「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/30分:高世仁の巻ほか)

裏目に出た安倍首相の「抱きつき外交」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「裏目に出た抱きつき外交」とはてっきり「私安倍とプーチン大統領の間には強い信頼関係がある」「その信頼を基に日露平和条約を締結したい」「二島先行返還を目指す」などと安倍政権が放言し「プーチン*1に必死にしがみついていた」日露外交のことかと思ったら日米外交だそうです。
 まあ日米外交も「トランプにすり寄っても結局報復関税発動される」など、ろくな成果はないと思いますが、「裏目に出た抱きつき外交」「外交失敗」が一番ぴったり来るのは「日露平和条約を締結したい」「二島先行返還を目指す」と放言していたのに「島を返してほしいなら米軍基地を置くなと確約しろ」とプーチン大統領やラブロフ*2外相にいわれて、何らまともに対応できず、今や「日露外交のことはなかったことにして一帯一路の日中外交などでごまかそう」としている日露外交かと思います。
 つうか、プーチン、ラブロフなどロシア政府高官が島を返すなんて「非公式はともかく」少なくとも公式には一言もいってないのに、なんであんな無茶苦茶な放言が出来るのかと呆れます。それでもろくに「安倍の対ロシア外交」を批判しないマスコミやそれでも安倍を支持する気らしい支持者にも呆れますが。
 何もロシア外交失敗の問題は「ロシア外交限定、あるいは外交限定の問題」じゃない。北方領土問題で「二島先行返還」「平和条約締結」とあんな無責任な放言するような人間・安倍に「外交に限らず国内政治だって」まともな政治能力や責任感があるわけないでしょう。良くあんな人間に政治を任せようと支持者は思えるもんです。
 一方「成功した(?)抱きつき外交」といえば「昨年5月に訪日した李克強*3首相の北海道行きに同行」して李首相に抱きつき、大歓迎した日中外交でしょう。最近も二階幹事長、石井国交相、河野外相、世耕経産相、吉川農水相など政府、与党幹部が訪中しましたが。
 まあ、歴代政権同様、最初から好意的態度なら抱きつく必要もなかったのですが、当初は反中国、敵対的態度であったが故に李首相に抱きつく羽目になるわけです。そういう意味では「マイナスをなんとかプラスにした」様な話で「いつまでも敵対していい」とは言いませんが、中国側に「我が国(中国)相手に抱きつき外交を今頃始めるとは、安倍はどうしようもないバカだな。それなら最初からけんかを売らなければいいのに」と完全に足下見られてるんじゃないか。


法(憲法)の支配、法(憲法)に支配された国政が自由民主主義国の原則である | 新・大森勝久評論集

・2018年10月26日北京を訪問して独裁侵略者*4習近平*5と日中首脳会談を行った安倍氏は、安全保障分野や経済分野等での「日中協調の新時代」を表明して、習近平と一致したのである。安倍氏は中国の世界戦略の「一帯一路」への協力参加(第3国での日中企業によるインフラ整備など)や、10倍規模での「通貨交換協定再開」でも合意した。また安倍氏は独裁侵略者*6プーチンを「ウラジミール」とファーストネームで呼び「互いに友情と信頼関係がある」と繰り返し述べている。安倍氏は昨年11月4日のシンガポールでの日ロ首脳会談では、プーチンが提案してきた1956年の「日ソ共同宣言」に基づいて平和条約締結交渉を行うことを受け入れた。
 2月7日「北方領土の日」、東京都千代田区国立劇場内閣府と元島民の団体などでつくる実行委員会の主催で、「北方領土返還要求全国大会」が開かれた。安倍首相が出席して政府方針について、「領土問題を解決して平和条約を締結する」と述べたのであった。昨年までは首相は「北方領土の帰属問題を解決して平和条約を締結する」と述べていた。違いは明白だ。会場の横断幕にも昨年まであった「4島返還」の文字はなかった。北海道根室市でも元島民約800人が参加して集会が開かれたが、昨年までなされていた「島を返せ!」のシュプレヒコールが叫ばれることはなかった(2月8日付読売新聞)。
 これは政府を批判できず、従順に政府に従ってしまう日本国民の無残な姿を示したものである。10月26日の日中首脳会談についても、安倍首相を批判する国民の声は無いに等しい状況であった。本来であれば、反日売国奴の安倍首相を非難する国民の大きな抗議行動が展開されて当然なのだ。
 わが国の深刻すぎる問題は、最高権力者の内閣総理大臣安倍氏が親中・親露の反日思想の持ち主であることと、しかしながら保守派をはじめとする国民が、そのような安倍氏を全くと言ってよいほど批判・糾弾できないことである。
・保守派の大部分は安倍首相(反日左翼なのに!)に完全に骨抜きにされてしまい、「安倍応援団・安倍翼賛会」に堕してしまっている。彼らにとっては安倍首相批判はタブーである。
プーチンは2008年に当時のグルジア(現ジョージア)を軍事侵略し、2014年3月にはウクライナを軍事侵略してクリミア半島を強奪した独裁侵略者である。プーチンは日本の固有領土の「北方4島」について、「ロシア(ソ連)が戦争によって獲得した島々であり、ロシアの領土だ」と国際法を否定する主張を堂々と述べる侵略者だ。プーチン習近平と共同して2018年9月に、対北海道侵略占領*7の合同軍事演習「ボストーク2018」(ロシア軍30万人、中国軍3200人参加)を実施した。このようなプーチンを「ウラジミール」と呼び、「互いに友情と信頼関係がある」と公言する安倍氏は、ロシアのグルジアウクライナへの侵略を容認し、ロシアの北海道侵略を誘致*8しようとしている「反日売国奴」であるのは明白ではないか。

 「安倍は中国とロシアの犬だ、反日左翼だ」つう大森氏は「当人は主観的には真面目であっても」完全に陰謀論、デマです。
 しかし「反中国、反ロシア」の立場のウヨにとって「安倍のロシアや中国への接近」は大森氏同様「安倍首相は何を考えてるんだ!」と非難しなければ筋は通りません。「反中国、反ロシア」の立場に立つなら「大森氏の陰謀論は認められない」ものの、「大森氏の安倍批判」それ自体は正論になるはずです(もちろん「領土問題が解決しないままやらずぼったくりになるリスクがあるロシア外交」「安倍の当初の発言(平和条約締結、二島先行返還)が明らかに食言であったことが露呈しつつあるロシア外交」はともかく「反中国の立場に立たないなら」、安倍の中国外交を批判する理由はないですが)。
 ところが「反中国、反ロシア」の立場のはずのウヨ(島田洋一櫻井よしこなど)が安倍を容認するのだから全くデタラメです。「反中国、反ロシアの立場に立つ」右翼・大森氏が「日本ウヨのほとんどは安倍自民の奴隷か!」「民主党政権が同じ事をやったら非難するんじゃないのか!」と憤激するのもある意味当然でしょう。

 安倍氏は「憲法学者自衛隊を合憲だと言い切る者は2割しかいないから、自衛隊憲法9条に書き込むことによって、自衛隊違憲論争に終止符を打つ」と述べてきた。

 もちろんこうした安倍の主張は虚言です。安倍がやりたいことは「集団的自衛権の合憲化」でありそれは「自衛隊の合憲化」とは全く違います。
 それはともかく、安倍に対し「芦田*9元首相が主張したいわゆる芦田修正論に立てば現行憲法でも集団的自衛権行使を合憲と言える。芦田修正論を採用しなかったことが間違っていた。芦田修正論を採用すれば改憲の必要などない。国内外の反日左翼(国内は立憲民主党、国民民主党共産党社民党公明党*10など、国外は中国、韓国など)の反発をおそれて、そう言わない安倍は腰抜けだ。安倍のそうした言動を許す櫻井よしこ島田洋一らも腰抜けだ」と言い出す大森氏です(芦田修正論の解釈はややこしく俺も良く理解してないので説明は省略します)。
 まあ確かに芦田修正論の立場に立てばそうでしょう。しかし歴代自民党政権はそんな立場には立ってない。むしろ芦田修正論を否定してきたわけです。
 そこで「今まで芦田修正論を自民党は否定してきましたが、アレはなしにします。芦田修正論が実は正しい。だから改憲しなくても集団的自衛権行使は出来るのです」なんて無茶苦茶なちゃぶ台返しは安倍ですら出来るわけがないでしょう。
 そんなことをやれという大森氏がおかしい。

・菅長官は3月19日の記者会見で次のように述べたのだ。「天皇陛下は『譲位』ということを言ってこられましたが、『退位礼正殿の儀』での『お言葉』では皇室典範特例法の規定によって皇位を退く旨を述べられて、皇位を譲る『譲位』の文言はお避けにならなければなりません」と。
・読売新聞は安倍・菅両氏が言うがままに、次のように書いていた。「儀式の概要で特徴的なのは、『退位礼正殿の儀』(4月30日午後5時から)と『剣璽等承継の儀』(5月1日午前10時半から)を明確に分離した点だ。二つの儀式を一体化した場合、陛下が剣璽などを新天皇となる皇太子さまに直接譲るように映り、天皇の政治的権能を禁じた憲法〔4条1項〕に抵触する恐れがあった」(1月18日付)。

