「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート143(追記・訂正あり)

id:Bill_McCrearyさん記事『CSで、倉本聰脚本、萩原健一主演の『君は海を見たか』を放送している』
https://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/0f077bc3026df2a0872f8282a51a86b1
 コメ欄でご紹介の記事にコメントします(追記:id:Bill_McCrearyさん記事の追記で小生の記事をご紹介いただきました。どうもありがとうございます)。

 翌年ドラッグ関係で逮捕、さらに次の年には交通事故や暴行などで警察沙汰を繰り返したので、これ以降この時期以上の活躍が難しくなった感もあります。

 とはいえ才能と人気はある人なのでその後1990年代に復帰し

・TBS東芝日曜劇場課長サンの厄年』(1994年)、映画『居酒屋ゆうれい』(1994年)、テレビ朝日ドラマ『外科医柊又三郎』(1995年、1996年)に主演

します。 
 普通ならこれだけ主演が相次げば「復活して良かった」で終わりますが、

・2004年10月、再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕された。また、監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため、永島敏行に交代させられ、途中降板となった主演映画『透光の樹』(2004年10月公開)の前払いの出演料半額分(750万円)の返還をプロデューサーから求められた際に、「一方的に降板させられた」として拒否。さらにプロデューサーに電話をかけ、実在する暴力団の名を挙げて「必ずやっつけますから」と脅迫する言葉を留守電に残し、出演料全額分(1500万円)の支払いを要求したことで、同年11月に製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年の2月に再び逮捕された。当初脅迫電話をしたことは否定していたが、証拠として録音された音声が出されると、これを認めた。
 この恐喝事件で2005年6月に東京地裁で懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受け、しばらく活動休止。

ですからね。人間的に問題がありすぎです。
 それでも

・2008年に自叙伝『ショーケン』(講談社)を出版、ボーカリストとしてゲスト参加した宇川直宏による音楽ユニット・UKAWANIMATIONのデビューシングル「惑星のポートレイト 5億万画素」(作曲・プロデュース:石野卓球)で本格復帰を果たす。5年ぶりの映画出演となった『TAJOMARU』(2009年/小栗旬主演)の将軍足利義政役で日本映画批評家大賞の審査員特別男優賞を受賞。2010年には東京・大阪で7年ぶりのライヴ(トーク&ミニライヴ)ツアーを行なった。(ウィキペディア萩原健一」参照)

というのだからやはり「才能と人気はある」わけです。

 私の知る限り、天知さんという人は、このようなホームドラマ系の映画に出るということは少なかったのではないかと思いますが(やはりドラマでも明智小五郎とかのようなエキセントリックなイメージが強いと思います)

 ただし、美女・特撮・ドラマの記事など見れば解りますが、明智小五郎(あるいは彼が活躍する乱歩世界やそこでの犯人たち)は確かに「エキセントリック」ですが、
「復讐から殺人を行う犯人に対し同情的」
「五十嵐めぐみ演じる助手・文代*1に対し父親的な描かれ方」ということで「人柄の良い明智」として描かれています。実際にも、天知は真面目な人柄だったようですが。


■5月19日 映画「地獄」(中川信夫監督)上映会を行います(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4659
 ウィキペディアで確認したら、主役が天知茂、天知の恋人役が三ツ矢歌子です。なお、この映画、天知と三ツ矢以外は出演者はあまり有名とは言いがたい俳優ばかりです。
 個人的には天知と三ツ矢の共演というと、「晩年の天知(1985年にクモ膜下出血により死去、享年54歳)の代表作」であるテレビ朝日江戸川乱歩の美女シリーズ』(1977〜1985年まで25作*2)の第1作『氷柱の美女:江戸川乱歩の「吸血鬼」』ですね(三ツ矢がヒロイン*3)。
 なお、美女シリーズはネット上でもいろいろ紹介記事があります。個人的にはググって見つけた
美女・特撮・ドラマ
江戸川乱歩の美女シリーズ・2
http://gakuboukun.at.webry.info/200912/article_3.html
■『伝説は静かに、そして深く始まった〜土曜ワイド劇場・天知小五郎シリーズ第1作『氷柱の美女』〜』
https://blog.goo.ne.jp/remade-berokron2/e/7d3e257c78ee4df98c2e1930207c5d03
がなかなか面白いかと。
 なお、テレビ版の「明智小五郎」といえば人気や制作本数の点からやはり天知版でしょう。
 ウィキペディア明智小五郎」によれば天知版以前に、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で1970年に「1時間ドラマ枠で全26話」つくられていますが、あまり知られてないのはやはり面白くないのでしょう。
 なお、天知版と東京12チャンネル版はテイストがかなり違うようです。
 例えば「蜘蛛男」。テレビ東京版は

https://ameblo.jp/otto-e-mezzo/entry-11770050000.html
 明智小五郎(滝俊介)の推理に基づき、ある貸しビルからわずか3日で姿を消した稲垣美術店を捜査する。
 そこに寄贈された女性の立像を倒すと、それは女(集美枝子)の死体が塗りこめられていた。ショッキングなシーンの連続!
 明智の推理により蜘蛛男は黒柳*4博士*5であることを看破する。
 黒柳博士は殺人芸術と称し、拉致してきた数人の女性を毒ガスで殺害しようとするが、明智小五郎の見事な作戦に敗れ、製氷工場で自決する。

という原作にかなり近い「快楽殺人鬼」という設定です。
 一方、天知版は

化粧台の美女~江戸川乱歩の「蜘蛛男」より その4(2012年6月26日更新) - 美女・特撮・ドラマ
 簡単に書くと、山際氏は若い頃に恩人を殺してその会社を乗っ取って、現在の財を成した。で、犯人たちはその恩人と、恩人の部下のそれぞれの遺児*6で、その復讐のためにあれこれやってきたのだと告げる。

と復讐話です。大幅に改変されています。
 なお天知版の殺害動機は「金目当て」など「邪悪(?)な動機」がないわけではないですが、小生の印象だとほとんど「復讐目的」です。その方が「犯人役」に感情移入しやすいわけですが。ただし乱歩作品は必ずしも「復讐話ではない*7」ので、天知版では大幅な改変は不可避です。
 話が少し脱線しましたが、最近の若者は天知も美女シリーズも知らないでしょうが、小生は「1970年代後半生まれのおっさん」なので知っていますし、ああいうテイストのドラマは結構好きです。1990年代は、美女シリーズもテレ朝で割と再放送してたんですけどねえ。最近では「昔の番組過ぎて今の視聴者とは感覚にズレがあるので視聴率がとれない」「美女シリーズを見たいのなら、CSチャンネルファミリー劇場など)やDVDボックスなどがある」つうことか、まず地上波では放送されません。
 昔は人気番組として再放送されてたが最近では再放送されない(される場合でも早朝や深夜)のは他にも「太陽にほえろ!」(日本テレビ)「水戸黄門大岡越前(TBS)」「古谷一行金田一耕助シリーズ(TBS)」「西部警察(テレ朝)」「家政婦は見た!(テレ朝)」などいろいろありますが。これらも「CSチャンネルファミリー劇場など)やDVDボックスなどがある」ので見ること自体は可能です。

 中川監督の最高傑作は「東海道四谷怪談」だと思う

 「最高傑作かどうかはともかく」中川作品で一番有名なのはこれのようです。
 これも主演(民谷伊右衛門役)は天知茂ですね。「東海道四谷怪談」(1959年)、「地獄」(1960年)ともに新東宝*8映画であり、当時、天知は新東宝の看板俳優だったわけです。なお、三ツ矢も新東宝出身です。

参考

東海道四谷怪談 (1959年の映画)(ウィキペディア参照)
■あらすじ
 浪人・民谷伊右衛門天知茂)は、許嫁のお岩との婚儀をお岩の父・四谷左門(浅野進治郎)に反対されたことに腹を立て、左門を斬殺してしまう。その場に居合わせた中間・直助(江見俊太郎)に入れ知恵された伊右衛門は、左門は御金蔵破りの犯人を突き止めたために殺されたと嘘をつき、左門の娘であるお岩(若杉嘉津子)とお袖(北沢典子)の姉妹を説得して、左門殺しの犯人に仇討ちするべく江戸へ旅立とうと誘う。
 ところが、左門と共に殺された佐藤彦兵衛(芝田新)の一子でお袖の許婚である佐藤与茂七(中村龍三郎)も同行したために、お袖に気のある直助は気に食わない。直助は伊右衛門をそそのかし、与茂七を白糸の滝の滝壺に突き落とす(しかし与茂七は一命を取り留めたことが後に判明する)。
 江戸に到着した伊右衛門一行だが、いもしない仇を討つ気など伊右衛門にはなく、あまつさえ伊右衛門とお岩の間には子どもまで生まれて、浪人の貧困暮らしに喘ぐ毎日だった。ある日伊右衛門は悪党どもに因縁をつけられていた旗本・伊藤喜兵衛(林寛)の娘・お梅(池内淳子)を助け気に入られる。その伊右衛門に直助と「お梅の乳母」が、飲めば顔が二目と見られないくらいに変形するという毒薬の包みを渡し、旗本家に仕官する欲に取り憑かれた伊右衛門はお岩を騙して、毒薬を飲ませてしまう。
 更に伊右衛門と直助は、按摩の宅悦(大友純)にお岩を強姦させ、不貞を働いたとして離縁する算段を立てていた。ところが毒薬の効き目で顔に大きな腫瘍が出来たお岩の形相に恐れをなした宅悦は、伊右衛門の悪逆非道をすべて白状する。錯乱したお岩は、剃刀を振り回してそれを喉に刺して死亡。更に駆けつけた伊右衛門と直助は、秘密を知る宅悦を斬殺した後、二人の遺体を不貞を働いて私刑に処された男女の死体に見立て、戸板に釘と縄で括りつけると、長屋裏手の隠亡堀に流してしまうのだった。
 ところが、伊藤家でお梅との祝言を挙げた伊右衛門は、お岩の亡霊に襲われて狂乱し、お梅をお岩の怨霊と見誤って斬殺。更に喜兵衛をも宅悦の怨霊と見誤って斬殺、逃亡する。
 除霊のために蛇山の庵室に籠っていた伊右衛門は、彼が伊藤家から大金を盗んで逐電したのではないかと疑い恐喝する直助を殺し、更にお岩の怨念が見せる幻想から逃げ惑った挙句、真相を知って仇討ちに駆けつけたお袖と与茂七の襲撃を受ける。お袖の短刀を自らの脇腹に受けた伊右衛門はお岩への謝罪を呟きながら絶命し、それを見届けたお岩の亡霊は元の美しい姿に戻って昇天していくのだった。
■キャスト
・主役の民谷伊右衛門には、嵐寛寿郎*9が配役される予定だったが、「イメージが違う」とのことで代わりを探すことになり、次に丹波哲郎に決まった。が、脚本を書いた石川義寛助監督が「冗談じゃない、下手で話にならないと、中川監督と相談して引きずり落した」という。石川は代わって天知茂を推薦。天知はこの頃まだ主演経験は少なかったが、まじめな人柄もあって、石川は天知を推したと語っている。
・嵐の降板について天知は、同時期に大映長谷川一夫主演で映画『四谷怪談』の撮影に入ったことが判明、しかも公開日時も同じ1959年7月1日という競作状態になったため、長谷川一夫嵐寛寿郎の対決になって新東宝の看板俳優である嵐を傷つけることを大蔵社長が恐れたとしている。また天知は、嵐が配役される以前から、自分に伊右衛門をやらせてくれと大蔵社長と中川監督に直訴したと語っている。
■原作との比較
・原作は『仮名手本忠臣蔵』の一挿話であり民谷伊右衛門は赤穂浪人だが、本作では備前岡山藩に舞台が移され赤穂事件との関連は描かれていない。
・小仏小平が本作には登場しない。小平の代わりに殺害されるのは、本作では宅悦になっている。したがって伊右衛門が渡された毒薬の包みを小平が盗もうとして押し入れに閉じ込められるエピソードも本作にはない。


