「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年5/1分:高世仁の巻)

コスモロジーの創造2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年4/21分:高世仁の巻) - bogus-simotukareのブログで取り上げたコスモロジーの創造1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 皇室のあり方への疑問や批判もあってよかったと思うが、称賛で埋め尽くされた。今上天皇と皇后が立派な人であることは日本にとって幸運だったが、そのことは今の天皇制のあり方を批判し議論することを妨げないはずだ。

 まあそういうことですね。例えば「神道色が強いという即位儀式」が政教分離原則に反する疑いがあることなどが「批判、議論の材料の一つ」としてあげられるでしょう。
 あるいは「そもそも天皇制が必要なのか(天皇制の存廃を巡る議論)」「いい加減、女帝を認めてはどうか」「天皇陵について今のままの指定でいいのか(天皇陵は明治時代の指定で止まってるので、当時の学問水準の限界から、実際は天皇陵でないものが多数含まれてるというのが通説)」「新天皇即位で、新しく元天皇、元皇后になった現天皇夫妻は今後どのような形で日常生活を送るべきか(いわゆる「公務」の問題)」とかいろいろ天皇制についての議論の材料はあるはずです。

 宇宙の成り立ち、歴史を解明することは、知的好奇心を満足させるにとどまらず、世界観、人生観に大きな影響を与えうると思う。

 意味が分からないですね。どう世界観や人生観に影響を与えるのか。多くの場合、「科学と世界観、人生観」は別物です。なぜなら前者は事実認識で後者は価値観の問題だからです。事実認識は価値観とは別物です。「Aという事実認識だからBという価値観になった」と事実認識と価値観がストレートにつながることはあまりない。
 ただし例外的存在の一つとしては「進化論」があげられるでしょう。進化論によって「天地創造説が間違いだ」ということが示され、それはキリスト教信仰に大きな影響を与えました。中には「天地創造説が間違いだからキリスト教も間違いだ」という認識に達した人間もいれば、「天地創造説は間違いだがキリスト教は正しい」という認識に達した人間もいました。
 あるいは「霊魂やあの世(天国、地獄など)の存在を示す物」と考えられていた物の多くが「霊魂やあの世の存在とは関係ないこと」が科学的に証明されたこと、現時点では霊魂やあの世の存在が証明されないことは「霊魂やあの世などないのではないか」となりました。その結果、霊魂やあの世が存在するとしている宗教*1に対して「そんな宗教は間違いだ」という人も出てくれば、「霊魂やあの世は存在しないが宗教は正しい」という人も出てくるわけです。
 では「宇宙の成り立ち、歴史を解明すること」は「進化論」や「霊魂やあの世についての科学的認識」のような影響を世界観や人生観に与えるのかと言ったら一寸そんな事態は俺には考えられないですね。

 ビッグバンとその後の宇宙の歴史から、宇宙には始まりがあり、もとは一つで、その進化の末に私たちが生まれたのだということを認識することができる。
 宇宙のなかに、「たまたまでてきた」「関係ない」「バラバラの」ものなどないのだ。

 意味が分からないですね。そうした関係性があるから何だというのか。だから「人類皆兄弟」「君は一人じゃない*2」とでも高世は言うのか。
 その程度のことを言うのに「ビッグバンガー」という必要もない。宇宙の成り立ちを知る必要もない。
 そもそも「何らかのつながりがある」という事実認識は、「皆で仲良く生きていこう」とか「君は一人じゃない」とかいう価値観とは全く別物です。
 そして、つながり云々というなら「日本人は世界の多くの国と経済的つながりがあるから、世界中の人たちと仲良く生きていこう」「そうした経済的つながりがあるから、君の生活は世界中の人たちの経済活動で支えられてるから君は一人じゃない」の方が高世の寝言「ビッグバンガー」よりまだマシでしょう。
 いつもながら高世はアホです。

*1:全ての宗教がそうではないでしょうが、そういう宗教は多いでしょうね。

*2:そもそも「俺は孤独だ」と思う人間の多くは「経済的に恵まれなかったり、社会的に差別されていたり」、つまりは「不幸な境遇にある上、そうした事態について世間が冷たいと思ってる」から孤独感を感じる場合がほとんどでしょう。そうした「不幸な境遇」を自らの努力であれ、他者の支援であれ、改善しないで、高世みたいな寝言をほざいても孤独感など解消されません。

今日の産経ニュースほか(2019年5月1日分:今日から令和です)

「 新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
 「 皇族を冷遇する学習院の悪しき体質 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト【令和に寄せて】麗しき大和の国柄を守れ 櫻井よしこ・国家問題研究所理事長(1/4ページ) - 産経ニュースでよしこがやっていた「現天皇の高校時代の担任教師・小坂部氏への悪口の続き」です。よしこもしつこい女です。もちろんよしこの悪口が小坂部氏個人に向けられてるのではなく「本当は現天皇に向けられてること(ただしさすがに現天皇を罵倒できないので当てこすりとして小坂部氏に悪口)」は明白でしょう。
 何せ

 新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く

ですからね。現天皇徳仁氏を「あいつはろくでもない教育しか受けてないから天皇としてダメだ」と罵倒してるのも同然です。
 ウヨのよしこにとって「ウヨでない徳仁氏」は気にくわないのでしょうが、こんなよしこや「よしこを容認する産経、国家基本問題研究所らウヨ連中」の何が皇室崇拝か。
 こんな非礼を働きながら「天皇家を崇拝しています」とは呆れた嘘つきです。
 まだ、「天皇制廃止を主張する共産党など」の方が「不当な侮辱などしていない」点で「口先では皇室崇拝を口にしながら現天皇を平然と侮辱して恥じないよしこら日本ウヨ」よりも皇室に対してまともな態度でしょう。

 東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ

 よしこはこの学問所を復活させ「学問所メンバーに所功らウヨ仲間を送り込みたい」たいようですが、まあ現上皇、新天皇はこんな学問所の教育は受けてないわけです。

 昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問われた昭和天皇は、以下のように答えられた。
「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生も)平等にすべて今も尊敬しています」

 「帝王(大日本帝国皇帝)だった」戦前ならともかく「帝王を辞めて象徴になった」戦後に「帝王学」と堂々と言える無神経さはなかなかのもんです。凡人にはおよそまねできません。まねしたくもないですが。


「 皇族を冷遇する学習院の悪しき体質 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト

・2001年3月出版のいささか古い本だが、『浩宮感情教育』(以下『感情教育小坂部元秀飛鳥新社)を勧められて読んだ。
・著者の小坂部氏は1974年から97年まで学習院高等科に勤務し、76~77年の2年間、浩宮親王のクラスの主管(担任)を務めた。
 同書の印象的な部分として学習院の父母会名簿に関する件りが序章にある。30歳前後の高等科のOBが小坂部氏とざっと以下のように会話している。
 「『今でも父母会名簿の一頁目には、皇室関係の在学者が並んでいるんですか。高等科生の中には、あのページを破り棄てていた者もありましたよ』
 『ああ、相変らずですよ』と私は応えた。
 『“御在学”も相変らずですか』
 OBは投げ出すように問いを重ねた。
 皇族については、たとえば浩宮だったら『浩宮徳仁親王殿下 高等科第3学年御在学』と表記されていた。
 『そうですよ』、私は力なくうなづ(ママ)いた」
 皇族の在学者名が記された一頁目を破り捨てる。「御在学」という丁寧語の使用に関して、小坂部氏は「そうですよ」と「力なくうなづ」く。皇室への拒否感、嫌悪感を感じさせる件りである。

 いやいや「同じ学生なんだから、そんな特別扱いせんでええでしょう。皇族特別扱いに反発する学生の気持ちは分かりますね」程度の話が何で「皇族への拒否感、嫌悪感」になるのか。

 クラブ活動や学級活動に関連して小坂部氏はこう書いている。
「学級活動だって、彼(浩宮親王)の存在によって、目にみえる、あるいは目にみえない制約を蒙ることになる。それらは浩宮自身にとってもまた他のクラスメートにとっても、決して好ましいことではない」
「それ(制約)は簡単に言えば、浩宮という存在が所与のものとして持つ特権性によるものだった。しかもその特権性は、人間浩宮にとっては、プラスにもマイナスにも働くもので、敢て言えばよりマイナスに働くものだと、私は思いこみはじめていた」

 まあこのあたりは価値観ですね。いずれにせよ「皇族だから特別扱いなんておかしくね?」つう小阪部氏の主張は「必ずしも皇室制度否定ではなく」、いわゆる「開かれた皇室論*1」にもつながりうる話ですし、仮に「皇室制度に小阪部氏が否定的」でも、それは「だから学生だった現天皇を冷たく扱う」つう話でもない。

