「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート103(追記・訂正あり)

■いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記「朝鮮学校無償化問題」を知るためのいくつかの資料提示(20150113追記)
http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20150112/1421044654
 まあ、こういう「資料紹介エントリ」は大変有益だと思います。小生も「小生なりに」小生のレベルで「無償化除外論」を批判していますが、我ながら「力不足であること」は自覚しておりますので、有益な情報紹介としてこのエントリを紹介しておきます。


■シン・ドンヒョク氏 自叙伝『北朝鮮 14号管理所からの脱出』*1の一部の内容の誤りを認める
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01117
 既に別エントリ(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20150120/5064205021)でネタにした話です。三浦も「シンの虚言」をスルーするわけにはいかなかったようです。
 しかし自分の体験としてシンが話したことに「事実と違うことがある」て、それ「誤り」て言うんですかねえ。三浦もデイリーNKもそして、id:noharra先生も「誤り」て強弁してますけど。それて「虚言」「デマ」て言うんじゃないですかねえ。これ自分と対立する立場の人間がやったら、三浦らウヨは絶対に「嘘つき」呼ばわりでさんざん悪口雑言でしょうに、まあ、「自分らが反北朝鮮の闘士として持ち上げてきた人間・シン」に随分と甘いモンです(嘲笑)。
 しかし三浦が「シンの証言が嘘でも、他にも収容所についての脱北者の証言はある」つうのには呆れるとともに笑ってしまいました。それ言うなら「吉田証言はたとえ嘘でも慰安婦の違法性については、慰安婦証言、スマラン事件裁判記録などいくらでも他に証拠はある」て言えるんですけどね。吉田証言を口実に河野談話否定論かましたり、朝日新聞元記者を攻撃したりしてきた極右デマゴーグの一人・三浦が良くもふざけたことが言えるモンです。そうは思いませんか、三浦のウヨ仲間の「自称河野談話支持者」のid:noharraさん。卑怯者のあなたにまともな応答は期待してないのであくまでも皮肉ですけどね、id:noharraさん。
 そして「シンの証言が嘘でも強制収容所の問題性は真実」云々と言う前に「シンの嘘を見抜けずに事実扱いしてきた自分のあほさ」を少しは「申し訳ありませんでした」とわびたらどうなんですかね。三浦ら腐れバカ右翼にそんな良識があるとは、かけらも思ってませんけど。
 なお、三浦がエントリ■『シン・ドンヒョク氏 自叙伝『北朝鮮 14号管理所からの脱出』の一部の内容の誤りを認める』(http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01117)を守る会サイトにアップした時点では個人ブログの■『書評 「北朝鮮14号管理所からの脱出」ブレイン・ハーデン著 白水社』(http://miura.trycomp.net/?p=1448)を「シン氏の虚偽証言が一部判明しました」などの但し書きもつけずにそのまま放置しているその無責任、不誠実ぶりには心底呆れます。


■「内モンゴル人」力士 蒼国来さん(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2957
 「アンチ中国極右」と言う立場から「内モンゴル南モンゴル)独立万歳」を叫ぶ三浦らしいエントリですね(もちろん褒めてない)。「内モンゴルネタ」を持ち出すためのネタとしてしか蒼国来は扱われてないわけです。「八百長疑惑が晴れて良かったですね、親方とか弁護団とかファンとか、支援してくれる日本人がいて良かったですね」とかその種の言葉はほとんどない。蒼国来に対して三浦は失礼じゃないか。

 楊海英氏の名著「チベットに舞う日本刀」(文藝春秋)の序文に、なぜ日本にモンゴル人力士が多いのかについて、モンゴルと日本の歴史的なつながりと深くかかわっているかが触れられています。

 どうも「満州国の一部は内モンゴル」「モンゴル人活動家・徳王を戦前日本が支援した」などと、楊氏は書いてるようですがそんなこと「朝青龍日馬富士白鵬、鶴龍」などといった過去及び現在のモンゴル力士の存在と関係ないでしょう。モンゴル力士だって日本側(相撲協会やファン)だってそんなことたぶん意識していない。
 モンゴル力士が増えたのはつい最近のことです。昔はむしろ高見山小錦、曙、武蔵丸とハワイ出身力士が多かった(もちろんハワイは日本の植民地ではないしハワイ独立運動を日本が支援したなんてこともない)。そして楊理論だと「日本の植民地だった台湾や朝鮮半島樺太出身の力士」が沢山活躍してないとおかしくなりますけどそういう事実ってありますかね?。ないと思いますが(大鵬樺太出身で父親がロシア人だそうですし、勿論、有名な力道山朝鮮半島出身ですけど)。
 「モンゴルでは相撲が盛ん」&「冷戦崩壊で日本に行きやすくなったこともあり豊かな日本で相撲界入り」てだけでしょう。しつこいですが、満州国とか徳王とか全く関係ない。


月刊日本編集部の尾崎秀英氏*2が亡くなられました(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2952
 「守る会事務局長(元代表、前副代表)」三浦もつきあってるのが尾崎のようなウヨ連中しかいない上にこの種のウヨ連中を手放しで礼賛してるんだから全くもってお里が知れます。要するに「三浦=歴史捏造主義極右、レイシスト」て話ですが。
 そして三浦みたいな輩を会の役員として処遇してるんだから「守る会」と言う団体のそのお里が知れます。要するに「守る会=歴史捏造主義極右、レイシスト」て話ですが。
 そうは思いませんか、id:noharraさん。あなたも「歴史捏造主義極右、レイシスト」だからそうは思わないですか?、id:noharraさん(毒)。

http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-2258.html
なめ猫♪様のブログより。

 「なめ猫♪様」てのは要するにネトウヨです。三浦も「尾崎の訃報」を紹介するならもう少し「まとも」で「無名でない人間」のブログでも使えば良かろうに、と思います。思いますが、まあ、極右・尾崎の訃報を報じるブログなんて「なめ猫」なんて「無名のバカウヨ」しかいないんでしょう。
 なお、「なめ猫」のブログ(http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-2252.html)で西川京子・前文科副大臣日本会議系列)が落選してたことを知りました。彼女の落選の代わりに誰が当選したのか気になるところですが、まあ、バカウヨ議員・西川が一人国会からいなくなったことはグッドニュースでしょう。つうか「重複立候補できずに比例単独(小選挙区で勝てる人間扱いされてない)」&「比例下位で落選」て西川て「どんだけ選挙弱いんだよ」&「前副大臣なのにどんだけ自民党執行部に冷遇されてるんだよ」て話ですよね。安倍が気に入りそうなウヨ女性の西川ですが、稲田*3高市*4、山谷*5と違い安倍のお気に入りにはなれなかったようです。稲田らと違い「副大臣」と格も落ちますしね。

40歳だったはず。繰り返し言いますが、あまりにも早い。

 俺は尾崎のようなバカウヨが大嫌いなので三浦と違い「死もまた社会奉仕*6(尾崎のようなバカが死んで良かった)」と書いておきます。惜しい人間が死ねば悼みますけどね。尾崎みたいなクズなんか死んだって悼みませんよ。
 つうか「アラフォー」で「尾崎とほぼ同年配」の俺から言わせれば「1974年生まれで何で戦前礼賛極右になれるの?」て感じですよねえ。終戦から約30年経ってから生まれてるわけですから。

月刊日本に収録された尾崎氏の書評を一つだけ紹介します。

http://gekkan-nippon.com/?p=4083#more-4083
【書評】『日本の怨霊』(大森亮尚平凡社
 日本人は勝ち誇り、驕り高ぶることなく*7、一旦政争・戦争が終われば、勝者は敗者の魂を慮るのである。中国であれば、勝者は敗者の存在を歴史そのものから抹殺し、歴史を最初から書き直すだろう。これを彼らは「文章は経国の大業*8」と呼んだのである。

 大森本については評価しません(尾崎の書評だけで大森本を否定的に評価する*9というのはまずすぎるでしょう)。あくまでも尾崎及び「尾崎を好意的に評価する」三浦のあほさを罵倒します。
 嘘も大概にして欲しいですね。日本の歴史だっていくらでも「勝者に都合の良い歴史記述」はあるでしょう。いわゆる正史(公式記録)に「勝者に都合の悪いことをがんがん書ける」なんて日本だって中国だってどこの国だってありえない。そんな心優しい権力者なんていませんよ。
 一方、中国だって、「様々な形で様々な人間が歴史の真実を書き残してきた」からこそ中国史学が成り立ってるんじゃないのか。三浦や尾崎は「中国正史に嘘しか書いてないから中国については歴史の真実が分からない」とでも放言する気なのか。
 そして何で尾崎や三浦のようなウヨはやたら中国を敵視し、「日本の方が中国より上だ」とこけにしたがるのか。中国にどんな恨みがあるのか。「中国正史」云々と言う尾崎や三浦の文脈から見て「反共主義(反中国共産党)」ではありませんから本当に訳がわかりませんね。

国史においては、政権交代とはほとんど必ず、異民族による政権奪取であった。

 ほとんどってことはないでしょうね。そういうケースも勿論ありますけど(例:モンゴル族による元朝満州族による清朝)。
 漢朝、唐朝、隋朝、宋朝、明朝なんかは漢民族王朝でしょう。そして「日本で異民族による政権奪取がなかった」のは単に「日本が島国で異民族の侵入が困難だったから」に過ぎません。そもそも異民族王朝の存在それ自体は善でも悪でもない。単なる歴史的事実でしかありません。

 意思疎通もない、下手をすれば言語さえ通じない敵との終わりなき闘争が中国の歴史である。これを北畠親房*10は「支那は乱脈な国風」と呼んだのである。
 日本においては、このようなまったくの理解不能な他者として政治闘争が行われたことはなかった。それぞれがそれぞれの正義を掲げているのだが、敵対しあっている者同士でも、相手の内在的論理は理解できてしまうのである。相手にも理があることがわかってしまうのである。

