「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート132(追記・訂正あり)

朝鮮大学校に関する資料紹介 (1)朝鮮大学校を建てる (2)「ある在日朝鮮社会科学者の散策」
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01225

 昨日、宮塚利雄先生主催の学習会があり、そこで話をさせていただきました。

 やれやれですね。一応「朝鮮半島専門家」の肩書き持ってる宮塚もよくもまあ三浦なんかに講演させてやるモンです。昔の宮塚本は『パチンコ学講座』(1997年、講談社)、『日本焼肉物語』(1999年、太田出版)とそんなに右翼でなかったと思うのですが「化けの皮がはがれた(昔からウヨだった)」のか、はたまた「商売のためにウヨを演じてる」のか。どっちにしろくだらないですが。

 朝鮮大学校が、戦前ドイツのバウハウス様式の影響を受けた日本の建築家、山口文象のデザインであること、また彼自身が積極的に建設にかかわったことは、本人が認めている事実*1であるが、現在ではあまり知れていない*2ようである(少なくとも私の出会った20代、30代の人たちは、丹下健三黒川紀章の名前は知っていても山口の名前すら知らない人がいた)。

 まあ「いい悪い」はともかく「メディアに露出するなど派手な活動をしていた丹下や黒川(黒川に至っては都知事選に出馬。また妻が女優の若尾文子*3)」に対し山口氏はそうでないから一般に知られてないってだけでしょう。つうか建築を勉強してる人間でもない限りほとんどの人間は建築家の名前なんか知りません。一般人にも知られてる丹下や黒川の方が珍しいし、知らない人間は「丹下や黒川」だって知らないでしょう。
 「私(三浦)の出会った20代、30代の人たち」つうのも別に建築専門家ではないでしょう。
 そもそも三浦だって山口氏の名前を知ったのは「朝鮮大学校校舎の建物設計をしたから(右翼として山口が許せない)」つうくだらない理由でしょう。「山口氏と朝鮮大学校の校舎」に関係がなかったら三浦は今も山口氏の事など知らないでしょう。なお、俺も無知な人間なので山口氏の事は今回初めて知りました。
 「個人的には」校舎について山口氏設計と言う事が朝鮮大学校関係者内でどれほど知られてるのかが気になります。
 なお、ウィキペ「山口文象」や「山口文象研究会サイトの記述(http://www.ria.co.jp/bunzoken/)」を見てみましょう。

http://www.ria.co.jp/bunzoken/
■山口文象の半生(山口文象の事務所設立まで)
【1902-明35】(0歳)
◎芸者屋、料理屋、興行館、貧民窟などの集まる一帯で育つ。
◎戸籍名は山口滝蔵。1913年に姓名判断で文三と改められるが、同名の噺家がいたため、1922年より蚊象と自称、1942年に40歳を契機に(中略)文象と改める。
【1915-大4】(13歳)
 東京高等工業学校(後の東工大)附属職工徒弟学校木工科大工分科入学
◎小学校の成績が抜群で、先生の勧めで東京府立一中(後の日比谷高校)を受験し合格する。しかし家庭の経済的事情から大工の小僧にさせようとする両親の反対に合い、入学式の翌日に退学。

 よほど貧乏な家だったのだと言う事が伺えます。

【1920-大9】(18歳) 逓信省経理局営繕課の製図工となる
◎父親に無断で清水組を辞職し、東京に戻るが、勘当されて放浪。当時有名だった建築家中條精一郎*4(後の建築家協会の創始者)の事務所をしばしば訪ね、自宅にまで押しかける。各省庁への紹介状を書いてもらい、最後に行った逓信省で採用される。

 中條が優しい人間だったのか、はたまた山口に見所があったのか。しかし「分野はまるで違うとは言え」、『西村茂樹(保守思想家)−中條精一郎(建築家)−宮本百合子(作家)』と三代に亘って名前を後世に残すというのはなかなか偉大な一族と言えるかも知れません。

【1926-大15】(24歳) 竹中工務店設計部技師となる
【1927-昭2】(25歳) 石本建築事務所主任技師となる
◎竹中を独立した石本喜久治に招かれる。日本橋白木屋等を担当。
◎山口の左翼的言質を嫌った石本と関係が悪化し、2年後に辞職。

 たぶん「左翼的云々」はその後の山口発言による物でしょうから辞職理由の本当のところは恐らく分からないでしょう。ただ山口氏が「当時から左翼的志向があったこと」は事実なのでしょう。

【1930-昭5】(28歳) ロシア経由で渡欧
【1931-昭6】(29歳) グロピウスアトリエに在籍、ベルリン工科大学大学院に学ぶ
◎文学者の藤森成吉をはじめ演劇の千田是也*5、学者の三枝博音*6らドイツ在留の進歩的文化人共産党ベルリン支部文化部)多数と交流。

 どこまで千田是也らと交流があったかは分かりませんが、こうした経歴があれば朝鮮大学校建設への協力も自然な行為と言えるかも知れません。

■山口文象(1902年1月10日〜1978年5月19日:ウィキペ参照)
 祖父は宮大工、父は清水組(現・清水建設)の大工棟梁。1918年、東京高等工業学校附属職工徒弟学校(現:東京工業大学附属高)を卒業し、父の仕事を継ぐべく清水組に入社。しかし建築家に憧れ、1920年に退社。戦後恐慌で仕事の口が少なかったため、全く面識はなかったが当時の高名な建築家・中条精一郎のもとへ押し掛け、官庁への紹介状を書いてもらい、逓信省営繕課の製図工になる。
 ここで才能を認められ、1923年、近代建築運動グループ・分離派建築会の一員となり、建築家への道を歩みだす。関東大震災直後の1923年10月、製図工仲間たちとともに創宇社建築会を結成して新たな建築運動を展開し、近代建築運動に大きな影響を与える。
 1924年関東大震災の復興事業を担当した帝都復興院を改組して内務省に設けられた復興局橋梁課の嘱託技師となり、主に震災復興の橋梁デザインに関わった(清洲橋数寄屋橋浜離宮南門橋など)。更に日本電力の嘱託技師も兼務し、富山県庄川黒部川のダムや発電所の建築や土木デザインに関わった(黒部川第二発電所、目黒橋、小屋平ダムなど)。
 竹中工務店石本喜久治建築事務所を経て、1930年12月、シベリア経由で渡欧。その目的は、日本電力が建設していた黒部川第2発電所関係のダムに関する水理技術調査であった。当時バウハウスを辞してベルリンにいた建築家ヴァルター・グロピウスのアトリエで働きつつ、ダム関係の調査、ベルリン在住の左翼系日本人たちと交流した。
 1932年に帰国して山口文象建築設計事務所を主宰。日本歯科医学専門学校付属医院を設計し(1934年竣工)、最先端のモダニズム建築として一躍注目され、1938年、黒部第2発電所関連の作品を発表して建築家として確固たる地位を築いた。その一方で、大工棟梁の息子として和風建築にも造詣が深く、関口邸茶席、画家・前田青邨邸、小説家・林芙美子邸など木造の本格的和風住宅にも多くの秀作がある。 戦中は各地の軍需工場に動員された工員たちの木造宿舎群を、ドイツで学んだジードルングになぞらえて数多く設計した。
 戦争による逼塞の後、1949年に美術団体の新制作協会に建築部を設立し、戦後の活動に踏み出した。1953年に「RIA建築綜合研究所」を設立し、戦後のモダン住宅設計をリードし、劇団・新制作座文化センター、朝鮮大学校校舎、神奈川大学などのデザインで注目を集めた。RIAは現在は「株式会社アール・アイ・エー(http://www.ria.co.jp/)」と改称して、総合的な建築設計と都市計画コンサルタント組織となっている。

(1)朝鮮大学校を建てる(川添登*7
(「RIAの総帥山口文象」=『建築家・人と作品』1968井上書院より引用)

 三浦もよくもまあこんな古い本を見つけ出してきたモンです。

 たまたま文部省の要人で東大の文学部を卒業したもの*8があり、彼はかつての友人*9である山口文象を思い出し、山口は建築家ではあるが、信頼できる男だから相談してはどうか、と朝連に知らせたのである。
(中略)
 この資料は、事実上文部省内部に北朝鮮協力者がいた可能性(中略)を明らかにしている

 まあ真偽は不明です。
 後で紹介する朝鮮新報記事ではここの部分は

http://korea-np.co.jp/j-2009/06/0906j0520-00001.htm
 朝鮮教育省のある要人が、学生時代の友人*10である山口文象に相談してはと伝えてきた。

となっており「日本文部省」ではなく「北朝鮮教育省(文部省)」となっているので

(1)朝鮮大学校を建てる(川添登
(「RIAの総帥山口文象」=『建築家・人と作品』1968井上書院より引用)

の「文部省」というのは「1:単なる川添氏の勘違いの可能性」「2:川添氏は北朝鮮文部省の意味で書いたが、『東大卒』などの記述から、三浦が誤読した可能性」があります。「北朝鮮教育省」であるならば三浦の「日本文部省内部に北朝鮮協力者がいた可能性」は完全に「無内容な主張」になります。
 しかし「川添記事が仮に事実(朝鮮教育省ではなく日本文部省)だとしても」、「山口という男が建築設計者として立派な人間だから校舎づくりについて相談したらどうか」程度の話が「協力者」ですか(呆)。違法行為でもなんでもないでしょうに。「違法行為でもなんでもない」からこそ「氏名は秘匿した」「建築専門家以外まず読まないマイナー雑誌」とはいえ「要人氏の山口氏への口利き」を躊躇なく記述できるわけです。