 天皇・皇太子・親王を含む方々には特権もあるが、反対に、国民全般が当然のものとする権利はない。

 まあわかりやすい例だと選挙権なんかないわけです。あるいは運転免許を取っても彼が実際に車を「皇居以外で運転すること」は事実上まずない。
 でそうした「一般国民にある権利がないこと」は小坂部氏のような人間はおそらく「不幸なことだ」と思ってるでしょう。
 ところがよしこは「経済的に豊かで、護衛で年中ガードされる特権があっても、一般国民に与えられる権利(例:選挙権)が一部ないのだから特権性云々なんて小坂部氏は間違ってる」と言い出すのだから頭痛がしてきます。本気でよしこが小坂部氏の主張をこう考えてるならバカだし、詭弁だとしてもはっきり言ってレベルが低い。

 小坂部氏の評価からは、担任教師としての愛情や生徒に真剣に向き合って育てようという気迫が感じられない。遊泳実習についても同様だ。学習院高等科の生徒はグループ毎に1キロから5キロを泳ぎ切るそうだが、小坂部氏はこう書いている。
浩宮がこの夏どの程度の泳力だったか覚えていない。それはこの時私は主管*2でもなかったためだが、おそらく特に優れても劣ってもいない、中程度だったのだろう」

 よしこのような「皇族大好き」なら「クラス担任でなくても覚えてる」のかもしれませんが、普通の教師はこうじゃないですかね。
 つうか当事者である現天皇ですら「当時の成績」なんか覚えてるかどうか。

 中等科の「卒業文集」で浩宮親王に触れた文章が一篇しかなかった件についても小坂部氏は、「浩宮の過不足のなさ」「地味な持ち味」「特権性を剥がせばその個性をどうとらえていいか判らず、そもそも最初から書くべき対象としての迫力を持っていなかったということだろう」と、突き放した無関心とでも言うべき評価である。ここにも、担任教師としての愛情を、私は感じとれない。

 「将来の天皇だろうが、好人物だろうが、スポーツ万能、成績優秀などの秀でたところもなく、地味な性格ではクラス卒業文集のネタにはならない」程度の話でよしこも随分と大げさなことを言うもんです。

 浩宮親王には、特別なご学友は存在しなかったらしいことが本書から読みとれる。帝王学を教える人材もいない。これでどのようにして国民を統合する存在に成長できるのか、学習院の存在意義が薄れるのも当然だ。

 よしこのいう「ご学友」「帝王学」て何でしょうか。いずれにせよ「制度としての学友」はともかく「学友(友人)」自体はさすがにいたでしょう。

 小坂部氏は『感情教育』の終章近くで「天皇天皇制」をめぐる論議の内、氏が最も興味を抱いている文学者の発言や文章を列挙した。その筆頭が東京帝国大学総長で、ソ連に配慮して全面講和を主張した南原繁である。南原が昭和21年12月に貴族院本会議で行った演説を、「天皇の『人間宣言』と新憲法の公布をめぐっての」「記念碑的な演説」と持ち上げている。

 南原は保守派で別に親ソ連派ではないので「ソ連に配慮して」というよしこの書き方は問題がありすぎですね(つうか、この文脈で「全面講和」に触れる必要は全くなく、よしこが南原を親ソ連派とレッテルを貼りたいことが見え透いています)。南原の演説にしても「天皇制支持の立場」から「昭和天皇が退位し、明仁皇太子が即位し、昭和天皇の弟宮が摂政になった方がむしろ天皇制の存続につながる」という価値観であって天皇制廃止ではありません。こうした「退位した方が天皇制存続につながる」という価値観は終戦直後の近衛文麿元首相、木戸幸一*3内大臣も表明しています(東京裁判において天皇免罪シナリオにのる木戸は明らかにその後考えを変えますが。なお、近衛は終戦直後、戦犯指定を苦に自殺しますので彼の晩年の考えが「退位論のままだったのか」どうだったかはよく分かりません。自殺しなければ、「退位論を放棄し」、東条英機*4や木戸のように天皇免罪に協力し、その立場上、東条のような死刑判決、または木戸のような終身刑でしょうか)。

 小坂部氏はまた、中野重治の小説『五勺の酒』は「恥ずべき天皇制の頽廃から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの国民の革命的解放があるのだろう」という発想につながると特記している。

 「よしこの引用部分」だけでは小坂部氏の考えは分かりません。共産党員・中野にとっては「革命的に解放」とは天皇制廃止(天皇を一民間人にすること)なのでしょうが、小坂部氏にとっては「開かれた天皇制」程度の意味かもしれません。
 なお、これは「ほめてるわけでも、けなしてるわけでもなく単なる感想」ですが小坂部氏も面白い人物だとは思います。
 「三好達治南原繁」はともかく中野重治共産党員なので、著書において好意的に紹介すれば、ウヨの「よしこ的拒絶反応」は十分予想できます。それでもあえて書いたわけですから。

 詩人の三好達治の『天皇をめぐる人々』からは次の部分を説得力のある記述として抽出している。
「所詮は天皇陛下なんかはどうでもいいので、天皇制が現在あるが如くに未来永遠に存続しようと、神さまが人間に転籍なさつたお布令は出たがその実際がどうであらうと将来どのように逆戻りをしようと、しまいと、一切まづ問題に関心がない、といふのがこの国の文壇人―といふ特殊な人種一般の心底であらう」

 これを「三好が『天皇制なんかどうでもいい』と言った」とよしこが【令和に寄せて】麗しき大和の国柄を守れ 櫻井よしこ・国家問題研究所理事長(1/4ページ) - 産経ニュース
で書くのは明らかに間違いですね。
 三好が言ってることは「日本人は多数に流される付和雷同型の信念のない国民だ。将来、天皇制が『戦前方向に逆戻りをしようと、しまいと』『興味ない、大勢に順応します』つう信念のない国民が日本人だ。そうしたことに敏感になり、反対でアレ賛成でアレ意見表明すべき文壇人ですらそうだ」つう本多勝一氏風に言えば「メダカ民族・日本人」への批判でしかないでしょう。もちろんこれを評価する小坂部氏が言いたいことも「メダカ民族・日本人」への批判でしかないでしょう。


【令和に寄せて】麗しき大和の国柄を守れ 櫻井よしこ・国家問題研究所理事長(1/4ページ) - 産経ニュース

 日本の国柄*5とはおよそゆかりのない現行憲法の改正

 やれやれですね。よしこにとっての「日本の国柄(国としての個性や特徴)」とは何なのか。「天皇靖国参拝政教分離原則違反なんておかしい」ということか。最後まで読んでもよしこのいう「国柄」の意味がさっぱり分かりません。おそらく故意にあいまいにしてるのでしょうが。

【参考:国柄の使用例】

令和「日本の国柄、しっかり次代へ」 首相談話全文 :日本経済新聞
 悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。

片山地方創生相「万葉集は日本の国柄、象徴的だ」 - 産経ニュース
 初めてわが国最古の歌集「万葉集」から引用されたことには「万葉集は素晴らしい。額田王らと並んで農民や防人の歴史的な歌が残っている国はほかにないと思う。日本の国柄そのもので非常にシンボリック(象徴的)だ」と述べた。

 安倍や片山ですら国柄について公式発言としては「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然(安倍)」「万葉集は日本の国柄(日本の伝統文化)(片山)」という一般的な表現しか出来ないわけです。まあ本音がもっと右翼的な代物であることはモロバレですが。そしてこういう物言いなら「お国柄」と表現しても何ら問題ないわけですが彼らは「お」をつけないわけです。

神聖天皇から象徴天皇へ―なお続く課題― - 島薗進|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
 今も、神聖天皇につながる皇室祭祀の公的意義を高めようとしたり、皇室祭祀と神社神道の関係を復活させて皇室を神道や国体論に引き寄せ、「優れた国柄」を誇ろうとしたりする動きが絶えない。

【参考終わり】


【参考:お国柄の使用例】

オーケストラにもお国柄 N響指揮者の対話法とは|出世ナビ|NIKKEI STYLE
■インタビュアー
 様々な国のオーケストラを指揮していますが、国によってコミュニケーションやリーダーシップの取り方も変えるのでしょうか。
パーヴォ・ヤルヴィ*6
「お国柄の違いは明確にあります。指揮者は、常にその違いを頭に入れて指揮しないと、ベストのパフォーマンスを引き出すことはできません。でも、実際にやってみると、それほど簡単ではありません」
「例えば、ドイツのオーケストラは、奏者らが何らかの理由で指揮者のことを嫌っていても、とりあえず指揮者の言うことに従い演奏します。これは、ヒエラルキー(序列)を重んじるドイツ人の国民性からきているのだと思います」
「同じ欧州でもフランスは全く違います。フランス人は権力全般に対し愛憎相半ばする感情を抱く国民性です。指揮者に対する奏者の気持ちも同様で、指揮者を頼りにする半面、指揮者の言葉には本能的に反発します。従って、なかなか言うことを聞いてくれません。ではどうするかというと、自分は自発的にそうしているんだと相手に思わせるような言い回しで指示を出します。上手に導くのがカギです」
「米国人はもっと簡単です。彼らは現実主義者なので、シンプルで明確な指示を出せば、その通りに動きます。ただ、米国の奏者は基本的に、指揮者は自分たちの敵だと思っています。これには歴史的背景があります。米国では、20世紀半ばに、威圧的な指揮者による権力の乱用が問題になりました。このため労働組合運動が活発化し、指揮者を含むマネジメント側と、奏者の対立がしばらく続きました」
「米国で指揮する時は、こうした米国の歴史に注意する必要があります」
■インタビュアー
 日本のオーケストラも長年指揮していますが、日本人に対してはどんな印象を持っていますか。
パーヴォ・ヤルヴィ
「指揮者にとっては、日本は非常にやりやすい国です。なぜなら、日本人は信じがたいほど強い序列意識の持ち主だからです。どの楽団にも明確なリーダーシップの序列があり、メンバーは組織内の序列に常に注意を払いながら行動します。ですから、われわれ指揮者の話も素直に聞いてくれます。フランスでは絶対にあり得ないことです」