 呆れて物も言えませんね。同一国民・同一民族なら「相手の内在的論理」がわかるのか。俺は産経・阿比留のようなバカウヨなんか「同一民族・同一国民(日本人)」でも、わかりませんよ。まあ、阿比留なんぞとはわかりあいたくもないですが。向こうだって同じでしょうし。
 なお、以前、某バカウヨに在日朝鮮・韓国人認定*11されたことがありますが俺は日本人ですから念のため。「竹島って今さら日本の領土にできないだろ、自民党も外務省も本当はそんな事分かってるだろ」「朝鮮学校無償化除外に反対」などと言ったことでめでたく(?)そう認定されたわけです(なお「俺を在日朝鮮・韓国人認定するその理屈だとI濱女史なんか完全にチベット人じゃね?」と言う気がする。まあ、あの女史は旦那と一緒にダラムサラに永住でもした方が女史も含めてみんなが幸せの気がするな(毒))。
 まあ、それはともかく、どんだけ同一国民・同一民族であることに尾崎は妄想を抱いてるのか。
 同一民族、同一国民なら「MukkeさんやI濱女史」と俺は「ダライラマ評価」についてわかり合えるのか(わかり合えると思ってないしわかりあいたくもないですが)。河野談話否定論をぶちかます石原慎太郎都知事と、それを批判する志位和夫日本共産党委員長はわかりあえるのか。
 桜田門外の変で暗殺された井伊大老と暗殺した水戸浪士はわかり合えるのか。二・二六事件で暗殺された蔵相・高橋是清と暗殺した青年将校はわかりあえるのか。国民党トップ・蒋介石共産党トップ・毛沢東はわかり合えるのか。イタリアファッショ党トップ・ムソリーニと共産党幹部・グラムシはわかり合えるのか。赤狩りマッカーシーと「いわゆるハリウッド・テン」はわかりあえるのか。まあいくらでもこういう例は挙げられるでしょうが、そういうもんじゃないでしょう。

いわば、日本国内における政争は、根本的には兄弟喧嘩なのである。

 「桜田門外の変(井伊大老暗殺)」「紀尾井坂の変(大久保利通*12・内務卿暗殺)」「五一五事件(犬養*13首相暗殺)」「二二六事件」などは政争が殺人にいたってるのに何が兄弟げんかなのか。まあ、「兄弟げんかが殺人にいたること」もないじゃありませんが、そんなのはレアケースですし、尾崎が言ってるのもそういうことじゃないでしょう。
 尾崎もよくこんなバカなことが良く書けるモンです。そして三浦も良くこんなあほな文章を「尾崎の追悼」として紹介できるモンです。


月刊日本『安倍政権は対ロ制裁を緩和せよ』(東郷和彦*14×木村三浩*15
http://gekkan-nippon.com/?p=6522#more-6522
 北朝鮮相手には制裁でがんがん締め上げろということで「ほぼ意見が一致している」ウヨの皆さんですが、ロシア相手には「北方領土問題もあるし、クリミアてそもそもロシアの領土やん、制裁緩和した方がええと思うなあ」「制裁なんかしたら領土交渉ができないやんか」と好意的なウヨもいるという話です。
 ぜひその制裁緩和論の考えを「北朝鮮にも適用して欲しい」所ですがまあ無理でしょうね。 
 一方で大森勝久氏(http://1st.geocities.jp/anpo1945/)などのように「まだ制裁が生ぬるい、ロシアなんて中国とつるんでる独裁国家だ、ぶっつぶせ」という極右もいるわけです。


■浅井基文*16金正恩の2015年年頭の辞(分析)』
 コメント抜きで一応紹介しておきます。

http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2015/662.html
1.金正恩*17の最高指導者としての地位確立
 2011年12月17日に金正日が死去し、その後を継いだ若き金正恩にとって、2012年は金日成*18及び金正日*19の正統な後継者であることを国内的に認知・浸透させることに全力を注いだ年であったことは、2013年の年頭の辞における次の3つのくだりからも明らかに読みとることができます。

金日成同志と金正日同志は朝鮮人民が数千年の歴史においてはじめて迎え高く戴いた偉大な領袖であり、白頭山大国の永遠なる影像であり、すべての勝利と栄光の旗じるしです。われわれは昨年、金日成同志の生誕100周年を民族最大の祝日として盛大に祝い、チュチェ朝鮮の100年史を誇らかに総括し、金正日同志をわが党と人民の永遠なる領袖として高く戴き、領袖永生の大業を実現することにより、金日成金正日主義の旗のもと、新たなチュチェ100年代をチュチェの革命偉業を達成するための勝利と栄光の年代として輝かしていくことができるようになりました。
・わが軍隊と人民は、天のごとく信じ慕っていた金正日同志をあまりにも思いがけなく失い、血の涙のうちに2012年を迎えましたが、偉大な金正日同志は永遠にわれわれとともにおられるという鉄石の信念を深く胸に刻み付け、党に従って毅然と立ち上がり、一心同体となって党の指導に従いました。人民軍将兵と人民は白玉のような忠誠心と崇高な徳義心、真心を尽くして錦繍山太陽宮殿*20をチュチェの最高聖地として最も神々しく整備し、万寿台*21の丘と各単位に大元帥たちの銅像を丁寧に建立しました。
・昨年、革命闘争と建設事業ですばらしい勝利を収めることができたのは、金正日同志が富強祖国建設の明確な設計図を示し、強固な土台を築いてくれたからです。昨年の誇るべき成果は、金正日同志の遠大な構想と遺訓を現実化して金日成金正日朝鮮を世界に轟かそうとするわが党の確固たる決心と正しい指導、党に限りなく忠実な人民軍将兵と人民の高潔な忠誠心と愛国的献身のたまものです。

 しかし、翌2014年の年頭の辞においては、もはやこのような念入りな金日成及び金正日に対する言及は姿を消し、「昨年、人民軍と人民は党のまわりに固く団結し、金日成同志と金正日同志の思想と偉業を輝かし、われわれの革命隊伍の政治的・思想的威力を一層強化しました」、「人民軍と人民は共和国創建65周年と戦勝60周年に際しての政治行事と昨年のたたかいの全過程を通じて、金日成同志と金正日同志を高く戴き、その不滅の業績を万代に輝かせていく確たる信念と意志を誇示しました」という簡潔な言及へと変わりました。
 さらに2015年の年頭の辞になると、「昨年、党と人民大衆の渾然一体がさらに強固になり、革命隊伍の純潔性と威力がさらに強化されました」となって、金日成及び金正日に対する言及自体が姿を消しました(もちろん、他の箇所で両者への言及がないわけではありません)。以上の記述の変遷からは、金正恩が2014年末までに最高指導者としての地位を確立し、もはや金日成及び金正日の威光に頼る必要がないまでになったことを読みとることができます。
(中略)
2.朝鮮労働党の比重増大
 先軍政治を強調した金正日に対して、金正恩朝鮮労働党に軸足を移していることは、2014年11月15日付のコラム「崔龍海訪露発表とこれまでの朝露関係(中国側報道)」(http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2014/648.html)の中で紹介した、朝鮮中央通信の報道記事において、崔龍海(労働党書記)が10月29日以後黄炳瑞(軍総政治部長)より前に記載されるようになったことからも窺えるところです。そして、このことは3つの年頭の辞における「先軍」の取り上げ方からも感じ取れます。
 朝鮮の2012年憲法では、金日成の「主体(チュチェ)思想」とともに、金正日が唱えた先軍政治を表す「先軍思想」が「序文」に明記されていますが、3つの年頭の辞における「先軍」の扱いは控えめで、しかも年を追うごとに少なくなっています。
 2013年の年頭の辞で「先軍」という言葉が使われているのは次の4箇所で、思想的な意味合いが込められています。

「われわれは金日成金正日主義の旗を高く掲げ、自主の道、先軍の道、社会主義の道に沿ってあくまでまっすぐに進まなければなりません。」
「すべての幹部と党員と勤労者は、先軍革命の道で党と思想と志を同じくし、生死苦楽をともにし、祖国と人民のために献身する真の同志となり、一心同体とならなければなりません。」
「われわれは偉大な先軍の旗を高く掲げ、軍事力の強化に引き続き大きな力を入れて祖国の安全と国の自主権をしっかり守り…」
「今日の国際情勢は、わが共和国がこれまでと同様、先軍の旗を高く掲げて自主の道を進むことを求めています。」

 2014年の年頭の辞で「先軍」が言及されるのは次の3箇所です。いずれの場合も思想的な意味合いを込めたものというよりは、むしろ「形容詞」的です。

「国防部門の科学者、技術者と労働者は、揺るぎない信念と胆力をもって国防科学の先端を突破して先軍朝鮮の威力を轟かせ、国防力の強化*22に大いに寄与しました。」
「新しい年2014年は、社会主義強盛国家建設のすべての部門で新たな飛躍の熱風を強く巻き起こし、先軍朝鮮の繁栄期を開く壮大な闘争の年、偉大な変革の年です。」
「建設部門では、先軍の時代を代表する世界的水準の立派な建築物を築き、人民の生活条件改善のための建設を多く行って自立的経済の土台を打ち固め、人民により裕福で文化的な生活をもたらすべきです。」

 2015年の年頭の辞では、次の2箇所で触れられています。ただし、後の文章では、2013年及び2014年の年頭の辞では顔を出さなかった「先軍政治」という表現が、金正恩が打ち出した「(注:経済建設と核開発の)並進路線」(2013年3月の労働党中央委員会総会)と並んで使われています。