 相談をもちかけられた山ロは、深く期するところがあり、熟慮の末彼が信頼するある人物に頼んで、名前だけの幽霊会社トランジスターをつくると称する共和産業なるものを設立し、その人物が社長となった。この社長は、さらに信頼できる不動産業者を見つけ、この二人が土地の選定と買いしめをはじめた。トランジスターの工場となれば話は違う。都下小平町で、約六〇人ほどの地主がもっていた土地を、またたくまにまとめ、買上げることに成功した.(中略)設計が完成し、トランジスタ会社共和産業小平工場の入札が行なわれ、白石建設に落札、工事が着手されることになり、工事費約一億五千万円の半金七千方円が、工事契約と同時に白石建設に支払われることになったが、これがまた大変である。
 朝鮮の貨幣は、浅草の親和銀行で日本円にかえられるが、ここからすぐ支払われたら一べんに露見する(ボーガス注:右翼の妨害を恐れたと言う事でしょうか?)。引出された七千万円はひそかにRIAの事務所に運ばれ、一時RIAの取引銀行におさめられ、そこから支払われた。すべてはこのように秘密裡に進められた。
(中略)
 この資料は、(中略)そしてこの学校建築そのものが完全に違法だったことを明らかにしている。

 「商業倫理・道徳的問題」はともかく刑事法(つまり犯罪が成立するかと言う事)的にも民事法的(つまり契約が無効になるかと言う事)にも「違法」ではないでしょうね。
 しかしこの記述が正しいとして山口氏の「朝鮮大学校校舎建築」への関わり方は「建築設計」レベルではなく、「かなりの思い入れがあること」が伺えますが、山口氏にとって「在日朝鮮人問題」とはなんだったのかとか、やはり山口氏は政治的には左翼なのかとか気になるところです。

 ここでは文部省(当時)にも総連に協力した人がいたこともはっきり記されている。文部省内部にもその資料が残っているのなら今からでも公開してほしい。

 いやそれこそ「森友疑惑での安倍の言い訳(昭恵は私人だ!)」ではないでしょうが「山口氏の紹介」は「山口氏の友人である、某文部官僚氏の私人としての行為」でしょうから資料なんか残ってないでしょうね。仮に資料が残ってるとしたらそれこそ「森友疑惑」ではないですが「政府・自民党の働きかけによるもの(一文部官僚の行為でない)」でしょうから、資料公開なんか今の政権がやるわけない。

 このような声を無視し続ける限り、朝鮮大学校も、そして、朝鮮学校の全ても存在意義はない

 まあ三浦がそう考えるのは奴の勝手です。俺も「塚本幼稚園だの幸福の科学学園高校だのハッピーサイエンスユニバーシティだのウヨの巣窟である拓殖大学だの」に教育的存在意義があると思ってませんしこれらの教育機関(?)にはとっと潰れて欲しいし。
 ただし、だからといって三浦らウヨがやっている朝鮮学校への嫌がらせ行為が正当化出来るわけでは全くありません。「正当な批判」と「ゲスな嫌がらせ」は全く違う。これはもちろん朝鮮学校に限った話ではなく「塚本幼稚園だの幸福の科学学園高校だのハッピーサイエンスユニバーシティだのウヨの巣窟である拓殖大学だの」でも話は同じです。俺もさすがに「塚本幼稚園だの幸福の科学学園高校だのハッピーサイエンスユニバーシティだのウヨの巣窟である拓殖大学だの」を潰すためならなんでも許されるとは思っていません。
 最後に朝鮮総連機関紙「朝鮮新報」の山口氏紹介記事を紹介しておきます。

http://korea-np.co.jp/j-2009/06/0906j0520-00001.htm
■朝鮮新報2009年5月20日号『朝鮮大学校小平移転50周年:朝・日友好の架け橋となった建築家・山口文象』
 建築家・山口文象、今となってはその名を知る人はそう多くはないだろう。しかし、彼こそ民族教育を語るうえで欠かせない逸話の主人公として、末永く語り継がれるべき人だと思う。今年は朝鮮大学校の小平移転50周年になるが、東京朝高の一隅でみすぼらしい木造校舎から出発した朝鮮大学校が、名実ともに民族教育の最高学府として大きな発展を遂げたのは、ここ小平の近代的校舎に移転してからのことである。それは祖国から送られてきた教育援助費の賜物であるが、実際に新校舎を設計し竣工させるうえで決定的な役割を果たしたのがほかならぬ山口文象である。
 中庭を囲むように設置された研究棟・図書館・厚生棟・事務棟、そして打放しコンクリートによる柱と梁のグラフィックな構成は建築物としても高く評価され、「建築年鑑賞」を受賞したことはよく知られている。いわば建築のベスト・オブ・イヤーであるが、それが朝鮮大学校に与えられたことは一つの事件といえる。
 けれども、その設計者が山口であることを想起する時、驚くにはあたらない。というのも、彼は日本建築史上に大きな足跡を残した人物で、例えば一世を風靡したドラマ「君の名は」の舞台となった数寄屋橋は、山口の20代の作品である。ゆえに、むしろそのような人が朝鮮大学校の設計を行なったことのほうが驚くべきことだろう。「現代日本建築家全集( 11)」(三一書房)でも、「朝鮮大学校は建築の機能を純粋に昇華させた建築として、われわれの胸中に永遠の珠玉として残る作品であろう」と書いているが、それはどのような経緯で生まれたのだろうか?
 在日同胞の願いをかなえるために、祖国からの教育援助費によって朝鮮大学校の新校舎が建設されることになったが、当初から暗礁に乗り上げていた。それは用地取得さえままならなかったからで、うまくいっていた話も朝鮮大学校を建てるということがわかると水泡に帰した。そこには根強い民族的差別と日本当局の妨害があったことは想像に難くない。
 その時、朝鮮教育省のある要人が、学生時代の友人である山口文象に相談してはと伝えてきた。山口は期するものがありそれを承諾、自身が代表を務める総合建築研究所(RIA)の若い所員たちに協力を仰いだ。もし、これが公になれば将来、さまざまな面で自身に不利な状況となることは目に見えている。それでも、彼らはそれに応じた。
 山口らはわずか2カ月で設計を終え、「共立産業トランジスター会社」工場建設の名目で用地を取得した。そして、白石建設に施工を委託、浅草の親和銀行で換金された教育援助費をいったんRIAに持込み、業者への支払いに当てた。これら、すべてのことを秘密裏に行ったというのは当時としては奇跡に近いものがあったが、山口は戦前には社会運動にも参加しており、その時の経験が活きたのだろう。
 そして、1959年6月13日、ついに竣工式を迎えた。その時の様子を川添登「建築家・人と作品」(井上書院)は、次のように伝えている。
 「6月10日から三日間、日本全国から代表数千人が東京の共立講堂に集まり朝鮮総連の大会が開かれたが、その最終日になって、全員明朝10時に中央線国分寺駅前に集合するという通達があった。その翌朝、国分寺駅長をはじめ、その周辺の人びとは時ならぬ数千人の朝鮮の人たちが、赤旗を林立させて駅前に集合したのをみて、何事が起こったかと驚いた。だが、その数千人の人びとも、自分たちが何事のために集まったのかを知らなかったのである。しかし、彼らは整然と集合し、やがて〈共立産業トランジスター会社〉の現場管理を担当した山口の実弟山口栄一が準備した10台のバスに、彼の指揮に従ってつぎつぎに乗せられ、驚く市民たちの間をぬって1台、1台と去っていった。
 バスから降りた人びとが見たものは、広い敷地に建てられた鉄筋コンクリートの立派な建築であった。見上げれば屋上に北朝鮮の旗がひらめき、入口には彼らが夢に見た、〈朝鮮大学校〉の文字が書かれていた。朝鮮の人びとは、異国にあって祖国の土を踏んだ感激をおぼえたであろう。しかし、それもはっきりと見えなくなってしまった。だれの目にも涙があふれでてきたからである」
 むろん、山口もあいさつの壇上に立ったが、彼は言葉少なめに日本人と朝鮮人が仲良くしていきたい、ただ、そのことのためにこの建築を作ることに協力したと述べたという。実は、この逸話には後日談があって、当時の(ボーガス注:岸内閣)外務大臣で山口が大日本精糖の工場を設計した際の社長であった藤山愛一郎*11はある会合で、山口に向かって一言次のように語ったという。
「君、大変なことをやったねえ」。
 筆者が山口文象の名前を知ったのは、著名な技術史研究家である飯田賢一の著書「人間と科学技術」*12近代文芸社)によってである。そこには簡単な評伝とともに前述の川添登の著書が紹介されていた。すぐに東京神田の古書店街に出向きその本を入手したが、一読して胸が熱くなった。山口の活動に対し、そして、それを文章にした人がいたという事実に対してである。残念ながら、日本人と朝鮮人が仲良くしていきたいという山口の願いは実現するどころか、昨今はそれに逆行する出来事ばかりである。それでも在日同胞にエールを送る日本の友人たちは決して少なくはない。山口文象のような先駆者の熱い思いを糧として、今こそ朝・日友好の絆をより強くするために奮闘する時なのだろう。
 50年前のその日、同胞たちは裸足になって校舎の屋上に登り、祖国の空に向かって深く頭を下げたという。筆者もまた大学の教壇に立つ者として、学生たちにその思いを伝え、自己に課せられた使命を果たすべく決意を新たにしている。

【追記】
 山口氏について書かれた記事を他にも紹介しておきます。
■建築家山口文象の自邸がTV番組に登場「古くて新しい家」
http://datey.blogspot.jp/2014/04/917.html

