「さらば戦争!映画祭」(追記・訂正あり)

 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート2(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081228/7324516098
で紹介した「さらば戦争!映画祭2010」のプログラムだが、過去作品の紹介も面白そうだからメモ書きとして書いておく(参考:http://sarasen.noblog.net/)。
【追記:過去作品だけでなく「さらば戦争!映画祭2010」以降の作品も紹介する】

http://sarasen.noblog.net/blog/11494374.html
2013/9/7(土)開催!〜映画「クロッシング」上映と「日本から『北』に帰った人の物語」*1著者 川崎栄子(韓 錫圭)さん&HRW土井香苗弁護士のトーク
 久しぶりの更新となりますが、主催イベントのご案内です。
 さらば戦争!映画祭 実行委員会企画「さらば戦争!映画会2013」第一弾として映画「クロッシング」の上映、そして「日本から『北』に帰った人の物語」の著者、川崎栄子(韓錫圭)さんとHRW土井香苗弁護士のトークを開催します。

 予算不足なんですかね。更新がしばらくなかった上、更新記事が紹介してるのは『クロッシング』だけの上映会お知らせ。企画の是非はともかく、一つしか映画を上映しないのは「映画祭」とは言えないでしょう。「映画祭第一弾」としてるようですが。では第二弾以降はいつ何をやるのか。

2012年01月28日(Sat)開催
第7回さらば戦争!映画祭・上映作品
『弁護士 布施辰治』監督:池田博穂/98分/2010年
 戦争に邁進するファシズムにたじろがず『人の命を尊び、世の中に一人だって差別されていい人はいない、差別されていい文化などないのだ』『生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために』と、日本の侵略戦争に立ち向かい、最も虐げられた朝鮮の民衆の生きる権利を全力で擁護し、闘う人とともに生涯を全うした「弁護士布施辰治」。生命を守るために、生命をかけてたたかうことの大事さ。今、私たちに勇気を持てと語りかける。


『ヒバクシャ 世界の終わりに』(2003年/116分/グループ現代配給、監督:鎌仲ひとみ)
 世界の被爆者たちのリアルな声を集めたドキュメンタリー。
 使う側にも使われる側にも被害をもたらす核。
 普通に生活している人が知らぬ間に被爆し、苦しみながら命を落とす現実を伝えるべく、イラクアメリカ、そして日本の被爆者たちの日常を映し出す。


『カタロゥガン! ロラたちに正義を!』(2011年、80分、監督:竹見智恵子)
 ある日、武装した日本兵が村にやってきて、男たちを殺し、家々に火を放ち、恐怖に震える少女たちを駐屯地に連行して「慰安婦」に。
 長い沈黙の後、被害女性たちは、失われた過去を取り戻すために立ち上がり、80歳を過ぎた今も闘い続けている。
 たくましく、そして輝いて!
 前回2010年の第6回さらば戦争!映画祭にて上映した「ロラたちに正義を(予告編)」から早1年弱、完成した「カタロゥガン!」を上映させていただきます。
 「カタロゥガン」とは「正義」、「ロラ」とは「おばあちゃん」の意味です。


『愛しきソナ』(2009年/スターサンズ配給/82分、監督:ヤン・ヨンヒ)
ストーリー:
 大阪で生まれ育った在日二世の映像作家ヤン・ヨンヒが、朝鮮総連の元幹部で最も理解しがたい最愛の父への複雑な想いとピョンヤンに暮らす家族を描いた初監督映画『ディア・ピョンヤン』は、ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞をはじめ数多くの賞を受賞し、世界中を笑顔と涙で包みこんだ。
 そして5年後に発表した本作『愛しきソナ』では、帰国事業によって70年代に北朝鮮に移り住んだヤン監督の3人の兄とその子どもたち、特に姪のソナにフォーカスを合わせ、近くて遠い二つの国をつなぐ強い絆と深い愛をめぐる、可笑しくも切ない家族 の物語を描き切った。
 前作の痛快なインパクトとはひと味違う、心に染み入るような繊細な優しさが伝わる感動作だ。
 2006年の第2回さらば戦争!映画祭では、ヤン監督の「ディア・ピョンヤン」を上映させていただきました。
 「来年もこれからも毎年ぜひ開催してください!」と頂いた嬉しいお言葉から早5年。
 再び、ヤン監督をお迎えする事ができました。