「わたしは、チュチェの革命偉業、先軍革命偉業に対する確固たる信念を持ち、頑強な闘争を展開して昨年を誇るべき偉勲と変革の年として輝かせるのに貢献したすべての人民軍将兵と人民に熱い感謝を送ります。」
「われわれは今後、国際情勢がどう変わり、周辺関係の構図がどう変わろうと、われわれの社会主義制度を圧殺しようとする敵の策動が続く限り、先軍政治と並進路線を変わることなく堅持し、国の自主権と民族の尊厳を断固として守るでしょう。」

 しかし、党の軍に対する優位性を強烈に印象づけるのは、2013年、2014年及び2015年の目標を掲げた次の3つの文章の対比で分かる、2015年の党重視の突出ではないかと思います。

(2013年)
 新年2013年は、金日成金正日朝鮮の新たな100年代の進軍路で社会主義強盛国家建設の画期的な局面を開く壮大な創造と変革の年です。
 すべての人民と人民軍将兵は、勝利者としての高い誇りと明るい未来に対する信念を持って、強盛国家建設のための壮大な進軍に力強く奮い立たなければなりません。
(2014年)
 新しい年2014年は、社会主義強盛国家建設のすべての部門で新たな飛躍の熱風を強く巻き起こし、先軍朝鮮の繁栄期を開く壮大な闘争の年、偉大な変革の年です。
 われわれは希望に満ちた新しい年に勝利への確信と熱情に満ちて英雄的進軍を推し進め、革命と建設において一大繁栄期を開かなければなりません。
(2015年)
 新しい年2015年は、祖国解放70周年と朝鮮労働党創立70周年に当たる非常に意義深い年です。
 われわれは今年、白頭*23の革命精神と気概をもって敵対勢力の挑戦と策動を断固粉砕し、社会主義防衛戦と強盛国家建設のすべての部門で勝利の砲声を高く轟かせて、祖国解放と党創立70周年を革命的大慶事として輝かせなければなりません。

 しかも、2015年の年頭の辞では、党の指導力と戦闘力強化に関する次の文章があります。これに対応するくだりは2013年と2014年の年頭の辞にはありません。2015年が労働党創立70周年に当たるからの強調という側面はありますが、むしろ、70周年を機会に党の「唯一的指導体系を確立」しようとしていると見るべきでしょう。

 党創立70周年を迎える今年、朝鮮人民のすべての勝利の組織者であり導き手である党の指導力と戦闘力を強化するうえで新たな里程標をもたらさなければなりません。
 党の唯一的指導体系を確立する活動を絶えず深化させて、全党が党中央と思想も呼吸も歩みもともにするようにしなければなりません。すべての党組織は、党の路線と政策の貫徹を党活動の基本としてとらえ、党の政策をどれも取り落とすことなく無条件にあくまで貫徹しなければなりません。

 また、軍事力強化を扱った箇所でも、「人民軍では、全軍に党の唯一的指揮体系を確立し、…党が提示した軍事力強化の4大戦略的路線と3大課題(浅井注:「4大戦略的路線」と「3大課題」が何を意味するかは、寡聞にして知りません)を貫徹しなければなりません」、「人民軍は党の富強な祖国建設構想を体し、今後も党の思想貫徹戦、党政策擁護戦で先駆者、手本にならなければなりません」と、党の指導性を強調しています。
 私個人の感想をつけ加えれば、金正日先軍政治強調には違和感が強かったので、金正恩が党の指導性を強調することは、むしろ本来のあるべき姿への回帰傾向と捉えることができると思います。
3.南北統一問題への踏み込み
 前2年の年頭の辞と比較する場合における、2015年の年頭の辞の最大の特徴は、韓国政府及び韓国メディアが注目しているように、南北統一問題に踏み込んで言及した点にあると思います。もちろん、2014年においては、年頭の辞こそ抽象的な内容でしたが、すぐ後に金正恩が大胆な提案を行い、南北関係改善への期待を持たせたことは、私たちの記憶になお残っていることです。
 2013年の年頭の辞が一般論に終始したのは、金正恩がまだ内政掌握で手がいっぱいだったことを考えれば、十分に理解できることです。2014年の年頭の辞では、「われわれは金日成同志と金正日同志の遺訓を体して、今年、祖国統一運動に新たな前進をもたらさなければなりません」とは言っているのですが、具体的な内容はまだありませんでした。
 これに対して2015年の年頭の辞においては、2015年が朝鮮解放70周年に当たることを強く意識して、「雰囲気と環境がもたらされ次第、最高位級会談も開催できない理由はありません」とする首脳会談の可能性にも言及する、次のように極めて積極的かつ具体的な発言を行っています。

 昨年、われわれは北南関係の改善と祖国統一のための重大提案を提起し、それを実現するため誠意ある努力を尽くしました。しかし、内外の反統一勢力の妨害策動によってしかるべき実を結ぶことができず、北南関係はかえって悪化の道へ突き進みました。
たとえ情勢は複雑で障害と難関が横たわっていてもわれわれは金日成同志と金正日同志の畢生の念願であり民族最大の宿願である祖国の統一を必ず実現し、この地に尊厳ある富強な統一強国を建設しなければなりません。
「祖国解放70周年に当たる今年、全民族が力を合わせて自主統一の大路を開いていこう!」、これが全朝鮮民族の掲げていくべき闘争スローガンです。
 朝鮮半島での戦争の危険を取り除いて緊張を緩和し、平和的環境をつくりださなければなりません。
 南朝鮮当局は、外部勢力*24とともに繰り広げる無謀な軍事演習をはじめ戦争策動を一切中止すべきであり、朝鮮半島の緊張緩和と平和的環境づくりに方向を転換すべきです。
 わが民族を二つに分け、70年の長きにわたり民族分裂の苦しみを強いてきた張本人であるアメリカは、時代錯誤の対朝鮮敵視政策と無分別な侵略策動に固執せず、大胆に政策転換をすべきでしょう。
 北と南はそれぞれの思想と体制を絶対視して体制上の対決を追求してはならず、わが民族同士の理念に基づいて民族の大団結を成し遂げ、祖国統一の問題を民族共通の利益に即して順調に解決していかなければなりません。
 北と南はすでに合意したとおり、祖国統一の問題を思想と体制を超越して民族共通の利益に即して解決していかなければなりません。
 北南間の対話と協商、交流と接触を活発に行って断たれた民族のきずなと血脈をつなぎ、北南関係において大転換、大変革をもたらさなければなりません。
 北と南が戦わず、力を合わせて統一の新たな道を切り開くことは同胞の等しい願いです。北と南はこれ以上無意味な口論やさ細な問題で時間とエネルギーを浪費してはならず、北南関係の歴史を新しくつづらなければなりません。
 わが民族の意志と力を合わせるなら成し得ないことはありません。北と南はすでに統一の道で7・4共同声明*25と歴史的な6・15共同宣言*26、10・4宣言*27のような統一憲章、統一大綱をもたらして民族の統一意志と気概を全世界に示しました。
 われわれは、南朝鮮当局が心から対話によって北南関係の改善を図ろうとする立場に立つなら、中断された高位級接触も再開し、部門別の会談も行うことができると思います。
 そして雰囲気と環境がもたらされ次第、最高位級会談も開催できない理由はありません。
 われわれは今後とも対話と協商を実質的に進捗させるためにあらゆる努力を尽くすでしょう。

 オバマ政権が、ソニー・ピクチャーズの映画『インタビュー』にかかわって、1月3日に新たな対朝鮮制裁措置を発表するなど、朝韓関係改善にかかわる外部環境は決して楽観を許しませんし、朝韓間の立場の違いも大きいので、前途を楽観する状況にはありません。しかし、国内基盤を今や盤石にした観のある金正恩が、朝鮮解放70周年という節目に、南北統一問題に本腰を入れて取り組む強い意志をもっていることは間違いないと思われます。
4.対外関係・対外政策への踏み込み
 対外関係及び対外政策に関する言及という点においても、2015年の年頭の辞は、前2年のそれと比べて踏み込んだ内容となっています。2013年及び2014年の年頭の辞は、「自主、平和、親善」の対外政策理念を表明するだけのものでした。しかし、2015年の年頭の辞は、まず次のように国際情勢認識を行っています。

 昨年、国際舞台では帝国主義者の横暴な専横と露骨な主権侵害行為により、各国と地域で戦乱と流血の惨劇が続き、世界の平和と安全ははなはだしく脅かされました。
 特に社会主義の堡塁であり自主と正義のとりでであるわが共和国を孤立・圧殺しようとするアメリカの極端な対朝鮮敵視政策によって、朝鮮半島では緊張激化の悪循環が続き、戦争の危険はさらに増大しました。

 以上の情勢認識に基づき、年頭の辞は、朝鮮の核抑止力保持を含めた先軍政治と並進路線の堅持を正当だと、次のように主張しています。

 国際舞台で力による強権がのさばり、正義と真理が無残に踏みにじられている今日の現実は、われわれが先軍の旗を高く掲げて核抑止力を中軸とする自衛の国防力を強固に固め、国の生命である国権を揺るぎなく守ってきたことがいかに正当であったかを如実に示しています。
 われわれは今後、国際情勢がどう変わり、周辺関係の構図がどう変わろうと、われわれの社会主義制度を圧殺しようとする敵の策動が続く限り、先軍政治と並進路線を変わることなく堅持し、国の自主権と民族の尊厳を断固として守るでしょう。

 私が特に注目したのは、以上の文章に続けて、次の一文があることです。ちなみに、朝鮮中央通信は、2015年の年頭の辞のさわりとも言うべき内容を紹介しているのですが、次の一文は抜け落ちています。