 2014年4月13日夕方、建築家山口文象の自邸を写した番組が、フジテレビで放送された。わたしも取材に協力をしたので、めったに見ないTVをその時間だけ見た。
 しかし、たった2分ほどの番組で、その前後途中に見たくもないたくさんの商業広告がでてきて、これだからわたしはTVを嫌いなのだ。
 番組名は「ロマン建築の旅」といい、有名建築家の住宅作品を順次放送するそうだ。
 その1回目は坂倉順三*13による「岡本太郎邸」であり、2回目が「山口文象自邸」(1940年竣工)をとりあげた。
 自邸の外観、中庭、サロンを中心の映像に、自邸と同じころにできた山口の作品である「黒部川第2発電所」と「林芙美子邸」の写真を挟み、山口文象の子息の音楽家山口勝敏さんが語り、プロのナレーションによって概括する。
(中略)
 ナレーションで気になったところ。
「東京大田区、閑静な住宅街にひときわ目を惹く、一軒の家がある」
 ふむ、一般の眼から見ると、あの家は「ひときわ目を惹く」のであるか。わたしは何回も訪ねて見慣れたせいもあるかもしれないが、そうでなくても、あの家は目を惹く代物だろうか。
 あのような道から平入りの瓦屋根の和風の家は、できたとき1940年の昔からの普通の住宅地の風景であった。
(中略)
 それが今や、ナニヤラハウスとかナントカホームという大衆好みの今風住宅が建ち並ぶのが、この久が原でも当たり前の風景であり、山口邸は居ながらにして特異な姿になった、ということだろう。
「浅草の大工の棟梁の息子として生まれ、独学で建築家になった」
 ふむ、独学でねえ、わたしは山口文象自身の口から、独学だと言っているのを聞いたことも読んだこともない。わたしもこれまで山口についてはいろいろ書いてきたが、独学と思ったことは全くなかったので、ちょっと意表を突かれた。
 建築の専門家である大工を育てる中学校(職工徒弟学校大工分科)では「学」にならず、大学の建築学科を出ていないから、これを「独学」というのかしら。
 山口文象に建築を教えた師匠はいなかったのかと言えば、当人の口から出る彼が師匠とした建築家の名前は、山田守*14、岩元禄、石本喜久治(後に大喧嘩するが)、グロピウスである。
 特に、18歳で就職した逓信省営繕課で、(ボーガス注:東京帝国大学工学部建築学科卒の山田守、岩元禄などの)多くの大学出のエリート建築家たちの下で修業をしたのだから、これを独学と言ってよいのだろうか。
(中略)
 それで思い出したが、ある建築史家は、山口文象が大工から転身して建築家になったと思い込んでいたそうだ。
 山口は大工の子だが、当人は大工を仕事にしたことはなくて、その兄の山口順造が父を継いで大工となり、この山口自邸も彼の仕事であった。
 学歴ついでに、山口文象がバウハウスで学んだと書いてある建築史の本があるが、それは間違いである。山口が弟子入りしたグロピウスは、既にバウハウス校長を退任し、ベルリンでアトリエを持っていた。
(中略)
「ヨーロッパ建築をとりいれた黒部川ダム」
 あれ、これはダムじゃないよ、発電所だよ、正確には「黒部川第2発電所」、ついでに言えば、これにつながる山口がデザインしたダムは「小屋平ダム」。
「明治から昭和へ駆け抜けた建築家は、古い殻を破りたいとあがき続けていたのかもしれない」
 おお、これはうまくナレーションを納めてくれましたねえ、そのとおり。
 江戸の残る旧弊な下町から抜け出て山手のこの地に家を構えこと、和風の名手でありながら西欧モダンデザインで世に出たこと、個人作家と集団オルガナイザーの間で悩み続けたこと、そう、あがき続けた建築家であった。


■勇怯の差は小なり、されど責任観念の差は大なり(石川時事評論)(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4304

 この4月「月曜評論」というミニコミを発行されていた編集者、中澤茂和氏が発行している「石川時事評論」下記の文章を寄せさせていただきました。

 月曜評論というのは過去に存在した右翼ミニコミで、当然、中澤は右翼活動家、石川時事評論も「石川県の右翼ミニコミ」です。確か、荒木和博や島田洋一もこの石川時事評論に寄稿したと自ブログで書いていたかと思います。まあ、月曜評論というと極右の世界のビッグネームですからねえ。
 そんな極右ミニコミとつきあいのある三浦と交際しながら「アンチネトウヨ」を自称するid:noharraこと八木孝三もどうしようもない嘘つきです。八木の本性はやはり三浦の同類の極右なんでしょう。八木ご本人は、そのことを必死に隠そうとしていますが。

 3月半ばの現在、国会や様々な場面で、政治家、ジャーナリズム、そして自称「教育者」*15等々から垂れ流されている言説を聴くたびに、おおよそ「責任」「矜持」といったものをここまで平然と捨て去ることができることにある種の驚きすら覚えてしまう。

 具体的に誰のどんな説を問題にしてるのか、さっぱりわかりません。まあはっきり書くと批判されると思ってごまかしてるのでしょうが三浦も実に不誠実で姑息な男です。
 むしろここで「自分が何が言いたいかはっきり書かずごまかしてる」癖に「偉そうに責任だの矜持だのほざく三浦」にこそ

「責任」「矜持」といったものをここまで平然と捨て去ることができることにある種の驚きすら覚えて

しまいますね。そしてこんな「反動極右」三浦と交際しながら「僕はアンチ右翼です」と詭弁がはける
id:noharraこと八木孝三にも

「責任」「矜持」といったものをここまで平然と捨て去ることができることにある種の驚きすら覚えて

しまいます。
1)「いずれ、鈴木寛氏を批判する文章を書く」と言いながらいつまで経っても書こうとしない(しかし鈴木寛批判以外の文章は大量に書いている)id:DG-Law
2)id:Bill_McCreary氏を『中国の連座制を支持してる』などとデマ中傷したあげく、「そのことに気がとがめるのか」はてなブログから事実上撤退し、にもかかわらず未だにid:Bill_McCreary氏に謝罪しないid:Mukke
などにも

「責任」「矜持」といったものをここまで平然と捨て去ることができることにある種の驚きすら覚えて

しまいます。 

大分県竹田市の広瀬神社は、日露戦争にて戦死した広瀬武夫中佐を祭っている。この神社に、同市出身の阿南惟親陸軍大臣の胸像が設置されたのは、2015年8月のことである。

 竹田神社に阿南の胸像ですからね。右翼運動以外、何物でもない。なお、三浦は「阿南惟親」とかいていますが正しくは「阿南惟幾*16(あなみ・これちか)」です。「これちか」を漢字変換すると確かに「惟親」が出てくるんですが、阿南を尊敬するとか抜かすんだったら名前ぐらい正確に書いたらどうなんですかね。

軍人が政治にかかわるのならば、その際は軍人たることを捨てなければならないと信じた。

・当時としてはそう言う考えは普通なんでしょうが、問題は「軍人が政治に関わることの是非」じゃなくて「軍人権限を悪用して政治に関わってはならない」つう話です。「軍人は一切、政治活動しちゃいけない」つうのもむしろまずいでしょう。
・なおこの理屈だと「退官後の田母神の右翼政治活動はともかく、航空幕僚長時代の田母神がアパ論文を書いたこと」は「軍人たることを捨てなければならない」つう事になり批判の対象になると思うんですけどねえ。もちろん三浦らウヨは田母神を批判するどころか擁護しましたが。
・ちなみに226事件では渡辺錠太郎*17・陸軍教育総監が暗殺され、鈴木貫太郎侍従長(海軍出身)が瀕死の重傷を負わされますが、彼らがそうなった理由の一つは阿南同様、彼らが「青年将校の政治活動」に極めて否定的だったからです。
・なお、話が変わりますが、「政治に関わりたいが故に」軍人の世界から足を洗い政界入りした(軍を退役し、政友会総裁に就任)のが田中義一*18です。
 まあ「その政治的言動をどう評価するかはともかく」田中とはそれなりに有能で、思いきりのいい性格ではあったのでしょう。
 戦前、軍人出身首相は桂太郎*19山本権兵衛*20寺内正毅*21加藤友三郎*22、斎藤實*23岡田啓介*24林銑十郎*25、阿部信行*26、米内光政*27東條英機*28、小磯國昭*29鈴木貫太郎*30らがいますが小生の理解では確か「退役して政界入りした」のは田中義一だけです。そう言う意味で田中義一とはある意味で面白い軍人ではないかと思います。

 ムッソリーニ政権は敗戦に次ぐ敗戦で求心力を失い、ムッソリーニ自身も精神的に追い詰められて判断力や指導力に乱れを生じていた。しかし、この時点で連合軍に対する講和を秘密裏に進めていたのは、かねてからファシズム政権に批判的だったイタリア国王とその周辺である。彼らは別に民主主義者だったのではなく、ファシズムの中にあるある種の社会革命の思想や伝統的価値観への反逆に対して、旧貴族や既得権益の立場から反発していたに過ぎない。戦局が不利で国民の厭戦気分が高まったからと言って、自国の政府を無視して和平交渉を進め、最後には、ムッソリーニを事実上逮捕拘束してバドリオ元帥の新政権を建てるというのは、超法規的なクーデター以外の何物でもなく、それに国王が参加していたことは、国王自身が一定の政治勢力に身をゆだね政治的中立の立場を投げ捨てたことに他ならない。

 当時のイタリアの政治体制は日本同様、王制(王が国家元首)ですからねえ。国王のやった行為の是非はともかく、それは少なくとも「超法規的なクーデターではない」し、そもそも国王は最初から「政治的中立の立場ではない」。
 国王からすればいつまでもムッソリーニにつきあっていたら敗戦後、自分が「死刑だの退位だの王制廃止だの」になることを恐れたのでしょう。しかしムッソリーニが自主的に降伏しない以上、これ以外に手がなかったと。
 まあそれはともかく。ふと気付いたのですが「超法規的なクーデター良くない!」つうなら三浦の脳内において「スペインのフランコ」、朴チョンヒ、ピノチェトだのはどう理解されてるんでしょうか?
 まあ、三浦はウヨとしてフランコ、朴やピノチェトを擁護するんでしょうがはっきり言ってデタラメにもほどがあります。

