かに日本史に限らず「中国史でアレ西洋史でアレ」『事実でないからくだらない』で片付けていい話ではない。「事実として語り継がれたことが、社会にどのような影響を与えたか」ということももちろん重要です。しかし、一方で「事実か疑わしい話は事実扱いできない」のも事実です。


【彰往考来 新時代のヒストリア】幕末維新から平成、そして未来へ-近現代史と皇室を考える 所功・京都産業大名誉教授(1)(1/3ページ) - 産経ニュース

 「天皇人間宣言」の通称でしられる昭和21(1946)年元日に公表された「新日本建設に関する詔書」は、昭和天皇のご意向により五箇条の御誓文が冒頭に掲げられ、日本は敗戦・占領下にあるけれども、誓いを新たにして「このご趣旨にのっとり、新日本を建設すべし」などと述べられています。つまり戦後の日本は五箇条の御誓文を新国是として再出発したといえるのです。

 ウヨの所らしい詭弁です。昭和天皇は「そういうこと(戦前も戦後も国の指導理念は五箇条の御誓文で何ら変化はない)にしたかった」のでしょうが、実際にはそうはなりませんでした。なお、「人間宣言」の時点では日本国憲法は成立していません。この所の指摘からは、昭和天皇国家元首として戦前同様の政治権限を維持する「政治的巻き返し」を狙っていたこと、そのために「戦後も国の指導理念は五箇条の御誓文」とアピールしようとしたこと、しかしそうした企てが日本国憲法の制定(天皇の象徴化、政治権限の剥奪)によって完全に挫折したことがうかがえます。

 大和朝廷を中心とする統一国家の形成以降、隋・唐に学んだ律令体制のもと、名門の貴族や武家が政治・軍事の実務を運用し、そのうえに伝統的な権威をもつ天皇が一貫して全体を統合するという日本的なあり方が続いてきました。

 これまたデマですね。天皇は当初「日本国王」でしたが、次第次第に公家や武家によって実権を奪われていきます。しかし天皇は実権を奪われても「都合のいい神輿」として担がれ続け、公家や武家によって滅ぼされることはありませんでした。
 いずれにせよそれは「天皇が希望した物」ではない。結果的にそうなったにすぎません。
 したがって後醍醐のような「才能と野心にあふれた人間」が天皇になると彼は「天皇独裁」を実行しようとしますが、それは足利尊氏の反抗によって挫折します。


【彰往考来 新時代のヒストリア】幕末維新から平成、そして未来へ-近現代史と皇室を考える 所功・京都産業大名誉教授(3)(1/3ページ) - 産経ニュース

 昭和4(1929)年、「張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件」の真相究明における首相、田中義一*16の食言を問責されたことで内閣が総辞職した(※2)結果、国政に混乱を招いてしまったと反省され、ご真意の表明を控えられるようになります。

 こうした昭和天皇の主張「自分は田中を叱責したが辞任してほしいとは思ってなかった」「予想外の辞任に驚いて、その後は意見表明を控えることにした」が「日中戦争や太平洋戦争は自分の意思ではなかった」と強弁するための虚言であることは歴史学の常識です。
 歴史資料上、昭和天皇が田中の首相辞任に驚き、叱責したことを後悔していたなどという記録はどこにもありません。むしろ田中の食言に不信感を感じていた昭和天皇は田中の辞任を歓迎していました。「田中辞任で国政が混乱した」なんて何一つ思ってない。むしろ「辞任してほしいから叱責した」わけです。田中も「天皇は俺の辞任を希望してる」「天皇のご意向に反しないよう今後努力する、今までのディスコミュニケーション(意思疎通の食い違い)はお許し願いたいと言い訳したところで許してくれそうにない」「辞任以外に道がない」と思ったから辞任したわけです。会社で言えば田中は「社長(首相)」とはいえ雇われ社長であり、大株主に当たる天皇の意向を無視なんかできやしません。
 「辞任は予想外」という言い訳は戦後「天皇が戦犯として訴追されるかもしれない」という「田中辞任当時は予想していなかった*17」非常事態が発生して、初めて登場した「虚言」にすぎません。
 田中辞任の後も昭和天皇は「彼の言うような意味では」政治的言動を控えるなどと言うことは何一つしていません。
 彼は「国家元首」「最高指導者」なんだからそんなためらいがあるわけがない。そもそも政治権限を失った戦後ですら、「戦前と戦後の区別がつかず」国家元首気取りで「沖縄メッセージ」のような政治的言動をする彼がそんなためらいがあるわけがない。
 もちろん現代でもそうですが「大抵の上司」は基本的には部下に仕事を任せ、軽挙妄動はしません。昭和天皇もそういう意味では「何もしなくても仕事が回っていく」と思えば基本的には部下に任せる。
 しかし「田中の叱責」や「226事件」といった非常時がわかりやすいですが「部下に任せてられない」「俺が口出ししないとまずい」と思えばためらいなく口を出すわけです。226事件の時は陸軍が「責任問題」を恐れて穏便な措置(青年将校を軽い罰で済ませる)を執ろうとしたので、放置したら天皇の意思に反したとんでもないことになると思って「ふざけるな」「厳罰にしろ」と口出しするわけです。
 そういう場合は昭和天皇は意見表明を控えたりしない。
 日中戦争だって太平洋戦争だって「国家挙げての総力戦」という一大事業です。会社で言えば社運をかけた一大プロジェクトであり、社長(国家元首)の昭和天皇が「良きに計らえ」「後で失敗したらリカバリーすればいい。そのときは上司の俺がフォローするけどそれまでは部下のお前らで自由にやれ」で部下に丸投げできるようなちゃっちい、どうでもいい話じゃありません。実際彼はそんな丸投げはしていません。
 「戦争して勝てるのか」とかいろいろ当然口出しはしている。
 まさか所がそうした事実を知らないとも思えないので昭和天皇を免罪するための故意のデマでしょう。いい加減、「昭和天皇の戦争責任」を認めたらどうなんでしょうか?