 われわれは革命的原則と自主の支柱に基づいて国の尊厳と利益を第一とし、対外関係を多角的に、主動的に拡大し発展させていくでしょう。

 特に注目されるのは、「対外関係を多角的に、主動的に拡大し発展させていく」という部分です。言うまでもなく、2014年には朝鮮が活発かつ多面的な外交活動を展開したことは私たちの記憶に新しいところですが、この基調が2015年にも続くことをこの一文は宣明したものと言えるでしょう。
 中朝関係が停滞し、中国からの支援がこれまでのように期待できなくなっている状況のもとで、金正恩としては自らが打ち出した「並進路線」の成果を挙げるためにも、ますます活路を求める活発な対外政策を探究しようとしていると判断されます。
5.経済政策
 3つの年頭の辞においては、対外開放を積極的に進めるが如き記述はもちろんありません。しかし、3つの文章を比較すると、経済政策における一定の変化への模索の動きを見て取ることができるように思われます。
 2013年の年頭の辞では、「発展する現実の要求に即して、経済指導と管理を改善すべきです」とある一方で、「朝鮮式の社会主義経済制度を固守」しなければならないと述べています。
 2014年の年頭の辞では、「経済活動に対する指導と管理を抜本的に改善しなければなりません」とし、「党の指導のもとに経済に対する国の統一的指導を強化し、企業体の責任感と創意性を高め、すべての勤労者が生産と管理において主人としての責任と役割を果たすようにすべきです」という記述となっています。全体としては「国の統一的指導を強化」することに力点がありますが、「企業体の責任感と創意性を高め、すべての勤労者が生産と管理において主人としての責任と役割を果たす」という箇所に新味が感じられます。
 これに対して2015年の年頭の辞は、次のようにさらに興味深い記述が行われています。

 内閣をはじめ国家経済指導機関で現実的要求にかなった朝鮮式の経済管理方法を確立するための活動を積極的に推進し、すべての経済機関、企業体が企業活動を主動的に、創意的に行うようにすべきです。各級党組織は経済管理方法を改善する活動が党の意図どおり進められるように強く後押ししなければなりません。

 特に、「現実的要求にかなった朝鮮式の経済管理方法を確立」、「すべての経済機関、企業体が企業活動を主動的に、創意的に行う」、「各級党組織は経済管理方法を改善する活動が党の意図どおり進められるように強く後押し」という記述の部分は、今後、朝鮮の経済政策がどのように展開されていくかを判断する上での材料となりうるでしょう。


■酒井信彦『チベット問題入門(上)』
http://sakainobuhiko.com/2015/01/post-263.html

 チベットの文化の特異性については、以前から川喜田次郎*28が、「チベット文明」論を主張してこられた。その要旨は、チベットは他の国々にチベット仏教を中心とする文化を輸出し、独自の文明圏を築き上げてきた存在であるから、チベット文明は中国文明・ヒンズー文明・イスラム文明とならぶ、アジアの四大文明の一つであるというのである

 「独自の文明」はともかく「チベット文明の輸出」ねえ。
 素人考えではありますが「中国文明」「ヒンズー文明」「イスラム文明」ほどの「輸出がされた」とはとても思えませんが?。チベット限定でしょ、アレ。まあチベットキチガイ四大文明と呼びたいなら呼べばいいと思いますけどね。所詮趣味の問題でしかないですし。

 中華民国の時代、東チベットに対する干渉は執拗に続いたが、チベットが独立を失うことはなかった*29。それは日中戦争チベットとの関係を考えてみれば直ちにわかることである。日本と中華民国との全面戦争である日中戦争において、チベット人中華民国の国民として日本人と戦ったのか。そのようなことはまったく起こらなかった。それどころかチベット政府は連合国側からの協力要請を明確に拒否したのである。国民政府が南京を追われ四川省重慶に居を移して後、連合軍はイギリスの植民地ビルマから雲南を通り重慶にいたる援蒋ルートを作った。しかしこのルートが日本軍の作戦によって途絶したとき、連合軍はチベット政府に対して援蒋ルートのチベット通過を要求したが認められなかった。

 まあ、この「援蒋ルート拒否」が「酒井のようなウヨ」がチベットに肩入れする理由の一つかも知れません。もちろんこうしたチベットの態度は「非常に愚かだった」「国際情勢が全く分かってない」と言っていいでしょう。
 むしろ「援蒋ルートに協力した上で、その見返り(独立なり自治権充実なり)を求めるべきだった」でしょうが、まあ、そういう脳みそがチベット上層部にあれば「改革派プンツォク・ワンギャルを迫害して彼を絶望させ中国共産党に走らせるような愚行」はしなかったでしょう。


■酒井信彦『チベット問題入門(中)』
http://sakainobuhiko.com/2015/01/post-264.html

 孫文の「三民主義」を中心に少し詳しく考えてみることにしよう。
(中略)
 革命が実現するまでは「駆除韃虜」と言われたように、支配者たる満州人を支那本土から追い出し、漢民族としての独立を回復することに主眼があった。ちょうど元の支配者モンゴル人を追い出して、明が成立したように。しかし革命が実現してみると、孫文らが漢民族にとって満州など他民族の土地を手放す気にはなれなかった。そこで五族共和となったのである。
(中略)
 では五族共和が唱えられて、孫文など革命を主導した漢民族は、他の四民族を本気で自分たち同等に扱おうと考えたのだろうか。それはまったくそうではないのである。五族共和のスローガンはあくまでも建前であり、漢民族の本音は完全に逆であった。そのことは他でもない、孫文の代表的著作『三民主義』のなかでも中核をなす、「民族主義」を読んでみることによって明らかとなる。「民族主義第一講」において、孫文は次のように言っている。

 「では中国の民族はというと、中国民族の総数は四億、そのなかには、蒙古人が数百万、満州人が百数万、チベット人が数百万、回教徒のトルコ人が百数十万まじっているだけで、外来民族の総数は一千万にすぎず、だから、四億の中国人の大多数は、すべて漢人だといえます。おなじ血統、おなじ言語文字、おなじ宗教*30、おなじ風俗習慣をもつ完全な一つの民族なのであります」

 つまり孫文は、五族のうち漢民族以外の四民族の人口は合わせて一〇〇〇万、四億のうちの二・五%を占めていると言っているにもかかわらず、これらは無視してしまっていいと明言しているのである。チベット人は、言語でも宗教でも風俗習慣でも漢民族とはまったく異なっているのだから、これらの人々の存在を一〇〇パーセント無視するのでなければ、「完全な一つの民族」という表現が出てくるはずがない。すなわち五族共和のスローガンは、あくまでも漢民族が他の四民族を併合支配するための方便にすぎないのである。

 読んで分かるように、酒井は「孫文三民主義チベット侵略主義のルーツ」という立場ですので「反共主義の立場」から「中国のチベット統治」を批判しているわけではない点に注意が必要です(もちろん酒井は反共主義者ではありますが)。当然、酒井は「中国共産党が下野したとしても」チベットの独立だの自治権拡充だのが当然に実現するとは考えていません。まあ、「孫文時代からチベット独立なんか認められてない→中国共産党が下野しようがチベット独立なんかない」というのは正しいと思います。ただそこから「孫文蒋介石毛沢東など中国指導者」や漢民族への激しい罵倒が始まるのには正直ついて行けませんね。

 一九八五年、中共に留学して全国の一級行政区のすべてを旅行した日本人のある学者は、漢民族が他の民族に対していかに傲慢に振る舞っているかを観察している。しかも彼は、一人の軍隊あがりの若者から、日本もかつて中華帝国との間に冊封関係を有した時期があるのだから、中共は日本に対して領土権を主張することができると言明されたという。

 「冊封関係→日本への領土権」て冗談も大概にして欲しいですね。しかも発言者が政府要人ならまだしも「一人の軍隊あがりの若者」て。この若者が実在するかどうか自体怪しいでしょうね。「ある学者の捏造の疑いすら」否定できない。
 酒井に寄ればこの「日本人のある学者」の文章は右翼雑誌「諸君」に掲載されたというのだからどこまで信用できるかわかったものじゃない。

 巨大な人口の海のなかに異民族を吸収して滅亡させる方式は、漢民族が伝統的に行ってきたのであり(中略)すなわちこのような孫文の民族観・人口観は、漢民族に伝統的な考え方であり、これこそが中華思想の本質である。この中華思想は、毛沢東に受けつがれ、そして今日にいたるも脈々と生き続けている。毛沢東産児制限を嫌った理由もここに存在する。

 「アホか」ですね。毛が産児制限に否定的だった理由は酒井の言うような理由でなく「人口増加→労働力増加→経済発展」という見方だったからでしょう。「人口増による食糧、資源問題」については毛は「増産すればいい」と単純に考えていたんでしょう。一方、文革で打倒された劉少奇国家主席トウ小平副首相(後に国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席として中国の事実上の最高指導者)なんかは毛と違って確か産児制限には肯定的だったと思います(もちろん劉もトウも、毛同様にチベット独立なんか認めないのは言うまでもありません)。
 まあ、毛のような考えではすまないから毛の死後に、トウによっていわゆる「一人っ子政策」が導入されたわけです。一方、今は「一人っ子政策などしなくても産まない時代*31」の上、「一人っ子政策による弊害(少子高齢化)」が出てきたので、確か「一人っ子政策は今はやってない」んじゃなかったかと思いますが。

 人民共和国成立直後、北京放送はチベット領有の正当性を主張し、中共軍の進駐を予告した。ついでチベットに対して外交的圧力を強めてきたために、チベット政府はイギリス・アメリカ・インド・ネパールの四ヵ国に代表団を派遣し、チベットの力になってもらおうと計画したが、四ヵ国はこれを拒んだ。
(中略)
 (注:1950年)一〇月七日、中共軍は東チベットへの侵攻を開始した。チベット軍は圧倒的な軍事力の差にもかかわらず懸命に戦ったが、一〇月一九日、東チベットの要衝チャムドが陥落して大打撃を受け、中共軍はここで進撃を止めた。このチベットに対する中共軍の直接行動に際しても、イギリス・インドは動かず、チベット政府はついに一一月、国連に提訴した。第五回国連総会では、エルサルバドル代表がチベット問題の討議を要請したが、イギリス・インドの反対で取り上げられなかった。