日本@世界:芸能人の不祥事 反応にお国柄 日本/韓国/エジプト/インド/米国/フランス - 毎日新聞
 ミュージシャンで俳優のピエール瀧(本名・瀧正則)被告(51)が麻薬取締法違反容疑(使用)で逮捕されたことを受けて、日本では出演映画やテレビ番組の放送中止や撮り直し、音楽CDの回収など自主規制の動きが出た。ただ、世界を見回すと不祥事の内容にはよるものの、俳優や歌手のスキャンダルと作品とは切り離して考える国も少なくない。各国の事情をまとめた。

【特派員オンライン】ごみ出しに見るお国柄|【西日本新聞ニュース】
 転勤するたびに四苦八苦するのがごみ出しだ。地域によって出し方に違いがあり、面倒だが面白さもある。赴任地の中で印象深かったのは佐賀県武雄市自治体指定の有料ごみ袋に氏名欄があり、記名ついでに「ありがとうございます」と収集業者への謝意をつづる人も多く、見掛けると心が和んだ。

【参考終わり】

 国柄を忘れてはならないとの昭和天皇の国民への語りかけとは反対に、米国は教育を通して日本人に影響を及ぼし続けた。米国の情報操作*7の苛烈さはここではおくが、米国は天皇となる東宮*8さま(現在の上皇さま)の家庭教師にクエーカー教徒のバイニング夫人をつけた。
 マッカーサーの軍事秘書、フェラーズは46年1月、吉田茂*9外相に「皇太子は西洋の思想と習慣を学び始めるべき」として「円熟したアメリカ人女性を」家庭教師につけるよう提案した(瀬畑源*10〈せばた・はじめ〉『象徴天皇制の形成過程-宮内庁とマスメディアの関係を中心に』一橋大学機関リポジトリ)。
 バイニング夫人は「英語を教えるということは(中略)アメリカ的な民主主義の思想と実践とを、皇太子殿下その他の生徒達に教えるという、さらに大きな仕事の方便にすぎない」と考えていた(前掲書)。
 天皇としてのお姿が、昭和天皇と比べて自ずと異なる*11のにはこうした要素もあるだろう。

 やれやれですね。米国によしこのいうような政治的思惑が全くないとは言えないでしょう。こんなことはよしこに言われなくても誰でも気づくことです。
 しかし「明仁皇太子(バイニング夫人が家庭教師だった当時。5/1から上皇(前天皇、元天皇))が米国シンパになるように皇太子の家庭教師にアメリカ人をつけた」というよしこの描き方は「バイニング夫人を米国政府のいいなりのロボット」「明仁氏はバイニング夫人にアメリカシンパになるように洗脳された」と描いてるようなもんです。
 こうした発言は「明仁氏に対する侮辱」ではないのか。よしこらの建前「皇室崇拝」と矛盾しないのか。
 しかもこうした「反米発言」を抜かすよしこらウヨが「日米同盟堅持」「日米は運命共同体」などということはどう整合性がとれてるのか。
 まあ、「よしこって明仁氏がウヨでないことがよほど不愉快なんだろうな」とは思います。

 学習院には帝王学の発想もなく、ご学友もいないと学習院大学の教授だった篠沢秀夫*12は書いている(『だから皇室は大切なのです*13草思社)。

 制度としての「ご学友」がないということでしょうね。まあ、学友なら当然居るでしょう。
 しかし帝王学て(苦笑)。国家元首だった戦前はそうした「帝王学」は必要でしょう。戦後の今、よしこはどんな「帝王学」が必要だと思ってるのか。

 『浩宮感情教育*14』(飛鳥新社)の著者、小坂部元秀氏は陛下が学習院高等科にご在籍当時、クラス担任を2年間務めた。皇室関係の在学生名が大書されている学習院父母会名簿の最初のページを学生が「破り棄て」るはなし*15が、小坂部氏の著書の「序章」に出てくるのだが、小坂部氏はその行為をもっともだと認めているかのようだ。別の章で小坂部氏は南原繁*16の国会演説*17を「記念碑的*18」と評価し、「所詮は天皇陛下なんてどうでもいい*19」と書いた詩人の三好達治*20や、中野重治*21らを賛美*22している。
 当時の浩宮親王殿下に小坂部氏が担任教師としての愛情や情熱を注いでいたとは考えにくく、陛下にとって学習院の教育環境は実に冷淡だったと推測できる。こんな状況に皇族方を放置して、私たちに立派な天皇像を望む資格があるのか*23

 よしこらウヨは平気でデマ飛ばすので小坂部氏の著書を読まないと、彼の著書の評価は出来ませんがそれはさておき。
 新天皇も勝手に「当時のクラス担任(小坂部氏)が冷たい扱いだった」「学習院高等科の生活はつらかった」だの、決めつけられてはよしこに「ふざけんな」と怒り心頭でしょう(もちろん小坂部氏や学習院に対しても失礼ですが)。
 いやそれともあまりにも馬鹿馬鹿しくて、あきれ果てて、怒る気にもなれず、相手にする気もないか。俺も正直読んでいて怒るよりもよしこの馬鹿さにあきれ果てて吹き出しましたので。
 まあ、よしこ的には新天皇がどう見ても「よしこ的なウヨではないこと」が気にくわないのでしょう。たださすがに「新天皇が気にくわない」とはいえないので「高校時代の恩師・小坂部氏や学習院に因縁つける」。全くゲスな野郎です。
 「建前は皇室崇拝だが、よしこや産経ほどのウヨではない天皇親子についてよしこらウヨが含むところがあること」がよくわかります。天皇制廃止論を主張する共産党よりも「こんな文章を書くよしこ」「よしこの駄文を掲載する産経」のような「建前は皇室崇拝だがどう見ても本音が違うウヨ(皇室を崇拝してるとはとても思えない)」の方が何倍も皇室に対して無礼でしょう。
 「どう見ても拉致を解決する気がない救う会」並にふざけた話です。


皇位継承、歴史の重み 女性宮家創設論には問題 阿比留瑠比(1/2ページ) - 産経ニュース

 現在、与野党を問わず女性宮家創設や、現在は皇室典範で父方の系統に天皇を持つ男系の男子に限られている皇位継承資格を、女性や女系の皇族の子孫に拡大することを検討すべきだとの意見が根強くある。
 とはいえ、これはあまりに安易に過ぎよう。
 仮に女性宮家を創設しても、一時的に皇族減少を防ぐだけで皇位継承資格者が増えるわけではなく、その場しのぎでしかない。

 「だーかーら、女性宮家を作って、女性皇族が結婚して子ども(皇位継承資格者)を産むこと*24を期待してるんだろうが。男性皇族は今ほとんど居ない*25けど、未婚の女性皇族なら『愛子さん(皇太子の娘)』『眞子、佳子姉妹(秋篠宮の娘)』で結構居るから。バカなの?」ですね。

 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の意向で皇籍離脱した旧宮家や、それ以外の皇統に連なる男系男子の皇籍復帰に対する批判論の一つに「長年民間人として暮らしていた人や、その子孫が皇族となることへの違和感」というものがある。
 だが、例えば女性宮家の配偶者は皇族とすると定めたとしたら、「生粋の民間の男性」が皇籍を持つことになる。旧皇族の復帰はだめだが、もともとからの民間男性に皇籍を付与するのは問題ないとするのでは理屈が逆立ちしている。

 「?」ですね。「たとえ皇族女性の結婚相手でも民間男性に皇籍を付与するのは問題だが、皇族男性の結婚相手である民間女性(美智子元皇后、雅子皇后など)に皇籍を付与するのは問題ない」とする方がよほどおかしいんじゃないか。結婚相手の訳ですから、別に民間人(?)だろうが、「民間男性の皇籍付与」には誰も問題は感じないでしょう。

