「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート94(追記・訂正あり)

■Mukkeエントリ『目の前にある文章の意味が理解できないBill_McCreary氏』に反論
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140428/1398678160
 いつもの「I濱*1先生の業績にけちをつけてるのがボーガスだ、専門家への敬意がない!」「I濱先生の『沖縄に米軍になかったら中国が攻めてくるかもしれない』発言とか非常識な発言へのボーガスの批判をどう思うかって!。そんなの興味ない!。I濱先生のチベット専門家としての発言しか興味ない!。とにかくボーガスの専門家・I濱先生への無礼が許せない!」「そんなボーガスを擁護(?)するMcCrearyが許せない」という寝言です。どんだけI濱(以下、敬称略)に甘いんだよ、あんた。
 つうか、確かにこのエントリにid:Bill_McCreary氏がコメントしたのは事実なんだけど、何か言いたいなら、このエントリにコメするなり、エントリ書くならid:Bill_McCreary氏にIDコール送るなりトラバ飛ばすなりしたらどうなのよ?(まあ、McCreary氏はMukke氏には完全にあきれ果て、相手をする気はないらしいので無視するでしょうが)
 何で「当事者じゃない俺だけにトラバ飛ばして、それで終わり」なんだか訳がわからない。
 俺にメッセンジャボーイでもやって欲しいのか?。いややってもいいんだけどさ。俺がお知らせしなければMcCreary氏は気付かないわけでそういうのを陰口っていうんじゃねえの?。いやあんたが陰口叩きたいなら勝手にすればいいんだけどさ。陰口叩いて喜んでるなんてゲスだよな、本当に。
 いつものように「デムパ」なんて失礼なタグつけてますがI濱の暴言、珍発言はいつも「専門家としてのI濱さんの発言しか俺は興味ない」の一言で逃げるid:Mukkeさんの方こそ「デムパ」でしょう。
ま、それはともかくMcCreary氏への批判は「ボーガス認識が間違ってる」というものでそこは小生にも関係がありますので、そこの部分には手短に反論。

>I濱君、君みたいな「自称チベット支持者」「自称チベット学者」
>I濱って本当にバカだな、こいつ本当に学者なのかよ、早稲田は(あるいはI濱の所属するチベット研究の世界とやらが)レベルが低すぎだろ

 既に何度も反論していますが、これは「沖縄に米軍がなければ中国が攻めてくる」など、あまりにもアホなことを言うI濱への「おちょくり発言」であって、「I濱の業績」それ自体を問題にしてるわけではないのは前後の文脈を見ればわかります。
 「南京事件はなかった」というデマ屋・渡部昇一に向かって「自称英語学者」「こいつ本当に学者なのかよ、上智は(あるいは渡部の所属する英語学の世界が)レベル低すぎだろ」というような発言にすぎません。
 Mukkeさんが「前後の文脈を何故か全く引用しない」のはうがった見方をすれば「前後の文脈を引用するとMukke氏の主張が言いがかりだとばれるとMukke氏ご本人も自覚してるから」かもしれません
(なお、この部分は「削除しろ」とのはてなを通じてのI濱からの要望があり、「その要望にこたえないとずっとプライベートモード」という厳しい指摘をはてなからされ削除しましたので、今はこの文章は拙ブログ上では読めません。ま、善意に解釈すれば俺が削除したからMukkeさんは前後の文脈を引用できないのかもしれませんが)。
 まあ、不適切発言かも知れませんが前後の文脈を見ればそれがわかるからこそMcCreary氏は「発言の是非はともかく、ボーガスはI濱の業績など問題にしていない」と言ってるのであり、そう言う意味ではMcCreary氏の発言には何ら問題などないでしょう。って当事者の俺が言うと今ひとつ説得力に欠けますが。

>ただ「チベット学者」がそれでいいのかとは思う

 これは「チベット愛」を無邪気に語るI濱に対し「一チベット愛好家ならそれでいいかもしれないけど、学者がそれでどうやって学問的客観性を保持してるの?」という疑問表明です(ここははてなブログからは削除しましたが、別に誹謗とは思わないのでココログhttp://bogus-simotukare.cocolog-nifty.com/blog/)に移したかと思います。2014年4/30追記:ココログからも削除しました。経緯については『過去エントリを削除しました』(http://bogus-simotukare.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-79d3.html)を参照)。これまた「前後の文脈まで引用しろよ、Mukke」と思う。
 もちろん「愛があるから見方が歪む」とは限りませんが、そうなる危険性は高いわけです。そのあたり全く何も考えてないらしいI濱の能天気さに突っ込んだわけです。つうかこれって業績批判でも何でもないだろ?。
 「チベット愛を無邪気に語るチベット学者・I濱」でなくて「中国愛を無邪気に語る中国学者」「米国愛を無邪気に語る米国学者*2を見ても俺はI濱同様に「学問としての客観性をきちんと保持できてるのかな」と言うと思います。「学者でなくて一般人」なら「無邪気に愛を語ってもいい」かもしれませんが。
 つうか「チベット僧侶から還俗した人間」に向かって「僧侶の方が幸せなのに」と平気で自ブログに書いちゃう人・I濱に「客観性」があるとはとても思えませんね。「何が幸せか」なんてのは当人が決めることだし、「僧侶の方が幸せ」なんじゃなくて単に「僧侶好き」I濱が「僧侶になって欲しい」だけでしょう。

何だかなあと思いますね。小生、もちろん「清朝研究」のプロではありませんが普通に考えて「清朝チベットの関係」は「支配者と被支配者」と言う意味では「今の中国・チベット関係」と何ら変わりないでしょう。

 まあ、これだけは「I濱の業績に触れた」と言えるのでしょうね。
 で小生のI濱への批判的コメントも不適切だったかも知れない。
 ただし「これだけは」です。「これだけが『I濱の業績に触れた』と言う事が可能な俺の文章」です。
 要するにほとんどの俺の文章はI濱の業績になど全く触れていないし、「これを俺が書く前から」Mukkeさんは「I濱さんの専門業績にイチャモンつけるな」とそれこそ「曲解」としか思えない言いがかりをしつこくつけていたわけで、まあ、まともに相手など出来ない人がid:Mukkeさんです。
 だいたいそんなに「歴史修正主義」「専門家への敬意がない発言」がお嫌いなら「沖縄に米軍がなければ中国が攻めたかも知れない」という明らかな「歴史修正主義発言」で「中国史研究者への敬意のかけらもない発言」をしたI濱に苦言でも呈したらどうなのか?。それともこのI濱発言を裏付ける「中国が沖縄侵攻を計画していた証拠」でも出せるんですか?
 あるいは「ブータンのネパール人政策を『難民を産んでいる』と批判する人(もちろんその中にはネパールやブータンの研究者もいるでしょう)」に「社会主義シンパのブータンへの言いがかり」という不当なレッテルを貼ったI濱に「ネパールやブータンの専門家でもないのにI濱さん、あんた、何様だ、ネパールやブータンの研究者に敬意がないぞ!」「あんた、逆にネパールやブータンの専門家が、あんたの専門のチベットに対して何か言ったらどう対応するんだ?」と苦言でも呈したらどうなのか?
 あるいは怪文書を元に「中国は天皇処刑をねらってる」とデマ飛ばすペマ・ギャルボに「デマは辞めろ」「中国研究者への敬意がない!」とか何か批判でも言ったらどうなのか?。まさかペマのデマについて「デマじゃない、証拠がある」とは言い出さないですよね?
 自称「チベット支持者」のくせに「チベット支持者仲間」I濱やペマが酷い発言をしてどんなにチベット界隈の評判を傷つけようと身びいきで黙認する人が「俺(ボーガス)がI濱やペマを批判した時だけ」バカみたいにムキになるんだからMukkeさんが単に「俺の仲間への悪口は許さない!」という身びいきで文章を書いてることはモロバレです。しかし日本人なのに「チベット人でもないのに」こんなに「チベット関係者への批判や悪口」を病的に嫌がるMukkeさんのような人がいるんですね、勉強になりました(何の勉強だ?)。
 とりあえず以上。


■酒井信彦『なぜ集団的自衛権が必要なのか』
http://sakainobuhiko.com/2014/04/post-242.html
 ハト派の俺は「集団的自衛権行使容認論』を支持しませんが、酒井の場合、それ以前の話です。
 というのも空恐ろしいことに酒井はこのタイトルで「大東亜戦争(アジア太平洋戦争)は聖戦だ」と叫んでるからです。
 意味がわからない。こんな馬鹿な事をするのは酒井くらいでしょう。
 先ず「集団的自衛権」と「大東亜戦争をどう評価するか」は全く関係ありません。というか「集団的自衛権」を行使するには「日米安保」が当然ながらその前提にはあるわけですが、日米安保は(というか米国政府は)、「大東亜戦争聖戦論」の立場になんかもちろん立っていません。酒井の立場では「左派などとは論理展開が違います」が、「大東亜戦争を日本の侵略戦争とする日米安保を認めることが出来ないから、当然、集団的自衛権を認めることは出来ない」と考えるのが普通の考えでしょう。
 で、酒井が何と言い出すかと言えば

(注:尖閣問題などで中国相手の戦争を恐れずやるためには)アメリカの傭兵であろうが何であろうが、自衛隊が実際の戦闘に直接参加して、具体的に戦死者を出すことが最も有効な方策であろう。今やそのくらいのショック療法が必要なのである。

と言い出すのだから絶句です。
 大抵の人間は「集団的自衛権行使容認派」でも本心かどうかはともかく「死者を無意味に出すことはしない」というもんですが酒井に至っては「実際に戦死者が出れば日本人が目覚める、是非戦死者が出て欲しい」と公言するのだから正気ではありません。「そういうお前が死んでこいよ、酒井」と言いたくなる。
 よくもまあ、「アジア自由民主連帯協議会」も酒井のような非常識極右を顧問なんぞに出来るモンです。