 要するに「米国が台湾を支援し大陸反攻すら考えていた」当時ですらチベット「ごとき」*32でほとんどの世界各国は中国ともめる意思なんかなかったってことです。
 まあ、「中国共産党ともめたくない」てだけでなく、「中国国民党とももめたくない」てのもあったんでしょう。国民党・蒋介石政権だってチベットを領土扱いしていたわけですから。

一九五五年七月、最初の大規模な反中蜂起がリタン・パタンヤ中心に勃発した。その後ゲリラ戦は東チベットに拡大して、数万人の犠牲者が出るまでになった。

 で「数万人の犠牲者」とやらを出して意味があったのかてことですよね。到底そのようには思えませんが。

 中共政府は、(注:チベット亡命政府(以下、ダライラマ一味、ダライ一味と呼ぶ)の主張する1959年暴動や文革などでのチベット人死傷者数の)この数字をまったくデタラメなものだと主張している。しかし筆者は、チベット亡命政府の公表した数字は決していい加減なものではないと考える。

 もちろん「まともな根拠で」酒井が「ダライラマ一味の数字」を正当性があるというのならわかります。しかし酒井がそんなまともな人間のわけもなく「スターリン粛清やポルポト虐殺で共産体制は多数の死傷者を出してるんだからチベットでも同じ事があってもおかしくない」と『中国のチベット支配』と全く関係ない事言い出すんだから呆れます。

 チベット亡命政府自身、この数字は遺族などからの調査を集計したもの*33だと説明している。少なくとも南京事件中共側の主張、三〇万、四〇万といったデタラメな犠牲者の数字とは明白に異なるものであることはたしかである。

 もちろん中国側の数字だってそれなりの根拠があります。小生も南京事件に詳しいわけではないし、「日本においては南京事件について昔はともかく、現在では30万人や40万人という数値を支持する人は研究者(例:笠原十九司*34)ではまずいない*35」ので、「30万人、40万人」と言った数字が正しいとは言いません。
 「正しいとは言いません」が、酒井が言うほど「無根拠」なわけではありません。つうか酒井に「デタラメ呼ばわりする根拠は何ですか」と聞いてもろくに答えられないでしょう。
 つうかそもそもチベットの話をしてるところで「南京事件がどうのこうの」と関係ないこと言い出す酒井の神経に呆れますが。

 今年*36一月二八日死去したパンチェン・ラマの最後の演説(一月一七日)がある。
文化大革命チベット人にとって災難だっただけでなく、漢族を含む全国の五十六の民族の共通の災難であった。文革による破壊はもっぱらチベット族あるいはチベットに向けられたものとは言えず、ましてや漢族がチベット族の文化を消滅させたとは言えない。文化大革命の破壊、とりわけ寺院が破壊されたことを口実に、(注:チベット族の)民族感情を煽動したり、民族問題を挑発することは、下心があってやるものとしか言えない」
 この演説の目的はきわめて明快である。パンチェン・ラマが本気でこんなことを言っているわけではない。死の直前までこのような演説をすることを求められていたのである。

 俺から言わせれば「発言がどこまでパンチェンの真意かどうか」はある意味どうでもいい。問題は「プンツォク・ワンギャル(プンワン)*37」なんかもそうですが、パンチェンはダライと一緒に「インド・ダラムサラに行かなかった、亡命しなかった」ということです。
 おそらく亡命しようとすればできたであろうにそうしなかった。
 パンチェンやプンワンは「中国中央政府漢民族)とうまく何とかやっていこうと考えあえて残った」ということでしょう。酒井のようにそうしたパンチェンの意思を無視して「中国に言わされてる」で片付けたあげく、無責任に独立論を叫ぶなど論外です。


■酒井信彦『チベット問題入門(下)』
http://sakainobuhiko.com/2015/01/post-266.html

 (注:中国の)経済政策自体も、現在完全に破綻に瀕している。

 酒井が1989年に書いた文章です。もちろん今も中国は共産党政権であり1989年当時経済は破綻になど瀕してなかったわけです。にもかかわらず

私の論考については、付け足しや補足は必要ありません。中味については、今でも十分通用すると思います

という酒井には心底呆れます。「1989年当時経済が破綻に瀕してたかのような文章」が「補足なしでOK」って酒井はどういう神経をしてるんでしょうか。

 西蔵自治区は、中共の他省と格段に経済格差があり、八七年春パンチェン・ラマが記者会見で公表したところでは、一人当たりの年間収入は三〇〇元である。

 「だから中国は酷い」という酒井ですが「よーく考えて見ましょう」。まさか「ダライ統治時代は豊かだったのに、中国統治になって貧しくなったのです」なんてことはさすがにないでしょう。
 結局「ダライ時代の貧困が撲滅できてない」てことであり、皮肉にも「解放前チベットがいかに経済的な意味で酷かったか」の証明になってるわけです。つうか「昔は酷かったのが今は少しマシになったがまだまだ足りない。もっと良くしたい」つう意味合いでパンチェンが記者会見してるのは明白でしょうに。でそれ(今は昔よりマシ)が「中国に言わされてるだけなのか」と言ったら「100パー、パンチェンの意思、中国当局の思惑はゼロ」とはいいませんが「パンチェンが全くの嘘をついてる」てわけでもないでしょう。「パンチェンの意思もある程度は反映されてる」でしょう。だからこそパンチェンはダライと行動を共にせず中国に残ったと。
 そして「1989年」で「300元」てことは今は「300元よりは豊か」でしょうね。

 そのなかで漢人のインテリ層の収入は高いようで、筆者が得た情報によると、八七年々初の時点で、本土の大学を出た人間の月給が二〇〇元であり、これは本土の場合の二倍だという。

 要するにインテリを優遇することでチベットの経済や文化レベルを何とか底上げしようと言うことでしょう。悪いことではないでしょう。

 八七年春、北京で外国人記者団と会見したパンチェン・ラマは、チベット総人口の七〇〜八〇%はいまだに文盲だといっているのである。

 「だから中国は酷い」という酒井ですが「よーく考えて見ましょう」。まさか「ダライ統治時代は文盲は一人もいませんでした、中国統治になって増えたのです」なんてことはさすがにないでしょう。
 結局「ダライ時代の文盲が撲滅できてない」てことであり、皮肉にも「解放前チベットがいかに文化的な意味で酷かったか」の証明になってるわけです。

 『北京週報』八八年五月三一日号の、「チベットのために人材を養成:天津紅光中学校を訪ねて」という同誌陸雲記者の記事には、チベットの実情をよく示している。天津の紅光中学校には三クラス二一四人のチベット人学生がいる。これらの学生は、八五年以後チベットから他の一七の省市の二十数校に送られてきた、約四〇〇〇人のチベット人学生の一部であるという。一七の省市は北は遼陽市から南は昆明*38まで全国にわたっている。この事実は二つの意味をもっていると考えられる。一つは、チベットの教育の状況がそれだけ遅れていることである。そして二つめには、優秀な子供を選抜し、親元から引きはなして漢族化教育を徹底させようとの意図が明らかにうかがえる。

 酒井の指摘の一つ目「チベットの教育レベルの低さ」は正しいでしょうが二つ目「漢族化教育の徹底」はいかがなものか。チベットの教育レベルが低いなら、そして今すぐに急速にアップすることができないなら、一番効率的な手段は「外への遊学」でしょう。

 チベットにおいて、チベット人漢人に対していかに反感を抱いているかは、独立要求デモの際に役所だけでなく漢人の商店も焼き打ちされることからも明らかだが、筆者が当事者から直接聞いた話でも、次のような事例がある。一九八四年ラサに旅行した日本人男性は、ホテルの人間から、漢人と間違われるような服装はしないこと、夜は一人歩きをしないことを注意された。

 「チベット人は平和的だ」と言いたがるI濱女史なんぞと違い「昔みたいにゲリラ戦やればいい」と言う極右が酒井ですからこうした「チベット人の他民族と変わらない好戦性(?)、攻撃性」を指摘することに何のためらいもないわけです。

 さて今年*39一〇月五日、本年度のノーベル平和賞ダライ・ラマ一四世に授与されることが決定した。本年度の候補者のなかには、レーガン前大統領や、ソ連ゴルバチョフ*40議長、それに南アフリカアパルトヘイト運動の指導者ネルソン・マンデラ*41も含まれていたのだが、ダライ・ラマ一四世に決定したのである。これは欧米においてダライ・ラマ法王の存在がいかに高く評価されているかを示すとともに、チベットの人びとの民族自決の運動が、ようやく世界的支持を獲得したことを物語っている。

 ぶっちゃけ「ダライが評価されてる」つうより「天安門事件(1989年)への批判意識」の反映でしょうね。


■酒井信彦『中華人民共和国は侵略の現行犯国家だ』(月刊日本・平成20年8月号)
http://sakainobuhiko.com/2008/08/post-4.html

 モンゴル人はもちろん、朝鮮人、カザフやキルギスなどトルコ系の人々、ベトナム人、タイ人も、「〜族」として、中華民族の中に入っている。中共中華民族と同一の民族が周辺諸国にいますが、彼らが中華民族にさせられる可能性は、既に論理的に準備されているのです。

 言ってる事が無茶苦茶ですね。「モンゴル族内モンゴル自治区)」「朝鮮族吉林省延辺朝鮮族自治州)」「カザフ族*42」「キルギス*43」「ベトナム族」「タイ族」が中国の少数民族として存在するからと言って、「中国は外モンゴルや朝鮮(北朝鮮、韓国)、カザフスタンキルギスベトナムやタイを自国領にしようと戦争するかも知れない」なんて馬鹿な事を思いつけるのは酒井ぐらいのもんでしょう。