 そもそも「女性皇族方は宮家当主となることを望んでおられない」(政府高官)との複数の証言がある。

 まあ、産経のような反対論があるのに「女性宮家ウエルカムです」とはいえないでしょう。一方で「政治的中立性」の観点から反対論を言うわけにもいかない。
 女性皇族が質問されれば「そういう制度が出来れば国民の意思として従うが、是非作ってほしいわけではない」程度の答えになるのはわかりきっています。

 平成18年2月、宮内庁秋篠宮紀子さまのご懐妊の兆候を発表した際、女性・女系天皇を認める皇室典範改正に熱心な当時の小泉純一郎首相と、慎重派の安倍晋三官房長官との間でこんなやりとりがあった。
 安倍長官「誠におめでたいことですが、これで皇室典範改正はよくよく慎重にしなければならなくなりました」
 小泉首相「なぜだ」
 安倍長官「生まれてくるお子さまが男子でしたら、皇室典範改正は正統な皇位継承者であるこのお子さまから継承権を奪ってしまうことになります。(皇子同士が皇位継承で争った)壬申(じんしん)の乱になりかねません」
 小泉首相「そうか」

 今時「壬申の乱」とか小泉氏も「何だ、こいつは?。壬申の乱って。そんなことで皇太子と秋篠宮がけんかするとでも?(呆)」「そんなに安倍が悠仁君を天皇にしたいのだとしても『男性優先の女帝制度(男性がいれば男性が皇位継承権で優先されるが、居ない場合は女性天皇になる)』だってありうるだろうに。女帝制度全否定の理由にならないだろ」などと呆れたんじゃないですかね。まあ常識があれば安倍の時代錯誤に呆れるだけですがこれが安倍の手柄話になるのが産経です。
 まあ、小泉氏も典範改正をしたかったでしょうが、幸か不幸か悠仁君が生まれ「一応官房長官のポストにある安倍が反対」でやる気を失ったのでしょう。小泉氏も「安倍なんぞ官房長官にしなければ良かった」と多少後悔していたかもしれません。


改元特番でNHKだけが伝えた”不都合な真実”(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース
NHKスペシャル | 日本人と天皇

NHKスペシャル | 日本人と天皇
 番組では、「皇位の安定的継承」についても取り上げます。平成の次の時代になると、皇位継承者は秋篠宮さま、悠仁さま、常陸宮さま*26の男性皇族3名となります。男系男子に限られている皇位の継承をどう考えていけばよいか。戦後、現憲法の下で2度に渡って行われた政府の議論を、発掘資料やスクープ証言を交えて詳細に検証。「皇位継承」を巡って何が話し合われたのか?新しい時代、主権者である私たちはこの問題とどう向き合えば良いのか?そのヒントを探っていきます。

改元特番でNHKだけが伝えた”不都合な真実”(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース
「日本の象徴天皇制は自然消滅する」
 ショッキングな表現でそう語っているのは改元の前夜に放送されたNHKスペシャル | 日本人と天皇に登場した古川貞二郎*27・元官房副長官だ。今のままでは象徴天皇制は存続し続けるかどうかわからないと警告する。番組を見ると、象徴天皇制で初めてとなる「生前退位・即位」という大きな出来事を前にして、政権の中枢にいた人物でさえ強い危機感を露わにしていることがわかる。その危機感が国民の間であまり知られていないように思う。この「NHKスペシャル」が問いかけた内容は後でくわしく述べるが、他の番組は「お祝いムード」一色で、肝心な”不都合な真実”がまったくと言っていいほど報道されていないのだ。
 「象徴」とは何をする仕事なのかを真正面から追求して取材力を発揮したのが、NHKスペシャル「日本人と天皇」だ。
 戦前の皇室典範も戦後の皇室典範も「男系男子」(男親の系譜で生まれる男子)を天皇継承の条件と定めている。これまでの歴史では女性の天皇がいた時も、「男系」(父親か祖父などが男性)の天皇であって女系はいなかった。
 この問題をめぐる取材が非常に深い。
 戦後に新しい憲法が発布されて、天皇は「象徴」という立場になり、宮家も11が廃止されて51人が皇族から民間人に身分が変わった。この 取材班は、新憲法が発布された日に三笠宮崇仁親王昭和天皇の末弟)が皇室典範の草案を審議していた枢密院に提出した皇室典範改正をめぐる意見書を掘り起こしたが、そこで三笠宮は以下のように書いている。
「今や婦人代議士も出るし、将来、女の大臣が出るのは必定*28であって、その時代になれば今一度、女帝の問題も再検討」するのは当然だと。
 進歩的な思考の持ち主だった三笠宮は、天皇にも基本的人権を認めて、場合によって「譲位」という選択肢を与えるべきとも書き残していた。
 けっきょく、三笠宮の(ボーガス注:女帝容認の)意見書は枢密院で検討された形跡がなかったが、その後、小泉政権で「女性天皇」「女系天皇」の問題が検討の対象になる。

 「さすが三笠宮」というべきですかね。さすが「紀元節復活には反対だ」と公言するなど「一定のリベラル性を持つ人間」は違いますね。しかし俺の知る限り三笠宮死去時にこういう報道はあまりなかった気がしますね。やはり「三笠宮殿下は女帝導入論に対し好意的でした」とか報じた時のウヨの反発がこわいからでしょうか。

【参考】

三笠宮さまが逝去 昭和天皇の末弟、100歳 (写真=共同) :日本経済新聞
 戦後間もないころに昭和天皇生前退位や女帝を容認する意見を表明。神話に基づく紀元節(現在の建国記念の日)復活に反対するなど、歴史学者らしい合理的な考え方を持たれていた。

三笠宮崇仁親王ウィキペディア参照)
・1950年代後半から『紀元節』(神武天皇即位紀元に基づき、初代・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とする)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者・歴史学者としての立場から『神武天皇の即位は神話であり史実ではない』として、「神話」と「史実」は切り離して研究されるべきと強く批判し、積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの:建国と紀元をめぐって』(1959年、光文社カッパブックス)は、このときに刊行されたものである。このため「赤い宮様」と渾名された。
 一方で、復活を主張する人々は三笠宮を激しく非難し、なかでも右翼活動家の里見岸雄*29野依秀市*30は、三笠宮を「無責任」「非常識」「左翼」と批判し、皇族の身分を離れることを要求する著作を公表している。右翼団体の構成員が宮邸に押しかけて、面会を強要した事件も起きている。
・著書『日本のあけぼの:建国と紀元をめぐって』(1959年、光文社カッパブックス)において、「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた」と自らが生きた時代を振り返っている。
「文藝春秋」の1951年(昭和26年)12月号でのイギリス人女性との対談では「天皇への敬礼は強制さるべきではなく、各人の判断のままでよい。頭を下げる人、手を振る人、あるいは知らん顔をしたり、最悪の場合には『赤んべえ』をしていても、ちっとも構いません」と発言。この直後、昭和天皇京都大学巡幸では、いわゆる京大天皇事件が発生。学生はさっそく「あかんべえ」をして昭和天皇を迎え、宮内庁を狼狽させた。
江沢民*31回顧録に、1998年(平成10年)に自身が訪日した際に、宮中晩餐会に同席して「今に至るまでなお深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」と発言したとの記述がある。