 うかつにも気づきませんでしたが、なるほど言われてみれば、そうかもしれません。
 なお、共産党は「剣璽等承継の儀」は神道色があることを理由に「政教分離原則に抵触する」としてそもそも行うべきでないとしています(例えば(再掲載)天皇の「代替わり」にともなう儀式に関する申し入れ│天皇制│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会参照)
 さて共産党の主張「剣璽等承継の儀政教分離原則に反するから行うべきでない」にせよ、安倍政権の主張「二つの儀式を一体化した場合、憲法4条に反するから分離する」にせよ主張の是非はともかく、天皇制廃止を主張しているわけではありません(安倍自民が天皇制廃止の立場でないことは言うまでもないでしょう。また、共産党が、共和制支持、身分制度反対の立場から天皇制廃止を主張していることは「剣璽等承継の儀・実施反対論」とは全く別の話です)。
 しかし「剣璽等承継の儀は当然実施すべきだし、退位礼正殿の儀と分離すべきでもない。そうすることは伝統廃止であり、結果的に天皇制否定につながる」「いや結果的に天皇制廃止につながるどころか、共産党の儀式実施反対論、安倍自民の儀式分離論は天皇制廃止を狙った主張だ」と言い出す大森氏です。
 まあ、共産党も安倍自民も「はあ?」でしょうね。 

参考

即位日の休日は賛成だが違憲の儀式の日の休日は反対/笠井政策委員長が表明
 日本共産党笠井亮政策委員長は30日、国会内の記者会見で、来年5月1日の新天皇即位の日と「即位礼正殿の儀」が行われる10月22日を休日とする法案に日本共産党は反対したと述べ、その理由は「天皇が退位し、新天皇が即位する。その日を休日にするのは賛成だが、違憲の儀式の日を休日にすることには反対ということだ」と説明しました。
 笠井氏は、「即位の礼」として来年5月1日に「剣璽(けんじ)等承継の儀」と「即位後朝見の儀」を、10月22日に「即位礼正殿の儀」などを行って「これらの儀式を国事行為である国の儀式にすることに反対だということだ」と説明しました。
 「これらの儀式は戦前の登極令を参考にしたものだと政府は答弁しているが、登極令は明治憲法下の天皇主権、国家神道の下での代替わりの儀式を定めたもので現行憲法が制定された時に廃止された。その登極令を踏襲したのは、日本国憲法に照らして重大な問題だ」と強調しました。
 笠井氏は、「現行憲法天皇主権を否定して国民主権の原則を確立し、天皇の地位を主権の存する国民の総意に基づくと規定した。登極令を踏襲した儀式が日本国憲法国民主権政教分離の原則に相いれないのは明らかで、このような儀式を行う日を休日とするのには同意できない」と語りました。

法案への党の態度表明/衆院内閣委で塩川議員/天皇即位休日法案を可決
 日本共産党塩川鉄也議員は30日、衆院内閣委員会で、天皇の「代替わり」にともなう儀式が行われる日を来年に限り休日とする法案について、天皇の即位する日を休日にすることには反対しないが、日本国憲法国民主権政教分離に反する一連の儀式を行う日を休日とすることには反対だと表明しました。

*1:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相などを経て大統領

*2:外務次官、国連大使などを経て外相

*3:共産主義青年団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*4:独裁はともかく「侵略」とは何のことなのか。「チベット侵略」とでも言うんでしょうか?。

*5:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*6:侵略とはクリミア併合のことでしょう。

*7:もちろん「ボストーク2018」をどう評価するにせよそれは北海道侵略が目的でないことは明らかです。

*8:北海道侵略云々は論外にしても「友人関係をアピールするとはクリミア併合を容認するのか」という安倍批判はあって当然の批判かと思います。

*9:幣原内閣厚生相、片山内閣副総理・外相などを経て首相

*10:公明党ですらそんな解釈は支持しないでしょう。

黒井文太郎に突っ込む(2019年4月30日分)

■ツイートに突っ込む

黒井文太郎*1
 当時のイランは欧州で反体制派イラン人の暗殺を山ほど行っていたので、手練れの工作班があった。イランの仕業というのはまず常識的なところ。
迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント【平成の怪事件簿】(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

 何のことかと言えば「1991年に発生し、2006年に時効が成立*2した悪魔の詩訳者(五十嵐一*3筑波大学助教授)殺人事件(当時は殺人の時効が15年。後に20年に延長され、最終的に今は廃止された)」のことですが、「もしかして『イスラムを冒涜する小説・悪魔の唄に関わった者は著者サルマン・ラシュディだけでなく翻訳者や出版社も死刑に値する』云々としたホメイニの死刑宣告に影響された政治テロ?」なんてことは事件発生当初から噂されていました。しかし「結局迷宮入り(未解決のまま時効成立)で終わった」以上、事件発生直後ならまだしも、「事件発生(1991年)から28年もたった今」、まともな根拠があるのならともかく「もしかした政治テロじゃね?」なんて言っても無責任でしかありません。黒井といい週刊新潮といい本当に馬鹿ですね。
 当然ながら「悪魔の詩翻訳とは関係ない殺人の可能性」も否定できないわけですから。

参考

悪魔の詩訳者殺人事件(ウィキペディア参照)
 1991年7月12日、筑波大学助教授の五十嵐一が同大学筑波キャンパス人文・社会学系A棟7階のエレベーターホールで刺殺されているのが発見され、司法解剖の結果、前日に殺害されたものと断定された。また、現場からO型の血痕(五十嵐の血液型とは一致しないため、犯人のものとされた)や犯人が残したとみられる靴の足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。
 五十嵐は1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を邦訳している。1989年2月にイランの最高指導者ホメイニは同書が反イスラーム的であるとして、ラシュディや発行に関わった者などに対する死刑を宣告するファトワーを発令していたため、事件直後からイラン政府との関係が取り沙汰されていた。
 15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し未解決事件となった。

*1:著書『イスラムのテロリスト』(2001年、講談社プラスアルファ新書)、『北朝鮮に備える軍事学』(2006年、講談社プラスアルファ新書)、『日本の情報機関』(2007年、講談社プラスアルファ新書)、『ビンラディン抹殺指令』(2011年、洋泉社新書y)、『イスラム国の正体』(2014年、ベスト新書)、『イスラム国「世界同時テロ」』(2016年、ベスト新書)など

*2:まあ、イラン工作員犯行説に立ち、イランに帰国したと考えれば「海外にいると時効が不成立(例:北朝鮮に逃亡したよど号グループ)」ですが、イラン工作員犯行説によほどの根拠がない限り、事件解決の可能性が低い代物をそうやって無理な解釈で時効不成立にしても仕方ないでしょう。

*3:著書『知の連鎖:イスラームギリシアの饗宴』(1983年、勁草書房)、『イスラームルネサンス』(1986年、勁草書房)、『東方の医と知:イブン・スィーナー研究』(1989年、講談社)、『イスラーム・ラディカリズム:私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』(1990年、法蔵館)など

今日の産経ニュース(2019年4月30日分)

ベネズエラでクーデターか グアイド氏が蜂起呼びかけ - 産経ニュース
 いかにマドロ*1政権が独裁的とは言えこれは「倫理的にも功利的にも」容認できる話ではないでしょう。
 アフガンやシリアのような内戦状態になって収拾がつかなくなる危険性があります。


【象徴 次代へ】継承のかたち(1) 新たな橋渡される旅 自然体のご交流「国民の中に」 - 産経ニュース

 昭和58年、皇太子さまが英国のオックスフォード大に留学される前、日本近代史が専門の元宮内庁参与、三谷太一郎氏*2(82)が留学準備の進講を行う機会があった。
 「どういう講義が望ましいでしょう」。
 三谷氏の問いに天皇陛下はこう話された。
 「なぜ日本は戦争に入っていったのか。そこをちゃんと講義してもらいたい」。
 三谷氏は、陛下の強いご意志を感じた。
 陛下はこのころ、記者会見の場でも、先の大戦について「浩宮(ひろのみや=皇太子さま)にとっては本当に過去の歴史」「やはり身近に感じないということがあると思います」と吐露されていた。

 ちゃんと講義したら「昭和天皇の戦争責任」に確実に触れることになるんですが、そんなことができたんですかね?
 そしていっそのことそれなら、「昭和天皇の戦争責任」をライフワークとする

山田朗氏(明治大学教授)
著書
昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版
大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社
昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房
昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)など

あたりでも講師に呼べばいいのに、つう気はします。


両陛下のご発言(上)国民と共に歩む皇室(1/6ページ) - 産経ニュース

陛下
「日本とフィリピンの関係は今まで必ずしも良いとはいえなかったが、最近非常に良くなったと聞いています。今度の訪問を機会に、両国の関係を、なおも良くできるなら幸いです」(37年11月、フィリピンご訪問を前に)

 いくら現天皇(当時は皇太子)の言葉とは言え産経も良くこんな言葉を平気で紹介できるもんだと呆れます。なんで「日本とフィリピンの関係は今まで必ずしも良いとはいえなかった」のか。それは「侵略したから」でしょう。この天皇発言は常日頃の産経主張「大東亜戦争(太平洋戦争)はアジア解放の戦争」に反するのですが。

陛下
「明治以降、(皇室が)政治に関わりを持たれたこともあったが、本来は政治から中立的で、それらを越えたものであり、今後もそうあらねばならないと思っています」(47年12月、誕生日を前にされて)

