今日のしんぶん赤旗(2014.5/10分)(追記あり)

改憲手続き法改定案 根本的な欠陥がある、衆院本会議で採決強行、笠井氏が反対討論
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-05-10/2014051002_02_1.html
参院で何とか阻止して欲しいところではあります。もちろん不幸にして改悪されても*1「手続き法違憲訴訟」とか戦いはこれからも続くわけですが。
しかし「マスゴミがまともにこうした問題を報じないこと」「民主党がこの問題で自民と対立する立場にないこと」「共産以外国会内にまともな批判勢力がないこと」には絶句しますね。
安倍政権時にどれほど日本の民主主義が劣化させられるのかと思うと怒りと悲しみを禁じ得ません。もちろん「いずれ安倍政権は終わる」わけですがそれまでにどれほど日本の民主主義を擁護できているのか、安倍によって破壊された、傷つけられた日本の民主主義をどれほど正常化できるのかを考えると暗澹とせざるを得ません。
 日本の民主主義が「人権擁護」や「民主的手続き」の点でろくでもない代物であったということを白日の下にさらしたと言う意味で、つまり反面教師という意味では「安倍にも意味がある」かもしれませんがね。


■「侵略美化の教科書採択させる狙いだ」宮本議員、教委改悪法案を告発、衆院文科委
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-05-10/2014051001_08_1.html
 この問題についても「マスゴミがまともにこうした問題を報じないこと」「民主党がこの問題で自民と対立する立場にないこと」「共産以外国会内にまともな批判勢力がないこと」には絶句しますね。
 これまた何とか法改悪を阻止したいところではあります。もちろん不幸にして改悪されても「改悪法違憲訴訟」「改悪法の下でも首長の暴走を出来る限り阻止する各地自治体での戦い」とか戦いはこれからも続くわけですが。


【2014年6/14追記】
■『教育委改悪法が成立、田村議員批判 「愛国心」押しつける、参院本会議』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-06-14/2014061404_01_1.html
■『教育委員会改悪の狙い許さない国民の共同を、山下書記局長が談話』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-06-15/2014061501_03_1.html
でわかるとおり法改悪は残念ながら実行されました。
今後は
1)短期的には法改悪の元での戦い(首長の暴走阻止。改悪法も少なくとも建前では首長の暴走を認めてるわけではありません)
2)長期的には法改正を目指す
ということになります。

*1:追記:■『改憲手続き 教育委 農業破壊 秘密会設置、国会最終盤 悪法次々可決・成立』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-06-14/2014061401_03_1.html)でわかるように改悪は実行されました

今日のMSN産経ニュース(5/10分)(追記・訂正あり)

■【産経抄】5月10日
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140510/chn14051005050003-n1.htm

「多数の死者」としたのは、当局が報道管制を敷いたため、今なお「数百人〜数万人」まで諸説飛び交っているからである。

 ブクマもつけましたが「南京事件の被害者数が正確につかめない理由」も「当時の日本軍が報道管制を敷いたため」なんですけどね。まあ、天安門事件南京事件に限らずホロコーストだってスターリン粛清だって何だって犯罪行為(?)をやる方がきちんと「何人死なせたか」など、証拠を残すとは限らないし、ましてや犯行実行者が「被害者や第三者の調査を認めるわけもない」んだから被害者数の正確な数字が出ないことは一概に非難されることではありません。
 いずれにせよ「諸説あるから南京事件はなかったんじゃないか」などとふざけたことを産経が抜かすのなら、同じ理由で「諸説あるから天安門事件で死者など全然出なかったんじゃなかった」と言えるわけです(なお、さすがに中国政府ですら「反革命動乱の鎮圧で不可避の犠牲」と言い訳しながらですが、死者ゼロとは言ってません)。
 つうか「中国政府の天安門事件死者発表(数百人?)」を「政府発表だから信用できない」といいながら、「当時の日本軍のプロパガンダ宣伝」を「見よ、この明るい南京を、これで虐殺があったのだろうか」とか言えちゃう産経もたいしたタマです。ご都合主義、矛盾の極みだろ。
 なお、俺個人は「天安門事件に全く詳しくはない」ですが「数万人」てのは明らかに反中国派のガセだと思いますね。とかいうとMukkeさん当たりが「お前ドンだけ中国に甘いんだ」と「ダライやペマに甘い自分を棚上げして」怒り出しそうですが「数百人から数万人」って明らかに幅ありすぎだろ。数万人ってのはアンチ中国側が思い切り水増しした怪しい数字と見るべきでしょう。おそらく「数百と数万の真ん中当たり(千人〜数千人程度)」とでも見れば無難なんじゃないか。
 ま、もちろん「水増ししようとすまい」とそのことと「天安門事件をどう見るか」は直結しません(そもそも中国政府も認めるように軍の投入で死者自体はでてますのでね)。が「数万云々ってデマは汚いよ、中国に謝れ」とだけ言っておきましょう。

