今日の産経&ロシアニュース(2019年7月3日分)

参院選第一声 安倍首相は福島の果樹園、枝野氏は新宿 - 産経ニュース
 明日(7/4)から参院選告示なので明日以降、参院選関係でいろいろ書いていこうかとは思います。


友梨さん不明事件で情報提供呼びかけ - 産経ニュース

 大阪府熊取町で平成15年、当時小学4年だった吉川友梨さん(25)が下校中に行方不明になった事件

 冗談抜きで荒木和博の元へ行けば確実に特定失踪者認定でしょう。まあご両親は幸いにもそういう非常識行為はしなかったわけですが。
 「小学4年生なんかを北朝鮮は拉致しない」「平成15年(2003年)じゃ平成14年(2002年)の小泉訪朝より後じゃん」なんて常識は荒木には通用しません。小学生どころか幼稚園児の松岡伸矢君を既に特定失踪者認定してるし、失踪者リスト | 特定失踪者問題調査会を見れば分かるように小泉訪朝後の「2003年の失踪者」もためらいなく、特定失踪者認定してきたのが荒木です。
 まあ、それはともかく、こういうのは「ご家族の要望があるから仕方なく(警察)」が正直なところでしょうね。「失踪から15年も経って」事件解明につながる手がかりが出るとは思えません。


【産経抄】7月3日 - 産経ニュース

・昨日の社会面に掲載された元共産党国対委員長松本善明*1(ぜんめい)さんの訃報記事のなかで、なつかしい名前を見つけた。松本さんの最初の妻、絵本作家のいわさきちひろさんである。
・亡くなる直前に病魔と闘いながら完成させた絵本が、『戦火のなかの子どもたち*2』である。
・そのなかの一枚が、墨と鉛筆だけで描かれた母子像である。母親は必死の表情で、迫り来る炎から腕の中の幼子を守ろうとしている。
仙台市内のマンションの一室には、わが子を守るべき母親の姿はない。2歳11カ月の女児はのり巻き1本が与えられただけで、3日間も放置されていた。母親が帰宅したとき、亡くなっていた女児の胃の中は空っぽだった。保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕された25歳の母親は、「育児に疲れて1人になりたかった」と話している。
・先月のコラムで、2歳の女児が衰弱死し母親と交際相手が逮捕された札幌市の事件を取り上げたばかりである。昨年1年間に摘発された児童虐待で、被害に遭った子供は1394人、過去最多だった。
ちひろさんは絵本のあとがきで、戦場に行かなくても戦火のなかの子どものことはわかる、と書いていた。
 「そのあどけない瞳やくちびるやその心までが、世界じゅうみんなおんなじだから」。
 虐待やネグレクト(育児放棄)という名の戦火のなかにいる、子供たちも同じである。母親の愛情を受けて、幸せに暮らしたいだけなのだ。

 共産党について触れながら何一つ反共文章が出てこないとは珍しいこともあったもんです。赤旗コラムと言われたらそのまま信じてしまいそうなくらい普通の内容です。いやでも赤旗コラムだったら「松川事件弁護」に触れないとおかしいか。
 それにしても「年齢を考えれば」何一つ意外ではないですが、松本氏のご冥福をお祈りします。
 最後に彼の訃報記事をいくつか紹介しておきます。

松本善明 元衆議院議員が死去 共産党の国会対策委員長など歴任 | NHKニュース
 共産党国会対策委員長などを務めた松本善明衆議院議員が、6月24日、老衰のため亡くなりました。93歳でした。
 松本氏は大阪府出身で弁護士として活動し、昭和42年の衆議院選挙で旧東京4区から立候補して初当選し、衆議院議員を通算で11期務め、共産党国会対策委員長や国会議員団総会長などを歴任しました。
 また、弁護士としては、昭和24年、現在の福島市で旧国鉄の線路のレールが何者かによって外されて列車が脱線・転覆し、3人が死亡した「松川事件」で弁護団に加わり、逮捕・起訴された20人全員の無罪が確定しました。
 松本氏の死別した前の妻は、子どもをテーマにした作品で知られる画家のいわさきちひろさんです。
 共産党の小池*3書記局長は記者会見で、「国会議員団の要としての役割を長年にわたって果たされ、存在感を示した論戦をされた。尊敬する大先輩で、非常に残念だ」と述べました。

松本善明氏死去 93歳・衆院議員11期 「松川事件」の刑事弁護を担当 | 河北新報オンラインニュース
 元共産党衆院議員で弁護士の松本善明(まつもと・ぜんめい)氏が6月24日午後10時13分、老衰のため埼玉県所沢市の病院で死去した。93歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行った。喪主は長男猛(たけし)氏。後日、お別れの会を開く予定。
 1967年に衆院旧東京4区に共産党から立候補し、初当選。小選挙区比例代表並立制が導入された96年に比例東北ブロックに移り、2003年まで通算11期務めた。党国対委員長などを歴任した。
 1949年に福島市松川町東北線で列車が脱線、転覆した「松川事件」の刑事弁護を担当した。絵本作家の故いわさきちひろさんの夫だった。
◎「東北革新の要」功績をしのぶ声
 松本善明氏の訃報が伝えられた1日、東北の関係者から、柔和な人柄や功績をしのぶ声が上がった。
 「東北の革新の要だった」と残念がるのは、2015年まで共産党宮城県議団長を務めた横田有史氏(75)。「重要な選挙には必ず応援に駆け付けてくれた。心強かった」と振り返る。
 松川事件で共に弁護活動をした青木正芳弁護士(84)=仙台弁護士会=は「松川事件を教訓に刑事裁判の問題点を熱っぽく語ってくれた」と懐かしむ。「私にとって良き先輩だった」と惜しんだ。

いわさきちひろの夫松本善明氏死去 運命的な出会い、仕事への姿勢好感 | 社会 | 福井のニュース | 福井新聞ONLINE
 元共産党国対委員長福井県越前市生まれの絵本画家、いわさきちひろさんの夫だった松本善明氏が6月24日午後10時13分、老衰のため埼玉県所沢市の病院で死去したことが分かった。93歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は長男で絵本評論家、ちひろ美術館を創設した松本猛(たけし)氏*4。後日、お別れの会を開く予定。
 東大在学中に共産党に入党。1949年に福島県で列車が転覆し機関士ら3人が死亡した戦後最大の冤罪(えんざい)事件といわれる松川事件や、皇居前広場でデモ隊と警察が衝突した52年の「血のメーデー事件」などを弁護士として担当した。
 67年に衆院旧東京4区で初当選し、通算11期務めた。創価学会の言論出版妨害問題やロッキード事件などを国会で追及。72年から計約15年間国対委員長を務めた。幹部会委員、衆院議員団長なども歴任した。いわさきさんとは死別した。
 松本猛さんが執筆し、福井新聞が2018年に連載した「花と子どもの画家 いわさきちひろ」によると、前の夫と死別したちひろ疎開先から絵筆一本で生きる決意をして上京。1949年共産党の勉強会で年下の松本善明さんと運命的に出会い結婚した。ちひろ松川事件などを事実と推測を分けて説明する態度や一生お金をもうける仕事に就かないという姿勢に好感を持ったという。


【正論8月号】「政治報道冤罪」毎日新聞と戦う 政策シンクタンク代表 原英史(1/3ページ) - 産経ニュース
 「安倍自民応援団」産経らしいといえば産経らしいですがよくもまあこんな偏向コラムが掲載できたもんです。「原の疑惑」を指摘する毎日新聞に原が「言いがかりだ」と反論するのはまあいい。実際どうか知りませんが「原が真っ黒」「主張は嘘八百」だとしても反論する権利はあるでしょう。もちろんそれは原に限りません。
 問題はなんで「原の身内ではないはず」の産経が原応援団をするのか、つう話です。
 もちろんそれは原擁護というより、「原の疑惑を追及する気がない安倍自民擁護」のわけですが。


【主張】商業捕鯨再開 情報発信で誤解を解こう - 産経ニュース
 慰安婦問題ですら「誤解」と強弁する産経なので何一つ意外性はないですが「誤解」はどこにもないでしょう。

 国内では若年層を中心に鯨肉の味を知らない世代が増えている。早急な需要の回復も商業捕鯨の課題である。

 おいおいですね。無理に「需要回復」する必要がどこにあるのか。つうか需要がないのだから「本当に純粋な商業ベースの捕鯨」なんか今ないわけです。


【政論】河野外相、本紙記事に「誤報」 四島返還「考えてない」発言を否定 - 産経ニュース(原川貴郎)

 河野氏は1日、自身の講演内容を伝えた「産経ニュース」の記事を「ひどい捏造(ねつぞう)」とツイートし「誤報」と語った。事実を捏造し、誤報を流しているのはどちらか。
 河野氏が1日、都内で講演した際、産経新聞の斎藤勉*5論説顧問は、北方領土問題をめぐり政府が対露交渉方針を「四島返還」から「二島返還」に変えたとの認識を示し「四島返還に立ち戻って交渉をやり直すことは全く考えていないのか」と質問した。これに対し、河野氏は「全く考えておりません」と答えた。産経新聞は「河野外相、四島返還『考えてない』」などの見出しでネットで速報し、2日付朝刊にも記事を掲載したが、いずれも質疑に基づくものだ。

 ちなみに河野のツイートは以下の通り。

河野太郎
‏ ひどい捏造。交渉方針を変えることは考えていないと申し上げたまでで、その交渉方針が何であるかは、先方の勝手な解釈。

 まあ詳しく調べてみないとなんとも言えませんね(ただしあまり調べる気にも正直ならない)。
 河野は「二島先行返還路線を今後も続ける、四島一括返還は現実的でない(ただし四島返還を諦めたわけではない)」という意味*6で「全く考えてない」と答えたのに対し、産経が「四島返還を諦めた」として報じたならそれは「ひどい捏造(ねつぞう)」「誤報」ですから。
 そして「捏造常習の産経」だとそういうことは十分あり得ますからね。

*1:著書『妻ちひろの素顔』(2000年、講談社プラスアルファ文庫)、『平和の鉱脈と日本共産党:国会議員33年、そこから見えてきたもの』(2005年、新日本出版社)、『謀略:再び歴史の舞台に登場する松川事件』(2012年、新日本出版社)、『軍国少年がなぜコミュニストになったのか』(2014年、かもがわ出版)など

*2:1973年、岩崎書店

*3:党政策委員長、副委員長などを経て書記局長

*4:著書『ぼくの出会った絵本作家』(1995年、大和書房)、『母ちひろのぬくもり』(1999年、講談社プラスアルファ文庫)、『ちひろ美術館の絵本画家たち』(2003年、新日本出版社)、『「戦火のなかの子どもたち」物語』(2004年、岩崎書店)、『安曇野ちひろ美術館をつくったわけ』(2010年、新日本出版社)、『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(2017年、講談社)、『花と子どもの画家 ちひろ』(2018年、新日本出版社)など

*5:1949年生まれ。産経モスクワ支局長、ワシントン支局長、外信部長、常務取締役編集局長、専務取締役(サンケイスポーツ夕刊フジ担当)、副社長など歴任。著書『日露外交』(2002年、角川書店)、『スターリン秘録』(2009年、扶桑社文庫)(ウィキペディア「斎藤勉」参照)

*6:そうした考えの是非はひとまずおきます。

今日の産経&中国&朝鮮・韓国ニュース(2019年6月11日分)(追記あり)