 この決定に反対するイタリア国民や軍人が一定程度存在したからこそ、ヒトラームッソリーニを「救出」し、少なくとも理念上はもっとも純粋なファシズム政権を北イタリアに「サロ共和国」として建国したのち、1945年ムッソリーニパルチザンにより処刑されるまで内戦が続いたのである。この国民間の分裂により、イタリアは戦後王制が崩壊した。
 これに比して、わが日本では、ポツダム宣言受諾に対しての賛否は別として、昭和天皇への忠誠による政府の一体感は最後まで維持された。

 まあ天皇制万歳の三浦なら「日本はスバラシイ、それに比べてイタリアは」なんでしょうが別に王制を廃止することは悪い事ではない。
 そして日本に置いて「天皇制万歳が国民大多数」つうのはそれだけ「洗脳が行き届いていた」つうことでむしろ恥ずかしいことではないのか(なお、日本での敗戦後の天皇制万歳*31を知ってると、まあ、国民全員がそうではないにせよ、そして「洗脳の成果ではある」にせよ、北朝鮮などでの最高指導者賛美も「実際、本心なのかも?」とは思います)。
 そもそも「負ける戦争をして国民に多大な被害を与えた後」にその戦争の指導者(イタリアの場合国王)が責任を問われて失脚するなんてのは「イタリアの国王制度廃止」に限らず珍しいことでもない。
 例えばドイツ、ロシアでの王制廃止(ドイツ革命、ロシア革命)なんかもその一例でしょう(ドイツは敗戦国ですし、ロシアは敗戦国と言えるか微妙ですが、戦争で国民生活が大いに破壊され厭戦気分と国王への批判が高まりました。革命において最終的にはレーニンが主導権を握り共産国ソ連が誕生しますが、それは結果論であり、国王批判の革命それ自体は共産主義者のみによるもんではありません)。
 イタリアの国王は「ムッソリーニに全て責任転嫁すること」で戦争責任を完全に逃げようとして逃げ切れず、王制廃止され、一方、昭和天皇東条英機らに全て責任転嫁して逃げること(自らは東京裁判で裁かれることも退位することもなく天皇制も廃止されず死ぬまで天皇であり続けた)に成功したわけです。
 歴史研究の成果はそうした昭和天皇の責任転嫁を「嘘八百昭和天皇はあの戦争に主体的に関わっていた」としていますが、今でも日本に置いて「昭和天皇平和主義者説」「終戦聖断説」という「事実に反する伝説」は無視できない力を持っていると言えるでしょう。
 まあ、昭和天皇死後は「昭和天皇批判が天皇制批判に直結しないこと」もあってそうした伝説は生前よりはかなり批判され、その結果そうした伝説の力も落ちてきたとは思いますが、昭和天皇生前はウヨの側からそうした伝説が強く宣伝されてきたわけです。そのため未だにそうした伝説が特に高齢者の間ではかなりの力を今も持っているわけです。
 なお話が色々変わって恐縮ですが小生は天皇制廃止や戦犯としての裁きどころか、「昭和天皇が退位も何もしなかったこと」が「あの戦争を美化しようとする右翼」の美化動機の一つだろうと思います。
 その意味では昭和天皇が責任をとって退位してれば、状況は多少は変わったかも知れない。
 昭和天皇が退位しなかったことによって、あの戦争を批判することは「昭和天皇」と「彼の居直りを容認した日米両国政治支配層(日本では勿論自民党)」への批判という意味あいを持つことになったわけです。

 昭和24年6月10日、昭和天皇陛下は九州巡行の際、大分の宿舎にて、阿南の未亡人綾子を招かれてお言葉を賜った。
「お変わりありませんか。苦しいでしょうね。苦しいでしょうが、しっかりやってくださいね。」

 昭和天皇もさすがにそのくらいのことは言うでしょう。三浦が特筆大書するほどご大層なことでもない。


■上田典彦さん、お世話になりました。(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4302
 何がどうお世話になったのか具体的なことは何も書いてないで

上田さんについての詳しいお話は、チャンネル桜の番組などをご覧になってほしい。

なので「本当に世話になったのかよ?」「こんな駄文なら何も書かなくていいんじゃねえの?」と聞きたくなる駄記事です。
 なお、この上田さん、三浦に寄れば『「頑張れ日本!全国行動委員会」の中心メンバー』だそうです(なお、http://www.ganbare-nippon.net/member.htmlによれば常任幹事)。要するに極右構成員です。全く三浦も最近では自分の極右活動家ぶりを隠さなくなりましたね。
 でそうした三浦の極右活動をどう思うか「自称アンチネトウヨ」のid:noharraこと八木孝三さんに質問すると、アンチネトウヨを自称してる手前、「『頑張れ日本!全国行動委員会』の何が悪い!」とはさすがに言えないが、一方でしがらみもあって三浦批判もできないのか、いつも黙りです。全くid:noharraこと八木は卑怯な男です。


筒井康隆*32の魅力と本質は反ヒューマニズム(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=4295
 慰安婦問題でゲスなツィートをした筒井の行為は擁護しようがないでしょう。それは「筒井の作品評価」とは全く関係ない話です。たとえば、それは小説家として素晴らしかろうと、三島由紀夫のテロ行為が容認できないのと同じ事です。筒井本人もそう思ったからこそ批判の高まりに暴言ツィートを削除したわけです。
 正直、筒井がこれほどバカなのかと呆れました。
 まあ、三浦は「つくる会理事」という河野談話否定派のゲスなんで擁護するわけですが。
 自称・河野談話支持者id:noharraこと八木孝三も良く三浦と交遊できるもんです。
 それにしても「反ヒューマニズムの魅力」て何ですかね。そんなモンがあるとは俺は思いませんが。
 「毒舌の魅力」は「反ヒューマニズムの魅力」ではないでしょう。なお、小生は「ダライラマ一味、ラビア・カーディル一味や拉致被害者家族会への小生の悪口雑言罵詈」を「毒舌」だとは思っていますが反ヒューマニズムだとは思っていません。その点、たとえば「ダライ盲従分子」id:Mukke先生には理解いただけず敵対関係になりましたが(苦笑)。
 むしろ小生は「拉致被害者家族会やダライ・ラマ一味、ラビア・カーディル一味の愚行(右翼との野合など)を容認すること」は「社会に害悪をもたらす」という「ヒューマニズムの観点から毒舌をはいてる」つもりです。
 それはともかく小生は「筒井道隆に興味はあっても*33筒井康隆には興味がないし、彼の小説を面白いと思った事が1度もない*34ので、てっきり「もう死んでる」と勘違いしてました。小生にとっては筒井康隆は「どうでもいい小説家」であり明日彼が死んでも何一つ惜しくはありません。

参考
■法華狼の日記『少女像を汚そうとする筒井康隆氏の陳腐なエッセイ』
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20170406/1491518413
■Independent Web Journal
慰安婦像を精液まみれに」:『時をかける少女』で知られる作家の筒井康隆氏が暴言、日韓で衝撃広がる!「最低最悪の発言」「下品で俗悪でゲス」など批判が殺到!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/372947


■大井健輔のツイートに突っ込む

大井健輔
 共産党志位和夫Twitter北朝鮮経済制裁を科すべき*35といい、米国の軍事行使に強く反対という。バカも休み休み言え。経済制裁といっても、チャイナが北の汚い金をマネーロンダリングしたり、石油の(ボーガス注:北朝鮮への)輸出をやめなかったり*36と何の効果もなかったのがわからないのか。

 ちなみに志位氏のツィートは以下の通りです。

志位和夫
「米国は軍事的選択肢をとるな──外交交渉のなかで北朝鮮の非核化を」
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2017/04/post-743.html
 記者会見で発表。破滅をもたらす軍事的選択肢はとるべきでない。経済制裁の強化と一体に、外交交渉のなかで北朝鮮に核放棄を迫るべきだ。政府、関係各国に働きかけを行います。

 大井には「おいおい」ですね。ここで志位氏が言ってることは「志位氏のオリジナル意見」というより歴代日本政府(現安倍政権も含む)がとってきた態度なんですけどね。
 こうした志位批判は「歴代日本政府(現安倍政権も含む)批判」になるんですが、その辺り、大井はどう考えてるのか。
 つうか確かに「中国の支援で制裁があまり効いてない」のは確かでしょうが、そういう大井は何がしたいのか。北朝鮮への軍事行使と言い出しそうですが、そんなんはリスキー過ぎてできる話ではない。
 志位氏の声明でも触れられていますが

http://www.jcp.or.jp/web_policy/2017/04/post-743.html
 米国のカーター*37前国防長官は、最近、米ABCテレビのインタビューで、「米国が北朝鮮を先制攻撃すれば、北朝鮮は韓国を攻撃するだろう。その戦争は、朝鮮戦争以来、見たこともないきわめて破壊的なものになるだろう」と強く警告している。

と言うとおりです。
 ちなみに

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-16/2017041602_02_1.html
 1994年の北朝鮮核危機の際も、当時のペリー*38元国防長官とアシュトン元国防次官補が精密誘導爆弾による核施設の攻撃を検討していたことを告白しています(米紙ワシントン・ポスト2002年10月20日付)。しかし、当時の試算では、死者は100万人に上り、うち米国人も8万から10万人が死亡。金泳三韓国大統領(当時)が強烈に反対し、その後、カーター元大統領が訪朝。攻撃は実行されませんでした。