■アジア自由民主連帯協議会【4月26・28日 東京・九段下】 中国民主運動家、袁紅氷氏講演会のお知らせ
http://freeasia2011.org/japan/archives/5413

 もし我々人類全体として、台湾を自由民主の土地から中共特別行政区に変身させることを黙って傍観するならば、人類全体が時代的な大災難に近づいているということでしょう。

 一体どうすれば、台湾が香港やマカオのような「特別行政区」になるのか*10。こういうデマを日本ウヨと一緒に放言するから世間に相手にされないと言うことをいい加減この種の「自称民主活動家」は理解したらどうなのか。つうかこういうデマを流す時点で「中国の悪口が言いたい&日本ウヨにこびて金儲けたい」が目的であって「真実の追究も、中国の民主化も、口先だけなんだろう」つうことはモロバレです。本気で何か変えたいなら「ミスによる事実誤認」ならまだしも故意のデマは論外です。

 中共が世界を共産主義化させるという人類の大災難の日を目にしたくなければ

 今の中国のどこが「世界の共産主義化」なんか目指してるのか?


昭和天皇に感動したラストエンペラー(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4657

 天皇、皇后両陛下は14日午前、東京都千代田区パレスサイドビルで、中国・清朝の最後の皇帝を生んだ愛新覚羅(あいしんかくら)一族の書画作品展を鑑賞した。
 同展覧会は日中平和友好条約締結40周年*11に合わせて企画され、映画「ラストエンペラー*12」で知られる溥儀(ふぎ、1967年没)の弟で、戦後、日中友好に尽くした溥傑(ふけつ)氏(94年没)らの書など約40点が展示されている。天皇陛下は「これは何の文字の系統なんですか」などと説明者に熱心に質問し、皇后さまは「愛新覚羅家の皆さんはどんな暮らしを。今もお稽古に励んでいらっしゃるのですか」と尋ねていた。両陛下は生前の溥傑氏と、お住まいで度々面会するなど交流を重ねていた。

 「戦前は満州国皇帝の弟」「戦後は戦犯としての服役を経て中国政府高官(全国人民代表大会常務委員会委員、全国人民代表大会民族委員会副主任)」溥傑の作品展では、単純な美術鑑賞とはまた違うわけでなかなか複雑な思いが天皇、皇后にもあるんじゃないか。

 「昭和天皇ラストエンペラー*13」(波多野勝*14著 草思社)は、満州国皇帝溥儀について書かれたまことに興味深い本で、溥儀がどれだけ日本の皇室に敬愛の念を抱いていたかがよく伝わる本でした
(中略)
 この本で私が最も感動したのは(中略)私が最も感動したのは次のエピソードです。
 (ボーガス注:昭和10年(1935年))4月9日、近衛師団観兵式に溥儀は出席します。ところがこの時、軍は、溥儀が出席するならば、天皇陛下の臨場を奉請しない方針でした。軍の側には、他国の皇帝と同列の場合、天皇陛下を差し置いて他国の皇帝に敬礼することはできないという姿勢があったのです。
 そんなことをしたら国際的な非礼になり、日満の友好も損ねるという説得が宮内省などからなされ、結局、天皇陛下は自らのご意志もあり式場に臨場しました。
(中略)
 溥儀はこの時の訪日に深く感激し「日本の軍隊が訓練の宜しきことはもちろんであるが、その軍隊の中にみなぎっている軍人精神の旺盛なことには感服した」と語り、また、宴会席で出された満州料理、晩餐会で、溥儀の来日の模様を撮影した記録映画の上映などのもてなしについて、こう感謝の念を述べました。
「どうも今晩の宴会は御客をしているようなきがしなかった。親戚の間の集まりの感じでもない。本当に一家族の集まりのような気がして実によかった。実に愉快であった。楽しかった。」
 溥儀は清帝国時代の専制絶対君主と、宮中内の陰謀や嫉妬とは全く異なるもの*15を、日本の皇室に見出し感動したのでしょう。家族的な皇室との交流、国民の率直な敬意を受ける天皇陛下、たとえ対立はあっても皇室には忠誠をつくす軍と政治家たち。この時の溥儀の感動は、後に満州天照大御神を迎えるという昭和15年の「神廟創建」に結び付いていきます。

 溥儀でググったところ

・入江曜子*16『溥儀:清朝最後の皇帝』(2006年、岩波新書
・塚瀬進*17『溥儀:変転する政治に翻弄された生涯』(2015年、山川出版社日本史リブレット)

などの著書があるようです。
 三浦が紹介する波多野本は読んでないのでコメントせず、三浦の駄文に突っ込むだけにします。
 なお、この波多野という人は

■波多野勝(ウィキペディア参照)
・元常磐大学国際学部長。
・大学構内でのわいせつ画像撮影で大学の名誉を傷つけたとして、2006年8月2日に常磐大学国際学部長を解任され、同年9月30日、依頼退職した。

だそうですから「痴漢行為で早稲田大学教授をクビになり、新たに採用された名古屋商科大学も二度目の同様の行為でクビになった植草一秀」「窃盗行為*18東洋大学教授を首になった高橋洋一(現在・嘉悦大学教授)」と同じような完全な病気です。研究能力はともかく人間としては付き合いたくない人種です。
 その種の治療を受ける必要があるでしょう。もしかしたら既に受けていて「問題は解決した」のかもしれませんが。
 それはともかくいつもながら三浦の珍主張には吹き出しました。「ただのリップサービス」で十分説明がつく「溥儀の感謝の言葉」をなんでそう解釈するのか。
 『昭和15年の「神廟創建」』だって「日本からの好感度をアップするための涙ぐましいまでのこびへつらい」で十分説明がつく。まあ、ラビア・カーディルが、ウヨにこびるために、靖国に行ったり、尖閣献金に参加したりしたのと変わらないでしょう。アレだってカーディルの本心ではないでしょう。
 溥儀の発言を本心だと見なすにはもっと明確な根拠が必要でしょう。

 溥儀が日本敗戦と満州国解体以後、特に東京裁判や、その自伝*19で残した発言*20の多くは、(ボーガス注:戦犯追及を避けるための)自己弁明と、また中国政府の「検閲」を経たものです(もちろんその全てが嘘だというのも極論ですが)。

 おいおいです。そんなこと言ったら満州国皇帝時代の溥儀だって「日本に皇帝に担いでもらった」以上、日本に敵対することなどできないわけです。何で皇帝時代の溥儀の言動を根拠レスで三浦は本心扱いするのか?。いつもながら、三浦は全くでたらめな野郎です。


■【4月28日 東京文京区】アジア自由民主連帯協議会主催記念集会 FREE TIBET 長野チベットデモから10年
http://freeasia2011.org/japan/archives/5398

 わが日本でも、長野にて、(ボーガス注:北京五輪の)聖火リレーに対し日本国民が抗議を行い、それに対して、留学生を中心とした動員された大量の中国人たちが、長野を赤旗で埋めつくすという行動に出ました。これは私たちに、チベットの悲劇と共に、中国共産党政府の恐ろしさ*21を見せつける決定的な事態となったのでした。

 反中国排外ウヨが「チベットを口実に不当な中国誹謗をやれば」、在日中国人が反発するのは当然でしょう。動員があったと決めつけてますが、根拠レスでしょう。動員があったとしても別に悪いことではないですが。
 赤旗云々はおそらく「五星紅旗(中国国旗)」でしょう。「中国国旗」と書かないあたり、ウヨらしいゲスさが発揮されてます。
 どっちにしろこんな「自称・抗議運動」は日本では「反中国排外主義」として批判もあまりされない代わりに、支持もされませんでした。要するに大多数の日本人からは無視されたわけで、日本ウヨが勝手に自画自賛してるだけの話です。

勝谷誠彦(ジャーナリスト)