■本年度新人事並びに崔承喜のビデオ紹介
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01082
 もちろん人事異動があっても「後任も前任と大して変わらない極右」なので「極右レイシスト集団」という守る会の本質に変わりはありません。そもそも代表は山田文明の留任ですしね。
 三浦も副代表から「事務局長」になったそうですが、別に失脚したわけでも何でもないでしょう。
 「守る会サイト=事実上、三浦の個人ブログ」という現状に変化はないわけです。
 まあ、仮に三浦が失脚したとしても今の守る会がまともな団体に生まれ変わることはないでしょうけど。


■沖縄の優れた知識人だった宮里立士氏がお亡くなりになりました(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2413
 まあ、三浦も「第二次安倍政権誕生後」は「俺達右翼の春が来た」とでも思ってるのか、「昔はそれなりに隠していたウヨの本性」がもろだしです。またウヨエントリです(とはいえ安倍の支持理由は世論調査ではもっぱらアベノミクスであって右翼政策ではないし、したがって安倍ですら三浦ほどには極右路線全開ではないのですが)。id:noharraら守る会の会員も良くも恥知らずにもこんな極右・三浦を「守る会副代表」にできるもんです。
 この宮里って人は要するに三浦のウヨ仲間に過ぎず、「この間亡くなった右翼活動家・遠藤浩一」同様、世間的には無名の存在です。
 まあ、沖縄の知識人と言った場合、こんな人間の名前を挙げる人はまずいないでしょう。
 上げるとしたら
大田昌秀
 琉球大学名誉教授。元沖縄県知事(1990〜1998年)。元社民党参院議員(2001〜2007年)。著書『沖縄の帝王・高等弁務官』(1996年、朝日文庫)、『新版・醜い日本人:日本の沖縄意識』(2000年、岩波現代文庫)
など、もっと有名な人を普通の人間は上げるでしょうが、極右の三浦にはそういうことは期待できません。
 宮里氏はウィキペディアや三浦のこのエントリに寄れば「1966年生まれの47歳」でこの間亡くなった遠藤*3同様「人生80年時代では明らかに早死に」と言う意味ではかわいそうですが、それ以上の感想ははっきり言って俺にはないですね。別に惜しい人が亡くなったと思わないし、三浦のウヨ仲間では批判対象でしかありません。

「沖縄は基地反対だ」「沖縄は被害者だ」と言ったステロタイプな発想

 やれやれです。もちろん「沖縄にも基地で食ってる人間(基地労働者など)はいます」がそれを理由に「基地反対じゃない」「被害者じゃない」というのは詭弁もいいところでしょう。

天皇の理想をこれからどう考えていくか
宮里立士

 追悼文章で紹介する宮里氏の文章が沖縄問題じゃなくて『天皇』云々ですか。やれやれ。正直、天皇なんて沖縄の伝統文化とはとても言えないでしょうし、今や本土の人間にとっても天皇なんてものは別に「天皇制批判者」でなくてもそれほどの重要性はないですけどね。

昨年十一月、いわゆる「女系」の皇位継承を盛り込んだ「皇室典範に関する有識者会議」の報告書が出て、年末年始、皇室典範の改正がにわかに現実味を帯び、一時は政局にまで発展する様相を呈した。しかしこの二月に秋篠宮妃御懐妊が発表されると、論議は急速に鎮まり、改正案の国会提出は見送られ、それ以降は宮妃の御出産を見守る状況に変わった。

・「皇室典範に関する有識者会議」についてはhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/参照。
会議メンバーのうち「日本史家」の笹山晴生*4東京大学名誉教授、 『皇室法概論:皇室制度の法理と運用』(2006年、第一法規)、『皇室制度を考える』(2007年、中央公論新社)と言う著書がある法律家の園部逸夫氏は天皇制に造詣があると言っていいかもしれませんが他の方は微妙かなと思います。
・女帝問題なんて政局になるような問題じゃないでしょうに。
・幸か不幸か誕生したのは男子の悠仁君で、「党内に女帝反対派を抱え」ウヨとガチ勝負するほどの思い入れが「女帝導入論」にはない自民では女帝導入論が尻すぼみとなり、一方「自民ほど天皇制に思い入れのない野党各党(特に天皇制廃止が持論の共産はそうでしょう)」は女帝導入を論じる動機がないので女帝導入論は今では下火です。これ、悠仁君が男子でなかったらどうだったのか興味深いところですが、その場合でも「今よりは女帝導入論が盛ん」でも「右翼の反対で導入できない」と言う事態に変わりはなかったんでしょうね。

皇室典範の改正とは、日本近代を省みれば憲法改正に並ぶ大事である。

 戦前はそうでしょうが今はそれほどの大事じゃない。大体「女帝制導入」なんて反対してるのはほとんど右翼だけで「世間的には何ら問題視されてない」。
 これが「側室制の導入(批判:女性差別だ、時代錯誤だ、雅子さんがかわいそうだ、など)」、「臣籍降下した元皇族の皇室復帰(批判:女帝*5と違い現皇族とほとんど血のつながりのない人間でいいのか、仮に復帰させるとしてどの範囲で復帰させるのか、など)」など他の案なら賛否両論でしょうが。「後継者不足」を解決する一番現実的な案、国民の反対が少ない案は「女帝導入」でしょう。まあ、昔はこんな事態は全く予想されてなくてむしろ「天皇制の危険性」をなくすため、戦後「いわゆる臣籍降下」がどんどんされたことがこの事態の一因ですが、今更昔のことを言っても仕方がない。
 日本の歴史には「例外的とはいえ」推古天皇とか持統天皇とか女帝が存在したし、世界的にも「英国のエリザベス女王」「ロシアのエカテリーナ2世」など女帝は全然珍しくない。反対する理由なんて本来ないでしょう。
 そもそも「中国に女帝がいない事(則天武后はあくまでも例外です)」「その理由が儒教思想であること」「日本が儒教の影響を強く受けていること」を考えれば「日本の女帝反対論」とは「ウヨが忌み嫌う中国の思想・儒教がルーツ、日本の伝統文化とは言い難い」可能性があるわけです。
 まあ、「女帝制導入に反対する右翼と、厄介なガチンコ勝負してまで女帝制を導入したい」と言う人はあまりいない*6でしょうけど、それは「右翼とのガチ勝負が厄介」「そこまで厄介なことをするほどの興味が天皇制にない(まあ、悠仁君誕生で当面は男系男子がいますので。ただ今の所、皇太子・秋篠宮兄弟と悠仁君しか「今上天皇より若い」男系男子がいないので正直女帝を導入しないと跡継ぎ問題はいずれ表面化しますが)」ってだけの話に過ぎません。たいていの人は「積極的に天皇制を廃止したい訳でもない」が「積極的に応援したいわけでもない」ので「今の天皇が死んだら男系男子が誰もいない、しかも今の天皇が病気がちだ」なんて異常事態にでもならない限り「右翼とのガチ勝負で女帝導入」なんて思わないでしょう。ただそういう異常事態になったら結構右翼の方が「女帝OK」と言い出すのかもしれませんが。

敗戦の翌年十一月に公布された日本国憲法は、第一条に天皇を「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定する。これはその年元旦の、いわゆる天皇の「人間宣言」と併せて、「神権天皇」を否定し、主権が天皇ではなく国民にあることを明確にするための規定であった。それは神話に由来し、国学、幕末の水戸学、尊攘思想を背景に、明治国家が創出した「天皇制」を、弱体化する意図から占領軍主導のもとで「押し付け」られたものである。

 「天皇主権から国民主権へ」「国家最高指導者から象徴へ」「現人神から人間へ」というのを「弱体化」と定義すれば弱体化でしょう。
 ただその弱体化で何か問題が生じたかといったらウヨ以外問題視する人はまずいないと思います。
 今時「天皇主権のままで良かった」という人はウヨ以外いないでしょう。
 そもそも以前、小生が指摘しましたが当時は昭和天皇天皇制について「天皇制を廃止すべき」「昭和天皇東京裁判で裁くべき」「昭和天皇を廃位し別の人間*7を即位させるべき」などという意見が国内外にあったことに注意する必要があります。「天皇の象徴化」を「押しつけ」とのみ見なすのは非常に問題です。「天皇制廃止論」「昭和天皇訴追論」「昭和天皇退位論」を抑え込み昭和天皇の在位を続けるためには「戦前天皇制をそのまま続けること」などは到底出来ない話でした。

人間宣言」は『五箇条の御誓文』を冒頭に置く。

だからって「五箇条のご誓文の偉大さを論じたのがいわゆる人間宣言だ」なんてのは詭弁に過ぎません。「人間宣言は五箇条のご誓文が根拠の一つであり何らウヨが問題視するようなことはないのだ」という「ウヨをなだめるための前振り」に過ぎませんので。そういう前振りが正しいかどうかはここでは論じません。

間接民主制の下で政治権力者を選び、その上に国政に直接、携わらない長い伝統に根ざした君主を戴く体制は、政治の安定に大きく寄与している。

そんな事実はどこにもありません。日本の政治で長く自民党が議会過半数を維持する政治が続いたのは天皇制とは何ら関係ないでしょう。
 大体、それなら「天皇制、国王制のない国の政治が皆、不安定か」と言ったらそんなこともありません。

天皇制」批判の大きな柱に、天皇・皇族の特権的身分を強調し、人間平等に悖る理不尽なものとして廃止を唱えるものがある。

小生も全く同感です。もちろんこの辺りは価値観の違いになるわけですが「生まれながらにして特権的身分についている」というのは天皇制に限らず国王制も含めて小生は不平等で理不尽なものだと思います。

しかし「貧困」が見える形で存在せず、少しばかりの才覚で巨富を手にすることもできる現在の日本で、常に自己抑制が求められ、プライバシーも無く、何よりも公事が「一分の隙も無く」、優先されるその日常とは、嫉妬するには程遠い生活である。