 中共は、「中国」の範囲を、一応清帝国の最大領域と考えています。モンゴル国は当然そこに含まれます。また、ロシア領となっているアムール地方や沿海州カザフスタン領のイリ地方も含まれるのです。

 冗談も大概にして欲しいですね。「清朝の最大領域を取り戻す」と言って、中国がモンゴルやロシア、カザフスタン相手に戦争なんかするわけないでしょう。

 日本の場合、聖徳太子以前には大陸との冊封関係は行われていたが、その後は正式な冊封関係はありませんでした。ただし、足利義満*44日明貿易を行うために明皇帝の冊封を受ける挙に出ました。また、江戸時代に琉球は、薩摩藩に帰属するとともに、明・清に朝貢する、いわゆる二重帰属の状態にあったのです。
 こうした歴史的経緯があるため、シナ人側は日本との間に実質的な冊封関係があったと考える*45かもしれません。十数年以前、中共の要人が来日するたびに、わざわざ九州の福岡市博物館に、志賀島出土の金印を見にいっていました。これは、過去の冊封関係を再確認する儀式ととらえることができます。
 つまり、中共は日本に対し、領土権を主張してくる可能性がある*46ということなのです。

 どう見てもガセネタ*47ですがこの「金印」話、一体ネタ元はどこなんでしょうか。酒井本人の捏造デマ話なのか、それとも他にネタ元があるのか。

 胡錦涛が今回の訪日で、法隆寺*48唐招提寺*49を訪問したのは、(注:仏教を日本に伝えた)こうしたシナ人の優越性を誇示するためなのです。

 ばかばかしいですね。単に「法隆寺唐招提寺の頃から日中は交流があった」と日中友好アピールしただけでしょう。その程度の事を「侵略思想の現れ」と言いがかりをつける酒井には呆れます。

 かつて、李鵬*50首相(当時)が、「日本は20年か、30年くらいしたらなくなる」と、オーストラリアの首相*51に語りました

 これまたデマ話です。ウヨ世界では広く流布してる話のようですが、これを事実とするまともな根拠が出されたことはなく当然裏もとれません(もちろんキーティング*52李鵬両氏ともこんなことを認めるわけもありません)。朝日の吉田証言報道を誤報だと非難する連中が自分はデマ話で隣国を誹謗するのだから呆れて物も言えません。

 中共は、1972年の日中国交正常化の際の共同声明に、歴史問題を書き込みました。これは、時限爆弾のようなものでした。

 言ってる事が無茶苦茶ですね。「あの戦争に対する反省の意思表明(酒井の言う歴史問題)」を声明に書かないでどうして国交正常化できるのか。別に時限爆弾でも何でもないわけです。時限爆弾化、つまり後々歴史認識が問題となるのは酒井のようなバカウヨが与党内にいて「あの戦争は侵略じゃない」などと放言するからです。
 それも「陣笠代議士たった一人」ならまだしも「複数の国会議員、しかも中には与党役員や閣僚の経験者といった大物政治家もいる」なんて事態になったら中国だって大目に見るわけにいかないのは当然です。

 安保条約を破棄し、軍事的主権を回復する、これ以外に日本が自主独立の道を歩む方法はないのです。

 安保条約があると日本が中国相手に軍事行動したくても、米国からいろいろと制約が係る、だから破棄してしまえと言う話です。左派の「安保条約があると、日米共同軍事作戦をやらされる恐れがあるから破棄しよう」というのは逆方向の話です。
 極右らしい暴論ではあります。


■酒井信彦『チベット問題は侵略という「乱」
http://sakainobuhiko.com/2014/12/post-261.html

 酒井信彦先生に(注:平成20年7月という今から約4年半前の)過去に発表された論考(注:『チベット問題は侵略という「乱」』)を掲載するにあたり、訂正並びに補足の必要などを伺った。それに対し、下記のお答えを頂いたので、一連の論考をそのままに順次掲載していきます。
「私の論考については、付け足しや補足は必要ありません。中味については、今でも十分通用する*53と思いますし、客観的状況としては、ずっと悪くなっているのであり、遥かに理解しやすくなっているはずですから」(酒井信彦)

 酒井本人がブログ運営してるのかと思いきや、そうではないようですね。

 三月上旬、チベットで再び独立要求の運動が開始された。
 大規模なものとしては一九八九年以来、約二十年ぶりのことである。

 反中国暴動ではあっても独立要求は「少なくとも建前ではしてない」んですけどね。ダライらチベット亡命政府が独立論の立場じゃないから。

 日本でも(注:北京五輪の)聖火リレーが長野で行われたが、チベットを支援する行動と、それに対抗するシナ人留学生の大量動員で、大きな騒動となった。

 聖火リレーに向かって「フリーチベット」て言ったって何がどうなるモンじゃないし、場所によっては暴力沙汰にまでなったようですから馬鹿げた運動としか評価出来ませんね。

 チベット問題の本質は、人権侵害問題などではなく、あくまでもチベット人の民族独立問題であり、シナ人による侵略問題である。

 普通の人間は『ダライが独立を唱えていない』ことから独立など声高に叫ばないわけですが、反中国の酒井は平気で独立を叫ぶわけです。

 辛亥革命後の中華民国の時代には完全に独立していたが、中華人民共和国の成立によって、第二次大戦後の民族独立の時代に軍事力によって侵略・併合されたのである。

 いやいや中華民国時代だって独立はしていませんよ。中華民国も国際社会もそんな事認めてませんので。「日本や欧米の侵略(特に日本の侵略)」「清朝崩壊後の軍閥の跳梁跋扈」で中華民国中央政府が辺境の地「チベット」まで手が回らず「事実上の独立王国化してた」だけの話です。したがって、中華人民共和国の「チベット解放」は少なくとも中国政府の主観的には「戦乱で失われた国土の統一性の回復」でしかありません。戦乱(日本の侵略、国共内戦)にけりがついたから辺境の地「チベット」も含めて国土を統一しただけの話です。

 ただしシナ人がチベットを侵略したのは、しばしば誤解されているのとは異なり、共産主義イデオロギーによるものではない。既に中華民国を建国した孫文が、中華民国清帝国の領土をそのまま継承するとして、チベット人やモンゴル人の独立を認めず*54、侵略を正当化するイデオロギーをつくり上げていた。それが有名な三民主義*55の中の民族主義であり、正確には「中華民族主義」あるいは「シナ侵略主義」と呼ぶべきものである。つまり侵略の野心は十分に持っていたが、中華民国の実力では侵略を実行できなかっただけなのである。

 まあ侵略主義、侵略思想と呼ぶかどうかはともかくこの点は酒井の言うとおりです。孫文蒋介石と言った中華民国中国国民党の指導者だってチベット独立なんか認めていません。そして可能なら「チベット解放」を国民党軍がやっていたでしょう。また、仮に今後中国共産党が下野し複数政党制になったとしても「自治権拡大」ならともかく、まずチベット独立が認められることはないでしょう。
 それにしてもこうした酒井の孫文蒋介石への敵対的な物言いからは酒井の立場が「反中国共産党」なんてなまやさしいものではなく「反漢民族」とでもいうような民族差別、民族敵視であることが伺えます。

 チベット問題の本質が全く誤解されている原因として、ダライ・ラマチベット問題に対する姿勢・態度が、大きく影響を与えていると考えられる。それは例の「中道路線」である。つまり完全独立を求めず、「高度の自治」を求めるという路線であり、その実現のために中共政府と対話していくという方針である。そして世界の指導者たちも、一般のチベット支援者たちも、この路線にもろ手を上げて賛同している。しかし私は、ダライ・ラマのこの中道路線は完全に間違っていると考えている。

 まあ「反中国極右」酒井の立場では間違ってるんでしょう。勿論俺は「酒井の独立論の方が間違ってる、ダライのダラムサラ滞在を認めてるインドすらそんなん支持しねえのに現実性ねえよ」と思いますが。
 つうかそれ以前に当事者無視して部外者が酒井のようなことを言うのは越権行為ですよ。

(注:しばしばダライラマ支持者から)ダライ・ラマは一貫して非暴力主義を貫いてきたとの説明がされるが、これは完全なウソである。(注:ニクソン大統領が訪中し、米中国交正常化がほぼ確実となった)一九七二年以前は、アメリカがチベット・ゲリラの武力闘争を援助していたのであり、ダライ・ラマはもちろんそれを承認していたからである。

 I濱女史なんかは認めたがらない「不都合な真実」ですがこれは酒井の言うとおりです。
 酒井が単に事実を述べてるだけならいいのですが「昔は武力闘争やってたんだから今も中国相手にやればいいジャン、ダライはへたれるな」などと無茶苦茶言うから呆れます。できるわけないでしょうに。あれは「CIAの軍事支援」があって可能だったのであり、今CIAはそんなこともちろんしませんから。

そもそもダライ・ラマ個人に、全てのチベット人の運命を決定してしまう権利があるのだろうか。

 一応お断りしておけばチベット亡命政府には首相や議会があり「彼らはダライの意見を参考にしながら自主的に方針を決めてる」という建前であり少なくとも建前ではダライが独裁的に決めてるわけではありません。なので「ダライが勝手に決めるな」と酒井が言っても「ダライ猊下の独裁ではなく、皆の総意です(チベット亡命政府)」で終わってしまう話です。つうかダライの独裁だろうと「武力闘争&独立路線」なら酒井は「ダライが勝手に決めるな」なんて言わず大喜びなんでしょうけど。

 シナ人に侵略されているのは、チベットだけではない。東トルキスタン南モンゴルもシナ人に侵略支配されているのである。独立放棄路線が実現したら、ウイグル人やモンゴル人の願いも、無残に打ち砕くことになってしまう。