【参考:終わり】

 平成13年(2001年)、当時の皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)に女子(愛子さま)が生まれたことで平成17年(2005年)、小泉政権皇室典範に関する有識者会議が発足して、10ヶ月間、委員はいろいろな資料を元にして議論を進めたという。その中で委員が知った意外な事実があったという。
 これまでの125代におよぶ天皇のうち、約半分が「側室」(第2夫人、第3夫人など)の子と見られているという。戦後*32は「側室」という制度はない。過去400年間では側室の子どもではない天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の前天皇(今の上皇陛下)の3人のみで、側室の制度がない現在においては「男系」の伝統の維持は難しいという声が多くの委員が認識したという。
 けっきょく、この有識者会議では男女の区別なく「直系の長子(天皇の最初の子ども)を優先する」という最終報告を出し、翌年(平成18年=2001年)、政府は「女性天皇」「女系天皇」の容認に舵を切った。
 ところがこの動きに猛反発したのが男系の伝統を重視する人たちだったと、2006年3月に日本会議が行った「皇室の伝統を守る1万人大会」の映像が登場する。日本会議の関係者の映像がNHKスペシャルのような正統派ドキュメンタリー枠で登場するのはかなり珍しいが、NHKのスタッフは今回、番組制作にあたってこうした団体も正面から取材して放送している。
 当時の平沼赳夫*33衆議院議員日本会議国会議員懇談会会長=当時)は演説で以下のように語っている。
「連綿と125代、万世一系で、男系を守ってこられたご家系というのは日本のご皇室をおいて他にはありません。守らなければならない伝統や文化は断固守っていかねばならない」
 さらに國學院大學名誉教授の大原康男さん*34もインタビューで「女系はいまだかつてない、まったく別の王朝が生まれること」などと説明するが、けっきょく2006年秋に秋篠宮ご夫妻に長男の悠仁さまが誕生したことで棚上げとなって議論が見送られた。
 だが、有識者会議の委員の一人だった元官房副長官古川貞二郎さんが以下のような言葉を述べるのである。
「私はね、不本意ながら、本当に日本の象徴天皇制は自然消滅するのね、そういう言葉は使いたくないけれど、そういう可能性が高いんじゃないかというふうに心配しますですね。これは。というのはお一人。いずれ悠仁親王殿下おひとりになられる。
 本当に国民が理解し支持するという案で、この象徴天皇制を継承する議論をし、取り組みをしないと、私は後生に非常に悔いを残すことになりはしないだろうか、というふうに思いますね」
 確かに、過去400年間で、側室から生まれていない天皇が3人しかないのであれば、側室という制度がなくなった以上、「女性天皇」を認め、「女系天皇」を認めない限りは、古川氏の言う通りで「自然消滅」してしまう可能性が高い。
 「男系」を維持すべきと訴えてきた(日本会議系の)人たちは「ある案」に期待を寄せていると、番組で紹介している。
 それは旧宮家の子孫を皇族に復帰させることで、男系が続く家の男子が女性皇族と結婚するか、皇族の養子になってもらう、という案だという。いずれにせよ、本人にその意思がなければ実現できないため、NHKの番組取材班は旧宮家の人たちに「質問状」を送って、皇族に復帰する気持ちがあるかどうかを尋ねたところ、全員が「この件はコメントをさし控えたい*35」という反応だった。
 番組では「仮に復帰する意思があったとしても皇室典範の改正は必要」とナレーションで説明。
 「女系」に反対する急先鋒だった平沼赳夫衆議院議員にもインタビューしている。
平沼赳夫元議員)
「やっぱり悠仁親王に男の子がたくさん将来お生まれになることが望ましい。」
(ディレクター)
「一般の我々にしても、女の子がずっと生まれるというのはある。天皇家だけ例外があるのかというとそれも」
(平沼、しばらく無言で考えた後で)
「誰も結論は出ないでしょうけどじっと待つしかないな。それを信じながら」
 右派の大物議員で現政権にも少なからぬ影響力を与える人物でさえ「じっと待つ」「信じる」という他にこれという妙案がないという。
 この番組の最後は、戦後すぐに皇室典範に「女性天皇」「女系天皇」の余地を検討すべきだと提言していた三笠宮崇仁親王の晩年の声が登場する。2004年にNHKのラジオ番組に出演した時の肉声だ。
「女帝自体も大変だし、けれども今度は一般の人が配偶者になるということはこれは大変で、戦後、華族制度がなくなりまして、華族制度をなくすということは、いわば、天皇制の外堀を埋められたようなこと。今になって考えますとね、だから女帝になっても、配偶者になる方がいないんじゃないかと思うんですね。今の日本人では。今はマスコミが騒ぎすぎますねえ。あれだと本当に将来もそういう立場になるという人もおじけづくだろうし。
 理屈では当然、女帝であってもしかるべきだけれども、現実問題としては、果たしてそれがどうなるのか。女帝おひとりで終わっちゃうのも困りますしね、これはともかく大きな問題だと思いますね」
 三笠宮は皇室の行く末を案じながら、3年前に100歳でこの世を去った。
 眞子さまとかつて婚約を発表した小室圭さんをめぐる報道を思い出してみても、確かに将来、女帝が誕生するにしても、その配偶者になる人が現れるものだろうかと想像してみる。改めて三笠宮の慧眼には恐れ入るほかない。
 三笠宮が考えていた「持続可能性がある象徴天皇制」ということを考えると、現状ではあまりに課題が多いということをこの番組で突きつけられた気がする。
 「お祝いムード」一色に染まったテレビ番組が圧倒的に多い中で、このNHKスペシャルは長い目で見た「象徴天皇」のあり方を国民に訴える非常にすぐれたドキュメンタリー番組だったと思う。

 「うわ、見たい」ですね。そのうち再放送ないかしら。


韓国、天皇陛下は「平和主義継承者」と好感 安倍首相と比べる誤解も - 産経ニュース

 韓国では、天皇が政治と一線を画す存在だとは十分理解されず、「安倍首相の右傾化をいさめる平和的君主*36」という誤解した構図を描いているようだ。

 やれやれですね。「米長の例の発言」がわかりやすいですが、さんざん天皇を政治利用しようとしてきたくせに「天皇は政治と一線を画す存在」だそうです。
 あるいは「ウヨが猛反対したが、宮沢内閣によって実行され、結果的に欧米の対中国制裁解除や日本の中国経済進出」につながった明仁天皇訪中がわかりやすいですが、実際には天皇の言動は過去において政治的にいろいろ微妙な問題があったわけです(なお、「訪中には一定の政治性があったことは否定できない」という歴史的事実の指摘をしており、訪中がいいとか悪いとか言う評価の話はここではしていません)。産経が「天皇は政治と一線を画す存在」と言うほど話は簡単ではありません。
 それはともかく、この産経の記事「誤解」云々からは産経が「政治的権限を持たない者は君主とは言えない」と理解しているとしか読めないでしょう(そのような君主理解の是非はひとまず起きます)。
 すると「意外ですが」産経にとって今の天皇は「象徴」なんでしょうか。


共産・志位氏「安倍政権もろとも9条改憲を葬ろう」 - 産経ニュース
 「安倍政権もろとも」というよりは「安倍政権を葬れば、確実に改憲は葬り去られる」でしょう。安倍以外の自民党政治家にそれほど改憲意欲はないでしょう。


天皇陛下の即位報じる号外発行 「時代を実感できる」 - 産経ニュース
 意味が分からないですね。一般に号外とは「通常の朝刊、夕刊で報道するのは適切でない、緊急かつ重大な事件」について出すもんでしょうが、事前に「5/1にやる」とわかってるものは緊急性はないし、号外を出すほどの重要性があるとも思いません。


ベネズエラ国会議長のクーデター 軍の大規模離反みられず - 産経ニュース
 大量離反しても、その離反が「9割方、野党側に軍がついた」などの圧倒的ケースでなければ深刻な内戦を招き、ほとんど離反しなければ野党側が「軍事クーデターをそそのかした犯罪者として追及される」「国際社会も支持しがたい」であろうという意味で、「クーデター呼びかけ」報道が事実ならば非常に悪手だと思っていましたが、この記事を信じる限り危惧通りの悪手で終わる公算が高そうです。


キューバにマドゥロ氏亡命寸前、ロシアが制止か : 国際 : ニュース : 読売新聞オンライン
 情報が完全に錯綜してますね。ベネズエラ国会議長のクーデター 軍の大規模離反みられず - 産経ニュースなどが報じるように、軍の離反がほとんどないのであれば亡命する必要はないでしょうし「?」ですね。
1)亡命計画は事実で実は軍はかなり離反している 
2)暫定大統領就任を主張するグアイド国会議長側(グアイドを支援する米国などを含む)が自らを有利にするための情報工作
3)マドロ大統領側(マドロを支援するロシアなどを含む)が自陣営を引き締めるためにあえて「自陣営が不利であるかのような」情報工作
4)その他
のどれかでしょうが、部外者には一寸真相は分かりませんね。まあ、発言者がポンペオ米国国務長官であり、グアイドでもマドロ*37でもないことを考えると「アメリカが2)を狙ったのかな?」つう気がしますが。


政府、外交ルートで抗議 徴用工訴訟の資産売却申請で - 産経ニュース
 いつもながら愚劣な安倍政権です。まず第一に日本製鉄ならともかくなぜ「当事者でない日本政府」が抗議するのかさっぱりわかりません。
 第二に強制執行を申請したのは原告側弁護士で、韓国政府ではありません。なぜ韓国政府に抗議するのか。安倍政権のやってることは、基地周辺住民が騒音被害などを理由に米軍を訴えたら、米軍側が日本政府に「なんとかしろ」というくらい無茶苦茶です。なんとかしたらそれこそ裁判を起こす権利の侵害でしょう。つうかなんとかすべきなのは韓国政府ではなく「日本製鉄」でしょうに。日本製鉄が原告側弁護士が求める交渉に応じればこんなことにはなりません。


「政府は介入できない」 日本企業の資産売却申請に韓国外相 - 産経ニュース
 裁判に政府は介入できない、すべきでない(韓国政府の反論)という当たり前の話です。にもかかわらず「原告や裁判所ならまだしも」韓国政府に抗議する安倍政権は頭がおかしい。これが日本の政府かと思うと屈辱を感じます。安倍政権にとって、「光華寮訴訟」の中国敗訴判決(二審判決)時の日本政府の抗弁「中国政府に抗議されたが三権分立なので裁判判決には介入できない」はどう理解されてるのか。
 「中国の要望に応えるために俺たち自民党が裁判判決に介入したに決まってるだろ。だから光華寮訴訟は、最高裁で台湾が負けたんだよ」とでも公言するのか。