・「貧困が目に見える形で存在せず」ってこの人には「ホームレスや派遣村」は見えないんでしょうか。宮里氏や三浦に限りませんが貧困者にとことん冷たいのが日本の極右の特徴です。この点(貧困者への冷酷さ)だけでも日本極右は「彼らが敵視する左翼」に論理的、倫理的に敗北していると言っていいと思います。
・「常に自己抑制が求められ、プライバシーも無く」と言うことについて言えば後で、宮里氏が指摘するように「自分の意思で嫁入りした女性(美智子さん、雅子さん、紀子さん)」ならともかく「生まれただけでそんな目に会うのは理不尽だ」という廃止論もありますし、また「今の皇室の状況は異常すぎる、秘密主義ではいけないがもっとプライバシーに配慮すべきだ」という形での現状批判もあります。

皇太子妃の「心の病い」の健やかな回復が待たれて久しいが、これも皇室の、緊張に囲まれた生活に一般から入ると、それがいかに重く圧し掛かるかを示している。

 まあ、ウヨの中には「美智子さんや紀子さんは健康だ」として雅子さんの「心の病」を「雅子が弱いからだ」と悪口雑言する輩もいますが、宮里氏はそこまでの人非人ではないようです。「元外務省キャリア女性」が「心の病」とはびっくりですが、外務省とはまたストレスの性質が違うんでしょう。

先に見たように占領軍ですら全面否定できなかった「神格」

やれやれですね。単に「(人間宣言は)歴史的に天皇制と宗教(神道)につながりがあることは否定しない」レベルの話をこう強弁するんですか?。まあ、その程度の話を「神格は否定できなかったんだ」と言いたければ言えば、と言う感じです。
 実際問題「歴史的にはつながりがある」のに「ない」と言えるわけもないでしょう。もちろんあるからと言って「戦前のような神道を国教化する扱い」が出来ないのは言うまでもありません。

「象徴」に積極的意味を見いだそうとする人びともあり、年を経るにつれ、後二者が多数派を形成していった。

ぶっちゃけ「後二者が多数派」なんて事実はないと思いますけどね。大抵の人間にとって天皇なんてそんなに重要な存在ではないですから。

「絶対者」を持たなかった日本近代に、その代用者として天皇が持ち出されたとは、いまや言い尽くされた通説だろう。

まあ、ばかばかしいですね。「絶対者」ってのは「キリスト教の神」のことでしょうが天皇はそんなご大層なモンじゃないでしょう。

今上天皇は、古希を超えた今でも特別の事情がない限り、自ら宮中の祭祀を熱心に執り行われ、その御姿勢は同じく祭祀を重んじられた昭和天皇に優るとも劣らないという。神事に臨む前の準備とその最中の身体的精神的緊張は非常なものであり、極めて負担の重い勤めという。これを知る皇太子は自分がその勤めを引き継ぐことができるか自信が無く、それが囁かれる皇室内での皇太子御夫妻の「孤立」の背景にあるのではないかとも推測されている(原武史*8「対談『宮中祭祀』から見た皇室」『Voice』平成十七年八月号)。

 皇族もその周囲も、誰も「少なくとも公的には」そんな事は言ってないのに、部外者に「皇太子夫妻は皇室内で孤立してる」と決めつけられたあげく「宮中祭祀」云々と「その理由」についてまで詮索されるのだからまあ、皇太子夫妻も「ご苦労様ですね」というか、苦笑せざるを得ません。こういう態度ってのははっきり言って皇太子夫妻に無礼じゃないかと思うんですが、ウヨの価値観では違うんでしょうか?。もしかして「秋篠宮天皇になって欲しい」とか思ってる?
 まあ、それはともかくこの一文からはウヨにとって「天皇宮中祭祀」がいかに大事かがわかります。一方大抵の日本人はおそらく天皇について語るとき「宮中祭祀」のことよりも「皇室外交」とか「この間、被災地に天皇陛下がいらした」とかの方が思い浮かぶわけです。
 宮中祭祀なんてものは「皇室外交」「被災地訪問」なんかと違って日テレ「皇室日記」、TBS「皇室アルバム」、フジ「皇室ご一家」といった皇室テレビ番組では放送されない*9し、神社本庁職員ならまだしも大抵の日本人には神道への思い入れなんかありませんから。

日蘭交渉史と日本文化史の泰斗である板澤武雄

まあ、こういう所で持ち出される人間というのは「ガチ右翼」と相場が決まっています。
実際、ウィキペ「板沢武雄」を読むだけでも

論文
・「明治維新南朝の遺裔」(『歴史と地理』19巻3号、1927年3月)
・「国史に現はれたる世界観の発展に就て」(『鴨台史報』3輯、1935年1月)
・「松平定信と神武の道」(『日本学研究』3巻2号、1943年2月)
・「私達の生活攻勢:皇國女性への信頼」(『婦人公論』29巻3号、1944年3月)
著書
・『国史を貫く肇国精神』文部省教学局、1940年
・『神武の道』大日本雄弁会講談社、1942年
・『天壌無窮史観』日光書院、1943年

など「南朝」「国史」「神武」「皇国」「肇国」「天壌無窮」とウヨ愛用ワードをタイトルにつけた「ドヒャー、何この右翼おじさん」と言いたくなる論文、著書のラインナップを見ることが出来ます。
 こうしたウヨぶりがたたって、彼は戦後、公職追放で東大教授をやめ、一時は郷里に戻り、実家の寺をついでいたそうです(ウィキペ「板沢武雄」参照)
 ただし一方で板澤に『日蘭貿易史』(1949年、平凡社全書)、『シーボルト』(1960年、吉川弘文館人物叢書)などの著書があり、板澤が「日蘭交渉史の草分けで大家」であることも事実のようです。

戦後が還暦を迎えた今、日本人がしばらく真剣に向き合うことを避けてきた、天皇を、改めて考え直す必要に迫られつつあるように思われる。

 避けてきたも何も多くの人間は「別に天皇制廃止論者でなくても」天皇にウヨほどの興味も思い入れもないでしょう。
 というかその種の思い入れがないからこそ「お茶の間のアイドルのワンオブゼム」的扱いで戦後、天皇制は続いたわけでそういう「天皇の大衆化」「天皇のアイドル化」という事態はウヨにとっては「不快で仕方がない」のでしょうが、もはやどうにもならないでしょう。


■「伝統と革新」第15号(四宮正貴氏編集)に「『永遠の0』と第二次安倍政権」という原稿を書きました。(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2406
 まあ、三浦も「第二次安倍政権誕生後」は「俺達右翼の春が来た」とでも思ってるのか、「昔はそれなりに隠していたウヨの本性」がもろだしですね(とはいえ安倍の支持理由は世論調査ではもっぱらアベノミクスであって右翼政策ではないし、したがって安倍ですら三浦ほどには極右路線全開ではないのですが)。id:noharraら守る会の会員も良くも恥知らずにもこんな極右・三浦を「守る会副代表」にできるもんです。
 この四宮って人は「右翼結社・一水会顧問(ウィキペ「四宮正貴」)」という、つまりは酒井信彦だのと同レベルの極右ですし、雑誌「伝統と革新」の寄稿メンバーも

(注:三浦の)他には田原総一郎佐藤優中山成彬伊藤哲夫西村真悟西尾幹二他各氏が登場しています。

ということで「極右政治家・中山成彬*10西村眞悟*11」「安倍ブレーン5人組*12の一人と言われる右翼シンクタンク日本政策研究センター代表の伊藤哲夫」「元つくる会会長の西尾幹二」と右翼だらけです(田原総一朗氏、佐藤優氏は右翼とは言えないでしょうが)。
 『永遠のゼロ』は「安倍の引きでNHK委員」にしてもらい、「田母神の都知事選挙応援演説」を行いその中で、「南京事件否定論」をぶちかました極右・百田尚樹の作品です。
小生、この作品を読んだことはありませんが、巷の噂に寄れば特攻隊を賛美する「田母神支持者の百田らしい」極右小説だそうです。いや失敬、週刊漫画アクションでの漫画版「永遠のゼロ」を読んだことがありますが「特攻隊の生き残り」とかいう極右老人が「特攻隊の何が悪い」と放言するシーンがあってあまりの酷さにそこで読むのを辞めた記憶がありますね。別に「書評家」とか、仕事で読んでるんじゃないんだから苦痛な読み物は読むのはやめますね。
 まあ、大して面白い漫画でもなかった*13し,当時から「ルパン三世連載時代など全盛期と比べたら、売り上げが明らかに下降線にあった」週刊漫画アクションは置いてる本屋、コンビニが少なかった*14ので、それ以前も読んだり読まなかったりでストーリーは全く覚えていませんがとにかくそこで読むのは辞めました。
 それはともかく、「永遠のゼロ」と第二次安倍政権と何の関係があるのか。何の関係もないでしょう。単に作者の百田が安倍シンパなだけです。それなのにこじつけて第二次安倍政権絶賛に持っていくのだからいかに三浦が極右かと言う事です。
 さて三浦が「一部紹介する」と言う部分に突っ込んでみましょう。

「永遠の0」は反戦文学である

こともあろうに「コミンテルン陰謀論」田母神の応援演説をしたあげくその演説で「南京事件は捏造だ」なんていう極右・百田に「反戦文学」が書けるとは俺は思えませんけどね。

この作品への場違いな批判は、百田氏が安倍晋三を総裁選以前から評価し、雑誌等で民主党政権批判を中心とする幾つかの対談を行ったこと、ツイッターなどでしばしば誤解されがちな発言を行っていることからきているのだが

・「場違いな批判」と言うなら誰がどこでどういう「永遠のゼロ」批判をしてるのか、それを三浦は何故場違いと思うのか具体的に書けばいいのに書けないところが三浦の情けないところです。「具体的に書けばかえって墓穴を掘る」と三浦も自覚しているのでしょう。
・「誤解されがち」も何もツイッターその他で公然と「南京事件は捏造」「河野談話は撤回せよ」などという極右暴言を吐いてるのが百田です。百田が「歴史捏造主義極右」であることは否定できない事実です。
・そもそも「誤解されがちな発言」と書きながら百田の発言の何が「誤解されがちな発言」なのかキチンと書けない当たり三浦は卑怯者ですが。