「誤解と不安招き憂慮」“蓄え2000万円”の金融庁報告書で自民・二階幹事長 - 産経ニュース
金融庁報告書「猛省促す」 公明・山口代表が不快感 - 産経ニュース
萩生田氏、「2000万円蓄え」の金融庁報告書は「評価に値しない」 - 産経ニュース
金融庁の報告書 麻生金融相が受け取り拒否「政府のスタンスと異なる」 - 産経ニュース
 政府の報告書であり、当然ながら「金融庁のトップ」麻生*1金融担当相(副総理・財務相兼務)の了解も得てるのに、全てを官僚のせいにするこの無責任発言のオンパレード(特に責任者の麻生が他人事のような発言してるのは論外です)。「麻生をかばうための強弁」でしょうが昔の自民党公明党はここまで酷くなかったような気がします。
 立憲民主・枝野代表 金融庁報告書の受け取り拒否・撤回発言に「あぜん」 - 産経ニュースという枝野氏*2の政府・与党批判は当然すぎるほど当然の話です。


【正論】女性天皇でなく旧宮家の男子を 国士舘大学特任教授・日本大学名誉教授・百地章 - 産経ニュース
 なぜそんなに女帝制度を嫌うのか訳が分かりませんね。既に臣籍降下した連中を皇族に戻した場合、誰しも危惧するのは「竹田JOC会長*3スキャンダル辞任」のようなスキャンダルの炸裂でしょう。臣籍降下時代(?)には明らかに宮内庁の監視なんかないですから。大体臣籍降下した連中がなぜ臣籍降下したかと言えば「天皇との血のつながりが薄い」からでしょうに。


【軍事ワールド】「韓国勝利」の証しを消し去る 中国にへつらう文政権に国民は… (1/5ページ) - 産経ニュース

 韓国政府が朝鮮戦争(1950-53年)時の「勝利の証(あか)し」を消し去ろうとして韓国内で論争が巻き起こっている。舞台は、韓国軍を含む国連軍と中国義勇軍が激突した韓国北東部の「破虜湖」(パロホ)。中国に媚びるためなら歴史改変も厭わない文在寅*4政権に韓国国民は怒りの声をあげるのだが。
 破虜湖の戦いは朝鮮戦争が激戦となった1951年5月26日に起こった。破虜湖は華川(ファチョン)ダム建設によってできた人造湖で、元々の名前は「大鵬湖」だった。
 韓国の歴史では、このダムをめぐって韓国第6師団と中国義勇軍が激戦を展開し、4日間の戦闘で約2万人余の中国部隊を壊滅させ、韓国軍が圧勝したと伝えられている。当時の李承晩(イ・スンマン)韓国大統領は4年後に同湖を訪れ、中国の女真族に対する侮称である「オランケ」(北方の野蛮人の意)を打ち破ったとの意味の「破虜」を湖の名として定めた。
 戦闘から68年も経ったいま、問題となっているのは、この「破虜湖」という名前と、戦闘後の処置だ。
■中国に配慮
 韓国の左派紙「ハンギョレ」(電子版)などでは、戦死した中国兵の遺体をダム湖に投げ捨てたと指摘。夏季で遺体の腐敗から伝染病などの恐れがあったこと、埋葬に必要な人員がいなかったことなどが理由とされるが、結果としてダム湖は「赤く染まった」としている。同紙は左派紙らしく、遺体を適切に埋葬しなかったのはジュネーブ条約違反*5だとしている。
 時は流れ、ダム湖周辺は風光明媚な観光地となり、中国からの観光客も訪れるように。そこで目にするのが、李承晩の揮毫した「破虜湖」の石碑と、いかに中国軍を撃滅したかを示す資料を集めた記念館だ。ここで破虜湖という侮辱的な名前の由来を知った中国人が反感を示すようになった。
 そして今年4月、韓国の地元紙「江原道日報」が、冷戦の象徴である破虜湖の名称変更を政府が地元自治体に要請し、新名称を「大鵬湖」とする案があると報じた。
■保守派の不満
 この一報を機に、韓国では論争が巻き起こった。保守系の韓国紙、朝鮮日報(電子版)は名称変更に反発。「中国は、韓国政府や自治体に『中国の観光客が不快に感じている』として、名前を変えろと要求しているという」と報じ、「破虜湖改名を推進する韓国政府の無知と事大主義」と題したコラムも掲載。韓国軍兵士が勇敢に戦った歴史を隠蔽するとは何事か、という論旨だ。
 韓国保守派の視点では、朝鮮戦争で中国義勇軍の参戦さえなければ米韓軍が勝利し、朝鮮半島は統一されていた。ネットユーザーらも「悲劇の分断国家」にしたのは中国なのに、その中国におべっかを使うように名を変えるのは、悪夢の李氏朝鮮時代の政治「事大」(強いものに従うこと)主義の復活にほかならないと批判が巻き起こった。
 新名称の「大鵬湖」にも批判が集まった。韓国ではこの名は、ダムの建設当時に日本の企業などが命名したとの説がある。第二次大戦前の日本による朝鮮併合時代を全否定する多くの現代韓国人にとっては、改名は中国に媚びるうえ日本の「植民地支配」を認めることになる-といった批判が現地メディアやネット上で噴出しているのだ。

 別に歴史改変ではないですね。「征露丸(昔の名前)」が「日ソ(日露)関係上まずい」として「正露丸」に変わったような話に過ぎません。あるいは「シナ」が今は差別的ニュアンスを持っているがために、最近「シナソバ」「シナチク」とはまず言わないのと同じような話です(「中華そばやラーメン」「メンマ」と呼ぶ)。
 あるいは「トルコ風呂→ソープランド」とか。
 それを「ソ連(ロシア)に媚びるのか!」「中国に媚びるのか!」「トルコに媚びるのか!」と普通の人間は言わない。
 「韓国民は怒りの声」つうのも極めてゆがんだ見方でこんなことで憤激してるのは「韓国の産経」朝鮮日報のような右翼だけです。

【参考:トルコ風呂】

■トルコ風呂(ウィキペディア参照)
 1960年代後半頃より、性風俗店としての「トルコ風呂」は日本で広く通用する言葉になっていた。「トルコ風呂」はさらにしばしば「トルコ」と略して呼ばれ、トルコ風呂で働く女性も「トルコ嬢」と呼ばれていた。「トルコ」という名詞から第一に連想されるものは、中東にある国家よりも、むしろ性風俗店であるかのような状況で、日本に滞在するトルコ人の間では、祖国の名称や伝統文化が性風俗産業と結び付けられて使用されていることに対する憤慨を呼び起こしてきた。
 1981年(昭和56年)から1983年(昭和58年)にかけて、東京大学に留学していたトルコ人留学生、ヌスレット・サンジャクリも「トルコ風呂」の名称にショックを受けた一人である。再来日した1984年(昭和59年)8月に、当時の厚生大臣である渡部恒三*6に「トルコ風呂の名称変更」を直訴するなど、改名運動を行った。また、1983年(昭和58年)まで、新宿区に「大使館」という性風俗店があり、そこが日本電信電話公社の50音別電話帳に「トルコ大使館」と掲載されていたため、渋谷区に駐在している本物の駐日本国トルコ大使館が抗議したこともある。
 この運動はジャーナリストの小池百合子*7(現・東京都知事)の協力を得て、日本のマスコミにも大きく取り上げられた。その結果、1984年10月に横浜市の特殊浴場協会が「トルコ風呂」の名称を用いないことを決定、愛知県と神戸市でも横浜に続いて「トルコ風呂」の名称が撤廃された。
 東京都特殊浴場協会は新しい名称を一般公募し、1984年12月19日に赤坂プリンスホテルで会見を行い、新たな名称である『ソープランド』を発表した。

【参考:正露丸

製品ヒストリー|正露丸・セイロガン糖衣A ブランドサイト|大幸薬品株式会社
1949年(昭和24年)
■「忠勇征露丸」から「中島正露丸」に名称変更
 国際関係上、ロシアを征するという意味の名称はよくないということで、「征」を「正」に改めました。

もとをたどれば:大幸薬品 正露丸 日露戦争に従軍 大戦後「正」に - 毎日新聞
 大幸薬品の「正露丸」は1902年の発売から100年以上が経過するが、有効成分はほとんど変わっていない。日露戦争(1904~05年)では日本軍の軍薬として使用された。当時、衛生環境は劣悪で病死する兵士が多かった。対応策として、下痢や感染症などに効くとされたこの薬をロシアを征伐する「征露丸」として携帯したという。第二次世界大戦後の46年、現在の柴田高社長の祖父、音治郎氏が業者から製造販売権を得て、大幸薬品の前身の会社を現在の社名に変更。薬名はより平和的な「正露丸」とした。

正露丸|家庭薬ロングセラー物語|日本家庭薬協会
 商品名は、日露戦争開戦前という時代背景から、ロシア(露国)を征伐することと、将兵の士気高揚の意味を併せて命名されたと言われています。

正露丸ウィキペディア参照)
 「征露」という言葉はロシアを征伐するという意味で、日露戦争当時の流行語であった。
 第二次世界大戦終結後、国際信義上「征」の字を使うことは好ましくないとの行政指導があり、「正露丸」と改められた。

【参考終わり】

 文在寅氏が金元鳳*8(キム・ウォンボン)なる人物を「韓国軍のルーツ」と肯定的に評価する演説を行い、保守系自由韓国党などの野党が一斉に批判した。金元鳳氏は日本併合時代の独立運動で臨時政府の軍司令官などを努めた人物。問題は戦後にある。
 金元鳳氏は第二次大戦の数年後に北朝鮮にわたり、労働相など政権幹部として長年働いた北朝鮮側の要人。そして文氏が演説した6日は、朝鮮戦争での戦死者を追悼する「顕忠日」で、演説場所はソウルの国立顕忠院(軍人向けの国立墓地*9)。よりにもよって追悼演説で、韓国軍と死闘を繰り広げた北朝鮮の要人を「韓国軍のルーツ」と言うのだから、保守派の反発も無理はない。

 「韓国軍のルーツの一つ(勿論全てではない)」は間違いではないでしょう。もちろん文氏も「単なる歴史的事実の指摘」をしたわけではなく、「南北融和を進展させるための発言」で、だからこそ韓国右翼が憤激するわけですが。


【産経抄】6月11日 - 産経ニュース

 阿部昭井上光晴佐藤愛子…。昭和38年下半期の芥川賞候補には、後に大活躍する作家の名前がいくつも見える。私のところに来るはずはない。高をくくっていたおせいさん、いや田辺聖子さんが『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』で受賞してしまった。

 なお、このうち、佐藤愛子は、昭和44年上半期に『戦いすんで日が暮れて』(現在、講談社文庫)で直木賞を受賞しています。

 受賞は別の意味でも田辺さんの人生を変えた。同じ期の直木賞の候補者だった女性作家と友達になり、作家はまもなく幼い子供を残して亡くなった。田辺さんがその夫と結婚する顛末(てんまつ)は、NHKの朝ドラ「芋たこなんきん」で広く知られる。

 ウィキペディア田辺聖子」によれば、「川野彰子」という作家だそうです。

 「武力を保つには節操はいらないが、節操を保つには武力がいる」。
 小紙に寄せた自衛隊についての論考で見つけた。

 まあこれだけでは田辺の考えは分かりませんね。「非武装中立論」でない限り、「何らかの武力」は護憲派でも認めるわけです。
 そして「武力を保つには節操はいらない」と田辺が言うように「武力を持つ者が節操がある」とは限らず、「節操のない武力」は危険でもある。
 しかしそうした「節操」について産経のような改憲右翼が自覚してるようにはとても思えません。

【追記】
【浪速風】自衛隊を災害時の「男手」と表現した田辺聖子さんの至言 - 産経ニュース
 産経の田辺への扱いが酷すぎますね。小説家なのに小説そっちのけで「自衛隊応援団」のようにずっと描き続けるわけですから。まあ田辺が産経が描くようなウヨ(大阪の曾野綾子?)なのかどうかは知りませんが。