 勝谷がジャーナリストねえ?
■kojitakenの日記『電波芸者勝谷誠彦の落日』
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20131124/1385261771
で批判されるような「主張が嘘八百のでたらめ(そして批判されても批判を無視する)」な上に、今や「人気が落ちて、ホームグラウンドである関西のテレビ局からもあまりお呼びがかからない男」なんか来賓として自慢するようじゃお話になりません。
 勝谷が兵庫知事選出馬したのもそうした厳しい状況下で「タレント知事として当選した長野の田中康夫(作家)、宮崎の東国原国夫(お笑い芸人・そのまんま東)、大阪の橋下徹、千葉の森田健作(俳優、元自民党衆院議員)のようになれれば御の字」、そうなれなくても「話題作りで注目が集まってまたテレビ出演できれば御の字」だったんでしょうが結局、もくろみは外れたようです。
 「勝谷なんか来賓として呼ぶなんて在日チベット人&日本の自称・チベット支持者ってバカなんだなあ(呆)」と思うだけです。ねえ、そうは思いませんか、id:Mukkeさん?(皮肉のつもり)


■【藤井聡*22西部邁氏の自殺幇助者の逮捕に思う 〜「言葉」からズレた「振る舞い」
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180406/
■【浜崎洋介*23西部邁自殺幇助者の逮捕を受けて――『表現者クライテリオン』が問われること
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180411/

https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180406/
 本年一月の西部邁氏の自殺にショックを受けた方も多かろうと思いますが、この度、その自殺を手伝った男性が二名、逮捕されました。
 この報道には、さらに大きな衝撃を受けた―――というか、ただただ驚き、唖然としてしまった方も多いのではないかと思います。
 もしその「容疑」が真実だとするなら、これまで散々言ってきた事と、実際やってたことが全然違うじゃないか、ということになるからです。
(中略)
(自殺するにしても)「社会にかける迷惑はできるだけ少なくせねばならぬ」(「保守の神髄」より)
 誠に立派なお言葉です。
 しかし実際は、自分のプライベートな自殺に、わざわざ二人の一般男性を巻き込んだわけです。
 しかもこの男性二人には、奥様もお子様もおられます。
 つまり、このご家族にしてみれば、西部先生のせいで旦那さんやお父さんが逮捕されてしまったわけですが、それは、「迷惑」なぞという悠長な言葉では表現し難いほどに巨大な「迷惑」だと言えるのではないでしょうか。

https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180411/
 師の言葉(思想)というものは、その非対称的な関係性において、ときに圧倒的な力を発揮してしまうがゆえに、その力の用い方については細心の注意を要するものだからです。
 たとえばそれは、精神科医と患者、教師と学生という非対称的な関係において、なぜ色恋沙汰が「禁忌」なのかを考えれば分かりやすい。その圧倒的な知識と論理、また、その精神的優位性を利用すれば、人の「心」に入り込み、それをある方向に誘導するなどということは朝飯前なのです。それゆえに、その力を上手く使えば(抑制的に使えば)、治療や教育に生かすこともできるわけですが、いや、だからこそ、その力を、依存関係の強化に使ったり、相手の人生を破壊するように使ってはならないのだということです。
(中略)
 この度の自殺幇助で、妻子ある一般人の逮捕者を二人も出してしまったことは、やはり、西部先生の「保守思想」を裏切ってしまっている事件だと言わざるを得ません――事実、先生は、「知識人ごとき」が、発言する場所も権利も持たない一般人を決定的に傷つけてしまうことは、厳に慎まねばならないと、いつも私の前で仰っていました。

 三浦などは西部批判をしませんが、事情がどうあれ「弟子を自殺に協力させ犯罪者にしたことは道徳的に許されない」つうこうした批判は当然出てくるでしょう。
 ふと思ったんですが三浦の
■「師を謗るな」(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4650
つうのは「西部という師匠を藤井や浜崎はそしるな」つうことですかね?
 「だったらはっきりそう言えよ!」つう話ですし、浜崎も藤井も「自殺幇助の依頼行為なんか、いくら西部が師匠でも擁護できるわけねえだろ!。手前、逮捕された人間のご家族の前でも同じことがいえるのか!」と三浦なんか無視するでしょうけど。
 たぶんはっきりそう言って浜崎や藤井から反撃食らうのが三浦は怖いんでしょう。三浦も本当にどこまでもせこい男です。


■書評「 どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由 」西部邁 (著) 幻戯書房(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4654

4月16日に、表現者criterion「西部邁」特集号が発売されます。
https://the-criterion.jp/backnumber/78_201805/

 もちろん寄稿者は「新しい歴史教科書をつくる会理事」三浦小太郎以外も

木村三浩一水会代表)
小林よしのり(元新しい歴史教科書をつくる会理事)
中山恭子(元日本のこころ代表)
西村幸祐*24
八木秀次*25日本教育再生機構理事長)

などウヨがほとんどですが

上野千鶴子*26東京大学名誉教授)
佐高信*27週刊金曜日編集委員
辻元清美*28(元社民党国対委員長立憲民主党国対委員長
寺脇研*29(元文科官僚。京都造形芸術大学教授)

など「世間一般に極右扱いされない」「むしろ左派や保守リベラル扱いされ、時にウヨから敵視されてるメンツ」もいるのは少し意外です。

 著者のいう「左翼」とは、いわゆる共産主義だけではなく、戦後的価値観としての民主主義、人権、合理主義、生命尊重、設計主義、高度資本主義等のすべてを指す。

 この時点で俺は西部本を読む気をなくします。
 まず第一にこの左翼定義はあまりにも世間一般の左翼定義とはかけ離れています。
 単に西部が自分の気にくわないものに左翼のレッテルを貼ってるだけではないのか。
 第二に「戦後的価値観としての民主主義、人権、合理主義、生命尊重、設計主義、高度資本主義」てのが「はあ?」ですね。
 戦前だって「天皇主権」とはいえ国会はあったし、「人権、合理主義、生命尊重、設計主義、高度資本主義」にしても戦前そういったものがなかったとでも言うのか?


■「師を謗るな」(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4650

 渡辺京二*30にお会いした時のこと。吉本隆明*31が「師を謗(そし)るな」ということをとても強調していたとお聴きしました。

 三浦や渡辺、吉本も訳のわからない連中です。「じゃあお前らは師匠、友人、肉親じゃなきゃ、付き合いのない人間なら、あるいは敵対する人間ならそしっていいと思ってるのか?」ですよね。
 「正当な批判」ならともかく「見ず知らずの人間」や「敵対関係にある人間」だってそしることなんかだめでしょう(三浦らの言う「そしる」とは前後の文脈から考えて「正当な批判は含まない」でしょうからその前提で話をしています)。一方「正当な批判」なら「師匠だろうと誰だろうと批判していい」わけです。「師匠だから一切批判しません」なんてのはくだらない身びいきでしかない。
 大体「師匠をそしるな」なんて言わなくても普通の人間はそんなことしません。つうかそんなことにこだわるなんて吉本って弟子にそしられた過去でもあるんでしょうか?。
 いずれにせよ「三浦らは度量の小さい人間だな」としかいいようがない。
 これが「敵をそしるな(正当な批判ならともかく、誹謗中傷は敵だろうとだめ!)」だったら、それなりの評価に値するでしょうが「師匠をそしるな」なんて

吉本氏が、実はどれだけ、真の意味で「庶民」のモラルを大切にしていたががわかる言葉です

なんてご大層な話じゃないでしょう。むしろモラルと言うより「ただの身びいき」じゃないのか?。
 そしてモラル云々というなら加計森友疑惑なんて明らかにモラルに反するでしょうに。さすがに安倍擁護を公然とはしないものの安倍批判はしないし、お仲間ウヨの安倍擁護を黙認してるのだから、三浦はでたらめです。大体、三浦が尊敬してると抜かす西部は、加計森友では安倍批判していたのですがね。「西部さんの安倍批判をどう思いますか」と聞かれたら三浦はどう答える気なのか。

 戦後民主主義の最良の体現者(と、私は思っています。同時に、その限界を表した思想家でもありました)

 というならその「吉本の限界だの最良だの」が具体的に何か書いてほしいもんです。

 私にとって西部氏は「師」ではなかったかもしれませんが、このような知識人が一人いることが、人間を堕落から救うことにつながるのだ、と思えるような方でした。

 「つくる会理事」なんてデマゴーグ右翼の三浦は既に堕落してるでしょうに(苦笑)。


■【やまと新聞特報!】自民議員がトンデモ見解披露「(青林堂等の)ヘイト本出版に対策講じなければ、日本で民族間虐殺起こる可能性ある」
https://www.yamatopress.com/the-diet/29183/
 まあ、この自民代議士・武井俊輔*32の見解はもちろん正論ですね。トンデモ発言でも何でもない。
 やまと新聞の方がおかしい。とりあえず、やまと新聞には「まともな自民党議員の存在を教えてくれてありがとう」と礼を言っておきます(「礼を言っておく」云々は半分は皮肉、冗談だが半分はマジです)。
 まあこの件に限らないんですが産経とかやまと新聞とかが「あいつは変だ!」つう話ってむしろ「変なのはお前だろ!」つう話が多いんですよねえ*33
 しかもこの武井氏の件も下手するとそうなる可能性があると思いますが、朝日とか毎日とかがウヨの攻撃をおそれてろくに報じない。その結果「産経やウィルなどの非難で、ある人物の善行を知ることになる」つう笑えない話になります。
 それはともかく、しかしid:noharraは「守る会役員(代表、副代表、事務局長など歴任)」三浦小太郎がこんな「ヘイト集団・やまと新聞」に

■書評「保守主義とは何か」をやまと新聞に掲載しました
http://miura.trycomp.net/?p=3742
■西部さんへの追悼文をやまと新聞に書きました
http://miura.trycomp.net/?p=4590