【2014年5/21追記】

参考
http://www.21ccs.jp/china_watching/NewspaperCritique_TAKAI/Newspaper_critique_14.html
ノーベル平和賞をめぐる不毛な対立』(高井潔司*1
 私は毎年、マスメディアの報道のあり方を考えるために、事件から4年目の1993年に放送されたNHKのクローズアップ現代天安門事件 空白の3時間に迫る」を授業で学生たちに見せている。広場撤退時に多数の死者を出したとの報道の誤りを検証する番組である。
 この番組は、劉氏に誘われ、劉氏と一緒に当日広場に座り込んだ台湾のシンガーソングライター、侯徳健氏の証言と、学生たちの広場撤退のシーンまで広場で取材していたスペイン国営放送のビデオテープで、“大虐殺”があったと報道された最終局面を再現している。この中で、広場に学生たちが多数の銃器を隠し持っていた事実を知った劉氏が、全ての武器を回収するように学生たちに求め、学生たちの目の前で銃をたたき割る劉氏の姿が映し出される。これによって当局との決定的な武力衝突という事態は避けられ、その後、侯徳健氏と戒厳軍責任者との交渉、劉氏らの説得によって、広場からの平和的な撤退が実現した。
 広場から早々に逃げ、海外に出た学生リーダーたちは、広場撤退の際、戦車がテント内で寝ていた学生たちを踏みつぶすのを目撃した、数千人、一万人を超える死者を出したとのデマを流したが、それを否定する証言をしたのも、劉氏らである。
 実は広場では虐殺の事実がなかったとの劉氏の証言は、事件から約3か月後の89年9月19日付の人民日報に掲載されている。私はこのことを矢吹晋*2編著『天安門事件の真相』下巻(90年9月蒼蒼社刊)の矢吹氏のあとがきを読んで知った。同書は、いまから振り返ってみると、事件を巡る様々な資料、データを収集し、早々と事件の真相に迫った日本の中国学が誇るべき研究書の一つである。

ということで「数千人、数万人の死者」というのは明らかにデマのようです。せいぜい数百〜千人程度の死者のようですね。数百〜千人程度ならば死者が出ていいとは言いませんがデマ中傷はいけません。とか言うと「チベットに厳しい癖に中国に甘い」という人(例:Mukkeさん)もいるんでしょうが「いいんです!」(川平慈英風に)。
 「僕はそういうことは気にしないから藤村君」(大泉洋風に)

事件後、西側諸国は一斉に対中経済制裁を発動し、中国経済は危機に陥った。それを救ったのが、日本である。事件の翌年、海部政権は早くも円借款の凍結解除を決めた。これをきっかけにして各国は次々と制裁を解除していった。
 ▼あのとき、日本が情けをかけていなければ、中国はどうなっていたか。一党独裁体制はとっくに崩れ去っただろう

 いやいやそううまくはいかなかったんじゃないですかね。つうか当時、既に日本企業も今ほどではないにせよ中国に進出していたのに、安直に打倒中国とか言える産経もたいしたタマです。
 かつ事情はどうあれ、「欧米各国も最終的には制裁解除した」んだから「経済は大事」と言う点では欧米も日本も大して変わらないわけです。

*1:著書『中国報道の読み方』(2002年、岩波アクティブ新書)など

*2:著書『文化大革命』(1989年、講談社現代新書)、『毛沢東周恩来』(1991年、講談社現代新書)、『中国人民解放軍』(1996年、講談社選書メチエ)、『「朱鎔基」・中国市場経済の行方』(2000年、小学館文庫)、『中国の権力システム:ポスト江沢民のパワーゲーム』(2000年、平凡社新書)、『トウ小平』(2003年、講談社学術文庫)など