「永遠の0」の本質を最もよく表しているのは、貧しさと孤独から海軍に志願し、戦争で片腕を失った元兵士の言葉だ。彼は戦争は最悪のものだが、だれにも戦争をなくすことは出来ないと断言した上でこう語る。
「いいか、戦場は戦うところだ。逃げるところじゃない*15。あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない。戦場に出れば、目の前の敵を撃つ、それは兵士の務めだ。和平や停戦は政治家の仕事だ。違うか。」

 やれやれですね。「戦争をなくすことは出来ない」だの「あの戦争が侵略かどうかなんか関係ない、現場の兵隊は闘うしかなかった」ってのは明らかな侵略戦争正当化じゃないですか。
 「和平は政治家の仕事」って「天皇主権」など様々な問題はあれども、一応当時の日本は「選挙で政治家を選んでいた」んですけどね。完全な独裁国家ならまだしも「政治家が悪い、国民は悪くない」で当時の日本国民は逃げられやしません。
 つうかこの百田・三浦流の屁理屈なら「全ての戦争が正当化できる」でしょうが彼らも「ナチドイツのポーランド侵略や旧ソ連のアフガン侵攻」まで「現場の兵士は闘うしかなかった、侵略かどうかなんか関係ない」として擁護する気はないでしょう。単に詭弁で日本の侵略戦争責任をあいまいにしたいだけです。
 しかも「和平は政治家の仕事だ」というなら「和平しなかった政治家の責任は追及するのか」といったらそれもしないで単に戦争相手国(中国や米国)に悪口雑言ですからわけですから話になりません。

このような元兵士を「自分の侵略戦争への加担への反省がない」などと論難する輩は、多分戦争中には「お前は皇国臣民としての意識、大東亜聖戦への決意が足りない、この聖戦の意義を理解していない」と罵ったに違いない連中である。

・何を根拠にそう決めつけるんですかね。戦前から戦争を批判し続けた人だって少数ながらいるわけです。
 いや、そもそも戦争経験者全てがこの種の居直り人間だと決めつける方がおかしいでしょう。まともに反省してる人間も勿論いるでしょう。
 また、主観はともかく、この元兵士の発言は客観的には戦争に対する無反省な居直りでしかないわけです。頭ごなしに糞味噌に批判するのは問題かも知れませんがさすがにこんな暴論を何ら批判しないわけにはいかないでしょう。
つうかあの戦争を侵略戦争として否定的に評価する人間に対して現在進行形で『あの聖戦の意義を理解していない、お前は自虐史観だ』などと罵ってるのが三浦らウヨでしょうに、何で

お前は皇国臣民としての意識、大東亜聖戦への決意が足りない、この聖戦の意義を理解していない」と罵ったに違いない連中

云々なんて事が書けるのか、全く訳がわかりません。

ごく普通の生活者ならば、そこが戦場であれまた現在のようなかりそめの平和の中であれ、自分の日々の仕事の意義や社会的役割などをいちいち語ることも考えることもない。ただ一定の職業論理のもと、時には仕事達成の喜びを、多くは先の見えない業務をただ黙々とこなすことに充実感と倦怠の両方を覚えつつ時を過ごしてゆくのみである。

 その仕事の社会的意義が何であるかなんて難しいことは考えなくていい、「義務を果たした喜びを感じればそれでいいではないか」なんぞという詭弁で日本人の戦争荷担責任を曖昧にしようとはいい度胸です。
 この三浦の詭弁のやり口なら「どこの国の国民の戦争協力」とて「国民の義務を果たしただけ」として正当化出来るでしょうし、それどころか「ゼネコン社員の政治家への贈賄」など、あらゆる反社会的行為が「会社への義務を果たした喜びを感じればそれでいいではないか」ということになりかねません。バカも大概にして欲しいもんです。そんな小説「永遠のゼロ」のどこが反戦文学なのか。
 つうか大抵の人間は自分の仕事に「それなりの社会的意義」を感じてると思いますけどね。「仕事の社会的意義」なんてのは三浦が言うほど難しいことじゃない。
 1)よほど酷い反社会的なことをやってる企業(例:麻薬の密売)とか
 2)企業の業務自体はまともなのだが、いわゆるブラック企業のため、長時間労働などで社員がまともな精神状態になく、社会的意義を感じられるような精神状態にない(ワタミすき家など、飲食業はそういうところが多いと言われている)
とか異常な状態でもない限りそれなりの「社会的意義」を感じてるでしょう。「お客が喜んで嬉しい(営業マン)」「患者が治って嬉しい(医者)」などというのは充分社会的意義の訳です。
 「社会的意義のみえない仕事」ほどつらいものはないでしょう。「穴掘ってその穴をまた埋める」みたいな無意味な仕事で「義務を果たした喜び」なんか感じられるかといったら感じられるわけがない。
 いやもちろん、「社会的意義が見えにくい仕事」ってのはあるでしょう。たとえば「総務部総務課山口六平太」の「総務」ってのは時として「社会的意義が見えにくい」でしょう。別にお客を直接相手してるわけではないので。でもあれだって「見えないところで会社を支えていく」という意義があるわけです。
・大体「社会的意義なんかどうでもいい、俺の所属組織が俺にそれを望むからその義務を果たすんだ」ってそれ暴力団とかカルト宗教とか反社会的集団の行動原理と一緒じゃないですか。
 「ヤクザ組長やカルト教祖の命令ならそういうのは駄目だが国家の命令ならそれで問題ない」なんてそんな変な話はないでしょう。
・つうか自分で軍人を選んだ職業軍人ならともかく「徴兵された兵隊」に「義務を果たした喜び」なんてあるんですかね。別に好きで兵隊になったわけじゃないですからね。ましてや日本の軍隊なんて「兵站無視で餓死者続出(例:インパール作戦)」だの「上等兵のしごきで酷い目にあった」だのろくなエピソードがない場所なんですが。

「永遠の0」は、このようなセリフによって、戦争中の兵士の意識を限りなく現在の私達の日常意識に結び付けることに成功し

成功してるんですかね?。つうかそんな居直り発言でなきゃ「日常意識と結びつかない」なんてそんな変な話はないでしょう。

「永遠の0」で、やや戯画化*16された形で描かれているジャーナリストは、このような知識人の典型的な姿である。彼が「特攻隊は自爆テロと同じ、洗脳を受けた狂信的な集団だった」と決めつけ、元兵士たちを激怒させるシーンが本作のクライマックスの一つ

 『「永遠のゼロ」で一番最悪のシーン』『そもそもそんな人間がどこにいるのか、わら人形叩きではないのか』『そういうわら人形叩きで特攻を賛美したいだけではないのか』などと酷評されるシーンです。そうした酷評の例として法華狼の日記「『永遠の0』で広がる視界はゼロ」(http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130817/1376703356)を紹介しておきましょう。
 そもそも「特攻とは国策であり兵隊の自発意思による自然発生ではない」と言う点に注意が必要でしょう。「自然発生ならやっていいわけではない」が「国策として事実上強要された代物」が評価できるわけないでしょう。
 ちなみにこの部分は映画化ではオミットされたそうです。興行的な意味で正解と言えるでしょう。こんなウヨシーンをそのまま映画化したら明らかに興業に響いたでしょう。

「彼ら(特攻隊員)は英雄でもなければ狂人でもない。逃れることのできない死を如何に受け入れ、その短い死を意味深いものにしようと悩み苦しんだ人間だ。」

 結局なんだかんだ言って百田と三浦は特攻を賛美するわけです。
 「逃れることの出来ない死」ね。冗談じゃありません。別に特攻は「ガン死」のような意味での「逃れられない死」じゃない。
 「特攻作戦」という外道の戦術によって不当にも当時の大日本帝国に強要された死じゃないですか。本来逃れられて当然の不当な死です。日本政府による殺人以外の何物でもない。
 別に「戦争は国家の殺人」などという人道主義に立たなくても特攻は「国家の殺人」です。
 「死ぬ危険性が極めて高い戦術」ならともかく「最初から死ぬことが義務づけられてる戦術」「100パー死ぬ戦術」なんて異常な戦術「特攻」は非常識以外何物でもない。日本の戦争史でもこんな非道な戦術は太平洋戦争末期にしかありません。
 それを批判しないで美化してどうするのか。じゃああらゆる「特攻的戦術(例:自爆テロ)」で同じ事を言うのかと言ったら百田も三浦もそうではないでしょうし。ご都合主義にも程があります。

我々の中には天皇陛下のために命を捧げたいと思っているものなど一人もいなかった。戦後、文化人やインテリの多くが、戦前の日本人の多くが天皇を神様だと信じていたと書いた。馬鹿げた論だ。そんな人間は誰もいない

 何を根拠にこういうんですかね。明らかに戦前の天皇は神格化されていたわけです。皆がそれを支持したとは言えないでしょうが一人も支持しなかったなどと言うのは詭弁もいいところでしょう。
 そして神格化はともかく「天皇は偉大だから命を捧げろ」という建前は明らかに当時の日本人の言動を規定していたわけです。教育勅語軍人勅諭にはそういう主旨の事が書かれてるわけですし。
 本心そう信じた人間もいればそう信じてなくても「調子を合わせざるをえなかった」わけです。少なくとも「天皇を批判して何が悪い」と公言できるほど戦前の日本は天皇批判が自由に出来たわけではありません。今と違って不敬罪もありましたしね。

戦前、新聞は大本営発表をそのまま流し、毎日、戦意高揚記事を書きまくった。戦後、日本をアメリカのGHQが支配すると、今度はGHQの命じるままに、民主主義万歳の記事を書きまくり、戦前の日本が如何に愚かな国であったかを書きまくった。

 こういう描き方自体が右翼の典型的ステレオタイプでしょう。話は「メディアは戦前は大衆や権力に迎合し戦争を翼賛し、戦後はまた大衆や権力に迎合し戦前批判をした」と言うほど単純じゃありません。
 大体それが仮に事実だとして「大衆や権力への迎合は問題だ」とは言えても「日本のした戦争は間違ってない」だの「戦後民主主義は無意味」だの言う話には全くならないのですが無理矢理そういう話に持っていくのが百田や三浦ら極右の訳です。