 「関わりを持った」つうよりは「最高権力者」ですね。そして「明治以前も建前は最高権力者」です。単に「公家や武家によって実権を奪われていた」にすぎないわけです。だからこそ「天皇が政治の実権を取り戻す運動」として明治維新が起こったわけです(実際には天皇を口実にした薩長の『倒幕=軍事クーデター』に過ぎないんじゃないかつう話は起きます。建前は「天皇が政治の実権を取り戻す運動」のわけです)。
 「政治から中立になった」のは戦後、「象徴になったから」です。まあ、彼としてもいろいろ立場があるのでしょうが、ここでの発言のうち「元々中立だった」は客観的に見れば間違いです。もちろん「今後は中立であらねばならない」つうのは全く正論ですが。しかしこういう発言を「たとえ建前でもする彼」と平気で沖縄メッセージとかしちゃう父親とではその違いは明白でしょう。
 もちろん「皇室外交(例:天皇訪中)は政治的ではないのか」などといった批判はあり得ますが、少なくとも彼は昭和天皇ほど「天皇の政治的中立性」に無頓着ではありません。だから例の米長の発言はうまくかわす。下手なこと言うと、「天皇の政治的中立性」にもろに抵触するからです。澤藤統一郎氏などが批判する退位表明なんかは確かに「政治的にかなりデリケートです」がアレも内々に安倍に話をしていたのに、安倍が無視し続けるから、我慢の限界が来て、表明したらしいし「憲法に反する行為をする気はない」「体力の限界だ」つう趣旨の言い訳をしているのでそういう意味では「政治的中立性」に彼なりに気は遣ってるわけです。

陛下
「皇室の伝統を見ると、『武』ではなく、常に学問でした。軍服の天皇は少ないのです」(52年8月、軽井沢で)

 これまた「天皇は明治以前も建前は軍最高司令官」です(ある時点から公家や武家に実権を奪われて実質的に軍最高司令官とは呼べないでしょうが)。まあ、彼としてもいろいろ立場があるのでしょうが、ここでの発言のうち「皇室の伝統は武(軍事)ではなく文(文化・学芸)」は客観的に見れば間違いだと思います。「文武両道に秀でた存在=天皇」が一応の建前でしょう。ただし、「武家天皇から政治の実権を奪うこと」によって武家にとっては「天皇に軍事活動などされることは後醍醐天皇のような倒幕をされかねず迷惑」でしかなく、結果的に「武人としての性格」が天皇から薄れたにすぎないでしょう。
 もちろん今後「軍事権限」など天皇保有すべきでないのは当然ですが。なお、彼のハゼ研究が「単なるパフォーマンス」とは全く思いません。ただし「好きだからやってる」とのみ思うのもナイーブでしょう。
 明らかに

皇室の伝統を見ると、『武』ではなく、常に学問でした。軍服の天皇は少ないのです

という「皇室は伝統的に平和なんだ」つうアピールの思いも当然あるでしょう。


両陛下のご発言(下)貫かれた陛下の思い(6/6ページ) - 産経ニュース

皇后さま
先の大戦のしこりの残るオランダへの旅は、私にとり難しい旅でした。無事に訪問を終えることのできた今、この旅が陛下とオランダ女王陛下との間の40年近くにわたるご友情と、今回の訪問のため女王陛下が払ってくださったさまざまなご努力、そして双方の国の人々が、国家間で、個人間で、永年真剣に払ってきた努力の成果に、どれほど力強く支えられていたかをしみじみと思います」(12年10月、誕生日の文書ご回答)

 昭和天皇訪問時に昭和天皇に反感を持つ「元オランダ軍兵士と思われる人間」によって、お召し自動車に卵や魔法瓶が投げつけられたこと、現天皇夫妻訪問時に「魔法瓶投げつけ事件の再現」を恐れる外務省がオランダ政府と事前調整を密にしたらしいことを知っていると重みのある皇后の言葉ではあります。

皇后さま
「小泉総理の北朝鮮訪問により、一連の拉致事件に関し、初めて真相の一部が報道され、驚きと悲しみとともに、無念さを覚えます。なぜ私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることができなかったかとの思いを消すことができません」(14年10月、誕生日の文書ご回答)

 前も書きましたけどそんなもんは意識できませんよ。外形上「通常の失踪者」でしかないですからね。つうか「坂本弁護士一家とか後に犯罪被害者だと分かった失踪者は他も居るのに何でそこまで拉致被害者にこだわるの?」感がありますね。まあ悪意はないのでしょうが、救う会や家族会に政治的に悪用されるだけかと思いますので違和感を感じますね。

陛下
「沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(15年12月、誕生日ご会見)

 つまりは「島津・薩摩藩琉球(沖縄)統治は酷かった」と事実上認めてるわけで興味深いですね。まあ確かにそれは一般的認識ですが。

 陛下
「強制になるということでないことが望ましいですね」(16年10月、秋の園遊会棋士で東京都教育委員会委員だった米長邦雄さんが「日本中の学校に国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事です」と述べたのに対し)

 紹介しないわけにも行かないのでしょうが、産経もよくもまあ紹介できるもんです。内心では天皇が米長への支持表明などせずに、話をかわしたことに腹を立ててるでしょうに。

陛下
「(大震災で)貴国の軍人が参加した『トモダチ作戦』をはじめ、多くの人々が行った支援活動は物のない厳しい環境にあった被災者にとり、大きな支えとなりました」(26年4月、米国のオバマ大統領を迎えられた宮中晩餐会

 まあどうしても彼が立場上「政治から離れられないこと」を示してるかと思います。トモダチ作戦については

検証 米軍「トモダチ作戦」/最大2万人動員 司令部一体化/同盟「深化」、普天間基地「移設」の“追い風”に
 日米両政府は米軍による東日本大震災支援の「トモダチ作戦」を利用して、日米同盟「深化」や沖縄・米軍普天間基地「移設」を推進しようとしています。

という批判があることを考えれば彼は「トモダチ作戦」という具体名を出すべきではなかったでしょう。ただ彼の立場上「政府の意向を無視するわけにも行かない」つう面もあるわけです。


日本海呼称、韓国が「東海」セミナーの資料提出 日本は反論 - 産経ニュース
 正直「併記でええやん」としか思いませんね。また、仮に「単独表記主張」が正しいにしても「慰安婦問題での安倍政権のデマ主張」によって韓国の対日感情も、日本に対する国際的評価もがた落ちしています。そして「国際的評価はひとまず置くにしても」、慰安婦以外にも「竹島」「徴用工」「レーダー照射問題」「食品禁輸問題を巡る争い」などで韓国側の対日感情は最悪です。仮に正論だとしても、うかつに「単独記載ガー」をやらかしても相手の反感を買うだけなのですが、残念ながら、そういう配慮は安倍にはないでしょうね。「安倍*3が首相でなければ」と思わずには居られません。石破*4元幹事長でも石原*5元幹事長でも岸田*6政調会長でも他の誰でもおそらく安倍よりはマシでしょう。


陛下、海外36カ国で親善増進 日本人移住者や子孫たちをねぎらわれ - 産経ニュース

 天皇の外国ご訪問は、相手国の招待に基づき政府が決める。天皇陛下は即位後、平成3年のタイ、マレーシア、インドネシアの3カ国歴訪から、29年のベトナム、タイ訪問まで、20回にわたって計36カ国に足を運ばれた。昭和天皇の外国訪問は戦後2回で、欧州と米国の計8カ国だった。即位後初のご訪問は、昭和天皇が訪れなかった東南アジアの3カ国。翌4年には歴代の天皇で初めて中国を訪問された。

 昭和天皇と現天皇の違いがすごくわかりやすいですね。昭和天皇の時代は「欧米しか行ってない」。昭和天皇にとって東南アジアや中国なんかどうでもよかったわけです。
 一方現天皇は「タイ、マレーシア、インドネシア」「中国」「ベトナム、タイ」に行くわけです。まあ、下手に「戦争の当事者」昭和天皇が中国や東南アジアなんか行くと、地元民の反日感情が爆発して何が起こるか分からないつう問題もあったでしょうが。その点「直接の当事者ではない現天皇」なら当たりも柔らかいわけです。

 欧州では先の大戦にまつわる反日感情が根強い国もあった。10年の英国では無名戦士の墓に、12年のオランダでは戦没者記念碑にご供花。

 「戦後、反日なのは中韓だけ」などと日頃、放言する産経ですがまさに「問うに落ちず語るに落ちています」。産経はここで「英国やオランダの元・対日戦争従軍兵士などの反日感情に配慮して戦没者の墓参」と言う趣旨のことをはっきり書いています。

【参考:東南アジア訪問時の天皇の挨拶:一部引用】

天皇皇后両陛下 東南アジア諸国ご訪問時のおことば - 宮内庁
 日本は,先の誠に不幸な戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう平和国家として生きることを決意し,この新たな決意の上に立って,戦後一貫して東南アジア諸国との新たな友好関係を築くよう努力してきました。

天皇皇后両陛下 シンガポール・タイご訪問(マレーシアお立ち寄り)時のおことば - 宮内庁
 私どもは,それに先立つ先の大戦に際し,貴国においても,尊い命を失い,様々な苦難を受けた人々のあったことを忘れることはできません。

天皇皇后両陛下 フィリピンご訪問時のおことば - 宮内庁
平成28年1月26日(火):フィリピンご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港
 フィリピンでは,先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き,この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
平成28年1月27日(水):フィリピン大統領閣下主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(大統領府)
 昨年私どもは,先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては,貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人が決して忘れてはならないことであり,この度の訪問においても,私どもはこのことを深く心に置き,旅の日々を過ごすつもりでいます。

 必要十分ではないにせよ、簡単にあの戦争について触れられていますがなぜかベトナム訪問では

天皇皇后両陛下 ベトナムご訪問時(タイお立ち寄り)のおことば - 宮内庁
 我が国の鎖国政策により,貴国と我が国の交流は途絶えましたが,20世紀初頭には,「東遊(ドンズー)運動*7」の下,約200名の貴国の青年たちが我が国に留学していたこともありました。
 1973年*8に日越両国の外交関係が樹立されてから既に40余年,その間,両国の交流はますます拡大し,現在我が国には,約18万人のベトナム人が留学生,技能実習生などとして滞在しています。その中には,将来我が国で看護師,介護福祉士として活躍することを目指して,病院や福祉施設で働きながら研修をしている約500名の人たちもあります。