 東宮侍従や侍従次長などを歴任した木下道雄氏(1887~1974)が残したノートをもとに編集された「側近日誌」が平成元年春に公開されました。そこに昭和20年8月の終戦当時、日光に疎開されていた皇太子殿下--11歳当時の今上陛下がつづられた「八月十五日 新日本の建設」という題の作文が書き写されています。
 その作文では、前線で戦った人々や銃後を守った人々の辛苦をねぎらうとともに、敗戦の原因について「英米の物量が我が国に比べ物にならない程多く、(中略)科学の力が及ばなかつた」からと冷静に分析されています。

 現天皇が小学生当時、敗戦についてどう考えていたのかつう事はある意味どうでもいいことです。小学生に深い政治、経済、軍事の理解や分析が出来るわけがないし、彼の得ている情報は結局「親である昭和天皇」とおそらく大して変わらないわけです。肉親の愛情もあるし、小学生の彼からは「父親(昭和天皇)が政治家として無能で無責任だったから」という敗戦認識は結局生まれてこない。今の彼が敗戦理由をどう考えてるのかは気になるところですが、彼の立場上、フランクな意見も言えないでしょう。


【彰往考来 新時代のヒストリア】幕末維新から平成、そして未来へ-近現代史と皇室を考える 所功・京都産業大名誉教授(5)(1/3ページ) - 産経ニュース

 私は学内生協の書店で偶然これを見つけて立ち読みし、がくぜんとしました。
 たとえ夢物語とはいえ、現行の憲法に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と明記される天皇とご家族を斬殺して嘲笑するような小説が公表される、というのは異常です。もしこれを放置すれば、やがて本当に天皇制度が抹殺されるような事態になるのではないかという危機感に襲われました。
 そこでまもなく「皇室の尊厳をお守りする運動」があることを知り、その署名運動に協力しました。
 気の小さい田舎者の私がそんなことに参加したのは、高校時代の恩師、稲川誠一先生の影響です。
 当時は日本教職員組合日教組)全盛の時代でした。先生は教育正常化のために日教組を脱退し、彼らから猛烈な非難にさらされましたが、堂々と信念を貫かれ、後には日本教師会*18の会長も務めておられます。この稲川先生が「皇室の尊厳をお守りする運動」に奔走され、私にも協力を求められたのです。

 ウヨの所*19らしいですが感覚が完全に狂っていますね。当時の日本において天皇処刑なんぞあるわけもないでしょう。
 絶句するのは所が、中央公論社長宅で発生した「右翼テロ(いわゆる風流夢譚事件)」について一言も述べずに逃げているところです。ウヨとして「社長宅の家政婦を殺害したテロ犯罪者」を非難したくないが、かばうわけにも行かずだんまりと言うことでしょう。所はどこまで卑怯で下劣なのか。所のようなゲスに「皇室への愛」を語られても天皇一家もありがた迷惑でしょう。
 ちなみにウィキペディア稲川誠一」によれば、稲川は「あの平泉澄」の弟子だそうです。


【彰往考来 新時代のヒストリア】幕末維新から平成、そして未来へ-近現代史と皇室を考える 所功・京都産業大名誉教授(6)(1/3ページ) - 産経ニュース

〈昭和57年夏、高校教科書検定で文部省が「(中国)華北に侵略」という記述を「進出」に書き換えさせた-などとマスコミ各社が一斉に報道した。誤報だった。しかし、訂正を出したのは本紙だけだった〉

 むしろこうした産経の物言いの方がデマですね。
 確かに「華北」での書き換えはなかった。しかし「中国や東南アジアへの侵略を『進出』と矮小化する書き換え」それ自体はあったわけです。
 そして誤報も故意ではない。今は状況が違いますが、当時の文部省はマスコミが取材してもろくに回答しないわけです。その結果「教科書会社はこう言ってる。文部省からは特に反論はなかった」つう書き方にせざるを得ない。つまりは教科書会社の勘違いだったわけですが。
 日本側に何の非もなければ宮沢官房長官談話だの、いわゆる近隣諸国条項なんか出来るわけもない。
 

 私のところに若い記者が来ました。「文部省による教科書検定の実態を正確に報道したいので詳しく話をしてほしい」と言うので、応じることにしました。取材は3日間にわたり、双方とも録音を取りました。ところが、実際の記事をみると、まるきり違う話になっていたのです。
 即刻、その記者に抗議をしたところ、「デスクに既定方針があって、それにそった記事となってしまい…」。そんな弁解を聞いてあきれかえりました。