として何度も寄稿してることをなんとも思わないんですかね?
 「お前の入ってる守る会の幹部・三浦がヘイト極右・やまと新聞とつきあおうが、新しい歴史教科書をつくる会理事になろうと三浦批判しないのはどういうことなんだよ!、手前!」「お前は三浦小太郎にやまと新聞への寄稿中止や、やまと新聞への批判を求めないのか?。まさかとは思うが、やまと新聞の武井氏批判を三浦と一緒に支持しないだろうな?」と問いただしたくなります。
 まあそれはともかく。武井氏がどういう思惑でこういう発言をしたのかは解りませんが、こうした嫌中国、韓国ウヨに同調してきたのが今の安倍自民ですから彼のこの発言は「勇気ある発言」として評価したいと思います。下手したら安倍の反感買って干されるかもしれません。
 加計森友での安倍批判並みにやばいかもしれない。
 まあ党あげてアンチヘイトの共産だったら、こうした質問において、全然その種の勇気は必要ないんですけどね。
 やまと新聞のような、この種のバカウヨの非難、恫喝に彼が屈しないことを望みますし、この件では野党支持者も含めて、彼を応援すべきでしょう。つうか本来所属政党の自民もそうすべきですがトップの安倍が「アレ」ですからねえ。岸田派所属だそうなので親分の岸田政調会長(前外相)はきちんとかばえよと思いますが。
 まあ勘ぐれば「安倍も中国や韓国との関係をさすがに改善したいのだが、自分から嫌中国、韓国本批判はできないので、自民党内で相対的にリベラル*34と評価されてるらしい(?)武井氏に出来レース質問させた」「つまり安倍による報復はあり得ない」のかもしれませんがそれでも彼を評価したいと思います。
 なお、以下やまと新聞記事を全文掲載です。ヘイト極右のやまと新聞はもちろん武井氏非難の意図ですが俺は逆に武井氏応援の意図です。

https://www.yamatopress.com/the-diet/29183/
 自民党所属の衆院議員が、青林堂等が出版する、中韓に批判的*35な、いわゆる嫌韓・嫌中本(武井氏は「ヘイト本」と表現。言葉の定義*36については具体的言及なし)の出版に対策を講じなければ、状況によっては、日本人による(韓国人・中国人の)虐殺*37が起こる可能性があるとのトンデモ見解*38を国会で披露した。
 発言を行ったのは、武井俊輔衆院議員(宮崎1区)。武井氏は、1日に開かれた衆議院内閣委員会で質疑に立ち、具体名は出さなかったものの、青林堂の蟹江幹彦社長*39東京新聞に語ったとされる、「(嫌韓・嫌中本への路線変更は、)経営上の問題。(ガロのような)サブカル系漫画はネット時代には厳しい。『保守本』がニッチ市場で売れるようになっていた。拡大していくと思った」との発言を紹介、「言論の自由・出版の自由も憲法で認められているし、営業戦略をどうこうしようというわけではないが、外国人と共生する社会を目指していくなかで、このような状況に対処すべきだ」と述べた。
 武井氏は、「日韓・日中の仲が悪いことによって、本が売れるとか、テレビに出られるとか、こういう人達を乗り越えていくことが我々には求められている」と述べた上で、「安倍総理は穏やかで、バランス感覚があって、寛容*40だが、ヘイト本を書くような方は、『安倍総理しかいない』『安倍総理バンザイ』などと言う方が多い*41。これは、海外において、総理のイメージを毀損しているのではないか*42。そういう人ほど『美しい日本』とか言っているのは疑問に感じる」と述べ、安倍晋三首相の支援者に問題がある*43との認識を示した。
 武井氏は、1994年のルワンダ虐殺について触れた上で、「(ラジオ局が)ヘイトを流す。ある日突然共存していた部族間で虐殺が起こった。こういうことが(日本人の心の中にも)地下水脈のようにある。憂慮すべきだ」と述べ、嫌韓・嫌中本の出版に対策を講じなければ、日本でも、民族間の虐殺が起こる可能性があるとの認識を示した。
 武井氏の発言を受けて、 名執*44雅子法務省人権擁護局長は、「媒体を問わず、特定の民族や国籍を排斥する、不当な差別的言動はあってはならない」、山下貴司法務大臣政務官は、「国際感覚豊かな武井氏の指摘通りだ。ヘイトスピーチという不当な差別的言動はあってはならない。ヘイトスピーチ対策法によって、外国人に対する人権擁護の核が出来た。これをテコに、(対策に)しっかりと取り組んでいきたい」と、それぞれ答弁した。


■西部さん*45の最期を送り出された窪田さん、青山さんに一言(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4647
 送り出したと言えば聞こえはいいですが要するに自殺幇助という犯罪ですからねえ。
 どうも「体が不自由で一人では自殺もできないので自殺幇助」という話であり、だからこそ「あんな病人が一人で自殺できるはずがない」ということで捜査が行われ今回の逮捕のようです。
 まあ、俺も「西部のご遺族や親しい友人でもない」し、「西部に頼まれてしがらみから断れなかったであろう」幇助者*46に悪口する気もあまりないですが、さすがに三浦のように美化する気にはならないですね。


■「id:noharraこと八木孝三」のツイートにコメント

野原燐ツイート
 映画『北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ』、予告編を見ただけで感想を言ってしまうが。結局のところ、北朝鮮に乗せられて、北朝鮮にも音楽を理解しうるヒューマニズムがあるとする彼らの宣伝、という枠の範囲内の映画になっている、たぶん。

 本編見ないで予告編だけでそこまでいっちゃうんだ?。バカじゃね?
 つうか、id:noharra君的には「打倒北朝鮮」以外は全部だめで、例えば、ファンキー末吉氏の「平壌6月9日高等中学校・軽音楽部 北朝鮮ロック・プロジェクト」(2012年、集英社インターナショナル)なんかもだめなわけだよね?。狭量だねえ(苦笑)。

野原燐
>親アサド派青山氏大張り切りで、それに乗せられている「良心的」人士が少なくないようだ。アサドが今まで殺した膨大なシリア人たちに対して、申し訳ないことになっていないか、考えろ。

 青山弘之氏(東京外語大教授)が親アサドだとは俺は全く思っていませんし、こいつの言う親アサドとは「ボーガスは朝鮮学校無償除外に反対するから北朝鮮シンパ」「ボーガスはダライラマを批判するから中国シンパ」という勝手な決めつけと同レベルの「青山はアサド政権転覆論に賛同しないから(以下略)」だと思いますがそれはさておき。
 「手前の方こそ、手前が入ってる守る会が朝鮮学校に対してやってること(無償化除外主張)がどれほど酷い差別か、少しは考えろ!」ですね。

野原燐がリツイート
■朴香樹
 国境地帯で巨大風船にチョコパイや映画のUSB、北朝鮮国民がいかに騙されているかを知らせるチラシを数万枚入れ、北朝鮮に飛ばし続けてきた脱北者がいる。彼の飛ばしたチラシを見て脱北した人も多い。最近、文政権は警察を動員し、とうとう彼の活動を力で阻止した。一体韓国はどこに向かうのか。

 id:noharraこと八木孝三のリツイートにはびっくりです。批判コメントしてないということは朴香樹に賛同しているのか?
 しかしこれから南北首脳会談をやろうつうときに「脱北扇動チラシ」を支持するとかid:noharraってどういう脳みそしてるんですかねえ?。小生は凡人なのでid:noharraの脳みそはマジで理解できません。

野原燐がリツイート
■deadletter
 DPRK(ボーガス注:北朝鮮のこと)との対話・交渉の余地を自ら閉ざしておいて、(ボーガス注:日本政府が)したことと言えば、米韓両国に「(ボーガス注:北朝鮮との首脳会談では)日本を忘れないで」と懇願することだけ。話にならんね。

 id:noharraこと八木孝三のリツイートにはびっくりです。批判コメントしてないということはdeadletter氏に賛同しているのか?
 しかしid:noharraはdeadletter氏のいう「対話・交渉の余地を自ら閉ざしておいて」が何を意味すると思ってるんですかね?。「対話・交渉の余地を自ら閉ざす=北朝鮮への経済制裁朝鮮学校無償化除外」であることは明らかでしょうに。
 「北朝鮮への経済制裁朝鮮学校無償化除外」が対話、交渉を阻害しないわけがないでしょう。
 いつid:noharraが過去において「北朝鮮への経済制裁朝鮮学校無償化除外」に対してdeadletter氏のような批判をしたのか。いやそれどころか「北朝鮮への経済制裁朝鮮学校無償化除外」を「組織として支持してる」守る会の会員がid:noharraではないのか。
 id:noharraの脳内構造は俺には理解不能です。
 なお、その他の北朝鮮がらみのdeadletter氏のツイートについても以下の通り紹介しておきます。

■deadletter
 僕は日朝間に横たわる外交的諸問題を解決する為の「ボール」は平壌宣言以降ずっと日本が持っていた、と思っています。日本が真摯な姿勢で過去の清算に臨めば、よりマシな現在が得られたはずですよ。しかしながら「それだけは」と拒む日本の歴史修正主義的認識がそれを阻んで来たわけです。


藍川由美*47の歌う中山晋平*48は素晴らしい(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4644
 三浦の貼り付けている動画を視聴してみました。下手だとは言いませんが正直、「このレベルの歌手ならいくらでもいるだろ」ですね。まあ三浦らしい「いつものウヨ仲間ほめ」でしょう。

 「ゴンドラの唄」は大正4年ツルゲーネフ原作の「その前夜」を演劇で公演した際の劇中歌として作曲されました。

「ゴンドラの唄」といえば

■生きる(ウィキペ参照)
 1952年(昭和27年)10月9日公開の日本映画。監督は黒澤明*49、主演は志村喬*50
 劇中で志村演じる主人公が「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコをこぐシーンは、名シーンとしてよく知られている。
■ストーリー
 市役所で市民課長を務める渡辺勘治(志村喬)は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。
 ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家(伊藤雄之助)の案内でパチンコやダンスホール、ストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。
 その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切とよ(小田切みき)と偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを渡辺がとよに伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。
 それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られ「ゴンドラの唄」を口ずさみながら息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役(中村伸郎*51)など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績をたたえ、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。
 通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺をたたえていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子どもたちの笑い声で溢れていた。