として太平洋戦争についての言及がすっぽり抜けています。「何だ?(戦争加害を認めたくない安倍のせい?。それともベトナムだけ共産国だから?)」と首をひねるところです。なお、ベトナム戦争について触れてないのは予想の範囲内です。


【参考:オランダの反日感情

卓球/ 卓球の暴君からピンポン外交官へ | 黙々と-part4
 荻村*9の最初の国際関係への貢献は、オランダのユトレヒトで開催された1995年の世界選手権の時であった。第二次世界大戦の後、日本は国際的なイベントではいつもあざけりの的となっており、人種差別主義者たちにののしられていた。
 戦争が終わった後も、各国の国民感情はおさまってはおらず、ヨーロッパの日本大使館にしばしば卵がなげつけられたり、日の丸が引きちぎられたりしていた。1955年のオランダも同じ状況であった。しかし、荻村とチームメートが世界選手権で見せた「あるおこない」はこのような傷口を癒すのにはかりしれない貢献をした。
 『1955年のユトレヒトの世界選手権で、日本はハンガリーの選手を受け止め救ったのです。』と織部は言う。
 『打球が日本ベンチの奥深く飛んできて、ハンガリーの選手は打ち返そうと(前をむいたまま)後退したのですが、(フェンスにぶつかり)頭から落ちてきました。荻村と田中は2人ともベンチからダイビングして、落ちてくる選手の下に倒れ込んで、ハンガリー選手のクッションになりました。それまで会場のすべての観客が日本の敵となっていて、日本選手におおきなブーイングを浴びせていたのですが、その出来事の後は、体育館の雰囲気ががらりと変わりました。』
 『日本の選手団が帰朝したときに、時の総理大臣、鳩山一郎に報告に行きました。鳩山首相は選手団にこういいました。
「あなたたちは大変良い成績を収めてきた(田中が男子シングルスチャンピオンとなり、日本は男子団体のタイトルを獲得した)けれど、それはあなたたちが成し遂げたことのほんの一部にすぎないのです。あなたたちがユトレヒトでみせた行為で、ヨーロッパの人々と日本の関係がどれほど改善されたか、それはとてもいいようがないのですよ。」』
 その日以来、卵が投げつけられることや日の丸がやぶられることはほとんどなくなったのである。

http://zip2000.server-shared.com/ogimura.html
 彼は1954年、日本代表チームの主将としてロンドンに出発しました。
 イギリスは第ニ次世界大戦で日本から大きな被害を受けていたことから、反日感情が強く、試合会場でのブーイングや明らかな判定の不平等が目立ったといいます。
<世界選手権ユトレヒト大会1955年>
 オランダでのこの大会でも日本チームへのブーイングは続いていました。インドネシアなど南太平洋の植民地をオランダは日本軍に奪われ、多くの兵士が殺されただけにオランダ人の反日感情は激しいものがありました。ただし、この大会でひとつの事件が起き、それがその後の荻村の人生に大きな影響を与えることになりました。
 ハンガリー対日本の試合で、右手に障害をもつセペシという選手がボールを追って、日本チームのベンチに突っ込んでしまいます。その時、日本の選手たちは身をよけるのではなく、あえてセペシ選手の下敷きになり彼が怪我をしないように対応したのです。
 この場面でオランダ人の観客は日本チームの行為に大きな拍手を送り、翌日の新聞も大きく取り上げて、大きな話題となりました。この後、大会期間中の日本チームへのブーイングは明らかに減っていったといいます。帰国後にその事実を知った荻村は、後にこう記しています。
「”スポーツ外交”というか、”民間外交”の果たす役割が大きなものであること、自分たちもその役割をになっているのだということを、心にしみて感じたのはこのときです。卓球を続けることに、またもう一つの生きがいをおぼえたのでした」

【歴史を作った卓球レジェンド】Mr.TABLE TENNIS荻村伊智朗 #2ピンポン外交編 | 卓球メディア|Rallys(ラリーズ)
 荻村が、後に「ピンポン外交官」と呼ばれる程、卓球を通じた国際貢献をするようになったきっかけのエピソードがいくつかある。
 1つは、1955年のオランダ・ユトレヒトで行われた世界選手権の出来事である。日本選手団が外国人選手を助けるファインプレーをしたことがきっかけでオランダの対日感情が大きく改善されたのだった。
 戦前、日本はオランダが持っていたアジアの植民地を奪った為、戦後のオランダの対日感情はそれまで非常に悪かった。そのため、日本選手は試合中至る所でブーイングや嫌がらせにあってきた。
 ところが、大会中にハンガリーの選手が転倒する際に日本選手団がとっさにかばったことがきっかけで、日本選手団の評判が良くなり、対日感情も改善されたというのだ。
 そのハンガリーの選手は、小児まひがあり、かばい手が利かないため、頭から転倒すると大けがをしてしまう。そこで日本の選手がとっさに転倒をかばったことで、大けがをせずに済んだ。
 この出来事をきっかけに、急に現地メディアの論調が変わったのだと言う。日本大使館に対して連日ぶつけられていた投石や卵、ケチャップなどのブーイングが無くなった。当時の鳩山(ボーガス注:一郎)首相は試合の結果よりも対日感情が改善されたことを日本選手団に感謝した。
 ちょうど選手団の一員であった荻村は、この出来事をきっかけにスポーツを通して国同士の関係を良くする大きな可能性があることを知った。

https://www.asahi.com/special/heisei-inori/05/
 第2次大戦中に日本軍は、インドネシアで捕虜4万人と民間人9万人のオランダ系住民を強制収容所に抑留、多くの死者が出た。このためオランダでは反日感情が根強く残り、1971年の昭和天皇訪問の際には、車列に魔法瓶が投げつけられこともあった。
 2000年の訪問でも、両陛下が戦没者記念碑に花輪を捧げた2時間後、抑留被害者や元捕虜らが周辺で抗議のデモ行進をした。

昭和天皇の時代から交流 オランダ王室、皇室と縁深く(1/2ページ) - 産経ニュース
 第二次世界大戦での捕虜への対応をめぐり、戦後は一部のオランダ国民に厳しい対日感情があった。平成元年に行われた昭和天皇大喪の礼では、同国は王族の参列を見送り、ベアトリックス女王は陛下に「将来の両国の関係のためには、自分が参列しないほうがいい」とする旨を手紙で伝えたという。
 3年には女王が国賓として初来日し、その9年後には両陛下でのご訪問がようやく実現。
 両陛下は戦没者記念碑に供花し、静かに黙祷(もくとう)をささげ、女王夫妻主催の晩餐会では、陛下が「いまなお戦争の傷を負い続けている人々のあることに、深い心の痛みを覚えます」と、未来を見据えた率直な思いを語られた。
 現地メディアは好意を持って伝え、次第に国民の感情は和らいだとされる。宮内庁の渡辺允(まこと)*10侍従長は、オランダのある首相経験者から「両陛下の人柄が、オランダ人の恨みやよそよそしさを親愛の情に変えた」とする手紙を受け取ったことを著書で明かしている。

オランダ新国王も引き継いだ「日蘭」恩讐を越える道 | ハフポスト西川恵*11
 第2次世界大戦の緒戦、オランダ植民地だったインドネシアを占領した日本軍は、オランダの兵士と民間人13万人を強制収容所に入れ、食料不足や風土病で約2万2000人が死亡した。
 戦後、旧植民者たちの日本への恨みは両国のノドに刺さった骨となった。1971年、昭和天皇が非公式でオランダに立ち寄った際には激しいデモに見舞われ、投げられた魔法瓶で天皇の乗った車の窓ガラスが割れた。日本の首相が植樹するとすぐ切られることも続いた。
 ベアトリックス女王は日本との歴史問題の克服に努め、両陛下もこれに呼応する形で問題解決に意を注がれた。91年10月、国賓で来日した女王は晩餐会で厳しいスピーチを行った。抑留されたオランダの兵士や民間人の具体的数字を挙げ、「これは日本ではあまり知られていない歴史の1章です。多数の同胞が命を失い、帰国できた者も、その経験は生涯、傷跡となって残っています。私たちはあの戦争の記憶を避けて通るべきでないと思います」と述べられた。
 この時、女王は晩餐会に先立って両陛下にスピーチ内容を伝え、オランダ国内の反日感情を増幅しないためにも大戦中の出来事に言及しない訳にはいかない旨説明している。
 これより前の89年の昭和天皇大喪の礼の時、オランダは王族の出席を取り止めたが、この時も女王は、「両国関係のため自分が出席しない方が良いと判断した」と手紙で伝えられた。
 転機は2000年5月、天皇、皇后両陛下の国賓でのオランダ訪問だった。
 当時、駐蘭大使だった池田維氏は、「女王が両陛下の受け入れのため払われたご努力には頭が下がる思いでした」と語っている。
 その1つに、両陛下が戦没者記念慰霊塔に献花し、黙とうを捧げる際、脇に立ってあたりを払う随従役の指名があった。女王は人望厚い退役将軍を王宮に呼び、役目を引き受けてほしいと依頼した。この将軍のハウザー氏はインドネシアに生まれ、少年時代、日本軍の強制収容所で4年間を過ごした。一緒に収容されていた母親を栄養失調で亡くし、孤児となって帰国した。日本軍の強制収容所体験者の元将軍を随従役に据えることで、女王は並々ならぬ決意をもって両陛下を迎えることを国内に示し、反日世論を封じたのだった。
 この時、王宮の歓迎晩餐会での天皇陛下のお言葉は10分に及ぶ異例に長いものだった。
 天皇は江戸時代、開国後の交流に触れたあと、「両国が先の大戦において戦火を交えることとなったことは、誠に悲しむべきことでありました。この戦争によって、さまざまな形で多くの犠牲者が生じ、今なお戦争の傷を負い続けている人々のあることに、深い心の痛みを覚えます」、「戦争による心の痛みを持ちつつ、両国の将来に心を寄せておられる貴国の人々のあることを私どもはこれからも決して忘れることはありません」と述べられた。明らかに女王が来日時に触れた「帰国できた者も、その経験は生涯、傷跡となっています」の部分に呼応した内容だった。
 滞在中、両陛下はインドネシアの元オランダ植民者と面会し、オランダの元慰安婦問題に取り組むNGO関係者とも懇談された。先の池田氏は、「このご訪問でオランダの対日世論は劇的に改善し、両国関係は新たな段階に入りました」と語っている。