 学者でありながらここまで意味不明な文章が書ける所には頭痛がします。
 「まるきり違う話」とは何が違うのか。「双方とも録音した」のにそんなことがあり得るのか。「あきれかえる」のは、所の自由ですが録音までしたのにその弁解を受け入れてそれ以上何もしなかったのか。何が何だかさっぱり分かりません。

 私の在任中から続いていた家永三郎*20先生の教科書裁判(※)には、私も文部省側の証人として出廷しました。
 家永先生は日本思想史の大家であり、非常に純粋な方です。思想的には右でも左でもない自由主義者リベラリスト)を自認されていました。しかし、一連の裁判では、反権力闘争の運動グループから支援を受けて、かなりエキセントリックな主張をかたくなに続けておられました。そんな姿をみて気の毒に感じました。

 何がどうエキセントリックなのか。書けるもんなら具体的に書いてみろ、書けないから書かないんじゃないのか、って話です。全くもって所は失礼です。まあ「反権力闘争の運動グループ*21から支援を受けて」云々て、まるで家永氏が「救う会のいいなりの家族会」であるかのように描き出すあたりも全く失礼ですが。


【彰往考来 新時代のヒストリア】幕末維新から平成、そして未来へ-近現代史と皇室を考える 所功・京都産業大名誉教授(7)(1/3ページ) - 産経ニュース

 以前、乃木希典(のぎ・まれすけ)の薫陶が昭和天皇に大きな影響を与えた話をしました。同じことをまもなく譲位される今上陛下について考えますと、穂積重遠先生(※1)をはじめとしてその「帝王教育」に献身された先生を幾人も挙げることができます。その代表が昭和24(1949)年に東宮(皇太子)御教育常時参与に就任した小泉信三先生(※2)です。
 まず小泉先生は、世界史を見渡すと、敗戦国では民心が王室から離れるか、怨嗟(えんさ)の対象となって君主制は終焉するのが通則である-などとしたうえで「ひとり日本は例外をなし、悲(かなし)むべき敗戦にも拘(かかわ)らず、民心は皇室をはなれぬのみか、或(ある)意味に於ては皇室と人民とは却(かえっ)て相近づき相親しむに至ったといふことは、これは殿下に於て特と御考へにならねばならぬことであると存じます」と問題提起しています。
 小泉先生はその“解”として昭和天皇の「御君徳」を挙げます。昭和天皇は平和を愛好し、学問・芸術を尊重し、天皇としての義務に忠実であり、人に対する思いやりが深いということを国民は存じ上げていた--などと説明します

 小泉の主張はデマカセも甚だしいですね。昭和天皇のどこが「国民への思いやりがあった」のか。自らの保身のために降伏を遅らせ、沖縄戦東京大空襲、広島、長崎原爆投下の悲劇を招いたのが昭和天皇です。
 このあたりのこと(昭和天皇が保身のために降伏を遅らせたこと)はすでに

井上清天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)
・纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社
・東野真『昭和天皇二つの「独白録」』(1998年、NHK出版)
山田朗昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店
・吉田裕『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書)

など多くの歴史書が指摘しているところです。「昭和天皇の保身」については、小生がいちいち説明するよりもこれらの本をお読みになった方がよろしいかと思います。
 正直、こういうデマカセをほざく人間には心底怒りを覚えますね。
 確かに「第一次大戦でのドイツやロシア、トルコ」「第二次大戦でのイタリア」などで「戦争の惨禍から王政が崩壊した」のと違い、日本において「敗戦の怨嗟」は昭和天皇には向かわず、もっぱら東条英機ら陸軍に向かいました。しかしそれは「陸軍が悪い、昭和天皇は悪くない」という「情報工作」を「昭和天皇サイドがやり、その情報工作に愚かにも日本人多数がだまされ、丸め込まれた」にすぎません。
 しかし当然ながら全ての人間がこうしたデマカセにだまされたわけではない。
 だからこそ昭和天皇は「沖縄県民の怒り」が怖くて戦後、沖縄に行くことが出来ませんでした。また「自民党出身の本島長崎市長」ですらも「天皇には戦争責任があると思う」と発言したことは有名な話です。
 また、昭和天皇天皇制は生き残った物の、さすがに戦後においては国内外の批判で「天皇主権」が持続できなくなったことを小泉や所、産経が無視するのも無茶苦茶です。戦後の天皇は戦前と違い「大元帥(軍最高司令官)」でも国家元首(行政トップ)でもない。
 とはいえ、こうしたトンデモ教育を子ども時代に小泉から受けたとは言え、「昭和天皇の人徳で天皇制が維持された(小泉)」をそのまんま現天皇が鵜呑みにしたかどうかは疑問符がつくかと思います。彼も「本島長崎市長発言」などで、さすがに「昭和天皇の戦争責任」が国内外で問題にされていることは知っていたでしょう。そしてそうした批判に対し、小泉の主張がまともな反論になってないことは「米長と現天皇との応答を考える」に「賢明そうな現天皇」には本心ではわかってるんじゃないかと思います。とはいえ彼の立場上、彼が「昭和天皇の戦争責任を肯定*22しようが否定*23しようが」、政治的論争に巻き込まれて政治的に大けがすることが分かってるし、それをして「天皇制に怪我を負わせるリスクをおかすこと」をする動機は彼にはないでしょう。結局「ノーコメントでだんまり」になるわけです。