 突っ込みどころだらけの一文です。先ず第一に何でダライが新疆ウイグル自治区東トルキスタン)や内モンゴル自治区南モンゴル)のことまで背負い込まないと行けないのか。
 第二にダライの方針に関係なくウイグルラビア・カーディル世界ウイグル会議)も内モンゴルも「中国に批判的な民族活動家」は独立派なんて主流じゃありません。これまたダライ同様「独立は現実的じゃない」という考えに基づくものです。俺は全くその通りだと思います。
ダライが仮に独立路線に鞍替え*56してもウイグル内モンゴルの「中国に批判的な民族活動家」の主流が独立路線になることはまずないでしょう。

 今回のチベット騒動で、ダライ・ラマ中共から(注:暴動を扇動する)悪魔だと非難されて、自分は悪魔ではなく人間だと語っている。私も確かにそう思う。ダライ・ラマは悪魔でなくて人間である。ただし人間であるということは、神様でも仏様でもないということである。人間である以上、ダライ・ラマも間違うことはあるだろう。独立放棄の中道路線の主張こそ、まさに巨大な錯誤である。そのダライ・ラマを現代における聖人、無謬の存在のように祭り上げるのは、まことに悪しき個人崇拝そのものである。

 ダライだって人間だから間違える、無謬の存在じゃないというのはその通りです。しかし「だから、独立論こそ正しい」という酒井の主張は大間違いでしょう。

 ではダライ・ラマは、どうして間違った主張をしているのか。それはダライ・ラマが基本的に欧米勢力、特にアメリカの意向に従って動いているからだと、私は考える。この二十年ほどの間に、アメリカと中華人民共和国とは、経済関係を中心として、極めて密接な関係をつくり上げてしまった。客観的に言って、かつてソ連を封じ込めたような政策を、アメリカが中共に対して採るはずがないし、アメリカは中共と戦争をする気などさらさらない。その中で両国に間で残された「とげ」、最大の問題こそチベット問題なのである。
 先述したように、アメリカは一九七二年まで、チベット武装ゲリラに対して、軍事援助をしていたが、ニクソン訪中の際に、それをさっさと切り捨てたという過去を持っている。そこでアメリカとしては、チベット問題を軟着陸させて、曖昧な形で「解決」したいに違いないのである。その意向の反映が、ダライ・ラマの中道路線、独立を放棄して対話による解決を求めるという路線なのである。

 まあ、米国が中国ともめてまで独立論を支援する気が今ないのは確かでしょう。そして「チベット支援の最大のスポンサー」米国の意向をダライが無視することはできないのも確かでしょう。ここまでは酒井の主張はおおむね正しい。しかし普通の人間ならここから「独立論は現実性がないから主張すべきでない、実際チベット亡命政府も独立論なんか主張してない」となるでしょうに、そうならないところが酒井のすさまじいところです。

 チベット問題の「解決のための対話」ということが、しきりに強調され主張されている。対話というのは、中華人民共和国チベット亡命政府との間の対話であるが、これほど圧倒的な力の違いがある存在の間で、まともな対話が成立するのであろうか。成立するわけがないのである。
(中略)
 実は両者の間で、この二十年くらい断続的に対話は行われているのである。しかしその間、中共政府はチベット亡命政府をまともに相手にしてこなかったのが実情である。
 もし対話による解決があるとすれば、それは弱者の側の強者に対する、一方的な屈服以外にあり得ない。

 「力の差があるから対話が成立しない」て、じゃあ酒井にとって何なら成立するのか。「武装闘争」なんて「力の差がある」んだから、もっと成立しないでしょうよ。何がいいたいんだかさっぱりわかりません。

 それにしても、今回のチベット騒動におけるアメリカの対応は、余りにもチベットに冷淡である。ブッシュ大統領がこれに対して発言したのは、事件後二週間あまりたってからだったし、その後もほとんど発言していない。大統領はどうしてもオリンピック開会式に出席するつもりらしい*57。ただしその冷淡さはヨーロッパの大国においても、基本的に変わらない。初めは(注:欠席を検討すると)威勢の良かったフランスのサルコジ*58大統領も、(注:中国の抗議の前に)今では言葉を濁している*59。明確に開会式の欠席を表明したのは、ポーランドチェコエストニアなどの国々であり、それはこれら諸国がドイツ・オーストリア・ロシアなど強国の侵略*60を経験した*61からに違いない。
(中略)
 ということは、今回の騒動でしきりに言われる、「人権問題としてのチベット問題」すら、かなり怪しいのではないだろうか。アメリカを初めとする欧米先進国は、世界の人権問題に本気で取り組むつもりがあるのだろうか。例えば昨年のミャンマー民主化要求デモに対する弾圧である。事件当時は、欧米諸国は軍事政権に厳しい批判を浴びせた。アメリカは大統領夫人まで担ぎ出して、それを行った。しかしその後は全くの尻切れトンボである。

 まあ、おっしゃるとおり「中国やミャンマーに対して『中国やミャンマーの安い労働力で商品を作りたい』『中国やミャンマーの市場に物を売りたい』とか金目当てで欧米はろくに批判してねえじゃん」というのはその通りです。ただそこから「欧米は中国をもっと批判しろ」てのならわかりますが、「だからチベット独立論なんだ」てのは訳がわかりません。

 先述したように、ダライ・ラマの中道路線によって、チベット問題が「解決」という名の消滅に至ったら、それは歴史の進歩の法則を無視して、シナ人の侵略現行犯が世界的に承認されたことを意味する。同時にナチズムに匹敵する他民族抹殺思想である、中華民族主義・シナ侵略主義も、公認されたことになる。中共から距離のある欧米諸国にとって、所詮他人事なのかもしれないが、我が国は甚大な影響を免れない。そうなったら、シナ人が我が国を本格的に侵略することは、疑問の余地がないからである。今日のチベットは、明日の日本である。

 やれやれですね。何を根拠に中国が日本を侵略するというのか。そして「チベット独立でない限りチベット民族抹殺だ、高度自治なんて無意味だ(酒井)」なんて馬鹿な事言っても何がどうなるものでもない。「チベット独立」なんか唱えたらそれこそ中国にも欧米にも「それはちょっと支持できないな」と無視されて終わりでしょう。

 胡主席来日では、(注:彼に面会した歴代首相中曽根、海部、森、安倍*62のうち)チベット問題について安倍首相*63が一言言及しただけだった。すなわち日本の指導者たちの、媚中体質どころかシナ人に隷属・屈服する体質、隷中体質・屈中体質が、完全に形成されているのである。

 これは
産経新聞『【胡錦濤氏訪日】歴代首相と朝食会 安倍氏チベット問題に懸念表明』(魚拓)
http://megalodon.jp/2008-0508-1926-52/sankei.jp.msn.com/politics/policy/080508/plc0805081102005-n1.htm
http://megalodon.jp/2008-0508-1927-03/sankei.jp.msn.com/politics/policy/080508/plc0805081102005-n2.htm
のことでしょうね。

 来日中の胡錦濤*64中国国家主席は8日午前8時から、東京都千代田区ホテルニューオータニで、中曽根康弘*65海部俊樹*66森喜朗*67安倍晋三*68の歴代首相と朝食会を開いた。

ということで安倍以外は特に敵対的なことを何も言わなかったことを酒井は嘆いてるわけですが、日中関係の重要性を考えれば当然じゃないんですかね。また安倍にしても「首相を辞めて無責任な立場になった*69から」こういう事が言えるわけです。首相時代はこんな事何一つ言っていない。

 シナ人の日本侵略の次なる段階は人口侵略であろう。これは既に始まっているのだが、これから急速に展開されることは間違いない。しかも日本側でもそれに対応する計画が、最近次々と発表されている。移民庁(仮称)の創設、留学生三十万人計画などである。

 やれやれですね。「移民庁(仮称)」「留学生30万人計画」の是非はともかくそれのどこが「中国の人口侵略に呼応する計画」なのか。
 ちなみに、ググったところ「移民庁(仮称)」「留学生30万人計画」とは「自民党外国人材交流推進議員連盟」(会長・中川秀直*70官房長官)が2008年(平成20年)に発表した計画です(参考:日経ビジネス自民党「移民1000万人受け入れ」の実現性』(http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080617/162440/?rt=nocnt))。
 なお、この議連、今では発展的解消して「自民党国際人材議員連盟」(会長・小池百合子*71元防衛相)になってるようです(ウィキペ「自民党国際人材議員連盟」参照)。
 清和会出身*72の中川氏や小池はどう見ても「親中派」と呼べる人間ではない*73のですが「移民受け入れ推進とは、留学生受け入れ推進とは中国の日本乗っ取り計画への共謀行為だ」という妄想にとりつかれてる酒井にはそんな常識は通用しません。
 

 そしてシナ人は最終的には、日本を軍事侵略して併合するだろう。その時アメリカが日本を守ってくれるとは、私はとても思えない。その際、侵略・併合を正当化する方法として、「中国」の「少数民族」としての日本人・大和族の「中華民族」への編入が行われるだろう。私は十数年以前からこの事を繰り返し警告してきたが、全くと言ってよいほど世間の反応はなかった。

 そりゃ「このままでは日本は中国の領土になるぞ!」「日本省か、日本自治区にされてしまう!」て言ったってまともな人間は相手しないでしょうよ。

*1:邦訳、2012年、白水社白水社としては早急な出版停止と可能な限りの書籍回収が必要でしょう(現時点では無責任にも何もしてない疑いがありますが)。そして再版する場合はもちろん「但し書きつきでの再版」になるのは言うまでもありません。なお、「但し書きつきでも信憑性の面で怖くて売れない」のならもはや再版はあきらめ、売らない方がいいでしょう。