2009年プログラム
『パリのモスク−知られざるレジスタンス』
A Forgotten Resistance :The Mosque of Paris
1991年/26分/フランス語(日・英字幕付き)
 第二次大戦中、ナチスに追われるユダヤ人を守ったパリのモスク。 
 現在対立しているユダヤイスラム世界だが、フランスにおいて民族を越え、ナチスに抗したレジスタンスの活動があったことや、フランスの植民地出身の人々がフランス兵として闘った歴史を知る人は少ない。アルジェリア系フランス人の監督の作品。


『花と兵隊 Flowers & Troops』
2009年/106分/日本語 http://www.hanatoheitai.jp/
 もうひとつの「戦後」の記録― なぜ彼らは日本に還らなかったのか?
 六十余年前後に届いた、「未帰還兵」の遺言―。
 かつて、地獄の戦場がアジアにあった。太平洋戦争中、約十九万の将兵が命を失ったビルマ。『花と兵隊』は、タイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に還らなかった六名の日本兵、すなわち「未帰還兵」を描いたドキュメンタリー映画である。


『朝鮮の子』
1954年/30分/日本語・朝鮮語/モノクロ
「僕たちはお父さんやお母さんのおかげで、僕たちの国の言葉や地理、歴史を習っています。立派な朝鮮人になるためです。」
 この映画は当時の生徒の作文をもとに作られた。
 1952年、東京都教育委員会の「都立朝鮮人学校は、昭和31年3月31日限り廃校する」という、一方的な通告に憤激した在日朝鮮人たちが「民族教育」を守れと、「朝鮮の子制作委員会」を組織し制作した貴重な映画。


『るんみの場合 −若き在日、「韓流」そして自分史を語る』
2009年/28分/日本語
 2003年『冬のソナタ』から始まった「韓流ブーム」は日本社会に何をもたらせたのか。
 アンケートから見えてきたのは日韓双方から置き去りにされた「在日社会」。
 一人の在日三世が韓流と祖国への揺れる想いを自分史と共に語るパーソナル・ドキュメンタリー。


ヒロシマピョンヤン 棄てられた被爆者』
2009年/90分/朝鮮語・日本語
http://www.jca.apc.org/~earth/iinkai.html
 朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌ピョンヤン)で暮す李桂先(リ・ケソン)さん。彼女の両手には、指ごとに包帯が巻かれていた。
 「どういうわけか指の皮がしょっちゅう剥がれ、薬を塗って包帯しないと血がにじむんです」と語る。指ばかりでなく、子どもの頃から消化器の病にも苦しみ続けてきた。李桂先さんが、自分の健康を蝕んできた原因を知ったのは2004年。広島から訪ねて来た母親は、病に苦しむ娘を見て広島市被爆していることを告げた。
 被爆から59年。それまで母親が黙っていたのには、深い理由があった。


『記憶にございません〜きのこ雲を探して〜』
2009年/70分/日本語
 学生のころ被爆者の証言を聞いたが、証言を聞いてもどうしたらいいのか分からなかった。あの日に起きたことが想像できない。
 核廃絶のために自ら運動しようとも思わない。黙祷しても何に対して祈ったらいいのか分からない。居心地の悪さを抱えたまま、8年後、僕は103名の被爆者と世界一周の船旅に出かけた。
 自分と被爆証言を結ぶ橋を探しに。
 ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海
 http://ameblo.jp/hibakushaglobal/


「僕たちはお父さんやお母さんのおかげで、僕たちの国の言葉や地理、歴史を習っています。立派な朝鮮人になるためです。」
 畜生。こういう歴史を無視して無償化除外とか言う奴がいるかと思うと(以下略)
 あと、「都立」朝鮮人学校というのが意味がわからんのだが。気が向いたときに調べてみるか。


『記憶にございません』
 題名から政商・小佐野を連想したのは多分俺だけでは(以下略)