【昭和天皇の87年】「何と神々しい…」 天皇を仰ぎ見た学生は、のちに首相となった - 産経ニュース

 昭和9年11月、群馬県行幸した昭和天皇を仰ぎ見た旧制高崎中学(現群馬県高崎高校)の学生は、同校の機関誌にこう書いた。
 「実に何たる神々しい御姿であらうか、純白な台の上に夕日を浴びて立たせ給ふた 聖上陛下の御英姿、燦然(さんぜん)として夕日に映ゆる 天皇旗実に神々しさの極致であると申上げてよい。現人神の尊厳に自然頭が垂れて感激の涙が浮ぶ」
 「我々は、しみじみと日本人に生れた幸福を味ふことが出来た。そして何となく天地がひろびろして、三山も一層秀麗さを増した様な気がした。空は相変らずすつきりと晴れてゐた」
 あふれんばかりの感激をつづった学生の名は中曽根康弘*24、のちの首相である。 

 当時はそういうこと(天皇崇拝の意思表明)が国民に求められる時代ですからね。中曽根の本心がどうかはわかりませんし、ここから「その後の自民党政治家・中曽根」のルーツ(右翼思想の形成?)を見いだすことも適切ではないでしょう。まあ、そういう文章の執筆を求められる中曽根が当時から「優秀な学生だったこと」だけは確かですが。


【正論5月号】【サヨナラ平成 その光と陰】ポリコレという言葉狩りの時代 評論家 潮匡人(1/2ページ) - 産経ニュース
 ポリティカル・コレクトネスというとなんか難しく聞こえますが言ってることはごく当たり前のことです。

・「南京事件否定論」「ホロコースト否定論」「温暖化CO2原因否定説」など事実に反する嘘は許されない
・「日本共産党は今も暴力革命目指してる」「創価学会は今も国立戒壇目指してる」「前川元文科次官は出会い系バーで少女買春してた」などデマで誹謗中傷することは許されない
・「朝鮮・韓国人は日本から出て行け(在特会)」「障害者に生きる価値などない」「LGBTには生産性がない(自民の杉田水脈)」など差別や犯罪を助長、扇動することは許されない
・「チャンコロ(中国人への蔑称)」「黒んぼ(黒人への蔑称)」「土人(先住民への蔑称)」「特殊部落(被差別部落への蔑称)」「キチガイ精神障害者精神病者への蔑称)」「女だてら、女々しい(女性差別の疑い)」「めくら判、めくらめっぽう(視覚障害者への差別の疑い)」「つんぼ桟敷(聴覚障害者への差別の疑い)」「バカでもちょんでも(知的障害者への差別の疑い)」など差別語(あるいは差別を助長する疑いがある言葉)、あるいは差別ではないが「バカ」「ハゲ」「デブ」「ブス」「クズ」「ゴキブリ野郎」「豚野郎」など、礼儀を失した不適切な言葉は使わない
・「例の風俗営業」を「トルコ起源でもないのに」トルコ風呂というのは明らかにトルコに失礼だ。実際、トルコ政府も抗議してきたので「ソープランド」に改名しました
・「精神分裂症」「痴呆症」という言葉は差別を助長してる疑いがあるので「統合失調症」「認知症」に改名しました
・過疎地のことを「まるで日本のチベット」というのはチベットにも過疎地にも失礼だから使わない

などといった話です(ウィキペディアポリティカル・コレクトネス」参照)。つまり「差別や犯罪を助長しない、他人を傷つけない適切な表現をしましょう」つうだけの当たり前の話です。
 もちろん何が差別語、不適切な言葉に当たるかは時によって争いがあるでしょう。
 例えば「『砂の器』のハンセン病描写」については「差別を助長する」つう批判が患者団体からあったからこそ、あの映画は最後に「ハンセン病は不治の病ではなく、適切な治療で治る病気です」つう趣旨のテロップが出てくるわけです。ただし患者団体から指摘があるまで映画制作サイドはそうした問題に気づいてなかったわけです。トルコ風呂にしてもトルコから抗議が来るまではほとんどの日本人はなんとも思ってなかったわけです。後で紹介する石井議員も少なくとも発言当初は自分の発言を問題だともなんとも思ってなかったでしょう。
 どんな問題でもいわゆる「グレーゾーン」は存在する。むしろ「グレーゾーンが存在しない」物の方が少ない。
 しかしだからといってそれは、総論として「ポリティカル・コレクトネスが間違ってる」つう話ではない。単に「具体的各論」では不適切な場合もあるつうだけの話です(なお産経の場合「問題がある」とする具体的各論も多くの場合、産経の曲解、言いがかりであることがほとんどです)。
 例えば「近代化それ自体」に総論として反対する人はまず居ないし、それが適切でしょう。しかし「ならば近代化のために伝統文化を全て捨て去っていいか」といえばそれは違うわけです。纏足だのチョンマゲだの「弊害の多い伝統文化」「支持者のほとんどない伝統文化」は残さなくていいでしょうが、「津軽三味線のような日本音楽なんか西欧音楽に比べれば価値が低い。なくなってもかまわない」つう話ではない。
 だからといって「伝統文化の保護は大事だ。だから近代化しなくていい」つう話でもない。目指すべきは「適切な近代化」でありポリティカル・コレクトネスも話は全く同じです。
 結局、産経らウヨが「杉田のLGBT差別暴言」のような差別をしたいからこそポリティカル・コレクトネスに「言論の自由ガー」と反発するわけです。
 その一方で「昭和天皇の戦争責任発言(本島元長崎市長)」などには「天皇に無礼だ、撤回しろ」と言い出すのだから全くデタラメです。
 「ポリティカル・コレクトネスに反対、言葉狩りに反対。言論は自由であるべきだ」と産経が言うなら、例えば「天皇一族はろくに働いてないのに贅沢な生活をして税金泥棒だ」といっても産経的にいいのか?。といったら聞くだけ野暮な話です。
 「天皇一家に無礼だ」と言い出すのは目に見えています。