日本企業2社の資産売却へ 韓国、元徴用工側が申請 日本は「対抗措置」警告 - 産経ニュース
 日本政府、つまり安倍政権の無茶苦茶な対応には呆れて二の句が継げませんね。
 この件の当事者は「日本製鉄と元徴用工」でしかありません。日本製鉄と元徴用工が話し合って解決すればすむ話に過ぎない。日本政府が口を出すべき話じゃないし、韓国側に対し対抗措置という話でもない。この件は行政措置ではなく裁判所判決だからです。
 こんな対抗措置が許されるのなら「光華寮訴訟」の中国敗訴判決(二審判決)、または台湾敗訴判決(一審および最高裁判決)に対し中国や台湾が対抗措置を執ることもOKになってしまうでしょう(なお、実際には中国も台湾も、敗訴判決に抗議はしたものの対抗措置は執っていません)。それを産経や自民党は支持するのか。支持しないなら明らかに論理的に矛盾しています。


いわゆる元徴用工訴訟 資産売却手続きに伴う日本製鉄がコメント - 産経ニュース
 「政府と相談し」という文面には心底呆れます。この問題は「日本政府は被告ではない」のだから政府が関わる話じゃないでしょうに。
 相談すべき相手は日本政府ではなく「韓国側原告」です。日本政府の政治的圧力で「仕方なく言わされてる」のかもしれませんが実にくだらない。
 かつこう日本製鉄(旧称:新日鐵住金)が声明したことによって安倍政権は日本製鉄の決定について「私企業の判断で政府は関係ない」と言い訳することが不可能になったわけです。まあ、その当たり安倍政権は何も考えてないのでしょうが。


各党が天皇陛下ご即位で談話(1/2ページ) - 産経ニュース

社民党又市征治党首
安倍晋三政権は『新時代』をアピールするとともに、お祭り気分をあおることで、日本が直面している政治的な難問や経済的な難問を棚上げし、政権浮揚に結びつけようとしている。皇位継承改元の政治利用は認められない。西暦か元号かどの紀年法を用いるかは国民の選択に委ねるべきであり、新元号の使用が強制になるようなことがあってはならない」

 こういう指摘は非常に重要だと思います。


共産・志位委員長「即位に祝意」 - 産経ニュース

 「新天皇の即位に祝意を表します。象徴天皇として、新天皇日本国憲法の精神を尊重し擁護することを期待*38します」

 憲法擁護に触れたところは評価しますが、祝意云々ってのがねえ。個人的にはこんなことは言わないでほしかったと思いますね。むしろ「即位したからと言って国民生活が楽になったわけではない。新天皇を侮辱する気はないがそういう意味で祝意を表明する気にならない」「むしろ祝意を宣伝することで悪政をごまかそうとする安倍政権への怒りを感じる」くらい言ってほしいですけどね。

*1:もちろんよしこらウヨは「開かれた皇室論」にも「権威がなくなる」と否定的ですが。

*2:クラス担任のこと

*3:第1次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣など歴任。戦後終身刑判決となるが後に仮釈放。

*4:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣を経て首相。戦後死刑判決。後に靖国に合祀。

*5:よしこのようなウヨしか今や使わない死語。人柄(その人の個性、特徴)の「国家版(その国の個性、特徴:ただし右翼的な意味合いが強い)」。なお「お国柄」と「お」をつけると、意味が変わってきます。

*6:米国シンシナティ交響楽団首席指揮者、ドイツ・フランクフルト放送交響楽団首席指揮者、フランス・パリ管弦楽団首席指揮者などを経てNHK交響楽団首席指揮者

*7:櫻井よしこ著『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』(2002年、小学館文庫)のことか?。実際には「真相箱」での指摘は「天皇の戦争責任問題を取り上げない」などの一部の問題を除けば、概ね正しく、むしろよしこらの「日本は悪くない」という居直りの方が問題なのですが。

*8:皇太子と書かないことで「皇室を崇拝する伝統保守であることをアピールするよしこ」です。

*9:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*10:一橋大学成城大学立教大学講師。個人ブログ源清流清 ―瀬畑源ブログ―:SSブログ。著書『平成の天皇制とは何か』(共著、2017年、岩波書店)、『公文書問題:日本の「闇」の核心』(2018年、集英社新書)、『公文書管理と民主主義』(2019年5月予定、岩波書店)など

*11:そもそも「戦前は国家元首で、戦後も沖縄メッセージなど国家元首気取りの男」「沖縄戦について公式には一度も遺憾の意などを表明したことがない男(昭和天皇)」と「象徴であることをそれなりに自覚してる男」「沖縄戦についての思いを幾度か語ってる男(明仁氏)」では振る舞いが違うのはある意味当然です。

*12:著書『フランス文学案内』(1996年、朝日出版社)、『愛国心の探求』(1999年、文春新書)、『フランス三昧』(2002年、中公新書)、『フランス文学精読ゼミ』(2005年、白水社)など

*13:2006年刊行

*14:2001年刊行

*15:よしこが説明しないので何で「破り捨てるのか」さっぱりわかりません。【追記】ない知恵を絞ってみましたが、「皇族だけ抜粋し特筆大書の名簿」と「皇族も入った全員の名簿」があって「前者なんかいらねえよ、同じ学生なんだからそんな特別扱いなんかおかしいよ、後者だけでいいよ→前者を破り捨てる」つう話でしょうか。ならそれは一つの価値観でしょうし、俺個人はむしろそうした価値観に賛同します。そして少なくともそれは皇室否定ではない。

*16:東大法学部長、総長を歴任

*17:この演説とは『貴族院において、象徴天皇制への移行へ伴う皇室典範改正にともない、「天皇の自発的退位」の規定を設けることを主張。これは南原が『昭和天皇は戦争責任の取り方として自発的に退位すべき』と考えていたためだが、反対多数で否決された。』(ウィキペディア南原繁」参照)という話でしょう(今時南原の演説なんか知っている人が少ないのだからよしこも説明くらいすべきでしょう)。なお、皮肉なことに「昭和天皇の退位」と話が違いますが今回、明仁氏が「自発的に退位すること」になったわけです。

*18:戦前は国会どころか私的空間でも「不敬罪処罰の恐れがあって」出来なかった「退位の話」が戦後は国会で出来るのだから「記念碑的」ではあるでしょう。「記念碑的」とは「歴史に残る出来事」という意味であり、必ずしも肯定的評価ではありません。なお、天皇関係では「昭和天皇が側室を置かなかったこと」「明仁氏の妻が皇族や華族出身でないこと」「今回の生前退位」なども「記念碑的」です。

*19:よしこが説明しないので、三好がどういう意味で「どうでもいい」といってるのかさっぱりわかりません。素直に考えれば天皇制廃止論でしょうが。【追記】「 皇族を冷遇する学習院の悪しき体質 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイトを読む限り三好の主張は「天皇制廃止論」とは関係ないですね。

*20:著書『詩を読む人のために』(岩波文庫)、『測量船』、『諷詠十二月』(以上、講談社文芸文庫)、『本とつきあう法』(ちくま文庫)など

*21:著書『藝術に関する走り書的覚え書』、『梨の花』(岩波文庫)、『あけびの花』、『空想家とシナリオ・汽車の缶焚き』、『甲乙丙丁(上)(下)』、『五勺の酒・萩のもんかきや』、『斎藤茂吉ノート』、『むらぎも』、『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』(以上、講談社文芸文庫)など

*22:たぶん「そういう言論の自由があることはいいことだ」程度の話でしかないでしょう。学習院で皇太子(当時)のクラス担任を務めた人間が天皇制廃止論とはとても思えませんので。

*23:どうみても「学習院の教育環境が悪いからダメ天皇でも仕方ないよね。そんな学習環境を放置した私ら国民の責任です、サーセン」という当てこすった言い方で「新天皇がよしこらウヨにとって立派でない」と言ってるよしこです。

*24:現状だと結婚した時点で皇族でなくなるので子どもを産んでも皇族は増えない。

*25:秋篠宮とその息子である悠仁君を除けば、他は「現天皇」「元天皇」「80歳代の常陸宮(元天皇の弟)」しかいません。

*26:秋篠宮悠仁君が近い未来に死去するというあり得ない想定をしない限り、「明仁氏の弟(80代)」である常陸宮が今後、天皇になることは現実的にあり得ませんが。

*27:厚生事務次官官房副長官を歴任。現在、社団福祉法人恩賜財団母子愛育会理事長

*28:ちなみに日本最初の女性大臣は池田内閣(1960年)の中山マサ厚生大臣です。

*29:1897~1974年。著書『万世一系天皇』(錦正社)、『国体学創建史(上)(下)』、『国体学総論』、『国体思想史』、『国体に対する疑惑』、『国体論史(上)(下)』、『天皇とは何か』(以上、展転社)など