天皇陛下オランダ訪問実現の裏側 歴代大使の「対話」とは? (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)朝日新聞編集委員・北野隆一*12)※AERA2019年2月4日号より抜粋
 第2次世界大戦中に日本軍がオランダ領東インド(現インドネシア)でオランダ人を抑留した歴史をめぐって、元捕虜や抑留被害者らが日本に過去の事実を認め補償するよう求めていた。71年に昭和天皇が訪れた際には、車列に魔法瓶を投げつけられた。
 佐藤行雄さん*13(79)が大使として赴任したのは94年6月。将来、両陛下のオランダ訪問を実現するためにも「オランダの世論の一部にある反日感情をこのままにしておけない」と考え、対話を進めようと決めていた。
 赴任2カ月後の94年8月、佐藤さんは妻とともにハーグの戦没者記念碑に献花した。91年には海部俊樹*14首相が同じ碑に花を供え、池に投げ捨てられたことがあったばかり。
 関係者を刺激しないよう終戦の日から1日ずらし、16日に訪れた。
 日本政府に補償を求めている抑留被害者や元捕虜らの団体「対日道義的債務基金」(JES)のシュールド・ラプレ会長らを大使館に初めて招いて話を聞いたのは94年11月。団体側から「デモをしたい」と打診され、「公道なので、どうぞ」と承諾*15。月1回の日本大使館前でのデモと、その後の大使らとの対話が定例化するようになった。
 96年、次の大使に着任した池田維さん*16(79)も定期的に対話を続けた。大使館前でのデモが平穏に行われたときは、館内に代表を招き入れてお茶を出し、話を聞いた。
 東郷和彦さん*17(74)は99年に外務省欧亜局長に就任した際、上司から「両陛下のオランダ訪問は失敗できない」と言われた。「訪問中に(ボーガス注:昭和天皇訪問時に生卵や魔法瓶が投げつけられたような)不祥事を起こさないように。日本国内で右からも左からも批判されないように。オランダ政府も王室も気にかけている」との話だった。
 元オランダ首相のアンドレアス・ファン・アフトさん(87)は、訪問先を決める際の助言を求められ「市民とふれあう機会を多く設けるのがいい」と答えた。00年5月25日、両陛下が大学町のライデンを散策した際、学生らと語らう写真が翌日の新聞に掲載された。
 「私の助言は天皇陛下の人柄に期待してのことだった。陛下はそれに十二分にこたえてくださった」
 それでも、訪問が「和解ムード」一色だったわけではない。
 両陛下がオランダ入りした00年5月23日。アムステルダム中央駅からダム広場までの数百メートルの間、抑留被害者や元捕虜らが抗議のデモ行進をした。日本側を刺激しないようにと、オランダ政府や日本大使館と抑留者代表とが事前に話し、デモの時間を両陛下到着の2時間後にずらしていた。

元外交官が明かす天皇陛下海外訪問の意味——池田維・霞山会理事長に聞く | nippon.com
 オランダ大使や外務省アジア局長として天皇陛下の海外訪問に深く関わった池田維・霞山会理事長に「皇室外交」の舞台裏を聞いた。
■池田  
 オランダには5年勤務しました。そのうち、4年ほどは天皇訪蘭の準備を心掛けている時間でした。2000年はオランダと日本の交流400年に当たります。西暦1600年にオランダの帆船「リーフデ号」が大分県に漂着して以来です。オランダは江戸の鎖国時代にも長崎の出島で通商ができた欧州の唯一の国です。
 日蘭交流400周年を機に私は大使として3つのことを行いました。一つは対日抗議団体との交流です。法律的には、サンフランシスコ講和条約と日蘭議定書(「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する」日蘭議定書)で日本とオランダとの間の請求権の問題は解決しています。しかし、それでは道義的に認められないという人々が団体を作って毎月一度大使館の前でデモをし、プラカードを掲げて日本は賠償せよ、と要求していました。70歳以上の人が多く、デモは暴力的なものではありません。大使になってしばらくしてから、彼らのリーダ格の人たち数人にデモが静かに終わった後、大使館に入ってもらい、大使室で一緒にお茶を飲んで雑談する試みを始めました。
 もう一つは、予算が付いたので戦争の被害者の方を毎年20数名、日本に招待することを始めました。今でも名前を変えて続いています。これまでに訪日者数は、合計で600~700人にはなっているでしょう。10日から2週間ほど、日本を案内していろいろ見てもらい、日本人と会って話をする。目には見えないけれど、地道な交流です。
 元慰安婦とされる人々については、オランダ側に検証委員会を作ってもらい、結果として79人の人たちが慰安婦だったと結論付けられました。「アジア女性基金」から高齢の女性に対するベッドや椅子など1人当たり300万円相当の見舞金的な補償を出しました。
 こうしたことを天皇陛下のご訪問前に行っていたこともあり、陛下ご訪蘭時には小規模なデモはいくつかありましたが、心配したほどの大きなデモは起きませんでした。そしてご訪問の間にも、次第にオランダ世論が良い方向に大きく変化していきました。
 あの当時、ダメだったら辞表を出す以外はないという覚悟の気持ちは持っていました。
 2000年以降、オランダでは過去の戦争は主要新聞紙の一面記事になることはなくなりました。01年に日本に帰任する時にはオランダの新聞が「池田はミッション・インポッシブルをやり遂げた」と書いてくれましたね。もちろん、個人の感情には複雑なものがある人もいるでしょうが、一般社会としては日本とオランダの間の戦争問題は終わったという雰囲気になりました。その意味で、天皇陛下のオランダ訪問は画期的な意味を持ったと思います。
■野嶋*18
 天皇陛下の海外訪問は、外交ではないという建前ですが、実際は外交的な意味を持つことも少なくなく、「皇室外交」という言葉が使われています。外交の現場に長く携われてきた実感はいかがでしょうか。また、天皇陛下の訪問先は、政府と皇室との間でどのように決められるのでしょうか。
■池田  
 訪問先の決定はあくまでも政府が決めるということになっていますが、天皇陛下ご自身にも機会があれば行きたいというお気持ちがあることもある。それが自然な格好で政府に伝達されることはあります。
 例えば、私がオランダ大使として赴任する時、皇居に参内して両陛下とのお茶会の席があり、宮内庁の侍従から、ある手紙を見せてもらいました。それはオランダのベアトリクス女王から天皇陛下への手紙でした。自分は昭和天皇大喪の礼に出席したいと思っていたが、オランダでは日本への反発も強いので、出席できなかった、ということが詳しく書いてあり、ベアトリクス女王が日本に対してどういう考え方だったかがよく伝わってきます。天皇陛下ご自身が手紙を私に見せてくださったことで、陛下のオランダへのご関心のほどがよく伝わってきました。

【昭和天皇実録を読む】国際親善 投げつけられた魔法瓶 昭和46年オランダ・ハーグ(1/2ページ) - 産経ニュース
《お召自動車が(オランダ)ハーグ市内に入った午後四時三十分頃、車体に液体入り魔法瓶が投げつけられるという事件が起きる。魔法瓶はフロントガラスに当たるが、防弾ガラス付きのものであったため外側に亀裂を生じさせたにとどまり負傷者はなかった。(中略)同夜、日本国大使公邸にお立ち寄りの際、(中略)この度の事件は大したことではないが、大きく取り扱われて両国関係に悪い影響を与えることのないよう同行記者団によく話しておくようにとのお言葉がある》(昭和46年10月8日)
 天皇として初の外国訪問となった同年9~10月の欧州7カ国歴訪。昭和天皇実録の記述は、大正10(1921)年の皇太子時代の訪欧に比べ、必ずしも歓迎一色ではなかった様子を、ありのままに伝えている。
《昨日キュー王立植物園においてお手植えになった日光産のスギが根元から伐(き)り倒され、その根元に劇物の塩素酸ナトリウムがかけられて、「彼等*19(かれら)は無意味に死んだのではない*20」という趣旨のプラカードが残されているのが発見される》(10月7日、英国)
ボン市*21中心部で、約三百名の極左学生を中心とする「日本帝国主義反対、天皇戦争犯罪抗議」運動が行われ、警官隊が放水車により鎮圧し、関係者数名が逮捕される》(10月12日、ドイツ)