【参考:過疎地=日本のチベット、について】

岩手県ウィキペディア参照)
 1950~1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、主な産業が富士製鐵*25(現、日本製鉄)の釜石製鐵所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、岩手県庁自ら、「日本のチベット」と自称し、政府の振興策を求めたこともあったという。なおこの呼称は、1955年(昭和30年)1月22日封切のニュース映画『カメラルポ・脚光あびる日本のチベット岩手三陸』において用いられたことから定着したという。

岩手県とはどんなところ?  その1 日本のチベット(岩垂弘*26
・私が盛岡支局に赴任した一九五八年には、この県は「日本のチベット」と呼ばれていた。広大なうえ、山地が多く、開発が著しく遅れた地域だったから、そう言われていたのだろうと思う。 
 私の目に映った岩手県もそうした見方を裏付けるものだった。
・産業別の就業人口構成比は第一次産業(農林漁業)六二・九%、第二次産業(鉱工業)一二・六%、第三次産業(自由サービス業)二四・五%。この就業人口構成から も分かるように、主要生産物は農産物で、いわば“農業県”であった。大企業といえば、釜石製鉄所(釜石市)ぐらいのものだった(その釜鉄も今はない)。
・業が産業の主軸。その農業も、山地が多いので、畑作のウエートが大きい。が、寒冷地とあって、これといった換金作物も育たず、消費地の大都会も遠い。そんな条件だから、県民所得は低かった。つまり、貧しい県であった。
 一九五八年当時の県民一人あたりの所得は六五,四八〇円(県統計課調べ)で、全国平均の七二・五%。当時、取材先で出会った人びとは「わが岩手県は、一人あたりの県民所得では鹿児島県などとともに全国の最下位グループなんですよ」と、自嘲的に話したものだ。  
 とりわけ、「なるほど、日本のチベットといわれるわけだ」と私に思わせたのは、交通網の不備であった。
 なにしろ、交通はバスに頼らざるをえない。鉄道もあるにはあるが、限られた地域を結んでいるだけで、それも山間を通っているため、しばしば土砂崩れで長期にわたって不通となった。そこで、バスでということになるわけだが、当時、盛岡から県南の太平洋沿岸の大船渡市まで七時間もかかった。三陸海岸に近い岩泉町までは六時間。県北の久慈市に行くには、いったん青森県に出て、八戸から八戸線に乗り換えるという遠回りをしなくてはならなかった。まさに行くだけで一日がかりの行程だった。
 当時、県内で最も僻地といわれていたのは岩泉町と、やはり三陸海岸に近い田野畑村だった。なにしろ、岩泉町の面積は東京二十三区の約一・五倍。その岩泉町の中でも安家(あっか)、有芸(うげい)が「僻地中の僻地」といわれていた。
 田野畑村には「思案坂」と「辞職坂」といわれる坂道があった。私が耳にしたところでは、 昔、役人がこの村に赴任しようとして徒歩で役場に向かったが、あまりの遠路と僻地ぶりに、途中で「往こうか往くまいか」と思案し、ついに「やーめた」と引き返してしまった。そうした故事にちなんで名付けられたのだという。
 一九五九年二月四日付の岩手版に「玉沢少年の死がきっかけ 分校をつくろう」という見出しの記事が載った。久慈駐在の三船記者が書いたものだが、小学校からの下校途中、吹雪に閉じこめられて死んだ、県北・九戸郡大野村の開拓地の小学六年生、玉沢清美君(十二歳)の死を機に開拓地に小学校の分校をつくろうという話が進んでいる、という内容だった。玉沢君は小学校まで片道八キロの道を歩いて通っていたのだ。
 この記事を読んでいたら、目に涙がにじんできた。辺地に暮らす人たち、とくに子どもたちの苦労を思うと、胸に迫るものがあったからである。当時の僻地の生活ぶりを物語るエピソードの一つだった。