2008年プログラム
『ハイナンNET短編映像』   
http://hainannet.org/index.html
2008年/約30分
2008年12月25日、第二次大戦中に中国の海南島で起きた戦時性暴力被害事件の裁判があります。(詳しくは http://hainannet.org/index.htmlをご参照下さい)
 法廷で証言するために来日する海南島のおばあちゃんたちを支援しようと10代〜30代の若者中心に結成された「ハイナンNET」による短編映像です。
 私たちと同じ今を生きるおばあちゃんたち。
 家族と笑い、ときには怒るそんな日常の中にふとよみがえる昔受けた性暴力の記憶。
 それは今も癒えない傷を彼女たちの心に残しています。
 女性たちの映像を通し、これからできることは何か、戦争について、身近なところから一緒に考えてみませんか?
(中国語で海南島をハイナンダオといいます)


早咲きの花
http://www.hayazaki.com/
監督:菅原浩志 2006年/105分
 太平洋戦争末期、大人達の野獣の戦いにも関わらず、子供達の目は無邪気に輝いていた。
 どんなに貧しくても、笑ったり泣いたり、明るく遊びまわっていた。けんかもした。冒険もした。友情もあった。
 しかし、みんな『早咲きの花』となり散っていった・・・。
 子供達の幸せを奪ったのは、何か。子供達の未来を奪ったのは、誰か。
 『早咲きの花』は、今なお世界で繰り広げられている戦争の愚かさを、そして平和の尊さを、大人にも子供にも、スクリーンを見つめる私達全てに伝えてくれる映画です。


ヒロシマナガサキ WHITE LIGHT/ BLACK RAIN』
http://www.zaziefilms.com/hiroshimanagasaki/index.html
監督:スティーブン・オカザキ 2007年/86分
 広島、長崎の原爆投下から60余年を経た今、日本でも記憶が薄れつつあるが、アメリカをはじめ世界の多くの人々はいまだその被害の実態を知らず、被爆者の現実についてもほとんど知られていない。
 原爆の被害に対する認識と関心を、世界に呼び起こしたいと考えたオカザキ監督は、被爆者が高齢化していくなか、せきたてられるように日本を訪れ、実に500人以上の被爆者に会い、取材を重ねた。
 被爆者の想像を絶する苦悩に向き合い、彼らの生きる勇気と尊厳を深く受け止め、私たち観る者を圧倒する。


『時代(とき)を撃て・多喜二』
http://home.b09.itscom.net/takiji/
監督:池田博穂 2005年/88分
 この映画は、何よりも小林多喜二の勇気を描くこと、等身大の多喜二像を描くことを願い、ラブロマンス、家族愛、友情、同志愛のあとを辿り、その多感な青春のエピソードを発掘し、最新の発見や研究成果を積極的に取り入れた。
 「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」などの原作のいくつかの名場面を朗読で紹介しながら、書簡、初版本、肉筆原稿などの新発見の文学資料、そして多喜二にまつわるさまざまな事跡や風景のイメージを重ねて、多喜二の文学の核心を浮き彫りにした。


靖国YASUKUNI』 
http://www.yasukuni-movie.com/index.html
監督:李纓(リ・イン) 2007年/123分
 「靖国」をテーマに10年にわたって取材を続けたのは、日本在住19年の中国人監督、李纓(リ・イン)。
 極めてセンシティブなテーマを扱っているにもかかわらず、 前作*2と変わらぬその透徹した目線と人間に対する深い愛情が窺える。
 偏狭なイデオロギーにとらわれることのない、まったく新しい視点での「靖国」の記録。
 この映画の上映中止という「自粛の連鎖」の問題をめぐる論争で日本社会に何が提起されたのだろうか。
 「靖国」から日本が、アジアが見える。

2007年プログラム
パッチギ!LOVE&PEACE
2007年/監督 井筒和幸/127分
http://www.pacchigi.jp/loveandpeace/
 1974年。京都で大暴れしていたアンソン(井坂俊哉)は病にかかった息子チャンスの治療のために一家を引き連れ東京に引っ越してきた。
 キョンジャ(中村ゆり)はふとしたきっかけで芸能プロダクションにスカウトされるが、チャンスの治療費を稼ごうと芸能界入りを決意。
 チャンスの病状は悪化し日本では治らないことがわかると、アメリカでの治療費を稼ぐためアンソンは乱闘騒ぎのさなかに出会った元国鉄職員佐藤(藤井隆)と危険な仕事へと突っ走る。