男系皇位継承安定へ 自民有志が「護る会」近く発足 - 産経ニュース

 発起人は鬼木誠*10、高木啓、長尾敬の各衆院議員と青山繁晴山田宏参院議員の5人。

 メンツを見て吹き出しました。全員「大物とは言いがたい」&「トンデモ極右議員」ばかりですので。


【主張】香港で最大デモ 「一国二制度」を守り抜け - 産経ニュース

 習氏は、20カ国・地域首脳会議(G20サミット)出席のため今月来日する。安倍晋三首相は、香港への強い関心を習氏に直接表明することで世界の良識と歩調を合わせるべきだ。

 まあ今から断言していいと思いますが、安倍はそんなことしないでしょうし、そんな安倍を産経も非難しないでしょう。

*1:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二~四次安倍内閣副総理・財務相

*2:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)などを経て立憲民主党代表

*3:竹田JOC会長は「元皇族・竹田宮恒徳王の三男」です。

*4:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*5:いや左派とか関係ないでしょうよ。本当にジュネーブ条約違反なら、遺骨を回収して遺族に引き渡すべき話でしょう。

*6:中曽根内閣厚生相、海部内閣自治相・国家公安委員長、宮沢内閣通産相衆院副議長など歴任

*7:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事

*8:1898~1958年。義烈団・朝鮮義勇隊で活動し、大韓民国臨時政府の光復軍副司令官となる。日本の敗戦後、1948年に民主主義民族戦線などで活動しながら、金奎植(大韓民国臨時政府で外相、文相を歴任。朝鮮戦争時に北朝鮮に渡り(ただし韓国は拉致と主張)1950年に病死)・金九(大韓民国臨時政府で内務相、大統領を歴任。1949年に李承晩派によって暗殺された)などと共に南北連席会議に出席した後、韓国に戻らず、北朝鮮に残留。北朝鮮社会主義政権が樹立された後は、国家検閲相、労働相、朝鮮労働党中央委員、最高人民会議常任委員会副委員長などを歴任した(ウィキペディア「金元鳳」参照)。

*9:自衛戦争でない「ベトナム戦争戦死者」も埋葬されているため、近年では韓国左派から「韓国の靖国」という批判が出ているようです。

*10:第3次安倍内閣環境大臣政務官

今日の産経ニュースほか(2019年5月28日分)(追記あり)

【最初に追記】
高倉健とのコンビで知られる映画監督の降旗康男氏が亡くなった - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で拙記事をご紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】

【産経抄】5月28日 - 産経ニュース

 高倉さんは、昭和31年に映画デビューする。昨日訃報が伝えられた降旗康男監督は、その翌年に東映東京撮影所に入社した。撮影所で出会った二人がコンビを組んだ作品は、『鉄道員』を含めて20本にも及ぶ。

 ウィキペディア降旗康男』『高倉健』によれば

・『獄中の顔役』(1968年)
・『新網走番外地 流人岬の血斗』(1969年)
・『捨て身のならず者』、『新網走番外地 大森林の決斗』、『新網走番外地 吹雪のはぐれ狼』(1970年)
・『ごろつき無宿』、『新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬』、『新網走番外地 吹雪の大脱走』(1971年)
・『新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義』(1972年)
・『冬の華』(1978年)
・『駅 STATION』(1981年)
・『居酒屋兆治』(1983年)
・『夜叉』(1985年)
・『あ・うん』(1989年)
・『鉄道員』(ぽっぽや)(1999年)
・『ホタル』(2001年)
・『単騎、千里を走る。』(2005年)
・『あなたへ』(2012年)

などですね。

・昨日訃報が伝えられた降旗康男監督は(中略)実は(ボーガス注:降旗氏の祖父と父が政治家という)2代続く政治家の家に生まれた。父親の徳弥氏は、吉田茂内閣で逓信大臣を務め、その後故郷の長野県松本市の市長となる。
・(ボーガス注:徳弥氏の)3人の息子はいずれも政治嫌い。(ボーガス注:映画監督となり、また熱心な共産党支持者である?)降旗さんは、なかでも変わり種と新聞で紹介されている。財産を政治で使い果たし、『井戸塀*1二代』と題した回想録を残した父親について、不器用で一本気な政治家だったと振り返っていた。

 「へえ?」ですね。父親がどんな政治家なのか知りませんが、そんな降旗氏は
各界著名59氏が表明/「日本共産党の躍進に期待します」
戦意高揚 加担せぬ/高畑勲・降旗康男・山田洋次監督ら/秘密法反対映画人の会
都議選 “共産党の躍進に期待します”/著名人51氏がエール
などでわかるように父親とは違い、共産党支持の立場だったわけです。そして政治家の息子でありながら安倍*2現首相や石破*3自民党幹事長、小泉*4元首相や福田康夫*5元首相のようには世襲政治家にはならなかったわけです。

【参考:井戸塀について】

一滴の水: 井戸塀政治家
 30数年前韓国ロビーストとして著名な参議院議員がいた。
 議員になる前は産經新聞政治記者だった。
 記者時代は杉並区和田にある平屋の小さな都営住宅の住民だった。
 ひとり娘はバレリーナで、親交があった。
 その娘からホームパーティへの誘いがあった。
 二期目に入った議員の住まいは、武蔵野・御殿山の高級住宅に移っていた。
 これを機会に、この家族の誘いは一切断っている。
 昔は資産家や有力者が政治家になった。
 しかし辞める時には「井戸と塀」しか残っていないと言われた。
 清廉潔白な人物が私財を投げ打って国のために尽くしたのである。
 今は県営住宅から立候補し、引退する時には大御殿に暮らしている。
 これも「金とモノ」にしか価値観を持たなくなった結果なのか。
 どんなに時代が変わろうとも、小生が憧れ尊敬してやまない政治家は、田中正造(後日記す)ただひとりだ。

井戸塀代議士 佐藤清文
・「井戸塀」とは、政治活動や選挙運動に私財をつぎこみ、最後には井戸と塀しか残らない代議士を意味する。これは、「政治家たるもの公でなくてはいかん」という美談や「政界に足を踏み入れると財産をなくす」という警句として語り継がれている。
・藤山愛一郎元経済企画庁長官は「最後の井戸塀政治家」と呼ばれているが、最も有名なのは田中正造だろう。この伝説の代議士が亡くなったとき、井戸と塀どころか、持ち物は信玄袋一つだけだったと伝えられている。
 彼は几帳面な人物で、第一回衆議院議員選挙の際の歳出入を帳面に残している。それによると、選挙運動費は3400円なのに対し、議員歳費は800円である。かりに4年の任期満了でも歳費だけでは選挙費用でさえ賄いきれない。しかも、明治32年(1899年)に成立した議員歳費値上げに(ボーガス注:国民が苦しい生活なのに政治家がそんなことをするのはおかしいと)反対し、歳費を全額辞退している。田中正造は、結局、代議士としての政治活動やその後の足尾銅山鉱毒反対運動で私財すべてを使い果たしている。彼は、間違いなく、近代日本における政治家の理想像だと言ってよい。
・「井戸塀」には、実は、さらに含意がある。それは、井戸と塀しか残らないのだから、代議士は一代限りで、(ボーガス注:たとえば三代世襲安倍晋三のようには)世襲などできないという意味である。実際、戦前は世襲代議士がほとんどいない。戦後も初めの頃は、吉田茂*6でさえも、政治資金は三女和子の婿麻生太賀吉*7に頼っている。炭鉱王だった麻生は九州各地の別荘を売り払って工面し、吉田の首相在任中に、その資産は半分に減っている。吉田の息子健一は、周囲が何と言おうと、政界入りを拒否*8し、戦後を代表する文芸批評家の一人となっている。

「絹のハンカチ」藤山愛一郎の夢は叶わなかった | 文春写真館 - 文藝春秋BOOKS
 巨額の私財を投じて政治活動にまい進し、自民党総裁選に四度挑戦した藤山愛一郎は、ついに夢を果たすことはかなわず、「絹のハンカチが雑巾になった」と評された。晩年、財産として井戸と塀しか残らなかったという意味で「最後の井戸塀政治家」とも呼ばれた。
 明治三十年(一八九七年)、東京生まれ。父は王子製紙の重役だった。
 父が築いた藤山コンツェルン傘下の大日本製糖社長となる。日東化学工業や日本金銭登録機の社長を経て、昭和十六年(一九四一年)、四十代の若さで日本商工会議所の会頭に就任する。
 終戦後、公職追放にあうが、昭和二十五年に復帰。翌年、日本商工会議所会頭に再任される。その後、初代日本航空会長にも就任した。
 昭和三十二年、民間人のまま、岸*9内閣の外務大臣に就任する。昭和三十三年の総選挙で衆議院に当選。外相として、日米安全保障条約改正に取り組んだ。
 昭和三十五年、岸内閣退陣にともない、自民党総裁選に出馬したが、池田勇人*10に敗れた。その後、岸派から離脱し、自らの派閥を立ち上げた。自民党総務会長、経済企画庁長官を歴任。その後も三度総裁選に立候補したが、いずれも敗れた。この間、派閥の維持と総裁選に莫大な私財を投じたため、資産を失うことになる。
 一方で、親中国派*11議員として活動、昭和四十五年十二月、日中国交回復促進議員連盟を結成し、政界引退後も国際貿易促進協会会長を務め中国とのパイプ役を担った。昭和六十年没。

第111回 藤山愛一郎(その二)岸信介の要請で外務大臣に就任。そして日本最後の「井戸塀政治家」へ---(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
 「井戸塀政治家」という言葉をご存じだろうか。
 国事のために自らの財をはたいて奔走し、結局残ったのは「井戸」と「塀」だけという、今では絶滅したのではないかと思われる、殊勝な政治家のことである。
 藤山愛一郎は日本における最後の「井戸塀政治家」といえるのではないだろうか。

第111回 藤山愛一郎(その二)岸信介の要請で外務大臣に就任。そして日本最後の「井戸塀政治家」へ---(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(2/2)
 保阪正康*12の「『藤山愛一郎』を裸にした男」(『新潮45』1993年10月号)によれば、愛一郎は新聞記者に、「父の財産には手をつけない。しかし父からもらった財産は私のだから、そのすべてを政治に使う」と洩らしたという。
 「父からもらった財産」というのは、株、土地、家屋などで、その総額は、当時の貨幣価値で100億円をはるかに超え、150億から200億円であったと推定される。
 同記事によると、「すべてを政治に使う」と言いながら、実際のところは「30億か40億ほどだろう」と予想していたらしい。
 まさか本当に全財産を失うことになるなどとは思っていなかったのだ。