岩手県とはどんなところ?  その2 民謡にみる哀しさ(岩垂弘)
・整備が遅れた鉄道や道路。乏しい交通機関。寒冷地での畑作農業。少ない近代的な工場。全国でも最下位グループに属する一人あたりの県民所得。県内各地に点在する無医村と日本一の乳幼児死亡率。一九五八年(昭和三十三年)に盛岡に新聞記者として赴任した私の目に映った岩手県は、盛岡市など一部の都市部を除き、とても貧しかった。大学生活を東京でおくった私の目には、首都圏と岩手の落差はあまりにも大きかった。
 盛岡支局在任中、折にふれて私の心をとらえたのは岩手の民謡だった。
 岩手の民謡を聴く機会が何回かあった。盛岡の繁華街の料亭で開かれる宴会に出る機会があったからだ。
 沢内三千石 お米(よね)の出どこ
 桝(ます)ではからねで
 コリャ
 箕(み)ではかる
 盛岡から南西へ約六〇キロ、秋田県境に近い沢内村に伝わる盆踊り唄だ。このあたりは藩政時代、南部藩の隠し田だった。良質な米がとれた。「桝で量らないで箕で量る」ほどの美田だったというわけである。字面を追う限り、喜ばしいことを寿ぐ唄といえる。
 しかし、この唄が醸し出す雰囲気はなんとももの哀しい。というのも、この唄、実は哀歌だからである。芸者さんは「この唄のほんとうの意味はこういうことなのよ」と言って、歌詞を言い換えて唄ってくれた。発音は同じだから、耳で聞いただけでは同じだ。
 沢内三千石 およねの出どこ 
 枡ではからねで
 身ではかる 
 岩手の人たちによれば、沢内は名うての豪雪地帯。そのうえ、岩手県北部の三陸海岸から県内部に向かって初夏に吹く冷たい風、やませの風下にあたる。このため、冷害、凶作に見舞われることがあった。が、年貢米の取り立ては豊凶にかかわりなく厳しかった。困り果てた農民たちは年貢の代わりに、「およね」という娘を藩に差し出した。およねはなかなかの美人で、彼女のおかげで村は救われたという。いわば人身御供の悲しみをうたった唄なのだ。
・私の郷里、信州の代表的民謡といえば木曽節や伊那節である。それらは、朗らかで明るい。沢内甚句や外山節に感ずる哀調はない。
 岩手の民謡の基調は「貧しさ」ではないか。私は当時、そう思ったものだ。

岩手県とはどんなところ?  その3 首相の産地(岩垂弘)
・そうした後進性はどこからきたのだろうか。東京から遠隔の地である東北の一角に位置していたことが開発を遅らせてきたのだろうか、あるいは広大な山地が多く、気候も寒冷で、それがたびたび凶作をもたらすなどして産業の発展を阻んできたからだろうか。もちろん、そうした自然条件が影響していたことは確かだが、私の目には、日本の歴史そのものが、岩手を「後進県」におしとどめてきたように思えてならなかった。
戊辰戦争で「官軍」に刃向かったため、維新後、「朝敵」 「逆賊」の汚名を着せられ、明治政府からことごとに冷遇または軽視された。交通網や産業基盤の整備といった面で著しく遅れてしまったのも当然であった。
 盛岡支局在勤中、私は取材先で親しくなった人々が「なにしろ、わがみちのくは明治の薩長藩閥政府から『白河以北一山百文』とさげすまれてきたんですから。これは、福島県白河関以北、つまり東北は一山百文程度の価値しかない地域だ、という意味なんです」と、憤懣やるかたない口調で語るのを何度も耳にした。
 薩長藩閥政府に対する恨みつらみが、いまなお岩手の人びとの心深く宿っているのを知って驚いたものである。
 だが、「艱難汝を玉とす」という言い伝えがあるように、中央政府から強いられた苦難は傑出した人物を育んだ。「中央」に対する反発心や「中央」には負けまいとする気概と執念が岩手の人びとを鍛えたのである。
 あまり知られていないことだが、岩手県は明治以降、五人の首相を輩出した。まず、爵位をもたない衆院議員から首相となった「平民宰相」の原敬*27。次いで、海軍出身で二・二六事件で犠牲となった斎藤実*28。同じく海軍出身で戦争回避の道をさぐった米内光政*29。陸軍出身で太平洋戦争を起こした東条英機*30。そして、戦後、自民党総裁となった鈴木善幸*31である。東条は東京生まれだが、父親の英教(陸軍中将)が盛岡の出身であったことから、岩手県民は東条も岩手が生んだ宰相に数える。
 歴代首相の出身地をみると、山口県が七人*32でトップ。岩手県はこれに次ぐ。明治政府を牛耳った薩長土肥の四大勢力にも属さず、むしろ「朝敵」とレッテルをはられた岩手が、いわば“首相の産地”であり続けてきたこと自体、極めて異例なことだ。
 首相にはならなかったが、外相や東京市長*33をつとめた著名な政治家・後藤新平*34も岩手出身である。
 首相ばかりでない。陸海軍の幹部も多く輩出した。首相をつとめた斎藤実、米内光政はともに海軍大将だったし、東条英機も陸軍大将だった。そのほか、及川古志郎*35(海軍大将、海軍大臣)、栃内曽次郎*36(海軍大将)、山屋他人*37(海軍大将)、板垣征四郎*38(陸軍大将、陸軍大臣)らを排出している。
 陸海軍の幹部を多く輩出した背景の一つは、やはり岩手県が置かれていた政治的環境だろう。 「朝敵」のレッテルをはられた岩手の出身者が官界で頭角を現すのは極めて困難だった。その点、実力がものをいう陸海軍は、岩手県人にとって、いわば「開かれたコース」だったわけである。沈着にして粘り強い県民性も軍人に向いていたのかもしれない。
 もちろん、政治家と軍人ばかりでない。スケールの大きい国際的人物も育んだ。その代表が、 思想家、教育家で国際連盟事務次長をつとめた新渡戸稲造*39だ。その肖像は、まだ流通中の五千円札でみることができる。