昭和天皇ウィキペディア参照)
 1971年(昭和46年)には9月27日から10月14日にかけて17日間、イギリスやオランダ、スイスなどヨーロッパ諸国7か国を訪問した。
 しかし、第二次世界大戦当時に植民地支配していたビルマシンガポールインドネシアなどにおける戦いにおいて日本軍に敗退し、捕虜となった退役軍人が多いイギリスとオランダでは抗議運動を受けることもあった。特にオランダにおいては、お召自動車に生卵や魔法瓶を投げつけられ、同行した香淳皇后が憔悴したほどであった。

ベアトリクス女王ウィキペディア参照)
 第二次世界大戦中、日本軍がオランダ植民地インドネシアに侵攻したため、戦後のオランダでは反日世論が渦巻いており、オランダ王族が日本を訪問することは1962年のベアトリクスの非公式訪問までなかった。
 1963年に国賓として再訪日しており、更にその翌1964年にも東京五輪のために訪日、と急速に距離を縮めることとなった。その後、1970年の大阪万博の際と1977年にも訪日しているが、1980年の即位後は世論の抵抗に遭い、1987年の訪日は事前に中止、1989年の昭和天皇崩御の際は世論を配慮し、オランダからのみ大喪の礼に王族の出席がなかった。この際は明仁天皇に対し、出席できないことを手紙で説明した。1991年10月になって初めてオランダ元首として日本を公式訪問した。この時も天皇主催の宮中晩餐会のスピーチでオランダ植民地における大戦時の自国民の犠牲について言及している。


【平成の終わりに】真直なる天皇の大きなる道 平川祐弘・東京大学名誉教授 - 産経ニュース

天皇が権力者ではないのに権威があるのは、神道を介して国民の上(かみ)の座、すなわちカミの座を世襲的に継がれるから、それで国民と天皇は祈りを通して結ばれる
天皇のお務めはなによりも祈ることと続くことにある。
宮中祭祀(さいし)がつつがなく続くことを切に願う。

 神道が国教だった「明治、大正、昭和戦前」はともかく「政教分離原則によって神道が一宗教にすぎなくなった現在」、もちろんこうした神道的・天皇制解釈は許されるもんではありません。宮中祭祀はあくまでも「天皇家の私的行事」にすぎず公務ではありません。まあ産経は「国家神道が今でも正しい」と主張するからこうなるわけですが、現天皇夫妻にせよ、新天皇夫妻にせよ、そんな極右的立場ではさすがにないでしょう。そして天皇制支持者だってほとんどの人間は「神道信仰で天皇とつながってる」とは思ってないでしょう。そんなのは神社本庁関係者を中心とした右翼くらいのもんでしょう。 
 なお「天皇が権力者でない」というのは完全に嘘です。「元々日本国王だったのが公家や武家によって次第に棚上げにされた*22が、それでも建前上は国王であり続け、明治維新で改めて実質的な意味での国王に復権した。1945年の敗戦によって国王とは違う象徴になった」というのが事実です。
 本質はともかく建前では「平安時代藤原氏政治」にせよ「その後の幕府政治(鎌倉幕府室町幕府江戸幕府)」にせよ「天皇による摂政、関白、征夷大将軍への任命」によってされてるわけです。だからこそ「国王である天皇の命令」を口実に薩長は倒幕出来たわけです。

*1:国会議長、チャベス政権外相、副大統領を経て大統領

*2:東大名誉教授。著書『増補・日本政党政治の形成:原敬の政治指導の展開』(1995年、東京大学出版会)、『近代日本の戦争と政治』(1997年、岩波書店)、『ウォール・ストリートと極東:政治における国際金融資本』(2009年、東京大学出版会)、『大正デモクラシー論:吉野作造の時代(第3版)』、『増補・政治制度としての陪審制:近代日本の司法権と政治』(以上、2013年、東京大学出版会)、『日本の近代とは何であったか』(2017年、岩波新書)など

*3:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*4:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相を歴任

*5:小泉内閣国交相自民党政調会長(第一次安倍総裁時代)、幹事長(谷垣総裁時代)、第二次安倍内閣環境相、第三次安倍内閣経済財政担当相を歴任

*6:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て自民党政調会長

*7:ただしこの運動はフランスの外圧に屈した当時の日本政府がベトナム人留学生を国外追放したことで挫折します。

*8:もちろん1973年に外交関係樹立とは北ベトナムのことです(南ベトナムとはそれ以前に国交を樹立しています)。

*9:1932~1994年。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で12個の金メダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍。引退後は日本卓球協会副会長、国際卓球連盟会長を務めて卓球の普及に尽力し、また、いわゆる「ピンポン外交」の立役者の一人として世界のスポーツ界に大きな貢献を果たした。没後業績を称えて現在のITTFワールドツアーの一つ、ジャパンオープン卓球選手権大会が、荻村杯国際卓球選手権大会に改称された。また1997年には世界卓球殿堂入りを果たした(ウィキペディア「荻村伊智朗」参照)。

*10:外務省中近東アフリカ局長、駐ヨルダン大使、宮内庁式部官長、侍従長、参与など歴任。著書『天皇家の執事 侍従長の十年半』(2011年、文春文庫)

*11:毎日新聞編集委員。著書『エリゼ宮の食卓:その饗宴と美食外交』(2001年、新潮文庫)、『ワインと外交』(2007年、新潮新書)、『饗宴外交:ワインと料理で世界はまわる』(2012年、世界文化社)、『歴代首相のおもてなし :晩餐会のメニューに秘められた外交戦略』(2014年、宝島社新書)、『知られざる皇室外交』(2016年、角川新書)など

*12:著書『プレイバック「東大紛争」』(1990年、講談社

*13:外務省北米局長、駐オランダ大使、駐オーストラリア大使など歴任

*14:福田、中曽根内閣文相を経て首相

*15:慰安婦銅像に「撤去しろ」と騒ぐ安倍とは偉い違いです。安倍が佐藤元大使のような寛大な態度ならあそこまでもめないし、逆に佐藤元大使が「デモなんかやめろ」と安倍のような高圧的態度をとったら、日蘭関係が恐ろしいことになっていたでしょう。

*16:外務省アジア局長、駐オランダ大使、駐ブラジル大使、交流協会台北事務所代表など歴任

*17:外務省条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使など歴任。著書『歴史と外交:靖国・アジア・東京裁判』(2008年、講談社現代新書)、『戦後日本が失ったもの:風景・人間・国家』(2010年、角川oneテーマ21)、『北方領土交渉秘録:失われた五度の機会』(2011年、新潮文庫)、『歴史認識を問い直す:靖国慰安婦、領土問題』(2013年、角川oneテーマ21)、『危機の外交:首相談話、歴史認識、領土問題』(2015年、角川新書)、『返還交渉:沖縄・北方領土の「光と影」』(2017年、PHP新書)など

*18:著書『イラク戦争従軍記』(2003年、朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(2011年、新潮選書)、『ラスト・バタリオン:蒋介石と日本軍人たち』(2014年、講談社)、『認識・TAIWAN・電影:映画で知る台湾』(2015年、明石書店)、『台湾とは何か』(2016年、ちくま新書)、『タイワニーズ』(2018年、小学館)など

*19:おそらく太平洋戦争で戦死した英国軍兵士のこと

*20:要するに「戦争犯罪人昭和天皇)の植えた杉なんか誰がいるか、ふざけるな!」「戦死者への冒涜だ」つうことでしょう。

*21:西ドイツの首都

*22:だからこそそれに反発して例えば承久の乱建武の新政が起こるわけです。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/30分:荒木和博の巻)

平成最後の日【調査会NEWS2971】(31.4.30): 荒木和博BLOG
 拉致解決という意味では全く何の意味もない駄文です。何せ、主な内容は「平成が30年たって終わって、令和になっても解決のめどが立たないことが恥ずかしい」云々つうぼやきでしかなく、しかも、そのぼやきが本心では全くないことがモロバレだからです。
 荒木ら救う会がどう見ても拉致を解決する気がないことは今更指摘するのも馬鹿馬鹿しいでしょう。

 昭和から平成に移るときは昭和天皇のご不例があり、崩御にともなう改元でしたから今回のようなお祭り気分はありませんでした。

 むしろ昭和天皇死去前は自粛騒動でした。なお、「不例」なんてまず使わない言葉ですがググったら「貴人の病気のこと、日本ではもっぱら天皇・皇族の病気、特に天皇の病気を表現する」んだそうです。

【参考:不例の使用例】

asahi.com(朝日新聞社):即位20年 両陛下の記者会見〈全文〉 - 朝日新聞プラス
《問い2》
 両陛下におうかがいします。
 昨年末の天皇陛下ご不例の際、羽毛田信吾*1宮内庁長官はご心痛の原因の一つとして「私的な所見」と断った上で、「皇統をはじめとするもろもろの問題」と発言し、皇室の将来を憂慮される天皇陛下の一面を明らかにしました。両陛下は皇室の現状、将来をどのようにお考えでしょうか。

 不遜な言い方をすれば陛下によるクーデターとも言える今回のご譲位を、政府はなんとかして現行法の枠組みの中に入れようと必至に理屈をつけたという構図だったのではないかと思います。

 天皇の退位希望発言とそれに対する対応(退位容認)を「天皇の政治的行為を否定する憲法4条違反(荒木の表現だとクーデター)だ」と評価するかどうかはともかく、荒木が「退位発言は天皇の政治的行動で問題だ」とみなす澤藤統一郎氏などとは違い、「天皇憲法逸脱発言を認めるなら、俺たちの希望するように、拉致被害者救出を理由に自衛隊北朝鮮に突っ込んでもいいじゃないか」と言いたげなのがいつもながら呆れます。仮に天皇の発言を違憲行為と見なすにしても、「スーパーの万引き(天皇の発言)と強盗殺人(荒木の自衛隊投入論)くらい」全然違うでしょうよ。澤藤氏のような「天皇の発言に否定的な御仁」ですら「荒木よりは天皇の方がまし」と評価するでしょう。