この元兵士は、戦争に国民を導いたのは軍部の専横以上に、日露戦争講和時の講和反対報道に始まるジャーナリズム、特に新聞社の好戦的で非理性的な好戦報道によるところが大きいと語り

 メディアに責任がないとは言いませんが何でもかんでもメディアの責任にするのもまた無茶苦茶でしょう。
 そして「戦前メディアの好戦報道」とやらを非難する三浦や百田が「現代の好戦報道」とでも言うべき「反中国・嫌韓国メディア(産経や月刊正論、チャンネル桜など)」を批判するかといったら批判するどころか評価しているのだから「全くどういう脳をしているのだろう?」と心底呆れます。

過剰な他国への贖罪意識

 過剰どころか「南京事件はなかった」だの「河野談話は撤回しろ」だのいう、百田や三浦のような輩には「贖罪意識」などかけらもないでしょう。
 そして他国を侵略しながら「贖罪意識ゼロ」で他国(中国や韓国)を怒らせ、他国に非難されると逆ギレするような百田や三浦のような輩には「もっともっと贖罪意識が必要」でしょう。
 安倍のような「戦争に無反省な歴史捏造主義者」を首相にして恥じない日本人マジョリティも「もっともっと贖罪意識が必要」でしょう。

イデオロギーで歴史を論じることを退けた

 太平洋戦争に限らずイデオロギー抜きで歴史を論じることなど出来るわけがないでしょう。
 たとえば「スターリンの粛清」や「ナチドイツのホロコースト」を「イデオロギー抜きで」つまり「善悪判断抜きで」議論できるわけがないし、「善悪判断抜きで」議論しなきゃ行けない理由がどこにあるのか?
 それとも、「太平洋戦争だけはイデオロギー抜き、善悪抜きで議論しないといけない」のか?。
 それは単に百田や三浦が「戦前日本の侵略戦争の悪」を戦前礼賛ウヨとして非難されたくないだけじゃないですか。
 大体こういう三浦らが一方で「自虐史観」だの何だのと右翼イデオロギーまみれで歴史を語るのだから呆れます。彼らが目の敵にするイデオロギーとは彼らが「左翼」「反日」「自虐」扱いする「彼らが嫌いなイデオロギー限定」であってそれを「詭弁でイデオロギー中立であるかのように強弁している」だけです。


【追記】
1)「TAMO2」とかいう三浦のウヨ仲間らしき人物*17が「すばらしい書評」と言ってるのには吹き出してしまいました。いや、俺には「TAMO2」のような「三浦のお仲間ウヨ」の考えることはさっぱりわかりません。ちなみにid:noharra先生も「守る会の会員」として三浦のこの書評についてどう思うか「TAMO2」のように「すばらしい」と思うのか、是非語ってほしいもんです。まあ、黙りで逃げ続けるのはわかってますけど。
・なお、「TAMO2」の名誉(?)のために断っておけばウヨの「TAMO2」ですら「百田氏の南京事件認識はいかがな物かと思う」と言ってることを指摘しておきます。
 「いかがな物か」とはまたウヨらしい随分と腰の引けた批判で「はっきりと『南京事件否定論は悪質なデマで、中国人を誹謗する百田氏は許せない』とでも言えよ!」と腹立たしく思いますが、三浦のように「百田の南京事件認識(要するに南京事件否定論)」について何の感想も言わずにごまかすのよりはまだ「TAMO2」の方がマシです。
 で、三浦はおそらく「TAMO2」の「百田氏の南京事件認識はいかがな物か」と言う部分は完全にスルーするでしょうね。いやそれどころか「TAMO2」への応答自体をしないんじゃないか。
 三浦とはそういう卑怯者の歴史捏造主義極右だと俺は認識しています。
2)三浦は「TAMO2」のコメントに応答していますが予想通り「百田の南京事件認識」については全くノーコメントで逃げていますね。実にわかりやすい男です(苦笑)。


■台湾の学生、国会から退去へー李登輝*18は行動を称賛 : 台湾は日本の生命線!
http://freeasia2011.org/japan/archives/3231
・三浦が宣伝するアジア自由民主連帯協議会のサイトに掲載された文章です(なお、三浦は協議会の理事です)。
李登輝の政治力が今どれほどの物なのか、学生の立法院占拠に彼がどう関わってるのかは素人なのでよくわかりません。
・まあ、ばかばかしいですね。「馬政権が中国と締結しようとしている経済協定の是非」はともかくそれは何ら「民主主義がどうこう」という話ではない。
 学生諸君が反対してるのも「締結したら安い中国製製品で台湾産業が打撃を受ける」という理由が主たる理由で「日本のTPP反対論」と同じです。したがって「馬英九*19政権を批判するのなら」、誰かの妄想・はてな版「台湾関係雑感、あるいは台湾立法院占拠支持者中の反中無罪の見分け方」(http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140331/1396273459)が指摘するように「安倍政権のTPP交渉」も批判しないといけない。だがそんなことは日本ウヨはしないのだから、「ただ反中国であること」は明白です。
 『馬政権は手法が反民主的だった、強行採決しようとしていた』と言っても「日本ウヨが支持する安倍も特定秘密保護法強行採決している」ので何の言い訳にもなりません。
 「馬政権を批判するなら、馬政権と同じ事(TPP交渉、強行採決)をやっている安倍を何らかの形で批判しないと筋が通らない」のですが日本ウヨにそんな道理は通用しません。大体日本で同じような「国会占拠」が起こったら占拠理由に関係なく「暴力反対」というのが日本ウヨでしょうに。
 なお、日本ウヨが放言する「経済協定で統一の方向に進む」は全くのデマカセです。経済交流が即、統一を招くなんてことはあるわけもないでしょう。もちろん中国は「この協定を統一の方向に利用したい」でしょうが協定自体はそういうことが目的ではありません。
 まあ、この協定がどうなるかは今のところわかりません。締結はされるでしょう。学生諸君も主流は締結それ自体は容認するようですから。問題は「何らかの修正」になるわけですがそれがどうなるかはまだわかりません。
 なお、今回の退去劇は今のところ「双方痛み分け」でしょう。退去に当たって「暴力学生に屈服しない」などといったつっけんどんな態度がとれず、「学生の意見にも耳を傾ける」と言わざるを得なかった点では学生が勝利し、馬氏は敗北しました。最低限、協定について「何らかの修正」が必要になったわけです。
一方
1)意見を一本化して、「これでやってくれ」と言う提案が学生に出来ず、そうした提案が出来なかった以上、馬政権も具体的政治行動が出来るわけもなく「耳を傾ける」というだけで終わったという点
2)なんだかんだいって学生を平和的に退去させた点
 学生も、意見一本化が出来ない以上もはや退去するしか手はなかったのでしょうが。誰かの妄想・はてな版『台湾関係雑感5・学生側が代表を派遣できない理由』(http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140401/1396281001)が

学生側が交渉に応じないのは、意見を取りまとめることができていないからと思います。だから代表に一任できず、派遣も出来ない。2週間続いた占拠を終わらせる落としどころを見失っている状態ですね。
(中略)
言うまでもないですが、10万人規模のデモが整然と行われたということは、このデモが政権打倒などと言った動きにならないことを暗示しています。
(中略)
後は立法院を占拠している学生らが根をあげるか、民衆が飽きるかするまで、交渉の用意を示しつつ待てばいいだけです。

と指摘したとおりの事態になったと言えるでしょう。
3)締結それ自体は事実上認めさせた点(問題はどう修正するかに移った)
では学生の敗北、馬政権の勝利でしょう。


■有田氏のツィートから横田パパの「巣くう会離れ」に期待したい

有田芳生
平壌・龍山会」が結成されました。目的は墓参と遺骨収容で、会員は現在46人。来賓挨拶は横田滋さん、芦沢一明(注:渋谷)区議、そして私

 要するに「墓参と遺骨収容」が目的ですからこの会のメンバーは巣くう会制裁路線には否定的でしょう。制裁なんかしてたらいつまで経っても墓参も遺骨収集も出来ない。
 巣くう会の方も露骨に彼らを敵視していたかと思います。そういう会で横田滋さんが挨拶する。例の孫との面会といい「願望込みですが」どんどん巣くう会から心が離れてるのかなという気がします。


大東亜戦争*20こそ日韓連帯の原点である(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2398

 以下は「月刊日本」に昨年掲載した原稿です。
(中略)
 正論に初出した文章全文は、拙著「収容所での覚醒 民主主義の堕落」(高木書房)に収録されています

・要するに原稿の使い回しですね。「そんなんでええんか」と個人的には思いますが。
・最近は個人ブログには平凡なネタの多かった三浦ですが久々にタイトルからして「ネトウヨエントリ」とわかるエントリ登場です。ネトウヨ・三浦小太郎を自らの入ってる「守る会」の副代表に仰ぎながら、「僕はアンチネトウヨ」と虚言を吐いて恥じないid:noharra先生には改めて呆れます。こういうネトウヨ男・三浦が副代表の「守る会」に入って恥ずかしくないとはid:noharra先生の人間性を疑いますね。
 まあ、正直三浦のエントリにいちいち突っ込む気にもなりませんね(追記:でも後で一部突っ込みます)。タイトルだけで呆れて二の句が継げない。
 言うまでもなく日本は「大東亜戦争以前」から「江戸時代の朝鮮通信使」とか韓国とはつきあいがあるわけです。でそうしたつきあいを「日韓連帯」と評価せず、「大東亜戦争後の日韓関係」を「日韓連帯の原点」と評価する理由は何なのか。まあ、三浦に聞いてもまともに答えられないでしょうね。どうせウヨ仲間にしか通用しない意味不明な珍論が炸裂するだけでしょう(追記:どうも三浦は大東亜戦争期に朝鮮人に徴兵制が適用されたことを「日韓連帯の原点」と言いたいようですがそう考える理由がさっぱりわかりません)。