だそうです。ここで名前が出てくる「アシュトン元国防次官補」とは「アシュトン・カーター元国防次官補」であり「後のアシュトン・カーター元国防長官(カーター元国防長官)」です。何で国防長官時代(カーター)と国防次官補時代(アシュトン)で赤旗の名前の書き方が違うのか分かりませんが。とにかくカーター元長官の警告には「国防次官補時代の経験」が影響してるのは間違いないのでしょう。
 まあ大井みたいなウヨは無責任に「カーターは腰抜けだ」と言いそうですが。
 結局
1)中国を説得して、中国の協力を得て制裁を行うか
2)そもそも制裁などせず太陽政策
のどっちかしかないでしょうが、まあ、アンチ北朝鮮の大井にとって2)はない。そしてアンチ中国の大井には1)もないんでしょう。
 もちろん「北朝鮮を支援する中国を制裁する」なんてことも非現実的な話です。


id:noharra(八木孝三)のツィートに突っ込む

野原燐さんがリツイート
墨東公安委員会 @bokukoui
 渡部昇一死去とのこと、英語学ではそれなりに立派な人だったらしいですが、近代日本史を学ぶ者にとっては(ボーガス注:南京事件否定論を流布するなど)恐るべき害悪でした。逆説的に、「歴史について他分野の専門家が語ると往々トンデモになる」という教訓を残したといえましょうか。

 まあそういうことですね。例のI濱女史のトンデモ物言い(例:沖縄に米軍基地がないと中国が攻めてくる)も「女史に渡部ほどの政治力がない(つまり実害があまりない)」とはいえ酷い害悪でした。
 こういう批判に「でも渡部さんは立派な英語学者だ」と言っても意味がないように「id:Mukkeの詭弁(でもI浜さんは立派なチベット学者だ)」も全く意味がありません。まあご本人もそれ自覚してるからトンズラなんでしょうが。

pon2pon3pon5‏ @33747y9qa1
返信先: @bokukouiさん
 歴史学だけじゃなくて、どの分野でも専門家が専門以外を語り始めたとたんにトンデモになります*39。特に自分の専門分野で目立った業績が有って、周りからちやほやされてきた人は、他の分野に口出しするときに、恐ろしいくらい何も勉強せずに、自信満々でトンデモを繰り出します。

 そういう「非常識な素質」は元からあるんでしょうが、渡部も女史も「専門分野で成果があるからこそ」分野外でデタラメなことが言えるのかも知れません。

野原燐さんがリツイート
kazukazu88‏ @kazukazu881
 森友学園のスキャンダルの後でこんなことを言うなんて、完全に日本の有権者は舐められているな。首相が民間企業に忖度しろと冗談でも言うとか、ありえないだろ。
■安倍首相「山口の物産がない…忖度していただきたい」:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK4K72GKK4KULFA042.html

 非常識過ぎて二の句が継げません。これが日本の首相かと思うとうんざりします。

野原燐さんがリツイート
Tetsuya Kawamoto‏ @xxcalmo
立花隆氏「渡部(昇一)氏の議論に対しては、事実による反駁も、論理による反駁も何の役にも立たない。渡部氏はそうしたものに何の痛痒も感じないのだ。事実と論理によって何度打ち倒されようと、渡部氏は黙って再び身を起こす。そして同じ議論を繰り返す」。

 渡部のデタラメな南京事件否定論田中角栄ロッキード無罪論を批判した立花の言葉ですがこうした「何の痛痒も感じないのだ」は渡部に限らず日本の極右界隈に共通したデタラメさでしょう。
 なお、極右かどうかはともかくこうしたデタラメさは「id:Mukkeid:noharra」と言った連中にも共通します。

野原燐さんがリツイート
うちゃか‏ @sayakaiurani 8時間8時間前
 やっぱそーくるんだー、、、
中国当局 金正恩氏に対し「亡命」をするよう説得している可能性
http://news.livedoor.com/article/detail/12947399/

 韓国紙「朝鮮日報」(10日付)は、現在韓国国内の情報誌の内容を引用し、「4月末までに、中国当局金正恩委員長の亡命を説得する。説得が失敗に終われば、米国は先制攻撃を加える」と報じた。

 いやその可能性はほとんどないでしょうね。なぜなら今の北朝鮮政治の問題(たとえば核保有)は「金正恩が暴君だから」云々つう「彼の個性」で片付けられる話では恐らくないからです。彼が亡命しようがそれが「核廃棄」に繋がることはおよそ考えられない。大体何があろうと中国は先制攻撃には賛成しないでしょう。中国にとって「難民が大挙押し寄せる」などのリスクがあるからです。いやそれ以前に韓国やロシア、日本もそんな事に賛成するかどうか。韓国メディアがくだらない与太飛ばしてるだけでしょう。

中国当局は過去、故ノロドム・シハヌークカンボジア国王を保護したことがある。

 シアヌーク外遊中にロン・ノルがクーデターを起こしたから仕方なく亡命しただけで「金正恩亡命説」なんぞとは全く意味が違います。

野原燐‏ @noharra
返信先: @sayakaiuraniさん
 北朝鮮は収容所国家であり現在の支配体制は消滅させるべき。
 韓国と統一するかどうかはまだ先の話。いずれにしても日本もそれなりの支援をしていく覚悟をもっていこう!
 狭いエリアに3つの核大国*40という悪夢をどうしても避けたい。

 まあ言ってることが意味不明ですね。 
 「韓国と統一するかどうかは未だ先の話」だが「北朝鮮は収容所国家であり現在の支配体制は消滅させるべき」つうid:noharraの「脳内プラン」て何なんですかね?。
 正直な話、「金大中盧武鉉太陽政策」なんつうのは「統一は遠い先のことだろうがいずれにせよ、今の北朝鮮の経済状況なら東ドイツ型統一が現実的だろう」つう理解の元に「今の北朝鮮経済のママ統一したら韓国経済が沈没するから、北朝鮮経済を立て直そう」つう要素は明らかにあるでしょう。
 もちろん「東ドイツ型統一に備える」を前面に出したら北朝鮮の反発買うからその辺りは適当にごまかす*41し、また「東ドイツ型統一」関係なく「北朝鮮経済が立て直れば」
1)経済苦に苦しむ民衆が減る。それ自体が人道的
2)経済成長で北朝鮮にとって失う物が増えれば軍事的行為をする動機が減る(朝鮮半島の安定)
つう要素は無論ありますけどね。
 また「核廃棄」をしたいのならid:noharraが言うのとは逆にそれこそ「欧米がカダフィ体制打倒はしないことを事実上保障して核廃棄させたリビアカダフィ(2003年)」のような形しかないでしょうね。
 ただしその後(2011年)、リビアカダフィは欧米が支援する反体制派によって命を奪われますが(まあ核廃棄と政権転覆にはブランクがあるので最初から欧米がカダフィをだますつもりだったとは言えないでしょうが)。
 これについては
カダフィ大佐の誤算とその「教訓」
http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/51933062.html
■核協議に応じぬ北朝鮮リビアが反面教師に
http://jp.wsj.com/articles/SB10087023822292513792204581137841505181496
北朝鮮の核実験は「カダフィの末路」からの教訓(辺真一
https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20160125-00053800/
を紹介しておきましょう。北朝鮮が「リビアのように政権転覆されない保障がない限り核廃棄しない」つうのはある意味合理的でしょう。
 なお、俺的には「北朝鮮核兵器持っていい」とは言いません。できれば核廃棄して欲しいですが別に北朝鮮の核保有なんか脅威じゃないですよ。
 id:noharraがリツィートしてるきっこが言うように

野原燐さんがリツイート
きっこ‏ @kikko_no_blog 4月17日
 北朝鮮だってバカじゃないんだから、アメリカやアメリカの同盟国に対してミサイルなんか1発でも打ちこんだら、ソッコーで100倍1000倍になって返ってくることぐらい分かってんだろ?北朝鮮のミサイルや核開発は、あくまでも「交渉のための道具*42」なんだから、いちいち大騒ぎするのはアホだけ。

なわけですからね。
 それにしても、ロシアや中国、あるいは「トランプの米国」だって「核兵器なんか使わない」でしょうが、「小国」北朝鮮核兵器に比べたらこれらの大国が核使用する危険性の方が大きいでしょうに北朝鮮だけ騒ぐ日本人多数って何なんですかね(呆)。

野原燐さんがリツイート
じこぼう‏ @kinkuma0327
 百田尚樹氏は「憲法9条がなければ拉致問題北朝鮮と戦争ができた」などという勇ましいことをいう。そんなことをしていれば拉致被害者の生命が危機に晒されていただろうといった程度の想像力もない

 本当にid:noharraには呆れますね。どう見てもこの男は過去に「百田と同レベルの北朝鮮政権転覆論」を公言していたと思いますが、今頃に成って「百田の北朝鮮政権転覆論」に対する批判に賛同とはどういうことでしょうか?
 「百田を批判する奴が多いから掌返しで百田批判しました」つう「掌返しで籠池批判する産経」みたいな話でしょうかね?
 それにしても百田のような暴言は本来、家族会や救う会拉致議連が速攻で批判すべきでしょうがそうではないのだから呆れます。
 なお、憲法九条がなくたってたとえば朴チョンヒは結局、「後に劇映画になったシルミド計画(青瓦台襲撃事件への報復としての金日成暗殺計画)」をあきらめたし、一時、北朝鮮核施設空爆を検討したクリントン政権も結局カーター訪朝に動いたわけです。戦争なんてモンは、それによる被害を考えたらそう簡単にできるモンじゃありません。

野原燐‏ @noharra
「昭恵さんは会合で「防潮堤反対運動をするつもりはない。必要なところはきちんと造ればいい」とする一方、「必要ないところはやめればいい。景観が崩れ、 海の生態系が変わって環境も破壊され、漁業にも影響するかもしれない」と指摘した。昭恵さんは(略)防潮堤建設を考え直す運動に関わっている。
http://moriumiblog.naturum.ne.jp/e1780709.html