<調査会・特定失踪者家族会役員の参加するイベント(一般公開の拉致問題に関係するもの)・メディア出演・寄稿・特定失踪者問題に関する報道(突発事案などで、変更される可能性もあります)等>
★5月10日(金)18:00「憲法改正学習会」(日本会議京都北部支部他主催)
・市民交流プラザふくちやま(福知山駅前 0773-22-9551)
・調査会代表荒木が参加

 呆れて二の句が継げませんね。日本会議主催の改憲集会と拉致解決と何の関係があるのか。こういうふざけた荒木の言動を家族会が容認したことが拉致敗戦につながってるわけです。蓮池透氏は「改憲と拉致と関係ないだろ。拉致被害者家族を改憲のだしに使うな」と救う会を批判したら家族会から除名されるのだから「荒木らウヨに媚びへつらい、蓮池氏を敵視し排除する」家族会の馬鹿さには呆れて二の句が継げません。

*1:厚生事務次官宮内庁長官を歴任

常岡浩介に突っ込む(2019年4月30日分)

■ツイートに突っ込む

常岡浩介*1
固定されたツイート
『ロシア 語られない戦争:チェチェンゲリラ従軍記』ぜひ、読んでください。現在、プーチン政権が世界中で引き起こしている人道危機、ハイブリッド戦争のルーツです

 「何だかなあ」ですね。2008年なんて10年前の本を宣伝するなと言いたいですね。別途新しい本を書かないにしても、せめて増補改訂版を出したらどうなのか。
 なお、「プーチン*2」「ロシア」などでぐぐれば分かることですが、内容の是非はともかく比較的、最近の本では

・名越健郎*3『独裁者プーチン』(2012年、文春新書)
・下斗米伸夫*4プーチンはアジアをめざす:激変する国際政治』(2014年、NHK出版新書)
・佐藤親賢*5プーチンとG8の終焉』(2016年、岩波新書)
・廣瀬陽子*6『ロシアと中国:反米の戦略』(2018年、ちくま新書)
・真野森作*7『ルポ プーチンの戦争』(2018年、筑摩選書)
朝日新聞国際報道部『プーチンの実像:孤高の「皇帝」の知られざる真実』(2019年、朝日文庫)

なんてもんがあります。常岡の古い本を読みたがる人はあまり居ないでしょうね。

*1:著書『ロシア 語られない戦争:チェチェンゲリラ従軍記』(2008年、アスキー新書)、『イスラム国とは何か』(2015年、旬報社

*2:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相などを経て大統領

*3:時事通信社外信部長。拓殖大学海外事情研究所教授

*4:法政大学教授。著書『ゴルバチョフの時代』(1988年、岩波新書)、『スターリンと都市モスクワ 1931‐34年』(1994年、岩波書店)、『アジア冷戦史』(2004年、中公新書)、『モスクワと金日成:冷戦の中の北朝鮮1945-1961年』(2006年、岩波書店)、『神と革命:ロシア革命の知られざる真実』(2017年、筑摩選書)、『ソビエト連邦史 1917-1991』(2017年、講談社学術文庫)など

*5:共同通信社記者

*6:慶應義塾大学教授。著書『強権と不安の超大国・ロシア:旧ソ連諸国から見た「光と影」』(2008年、光文社新書)、『コーカサス国際関係の十字路』(2008年、集英社新書)、『ロシア 苦悩する大国、多極化する世界』(2011年、アスキー新書) など

*7:毎日新聞社記者

今日の韓国・北朝鮮ニュース(2019年4/30分)(追記あり)

「勇気づけられた」東日本大震災の被災地や拉致被害者家族から感謝の声(1/2ページ) - 産経ニュース

 天皇、皇后両陛下は折に触れ、北朝鮮による拉致事件解決への願いを示されてきた。横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=の母、早紀江さん(83)も、拉致被害者や家族に寄り添われる思いに支えられてきたという。
彼岸花咲ける間(あはひ)の道をゆく行き極(きは)まれば母に会ふらし」。
 早紀江さんは、平成9年の新年にあわせ発表された皇后さまの御歌(みうた)に励まされた。
「『小道をたどれば優しい母が笑顔で待っている』という光景が思い浮かんだ。私もめぐみちゃんを笑顔で迎えたいと思った」
 14年10月に拉致被害者5人が帰国した後など、折に触れ拉致事件への思いを示されていた皇后さま。入院中の夫、滋さん(86)とともに30日夕、国民への感謝を述べられる天皇陛下の姿をテレビで見つめた早紀江さんは「お二人は国民に寄り添われてきた。おいたわり、お優しさに励まされた」と話した。

 改めて横田奥さんのアホぶり、バカぶりには呆れます。
 こう言っちゃ何ですが、天皇、皇后は単に口先で励ましてるだけじゃないですか。そんなことより、小泉元首相や田中均・元外務省アジア大洋州局長に感謝したらどうなのか。こんな馬鹿なこと言ってるようだから、拉致が解決しないんですよ。私見では、拉致が解決しないのは横田奥さんら家族会がバカだからで自業自得です。俺はもはや拉致が解決しなくても仕方ないと思ってるし、拉致被害者家族に何一つ同情しません。むしろ拉致被害者家族連中には不快感や憎悪、軽蔑や怒りと言ったマイナスの感情しかない。


北高官がポンペオ氏非難、軍事的選択を示唆 - 産経ニュース

 北朝鮮の崔善姫(チェ・ソンヒ)第1外務次官は30日、ポンペオ米国務長官が最近、米メディアで非核化交渉が失敗した場合、別の道もあり得ると述べたことに対し、「軍事的方法を動員してでも、われわれの体制を崩壊させようとする危険な発想だ」と非難。「決心すれば、われわれの選択にもなり得る」と述べ、交渉決裂なら軍事的選択肢も取り得ることを示唆した。

 「アンチ北朝鮮」産経らしいですが「交渉決裂後、米国が軍事攻撃をする気なら受けて立つ(北朝鮮)」つうのは「その主張の是非や、本心かどうかはともかく」、「維新がダブル選挙する気なら受けて立つ(反維新)」「安倍がダブル選挙する気なら受けて立つ(野党)」などと同じで「こっちから軍事攻撃するぞ」つう話ではなく、当然ながら「交渉決裂なら軍事的選択肢も取り得ることを示唆」つう話ではありません。
 この崔善姫発言の文脈では「交渉決裂=北朝鮮からの軍事攻撃」ではありませんからね。


北大使館襲撃「自由朝鮮」リーダー指名手配|NNNニュース
北朝鮮大使館襲撃、主犯格“顔”公開 TBS NEWS
 犯罪者として指名手配とは「無計画で無様」としか言いようがないかと思います。当初噂されていた「CIAとの関係」は結局なかったのでしょう。

野原燐に突っ込む(2019年4月30日分)

野原燐
‏・アナウンサー「女性が天皇になって活躍したことも結構あるんですよね」
・コメンテーター「男系男子につなぐまでの、つなぎとして女性が天皇になったこともあった、ということですね」>間違いやな。

 小生もこのあたり、不勉強なのでなんとも評価できません。今後「可能ならば」勉強したいと思っていますがそれはさておき。
 「男系男子につなぐまでの、つなぎとして女性が天皇になったこともあった」というのが「事実かどうか」はあくまでも「事実認識の問題でしかない」つう点は指摘しておきたい。
 仮にそれが事実だとしてもそれは「前近代日本はそういう価値観だった」という「事実認識の話」でしかありません。
 「今の日本がそういう価値観を受け継いでいくべきかどうか」という「価値観の問題」とは違います。まあ俺は受け継ぐべきじゃないと思いますね。

今日の中国ニュース(2019年4月30日分)

福島香織のツイート

 トルドーさんが日本のことチャイナって言って、安倍さんがカナダのこと米国っていい間違ったの?
安倍首相、カナダ首相と会談 海洋プラごみ対策で連携を確認 - 毎日新聞
 会談冒頭ではトルドー氏が日本を「中国」、安倍首相がカナダを「米国」と互いに言い間違える一幕もあった。
カナダ首相、安倍首相との会談で2度も日本のことを中国と言い間違える―中国メディア (2019年4月30日) - エキサイトニュース
 2019年4月28日、中国メディアの観察者網は、カナダのトルドー首相が、同国を訪問した安倍晋三首相との会談で、2度も日本のことを中国と言い間違えたと報じた。
 それによると、トルドー首相は28日、安倍首相との会談で、「カナダと中国、いや日本との90年の外交関係に当たり」と発言した。さらに会談後の共同記者会見で、安倍首相が欧米歴訪や新天皇即位など多忙な時期に同国を訪問したことに謝意を示し握手する際にも、「日本」を「中国」と言い間違えたという。

 人間誰しも言い間違いはありますが「安倍もトルドーも疲れてるのか?」「それともお互い相手を、その程度の軽い存在としか思ってないのか?」と聞きたくなります。

福島香織
 中国の悪口言ってたら、金になるんだろ、っていう人いるけれど、ならないよ。それより、ダイエットと筋トレとレシピの本の方が絶対売れる。中国のマーケティングコンサルするよって本の方が絶対売れる。