第112回 藤山愛一郎(その三)選挙資金調達で財産を使い果たす。だが、「いささかも悔いは残らない」(福田 和也) | 現代ビジネス | 講談社(1/2)
・昭和33年5月の総選挙である。この選挙で愛一郎は議席を獲得したが、『政治わが道 藤山愛一郎回想録』では選挙資金について、こう記されている。
「まったくの素人だったこともあって、かなりの額を注ぎ込まねばならなかった。選挙通と自称する、いわゆる選挙ゴロのブローカーが寄ってたかって『この地区はいくら票が出るから、このくらい出しなさい』といって持っていく。(中略)選挙が終わった後でもまだ、ブローカーたちは『あなたのために、部屋を借りて運動した』などといって、部屋代や電話代、自動車賃などのツケを回してきた」
・安保改定の国内調整が進んでいるさなか、当時自民党の幹事長だった川島正次郎*13が愛一郎の事務所を訪れ、「安保をPRしなければならない。カネを出してほしい」と言い、1000万円を出したら、翌週また来て「もう1000万円・・・・・・」と、さらに1000万円持っていったという。
・総裁選がきっかけとなって、党内に藤山派が誕生し、「藤友会」と名づけられた。
 この派閥がまた、金喰い虫となった。
「同志の選挙の応援以外に、盆、暮れには慣例となっている『中元』『モチ代』がいる。それに、総裁選挙のときには、こちらの陣営の人たちに『活動費』を渡さなければならない。このような場合の『金一封』の単位は、最初のころの30万円から100万円、佐藤*14政権になってから、そのベースが少なくとも2倍にはなった」(同前)
 「『藤山愛一郎』を裸にした男」(保阪正康)によれば、藤山派と称する政治家のなかには同志のふりをしてカネをもらい、全く動かなかった人も少なくなかったという。またそういう輩は、飲食代や芸者代など、あらゆる領収書を愛一郎のもとに送り付け、その支払いに愛一郎の金はどんどん流れていったのである。
 39年、愛一郎は再び総裁選に挑んだ。今度は三選を目指す池田勇人佐藤栄作、愛一郎三人の争いであったが、これが現在も語り継がれるほどの〝超金権選挙〟となった。
 1人100万円という金一封がばらまかれ、二派から金をもらう人間は「ニッカ」、三派から金をもらう人間は「サントリー」と呼ばれた。
 結果は池田が242票、佐藤が160票、愛一郎が72票だった。
 この選挙に愛一郎は運動費を含めて10億円を使ったと言われている。
 選挙資金調達のために、愛一郎は本邸と土地を売った。
 大口の購入先は近畿日本鉄道。1万5100平方メートルの土地と本邸で総額9億3000万円だったという。
 総裁選後すぐ、秘蔵の絵画コレクションも手放すことになる。
 ピカソマチスルノワール岸田劉生梅原龍三郎安井曽太郎などの作品を合わせ、10億円近い価値があるといわれていた。
 贋物も多かったという説はあるものの、億単位で売れたことは確かだ。
 財界の友人たちは、自分の金を出さずに財界から集めろ、と助言したが、愛一郎は全く聞く耳を持たなかったという。
 昭和41年12月の総裁選に愛一郎は、佐藤栄作に対抗して出馬したが、敗退。
 43年の総裁選では佐藤の三選を阻止しようと出馬の意志を示したが、結局立候補しなかった。この頃、藤山派はわずか六人になっていた。
 50年2月、舌がんが発見され、9月には政界引退を表明。晩年は車いす生活となり、60年2月22日死去した。
 最後に残ったのは、六本木のマンションと京橋の六階建てのビルのみであったという。
 愛一郎は自らの政治家人生をこう振り返っている。
「自分自身で考えていた言動をすべて尽くしたわけではないとしても、ある程度までわがままを通したし、ある程度まで行動したという気がする。その意味ではこの18年は思い出多いとともに、そうそう本質を曲げないでやってきたという満足感もある。いささかも悔いは残らない」(同前)

【参考:吉田健一について】

吉田健一(1912年(明治45年)~1977年(昭和52年):ウィキペディア参照)
三島由紀夫とは、友人だったが、1960年代前半に仲違いしている。一説によると、三島が新居に移った時、部屋に置いてある家具の値段を吉田が大声で次々と値踏みしたのがきっかけだったともいう。また、ジョン・ネイスン『三島由紀夫-ある評伝』(新潮社)によると、「鉢の木会」の月例会の席上、三島の書き下ろし長編『鏡子の家』を、その面前で「こんなものしか書けないんだったら、会からは出てもらわなくちゃな」と酷評した事も大きいとされる。さらに、三島がモデル小説『宴のあと』に関して有田八郎元外相(第一次近衛、平沼、米内内閣)と揉めた際、有田と旧知の間柄(有田は父・茂の元同僚)だった吉田が、間に入り事態の収拾にあたった事を三島が「有田の肩を持っている」と悪く取ったためとも言われている。
・父・吉田茂(1878~1967年)の実像を最もよく知る人物であるが、父の思い出を語ることは多くなかった。一説には、母・雪子の死(1941年10月7日死去。享年53歳)後に父が長年関係があった新橋の芸者こりん(本名は坂本喜代)を、事実上の後妻として迎えたことに健一が反発していたからだと言われている。
■著書
・『英国の文学』、『ヨオロッパの世紀末』(岩波文庫)
・『旨いものはうまい』 (角川春樹事務所グルメ文庫)
・『英国の文学の横道』、『英語と英国と英国人』、『交遊録』、『東西文学論・日本の現代文学』、『文学概論』、『文学人生案内』、『文学の楽しみ』、『ヨオロッパの人間』、『ロンドンの味』(講談社文芸文庫)
・『英国に就て』、『東京の昔』(ちくま学芸文庫)
・『私の古生物誌』(ちくま文庫)
・『汽車旅の酒』、『書架記』、『父のこと』、『わが人生処方』、『私の食物誌』(中公文庫)など


日米首脳会談 トランプ米大統領に抱きつく安倍首相と、媚びないメーガン妃の違いとは(木村正人) - 個人 - Yahoo!ニュース
 タイトル「トランプ米大統領に抱きつく安倍首相と、媚びないメーガン妃」から予想できる通りの内容、つまりは「安倍批判の一種」です。
 しかしこの文章の書き手・木村が「元産経ロンドン支局長」というのだからびっくりです。産経を辞めることで木村は「安倍への悪口が気軽に言える」ようになったのでしょう。
 一方、産経を辞めたら逆に「安倍万歳にブーストがかかったバカ」が福島香織です(苦笑)。
 なお、なぜメーガン妃がトランプに距離を置くかといったら「彼女(元ハリウッド女優)がリベラル派だから」というのもあるでしょうが、結局の所、英国王室が「英国保守党支持者も英国労働党支持者も、つまり英国民の多数がトランプに距離を置いてるのに王室がトランプに接近しても国民多数の反発を買って王室の将来が危うくなるだけだ」と認識してるからでしょう。
 裏返せば「日本人多数にはトランプに対する批判意識がまるでない」という話の訳ですが。


■どうでもいい話「文科省幹部の名前がルビがないと読めない人間ばかりで困る」
 「捜査に協力し、厳正に対処」 キャリア官僚逮捕で文科省 - 産経ニュースに出てくる「生川浩史(いくかわ・ひろし)官房長」も「おいかわ?、いくかわ?」「ひろふみ?、ひろし?」ですが他も「何だかなあ」揃いであることに気づきました。前川元次官はルビなしで読めますが。以下は「俺はこれはルビがないと読めないな」という方だけを紹介しておきます。

幹部名簿:文部科学省
【大臣官房】
・文部科学審議官
  芦立訓(あしだて・さとし)
・総括審議官
  瀧本寛(たきもと・ゆたか)
・審議官(総合教育政策局担当)
  平野統三(ひらの・むねみつ)
・人事課長
  池田貴城(いけだ・たかくに)
・政策課長
  柿田恭良(かきた・やすよし)
・国際課長
  奈良哲(なら・さとし)
・総務調整官(国会担当)
  南野圭史*15(のうの・けいし)
【総合教育政策局】
・政策課長
  寺門成真(てらかど・しげちか)
生涯学習推進課長
  根本幸枝(ねもと・こうえ)
・地域学習推進課長
  中野理美*16(なかの・りみ)
【初等中等教育局】
・局長
  永山賀久(ながやま・よしひさ)
・初等中等教育企画課長
  望月禎(もちづき・ただし)
【研究振興局】
・参事官(ナノテクノロジー・物質・材料担当)
  黒澤弘義(くろさわ・ひろき)
【研究開発局】
地震・防災研究課長
  工藤雄之(くどう・かつゆき)
スポーツ庁
・国際課長
  粂川泰一(くめかわ・ひろかず)

 まあ、「超難読」ではないものの、あまりポピュラーな名前の読み方ではないですね。


「捜査に協力し、厳正に対処」 キャリア官僚逮捕で文科省 - 産経ニュース
 自宅だけでなく職場でも注射器が発見されたというのだから完全に病気ですね。発覚の危険が高いし、普通、職場でやろうとは思わないでしょう。さすがにそこまで依存症になると行動に異常性が出て、周囲から通報され、いわゆる麻取の捜査対象になるということでしょうか。

 同省の生川浩史官房長は28日、「一連の不祥事からの信頼回復に全省をあげて取り組んでいるさなかで、誠に遺憾。捜査に最大限に協力して、全容の解明を踏まえ厳正に対処する」とのコメントを発表した。

 まあ立場上、こう言わざるを得ないでしょうが、「佐野太科学技術・学術政策局長、川端和明国際統括官(役職は当時)の東京医科大等からの収賄(生川官房長のいう「一連の不祥事」)」や「高石邦男・元文部次官のリクルート汚職」のような権力犯罪ではなく、個人的犯罪ですからねえ。「他にも逮捕者が出て文科省内で覚醒剤が蔓延していた疑いが浮上しない限り」、俺個人はあまり「組織としての文科省」を非難する気はありません。


児童ら19人刺され2人死亡 自殺の51歳男、計画的犯行か 川崎襲撃事件 - 産経ニュース
 犯行直後、自殺とは意味不明ですね。殺された方々も実に不運です。こういう事件はどう見ても「殺された側に非がある(例:嫁いびりに耐えかねた嫁が姑を殺害)」という話ではないでしょう。いや「非があれば殺していい」という話ではないですが。


【政界徒然草】与党、丸山氏への懲罰動議を模索か 「女性の店へ」発言発覚で事態一変(1/4ページ) - 産経ニュース
 「前例を作りたくない」て「自民はアホと違うか」ですね。丸山レベルの暴言なら辞任勧告が出ておかしくないし、そういう自民は「今後、丸山レベルの暴言が自民から出る可能性がある」とか「今思えば、過去にされた自民議員のAという暴言が丸山レベルだった」とかいうのか。

 事態は22日に急変した。丸山氏が「戦争」発言をした際、大声で「女性のいる店で飲ませろ」などと語り、禁止されている宿舎からの外出を試みたことなどが判明したのだ。
 関係者によると、丸山氏は「俺は日本の国会議員で不逮捕特権がある*17」などと話し、政府関係者が玄関先で羽交い締めにして止めたという。「失言したら即決議案」という前例ができることへの懸念とは、別次元の問題になりつつあるとの指摘もある。

 というよりは「前例ガー」への評判が悪い中、「方針変更の口実」を「戦争発言」以外に別に求めたというだけでしょう。

*1:「井戸塀政治家」の略。「選挙など政治活動に金をつぎ込んで、その結果、屋敷を売り払い、井戸と塀しか残らなくなった」という意味で「選挙など政治活動に金がかかることのたとえ」。あるいは「政治活動で利権をあさらないクリーンな政治家」のたとえ。政治に金をつぎ込んだ結果、親の代からの藤山財閥を崩壊させたといわれる藤山愛一郎(自民党藤山派総帥。岸内閣外相、自民党総務会長(池田総裁時代)、池田、佐藤内閣経企庁長官など歴任)が「井戸塀」の例として良くあげられる。あるいは「足尾鉱毒事件の田中正造」なども井戸塀でしょう。最近はあまり使われない言葉かと思います。まあ、野党はともかく与党に今、そんな政治家がいるかどうか。

*2:岸信介元首相の孫、安倍晋太郎自民党幹事長(竹下総裁時代)の息子

*3:鳥取県知事、自治相(鈴木善幸内閣)などを歴任した石破二朗の息子

*4:小泉純也防衛庁長官(佐藤内閣)の息子

*5:福田赳夫元首相の息子

*6:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*7:麻生炭鉱社長。麻生太郎・現第四次安倍内閣副総理・財務相の父。