*30:1885~1968年。雑誌『実業之世界』、日刊紙『帝都日日新聞』等を運営。「右翼ジャーナリスト」、「言論ギャング」、「ブラックジャーナリズムの元祖」等の異名を持つ。自民党代議士を1期(1955~1958年)務めた(ウィキペディア野依秀市」参照)。

*31:電子工業大臣、上海市長・党委員会書記などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*32:ただし制度としてはあったかもしれませんが戦前から既に昭和天皇は側室をおいていません。

*33:村山内閣運輸相、森内閣通産相小泉内閣経産相、維新の会代表代行、次世代の党党首など歴任

*34:著書『皇位継承の危機いまだ去らず』(共著、2009年、扶桑社新書)など

*35:そりゃ復帰の意思が仮にあっても「ウエルカムです」とはいえないでしょう。「女帝反対なのか」とか「皇族に戻りたい権力亡者なのか」とか疑われる。一方でないからと言って「ノーサンキュー」といったら平沼のようなウヨに攻撃されかねないわけです。ならばノーコメントが一番無難です。復帰論なんてそういう法案が出たわけでもなく、女帝容認論に比べて国民の支持もないですしね。

*36:まあ安倍ほどのウヨではないでしょうが天皇にそうしたことを期待することは澤藤統一郎氏などが批判するように適切ではありません。なぜなら第一に彼には政治権限がない以上、出来ることには限界がある。第二にそれでも彼に期待すればそれは「天皇に政治的言動を要望する」という違憲行為になってしまいます。第三に彼に期待せずとも我々国民が安倍を下野させればいいだけの話です。我々の力不足を棚に上げて「政治権限がない人間に期待する」など理屈として間違っています。この点は非常に申し訳ないものの、韓国側にも理解していただき天皇に変な期待をしないでほしいところです。

*37:国会議長、チャベス政権外相、副大統領などを経て大統領

*38:出来れば期待ではなく「要望」位の表現にしてほしかったですね。

今日の韓国・北朝鮮ニュース(2019年5/1分)

”君たちは間違っていない”/神戸朝高で創立70周年を記念し対外公開授業 | 朝鮮新報

 はじめて授業を見学した清水貴之参議院議員日本維新の会)は「生徒たちが自発的、自主的に授業に参加しているとの発言や、音楽・美術などそれぞれの個性を伸ばそうとする授業がなされている印象が心に残っている」としながら、過去2度にわたって訪朝したことについて話した。
「15年に訪朝した際、修学旅行で来ていた東京朝高の生徒たちと一緒になった。子どもたちの笑顔、楽しそうな雰囲気を今も忘れられない」と述べ、自身と親睦の深いアントニオ猪木議員の言葉を借りて「対話の扉は閉ざすべきではない。直接行って、見て、話をする、感じる。でないと心と心は触れ合えない。訪朝した際も現地の皆さんにたいへん温かいおもてなしを受けた。今日も学校のみなさんに心温まる恩恵を受けた。私の印象もガラッと変わった」と述べ、このような人と人とのつながりを礎に、朝・日友好の為に努力していく意思を示した。

 橋下維新が朝鮮学校を敵視し、維新が与党の大阪府大阪市補助金支給を停止していることを考えれば、「無償化除外・自民」の馳元文科相朝鮮学校訪問並みに意外な話ではあります。


学術書「朝鮮学校の教育史」:脱植民地化へ試行錯誤 世界人権問題研究センター専任研究員の呉永鎬さん出版 /滋賀 - 毎日新聞
 コメント抜きで紹介だけひとまずしておきます。

参考

朝鮮学校の教育史 - 株式会社 明石書店
■内容紹介
 朝鮮学校の歴史は、植民地支配以来続く日本の同化政策との闘いの歴史であると同時に、祖国から離れた地で民族の歴史と文化を伝えようとする創造的な教育実践の記録でもあった。朝鮮学校の闘争と創造の中に在日朝鮮人の脱植民地化の歴史を発見する新たな試み。
■目次
序章 闘争と創造の朝鮮学校
 第一節 問題の所在:朝鮮学校教育史の不在
 第二節 先行研究と課題
 (1)朝鮮学校史研究の成果と限界:脱植民地化の教育史としての朝鮮学校
 (2)教育の反省性の軌跡としての教育史
 (3)本書の課題
 第三節 対象と方法
 (1)朝鮮学校とは
 (2)1950~60年代の位置づけ:朝鮮学校の教育の基本型の成立期
 (3)史資料
 第四節 構成

第1章 誕生と破壊
 第一節 草創期の教育
 (1)朝鮮学校のはじまり
 (2)学校体系の構築
 第二節 朝鮮学校の閉鎖
 (1)1948年の学校閉鎖措置と4.24教育闘争
 (2)1949年の学校閉鎖措置と在日朝鮮人の抵抗
 第三節 止まらない歩み
 (1)就学義務制の廃止
 (2)多様な形態による民族教育の実施
 (3)在日朝鮮統一民主戦線の結成

第2章 本国教育の移植
 第一節 学校体系の再構築
 (1)在日本朝鮮人総連合会の結成
 (2)教育援助費と奨学金
 (3)帰国の実現
 (4)教員養成対策
 第二節 教育の再編
 (1)本国教科書の翻刻使用
 (2)学校規定の制定
 (3)三大重点課業の設定

第3章 矛盾の顕現
 第一節 基本生産技術教育の移植と実践
 (1)祖国建設のために
 (2)厳しい教育環境と教員たちの工夫
 (3)基本生産技術教育の実際
 第二節 見据えていた将来

第4章 教科書の創造
 第一節 本国教科書の限界
 第二節 1963年新版教科書:「創造的な適用」の内実
 (1)在日朝鮮人の視点、生活の導入
 (2)漢字表記の再開
 (3)日本社会や自然の取り扱い
 第三節 教科書内容の社会的規定
 (1)「私たち」とは誰か:祖国と在日朝鮮人
 (2)「弱い表現」の採用:日本社会からの評価
 (3)冷戦・分断イデオロギーの継続

第5章 生まれ出る言葉
 第一節 国語常用の取り組み
 (1)二重言語環境と教員の実力
 (2)国語を話させる難しさ
 (3)「おかしな国語」
 第二節 高まる「正しい国語」習得気運
 第三節 脱植民地化の様態:目指される浄化、生み出される亜種
 (1)生成され続ける在日朝鮮語
 (2)「正しい国語」の習得を目指して

第6章 朝鮮学校の生活綴方
 第一節 教育関係者の関わりと生活綴方の「輸入」
 第二節 都立朝鮮人高等学校『新芽文集』(1952年)
 第三節 子どもたちにとっての脱植民地化
 (1)朝鮮語で「ありのままに書く」意味
 (2)「解放」とは何か

第7章 朝鮮への誇り
 第一節 愛国伝統の学習
 第二節 朝鮮人らしい生き方の追求
 (1)日本式名前の改名:家庭の論理との衝突
 (2)チマ・チョゴリ制服の着用:子どもたちの主体性
 第三節 朝鮮人としての経験
 (1)風景
 (2)歌
 (3)休校日
 (4)運動

第8章 明滅する在日朝鮮人
 第一節 在日朝鮮人としての共通の記憶
 第二節 「61年8月講義」問題
 (1)「在日朝鮮人運動史」講義の実施
 (2)惹起した混乱
 (3)在日朝鮮人運動史の否定
 第三節 在日朝鮮人史の希求
 (1)在日朝鮮人史の不在
 (2)発掘・整理・活用・接続

第9章 公教育の境界線
 第一節 公立朝鮮学校という問い
 第二節 名古屋市朝鮮学校の設置・存続・廃止
 (1)暫定的措置としての設置
 (2)公立学校における民族教育の模索
 (3)ローカルな関係性
 (4)民族教育の徹底と公立学校の正常化:「不正常」から「不法」へ
 第三節 ローカルな公共性

第10章 政治問題としての法的地位
 第一節 日本政府および文部省の立場
 (1)学校閉鎖措置後の朝鮮学校の法的地位
 (2)各種学校認可の両価性
 第二節 無認可校への補助金交付:四日市市の論理
 第三節 各種学校認可をめぐる三重県の対応
 (1)文部省方針の貫徹
 (2)認可問題に関する政治的判断

終章 朝鮮学校の教育史が問いかけるもの
 第一節 朝鮮学校における脱植民地化
 第二節 戦後日本教育史にとっての朝鮮学校教育史
 第三節 東アジアにおける脱植民地化と教育の比較史に向けて