 「お前産経時代と比べても劣化酷いじゃん。『一帯一路はオワコン』『二階の訪中は安倍総理を無視した二階の暴走(先日、首相親書を持った特使として訪中したら福島はさすがにだんまり)』とかカネのために反中国デマ垂れ流してんじゃねえよ。」
「ただの反中国ウヨに過ぎない連中と『中国バブル崩壊の全内幕:2017年、習近平は失脚する』(石平や宮崎正弘との共著、2016年、宝島社)、『暴走する中国が世界を終わらせる』(宮崎正弘との共著、2016年、ビジネス社)、『世界の中国化をくい止めろ』(宮崎正弘との共著、2018年、ビジネス社)とか、共著なんか出して恥ずかしくねえの?。お前、産経時代は石平や宮崎正弘はバカにしてたんじゃねえの?。『2017年、習近平は失脚する』って失脚してねえだろ、手前!」つう批判や悪口が彼女の耳にも届き、それがよほどトラウマなのでしょう。
 「カネのためじゃないもん!。ジャーナリストとして誇りを持って真実の報道を追及してるもん」「私はまっとうな中国批判報道をしてるつもり」だそうです。がちであれが「商売右翼じゃなく本気だった」らむしろその方が「ある意味」恥ずかしいんですけどね。福島は「今のウヨ商売を辞める気がないなら」こうした悪口にはひたすら耐えて黙ってた方がいいと思うですね。こんなツイートしても「そうか、福島さんって信念と誇りをもって中国報道してるんだ」と思う奴は誰も居ない。福島のウヨ仲間すら「福島は商売ウヨだ」と思ってるかもしれない。こういうときに使う言葉が「沈黙は金」です。
 つうか「お前は反中国本書く以外に能力がないからそうしてるんだろ。『ダイエットと筋トレとレシピ本の方が、中国のマーケティングコンサル本の方が絶対売れる』つうなら、手前、書いてみろよ。書けるけど書かないんじゃないだろ、書けないんだろ」
「つうかダイエットと筋トレとレシピ本とマーケティングコンサル本が簡単に書けるようなこと言ってるんじゃねえよ。そういう本の書き手(料理研究家やスポーツトレーナーやマーケティングコンサルタントなど)に謝れ。福島、手前ふざけたこと抜かすのも大概にしろよ」て話です。つうか、福島がそんなにレシピ本書きたいなら、「平野レミ*1」のような方向性目指したらテレビバラエティにも出られるし、いいんじゃないか(もちろん冗談)
 つうかマジな話、「福島に能力があればの話」ですが「レシピ本の方が儲かる」つうなら今からでも「中国通の福島香織が教える人気中華料理店のレシピ本」とかそっち方面にいった方がいいんじゃないか。まあそういう能力はないんでしょうけど。
 あるいは今からでは遅いかもしれませんが、福島はフリーなんか諦めて「朝日、読売、毎日、日経などと言ったメディア企業(ただし産経は除く)のサラリーマン」を目指した方がまだ今よりマシじゃないですかね。

福島香織
 なまじっか中国知っていると、日本をディスろうとしても、まあ中国よりよっぽどいいよな*2、というところに落ち着いちゃう*3んだよ。

 安倍批判しない理由がこれだそうです。言い訳としてあまりにも酷すぎます。じゃあ安倍批判してる人間は中国シンパだとでも言うのか。
 そして「福島以外にも中国のウオッチャーや研究者は山ほどいます」が彼らが全員、福島みたいなこと言って安倍批判しないかと言ったらもちろんそんなことはない。たとえばM谷N子*4明治大学准教授(2019年4月からだそうです)は「日本政府のウイグル問題対応」についてツイッターで安倍批判しています。
 つうか『放送法遵守を求める視聴者の会』なんて安倍礼賛の右翼団体の理事をやってる女・福島が良くもこんなことが言えたもんです。
 福島に対して「中国批判ばっかしてないで日本の安倍自民も批判しろ」つう批判が飛ぶのは福島の中国批判が「単に日本ウヨと野合してるだけ」で「民主主義だ、人権だ」ではないことがモロバレだから、「したがって福島に安倍自民批判なんか出来ない」から、皮肉として飛ぶわけですが、それに対してこれで反論のつもりってのが呆れます。
 しかし産経時代はここまでは酷くなかったと思うのですがね。脱サラしてカネに詰まると人間ここまで劣化するのか。我々サラリーマンにとって「コンビニ経営とか、簡単に脱サラなんか考えちゃいけない」つう見事な反面教師が福島ですね。

福島香織
 中国の異常事態*5を誰も日本で言わなくなって、中国ポテンシャル高いしいいじゃない、とみんなが信じて、米国がアジアから撤退して変わりに中華秩序がスタンダードですってなったとき、日本も何もいえない国になるかもしれない。

 まあ徹頭徹尾言ってることデタラメですね。第一に当たり前ですが中国と日本の国内と必ずしも関係ない。
 中国に関係なく政権与党がマスコミや市民運動を弾圧すれば、「日本も何もいえない国になる」わけです(実際、「NHKクローズアップ現代・国谷キャスター」「テレ朝報ステ・古館キャスター」を政治的圧力で降板に追い込むなど安倍自民の行為はそうした弾圧的性格が濃厚ですが)。
 第二に『放送法遵守を求める視聴者の会』なんて安倍礼賛の右翼団体の理事をやって、「安倍批判が出来ない国づくり」に加担してるのが福島です。
 第三に「米国がアジアから撤退して変わりに中華秩序がスタンダードです」なんていつそんなことが起こるのか。米国が在韓米軍や在日米軍を撤退させるなんていついったのか(個人的には平和主義の点から撤退すべきだと思いますし、撤退したからと言って、それによって中国の東アジアでの政治力が高まることもないと思いますが)。こういうデマカセをほざくから批判されるのになぜ福島は懲りないのか。
 第四に「中国ポテンシャル高いしいいじゃない」てのはあくまでも経済の話です。どこの世界(特に欧米先進国)に「中国は民主主義や人権の点で全然問題ないじゃない」なんて奴がいるのか。
 第五に福島以外にも中国批判してる人間なんていくらでもいる(例:安田峰俊)。安田は少なくともウヨと野合してないし、だからこそ批判されることは当然あっても「福島への批判(ウヨと野合してデマ記事を書くな)」のような批判は安田にはない。「レベルの低い反中国記事書くしか能のないバカ=福島」がふざけたこと抜かしてんじゃねえよて話です。


台湾経済、1.72%成長 1~3月、IT景気低迷 :日本経済新聞
 統計データを信じる限り台湾の景気の方が中国より悪いわけです。これで中国との関係を悪化させるなどまさに自殺行為です。このままでは民進党下野も十分あり得るでしょう。「景気を良くしてほしい」ということで「台湾のトランプ」鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘社長が総統に当選しないまでも、善戦する可能性が出てきました。
 なお、トランプと中国の対立は台湾景気を冷え込ませる一因になってるようです。産経のように「ざまみろ中国」ではやはりすまなかったわけです。


中国、カナダ人に死刑判決 ファーウェイ幹部逮捕で圧力か - 産経ニュース
 「詳細が分からんとなんとも評価出来んなあ」ですね。
 「ファーウェィがらみの揺さぶりなのかどうか」がまず第一のポイントです。
 第二に揺さぶりだとして、覚醒剤犯罪は「完全なでっち上げ(無実)」なのか、さすがにそこまで酷くなくて、有罪ではあって、無期や「長期間の懲役」に差し替える前提で死刑判決なのか。
 このあたりが分からないとなんとも評価できません。

*1:1947年生まれ。料理番組を中心に活躍。終始テンションが高く、息つく間もないほどの早口で話すのが特徴。その明るいキャラクターがウケ、料理番組のみならずバラエティ番組(番組内の料理コーナー)にも出演する。『きょうの料理』などでの自由奔放な立ち振る舞いと奇想天外な料理のアイディアから、一部のファンからは「生きる放送事故」、またNHKの料理番組「きょうの料理」で出演した際は番組名をもじって「狂の料理」とあだ名されている。TBSラジオ『キンキン・ケンケンのそれ行け!歌謡曲』内の番組コーナー『ミュージック・キャラバン』で久米宏(当時、TBSアナウンサー)と組んだ当時、生放送中に「ねえ久米さん、この(リスナーへの返礼品の)缶詰にベトコンの肉が入っているって本当?」と冗談を言った際には即座に久米からマイクで頭を叩かれ、足を蹴られて黙らされたといい、久米は当時のことを振り返るたびに「とんでもないやつと組まされてしまったと思った」と後に笑いながら述懐している。後に平野の夫となるイラストレーターの和田誠は彼女に好意を抱き、麻雀仲間であった久米に平野の紹介を頼んだが、久米は「あの人は絶対やめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」と真剣に断った。久米は平野を誹謗中傷したわけではなく、普段の仕事で彼女の自由奔放ぶりに振り回されて散々苦労していたことから、紹介したことで和田に一生恨まれることを怖れたためであった。そのため和田は、仕方なくTBSラジオのディレクターに頼んだところ、こちらからも「紹介してもいいけど、責任は持ちませんよ」と言われたという(ウィキペディア平野レミ」参照)。

*2:「日本て欧米先進国と比べてもすげえいい」ということは福島もさすがに躊躇するようです。

*3:むしろ福島が本心から中国に批判的だったらそれこそ「安倍自民はなぜ中国を批判しないんだ!」じゃないんですかねえ。

*4:著書『亡命者が語る政治弾圧:中国を追われたウイグル人』(2007年、文春新書)など

*5:中国に人権面での問題がないとは言いませんが「異常事態」てこともないでしょう。