ですね。つまり「志村喬氏の歌う中山晋平は素晴らしい」というわけです。まあ世間一般で「ゴンドラの唄」といったら「最初に歌った松井須磨子*52」でもなく、「紅白で歌った森繁久弥」でもなく、「三浦小太郎おすすめの右翼シンガー・藍川由美」でもなく、「NHK朝の連続テレビ小説で歌ったシャーロット・ケイト・フォックス(主役)」でもなく、他の誰でもなく、「生きるの志村喬」でしょう。
 三浦が「生きるの志村喬」に触れないのは「彼を出すと藍川由美氏がかすんじゃうから」、故意に出さないんでしょう。さすがに三浦も「あの有名な『生きる』のワンシーン」は知ってるでしょう。最近の若者だと知らない人も多いでしょうが(こういうとき自分がおっさんだと言うことを自覚します)。
 まあ、志村喬は「歌が技術的にうまいか」といったら「下手ではない」ものの、もっとうまい人はいるでしょう。
 ウィキペ「ゴンドラの唄」でもこの唄をカバーしたことがある人間として「由紀さおり安田祥子姉妹」「小林旭」など本職の歌手の名前もいくつか出てきます。
 またhttp://www-h.yamagata-u.ac.jp/~aizawa/mat/gondola_disc.htmlによれば、ボニージャックスやちあきなおみ*53がカバーしたこともあるそうです。
 しかし「ゴンドラの唄」といったら日本では「生きるの志村喬」こそが一般に「ベストワン」扱いされてるわけであり「その唄で感動するかどうか」は「技術だけでは決まらない」わけです。
 志村喬といえばもちろん黒沢映画の常連*54ですが、小生的には「諏訪飈一郎(虎さんシリーズで前田吟が演じた諏訪博の父親)」のイメージも強いですね。

【参考】

http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~aizawa/mat/gondola_book.html
■相澤直樹『甦る「ゴンドラの唄」: 「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容』(2012年、新曜社
書評
川本三郎*55(評論家) <「週刊ポスト」2013年2月1日号>
 「恋せよ」とあるように恋愛讃歌。同時に、人間の命には限りがあるのだから生きているいまを大事にせよという生の讃歌にもなっている。この指摘が面白い。古くからヨーロッパ文化に流れる「カルペ・ディエム」(いまを楽しめ)の考え方と通い合うという。
 当初、この歌を(ボーガス注:作曲者)中山晋平は失敗作と思っていたし、(ボーガス注:作詞者)吉井勇もさほど思い入れを持っていなかったというのは意外。
 ところが一本の映画のなかで印象的に使われたために、二人とも自分たちの作った歌を改めて見直すことになった。 
 言うまでもなく黒澤明監督の『生きる』(52年)。志村喬演じる、癌で余命いくばくもない男が公園でブランコに揺れながら、『いのち短し』と歌い、多くの観客に感動を与えた。『生きる』によって(ボーガス注:忘れ去られていた)『ゴンドラの唄』が復活した。しかも恋愛の歌から、生のはかなさ、いとおしさの歌になった。
■「日本経済新聞」2013年1月6日
 「ゴンドラの唄」はその後、映画「生きる」で脚光を浴びる。ただし、歌の性格は大きく変わった。 
「その前夜」では若い女性を誘う恋の歌だったのに対し、「生きる」では命をかけて価値あるものを求めるという意味を与えられている。
「『恋せよ』の『恋』が一種の比喩としてとらえられ、広く『情熱を傾けるもの』を指すようになった」。
 普遍的な主題を獲得して「ゴンドラの唄」は現代に歌い継がれた。近年は「メロディーと切り離して詞だけが使われる例が目立つ。キャッチフレーズとして優れているからだろう」。

http://kagurazaka.yamamogura.com
■「ゴンドラの唄」と芸術座
 相沢直樹氏は『甦る「ゴンドラの唄」』の本で、こんな場面を挙げています。
・売れっ子アナウンサーだった逸見政孝*56は自分でこの唄を歌ったと娘の逸見愛氏が『ゴンドラの詩』*57で書き、
・『はだしのゲン』で作者の中沢啓治氏の母はこの唄を愛唱し、
森繁久彌氏は(ボーガス注:1965年の)紅白歌合戦でこの唄を歌い、
・『美少女戦士セーラームーンR』では「花のいのちは短いけれど*58 いのち短し恋せよ乙女」と書き、
・NHKは2002年に『恋セヨ乙女』という連続ドラマを作り、(中略)(ボーガス注:『生きる』以降の『ゴンドラの唄』利用例は)まだまだたくさんありますが、ここいらは『甦る「ゴンドラの唄」』を読んでください。
(中略)
 ただし高くて3,360円もしますが。『甦る「ゴンドラの唄」』は図書館で借りることもできます。

 まあググったところ、『生きる』以降の『ゴンドラの唄』利用例としては、他にも

WANDS*59『恋せよ乙女』(1993年のシングル)
新名あき『いのち短し恋せよおとめ』(1999年、幻冬舎バーズコミックス)
森見登美彦夜は短し歩けよ乙女*60 (2008年、角川文庫)
 なお、ウィキペディア夜は短し歩けよ乙女』によれば、この作品は2017年に東宝によってアニメ映画化されている。
NHK朝の連続テレビ小説『マッサン』*61(2014年9月〜2015年3月)で主人公が「ゴンドラの唄」を歌う。
MOSHIMO*62『命短し恋せよ乙女』(2016年のアルバム)
NHK朝の連続テレビ小説ひよっこ』(2017年4月〜2017年9月)で登場人物が「ゴンドラの唄」を歌う。
(例えば『「ゴンドラの唄」が話題 『ひよっこ』『やすらぎの郷』で使用』https://www.oricon.co.jp/news/2096800/full/参照)。
テレビ朝日ドラマ『やすらぎの郷』(2017年4月〜2017年9月)で登場人物が「ゴンドラの唄」を歌う。
(例えば『「ゴンドラの唄」が話題 『ひよっこ』『やすらぎの郷』で使用』https://www.oricon.co.jp/news/2096800/full/参照)。
NHK朝の連続テレビ小説わろてんか*63』(2017年10月〜2018年3月)で登場人物が「ゴンドラの唄」を歌う。
(例えば『わろてんか118話:黒澤明監督「生きる」の志村喬さん「ゴンドラの唄」』http://kazshin.com/?p=6103参照)。

なんてのがあるようですね。まあ、これらの多くは

http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~aizawa/mat/gondola_book.html
 近年は「メロディーと切り離して詞だけが使われる例が目立つ。キャッチフレーズとして優れているからだろう」

と言うことなので受け手は「生きる」も「ゴンドラの唄」も知らないことが多いようですが。
 しかしNHK朝ドラスタッフの「ゴンドラの唄」利用ぶりは何なんでしょうか?(苦笑)

https://blogs.yahoo.co.jp/yakkogacha/6908479.html
黒澤明「生きる」 志村喬「ゴンドラの唄」
 黒澤明監督の「七人の侍」「生きる」を見た。これで何度目だろう。何度見ても面白い。「七人の侍」の動、「生きる」の静。
 黒澤作品はどれも面白いが一つ選べと言ったら、上の2作品を選ぶ。
 「生きる」の中で歌われた「ゴンドラの唄」は大正5年の唄だが、この映画のために作られたのかと思うくらい、森繁(久弥)*64や(美空)ひばりや倍賞(千恵子)*65の比ではなく、志村喬の唄が最も素晴らしい。
 「死」を宣告された志村喬がクラブで、♪命短し恋せよ乙女♪と「ゴンドラの唄」を滔々と歌うシーンは、鬼気迫るものがあって、周りの客たちも踊るのをやめて歌を聴いている。顔色一つ変えずに涙を流しながら歌う志村喬。破天荒な生き方をしている(ボーガス注:小説家を演じる)伊藤雄之助さえも圧倒されて、志村の唄を唖然として聴いている。
 志村喬が生きた証として、倒れそうになりながらも、奔走して市民のために作った公園の、ブランコに乗ったシーンでもこの「ゴンドラの唄」が歌われる。ここでの歌は、達成感や、充実感、幸福感さえも感じられ、同じ歌でも表情が違う。
 この映画で一番心に残るシーンだ。

 伊藤雄之助というと小生的には「顔が長い」つうイメージですね。
 彼の代表作である『椿三十郎』(城代家老・睦田弥兵衛役)でも「乗ってる家老は馬より馬面」て台詞があったかと思います。まあ小生は『椿三十郎』でしか彼を知りませんが。

http://art.upper.jp/miyahara-akio/unchiku/uzukitakare/1.html
■ゴンドラ談義のどこが悪い!
 かねてから、私は深い疑問に捉われていました。「ゴンドラの唄」と言うけれど、歌の何処にもゴンドラなんか出て来ないじゃないか。歌の二番を読んでも三番を読んでも、ゴンドラなんか影も形も出て来ません。それなのに、なんで「ゴンドラの唄」なんだ!
 やがて私はこの永年の疑問が氷解する瞬間がやってきました。この歌は、戦前、わが国の新劇草創期に築地小劇場松井須磨子主演で上演された、ツルゲーネフ原作を翻案したドラマ「その前夜」の中で用いられた歌なのです。劇中では、ベネチアへ駆け落ちした若い二人が泊まったホテルの窓下の運河に浮かぶゴンドラの上で、船頭がこれを歌いました。
 「ゴンドラの唄」と聞けば、誰だって「ゴンドラについて歌った歌」だと思うでしょう。ところがこれは、「ゴンドラから歌われた歌」という意味だったのですね。だからゴンドラについて一言も出て来なくても不思議ではないのです。
 なぜこんな歌が、こんな所でゴンドラの船頭によって歌われたか、といえば、それは、「即興詩人」の中で、主人公のアントニオがこのベネチアの里謡を聞いたのがベネチアへ向かう船の中だった、と記されているからでしょう、多分。
 こうしたいきさつを知って、わたしはどんなに嬉しかったことか! ついに永年の疑問が解けたのです!
 しかし考えてみたら、それについて誰かに〝うん、判った。だけどそれがどうしたの?〟と訊かれたら、私はなんと答えたらいいのでしょうね?
 実はまさにその通りの体験を私はしているのです。或る催しに私が招かれ、一席の小講演をする羽目になったことがあります。その時、私はこの話をしたのです。ウケませんでしたネェ! みんな、シラーッとして、むしろ怪訝そうに私を見ているのです。全員の顔に「それがどうしたの?」という字が書いてありました。
 その時です、私が開眼したのは。私がつくづく会得したのは「私にとってこの上なく興味のある問題は、必ずしも全ての人に興味があるとは限らない」という真理です。(こんな判りきった真理をこの時まで会得していなかったことの方が問題でしょうね)