 「2013年のエントリ」http://moriumiblog.naturum.ne.jp/e1780709.html
なんて引っ張ってこないで「2017年現在」どうなってるか位書いたらどうなんですかねえ。
 まあ

https://mainichi.jp/articles/20170323/ddm/005/070/025000c
毎日新聞・記者の目『東日本大震災6年 防潮堤を考える』山崎征克(東京社会部)
2017年3月23日 東京朝刊
 東日本大震災から6年が過ぎた被災地で、津波から街を守る防潮堤の建設が進んでいる。津波から街を守る有効な手段であることは否定しないが、高い防潮堤は海とともにあった古里の景観を激変させてしまうのも確かだ。建設には住民の合意が必要と思うが、行政が見切り発車と言われても仕方がない形で着工した例もある。これでは、防潮堤が地域を分断する構造物になりかねない。禍根を残さないよう、自治体は住民と十分協議すべきだ。
 防潮堤事業は青森県から千葉県までの太平洋沿岸の計677カ所で進む。うち9割近い591カ所が岩手、宮城、福島の3県に集中し、震災前は延長約165キロだった高さ5メートル以上の3県の防潮堤は倍近い約300キロに増える。土地の用途によって所管が国土交通省農林水産省などに分かれており、国は総事業費を把握していなかった。取材して集計したところ、約1・4兆円と分かった。巨費を投ずる事業だ。
 防潮堤計画は、震災を受けて政府の中央防災会議が2011年にまとめた津波対策が基になっている。数十年から百数十年に1度起きる津波を「L1」、1000年に1度とされる最大クラスを「L2」に分類し、L1を防潮堤で守ることを基本とした。これを基に国交省農水省などが高さについての通知を出し、シミュレーションをしたうえで各県が地域ごとにL1を防げるよう、高さを決めた。
 その後、全677カ所のうち、約200カ所は当初計画より高さを下げたり、位置が変更されたりした。集落が高台移転したため当初計画の高さが必要ないと判断されたケースが多く、ほとんどは震災前と同じ高さに落ち着いている。
 例えば岩手県大槌町の赤浜地区。住民は高台移転を決めたものの県は高さ14・5メートルの計画にこだわった。住民には高い防潮堤によって景観が損なわれるほか、海の変化が見えずかえって危険になるとの声が根強く、県は結局震災前と同じ6・4メートルに変更した。
 震災前よりは高い防潮堤計画になったが、それでも行政が計画より高さを下げた例が宮城県塩釜市浦戸諸島だ。高さ3・3メートルの計画に一部島民が「海が見えず、生活にも支障が出る」と訴えた。過去の津波の痕跡などから、部分的に2・1メートルに引き下げた。
 住民の賛否が割れる中、行政が見切り発車するような形で建設に踏み切ったのが宮城県石巻市雄勝町(おがつちょう)の防潮堤だ。
 雄勝町の中心部約600世帯は津波に流された。約4カ月後、住民らでつくる「雄勝地区震災復興まちづくり協議会」は、「高い堤防を築かない」ことなどを盛り込んだ要望書を石巻市長に提出していた。高い防潮堤が「陸と海を分断してしまう」が理由だった。一方、市と県は12年3月までに、震災前の4・1メートルの倍以上になる高さ9・7メートルの防潮堤建設を住民に提示。中心部の高台移転は11年秋に住民に示していた。
 住民の意見は割れた。市と県の説明会では「町に戻りたいけど、防潮堤がないと怖くて戻れない」と泣いて訴える女性もいたし、「住宅は高台に移転する。いったい何を守るために造るのか」「海が見えなくなったら、もう古里ではなくなってしまう」といった反対意見も出た。
 高い防潮堤には一部住民の根強い反対はあったものの、市側は「議論がまとまらないと、他の復興が遅れる」と主張。県は14年6月に「住民合意は取れた」と判断し、計画を決定。昨年夏に着工した。
 宮城県の担当者は「L1は防ぐとの方針がある以上、県民を守るために最大値を想定するのが我々の務め」と話す。中央防災会議の決定は重いというわけだ。ところが、当の中央防災会議で地震津波対策に関する専門調査会の座長を務めた関西大の河田恵昭*43教授(防災学)は「L1すべてを防ぐ要塞(ようさい)を造れとは言っていない。避難路を整備することなどでリスクは軽減できる。地域に合った計画を作れる余地を残した」と主張する。行政と専門家の間にボタンの掛け違えのようなずれがある。
 かけがえのない家族を亡くしたり、自宅を失ったりした被災者にとっては今も生活の再建こそが最優先課題で、行政も復興を急いでいることはわかる。その意味で防潮堤を巡る議論は必ずしも優先順位は高くないかもしれない。しかし、雄勝町をはじめ各地で住民の反対運動が起きたことを軽視すべきではない。
 677カ所のうち、6カ所は住民が合意しておらず、工事が始まっていない。見切り発車せず、住民と十分に協議して計画を練るよう望みたい。

を見る限り「高さなどに変更はあっても」、「防潮堤計画それ自体」は大筋で変わってないし、宮城県に至っては「高さの方針」も全く変わってないようですが。
 しかし、森友疑惑が発覚した後でもid:noharraはこんなことで昭恵賛美なんかしますか(呆)。
 つうか「首相夫人」てだけで政治に影響力が及ぼせたらむしろまずいでしょうに。

小張學‏ @manauwf
・他国の総書記*44を無き者にする、それに日本が加担するなどという、戦慄すべき想定が平然と報道されている今の日本が、いかに異常であるか、冷静に見つめなおした方がいい。
朝鮮半島有事…暫定機構の同意得て自衛隊拉致被害者救出(産経新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000071-san-pol
・戦争となれば拉致被害者の方の命はむしろ危険が増すと考えるのが普通ではないでしょうか。

 この小張氏ツィートに対し

id:noharra
 金正恩を殺すのは悪いことですか?
 彼が兄を殺した時点で儒教的には彼は「紂王*45を殺した武王*46は、臣下の礼に背いたのではなく、ただの「匹夫」にすぎない紂という男を殺しただけ」となり許される。それ以前に彼は多くの国民を殺している。

とリツィートできるid:noharraには「はあ?」ですね。どう見ても、id:noharraは「金正恩暗殺を願って何が悪い」と放言しています。

野原燐‏ @noharra
 米国の北朝鮮攻撃は十分ありうると佐藤優が言っている。
 私もそう思う、3割くらい*47北朝鮮人民の為には、金正恩体制は崩壊すべきだと私は思うが、イラクなどのように攻撃したら、(ボーガス注:北朝鮮の反撃で)韓国の被害*48は創造を絶する。もしそうなったらネトウヨを制圧し、難民をトラブル無く迎え入れなければいけない。

 「自分は死なないから北朝鮮や韓国で何人死んでも構わない」とでも思ってるんですかね、このバカは。
 「難民をトラブルなく迎え入れる、じゃねえよ!」ですね。そもそも多量の死者を出したあげく、多量の難民まで出すであろう行為(北朝鮮政権の軍事転覆)が許されるのか?、とは何故思わないのか?


ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾン書評:小山俊樹『知床スキャンダル―知らされていない自然保護運動の光と影』その2
■「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート131(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20080821/1307052595
に書いた
ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾン書評:小山俊樹『知床スキャンダル―知らされていない自然保護運動の光と影』その1が
書ききれなくなったんでこっちにも書くつうだけの話です。
【1】

ラグタイムララバイ
■知床スキャンダル―知らされていない自然保護運動の光と影
小山俊樹著(1990年、大和書房)
 あまり読まれていないのが残念。

■「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート131(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20080821/1307052595
で書いたこととかぶりますがそりゃ「1990年当時」ならまだしも「27年後の今」になっては読まれないでしょうねえ。
 大体こういっちゃ何ですが大和書房なんて大手じゃないし、後でも触れますがライターの小山俊樹氏はググっても全然ヒットしない無名人ですし。

【2】
まず「小山俊樹、知床」でググって見ます。
しかしヒットするのが
■月刊『記録』97年4月号掲載記事『税金ドロボウ列伝・その2/林野庁
http://nikkankiroku.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_7aaf.html
だけ。
 もちろん「マイナー雑誌しかヒットしない」からと言って「ライターとして売れてない」とは言えても「二流」とも決めつけられませんが、「月刊『記録』なんてほとんどの本屋においてねえじゃん。俺、県立図書館か、母校の大学図書館(最近ではなく勿論大学生時代)くらいでしか見たことないぜ」ですね(苦笑)。
 長いので全文引用はしませんが、所々引用してコメントしておきます。

 北海道・知床半島オホーツク海沿岸を網走から斜里町へ南下し、さらに国道334号線を知床国立公園へと向かう途中に「オシンコシンの滝」はある。
(中略)
 今、この滝の前に(ボーガス注:林野庁系の)財団法人林野弘済会*49売店を出店したいとして問題になっている。

つうことでこの売店出店が環境破壊だ何だ、林野庁は、林野弘済会はふざけてるという話です。
 でこういう話では良くあることですが反対派もいれば賛成派もいる。1997年当時の地元・斜里町の町長は賛成のようです。もちろんこれ1997年の話なので今この話がどうなってるか分かりませんが。
 そもそも1997年の町長は「午来昌(ごらい・さかえ)」氏という人だそうですが、今の町長は町サイト(https://www.town.shari.hokkaido.jp/cyoucyou/cyoucyoublog.html)に寄れば「馬場隆」氏ですし。
 さてこの午来氏について小山氏・月刊『記録』記事は

 午来昌斜里町長は、87年に現職を接戦の末やぶって初当選した。初当選の年は前述した伐採問題の渦中にあり、地元の自然保護団体の元会長という肩書きを持つ午来の当選は、「グリーン派町長の誕生」ともてはやされたものだった。しかし、その虚飾が剥げるのにはそれほどの時間を要しなかった。
 当選したその年に、彼は国立公園内に所有していた町有地の森を伐採してコンクリートの建物を建てた。この建物は知床自然センターといい、ダイナビジョンという巨大な映画館を備えている。映像設備のハードとソフトは大手教材会社「学習研究社」のものだが、これが(ボーガス注:学研と午来氏の癒着が噂される)疑惑まみれの代物なのである。