*8:まあ吉田健一の場合政治家に興味もなかったし、母の死後、愛人を父・吉田茂が事実上の後妻にしたことで仲が悪かったそうですが(ウィキペディア吉田健一」参照)

*9:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*10:元大蔵次官。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*11:岸内閣外相就任時において既に藤山は「中国ビジネスを重視する財界人」として有名でした。つまりはあの「台湾ロビー」岸ですら「中国ビジネスをそれなりに重視していた」ということです。

*12:著書『死なう団事件:軍国主義下のカルト教団』、『眞説 光クラブ事件:戦後金融犯罪の真実と闇』(以上、角川文庫)、『60年安保闘争』(講談社現代新書)、『農村青年社事件:昭和アナキストの見た幻』(筑摩選書)、『五・一五事件』、『孫文辛亥革命を助けた日本人』、『東條英機天皇の時代』、『三島由紀夫楯の会事件』(以上、ちくま文庫)、『後藤田正晴』、『陸軍省軍務局と日米開戦』(以上、中公文庫)、『蒋介石』(文春新書)、『「きけわだつみのこえ」の戦後史』、『参謀の昭和史 瀬島龍三』(以上、文春文庫)、『松本清張と昭和史』(平凡社新書)など

*13:自民党川島派総帥。吉田内閣行政管理庁長官、自民党幹事長(岸総裁時代)、池田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(池田、佐藤総裁時代)など歴任

*14:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*15:小泉内閣の南野法相が「のうの」と読みますが「南野陽子」は「みなみの」です。

*16:手塚理美は「さとみ」て読むんですけどね。

*17:不逮捕特権があるのは「日本の捜査当局」に対してであってロシアは関係ありませんし、不逮捕特権は「現行犯逮捕」の場合には及びません。現行犯逮捕でも「国会の要求があれば釈放する必要があります」がこんな話で釈放要求が出るわけもない。また不逮捕特権があっても国会が許諾すれば逮捕は可能です。丸山の主張は全くのデタラメです。

今日の産経ニュース(2019年5月14日分)

サッカーくじ「BIG」 上限額を12億円に引き上げへ - 産経ニュース

 日本国内では宝くじを含めても、史上最高の当せん金額となる。

 今現在十分売り上げがあるのに、射倖性を高めるとは正気の沙汰ではないでしょう。そもそも導入時には「射倖性を高めることはしない」、つまり「宝くじの最高当選金額を上回る設定にはしない」という約束だったはずです。


維新、丸山穂高衆院議員を除名処分 - 産経ニュース
 除名したのが意外ですが、「橋下や松井」と比べ、かばうほどの価値もないということでしょうか。


「今後大いに期待」 大谷の復帰後初本塁打で菅官房長官 - 産経ニュース
 馬鹿馬鹿しい。こんなことを記者会見で聞くマスコミ記者は全く何を考えてるのか。「政治家には政治のことだけ聞け」て話です。誰も菅の大谷選手に対する感想なんか知っても何の得にもならない。


女優の京マチ子さん死去 95歳 「羅生門」「雨月物語」グランプリ女優 - 産経ニュース
 失礼ながら「まだ存命だったのか」という驚きを最初に感じました。

今日の産経ニュースほか(2019年3月26日分)

■立民候補だった野郎のヘイトスピーチについて
 コメント欄でアンドリュー・バルトフェルドさんにご指摘頂いた件ですがネット上でも

■ゆーすけ
‏ 立憲民主党から群馬県太田市議選に立候補予定の神谷だいすけさんの経営する移民問題総合研究所のページはご覧になりましたか?差別団体日本第一党と変わらないことを主張していますが、こんな人に公認を出していいものなのでしょうか?

■佐藤圭(東京新聞記者)
‏ またもや立憲民主党候補のヘイトスピーチが発覚。ネット上の発言は少し調べれば分かりそうなものだが、立民の候補者選定はどうなっているのか。

という批判が出ていますね。「神奈川県議候補でヘイト」「太田市議候補でヘイト」て最大野党がこんな無様なことだから「安倍さんでええヤン(安倍支持層)」「最大野党がこれじゃどこも支持できない(一部の安倍批判派)」になるわけです。小生なんぞはそこで「共産支持、この道しかない」なんですが残念ながら日本では「安倍批判派においてすら」未だに反共意識が強いようですからねえ。安倍を下野させるためにはそういうのんきな(?)こと言ってる場合じゃないと思うんですが。誰も「安倍下野のために共産と共闘しよう」とはいっても「共産党員になれ」「共産党の首班政権を目指そう」とは言ってないわけです。選挙で共産に投票する程度のことはすべてのアンチ安倍がやるべきでしょうね。共産以外の他野党が酷すぎるので。俺も正直「共産党には失礼ながら」あの党のすべてを支持してるわけではありません*1し、「周囲のしがらみもあって」党員でもありません。でも選挙では基本あの党に常に投じてきました。他が酷すぎるので。少なくとも比例選挙と「複数選挙区」はそうですね。「1人選挙区」では何度か他野党に投じたこともありますが。


立憲民主が政権構想委員会 「単独政権」奪取狙いか - 産経ニュース
立民・枝野氏、共闘より単独主義の思惑 (1/2ページ) - 産経ニュース
 本当に枝野が野党共闘に否定的なら愚劣で身の程知らずと言うべきでしょう。結党当初が最高支持率であとはずっと下り坂。今や一桁のパーセントにまで支持率が落ち込んで自民党とダブルスコアの政党・立民がそんなことが出来ると本気で思ってるのか。
 こんな馬鹿なことをしていては「前原や細野の次の自滅」は枝野じゃないか。そのときは枝野も細野のように自民入党を目指すのか。
 こうした馬鹿者ども(反共主義・連合執行部へのへつらい?)が安倍を利しているわけでうんざりしますね(典型的には希望の党騒動)。
 安倍を倒す前に「枝野のようなバカ」を倒す必要があるんでしょうか。つうか立民って完全に「枝野の独裁政党」「枝野以外の人間にまるで存在がない枝野の私兵集団」にしか今や見えないんですが。


女性の役割、「r」の発音、北海道の色 主な検定意見と修正内容 教科書検定 - 産経ニュース

 6年の社会で、江戸時代初期の対外貿易などを学ぶページでは、日本を赤く塗った地図に検定意見が付いた結果、北海道を白くする修正がなされた。文科省の担当課では「当時は江戸幕府の支配が北海道に及んでおらず、児童が誤解する恐れがある」と説明。しかし幕府の支配領域だとする説明は地図にも本文にもなく、教科書をみた子供たちに、北海道は日本でないかのような印象を与えることになった。
 北方領土が日本固有の領土であることをPRする内閣府のホームページには、江戸初期に松前藩が「北海道を支配していた」と書かれている。今回の検定は、こうした内閣府の見解とも矛盾することになり、今後議論を呼びそうだ。

 「支配」が何を意味するかですね。松前藩が完全にアイヌ支配下に治めていたかと言えばそんなことはないでしょう。
 おそらくはいわゆる「間接支配」だったわけです。そしてそう言う状況を果たして「北海道は江戸時代から日本の領土」といえるのかどうか。いずれにせよ「北方領土が日本の領土かどうか」と「松前藩が江戸時代に北海道を支配していたといえるかどうか」はまた別問題です。
 いわゆる「千島樺太交換条約」により千島は日本領となり、その後も日本領であり続けたと理解すればそれで十分なわけです。 


竹島、尖閣も「固有の領土」全社明記 小学校教科書検定(1/2ページ) - 産経ニュース
 安倍自民の圧力で全社記載なのだから、教育性のかけらもない、およそまともな話ではありません。しかも「韓国や中国と日本の主張は比較して考えてみましょう」ではなく「日本の主張が正しい、以上」では全く教育的ではない。そもそも「日本の主張が正しい、以上」なんてもんは国内でしか通用しません。「国内でしか通用しない内弁慶の日本人」を作り出してどうするのか。まあ安倍自身が「内弁慶でお山の大将」というそう言う情けない存在であるわけですが。


「反天皇制」判事の判決、自民・門氏「信頼寄せられぬ」 最高裁は同じ答弁繰り返す - 産経ニュース
 今の安倍自民らしいトンデモ発言ですね。もちろん判事氏の言論の自由を否定する暴挙として批判していく必要があります。
 と同時にこの一件は「天皇個人の人間性」に関係なく天皇制という「制度」が有害であることの証明と言っていいでしょう。天皇一族が「天皇・皇族であり続ける限り」彼らは「人権侵害に加担する存在」を続けることになります。
 まともな人間ならおよそ精神的に耐えられないでしょうし、耐えられなかった「ある意味ピュアな人」が「うつ病を発症した」という雅子氏であり、「耐えることが出来る人権意識が欠如した鈍感な連中」が「雅子氏以外の天皇一族」と言ってもいいのではないか。
 それにしても最高裁が「政治活動の自由」を理由に調査要求を拒否しないあたり「日本は三権分立ではない」ということを改めて実感し情けなくなります。なるほど安倍自民が「韓国政府は徴用工訴訟最高裁判決をなんとかしろ」というのもよくわかります。日本では最高裁は「自民党の奴隷」のわけですから。ただし「日本とは違う」まともな国家である韓国ではそんなことはないわけですが。


【政界徒然草】細野豪志氏「戸別訪問1万軒」自民党で政策実現目指す (1/5ページ) - 産経ニュース

 細野氏*2左傾化が進む野党で活路を見いだせず、自民党で政策実現を目指した

 産経的には「集団的自衛権行使反対、九条改憲反対」は左傾なんでしょうが、今の旧民進党系野党(国民民主、立憲民主)のどこが左傾なのか(安倍のような極右でないことだけは確かですが)。特に「小池をかついだ旧希望の党」が前身の国民民主なんかそうです。産経は小池を「左傾」というのか。
 いやそれ以前に細野に展望がなくなったのは「奴が仕掛けた希望の党」が失敗に終わり、小池*3都知事も党代表をやめてとんずら。盟友のはずだった前原*4は国民民主党京都府連代表になれたが、細野は国民民主党では前原と違い、「冷遇が予想されたため」不参加。
 細野新党を画策した物の結局失敗。今更立民にいけるわけもない、静岡選挙区じゃ「大阪だけで強い」維新にいっても意味がない、つう「細野の人望と政治力のなさ」でしかありません。
 「左傾化が進んでるから自民党しか行き場がない」のなら前原だって細野と一緒に自民に入党してるでしょう。前原は良かれ悪しかれ「細野より有能」だったからこそ、「国民民主党京都府連代表」としての再起を画策し自民へは行かないわけです。

・野党幹部として激しく自民党を批判した過去に嫌悪感を抱く議員はなお多い。
立憲民主党枝野幸男*5代表(54)は周囲に「細野氏のような官僚くずれの事務屋はいらない。立憲民主党がいい候補を立てたら確実に落とせる」と吐き捨てる。

 普通に考えて自民支持層も野党支持層も細野には不快感を持つ人が多いでしょう。当たり前の話です。「二階*6幹事長が入党に前向きだから」なんて理由で自民支持層が細野に寛容になれたら、その方がおかしい。

 細野氏は旧同僚への批判は封印しつつも、周囲にはこう語る。
 「本音では野党を抜けることができて、ほっとしている。これで、憲法や安全保障で自分の考えをごまかさずに済む」

 おいおいですね。「党利党略で、民進党時代は嘘をついていた」などという人間が自民へ行くと言えば当然ながら「また保身のために自民でも嘘をついて、都合が悪くなったら自民離党することもあるって事ですよね。離党できて良かった、嘘をつかずにすんで良かったと言って。」という批判は免れません。