私は「従軍」慰安婦問題など*21における韓国側の主張にくみしない

慰安婦問題について言えば「慰安婦違法論」に立つのは韓国だけでなく「河野談話(日本の公式見解)」「国連のクマラスワミ報告、マクドガル報告」「米国下院決議」なども同じですので「韓国側の主張」云々と三浦が言う事自体が極めて不当な物言いです。大体慰安婦は韓国人限定じゃなくてフィリピン人やインドネシア人などもいますし。
・「従軍」にわざわざカギ括弧を三浦がつけてるのはどういう意味なんでしょうか。もしかして「従軍じゃない、勝手についてきただけだ」とでも言いたいのか?。そういう「日本軍と関係ない」という言い訳は吉見義明氏らの研究によって完全に崩壊してるので恥知らずなことはやめて欲しいモンです。
・仮に『従軍慰安婦』と言う言葉のどっかにカギ括弧つけるのなら「従軍」ではなくて、「慰安」でしょうね。慰安とは日本語の意味としては別に「性的サービス(売春)」限定じゃないからです。
 戦場で活動していたという歌手・淡谷のり子なんぞも「兵隊相手に慰安活動をしていた婦人」と言う意味では「慰安婦」になってしまいます。
 まあ、日本軍も「売春」と公言するのは恥ずかしすぎて「慰安」と言う言葉でごまかさざるを得なかったわけですが。
・「慰安婦問題での韓国の主張」にどう与しないのかまともに説明できる物ならしてみろと言いたい。どうせ「河野談話否定論」でしょうが。河野談話否定論者・三浦を「自分の入ってる『守る会』の副代表」にしながら「僕は河野談話支持者です」と虚言が吐ける恥知らずが「親愛なるid:noharra先生」です。先生曰く「1974年に松下昇に出会っていた」そうですから、「1970年代生まれの小生」より彼は年上の訳ですが彼のような恥知らずには「人生の先輩」などと言う意識は到底持てません。ただただ軽蔑の対象でしかありません。

近代化=欧米化というものは、必ずや前近代の美徳や伝統を破壊する宿命を持つのだ。

 植民地支配の問題点と言うのはそういうもんじゃないでしょうに。いや「宗主国による近代化」にはそういう面(伝統破壊)はあるでしょうがそれだと「明治維新での新政反対一揆」「イギリスのラッダイト運動」など「非植民地での近代化批判運動」と「植民地の抵抗運動」が全くイコールになってしまいますがそれはおかしいでしょう。

日本統治下、朝鮮半島では民衆も知識人も、多くは他民族に支配される悔しさはあれども、自ら率先して、身分制度から解放された朝鮮民族としてのナショナル・アイデンティティを持ちはじめていった。

やれやれですね。この三浦の文章の「日本統治下」を「チベット解放後」、「朝鮮半島」を「チベット自治区」、「身分制度」を「農奴制度(あるいは封建制度)」、「朝鮮民族」を「チベット族」と書き換えれば「チベット解放で農奴制度(あるいは封建制度)が崩壊したことは評価すべきだ」という中国に好意的な主張に変貌するわけですが、三浦は、あるいはid:noharraはそういう主張を支持するんでしょうか?。まあ、支持しないのでしょうがそれならば何故支持しないのか、まともに説明できるものならばしてほしいものです。

3・1運動後には武断政治を改めるなどの柔軟性があり、

 それ柔軟性って言うんですかね。武断統治に反発が強まってきたから「多少ソフトにしただけ」じゃないですか。日本以外でも古今東西で良くある話です。そして「独立を認めないこと」や「ソフトな支配にしても刃向かう奴には弾圧を加えること」は変わらないわけです。
 また「武断政治を改めた」といったところで歴代朝鮮総督が「3/1事件以前も以後も」皆軍人総督だったことは所詮「日本の朝鮮植民地統治とはそういう物だった」事を示していると思います。
 ちなみにウィキペ「台湾総督府」によれば台湾総督は大正デモクラシーの影響からか、大正時代に「文民総督」が誕生しますが、昭和に入って戦争色が強くなると再び総督は軍人総督になります。

大東亜戦争の真の勝者はどう見てもスターリンソ連である。

・そんなことはないですね。米国も勝者と言っていいでしょう。第二次世界大戦前は米国よりも英国やフランスの政治的位置が高かったと俺は思いますが、「米国の力なしではナチドイツが打倒できなかった」ため、欧州における米国の位置は浮上しました。その結果、米ソ冷戦が始まるわけです。
・つうかそれ(スターリンが勝者)が事実であるとしても「日本がバカだった」ということにしかならないんですけどね。大東亜戦争を始めたのは日本ですから。それともコミンテルン陰謀論でも唱える気でしょうか?

後には対立することになるが中国共産党政権誕生への道を開いた。

 当時はまだ表面化していませんが「後には」どころか当時から中ソの仲はあまり良くありません。というのも「内戦での蒋介石勝利」を予想したスターリンはろくに中国共産党を支援しなかったからです。当然、ソ連の支援もたいしたことはなく「中国共産党政権誕生への道を開いた」とはとても言えないでしょう。つうか「国民党政権がハイパーインフレなどの失政で支持を落としていたこと」を無視するのはいかがなもんでしょうか。つうか日本が日中戦争なんか起こして蒋介石の「共産党打倒戦争」を妨害したことが明らかに「共産党の内戦勝利」で大きかったと思いますが何故か三浦はそうした認識をしないようです。まあ、「歴史にイフはない」ですし、「日中戦争がなければ共産党が内戦で敗北した」と言えるかわかりません。が、客観的に見て日中戦争蒋介石にとって「共産党打倒作戦が出来ない」と言う意味でも「日本との戦いで国民党軍の戦力が消耗する(まあ、これは共産軍も同じかも知れませんが)」と言う意味でも迷惑な話だったでしょう。『皇軍に感謝した毛沢東?』(http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/moutakutou.html)が紹介するように、後に毛沢東も「日本のおかげで内戦に勝利できた」とブラックジョークを飛ばしてるわけです。

日本統治下、大東亜戦争において、まず「日本国民」としてのナショナリズムを抱きつつあった人々は、戦争後、韓国兵として再び「祖国防衛」に立ちあがった。

だから何だと言うんでしょうか?
大東亜戦争時代に日本軍に徴兵された韓国人が朝鮮戦争でその経験を生かして北朝鮮軍と戦った。だから北朝鮮に勝利できたのは日本のおかげだ、感謝しろ」とでも言いたいんでしょうか?
 それが事実だとしても単なる結果論に過ぎないでしょう。当たり前ですが、別に朝鮮戦争を見越して日本が韓国人を徴兵したわけじゃない。そしてそんなことは「日韓連帯の原点は大東亜戦争」なんて話じゃないでしょう。
 大体「日本が朝鮮を植民地支配したこと」が「ソ連軍介入による北朝鮮誕生」の一因の訳ですが、恐れ入ることにそういう理解は三浦にはないようです。

このことを韓国が、そして日本が認識した時、日韓関係はまったく新しい次元に入るだろう。

 やれやれですね。単に「韓国は日本の統治時代を感謝しろ、そうすれば日韓関係は新しい次元に入る」という暴言です。そんなことあるわけもないでしょう。どこまで三浦とは非常識なのか。そしてこんな愚か者・三浦を会の副代表に担いで恥じないとはid:noharraら「守る会会員」はどれほど愚かで恥知らずなのか。


■元ハイ・ファイ・セットメンバーの山本俊彦さん、天国へ(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2388
 普通のエントリなので普通のコメントになります。

 ヒット曲「翼をください」で知られるフォークグループ「赤い鳥」のメンバーとして活躍。赤い鳥の解散後の昭和49年、メンバーだった妻の山本潤子さん、大川茂さんとともに「ハイ・ファイ・セット」を結成。

 ちなみに元「赤い鳥」メンバーのうち、後藤悦治郎平山泰代夫妻は「紙ふうせん」を結成しました
(ウィキペ「赤い鳥(フォークグループ)」参照)

不幸な転落をしてしまった大川さん

ウィキペ「赤い鳥(フォークグループ)」曰く

大川茂は1995年、横浜市青葉区の食料品店の事務所荒らしで逮捕。音楽活動には戻っていない。

というのが三浦の言う「不幸な転落」でしょう。


■【書評】「韓流時代劇と朝鮮史の真実」 宮脇淳子
http://freeasia2011.org/japan/archives/3198
 三浦小太郎が宣伝しているアジア自由民主連帯協議会に載った文章です(三浦は協議会の理事です)。
 どうも『正論11月号(創刊40周年号)に、「韓流時代劇と朝鮮史の真実」(宮脇淳子著)の書評書きました(三浦の個人ブログ)』(http://miura.trycomp.net/?p=1976)で三浦が「正論11月号に書いたと言っていた書評」を全文転載したようです(ただし出典表示はこのエントリのどこにもないし、筆者が誰かさえも明示されていない。協議会サイトの文章の「明示された書き手」のほとんどが三浦であることを考えればこの書評の筆者も三浦と見るのが自然でしょうけど)。
 なお、三浦のエントリ『正論11月号(創刊40周年号)に、「韓流時代劇と朝鮮史の真実」(宮脇淳子著)の書評書きました(三浦の個人ブログ)』(http://miura.trycomp.net/?p=1976)については以前「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート83(追記・訂正あり)」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081008/1307052595)で小生流に批判を加えていますのでこの機会にご覧いただければ幸いです。
 では三浦書評に批判を加えてみましょう。