【参考・終わり】

 藍川氏は解説で、中山晋平は、当時の西洋崇拝・欧化主義に満ちていた東京音楽学校*66の空気に異を唱え、日本音楽のリズムやメロディを大切にしようとしたことを解説し、最後にこう結んでいます。
「現在、わが国では、いまだに日本の唄の専門教育を始める気配すらない。いったい誰が、この国の音楽文化の伝統を紡いでいくのだろう。明治時代の『唱歌』や、大正に始まる『童謡』、昭和の『歌謡』などを使い捨てにするようでは、日本の歌に未来はないのだが。」

 三浦が紹介する人間らしく、三浦が紹介する藍川発言は言ってることが右翼がかってますね。
 「日本音楽のリズムやメロディ」「この国の音楽文化の伝統」とは何なのか?。民謡か?。演歌か?。雅楽か?
 「使い捨て」とはどういう意味なのか。「今の時代に平成流の唱歌や童謡をつくれ」とでもいうのか?。
 そもそも「明治時代の唱歌」「大正に始まる童謡」「昭和の歌謡(いわゆる古賀メロディーなど?)」などに今の音楽関係者が必要以上に拘束される必要はないわけです。こういうこという藍川氏っていわゆるJポップとか韓流とか洋楽とかどう思ってるんだろうと思います。多分否定的なんでしょう。俺のような人間からすれば「聞いていて、あるいは自分が歌っていて心地よければそれでいい」んですが。つうか「藍川氏が紹介する中山晋平」にせよ、古賀政男にせよ他の誰にせよ、「自分がつくりたい音楽」をつくっていただけでしょう。「日本の音楽の伝統」とかそういうことを考えていたかどうか。
 「日本の唄の専門教育」とは何なのか?
 「歌の教育」をするところなら、「音楽系の大学」「宝塚歌劇団などの劇団」「カラオケ教室」など、いろいろあるわけです(カラオケ教室は専門教育とはいえないでしょうが)。
 結局、単に藍川氏の趣味を「これがあるべき日本の唄の伝統だ」といってるだけじゃないのか。まあ彼女がそう言いたいなら彼女の勝手ですが、第三者にとっては正直「それ、ただのあんたの趣味だろ」で終わる話です。

 童謡「シャボン玉」の作詞は野口雨情*67ですが、彼は長女を生まれてすぐになくしています。「うまれてすぐに 壊れて消えた」の歌詞の背後にはそういう体験も秘められていて

 ウィキペ『シャボン玉 (唱歌)』によればそうした説には確たる根拠は何もないそうです。つまりは「雨情の子どもが早世したこと」は事実ですが、それが歌詞に反映されてるかは疑問です。


■酒井信彦*68論語読みの論語知らず』(月刊日本2018年4月号)
http://sakainobuhiko.com/2018/03/post-318.html

 朝日新聞だが、ケント・ギルバート*69の本に対しても、よく売れていることに対してイチャモン*70を付けている。それは3月6日朝刊の、「ケント・ギルバート氏の中韓本 売れる理由は」という記事である。ギルバート氏の『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』*71と言う本が、昨年の新書・ノンフィクション部門で47万部とトップだったという。

  当然ながら「売れてるから正しい」というわけではありません(ギルバートの場合、日本会議神社本庁幸福の科学などウヨ団体による組織購入の疑いも濃厚ですが)。それなら、一時バカ売れした五島勉ノストラダムスの大予言」も正しいことになってしまう。まあ「ノストラダムスの大予言」は今やもちろん売れてませんが。
 あるいは「間違いなく組織購入」ですが、売れてるなら正しいのなら、例えば池田大作「人間革命」も無条件で正しくなる。あるいは「産経新聞より朝日や読売の方が売れてるから*72」として産経を否定することも可能になる(まあ、売れてる売れてないに限らず産経は間違っていますが)。
 儒教をネタに中韓に悪口*73するのが今、一部ウヨの間でなぜかはやってるようですが、儒教の影響をある程度受けているとはいえ、他の影響ももちろんあり「中国や韓国の政治体制や社会体制、文化=儒教」ではないし、韓国に限らず、日本も含めて中国の周辺諸国儒教の影響を受けてきました。
 「儒教がくだらない」のなら日本はどうなんだ、て話です。儒学者新井白石*74荻生徂徠、室鳩巣*75などはどう評価されるのか、て話です。
 あるいは産経文化人の加地伸行*76儒教研究者であることはどうなんだって話です。

 ところで、私はギルバート氏の本を読んでいないので、具体的にどのように説明しているか知らないが

 だったら読んでから文章を書けよという話です。

 中華人民共和国はその成立時から、まぎれもない侵略国家である。

 「どこがやねん?」ですね。チベットウイグル中華民国時代から中国領扱いですので侵略呼ばわりは適切ではないでしょう。

 講談社でこの本を担当した編集者は、「東京・新橋の居酒屋で、周りの客が中国人や韓国人への違和感を語っているのを聞き、企画を思いついた」という。

 天下の講談社がこんなゴミ本を売って恥じないのだから全く呆れます。

 ではなぜ平均的な日本人が、シナ人・朝鮮人に違和感を抱くのか。

  そもそも本当にそんな差別者が「平均的な日本人」か疑問ですが、仮にそうなら単に「日本人の多く」が差別者で非常識なだけです。
 なお、道徳的な問題はもちろんありますがそれ以前に「金儲けの観点」からしてもこんな中韓ヘイトは有害でしかありません。

 両国の国家元首は、世界中で日本へのヘイトスピーチを、やりまくってきた。

 もちろん靖国問題慰安婦問題などでの日本批判はヘイトスピーチではない正当な批判です。そもそもそうした批判は中韓だけではなく欧米など他の外国からもあるし、日本国内からもあります。
 かつそうした批判は「安倍*77政権が誕生してから」強まりました。まあ、安倍政権以前にも「藤尾*78文相の韓国併合正当化暴言」「中曽根*79首相や小泉*80首相の靖国参拝」などあるので「中韓歴史認識問題による日本批判」がなかったわけではありません。しかし今のようにに深刻な状況になったのは安倍政権になってからです。
 「小渕*81政権時には日韓共催ワールドカップがされたこと」などでわかるように何も日中、日韓関係は酒井のようなウヨが強弁するような対立関係でずっときたわけではありません。

*1:原作や「フジテレビ版の明智小五郎陣内孝則主演、1994〜1999年まで4作)」では明智の妻ですが、美女シリーズでは「ただの助手」という設定です。

*2:1年1作だと、「1977〜1985年」では9作にしかならないですが1年で「毎年2〜3作」つくられた人気シリーズなので全25作になります。

*3:なお、美女シリーズには例外(三ツ矢主演の第1作も例外の一つです)もありますが「ヒロインが犯人」「天知に犯行を暴かれるとヒロインは自決する」というのがほとんどの作品に共通する設定です。ただしこれは「美女シリーズの設定」であって、乱歩作品は必ずしも「ヒロインが犯人」ではありません。

*4:原作では「畔柳」。

*5:伊丹十三

*6:山本学萩尾みどり

*7:「悪魔の紋章」など原作も復讐話の場合もありますが。

*8:1946年(昭和21年)11月、第二次東宝争議の最中、東宝側にも、労働組合側にもつかないと主張した俳優・大河内傳次郎に賛同し、組合を脱退した百数十名の有志によって1948年(昭和23年)4月25日に株式会社新東宝として正式に設立。しかし経営は不振で、1955年(昭和30年)、歌手・近江俊郎の実兄として知られる東京の大手映画興行主・大蔵貢が、社長に迎えられ、事実上新東宝を買収する。ここで大蔵の採った施策は「安く、早く、面白く」で、大蔵は経営のワンマン体制も確立した。1957年(昭和32年)の嵐寛寿郎主演による『明治天皇と日露大戦争』は史上空前のヒットとなったが、後が続かず経営の不振が続いた。1960年(昭和35年)12月1日、大蔵は辞任に追い込まれ、その後の再建策も空しく1961年(昭和36年)8月末日、新東宝株式会社は倒産した。その後、新東宝関係者によってテレビ番組制作会社・国際放映が設立されている(ウィキペディア「新東宝」参照)。

*9:代表作「鞍馬天狗シリーズ(1927〜1956年:全40作)」「右門捕物帖シリーズ(1929〜1955年:全38作)」「網走番外地シリーズ(1965〜1967年:全9作)」など。

*10:なお、「実効支配はもちろんしていませんが」中国の建前では「台湾省」でしょう(つうか過去の蒋介石政権においても「台湾省」ですし)。

*11:日中平和友好条約の締結は1978年。ちなみに当時の首相は福田赳夫、外相が園田直です。

*12:1987年度のアカデミー賞で作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣裳デザイン賞、美術賞、作曲賞の9部門を受賞