 細野氏に限らず、野党の複数の保守系議員が自民党入りを模索する現状は、野党の窮状も浮き彫りにしている。

 「自民との違いが曖昧な」国民民主(旧希望)にとってはそうかもしれません。しかし立民、社民、共産と言った「リベラルや反自民をアピールする政党」にとっては「我々はあんなインチキ野党議員とは違うんです、細野とは違うんです(福田首相風に)」とアピールできるのだからむしろ好都合ではないか。


【主張】「露疑惑」報告書 米政治立て直しの契機に - 産経ニュース
 「トランプの無実が証明された」と大はしゃぎの「トランプ応援団」産経ですが、少なくとも現時点では「モラー*7特別検察官作成の捜査報告書は公開されず」、公表されたのは「バー*8司法長官が作成した報告書の要約」で米国民主党は「報告書そのものの全面公開」を求めてるので、そんなことは全く言えません。
 「トランプは潔白だ」というなら産経も米国民主党同様に「報告書の全面公開」を求めるべきでしょう。バー要約が正しいという保証はどこにもないし、「公開拒否する理由」はどこにもないでしょう。もちろん産経は全面公開を求めない訳ですが。

 不十分な証拠で「共謀」を決めつけた米メディアや民主党は混乱の長期化に手を貸したと言わざるを得ない。

 おいおいですね。「共謀の疑いがある、徹底的に捜査すべきだ」とは言っていても誰も「決めつけてはいない」でしょうよ。そもそも「徹底的に捜査」しなければ無実かどうかなど分かりません。この産経の物言いなら「小沢一郎氏(裁判当時、民主党幹事長。現在、自由党代表)は裁判で無罪になった。マスコミのいわゆる西松建設疑惑、陸山会疑惑での小沢批判は間違ってた」つう事になりますが産経は「小沢批判派」としてそう認めるのか?(認めないでしょうが)
 大体「蓮舫民進党代表(当時)の二重国籍疑惑」なんてデマを垂れ流したフェイクニュース新聞・産経が自分を棚上げして良くも言ったもんです。


俳優・織本順吉さん死去 - 産経ニュース
 92歳という年齢を考えれば死去は不思議ではないし、最近はテレビでも見ることがなかったと思いますが、「昭和の俳優がどんどん死んでいくな」感がありますね。ご冥福をお祈りします。

*1:例えば「共産党で支持してない面」を挙げれば、小生はマルキストではありません。また、「千島全島返還論」は「現実的に無理だろう」と思っています。しかし「消費税増税反対」「辺野古移設反対」「産経や安倍のような戦前賛美、中韓敵視、歴史修正主義反対」「福祉や教育に予算を」「クリーンな政治」「九条改憲反対、軍事費縮小」などを選択基準にし党勢も加味すれば、選択肢は共産しかないわけです。旧民進の諸政党(国民民主、立民)はそういう点で信用していませんし、社民は党勢が共産より弱いし。

*2:野田内閣環境相民主党幹事長(海江田代表時代)、政調会長岡田代表時代)、民進党代表代行(蓮舫代表時代)を歴任

*3:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事

*4:鳩山内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相、民進党代表など歴任

*5:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)を経て立憲民主津代表

*6:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*7:ブッシュ父、クリントン政権司法次官補(刑事局担当)、ブッシュ子、オバマ政権FBI長官など歴任

*8:ブッシュ父、トランプ政権で司法長官

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年3/3分:三浦小太郎の巻)(追記あり)

3月9日、江東映像文化振興事業団上映会「明治大帝と日露大戦争」 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 完全なキワモノ映画ですね。こうした皇室人気に完全に便乗した映画は大蔵貢社長時代の新東宝*1においては『明治天皇と日露大戦争*2』(1957年)の他にも
・『天皇・皇后と日清戦争』(1958年)
・『明治大帝と乃木*3将軍』(1959年)
があります。当時は当たったようですが、今はもちろんそう言う時代ではありません。描き方の是非はともかく、今や天皇の登場する映画やドラマは何ら珍しくありません。
 例えばウィキペディア昭和天皇」によれば

・映画
■日本のいちばん長い日(1967年、岡本喜八監督、松本幸四郎(八代目))
■太陽(2005年、アレクサンドル・ソクーロフ監督、イッセー尾形
■日本のいちばん長い日(2015年、原田眞人監督、本木雅弘
・テレビドラマ
■そして戦争が終った(1985年、TBSテレビ、加藤剛
■あの戦争は何だったのか:日米開戦と東条英機*4(2008年、TBSテレビ、野村萬斎

昭和天皇を演じたそうですが彼らの演技や出演作品への評価はともかく、彼らが天皇を演じた映画やドラマはもはや世間においてアラカンほどの衝撃も人気もなかったわけです。例えば、加藤剛の代表作でTBSドラマの昭和天皇をあげる人はまずいないでしょう。

 作品完成後に行われた試写会は、ときの皇太子(現今上天皇)も閲覧した。

 「閲覧」で間違いではない*5ですがウヨの三浦なら皇室敬語を使うかと思っていました。「閲覧」は敬語ではないでしょう。とはいえ俺も「皇室敬語」で何というか分かりませんが。天皇だと「天覧」ですが(例:巨人の長島が阪神村山実からサヨナラホームランを打ったことで知られる1959年の天覧試合)。また「皇太子殿下」「天皇陛下」と三浦が書かない点も少々意外です。

 嵐寛寿郎ほか、天城竜太郎、田崎潤宇津井健*6中山昭二*7高島忠夫、小笠原竜三郎、藤田進*8、江川宇禮雄*9、阿部九洲男、沼田曜一*10など

 ウィキペディアによれば

・天城竜太郎:加藤友三郎*11海軍少将
田崎潤東郷平八郎*12海軍大将
宇津井健広瀬武夫*13海軍少佐
中山昭二:伊地知幸介*14陸軍少将
高島忠夫:乃木保典*15陸軍歩兵少尉
・小笠原竜三郎:藤井較一*16海軍大佐
・藤田進:元老・井上馨*17
江川宇礼雄山本権兵衛*18海軍大臣
・阿部九洲男:元老・伊藤博文*19
沼田曜一:伊集院五郎*20海軍中将

だそうです。

参考

明治天皇と日露大戦争(1957年)(ウィキペディア参照)
嵐寛寿郎(アラカン)に、大蔵は「明治天皇を演ってほしい」と切り出した。アラカンは仰天し、「そらあきまへん、不敬罪ですわ、右翼が殺しに来よります」と断ったが、大蔵は「この作品に社運をかける、総天然色、大シネスコ、製作費2億円」と熱弁を振るい、「寛寿郎くん、日本最初の天皇役者として歴史に残りたいと思わんかね、キミ」と説得にかかった。元活動弁士仕込みの説得力もあり、アラカンは「シネマ・スコープ」に心が動き、「考えさせてもらいます」と答えた。
 ところが翌日の新聞には、でかでかと「『明治天皇と日露大戦争』、主役を引き受けた嵐寛寿郎、恐く感激云々」と新東宝宣伝部が談話をでっちあげて発表してしまった。こうしてアラカンは、この大役を引き受けざるを得なくなった。
・アラカンは、前代未聞の明治天皇役をどう演じるか悩んだ。その姿を見た大蔵は一計を案じ、アラカンが撮影所に来る時にはハイヤーで送迎し、ハイヤーが新東宝撮影所に到着すると大蔵以下新東宝の重役、スタッフが勢揃いして出迎えし「陛下のおなり」と呼び合うことを日課とした。アラカンは後年、この日課により「自分が本当に天皇陛下になった気分がした」と述懐している。
・公開後、封切りだけで興収8億円という空前の大ヒットに大蔵社長は得意満面で、アラカンに「寛寿郎くん、御苦労でした」と10万円(当時)のボーナスをはずんだ。アラカンは「8億円稼いで10万円、ゼニ残す人は違いますな」と皮肉っているが、これを受け取った。
 が、京都に戻ったアラカンに新東宝宣伝部が「東劇で凱旋興行をやるから(天皇の)衣装を着けて挨拶に出てくれ」と社長命令を伝えてきた。アラカンは「あの10万円、ギャラやったんか」と呆れかえり、「すまんがお断りや、皇室を利用してゼニもうけてもかめへん、ワテの知ったこっちゃない、せやけど少しは遠慮しなはれ、明治天皇サンドイッチマンにする了見か」と返したところ、それで沙汰やみになったという。
・観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が観た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた。この記録は44年後の2001年、『千と千尋の神隠し』が観客動員数2300万人を達成するまで、観客動員数1位だった。
・この桁外れの大ヒットが新東宝における大蔵のワンマン体制を加速させることとなった。
・姉妹篇である『天皇・皇后と日清戦争』(新東宝、1958年)や『明治大帝と乃木将軍』(新東宝、1959年)のほか、事実上その総集編である『明治大帝御一代記』(大蔵映画*21、1964年)まで作られた。嵐寛寿郎は、『日本ロマンス旅行』(新東宝、1959年)で仁徳天皇を、『皇室と戦争とわが民族』(新東宝、1960年)で神武天皇を演じている。「新東宝創立十周年映画」の『新日本珍道中・東日本の巻』(1958年)でも再び明治天皇を演じている。
 大蔵社長によるこれら天皇役の「二番煎じ」のごり押しにはアラカンも辟易し、「仏の顔も三度や、こうたびたび天皇をやっていいものやろかと思いました」と語っている。
・アラカンは『明治大帝と日露大戦争』が終わればまた、ただの役者と割り切っていたが、世間はそれで許してくれなかった。これ以後、小学生まで明治天皇の写真を見て「アラカンだ」と言い、天皇崇拝者たちからは達筆で「貴方様が生活の為と言え、下らぬ剣戟映画等に出演をして居られますのは誠に遺憾千万の事に御座候」などと手紙が来る始末であった。『鞍馬天狗』と『右門捕物帖』を当たり役とする「戦前からの剣戟スタア」としてこれにはアラカンも「ほっといてもらいたい」と憤慨し、「しばらくの間は恨みのネタでしかおまへなんだ」と振り返っている。


花柳幻舟氏の死去について一言 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 小生は彼女を知っていますが最近の若者は知らないでしょうねえ。昔はともかく、最近はテレビに出ませんしマスコミも今回の事故死をそんなには騒いでいない。
 ウィキペディア花柳幻舟」によれば一番新しい著書『小学校中退、大学*22卒業 』が2009年、テレビドラマ、映画などの出演で一番新しいのが1990年ですし。
 死去は悲しいですが「クレヨンしんちゃんの作者の転落死」同様「殺人や自殺」といった事件性はなく、事故死らしいのはせめてもの救いです。

 長谷川きよし*23と二人で「話の特集」で色々な著名人と対談

 「話の特集」は、矢崎泰久*24が編集長を務めた雑誌であり、矢崎とのつながりで「1977年、 矢崎泰久中山千夏*25ばばこういち*26を中心にして結成された革新自由連合に企画委員として参加(ウィキペディア花柳幻舟」)」となったのでしょうね(まあ、中山やばばも『話の特集』によく出ていた人間*27かと思います)。ちなみに革新自由連合からは中山千夏参院議員に当選し、1期(1980~1986年)務めています。
 なお、ウィキペディア革新自由連合』によれば矢崎、中山、ばばの他では

青島幸男放送作家、後に都知事
岩城宏之(指揮者)
永六輔(タレント、作詞家)
大島渚(映画監督)
大橋巨泉(タレント。後に民主党参院議員)
加藤登紀子(歌手)
田原総一朗(司会者)
俵萌子(エッセイスト。1981~1985年まで中野区の教育委員を務めた)
手塚治虫(マンガ家)
野坂昭如(作家)
八代英太(タレント。後に福祉党を経て自民党。小渕、森内閣で郵政相)
横山ノック(漫才師、後に大阪府知事

などが革新自由連合のメンバーです。まあ、このうち、田原氏や、八代、ノックは明らかにその後「保守に変節(?)」していますが。しかし花柳氏に悪口する三浦にとっては「革新自由連合のメンバー」は「明らかに右に転向したメンツ」を除いて皆憎悪の対象なんですかね?