*2:尾崎秀実(元朝日新聞記者、外交評論家、ゾルゲ事件で死刑)、秀樹(文芸評論家)兄弟と似た名前ですが単なる偶然なんでしょうか、どうなんでしょうか。

*3:第二次安倍内閣行革相、自民党政務調査会長(第二次安倍総裁時代)を歴任。

*4:自民党政務調査会長(第二次安倍総裁時代)、第二次、第三次安倍内閣総務相を歴任

*5:第一次安倍内閣首相補佐官教育再生担当)、第二次、第三次安倍内閣国家公安委員長を歴任

*6:石橋湛山が元老・山県有朋の死について述べたときの言葉として有名。石橋は山県を老害扱いしていた。

*7:つまりこの間の衆院選勝利で「自民万歳」と勝ち誇ってるウヨの皆さんは全員「日本人じゃない、外国人」か「日本の伝統に反する醜い駄目日本人」のわけですね(毒)。

*8:ウィキペ「文章経国」によればこの言葉は文学者としても評価される魏の皇帝・曹丕三国志演義で有名な曹操の長男)の言葉。ウィキペ「文章経国」に寄れば「文化が栄えることは国家にとって重要なことである」と言う意味であり、尾崎が曲解するような意味ではない。またウィキペ「文章経国」は「嵯峨天皇の時代に、『凌雲集』、『文華秀麗集』、『経国集』の勅撰漢詩集が編纂されたのは『文章経国思想』の影響と考えられる」と指摘している。このウィキペの指摘が正しいならば、尾崎の文は全くのデタラメと言っていいだろう。

*9:なお俺の価値観では「尾崎の書評=大森本の適切な評価」なら、「大森本=読む価値のないゴミ本」でしかありません。

*10:南朝の武将。著書『神皇正統記』。

*11:本気なのか、コメ欄のご指摘のように嫌がらせなのかは不明です。まあ不愉快ではありますが実害もないのでどうでもいい話です。

*12:大蔵卿、内務卿を歴任

*13:大隈、山本内閣文相、加藤内閣逓信相などを経て首相

*14:元外務省ソ連課長。オランダ大使時代に「鈴木宗男との近さ」を理由に大使を更迭されたことを機に退官。現在、京都産業大学教授。著書『北方領土交渉秘録』(2011年、新潮文庫)、『歴史認識を問い直す:靖国慰安婦、領土問題』(2013年、角川oneテーマ21新書)など

*15:例の猪瀬・徳洲会ヤミ献金疑惑で猪瀬と徳洲会の仲介者としてお名前の出た右翼活動家の方

*16:元外務官僚。外交評論家。外務省退官後、東京大学教授、日本大学教授、明治学院大学教授、広島市立大学広島平和研究所所長を歴任。著書『日本外交:反省と転換』(1989年、岩波新書)、『外交官:ネゴシエーターの条件』(1991年、講談社現代新書)、『新しい世界秩序と国連:日本は何をなすべきか』(1991年、岩波セミナーブックス)、『「国際貢献」と日本:私たちに何ができるか』(1992年、岩波ジュニア新書)、『「国連中心主義」と日本国憲法』(1993年、岩波ブックレット)、『中国をどう見るか:21世紀の日中関係と米中関係を考える』(2000年、高文研)、『集団的自衛権日本国憲法』(2002年、集英社新書)、『戦争する国しない国:戦後保守政治と平和憲法の危機』(2004年、青木書店)、『13歳からの平和教室』(2010年、かもがわ出版)、『ヒロシマと広島』(2011年、かもがわ出版)、『すっきり!わかる 集団的自衛権Q&A』(2014年、大月書店)など

*17:国防第一委員長、朝鮮労働党第一書記、朝鮮人民軍最高司令官

*18:国家主席朝鮮労働党総書記、朝鮮人民軍最高司令官

*19:国防委員長、朝鮮労働党総書記、朝鮮人民軍最高司令官

*20:金日成金正日の遺体が保管されている

*21:金日成金正日の巨大銅像や、国会議事堂(万寿台議事堂)のある場所

*22:核・ミサイル開発のことかと思われる。

*23:金日成パルチザン根拠地があったと言われる白頭山のこと

*24:もちろん米国のこと

*25:1972年に朴チョンヒ政権と金日成政権の間で合意に達した共同声明。

*26:2000年の金大中大統領訪朝で南北間で合意に達した共同宣言

*27:2007年の盧武鉉大統領訪朝で南北間で合意に達した共同宣言

*28:著書『発想法』(1964年、中公新書)、『続・発想法』(1970年、中公新書)、『鳥葬の国:秘境ヒマラヤ探検記』(1974年、講談社文庫)、『KJ法』(1986年、中央公論社)、『ヒマラヤ・チベット・日本』(1988年、白水社)、『創造性とは何か』(2010年、祥伝社新書)など

*29:辛亥革命後の混乱による「事実上の独立」であって「榎本武揚蝦夷共和国」のような代物でしかありません。要するに中華民国も国際社会も独立国扱いしていない。

*30:儒教のことか?

*31:欧米も日本もそうですが経済がある程度発展すると少子化傾向が出てきます。

*32:あえて「ごとき」と書きますが。

*33:中国が南京事件で主張してる数字もそうなんですが。要するにこんなことはダライ一味の主張が正しいと言う根拠にはなりません。

*34:都留文科大学名誉教授。著書『南京事件』(1997年、岩波新書)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史:日本人は史実をどう認識してきたか』(2007年、平凡社新書)など

*35:ただし「南京事件で10万人以上の多数の死者が出たであろうこと」には争いはありません。

*36:1989年のこと

*37:全国人民代表大会常務委員、中央民族委員会副主任などを歴任

*38:雲南省省都

*39:1989年のこと

*40:1990年にノーベル平和賞受賞。

*41:1993年にノーベル平和賞受賞。1994〜1999年まで南アフリカ大統領。

*42:ウィキペ「カザフ」によれば「新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州」、「新疆ウイグル自治区バルクル・カザフ自治県」、「新疆ウイグル自治区モリ・カザフ自治県」、「甘粛省アクサイ・カザフ族自治県」がある。

*43:ウィキペディアに寄れば「新疆ウイグル自治区クズルス・キルギス自治州」がある。

*44:室町幕府三代将軍

*45:前近代(江戸時代以前)においては 日中間に冊封関係があった(少なくともそういう時期があった)と考えていいのではないか。ただそれは「現在の日中関係に上下関係があると中国側が考えてること」を勿論意味しません。

*46:実際に領有権を主張している尖閣ならともかくそれ以外で領有権を主張する可能性などありません。大体「過去の冊封関係」でそんな事が言えるなら韓国やベトナム相手にもそう言えてしまう。まあ酒井だと「その通りです、韓国やベトナム相手に言えるんです」とか平気で言い出すから頭痛がしますが。

*47:もちろん福岡訪問時に日中友好アピールで金印訪問することはありうるでしょうが「訪日の際は、福岡訪問でなく、東京訪問でもわざわざ、いつも金印を訪問してる」だの「その目的は過去の冊封関係アピール」なんて非常識なことはないでしょう。

*48:聖徳太子が創建したと言われる

*49:唐から渡来した仏教僧・鑑真が創建したと言われる

*50:国家教育委員会主任(日本の文科相に当たる)、副首相、首相、全国人民代表大会常務委員長(日本の国会議長に当たる)などを歴任

*51:ウヨの主張ではキーティング首相。まあ、ガセネタなんですけど。

*52:ホーク政権財務相を経て首相

*53:もちろん「今でも」どころか「平成20年当時も」通用する代物ではありません。

*54:ただし外モンゴルの独立は様々な政治的理由から認めることになります。

*55:民族主義民権主義民生主義

*56:鞍替えしないでしょうけど

*57:実際にブッシュ大統領は開会式に出席した

*58:バラデュール内閣予算相、ラファラン内閣内務・治安・地方自由相、経済・財務・産業相、ドピルパン内閣内務相などを経て大統領

*59:実際にサルコジ大統領は開会式に出席した。

*60:ロシアについては旧ソ連によるバルト三国併合のことだろう。ただしエストニアは欠席したが、ラトビアは大統領が出席した(ウィキペ「北京オリンピックの開会式」参照)

*61:なお、ウィキペ「北京オリンピックの開会式」によれば侵略を経験した国でも「アフガニスタンソ連の侵略)」「韓国(日本の植民地支配)」「フィリピン(米国の植民地支配)」などのように首相や大統領が開会式に出席した国は当然あります。

*62:なお、小泉は呼ばれましたが、首相当時、靖国参拝で中国ともめたことできまりが悪かったのか、欠席しました。当時存命の元総理は他に細川、羽田、村山がいますが彼らが呼ばれなかったのは「当時の政権与党・自民と関係ない人々(細川は日本新党、羽田は新生党、村山は社会党)」だからでしょうか。

*63:酒井の原文のまま。本当は「元首相」が正しい

*64:共産主義青年団中央書記処第一書記、貴州省党委員会書記、チベット自治区党委員会書記、中央書記処常務書記、国家副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*65:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣防衛庁長官、運輸相、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*66:福田、中曽根内閣文相を経て首相。首相退任後も新進党で党首。

*67:中曽根内閣文相、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)を経て首相

*68:小泉内閣官房副長官官房長官自民党幹事長(小泉総裁時代)を経て首相

*69:なお、胡錦濤氏訪日当時の首相は福田首相

*70:橋本内閣科学技術庁長官、森内閣官房長官自民党国会対策委員長政務調査会長(小泉総裁時代)、幹事長(第1次安倍総裁時代)を歴任。現在は選挙地盤を次男に譲り政界引退している。

*71:小泉内閣環境相、第1次安倍内閣防衛相、自民党総務会長(谷垣総裁時代)を歴任

*72:要するに右翼の清和会だってある程度常識のある人間ならいわゆる排外主義に荷担しないと言う事でしょう。

*73:中川氏は安倍に幹事長に任命されるほど、安倍に近い人間ですし、小池に至っては反中国怪文書「日本解放第二期工作要綱」をツイッターで好意的に紹介したことさえあります。