『花の夢』 ―ある中国残留婦人―
2007年/監督 東志津/97分
http://www2.odn.ne.jp/ise-film/works/hananoyume/hana1.htm
 「お国のために尽くしたい」希望に燃えて中国へと旅立った直後に敗戦。
 混乱の中、帰国することができずその後35年も「中国残留婦人」として生きてきた栗原貞子さん。
 戦争によって人生を狂わされ、ようやく生き延びたが、その後の人生もまた苦難の日々。
 私たちはなぜ棄てられたのか?
「生きられるまでは生きようね」との言葉を最後に亡くなった友の亡骸は、今も中国の大地に眠っている。


『オレの心は負けてない』
2007年/監督 安海龍/93分
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7486/
 日本軍に騙され、中国・武昌で「慰安婦」となることを強要された宋神道さん。
 妊娠もしたが、子どもは中国に残してくるほかなかった。
 敗戦後、日本軍人の「結婚して一緒に日本に行こう」との言葉に望みをかけ渡日。
 しかし、博多港につくや放り出される。
 宮城県在住の在日朝鮮人河再銀さんに救われ、河さんが亡くなる1982年まで共に暮らした。
 沈黙の半世紀を生き、1993年、日本政府を相手に提訴。長い10年の裁判を闘い抜いた宋神道さんと支援者たちのドキュメンタリー。

2006年プログラム
「Marines Go Home:辺野古・梅香里・矢臼別」【監督 藤本幸久 2005年】


「NAGASAKI1945〜アンゼラスの鐘」【監督 有原誠治 2005年】


蟻の兵隊」【監督 池谷薫 2005年】
 中国山西省日本軍残留問題を描いたドキュメンタリー映画(ウィキペ「蟻の兵隊」による)


「ディア・ピョンヤン」 【監督 梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 2005年】
http://www.film.cheon.jp/
 17歳の時に朝鮮学校の修学旅行で初めて渡朝してから20数年、幾度となくピョンヤンを訪れ、そこに暮らす兄たちの家族と交流を深めてきた〈私〉=ヤン・ヨンヒ監督は、学校で教わらなかった「祖国」の現実を肌で感じながら、近くて遠い2つの国に生きる自分の家族のあり方を記録することを決意する。
 下町人情あふれる大阪の路上で、金日成賛歌が流れる万景峰号の中で、兄の家族が生活するピョンヤンのアパートで、娘は真っ正面から父にカメラを向ける。
 朝鮮半島と日本の政治情勢に翻弄されながらも祖国の発展を一途に信じ、家族のささやかな暮らしのために闘ってきた父親と、生まれた時から自由を謳歌して育った娘のジェネレーションギャップ。
 「死ぬまで仲良くしよーな」「うるさいわ!」といった漫才さながらのやりとりの奥にある、あまりにも複雑でせつない思い。
 映画はそれらを痛快なエンタテインメントとして描きながら、思想や価値観の違いをはるかに超えた場所にある絆を浮かび上がらせいく。

2005年プログラム
「あんにょん・サヨナラ」 http://www.annyongsayonara.net/sayo/index.htm
 【監督:金兌鎰(キム・テイル) 、共同監督:加藤久美子 2005年】


にがい涙の大地から」 http://kanatomoko.jp.todoke.net/nigainamida/niga_index.html
 【監督:海南友子 2004年】


パッチギ!」 http://www.cineamuse.co.jp/cinema/index.php?cinema_id=4
 【監督:井筒和幸 2004年】


「乳泉村の子」 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16986
 【監督:謝晋 1991年】


「日本鬼子(リーベンクイズ)」 http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD889/
 【監督:松井稔 2000年】
 中国帰還者連絡会を主体とした中国帰還兵のインタビューを集めたドキュメンタリー映画(ウィキペ「日本鬼子」による)


「HELLFIRE 劫火−ヒロシマからの旅−」  http://www.cine.co.jp/php/detail.php?siglo_info_seq=36
 【監督:ジャン・ユンカーマン 1988年】

*1:2007年、新幹社刊行

*2:前作って何?