「韓流時代劇」と言われる古代から近世までの韓国歴史ドラマが、いかに史実からかけ離れているか

ばかばかしいですね。日本だって「水戸黄門」「遠山の金さん」「大岡越前」などは事実に立脚しているわけではありません。「水戸黄門の漫遊記」「遊び人の金さん」「大岡裁き三方一両損)」なんて現実には存在しない。
 まあ、NHK大河ドラマなんかは比較的事実に立脚してるでしょうけど。
 ただその大河さえ
明智光秀の謀反は通説では単独犯行とされているが、「秀吉(1996年)」では徳川家康に謀反をけしかけられたことになっている。なお家康は光秀謀反直後、命からがら本国に戻っているので謀反をけしかけたと言う事は考えられない(ウィキペ「秀吉(NHK大河ドラマ)」参照)
北条時宗の異母兄・時輔はいわゆる二月騒動で粛清されたが「北条時宗(2001年)」では実は生きていて、高麗に渡ったという設定になってる(ウィキペ「北条時輔」参照)
わけで常に事実に完全に立脚してるわけではありません。まあ、小生が知ってる大河ドラマの「事実とドラマの乖離」は「秀吉」と「北条時宗」だけですが他にもあるかも知れません。
 別にドラマはノンフィクションじゃなくてエンターテイメントなんだから一概に「事実との乖離」を非難できないしそんなことは日本にもいくらでもあるという話です。

 韓国政府が、高句麗を中国領土とみなした、いわゆる「中韓歴史論争」において中国政府に断固抗議するために、高句麗の偉大さをテーマにした歴史ドラマ「朱蒙*22」を制作し、ついに公的には中国政府を黙らせたという話などは、著者も認めるように日本もちょっと学んでほしいほどだ。

 言ってる意味がさっぱりわからないですね。「高句麗」、「朱蒙」、「公的に中国政府を黙らせた」云々と言うことの意味がわかりません。ノンフィクションでも何でもないドラマごときで黙るなんて事があるんですかね?。まあ、三浦の言ってることがそもそも事実かどうかもわかりませんが。
 ただ、まあ、宮脇や三浦が「歴史ドラマで韓国の日本批判(慰安婦問題とか?)を抑えたい」ということだけはわかりました。でもドラマってそういう政治の道具じゃないでしょう。そもそも一体どんなドラマを造って「韓国の日本政府批判を抑えたい」のか、普段の「三浦及び三浦のウヨ仲間(荒木和博とか西村幸祐とか)」の言動から「何となく予想はつきますが」この文章ではさっぱりわかりません。三浦も「奥歯に物の挟まったこと」書いていないではっきり「慰安婦戦争犯罪じゃないというドラマ」や「日本の植民地支配のおかげで韓国は近代化できたから日本に感謝すべきだと言うドラマ」を「NHKか民放で造ればいい」と書いたらどうなんですかね。要するにそういうことが言いたいんでしょうから。まあ、そんな馬鹿な事をやったら日韓関係が恐ろしいことになるでしょうね。今や「韓流ドラマを日本のテレビ局で放送したり、韓流タレントを日本のテレビ番組に出演させたり」、あるいは逆に「日本のドラマを韓国に輸出したり、日本のタレントを韓国テレビ局に出演させたり」してるのが日本のテレビ局、芸能プロなんですからそもそもそんな馬鹿な事はしないでしょうが。
 なお、高句麗ってのは「中国か韓国か」といったら「韓国(朝鮮)であり中国でもある」というのが正しい答えじゃないかと俺は思いますけどね。「高句麗領土」は北朝鮮・韓国領オンリーではなく、一部中国領が含まれますし、正直「当時の高句麗人」には「今の中国人や韓国人(朝鮮人)」と同じアイデンティティがあるとはとても思えませんので無理して「中国か韓国(朝鮮)か二つに一つ」とする必要もないでしょう。まああえて分けるとすれば中国より韓国(朝鮮)のウェイトの方が大きいのかなと思いますけどね。そもそも「過去の歴史をどう評価するか」と「今の領土問題」とイコールでもないですし「高句麗は、韓国(朝鮮)か中国かどっちか」と言う問題設定自体が不適切でしょう。

李朝時代を舞台にしたドラマ「イ・サン*23」を論じた章は、ドラマを離れて、儒教精神の見逃されがちな問題点、それに基づく朝鮮半島の停滞、そして日本統治を巡る様々な歴史問題などについて鋭い論考がなされている。

実に三浦らしい思い切り曖昧にぼかしたせこい書き方ですね。
儒教精神の見逃されがちな問題点』、『それに基づく朝鮮半島の停滞』、『日本統治を巡る様々な歴史問題などについて鋭い論考』とは具体的にどういう意味なんでしょうか。ま、どうせ「儒教の問題点のせいで韓国は経済的に停滞したが、日本の植民地支配のおかげで韓国は近代化できた」と言う居直りでしょうが。で以前も書きましたがこう居直るのなら「チベット仏教の問題点のせいでチベットは経済的に停滞したが、チベット解放した中国共産党のおかげでチベットは近代化できた(まあ、これ自体は事実でしょうね。たぶんMukkeさんとか石濱女史とかそういうことを聞くとマジギレするでしょうけど)」と中国に言われたら三浦ら日本ウヨは文句言えないはずなんですが「ダライが中国を批判してる」云々などと文句言うんだから呆れます。
 だったら同じ理由(当時の韓国人の反日闘争)で「日本の植民地支配」も批判されるんですけどね。

 「チャングム*24」では、本来医師として活躍するはずのヒロインが、なぜか前半料理人として延々とライバルと料理対決をし続けるのだが、これは何と日本の料理対決漫画「将太の寿司*25」にヒントを受けて番組に取り入れたところ、予想外に好評だったので延々と料理対決シリーズが続いたという。

 事実なら「へえ」って感じですね。何が根拠なんですかね?。製作サイドがはっきりそうインタビューに答えてるのか?
 しかし「将太の寿司」ねえ。日本の場合、「将太」以前から「包丁人味平*26」、「美味しんぼ*27(至高VS究極)」「ミスター味っ子*28」とか「料理勝負ネタの漫画*29」はあるんですけどね。何で「将太」なのかしら。
 なお、ネトウヨはこういうのをネタに「パクリだ何だ」といって韓国を罵倒するようですが、まあ少なくともパクリとは言えないでしょうね。

そして私はこの漫画の指摘を受けて考えたのだが、韓国に不足しているのは独自のサブカル文化ではないだろうか。

 言ってることがさっぱりわからないですね。韓国にだってサブカル文化はおそらくある(単に三浦が知らないだけ)でしょうし、まあ、ないとしても別によそ者の日本人ごときが「不足してる」とか余計な事言う意味がどこにあるんですかね。

成功例として、漫画「新暗行御史」(尹仁完梁慶一)を挙げたい。

 やれやれですね。韓国にも「新暗行御史」というサブカル(つうか漫画)があるじゃないですか。それとも三浦は「これだけが成功例だ」と言うんでしょうか?。だとしたら根拠は?。単に「日本でも成功した漫画=新暗行御史」、あるいはもっと酷くて「単に三浦が知ってる漫画=新暗行御史」じゃないんですかね。
 普通に考えて韓国にサブカル(つうか漫画)の基礎がないのに「いきなり日本でも受ける漫画が登場」なんてことはないでしょう。
 つうか三浦のサブカル理解がよくわからないですけどね。俺の理解では「アイドルもサブカル」だし少女時代とか海外進出してるんだから、充分「韓国には海外に通用するサブカル存在するだろ」と思いますけど違うんですかね。

歴史はファンタジーによりかかることなく事実を直視することによってこそ真の誇りにつながるはず

 三浦の韓国へのお説教のようです。韓国の何が「ファンタジーに寄りかかってる」のかさっぱりわかりませんがそれはともかく。
 三浦たちウヨの方こそ『大東亜戦争はアジア解放の聖戦』なんてファンタジーに寄りかかるのを辞めて、「侵略戦争であり、南京事件バターン死の行進従軍慰安婦などの違法行為、残虐行為を各地で犯した」という事実を直視して「真の誇り」を得たらどうなんですかね。
 それどころかそういう主張を自虐史観とか罵ってきた分際で三浦は何を抜かしてるのか。こんな三浦のような阿呆右翼を「守る会副代表」に担いで恥じないid:noharraら守る会の面子は本当に恥知らずです。
 特に「河野談話支持者」だとか自称するid:noharraは少しは「恥というもの」を知ったらどうなんでしょうか。文句があるなら何とか言ったらどうなんですか、恥知らずのid:noharraさん。まあ、あなたが俺の批判をガン無視するだけの卑怯者ってことはよくわかってますけど。


松山ケンイチ本当にいい役者になってきた、劇団新幹線「蒼の乱」素晴らしい!(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=2384
 まあ、「大東亜会議万歳」だの「日本の植民地支配のおかげで朝鮮は経済成長できた(そういいながら何故か中国のチベット支配は否定)」だのといった三浦のトンデモ極右エントリと違いあまり突っ込む所もないんでほとんど普通のコメントですが。
 いずれ直すでしょうが、「劇団新幹線」ってのは明らかな誤記で正しくは「劇団新感線」ですね。

劇団名は、当時のメンバーが実家に帰省する際、新幹線を使っていたというだけのいい加減な理由(ウィキペ「劇団新感線」)

だそうですのでまあ、劇団名に新幹線は関係あるんですが誤記は誤記です。
 「僕は阿部首相支持者です」と自称・安倍支持者が誤記するようなもんでこういう大事なところで誤記したらいかんでしょう。以下面倒臭いんで三浦の誤記「新幹線」はそのままにしておきます。
 ちなみに他には「平乾次郎(正しくは平幹二朗)」なんて誤記もあります。「二朗」が「次郎」になるのはよくわかりますが何で「幹」が「乾」になっちゃうんですかね?。
 もしかして「みきじろう」を「かんじろう」と呼んでて「かんじろう」で変換したんですかね。つうか、それ以外に誤記の理由が思いつかないな。