*13:2007年刊行

*14:著書『浜口雄幸』(1993年、中公新書)、『日米野球史』、『満蒙独立運動』(2001年、PHP新書)、『裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記』(2012年、草思社文庫)、『明仁皇太子エリザベス女王戴冠式列席記』(2012年、草思社)、『日米野球の架け橋:鈴木惣太郎の人生と正力松太郎』(2013年、芙蓉書房出版)、『東京オリンピックへの遥かな道:招致活動の軌跡1930〜1964』(2014年、草思社文庫)、『奈良武次とその時代:陸軍中枢・宮中を歩んだエリート軍人』(2015年、芙蓉書房出版)など

*15:いわゆる「宮中某重大事件(皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定していた久邇宮良子女王(後の香淳皇后)について、家系に色盲の遺伝があるとして、元老・山縣有朋らが女王及び同宮家に婚約辞退を迫った事件。山県の主張は支持されず、彼の政治力失墜につながったとされる)」一つとっても「日本の皇室にも陰謀などはある」でしょうにねえ。それとも「たとえ差別的主張でも山県は本心、色盲を問題にしただけだから陰謀じゃない」とでも三浦はいう気でしょうか?。まあ「宮中某重大事件」以外にもおそらくいくらでも陰謀の類はあるでしょうが。

*16:著書『日本が「神の国」だった時代:国民学校の教科書をよむ』(2001年、岩波新書)、『教科書が危ない:「心のノート」と公民・歴史』(2004年、岩波新書)、『我が名はエリザベス:満洲国皇帝の妻の生涯』(2005年、ちくま文庫)、『紫禁城清朝の歴史を歩く』(2008年、岩波新書)、『思想は裁けるか 弁護士・海野普吉伝』(2011年、筑摩選書)など

*17:著書『満洲国』(1998年、吉川弘文館)、『満洲の日本人』(2004年、吉川弘文館)、『マンチュリア史研究:「満洲」六〇〇年の社会変容』(2014年、吉川弘文館

*18:生活に困ってるわけでもないのに銭湯で盗みを働くと言うのは明らかに病気でしょう。再発がないようで今のところ幸いです。

*19:著書『わが半生:「満州国」皇帝の自伝(上)(下)』(1992年、ちくま文庫

*20:まあ溥儀のケースはかなり特殊ですが人間なんて俺も含めて大抵の人間が「自分がかわいい生き物」です。自伝なんてもんはそういう意味で溥儀に限らず「意識的、無意識的な弁明や自画自賛、誇張」があるため、裏もとらずにうかつに信用できるもんでは全くありません。ただし「弁明や自画自賛、誇張」があっても資料との突き合わせで「何が弁明、自画自賛、誇張」で実際と違うかが解れば「なぜ自画自賛などをするのか」という別の調査の材料が出てくるわけです。

*21:どこが恐ろしいのかさっぱり解りません。

*22:著書『公共事業が日本を救う』(2010年、文春新書)、『列島強靱化論:日本復活5カ年計画』(2011年、文春新書)、『新幹線とナショナリズム』(2013年、朝日新書)、『超インフラ論:地方が甦る「四大交流圏」構想』(2015年、PHP新書)、『大阪都構想が日本を破壊する』(2015年、文春新書)、『「スーパー新幹線」が日本を救う』(2016年、文春新書)、『クルマを捨ててこそ地方は甦る』(2017年、PHP新書

*23:著書『福田恆存 思想の〈かたち〉』(2011年、新曜社)、『反戦後論』(2017年、文藝春秋

*24:『「反日」の構造:中国、韓国、北朝鮮を煽っているのは誰か』(2012年、文芸社文庫)、『21世紀の「脱亜論」:中国・韓国との訣別』(2015年、祥伝社新書)などトンデモウヨ著書多数

*25:『新・国民の油断:「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』(共著、2005年、PHP研究所)、『本当に女帝を認めてもいいのか』(2005年、洋泉社新書y)、『「女系天皇論」の大罪』(共著、2006年、PHP研究所)などトンデモウヨ著書多数

*26:著書『老いる準備:介護することされること』(2008年、朝日文庫)、『家父長制と資本制:マルクス主義フェミニズムの地平』、『セクシィ・ギャルの大研究:女の読み方・読まれ方・読ませ方』(2009年、岩波現代文庫)、『おひとりさまの老後』(2011年、文春文庫)、『不惑フェミニズム』(2011年、岩波現代文庫)、『生き延びるための思想(新版)』、『ナショナリズムジェンダー(新版)』(2012年、岩波現代文庫)、『女たちのサバイバル作戦』(2013年、文春新書)、『上野千鶴子の選憲論』(2014年、集英社新書)、『差異の政治学(新版)』、『発情装置(新版)』(2015年、岩波現代文庫)、『ニッポンが変わる、女が変える』(2016年、中公文庫)など

*27:著書『戦後企業事件史』(1994年、講談社現代新書)、『文学で社会を読む』(2001年、岩波現代文庫)、『石原莞爾 その虚飾』(2003年、講談社文庫)、『逆命利君』、『湛山除名:小日本主義の運命』(2004年、岩波現代文庫)、『面々授受:久野収先生と私』(2006年、岩波現代文庫)、『魯迅烈読』(2007年、岩波現代文庫)、『城山三郎の昭和』(2007年、角川文庫)、『電力と国家』(2011年、集英社新書)、『福沢諭吉と日本人』(2012年、角川文庫)、『不敵のジャーナリスト 筑紫哲也の流儀と思想』(2014年、集英社新書)、『メディアの怪人 徳間康快』(2016年、講談社プラスアルファ文庫)、『田中角栄伝説』(2016年、光文社知恵の森文庫)、『自民党創価学会』(2016年、集英社新書)、『人間が幸福になれない日本の会社』(2016年、平凡社新書)、『西郷隆盛伝説』(2017年、角川ソフィア文庫)など

*28:著書『世代間連帯』(上野千鶴子氏との共著、2009年、岩波新書)、『いま、「政治の質」を変える』(2012年、岩波書店)、『デマとデモクラシー』(2016年、イースト新書)など

*29:著書『韓国映画ベスト100:「JSA」から「グエムル」まで』(2007年、朝日新書)、『ロマンポルノの時代』(2012年、光文社新書)、『文部科学省』(2013年、中公新書ラクレ)、『国家の教育支配がすすむ』(2017年、青灯社)、『これからの日本、これからの教育』(前川喜平氏との共著、2017年、ちくま新書)など

*30:著書『逝きし世の面影』(2005年、平凡社ライブラリー)、『北一輝』(2007年、ちくま学芸文庫)、『日本近世の起源』(2011年、洋泉社新書y)、『神風連とその時代』(2011年、洋泉社新書y)、『なぜいま人類史か』(2011年、洋泉社新書y)、『ドストエフスキイの政治思想』(2012年、洋泉社新書y)、『私の世界文学案内』(2012年、ちくま学芸文庫)、『無名の人生』(2014年、文春新書)、『近代の呪い』(2015年、平凡社新書)、『私のロシア文学』(2016年、文春学藝ライブラリー)など

*31:著書『西行論』(1990年、講談社文芸文庫)、『源実朝』(1990年、ちくま文庫)、『初期歌謡論』(1994年、ちくま学芸文庫)『宮沢賢治』(1996年、ちくま学芸文庫)、『今に生きる親鸞』(2001年、講談社プラスアルファ新書)、『柳田国男論・丸山真男論』(2001年、ちくま学芸文庫)、『最後の親鸞』(2002年、ちくま学芸文庫)、『カール・マルクス』(2006年、光文社文庫)、『甦るヴェイユ』(2006年、洋泉社MC新書)、『夏目漱石を読む』(2009年、ちくま文庫)、『書物の解体学』(2010年、講談社文芸文庫)、『宮沢賢治の世界』(2012年、筑摩選書)、『世界認識の方法』(2012年、中公文庫)、『超恋愛論』(2012年、だいわ文庫)、『マス・イメージ論』(2013年、講談社文芸文庫)、『改訂新版・心的現象論序説』(2013年、角川ソフィア文庫)など

*32:宏池会(岸田派)所属。第3次安倍第2次改造内閣外務大臣政務官

*33:とりあえず気になるのは産経が武井氏をやまと新聞のように攻撃するかどうかですね。「自民党議員を無茶苦茶に攻撃するわけにもいかず」攻撃しないで逆にだんまりという可能性もあるかとは思います。

*34:ただしウィキペ『武井俊輔』だと『憲法改正に賛成。改正項目は自衛隊と緊急事態条項』『安全保障関連法の成立を評価する』『選択的夫婦別姓制度導入に反対』『日本会議議連、神道政治議連、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会に所属』ですから俺も含め「多くの左派、リベラル保守にとって」彼は到底リベラルではあり得ませんしそれどころか批判の対象ですが。ただしもちろんこのヘイト本関連質問の件では大いに評価したいと思います。

*35:単なる批判なら武井氏ら「青林堂批判派」も「ヘイト本」とは呼びません。

*36:定義の必要性を感じなかったのでしょう。まあ「まともな人間ならば」誰がどう考えてもあれはヘイトですからね。

*37:実際に関東大震災では朝鮮人虐殺が起こってますからねえ。

*38:繰り返しますが全然トンデモじゃありません。むしろ正論です。

*39:青林工藝舎はこんな恥知らずなことはしてないので何の言い訳にもならないでしょう。せめて、それなら会社名を変更したらどうなのか。創業者に対する侮辱もいいところでしょう。

*40:まさか本気でそう思ってるわけではないでしょう。自民所属という彼の立場上、安倍を糞味噌に罵倒もできない。しかし彼にとって「安倍支持層の嫌韓国、中国言動を野放しにする」安倍の態度はあまりに目に余る。そこで「一部の安倍支持者の極右言動を野放しにしたらやばいですよ。総理が、そしてひいては日本が彼らと同一視される。総理はあんな連中とは違うでしょう!。きっちり批判してください」ということで安倍に「嫌中国、韓国本批判させたい」わけですが、まあ安倍がそういうことするか甚だ疑問ですね。そしてこのレベルですら安倍は武井氏に反感持つかもしれない。