 後、立川談志とも(ボーガス注:対談)していて、(ボーガス注:革新自由連合のシンパである彼女は)自民党から選挙に出るような落語家とはケンカになるんじゃないかと予想する人もいたようだけど、彼女は立川氏の落語を聞き、この芸には敬意を表する、ということできちんと礼を尽くしていた。

 そりゃお互い大人ですからね。談志が彼女の政治活動(革新自由連合参加(1977年)は、談志の自民からの出馬(1971~1977年まで参院議員)と同時期です)を侮辱するようなことを言わない限り、彼女もけんかしないでしょう。大体けんかするようなら談志を対談相手に呼ばない。そして談志の方にもその程度の常識はあったのでしょう。

 彼女が失敗したのは、下手な政治運動*28に絡んだり、つまらない三流の左翼思想家(羽仁五郎とか)に付き合いすぎてしまったこと。そして、彼女の既成の家元制度への批判は実体験に根差していたのかもしれないけど、それを皇室批判に結び付けたのも芸能的には不毛*29だった。

 三浦が暴言を吐くのは昨日今日始まったことではないのですが、これは酷いですね。
 単に三浦が「彼女の左翼的*30政治活動を嫌悪して悪口してるだけ」の話です。そもそも三浦の言う「失敗」とは何なのか。花柳流(あるいは伝統芸能一般)において家元制度が続いてることか。彼女の社会的露出が今は少ないことか。
 特に羽仁五郎*31を、ろくな根拠すら挙げずに「つまらない三流の左翼思想家」呼ばわりしてるのは完全な誹謗中傷と言っていいでしょう。
 「維新政党・新風副代表」三浦の方こそ「つまらない三流の右翼活動家(思想家とはとても言えない)」ではないのか。
 いずれにせよ、こうした悪口は「よほどの極右」でない限り、三浦の下劣さに呆れるだけですが、まあそう言う常識はこの「極右のごろつき男」にはないのでしょう。三浦の周囲にも「三浦と同類のゲス、クズ」しかいないのでしょうね。
 しかし「例のNさん」もよくもまあ「ごろつき右翼」三浦なんぞとつきあえるもんです。

 正直、彼女は皇室伝統には全く無知で、その批判もそれこそ三流左翼*32のコピー。世に受け入れられない異端の芸がいかに皇室伝統によって守られていたかも知らなかった。

 というなら「世に受け入れられない異端の芸」や「それを保護した天皇」の具体的な例でもあげたらどうなのか。正直「権力者である皇室」が「世に受け入れられない異端の芸」なんてもんを守ることはないと思いますが。
 もしかして「江戸時代には人気が歌舞伎や浄瑠璃に負けていた能狂言」を皇室が保護したとかそういうことか。ただ「人気がない=世に受け入れられない異端の芸」ではない*33でしょうし、能狂言を例にすれば「仮に皇室がなくても」徳川将軍家や大名家が能狂言を保護していたのですが。
 つうか「芸術家のスポンサーだから皇室は偉い」てそんなこといったら、ヒトラースターリンだって「偉い」事にならないのか。
 もちろんヒトラースターリンが支援したのは「彼らにとって都合のいい芸術や彼らの好きな芸術」にすぎず、そうでない芸術は時に弾圧すら受けたでしょうが、それは皇室とて変わらないでしょう。わかりやすい例を挙げればプロレタリア文学なんてもんを皇室は保護しないわけです。

 こんな風に花柳幻舟について書くのはたぶん私一人だろう

 そりゃそうでしょう。まともな人間は皇室崇拝者ですら花柳氏に対してこんなげすな悪口はしません(まあ彼女が今ではあまり、「有名人とは言いがたい」というのもありますが)。しかも反論できなくなった死後に言うなんて人間として最低です。まあ、三浦なんて小物右翼が花柳氏の生前に何を言おうとも彼女は相手にせず無視したでしょうが。

 もっと自由に、もっと思いのまま、あちらの世界で踊り続けてください。

などととってつけたようなことを最後に書いても、三浦の花柳氏に対する「下劣な悪口雑言」はチャラにはなりません。
 そもそも生前の彼女とて「存在する条件」のもとで彼女なりの「自由な生き方」を追求していたわけでしょうし(もちろん「人間関係のしがらみ」「経済的条件(要するにカネがない)」「能力の限界」など様々ありますので、「あの世*34」であれ「この世」であれ「自分の希望が100パー叶う完全に自由な生き方」なんてもんは花柳氏に限らず誰だって無理です)。

*1:なお大蔵社長就任以前の新東宝には黒澤明『野良犬』(1949年)、小津安二郎『宗方姉妹』(1950年)、溝口健二西鶴一代女』(1952年)などいわゆる名作も少数ながらあります。

*2:三浦の「明治大帝」は誤記のようです。

*3:台湾総督、第三軍司令官(日露戦争当時)、学習院長など歴任。明治天皇の死後、妻と共に殉死。死後、「乃木神社」がつくられたり「乃木坂」の地名が創設されるなど、神格化された。

*4:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、東京裁判で死刑判決。後に靖国に合祀。

*5:まあ、ただコメント欄で指摘があるように「鑑賞」でいいですよね。

*6:1960年代半ばから1980年代前半まで、TBS放送のいわゆる大映テレビドラマの大黒柱として活躍。1965年に開始された『ザ・ガードマン』は、30%を超える高視聴率をマークし、1971年までの約7年に亘って放映された代表作の1つ。山口百恵と共演した「赤い」シリーズでは「山口百恵の父親役」で百恵とともに一世を風靡(ウィキペディア宇津井健』参照)。

*7:ウルトラセブンの「キリヤマ隊長」役で知られる。

*8:1935年(昭和10年)、嵐寛寿郎プロダクションの映画『活人剣荒木又衛門』(マキノ正博監督)の富士山麓でのロケでのこと。マイクの性能のあまり良くない時代でもあり、録音のマイク係だった藤田は、一所懸命考えて道路の土の中にマイクを見えない程度に隠した。それを嵐寛寿郎が「こんなもんで音が録れるか」と言って、足で蹴った。大事なマイクを足蹴にされた藤田はその晩酔っぱらって、「アラカンの奴、ぶん殴ってやる!」と怒り狂い、関係者を驚かせた。監督のマキノは藤田をおさえ、「そんなに口惜しいなら、お前も役者になり、立派なスターになってアラカンを見返してやれ」と諭した。そして、この時はアラカンの反発を抑えるために、『活人剣』での仕事が済むと「お前、クビや」と解雇を言い渡した。その後、東宝でスターとなる藤田だが、東宝入社までの一時期、競馬の予想屋をやって食いつないでいたという(ウィキペディア『藤田進』参照)。

*9:1902年(明治35年)、ドイツ極東艦隊海軍病院薬局長として来日したドイツ人男性と日本人女性の次男として生まれる。幼い時に、両親が離婚。父は長男を連れてドイツに帰国、母にひきとられた江川は本名を「ウィリー」から「ウレオ」に改名した。少年時代は混血児であることから不当な差別を受けてぐれてしまい、横浜界隈では有名な不良となっていた。1931年(昭和6年)に俳優として松竹蒲田撮影所に入社。当初脇役として過したのち、主演級に抜擢され、以後島津保次郎小津安二郎の作品などに主演し続ける。戦後は新東宝で活躍し、1957年(昭和32年)にフリーとなった。テレビ出演も多く、特に1966年(昭和41年)のTBS『ウルトラQ』での一の谷博士役が有名(ウィキペディア『江川宇禮雄』参照)。

*10:丹波哲郎天知茂宇津井健高島忠夫、三ツ矢歌子、大空真弓池内淳子菅原文太らと新東宝を支えたスターの一人だったが、彼らが新東宝倒産後も他の映画やテレビドラマで成功したのに比べると、沼田は彼らほどの成功を得ることはなかった。丹波哲郎は生前「沼田はいい俳優だったが、酒癖が悪くてキャリアをフイにした」という趣旨のコメントを残している(『大俳優丹波哲郎ワイズ出版)。晩年は映像よりも民話の語り部としての方が知られており、この業績によって俳優時代には得られなかった栄冠(文化庁芸術祭優秀賞)に輝いた(ウィキペディア沼田曜一』参照)。

*11:第2次大隈、寺内、原、高橋内閣海軍大臣、首相など歴任

*12:連合艦隊司令長官、海軍軍令部長など歴任

*13:日露戦争でのエピソードから、郷里に広瀬神社が作られるなど、戦前は「軍神」として神格化された。

*14:日露戦争当時は第3軍参謀長、旅順要塞司令官。

*15:乃木希典日露戦争当時は第3軍司令官)の次男。日露戦争で戦死。

*16:日露戦争当時は第二艦隊参謀長。その後、海軍軍令部次長、佐世保鎮守府長官、第1艦隊長官、横須賀鎮守府長官などを歴任

*17:第1次伊藤内閣外相、黒田内閣農商務相、第2次伊藤内閣内務相、第3次伊藤内閣蔵相など歴任

*18:第2次山県、第4次伊藤、第1次桂内閣海軍大臣、首相を歴任

*19:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任

*20:伊集院信管の開発者。この信管は明治38年(1905年)の日本海海戦日露戦争中)で、その威力を発揮し、連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破する大きな要因となったとされる。そのため伊集院は、「日本海海戦勝利の影の功労者」と言われている。第一艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任した。第一艦隊司令長官時代に行った猛訓練は「月月火水木金金」といわれ、後に同名の軍歌が作られるに至った(ウィキペディア『伊集院五郎』参照)。

*21:1960年に新東宝社長を辞任した大蔵貢が1962年に設立した映画会社(なお、新東宝は1961年に倒産)。

*22:コメント欄で指摘がありますが花柳氏は放送大を卒業しています。

*23:シンガーソングライター、ギタリスト。1983年に革新自由連合(革自連)から参院選に出馬したが落選している。

*24:著書『「話の特集」と仲間たち』(2005年、新潮社)など

*25:著書『子役の時間』(1983年、文春文庫)、『国会という所』(1986年、岩波新書)、『蝶々にエノケン:私が出会った巨星たち』(2011年、講談社)、『芸能人の帽子:アナログTV時代のタレントと芸能記事』(2014年、講談社)、『活動報告:80年代タレント議員から162万人へ』(2017年、講談社)など

*26:著書『激論・社民連VS革自連:80年代に政治の変革と復権は可能か』(菅直人氏との共著、1979年、ちはら書房)、『落選・130,504票:ばばこういち全国縦断参院選レポート』(1980年、あすか書房) など

*27:話の特集」を読んでないのでその当たりよく知らないですが。

*28:ウィキペディア花柳幻舟」には「1977年、 矢崎泰久中山千夏ばばこういちを中心にして結成された革新自由連合に企画委員として参加」と書かれています。

*29:何がどう「不毛」なのかさっぱりわかりません。まあ「皇室批判は政治的に間違ってる」ではなく「芸術的に不毛」と表現してるのも意味不明ですが。「そんな政治活動は芸術にとってプラスにならない」とでも?。ただ別に政治活動って「芸術活動の向上」のためにするわけじゃないですからね。そして三浦は「三島由紀夫黛敏郎らの右翼活動は芸術的に不毛」という発言には「自分の花柳氏への悪口」は棚上げして怒り出すんでしょうね。