 ウィキペディア岩手県出身の人物一覧」によれば他にも

椎名悦三郎
 戦前、岸信介・東条内閣商工大臣の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田*40内閣通産相、外相、佐藤*41内閣外相、通産相自民党総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中*42総裁時代)など歴任
金田一京助
 日本におけるアイヌ語研究の草分け。

が岩手出身だそうです。

映画『大怪獣バラン』を読み解く - 風の向くまま薫るまま
・昭和33年の東宝特撮映画『大怪獣バラン』。
 その生息地は東北、岩手県北上山地の奥深き山中。
・劇中では、この岩手県の山奥を、ご丁寧に「日本のチベット」と称し、その僻地性を強調しています。
・この「日本のチベット」なる呼称は、やはり東北、特に岩手県を指していた表現のようです。
 1950年代には定着していた表現のようです。岩手県は四国ほどの広さを持つとも言われますが、その面積の70~80%は山地が占めており、50年代頃は交通の便が大変悪く、その山間部には、未だ電気も通っていないような村々が点在したことでありましょう。
 その僻地性、山地性がチベットを連想させた、ということでしょうか。

■大怪獣バラン(ウィキペディア参照)
・1958年公開の東宝が制作した怪獣映画。
・1980年代に東宝から発売されたVHSビデオでは、「日本のチベットと呼ばれる場所」という台詞のシーンがカットされている。

社会福祉法人風土記<39>岩手愛児会 中 情短施設つくり健康回復へ - 福祉新聞
・「社会福祉法人という団体も社会福祉ということも、全くといって知らなかった」。
 石川敬治郎医師(1932~2005)は岩手医大から虚弱児施設「みちのく・みどり学園」の第3代園長へ移った当時を遺稿集『どの子もすこやかに』(2008年)でこうふり返っている。
・戦後〝日本のチベット〟と呼ばれた岩手県医学生のころ、『ものいわぬ農民』(岩波新書、1958年)を書いた県国保連の大牟羅良さん(故人)の農村調査に同行している。医局時代は「アッパ(母ちゃん)とも言えぬうちに、紅い唇を閉ざしていく子らをなくそう」(遺稿集)と、かつてお年寄りと赤ちゃんの医療費を無料化(61年)した奥羽山脈のふもと沢内村(当時は深沢晟雄村長、現・西和賀町)で乳児検診を担った。年間の乳児死亡ゼロを達成している(62年)。

■石井一*43ウィキペディア参照)
 2010年2月22日に東京都内で行われた川上義博*44参院議員(鳥取県選挙区)のパーティーで講演し、「少し語弊があるかもしれないが、鳥取県島根県は人が住んでいるのか、牛が多いのか、山やら何かあるが、人口が少ない所で、日本のチベットみたいなものだ」と発言した。この発言に対し、自民党鳥取県連や鳥取県市長会が抗議文を出し、鳥取が選挙区の石破茂*45自民党政調会長(当時)は「両県とチベットにとって極めて侮辱的だ。」と批判した。これに対し石井議員は「チベット鳥取、島根を差別する意図はなかった」として謝罪を拒否した。

かつての「日本のチベット」は今 地域特性の「強み」と「弱み」 | 月刊「事業構想」2016年1月号
・歴史的な経緯もあり、明治以降の県土開発が遅れた岩手県は、かつて“日本のチベット”とも称された。農林水産業で豊富な資源を有し、ものづくり産業で発展を遂げた現在も、数々の課題が山積している。
戊辰戦争時、奥羽越列藩同盟に加盟し、維新政府から厳しく処罰されたことが明治以降の県土開発に著しい遅れを招いたとされる。その結果、岩手県は“日本のチベット”として自他共に認める存在になったのである。
 しかし、それは同時に、多くの、そして極めて独創的な民間伝承・説話・文学を育むこととなり、「遠野物語」に留まらず、石川啄木宮沢賢治らの個性豊かな文学作品を生み出し、岩手県アイデンティティーを形成することとなった点は見逃せない。
・現在の岩手県は、もはや“日本のチベット”ではない。
・1980年代以降、東北新幹線東北縦貫自動車道の開通などを背景に、安価で広い土地と豊富な水資源を求めて、岩手県の「県南」「盛岡」地域に、自動車関連、半導体関連、弱電産業関連など、県外大企業の工場集積が進んだ(1998年から2007年までの10年間で189社)。2008年の経産省「企業満足度調査」で、「人材斡旋・育成に関する支援」部門で全国第1位、総合で第2位を獲得するなど進出企業からの評価も高い。

 2016年の記事で「昔はそう呼ばれていた」「でも今は明らかに違う」という書きぶりで「少なくとも主観的にはチベット差別でも岩手差別でもない事は明白」とは言え「日本のチベット=岩手」とはなかなかのもんです。もちろん褒めていません。やはり「日本のチベット」はまずいんじゃないか。


【バカでもちょんでも:参考】

■バカチョン(ウィキペディア参照)
 現在では知的障害者などへの差別用語と扱われている。
 2013年8月7日、自民党溝手顕正*46参院幹事長が党の会合で「安倍晋三首相のように非常に勢いのいい首相の下だと、ばかでもチョンでも(当選する)という要素があるのは否定できない」と発言。「候補者にも選挙民にも失礼だ」などの批判をあび、ただちに撤回するという出来事があった。