新幹線は以前から「いのうえ歌舞伎」と銘打っている

いのうえというのは劇団主宰者で創立メンバーの「いのうえひでのり」のことです(ウィキペ「劇団新感線」参照)。

歌舞伎って古典芸能ではなく、とにかく当時のはやりものの役者をダイナミックな演技と歌、そして人情たっぷりの脚本で庶民を楽しませていたわけ

 まあ、基本、能だって狂言だって俳句だって何だって生まれた当時は「現代的」だったわけです。


■【書評】「ダライ・ラマ:心の宝石」チベット女性協会編集、ペマ・ギャルポ監訳
http://freeasia2011.org/japan/archives/3186
 三浦小太郎が宣伝しているアジア自由民主連帯協議会に載った文章です(三浦は協議会の理事です)。
 書評については「本を読んでない」のでどうこう言いません。ここで問題にしたいのは『ペマ・ギャルポ監訳』ですね。ダライの講演本をペマが翻訳することにより世間的には「日本でのチベット人の代表者=ペマ」「ダライ一派もペマにお墨付き与えてる」というイメージが広まるわけです。
 で、ペマがまともなら何の問題もありませんが
1)中国憎さのあまり日本極右に媚び、「河野談話否定論」に賛同する男
2)中国憎さのあまり「中国は天皇処刑を望んでる」というデマ本を出す男
がペマなのですから「ペマに翻訳を任せる」ダライ一派は全く何を考えてるのかという話ですね。で、こういう問題をMukkeさんや石濱女史は「華麗にスルー」するわけですがスルーしていい問題じゃないでしょうに。


東京地検、総連会館売却許可 平壌と朝総連は時間稼ぎ (統一日報) 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01081
 ま、ウヨの三浦のことだからいずれはこのネタで朝鮮総連北朝鮮に悪口雑言吐くのだろうなと思ったら予想通り吐いたと言うだけの話に過ぎません。
既にこの件について俺は
1)「朝鮮総連を民族相互扶助団体として評価してる」
2)「日朝間で国交のない現在、事実上の大使館、あるいは『大使館』と言うのが言い過ぎだとしても少なくとも『日朝間の重要な交渉ルート、パイプの一つ』である総連に嫌がらせをしてもかえって拉致その他の諸問題の解決に逆行する」
3)「こうした行為は在日差別を助長しかねず、また場合によってはそれにとどまらず外国人差別の助長にもつながりかねない」
4)「競売せずとも論理的には借金返済は不可能ではない」
と言う意味で競売には反対であること、仮に競売する場合でも「落札先に従来通りの総連の使用を認めるよう働きかけるべきであると考えること」、不幸にしてこうした考えを安倍政権が採用しない場合でも総連の奮起奮闘を期待すること、また「そのような暴挙を安倍が実行した場合、日朝交渉に支障を産むであろうが何とか拉致問題その他での進展を望むこと(まあ、安倍政権の場合競売云々以前の話で本当に交渉する気なのか、本当に拉致を解決する気があるのか、それ自体が疑問ですが)」などを述べていますので正直改めて三浦に突っ込む気はないですね。
 ま、一点だけ突っ込めばタイトルがお粗末ですね。さすがにいずれ訂正するでしょうけど。競売に関わる権限を持つのはもちろん「地裁」であって「地検」じゃありません。


ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾンレビュー『日本の決断―これが日本を滅亡から救う道だ! 』に呆れる。
 『日本の決断』なる本の著者は極右レイシスト政党として悪名高い「維新政党・新風」です。
 まともな人間ならこんな本は評価しないわけですが、まともでない「極右レイシスト」三浦はアマゾンレビューにおいて

戦後の「平和と民主主義」が偽善であるだけではなくすでに現実政治の上で無意味なものとなっていることなど、ほとんどが「常識的」な提案であることは読んでもらえればわかるはずだ。自民党から共産党に至るまで、このレベルでの率直で世論迎合を廃した政策案を表明している政党が一つもないこと、これこそが日本政治の危機なのである。巻末の維新政党新風鈴木党首へのインタビューも、とかく誤解されがちなこの党が、政策的には欧米ではむしろ中道保守というべき存在であることを明らかにしている。

ととんでもないことを言っています(そもそも世論に支持されない新風のような極右暴論をまともな政党が主張しないのは当然のことで、それは別に世論迎合ではありません)。「維新政党新風」のどこが『欧米ではむしろ中道保守というべき存在』なんですかね。アレが中道保守なら「新風よりは左」の自民党すら左翼になってしまうし、日本に極右政党は存在しないでしょう。欧米人も呆れて二の句が継げないでしょう。「三浦小太郎」の名前ではここまでアホなことは書きませんが「ラグタイムララバイ」名義ではここまでアホなことを書くのが三浦です(ラグタイムララバイが三浦の別人格であることは「ラグタイムララバイの書評=個人ブログでの三浦の書評」であることで容易に理解できます)。
 こんな極右・三浦を副代表にして恥じない「守る会」が極右レイシスト集団であること、そしてid:noharraら「守る会」メンバーが三浦と同レベルの極右レイシストであることはまず間違いないでしょう。なお、こうした俺の三浦批判、「守る会批判」に対し、反論不可能であるが故にずっと無視し続け、にもかかわらず自ブログやツイッターで「質問大歓迎」と虚言を書いて恥じない恥知らずがid:noharraです。


産経新聞『国連人権理「スリランカ戦争犯罪調査を」』
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140329/erp14032909510003-n1.htm

 国連人権理事会は27日、2009年終結スリランカ内戦で政府軍などによる民間人殺害などの戦争犯罪があったとされる問題について、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)に調査の実施を求める決議案を賛成多数で採択した。

 北朝鮮に対する調査委員会云々と言い、最近こういうのがはやってるんですかね。スリランカ政府は明らかに非協力的態度をとるでしょうし、どれほど成果が出るかわかりませんが「人権擁護が国連の存在目的」という建前をアピールすることは悪いことではないでしょう。
 なお、「アジア自由民主連帯協議会」が「ただのアンチ中国、北朝鮮」ではなく、真に「アジアの自由や民主主義を考える」のであれば簡単にであれ公式サイトでこのニュースについて触れないとおかしいでしょうが多分触れないでしょう。

賛成国は米国など23。反対が中国など12、棄権が日本など12だった

 米国と日本の意見が割れたところが興味深い。

*1:I濱の非難を契機に全てイニシャルトークに変更しました

*2:そういった人がいるのか知りませんが

*3:1958年生まれの55歳

*4:著書『古代国家と軍隊:皇軍と私兵の系譜』(2004年、講談社学術文庫)など

*5:現状だと皇太子の娘(愛子さん)、秋篠宮の娘(眞子さん、佳子さん)が候補です

*6:小泉首相が導入しなかったのはそう言う意味です

*7:その場合、昭和天皇の弟宮(秩父宮高松宮三笠宮)を即位させるか、皇太子を即位させた上で昭和天皇の弟宮など、しかるべき人間を摂政にするかでしょうが、昭和天皇は勿論どちらも希望していませんでした。

*8:天皇関係の著書に『大正天皇』(2000年、朝日選書)、『対論・昭和天皇』(保坂正康との共著、2004年、文春新書)『昭和天皇』(2008年、岩波新書

*9:別に皇室祭祀を放送して欲しいと思いませんが、そもそも放送したら多分ウヨが「神聖な場所にテレビカメラなんか入れるな」と怒り出すでしょう。

*10:小泉内閣文科相麻生内閣国交相を歴任。国交相時代に「学力テストの成績の低い県は日教組が強い(もちろんそんな事実はありません)」「成田闘争ごね得(一定の非を認め関係者に謝罪した過去の政府見解に反する)」と言う暴言で引責辞任

*11:小渕内閣防衛政務官時代に女性差別暴言、核武装暴言で引責辞任。後に「慰安婦への暴言」で維新の会を除名

*12:伊藤の他は島田洋一・巣くう会副会長、中西輝政・元つくる会理事、西岡力・巣くう会会長、八木秀次日本教育再生機構理事長。なおこのうち八木は安倍政権によって政府審議会「教育再生実行会議」の委員に任命された。

*13:ぶっちゃけ絵を担当した本そういちには才能がないと思う

*14:なお、定期購読したいほど好きでもなかった

*15:水木しげるの漫画を読めば水木のいた南方戦線では完全に日本軍の指揮系統が崩壊して「食糧確保して生きていくのがやっと」で戦うどころでなかったことがわかります。当然米軍相手にまともな戦闘行為が出来るわけもなく、生きるためには「逃げるか投降するか」しかなかったわけです。その現実を考えればまあ「戦争の現実を知らない百田がひねくりだしたらしい」能天気な発言です。それともこういう「ある意味能天気で幸せな」戦場もあったんでしょうか?

*16:「やや」どころか「かなり」でしょう。そもそもそんなジャーナリストがいるか疑問です

*17:「TAMO2ちんの日常」http://red.ap.teacup.com/tamo2/という個人サイトの主のようです

*18:台北市長、副総統などを経て総統。総統退任後は国民党を離れ台湾団結連盟を結成

*19:連戦内閣法相、台北市長などを経て現在、総統

*20:普通は太平洋戦争、あるいはアジア太平洋戦争と言いますが面倒なので三浦の文章引用だけでなく、俺の文章でも全て「大東亜戦争」で書きます。ただしウヨの三浦と違い俺は「大東亜戦争大義・アジア解放」など支持しませんが(つうかこの大義が口から出任せであることは日本が台湾や朝鮮を植民地支配していることで明白)。

*21:「など」ってのは具体的に何なのか?。靖国問題?。竹島問題?

*22:高句麗初代国王とされる朱蒙を主人公とした韓国の時代劇ドラマ。日本ではフジテレビとテレビ東京で放送されたことがありDVDも発売されている。

*23:李氏朝鮮22代国王である正祖を主人公とした時代劇。日本ではNHKテレビ東京で放送されたことがありDVDも発売されている。

*24:日本ではNHKで放送されDVDも発売されている。

*25:1992〜2000年まで週刊少年マガジンに連載

*26:1973〜77年まで週刊少年ジャンプに連載

*27:1983年から週刊ビッグコミックスピリッツで連載開始し現在も連載中

*28:1986〜1990年まで週刊少年マガジンで連載

*29:美味しんぼの場合、料理対決じゃない話もありますけど