つうことでかなり手厳しく非難しています。
 まあ、ここで三浦書評の本多氏批判の中身がおおよそ見当がついてきます。
 「本多は当選前午来を応援していたが奴は変節したじゃねえか*50」と。まあ実際どうなのかは知りません。ただしこの種の「変節」は「脱原発を一応掲げたはずなのに当選後、その辺りどんどん曖昧になっていく鹿児島の三反園知事」「自公系候補とは言え選挙で一応、辺野古移設反対を訴えたのにそれを当選後反故にした沖縄の仲井真知事」などいますので、仮に事実だとしても悲しみや怒りはあっても「正直驚きはない」ですが。

【参考:三反園氏や仲井真氏について】

https://mainichi.jp/articles/20161211/ddm/005/070/012000c
毎日新聞社説『三反園知事 看過できない変節ぶり』
 鹿児島県の三反園訓(みたぞのさとし)知事の変節ぶりに、多くの県民が疑念を抱き、不信を募らせているのではないか。
 定期検査で10月から停止中だった九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)が、運転を再開した。
 知事は脱原発を掲げて7月に初当選した。ところが、今回の運転再開については、「私に稼働させるかどうかの権限はない」などとして明言を避け、事実上容認した。

http://synodos.jp/society/13644
シノドス辺野古移設を強行すれば日本への怒りが広がる──大田昌秀*51インタビュー』(2015.04.02 )
 沖縄の状況が緊迫している。普天間基地の県外移設を訴えて再選を果たした仲井真弘多*52県知事(当時)が、一転して国による辺野古の公有水面埋立を承認したのが、2013年12月。その後、2014年1月には地元名護の市長選で普天間基地辺野古移設に反対する稲嶺進氏が再選。そして、その年の11月、移設反対を唱える翁長雄志*53が、3選を狙う現職の仲井真氏を大差で破り、県知事となった。

 さて話が色々飛ぶのが俺なのでご容赦願いたいですが

 革新系が、那覇市長をしていた翁長さんを推したということは、革新の力が急激に衰えているということです。翁長というのはもともと自民党(ボーガス注:沖縄県連)の幹事長をしたり、県会議員のときには、いちばんの基地容認論者だったわけです。それを革新系が推すということは、僕たちからすると考えられない。革新がいかにもだらしない。自派の候補者も出し切れない。自民党(ボーガス注:沖縄県連)の幹事長をしていたひとを推すとはね。
 しかも県議のときに、(ボーガス注:県知事だった)僕への攻撃を一番していた人物だったわけ(笑)。まあ、それはどうでもいいけど(笑)、ただ、革新4党*54がおこなっていることは、僕は革新が弱くなったということだと考えている。もし翁長が、革新が期待するようなことができなければ、誰がいったい責任を取るのだろうか。

つう太田発言は勿論「翁長氏への牽制」ではあるでしょうが一方では本心でもあるでしょう。「革新から立てたかった」とか「そう言う点、共産党とか沖縄社会大衆党とか深刻に考えないといかんよ、分かってるとは思うけど、敢えて憎まれるの承知で言っておくから」とかまあそういうことでしょう。
 もちろん「翁長氏を立てることによって保守票取り込みを図った」とか「知事出馬を考えるくらい翁長氏も自民中央のやり方には反感を感じてる」とか言う面も勿論あるでしょうし、それは大田氏も分かってはいるでしょうが。

インタビュアー
 今回得票率が、北部と離島で仲井真が翁長を上回ってましたね。これはやっぱり公共事業に頼っている地域なんでしょうか。
大田
 そうそう。要するに、国から金もらうのが仲井真だからね

 まあそんだけ離島は苦しいんでしょう。

【参考終わり】

 ただ「小山氏の午来批判」が正しいとしても「三浦の本多氏批判」には「それお前が言うか、三浦。お前らウヨは環境保護なんてかけらも興味ねえだろ?」「つうか本多氏だけか、午来氏褒めたの?」ですよねえ。

【3】
せっかくなので小山氏が酷評する「午来昌氏」の名前でググって見ます。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG23007_T20C13A2000000/
日経新聞『自然の専門家、知床で育てる 大学院設立へ財団が発足』
 北海道・知床で環境保全や野生生物の保護管理を学ぶ専門職大学院の設立を目指し、財団が1月に発足した。2005年の世界自然遺産登録時に地元の斜里町長だった午来昌さん(76)らが中心となり、3億円をめどに全国から寄付を募って17年度の開学を目指す。

http://hokkaido.yomiuri.co.jp/shiretoko/shiretoko_article/2007041501_article.htm
■読売新聞・北海道版『知床の世界遺産登録に尽力、午来・斜里町長自伝出版 今月で退任』
 知床の世界自然遺産登録に尽力し、今月で網走・斜里町長を退任する午来昌さん(70)の自伝「大地の遺産 知床からのメッセージ」(響文社)が14日、出版された。
 全国的な批判が集まった1987年の知床国有林伐採から20年になるこの日、町内の書店などに置かれた。反対派として町長選に勝利した午来さんは「知床の森にチェーンソーが入った日を忘れずにいたいと、思いを込めた」と話した。
 自伝には、生い立ちからナショナル・トラスト「知床100平方メートル運動」、世界遺産登録などを巡る出来事が記されている。開発の危機を乗り越え「核心部には道路も展望台も私有地もない、自然のままの知床を未来に引き渡していくことができる」と、つづった。
 引退に際し、午来さんは「流氷で埋まるオホーツク海、空に輝く星、真っ赤に染まる夕日など、知床には無限の宝が眠っている。大都会にいては気付かない大切な物を、町民は胸を張って世界に発信してほしい」とメッセージを送った。
 「大地の遺産」は、初版2000部を発行。全国の主要書店で購入できる。

http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20161128011190001.html
朝日新聞『知床に自然大学院大学を』午来昌(元斜里町長)
 知床は1964年に国立公園に指定されたが、70年代初めに日本列島改造論が全国に広がると、入植し苦労を重ね離農した開拓者の土地を、不動産業者が現ナマをちらつかせ安い価格で買い占め始めた。同じ農家の仲間として無性に腹が立ち、当時斜里町議だった私は、藤谷豊町長(故人)に直訴した。町長はすぐ行動を起こし、道庁、農水省環境庁や大学の先生方にも精力的に要請活動をするも、救うことはできなかった。
 そんな時、朝日新聞の「天声人語」で紹介された英国のナショナルトラスト運動に注目した藤谷町長が77年、トップダウンで決断したのが「しれとこ100平方メートル運動」だった。「知床で夢を買いませんか」をキャッチフレーズに、全国から寄付を募り、土地の買い上げや森林再生のための資金とする。多くの人々の協力で、支援の輪は全国へ広がった。あれから40年になるが、つい昨日のように頭をよぎる。
 その後に起きた国有林伐採問題で、私は伐採賛成の町長と戦い87年に当選する。首長として豊かなオホーツク海と知床の環境を守ることが何よりも大切と心に決めて歩き始めた。子や孫の世代が未来に夢を抱き、故郷に誇りが持てる町の姿を求め、羅臼町と協力して知床を世界遺産として残すことができた。
 半世紀にわたって自然保護運動にかかわる中、様々な問題が起こったが知床に生きる人々の思いを結集し、開発計画などに歯止めをかけることができたのは、この地に生きる一人として誇りに思う。
 だからこそ、知床に自然大学院大学をつくりたい。
■午来昌(ごらい・さかえ)
 元斜里町長 1936年、斜里町ウトロ生まれ。開拓農家の3代目として生まれ、農業や山ガイドに従事。斜里町長を5期20年務め、世界遺産登録を見届け勇退。現在は知床自然大学院大学設立財団評議員

https://mainichi.jp/articles/20161115/ddl/k01/010/268000c
毎日新聞・北海道版『動くか北方領土、識者に聞く/上 世界遺産知床、拡張を NPO法人「日露平和公園協会」午来昌理事長(80)』
 日露首脳会談に向け、安倍晋三首相は「新たなアプローチ」を掲げています。その一つとして、国境を越えた「ピースパーク(平和公園)構想」を取り上げてほしい。持続可能な漁業と生態系の保全を実現するため、知床の世界自然遺産の範囲を北方四島の北隣にあるウルップ島まで拡張する構想で、私たちの協会は2008年から提唱しています。

 ということで小山本出版後もマスコミ各社は午来氏に好意的だったわけです。
 もちろん「だから午来は正しい、小山は間違ってる」とは限らない。とはいえ、こういう状況下で三浦のように本多氏を非難したところで全く無意味です。
 まあ小山氏はともかく三浦の場合は単に「知床を本多氏非難のネタにしてるだけ」で知床にかけらも興味などないでしょうが。
 三浦が「チベットウイグルにかけらも興味がない」のに中国叩きのネタにしてるのと話は同じです。


【4】
 次に「小山俊樹」でググってみますが「小山俊樹・帝京大学教授(日本史)」と言う別人が大量にヒットします。
 ググったところ、この小山氏には『憲政常道と政党政治:近代日本二大政党制の構想と挫折』(2012年、思文閣出版)、『評伝・森恪:日中対立の焦点』(2017年、ウェッジ)と言う本があります。

参考

■森恪(1882年(明治16年)2月28日〜1932年(昭和7年)12月11日:ウィキペ参照)
・「東洋のセシル・ローズ」を自認した帝国主義者
・1927年(昭和2年田中義一*55内閣で外務政務次官に就任する。田中首相外務大臣を兼任したため、森は政務次官ながら事実上の外相として辣腕を振るう。田中政権下で対中国強硬外交を強力に推進し、山東出兵、東方会議開催などに奔走した。
・田中内閣が張作霖暗殺事件での天皇の不信任を理由に総辞職すると、1929年(昭和4年)政友会幹事長に就任する。ロンドン海軍軍縮条約をめぐり、1931年(昭和6年)2月、首相臨時代理の幣原喜重郎*56外相を攻撃し、浜口*57内閣を揺さぶる。第2次若槻*58内閣を経て、同年12月13日政友会の犬養*59内閣が成立すると内閣書記官長となる。しかし、森と犬養は、大陸政策をめぐって対立。森は犬養に対して辞表を提出、預かりとされる(1932年(昭和7年)5月15日の五・一五事件で犬養が暗殺され犬養内閣が崩壊し、後継の斎藤實内閣が森を留任させなかったことで書記官長を辞任)。1932年12月11日、持病の喘息に肺炎を併発し、滞在先の鎌倉海浜ホテルにて死去。享年50歳。