*1:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*2:戦前、外務次官、駐イタリア大使、駐英大使など歴任。戦後、東久邇、幣原内閣外相を経て首相

*3:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相

*4:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)を経て首相

*5:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相を経て首相

*6:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相を経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*7:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*8:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*9:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*10:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*11:小泉内閣国交相自民党政調会長(第一次安倍総裁時代)、幹事長(谷垣総裁時代)、第二次安倍内閣環境相、第三次安倍内閣経済財政担当相を歴任

*12:愛一時安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二~三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*13:第三次安倍内閣国家公安委員長を経て第四次安倍内閣外相

*14:小渕内閣郵政相、福田、麻生内閣消費者問題等担当相、自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)、第四次安倍内閣総務相を歴任

*15:著書『教養としての中国史』(講談社現代新書)、『諸葛孔明』(ちくま文庫)、『楠木正成』、『神武天皇』、『万里の長城』(中公文庫)など

*16:原、第二次山本陸軍大臣を経て首相

*17:そもそも田中辞任当時は日中戦争はまだ全面戦争に突入してませんし、太平洋戦争に至っては開戦していません。

*18:もちろん右翼団体

*19:著書『伊勢神宮』(1993年、講談社学術文庫)、『皇位継承のあり方:“女性・母系天皇”は可能か』(2006年、PHP新書)、『天皇の「まつりごと」:象徴としての祭祀と公務』(2009年、NHK生活人新書)、『象徴天皇「高齢譲位」の真相』(2017年、ベスト新書)など

*20:著書『戦争責任』、『太平洋戦争』(2002年、岩波現代文庫)、『一歴史学者の歩み』(2003年、岩波現代文庫)など

*21:そもそも「家永教科書に対する文部科学省教科書検定は不当だから裁判で撤回を求める」というのは「反権力闘争」とは違いますが。まあ、「非常に定義を広くとれば」、行政訴訟は全て「反権力闘争」になるでしょうが、所はそういうこと言ってるんじゃないでしょうしね。

*22:まあ賢明な彼は「到底全否定できないこと」は分かってるでしょう。

*23:言うまでもありませんが「昭和天皇の戦争責任」を彼が肯定すれば極右の攻撃が避けられませんが、一方で否定すれば「国外(欧米や中韓)の批判」や「国内の昭和天皇批判派の批判」も避けられません。

*24:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*25:1950年(昭和25年)に、財閥解体により解体された日本製鐵(日鉄)の後継会社の一つとして発足。同じく日鉄の後継会社であった八幡製鐵と1970年(昭和45年)に合併し、新日本製鐵新日鉄)となった。その後、新日鉄は2012年に住友金属と合併し、新日鉄住金が誕生。新日鐵住金は2019年4月に日本製鉄に改称した。

*26:朝日新聞盛岡、浦和、静岡各支局員、東京本社社会部員、北埼玉支局長、浦和支局次長、首都部次長、社会部次長、編集委員などを歴任。著書『核なき世界へ』(2010年、同時代社)、『ジャーナリストの現場』(2011年、同時代社)、『戦争・核に抗った忘れえぬ人たち』(2018年、同時代社)など

*27:第4次伊藤内閣逓信相、第1次、第2次西園寺、第1次山本内閣内務相を経て首相

*28:第一次西園寺、第二次桂、第二次西園寺、第三次桂、第一次山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任

*29:林、第1次近衛、平沼、小磯、鈴木、東久邇、幣原内閣海軍大臣、首相を歴任

*30:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣を経て首相。戦後、戦犯として死刑判決。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*31:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(大平総裁時代)などを経て首相

*32:伊藤博文山県有朋桂太郎寺内正毅田中義一岸信介佐藤栄作のこと。文章を書いた時期が「安倍首相就任前」だからか、「選挙区は山口でも東京育ちだから」か安倍は入っていない。

*33:現在の都知事に当たる。

*34:満鉄総裁、第2次、第3次桂内閣逓信相、寺内内閣内務相、外相、第2次山本内閣内務相(帝都復興院総裁兼務)など歴任

*35:第2次、第3次近衛内閣海軍大臣軍令部総長を歴任

*36:海軍次官連合艦隊司令長官など歴任

*37:軍令部次長、連合艦隊司令長官など歴任。「他人」という名前の由来は「一度(形式的に)捨てた子どもを他人に拾ってもらうと丈夫に育つ」という俗信から、父親が「いちいち捨てたり拾ったりは面倒だ。名前を他人にしておけばいいだろう」と名付けたという。

*38:関東軍高級参謀として満州事変を実行。その後も関東軍参謀長、第1次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など要職を歴任。戦後、戦犯として死刑判決。後に昭和殉難者として靖国に合祀。

*39:拓殖大学学監、東京女子大学学長、東京女子経済専門学校(後の新渡戸文化短期大学)校長などを歴任。

*40:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相を経て首相。

*41:運輸次官から政界入り。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官を経て首相

*42:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*43:海部内閣国土庁長官、羽田内閣自治相・国家公安委員長を歴任

*44:いわゆる「2005年自民党郵政造反組郵政民営化に反対し反対票または棄権)」の一人。自民党鳥取県連より離党勧告を受けたため2006年に民主党に入党。しかしその後、民主党を離党。現在は自民党二階派に所属している(ただし自民党への復帰は認められていない)。

*45:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任

*46:第1次安倍内閣国家公安委員長