*41:もちろんそうなるのは、安倍が実際、そういうウヨ連中の同類だし、そういうウヨ連中の同類だと思われることに何の躊躇も感じないからです。だから「ポーズ」「アリバイ作り」ですら安倍はそういうウヨ連中を批判しない。

*42:まあ、既に手遅れでしょう。「安倍は非常識極右でトランプの同類」が国際社会の安倍評価でしょう。今更安倍がウヨ批判してもどうにもならない。つうかここまで武井氏に言われても安倍は多分、ウヨ連中を批判しないのでしょうが。

*43:まあ、普通に考えて問題はありますね。もちろん武井氏にこう言われたやまと新聞は逆ギレしてるわけですが。

*44:「名取(なとり)」の誤記かと思ってググったら本当に「名執(なとり)」なんですね。

*45:著書『核武装論』(2007年、講談社現代新書)、『西部邁の経済思想入門』(2012年、放送大学叢書)、『日本の保守思想』(2012年、ハルキ文庫)、『保守思想のための39章』(2012年、中公文庫)、『虚無の構造』、『福澤諭吉』(2013年、中公文庫)、『経済倫理学序説』(2014年、中公文庫)、『大衆への反逆』(2014年、文春学藝ライブラリー)、『保守の真髄』(2017年、講談社現代新書)、『保守の遺言』(2018年、平凡社新書)など

*46:立場的に「対等な立場とはいえない西部の弟子」に当たるらしいですし。

*47:東京芸術大学出身の声楽家。著書『これでいいのか、にっぽんのうた』(1998年、文春新書)、『「演歌」のススメ』(2002年、文春新書)など(ウィキペ『藍川由美』参照)。

*48:何で『ゴンドラの唄』と表現しないのかは不明です。

*49:1950年、『羅生門』を発表。海外で大きな反響を呼び、1951年、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞(現在のアカデミー外国語映画賞)を受賞。「世界のクロサワ」と呼ばれるきっかけとなった。1952年、志村喬主演で『生きる』を発表。ヒューマンドラマの傑作との呼び声が高く、ベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞した。1954年、大型時代劇『七人の侍』を発表。作品は大ヒットし、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。その後も、原爆の恐怖を描いた『生きものの記録』(1955年)、シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)、ゴーリキーの同名戯曲を江戸時代を舞台に映画化した『どん底』(1957年)、娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)、『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄』(1962年)、ヒューマニズムの傑作と謳われる『赤ひげ』(1965年)などを発表し、大監督の名声を確定させる(ウィキペ『黒沢明』参照)。

*50:『生きる』(1952年、主役・渡邊勘治)、『七人の侍』(1954年、主役・島田勘兵衞(侍たちのリーダー))、『椿三十郎』(1962年、藩を私物化する次席家老・黒藤)、『天国と地獄』(1963年、捜査本部長)など黒沢映画の常連役者だった名優。

*51:小津安二郎監督作品の常連で、『彼岸花』(1958年)、『秋日和』(1960年)、『秋刀魚の味』(1962年)では主人公の友人役で出演した。そのほか『生きる』(1952年)など黒澤明監督作品にも多く出演した。テレビドラマ『白い巨塔』(1978年)の東教授は当たり役の一つ(ウィキペ「中村伸郎」参照)。

*52:1909年、坪内逍遥主宰の文芸協会演劇研究所第1期生となる。1911年、イプセン『人形の家』の主人公ノラを演じて認められ、1913年、島村抱月と芸術座を旗揚げし、『復活』(トルストイ原作、抱月訳)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優となった。須磨子が歌った主題歌『カチューシャの唄(復活唱歌)』(抱月作詞・中山晋平作曲)のレコードも当時2万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。1918年11月5日、スペイン風邪で抱月が病死すると、2ヶ月後の1919年1月5日、自殺した(ウィキペ『松井須磨子』参照)。

*53:ウィキペ『ちあきなおみ』によれば『1992年9月11日に夫の郷硏治(享年・55)と死別。その数日後ちあきは、「主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします。」という書面のコメントを公表。これを最後にちあきは一切の芸能活動を完全に停止した。それ以降正式な引退宣言が出ないまま、現在も公の場所には全く姿を現していない。2005年11月にはNHK-BS2で90分の特集番組『歌伝説・ちあきなおみの世界』が放送された。2013年11月16日には、NHK総合『SONGS』でちあきが特集された。これらの番組で長期休業中の歌手が扱われるのは極めて異例なことである。』とのこと。実に残念ですね。

*54:ウィキペ「志村喬」によれば志村が亡くなるまでにいかなる形でも出演していない黒澤作品は『續姿三四郎』(1945年)、『素晴らしき日曜日』(1947年)、『どん底』(1957年)、『どですかでん』(1970年)の4作だけ。

*55:著書『ハリウッドの神話学』(1987年、中公文庫)、『雑踏の社会学』(1987年、ちくま文庫)、『ハリウッドの黄金時代』(1989年、中公文庫)、『フィールド・オブ・イノセンスアメリカ文学の風景』(1993年、河出文庫)、『銀幕の東京:映画でよみがえる昭和』(1999年、中公新書)、『君美わしく:戦後日本映画女優讃』(2000年、文春文庫)、『アカデミー賞』 (2004年、中公文庫)、『日本映画を歩く:ロケ地を訪ねて』(2006年、中公文庫)、『今ひとたびの戦後日本映画』、『荷風好日』(2007年、岩波現代文庫)、『大正幻影』(2008年、岩波現代文庫)、『向田邦子と昭和の東京』(2008年、新潮新書)、『荷風と東京(上)(下):「断腸亭日常」私註』(2009年、岩波現代文庫)、『銀幕の銀座:懐かしの風景とスターたち』(2011年、中公新書)、『郊外の文学誌』(2012年、岩波現代文庫)、『成瀬巳喜男 映画の面影』(2014年、新潮選書)、『「男はつらいよ」を旅する』(2017年、新潮選書)など

*56:「生きる」の主人公も逸見氏もどちらも胃がんなので身につまされるものがあったのでしょう。

*57:1994年、祥伝社

*58:前半の部分は林芙美子の「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」が元ネタのようですね。

*59:1991〜2000年まで活動したロックバンド(ウィキペ「WANDS」参照)

*60:山本周五郎賞受賞作

*61:主人公はニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタがモデル。ヒロインには、シャーロット・ケイト・フォックスが外国人として初めて起用された。

*62:日本の四人組バンド(ウィキペ「MOSHIMO」参照)

*63:ヒロインの藤岡てんは、吉本興業の創業者吉本せいがモデルである。明治後期から第二次世界大戦終了直後の大阪を舞台に、寄席経営に挑む姿を描く(ウィキペ『わろてんか』参照)。

*64:代表作として喜劇映画『社長シリーズ』(東宝、1956〜1970年、全33作)、『駅前シリーズ』(東宝、1958〜1969年、全24作)、テレビドラマ『七人の孫』(1964年〜1966年、TBS)、『だいこんの花』(1970年〜1977年、NET(現・テレビ朝日))、ラジオドラマ『日曜名作座』(1957〜2008年、NHK第1)など。

*65:映画『男はつらいよ』シリーズ(1969〜1995年、全48作)では渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにした。『男はつらいよ』以外でも『下町の太陽』(1963年)、『なつかしい風来坊』、『運が良けりゃ』(1966年)、『家族』(1970年)、『故郷』(1972年)、『同胞』(1975年)、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、『遙かなる山の呼び声』(1980年)、『キネマの天地』(1986年)、『ダウンタウン・ヒーローズ』(1988年)、『隠し剣 鬼の爪』(2004年)、『母べえ』(2008年)、『小さいおうち』(2014年)といった山田洋次映画に出演している山田映画の常連俳優の一人。

*66:東京芸術大学音楽学部の前身

*67:代表作は童謡『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』(ウィキペ「野口雨情」参照)

*68:著書『虐日偽善に狂う朝日新聞:偏見と差別の朝日的思考と精神構造』(2013年、日新報道

*69:著書『米国人弁護士が「断罪」・東京裁判という茶番』(2016年、ベストセラーズ)、『米国人弁護士だから見抜けた日本国憲法の正体』(2017年、角川新書)、『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』、『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』、『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(2017年、PHP文庫)、『マスコミはなぜここまで反日なのか』(2017年、宝島社)、『中韓がむさぼり続ける「反日」という名の毒饅頭』(2017年、悟空出版)、『中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇』(2018年、講談社プラスアルファ新書)、『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』(2018年、PHP新書)など

*70:朝日の批判をいちゃもんと評価するあたり酒井らしいバカウヨぶりです。

*71:2017年、講談社プラスアルファ新書

*72:とはいえ産経が売れてない理由の一つは明らかに「非常識な極右記事」でしょうね。

*73:もちろんまともな儒教批判でも、中韓批判でもありません。そもそも「中国の一党独裁」は別に儒教の影響ではないでしょうし、ウヨが中韓を敵視する領土問題(尖閣竹島)や歴史認識問題(靖国など)は儒教がどうこう言う話じゃありません。

*74:江戸幕府六代将軍・徳川家宣、七代将軍・徳川家継の側近

*75:江戸幕府六代将軍・徳川家宣、七代将軍・徳川家継、八代将軍・徳川吉宗に仕えた。

*76:著書『儒教とは何か』(1990年、中公新書)、『沈黙の宗教・儒教』 (1994年、ちくまライブラリー)、『家族の思想:儒教的死生観の果実』(1998年、PHP新書)など

*77:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官などを経て首相

*78:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相など歴任

*79:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*80:宮澤内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*81:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相