*1:そもそも隠していませんので。

*2:いや山口生前、朝鮮大学校開校直後ですら「建築専門家や在日朝鮮人以外は」あまり知られてないんじゃないか。

*3:1951年に大映の第5期ニューフェイスとして映画界入り。1971年の大映倒産以降はテレビドラマに活動の場所を移し、1983年に黒川紀章と再婚してからは、テレビドラマの出演はやや抑え気味になり、舞台を中心に活躍している。

*4:慶應義塾大学図書館』(1912年設計、東京都、重要文化財)、『リデル・ライト両女史記念館』(1918年設計、熊本、登録有形文化財)などで知られる。作家・宮本(旧姓:中条)百合子の父。「日本弘道会創立者西村茂樹の義理の息子。

*5:俳優座創立者の一人。

*6:著書『技術思想の探究』(1995年、こぶし文庫)、『ヘーゲル・大論理学』(1996年、こぶし文庫)、『技術の哲学』(2005年、岩波全書セレクション)、『近代日本哲学史』、『西欧化する日本・西欧化できない日本:日本の知性の古層と新層』(以上、2014年、書肆心水)など

*7:建築評論家。著書『東京の原風景』(1993年、ちくま学芸文庫)、『今和次郎:その考現学』(2004年、ちくま学芸文庫)など

*8:まあ真偽不明ですが、「事実」だとして名前を出さないのはこの「要人」氏に対する配慮でしょう。

*9:山口氏は東大卒ではないですし、「友人」が事実としてどういう経緯での友人でしょうか?。気になるところです。

*10:「友人」が事実として「学生時代」とは「いつの学生」でしょうか?

*11:藤山コンツェルン総帥。財界人として大日本精糖社長、日本商工会議所会頭、日本航空会長など歴任。台湾ロビーであった岸信介首相であったが、経済的見地から中国貿易もそれなりに重視しており、親中派として知られる藤山(後に国際貿易促進協会会長も務める)を岸内閣外相に任命。藤山はこれを機に政界入りする。その後も池田、佐藤内閣経済企画庁長官を歴任。ただし彼が目指していた首相にはついになれず、藤山派維持のために多額の私財を投入していたため結果として藤山コンツェルンは解体されてしまい、資産の多くを失った(ウィキペ『藤山愛一郎』参照)。

*12:1994年刊行

*13:ル・コルビュジエに師事。1937年(昭和12年)のパリ万国博覧会では、日本館の設計を手がけ、海外でも高い評価を受けた。

*14:復興局土木部に所属し、永代橋、聖橋に代表される関東大震災後の震災復興橋梁のデザインを行った。

*15:自称「教育者」とは、「籠池のことか?」とは思いますがまあこれでは意味不明です。まあ俺の邪推が正しければ三浦は籠池問題でうかつなことを書いて非難されることを恐れて曖昧な表現でごまかしてるのでしょう。「籠池を擁護しよう」とも「籠池とともに安倍政権を批判しよう」とも「籠池一人だけに責任転嫁し安倍政権を擁護しよう」とも三浦に対する何らかの批判はあるでしょうから。

*16:陸軍省兵務局長、人事局長、陸軍次官、鈴木内閣陸軍大臣など歴任

*17:陸軍航空本部長、台湾軍司令官、陸軍教育総監など歴任

*18:山本、原内閣陸軍大臣を経て首相

*19:伊藤、大隈、山縣内閣陸軍大臣を経て首相

*20:山縣、伊藤、桂内閣海軍大臣を経て首相

*21:桂、西園寺内閣陸軍大臣朝鮮総督を経て首相

*22:大隈、寺内、原、高橋内閣海軍大臣を経て首相

*23:西園寺、桂、山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相、内大臣を歴任。内大臣在職中に226事件で暗殺される。

*24:田中義一、斎藤内閣海軍大臣を経て首相

*25:斎藤、岡田内閣陸軍大臣を経て首相

*26:陸軍次官、台湾軍司令官、首相、朝鮮総督を歴任

*27:林、近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相を歴任

*28:関東軍参謀長、陸軍次官、近衛内閣陸軍大臣などを経て首相。戦後、A級戦犯として死刑判決

*29:陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督などを経て首相。戦後、A級戦犯として終身刑判決(服役中に病死)。

*30:海軍次官、海軍軍令部長侍従長、枢密院副議長、枢密院議長などを経て首相

*31:日本共産党天皇制廃止論などは支持が少なかった

*32:著書『短篇小説講義』(1990年、岩波新書)、『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(1993年、文春文庫)、『文学部唯野教授の女性問答』(1997年、中公文庫)、『文学部唯野教授』(2000年、岩波現代文庫)など

*33:というのは冗談ですが以前「噂の真相」の筒井康隆エッセイを読んでたら「筒井道隆の父親は筒井康隆だというデマを流されて往生した」と言う話が出てきたのを思い出しました。筒井康隆に寄れば、筒井道隆の所属事務所はこのデマに対し「最終的にはさすがに否定した」ものの当初話題づくりになると思ったのか(もちろんそのデマを『事実だ』などと放言はしなかったものの)「ノーコメント」「ご想像にお任せする」と言う曖昧な態度で事態を悪化させ、筒井康隆を憤慨させたそうです。とはいえ筒井康隆の「今回の件に象徴される」クズぶり、ゲスぶりを考えると「その程度で憤慨するなよ(嘲笑)」「お前にそんな事憤慨する資格かけらもないだろ」と思いますが。立川談志の「酔っぱらい客騒動」もそうですが「筒井と言い、談志と言い」無頼を気取って周囲に迷惑かけるバカが「自分が他人によって迷惑をかけられる」とマジギレするご都合主義には本当に呆れます。

*34:そういえば有名な「時をかける少女」も読んだことがないことに今気付きました。

*35:共産支持者の小生ですが志位氏と違い、小生個人はこれ以上の制裁には否定的です。「国連制裁にせよ日本独自制裁にせよ」そもそもやれることもあまりないんじゃないか。

*36:石油輸出は明らかに事実ですがマネーロンダリングなんて事実があるのかは知りません。

*37:クリントン政権で国防次官補を、オバマ政権で国防次官、国防副長官、国防長官を歴任

*38:カーター政権国防次官、クリントン政権国防副長官、国防長官を歴任

*39:常にそうだとは言えないでしょうね。例えば南京事件慰安婦問題における国際法解釈(詭弁で合法だと言う奴への反論)というのは本来、「法学者ではない」吉見義明氏や笠原十九司氏の専門分野とは言い難いでしょうが彼らの主張が法的に間違ってるかといえば恐らくそんなことはないでしょう。問題は「専門家に敬意を払った上でそれなりの勉強をして、物をいうかどうか」にあります。まあ、「ある時点で」吉見氏や笠原氏は「南京事件慰安婦限定で」法専門家の域に達したと言っていいでしょうが。

*40:中国、ロシア、北朝鮮ですかね?

*41:とはいえ北朝鮮だってその辺りは分かってるでしょうが

*42:それプラス「米国の先制攻撃を阻止する自衛行為」でしょう。米国にイラク政権転覆の過去がある以上「核開発で身を守ろう」とするのは充分合理的です。

*43:著書『津波災害:減災社会を築く』(2010年、岩波新書)、『これからの防災・減災がわかる本』(2015年、岩波ジュニア新書)、『日本水没』(2016年、朝日新書)など

*44:原文のまま。ただし今の金正恩は「党総書記」ではなく「党委員長」です。

*45:暴君として知られる殷の王

*46:殷を滅ぼして、新王朝「周」を建国した人物

*47:俺はほぼないと思っています。特に「核施設限定攻撃」ならまだしもid:noharra君が期待してるらしい「政権転覆を目指す軍事攻撃」は。

*48:北朝鮮の被害も想像を絶すると思うんですけどね。それは無視ですか?

*49:現在は日本森林林業振興会http://www.center-green.or.jp/

*50:ただしそれでも本多氏の午来氏評価が「他のメディアと比べても大して変わらない」のであれば少なくとも本多氏だけをやり玉に挙げる三浦の態度は不当な代物です。

*51:沖縄県知事参院議員(社民党)。琉球大学名誉教授。著書『沖縄 平和の礎』(1996年、岩波新書)、『沖縄の帝王 高等弁務官』(1996年、朝日文庫)、『沖縄、基地なき島への道標』(2000年、集英社新書)、『醜い日本人:日本の沖縄意識』(2005年、岩波現代文庫)、『死者たちは、いまだ眠れず:「慰霊」の意味を問う』(2006年、新泉社)、『大田昌秀が説く 沖縄戦の深層』(2014年、高文研)など。

*52:沖縄電力理事、沖縄県副知事(大田県知事時代)、沖縄電力社長、会長などを経て沖縄県知事

*53:那覇市議、沖縄県議、那覇市長を経て沖縄県知事。著書『戦う民意』(2015年、角川書店

*54:共産、社民、沖縄社会大衆党、あと一つ何処でしょう?

*55:山本、原内閣陸軍大臣を経て首相

*56:戦前、加藤高明、若槻、濱口内閣で外相。戦後、首相。

*57:加藤高明、若槻内閣蔵相を経て首相

*58:桂、大隈内閣蔵相、加藤高明内閣内務相を経て首相

*59:大隈内閣文相、加藤高明内閣逓信相などを経て首相