*30:といっても三浦にとっての「左翼」ですが。

*31:著書『ミケルアンヂェロ』(岩波新書)、『明治維新史研究』(岩波文庫)、『都市の論理』(講談社文庫)など

*32:三浦の言う三流左翼が誰を意味するか知りませんが、三流右翼(三浦)がよくも言ったもんです。

*33:むしろ能狂言なんて「正統中の正統」でしょう。

*34:俺個人は「あの世」なんかないと思いますが、仮にあったとしても「何でも希望が叶う桃源郷」でもないでしょう。

今日の産経ニュース(1/14、15分)(追記あり)

■【主張】アセアン世論調査 日本への期待を追い風に
https://www.sankei.com/column/news/190115/clm1901150002-n1.html

 平和や繁栄に貢献する国として、国際社会で日本が最も期待されていることが分かった。
 シンガポールの東南アジア研究所が東南アジア諸国連合ASEAN)加盟10カ国*1の識者に行った意識調査の結果だ。

 のっけから「え、国民世論調査じゃねえの?」「その識者ってのは誰がどんな基準で選んだの?」「その識者って具体的に誰?」ですね。
 たとえば「日本を例にすれば」日本の識者として「安倍に近い北岡伸一*2(東大名誉教授)など」「安倍に批判的な山口二郎*3(法政大学教授)など」、誰を選ぶか調査結果は大きく変わるでしょう。
 この研究所が「国家基本問題研究所のような研究所とは名ばかりのウヨ団体」か、「それなりにまともな研究機関」なのかによっても話は違う。
 信用できるかが非常に怪しい気がします。

 各国政府の現実的な対中アプローチは意識調査とは別物だろうが、今回の結果をひとまず歓迎したい。
 国際平和や安全保障、繁栄などに関し「正しい行動をとる」と信じている主要国・地域として、日本が65・9%から支持を受けて最も高かった。欧州連合(EU)41・3%、中国19・6%だった。

 「ホンマかいな?」です。フィリピン、ベトナムとの間に領土問題をかかえる中国はともかく、「日本がEUより高い」て「なぜそう考えるのか」理由でも聞かされないととても信用できませんね。

 興味深いのは日本を信頼している国別度合いだ。中国傾斜が顕著なカンボジアで80%を超えた。

 そもそもこの調査結果が信用できるかどうかも怪しいですが、それはさておき(そもそも中国とつきあうかと「日本を信頼するか」とは別問題ですが、たぶん「カンボジアでも日本への好意的評価が中国より高かった」を産経的に表現するとこうなるのだろうと好意的に理解しておきます)。
 仮にこの調査結果を信用するにしてもつまりは「おつきあいするかどうか」と「信用するかどうか」は「外交関係においては関係がない」という話です。
 人間関係ならある程度「あんなやつとは付き合わない」が通用する(もちろん地域の住民や会社の上司・同僚・部下ではなかなかそうもいきませんが。「あんなんと付き合いたくないから引っ越す、会社を移る」なんてのはそう簡単にはできません)。国家関係ではまずそんなことは無理です。
 東南アジア諸国にとって「中国と付き合わない」なんて選択肢はあり得ないわけです。


■「領土・主権展示館」の移転が宙に浮く 財務省「待った」に危機感
https://special.sankei.com/f/politics/article/20190114/0001.html

・昨年1月25日に開館した。
・平成30年の来館者は延べ約7500人。開館時間は平日午前10時から午後6時。

 つうことは、開館日数は平日のみなので土日(毎月約8日)、祝日、年末年始を除外して
 「1月=5日」「2月=19日」「3月=21日」「4月=20日」「5月=21日」「6月=22日」「7月=21日」「8月=23日」「9月=18日」「10月=22日」「11月=21日」「12月=18日」で年間「231日(1月平均で19〜20日開館)」。
 約7500人を231日で割ると1日平均で約32人。開館時間は「午前10時から午後6時(8時間)」なので単純に計算すると「1時間当たり約4人」つうことになります。まあこれが「果たして多いといえるのか(少なくね?。必要なの?)」つうところでしょうね。そもそも「何で土日祝日に開館しないの?(平日ではサラリーマンや学生がまず行けない)」つう疑問もある。
 まあ、それ以前にこの展示館、知名度は全然ないと思いますが(たぶん安倍のごり押しで作ったので大して宣伝もしてないのでしょう。下手に宣伝すると中国、韓国、ロシアとの対立を招きますしね)
 まあ、安倍政権だと「知名度は上げる(宣伝する*4)」「来館者を増やす(この際土日祝日に開館します)」「来館者数の問題じゃない、存在自体が大事」とか言うんでしょうけど。


■弁当店補助金詐取の女、元同僚への詐欺容疑でも送検
https://www.sankei.com/west/news/190114/wst1901140024-n1.html

 コンビニエンスストアがない大阪府千早赤阪村で、弁当店を開店した夫婦が村から補助金300万円をだまし取った詐欺事件

 「コンビニエンスストアがない」、だから「弁当店もない」、だから「補助金を出してでも弁当店ウエルカム」つうことでしょう。
 「田舎って本当にすごいんだなあ」ですね。
 それにしても「弁当店をやる気もないのにやるといってだました」つう話なんでしょうが、「そんな厄介なこと(申請書類上は一応つじつまはあわせていたんでしょう)するくらいならまともに働けばいいのに」つう気はします。


■高崎の一家3人殺害事件から21年  解決へ「全力」
https://www.sankei.com/affairs/news/190114/afr1901140012-n1.html
 犯人の目星がまったく分からないのならまだしも「容疑者が全国指名手配されてる」のに21年たっても逮捕できないのもすごい話です。
 「国外逃亡したのか」「はたまた死亡(自殺か病死か事故死か他殺かはともかく)して遺体が見つからないだけか」とすら思いますね。
 正直こうなると「口に出すのは事実上タブー」とはいえ警察もご遺族も「三人も殺害すれば死刑の可能性が高く、当然ながら『死刑になるのなら自殺したほうがましだ』とどこかで自殺して遺体が発見されない*5だけかもしれない」とは覚悟してるでしょうね。
 ただそれはご遺族が「自殺した可能性もあるし、もはや解決はあまり期待していません」などと口に出さない限り、警察の立場では言えないことですが。


■「お好み焼き」千房、イスラム教徒向け豚肉使わず
https://www.sankei.com/west/news/190114/wst1901140018-n1.html
 イスラムの客などどれほど来るのか疑問ですが、面白い動きとして紹介しておきます。


■【梅原猛さん*6死去】歴史観を根底から覆した「知の巨人」
https://www.sankei.com/west/news/190114/wst1901140004-n1.html
 予想の範囲内ですが梅原死去についての記述ではやはり「九条の会呼びかけ人*7」であることは全く触れられていません。
 梅原を「保守派文化人」として褒め称えるにおいて産経にとって都合の悪いことはネグったわけです。
 一方、赤旗や朝日、毎日は

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2019-01-16/2019011601_06_0.html
 戦中派の最後の世代と口にしていたように20代での死を覚悟し、特攻隊にも志願しました。人間を不幸にする戦争体験が物事の本質を問う哲学の道を歩むきっかけになり、戦後一貫した「平和憲法を守れ」の姿勢につながりました
▼「九条の会」を呼びかけた一人として、人類が生き延びるための理想を守るために声をあげ続けました。日本ペンクラブの会長として理念なき教育基本法の改悪を「あまりにも知性と品格を欠いている」と真っ向から批判したことも

https://www.asahi.com/articles/ASL727GYLL72PTFC01D.html
イラク戦争自衛隊の海外派遣の反対、平和憲法擁護なども訴えた。
・2004年には「九条の会」呼びかけ人となり、11年には東日本大震災復興構想会議*8の特別顧問となった。

https://mainichi.jp/articles/20190114/k00/00m/040/029000c
 「美しい国」を掲げた安倍晋三*9首相に対しては「確かに日本は美しい。しかし美しい日本人とは? 東条英機*10ですか? 小泉純一郎*11? そうではない。菅原道真*12であり、世阿弥*13であり、千利休*14だ。彼らはみな権力に抹殺された」。
 2004年には「九条の会」設立呼びかけ人の一人にも名を連ねた。

として梅原の「九条の会との関わり」について触れています。

参考
赤旗『「九条の会」 ビデオに、梅原猛さんがメッセージ』
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-06/02_02_0.html
■澤藤統一郎の憲法日記『梅原猛も「平和憲法擁護」論者である』
http://article9.jp/wordpress/?p=402

*1:インドネシアシンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイベトナムミャンマーラオスカンボジア

*2:著書『後藤新平』(1988年、中公新書)、『清沢洌』(2004年、中公新書)、『国連の政治力学』(2007年、中公新書)、『独立自尊福沢諭吉明治維新』(2018年、ちくま学芸文庫)など

*3:著書『若者のための政治マニュアル』(2008年、講談社現代新書)、『政治のしくみがわかる本』(2009年、岩波ジュニア新書)、『ポピュリズムへの反撃』(2010年、角川oneテーマ21)、『政権交代とは何だったのか』(2012年、岩波新書)、『いまを生きるための政治学』(2013年、岩波現代全書)、『徹底討論 日本の政治を変える』(共著、2015年、岩波現代全書)など

*4:いやーでも下手に宣伝すると外交的にまずいのでやはり宣伝しないのかな?

*5:あるいは遺体は発見されたが身元不明で処理された。

*6:京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。著書『人類哲学序説』(岩波新書)、『古事記(増補新版)』、『縄文の神秘』(学研M文庫)、『仏教の思想(上)(下)』(角川文庫)、『空海の思想について』、『哲学する心』、『日本文化論』(講談社学術文庫)、『飛鳥とは何か』、『神々の流竄』、『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』、『文明への問い』(集英社文庫)、『最澄空海』、『法然の哀しみ(上)(下)』、『親鸞の告白』、『親鸞のこころ』(小学館文庫)、『森の思想が人類を救う』(小学館ライブラリー)、『隠された十字架:法隆寺論』、『水底の歌:柿本人麿論 (上)(下)』、『黄泉の王:私見・高松塚』(新潮文庫)、『美と宗教の発見』(ちくま学芸文庫)、『地獄の思想:日本精神の一系譜』、『日本人の「あの世」観』(中公文庫)、『怨霊と縄文』(徳間文庫)、『梅原猛の「歎異抄」入門』(PHP新書)、『戦争と仏教』(文春文庫)など

*7:梅原の他には井上ひさし(作家、故人)、大江健三郎(作家)、奥平康弘(東大名誉教授(憲法学者)、故人)、小田実(作家、故人)、加藤周一(評論家、故人)、澤地久枝(作家)、鶴見俊輔(哲学者、故人)、三木睦子(三木元首相夫人、市民運動家、故人)

*8:菅内閣が設置した審議会。現在は復興推進委員会に発展的解消している。

*9:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*10:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、東京裁判で死刑判決。後に靖国神社昭和殉難者として合祀

*11:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*12:宇多天皇に重用されて、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した

*13:将軍・足利義満、義持に重用されたが、足利義教の代になると、音阿弥が重用されるようになる。一方、仙洞御所への出入り禁止(1429年)、醍醐清滝宮の楽頭職罷免(1430年)、世阿弥佐渡流刑(1434年)など、世阿弥は従来の地位を奪われた。

*14:豊臣秀吉によって切腹させられるがそうなった理由についてはよく分かっていない。