「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年5/1分:黒坂真の巻)

http://blueribbonasiya.blogspot.com/2019/05/blog-post.html

「既に朝鮮民主主義人民共和国が報告書を提示しました。そこに拉致被害者のうち、生存者は見つからなかったとあります。
 それがいやならご自分で生存者がいることを証明してください。
 我々は答えを出しております。いくらわめいても無駄なのです。あなたはここで意地をはることしかできないのですか。」
 これは、東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんが、twitterで少し前に発表した日本人拉致問題についての見解です。
 残念ながら、今は削除されています。

 まあここで黒坂が紹介する「東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんのtwitter」とやらはある意味正論です。北朝鮮は「調べたが、生存者はいない」と報告してきた。であるなら「生存者がいると反論できる根拠」が今現在こちらになければ「将来的に生存者がいると反論できる証拠が出たときは反論する」としてもひとまずは受け入れるしかないでしょう。「受け入れない」としても何もどうにもならない。拉致の解決が遅れるだけです。
 黒坂は「拉致被害者家族がかわいそうだ」とお涙ちょうだいを始めますが「繰り返しますが」そんなことを言っても何もどうにもなりません。
 また黒坂は「こんな暴言は許せない→これが朝鮮学校関係者の総意か→無償化除外」なんて無茶苦茶な話を始めますが、仮にこれが暴言だとしても*1、そんなことは何ら無償化除外などという差別行為の正当化理由にはなりません。いやそもそも一個人のツイートに対し、「これが朝鮮学校関係者の総意か」とする黒坂の決めつけ自体何の根拠もないわけですが。
 例えばいかに黒坂が救う会関係者とはいえ、根拠もなしに奴の暴言を「救う会の総意」と見なしたらまずいでしょう。西岡力・会長、島田洋一・副会長などと違い、黒坂は特に役職にも就いてないようですし。

黒坂真リツイート
 吉岡正史さん。最近の日本共産党は、米国の日本に対する戦争犯罪を免罪するのですね。「破滅に突き進んでいった日本」という表現には、東京大空襲や原爆など非戦闘員に対する大量殺戮行為*2を米国が断行したという認識がない*3

 もちろん日本共産党は「昔も今も」米国の東京大空襲や原爆投下について批判的です。
 ここで吉岡氏が言ってるのは
1)開戦当時から国力的に日本が勝てるか疑問な、無謀な戦争を米国相手にやるべきではなかった*4
2)少なくとも東京大空襲(1945年3月)や沖縄戦(1945年4~6月)、原爆投下(1945年8月)の時点では
ミッドウェー海戦(1942年6月)での日本・連合艦隊崩壊*5
スターリングラードの戦い(1943年2月、対ソ連)、ノルマンディー上陸作戦(1944年7月、対米国)でのドイツ敗戦*6
サイパンの戦い(1944年7月)での日本軍玉砕*7」などで日本勝利の可能性は完全になくなっていたのだから早急に降伏すべきだった(しかし日本政府は敗戦を覚悟しながら国体護持が出来るか分からないとして、「中立国*8ソ連を仲介とした和平交渉」に期待をかけ、降伏を遅らせ、東京大空襲(1945年3月)や沖縄戦(1945年4~6月)、原爆投下(1945年8月)の悲劇を招きます)
つう意味であることは明白でしょうに。
 そしてこんなことを言う黒坂は、
1)東京大空襲の実行者であるカーチス・ルメイが「航空自衛隊設立の功労」で佐藤栄作政権から勲章をもらったこと、それについて当時の社会党共産党が抗議したこと
2)第一次安倍内閣の久間防衛相が「原爆投下はしょうがなかった」と発言し、批判をあび、辞任に追い込まれたこと
をどう理解しているのか。佐藤や久間、自民党を批判し、佐藤らを批判した共産党を評価するのか。

参考

カーチス・ルメイウィキペディア参照)
・1964年12月7日、入間基地で、勲一等旭日大綬章航空幕僚長からルメイに授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に功績があったためである。推薦は佐藤*9内閣防衛庁長官小泉純也*10外務大臣椎名悦三郎*11の連名で行われた。
 ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対し批判も大きく、日本社会党日本共産党原水爆禁止団体、被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。国会でも叙勲に対し疑問視する声があった。こうした批判に対し佐藤首相は「今はアメリカと友好関係にあり、功績があるならば過去は過去として功に報いるのが当然」と答え、決定を変える意思はないと表明した。小泉防衛庁長官も「功績と戦時の事情は別個に考えるもの。防衛庁の調査でも当時ルメイは原爆投下の直接部隊の責任者ではなく、原爆投下はトルーマン大統領が直接指揮したものである」と説明している。

原爆投下「しょうがない」/久間防衛相が暴言
 久間章生*12防衛相は三十日、千葉県柏市麗澤大学で講演し、米国の広島、長崎への原子爆弾投下について「しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない」と述べました。被爆国の現職閣僚が原爆投下を容認したのは、閣僚の資格にもかかわる重大問題であり、被爆者、平和団体などからいっせいに強い抗議の声が上がっています。
 久間氏は被爆地・長崎県出身で衆院長崎2区選出です。講演の中で久間氏は、当時の戦況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」と説明。原爆投下が日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだという認識を示しました。
 その上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」と述べました。
 講演後、記者団の質問に久間氏は、「『しょうがない』という言葉が、アメリカの原爆を落とすのをしょうがなかったんだと是認したように受け取られた」などと弁解しました。
被爆者ら一斉に抗議
 広島、長崎の被爆者はじめ市民団体は強い抗議の声をあげています。
 日本原水爆被害者団体協議会の田中熙巳事務局長は「広島・長崎の地獄を体験した被爆者として言葉がない。無残にも命を奪われた数十万の死者のことを思うと絶対に許せない。核兵器はどんなことがあっても使用してはならないもの。現役の防衛相が核兵器を容認する発言をしたことはその資格が問われる」と話します。
 広島県原爆被害者団体協議会の金子一士理事長は「日本が憲法を改悪して、アメリカとともにたたかうときに備えて、核兵器使用は『やむを得ない』と知らせようとしているように聞こえる」といいます。
 原水爆禁止日本協議会の高草木博事務局長は「広島・長崎への原爆投下は当時、二十一万の市民の命を奪っただけでなく、いまなお二十六万にのぼる生存被爆者を心身にわたって苦しめつづけている残虐行為です。世界で唯一、惨状を経験した国の閣僚として久間氏の発言はあまりに非常識としか言いようがない」として発言の撤回を求めました。

久間防衛相が辞任/“選挙に配慮” 暴言に反省なし
 広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」と発言し批判を浴びていた久間章生防衛相は三日、「不用意な発言が安倍首相の改革姿勢のマイナスにならないように身を引く」などとして、「選挙への配慮」を理由に辞任する考えを表明しました。同日、首相官邸を訪ね辞意を伝え、安倍晋三*13首相も了承しました。後任は小池百合子*14首相補佐官日本共産党志位和夫委員長は「辞任は当然だが、かばい続けた首相の責任は極めて重い」とのべ、首相の任命責任を指摘しました。

*1:上で書いたように俺は暴言とは思いませんが。

*2:なお「非戦闘員に対する大量殺戮行為」なら日本の方も南京事件731部隊・細菌戦生体実験、沖縄戦での集団自決強制などをやらかしてるのですが、日本の戦争犯罪には無反省なのが黒坂らウヨです。

*3:で、こんなことを言う黒坂が「米軍の戦争犯罪東京大空襲や原爆投下」を常日頃から厳しく批判してるかと言ったらもちろんそんなことはなく単に吉岡氏に因縁つけてるだけだから呆れます。

*4:正直結果的には米国が油断していたが故に、真珠湾攻撃は成功を収めますが、米国がハワイ攻撃を予想して準備万端待ち構えていたら、国力が全然違いますから、開戦時点で日本惨敗、戦争終了でしょう(その後の悲惨な日本の被害を考えると開戦で惨敗の方が良かった気もします)。ぶっちゃけあの攻撃はかなりリスキーだと思います。

*5:太平洋戦争での初めての日本の惨敗。国力が米国に劣る日本はこのダメージを挽回することが出来ず、これ以降、敗戦を重ねていく

*6:これ以降ドイツは敗北の一途をたどります。

*7:サイパンが陥落したことで、サイパンから米軍航空機が頻繁に日本に空襲にやってくるようになります。またサイパン陥落により、戦局の悪化が露呈されたことで東条英機が事実上の首相引責辞任に追い込まれます。

*8:実際にはヤルタ密約で対日参戦を約束していたわけですが

*9:元運輸次官。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*10:池田、佐藤内閣で防衛庁長官

*11:戦前、商工次官。戦後、政界入りし、岸内閣官房長官、池田内閣外相、通産相、佐藤内閣外相、通産相自民党副総裁(田中総裁時代)など歴任

*12:橋本内閣防衛庁長官自民党総務会長(小泉総裁時代)、第一次安倍内閣防衛相など歴任

*13:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*14:小泉内閣環境相、第一次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を経て都知事