■<北朝鮮>金正恩体制発足後 脱北行為に厳罰
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01013
何を今更です。「大阪支局・石丸次郎がレイシスト団体『守る会』とつきあっても容認する」ような、「反北朝鮮右翼メディア」アジアプレスの報道では「罰則が非常に強化された」と言う部分は眉唾ですが、処罰自体は以前からされてるわけです。まあ、この問題をどうするかってのはなかなか難しいと思う。北朝鮮に問題があるからと言って「非難すればそれでいい」ってもんじゃないでしょう。太陽政策的なやり方で何とか状況を変えられないか?
いずれにせよ、『スーパーゲームズワークショップエンタテイメント』(http://roodevil.blog.shinobi.jp/)が指摘するように「外から無責任に脱北を煽る」なんてことは絶対にやってはいかんことでしょう。「脱北すればそれだけで幸せなわけじゃない」し、脱北に失敗して酷い目にあった場合に煽った側が責任とれるわけでもないですから。
■三浦の無責任な反中国コメントに吹き出した
このコメントは三浦の個人ブログのエントリ「三島由紀夫は東京オリンピックに何を観たのか」(http://miura.trycomp.net/?p=1227)に出てきます。もしかしたら以前も似たようなことを三浦は言っていて、小生もそのときに突っ込んだかも知れません(覚えていませんが)
私個人としては、オリンピックで是が非でも見たいシーンがあるんですよ。それは、東トルキスタン(ウイグル)、チベットなどの国旗がはためき、彼らが国民として旗を持ち、選手団が行進するところは観てみたい。
絶句。ウイグルはともかく*1チベットは「一部過激派」はまだしも「事実上のチベット最高権威、最高指導者・ダライラマ」は独立なんか求めてなかったと思うんですけどね。こういう無責任発言を「部外者の三浦」が良く平気でできるもんです。
大体五輪は少なくとも建前では「国別対抗戦」じゃないんですけどね。
もちろん同様に、例えばパレスチナの選手団を観たいという人も多いと思う。
見たいも何も「既にパレスチナ選手団もパレスチナ国家(パレスチナ自治政府)も存在する」んですけどね(ウィキペ「オリンピックパレスチナ選手団」「パレスチナ自治政府」参照)。パレスチナの置かれた状況はそう言う意味では「未だ厳しい」とはいえ、チベットやウイグルよりは「恵まれてる」のかもしれません。何せ「ウイグル自治政府」「チベット自治政府」なんて彼の地にはありませんし、「パレスチナを支持するアラブ」程の支持はウイグルにもチベットにもないでしょう。。
しかし三浦も無知な野郎だな。
ロスアンジェルスオリンピックあたりからかな、明らかにオリンピックは変わっていったような気がします。
ま、これはよく言われることですね。ロス以前は赤字運営が通常で、開催希望国も少なく五輪の存続が危ぶまれていたのが、「ロスが商業的に成功したこと」で「開催希望国は増え存続の危機は去った」もののいわゆる「商業主義の行きすぎ」という別の問題が生まれてしまったわけです(ウィキペ「ロサンゼルス五輪」参照)。
■8月6日広島「ウイグル核の被害に関するチラシ配布」 : 日本ウイグル協会
http://freeasia2011.org/japan/archives/2513
三浦が宣伝する右翼団体「アジア自由民主連帯協議会」に掲載された文章です。
まあ、「ウイグル核の被害」とやらがあるのかどうか俺は知りません。あるのならば大いに世界に宣伝し状況が改善されるべきでしょう。中国も批判されてしかるべきです。
ただ「そういうことをいうのなら何故日本ウイグル協会は、日本核武装を主張する田母神ら日本右翼とつるむのか」ということですね。核問題で中国を批判するのなら「核武装を主張する日本右翼」とつるむことほど筋の通らないことはないわけです。こういうことが俺が「日本ウイグル協会」とやらを全く評価できない理由ですね。
■第2回 北朝鮮人権大学(関西校)開校にあたって
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=01011
拉致、核、飢餓など、北朝鮮をめぐる重大問題に国際社会が取り組み、そして日本が国民の生命と安全を守るために「総力を挙げて」努力してきたにもかかわらず、この20年を振り返ると、大きな成果はなかったと言わねばなりません。
言ってることがすごいですね。「太字部分(俺が独断と偏見で太字強調しました)」を見て、目を疑いましたよ。
最初は「小泉訪朝後10年」の間違いだと思いましたが、「拉致、核、飢餓など、北朝鮮をめぐる重大問題」は「この20年を振り返ると、大きな成果はなかった」んだそうです。
おいおいです。「核ミサイル問題」「飢餓問題」は俺は詳しくないのでひとまず意見を保留するとして、「11年前(2002年9月17日)に北朝鮮が拉致を認め、蓮池夫妻、地村夫妻、曽我夫妻を帰国させたこと」は「拉致問題における大きな成果」ではないんでしょうか?。まあ、何で「20年」というスパンになるのかもこの文章だけではよくわかりませんが。
少し考えて見たんですが20年ほど前というと北朝鮮では次のようなことがありました(ウィキペディアを参照しました)。
1994年6月:北朝鮮核問題で米朝間に戦争の危機。それを解決するため、カーター元米国大統領が特使として訪朝。米朝合意が成立。戦争の危機がひとまず去る
1994年7月28日:金日成国家主席・朝鮮労働党総書記・朝鮮人民軍最高司令官が死去。長男の金正日氏が後継者に就任(ただし、しばらくは喪に服し、正式に国防委員会委員長、朝鮮労働党総書記、朝鮮人民軍最高司令官に就任したのは後のこと)
要するに三浦らは「20年前にカーター訪朝がなかったら」とか「金日成死後、北朝鮮打倒計画(軍事攻撃であれ、経済制裁による締め付けであれ)を本格的に実施してれば」とか言いたいんでしょうね。
確かに金日成死去直後はさんざん三浦のようなウヨは「これで北朝鮮も終わった」と吹きまくっていたし、カーター訪朝については糞味噌に罵っていたわけです。
北朝鮮への帰国事業は壮大な誘拐でした。
自主的に帰国しても「だまし」だから「誘拐だ」というなら、慰安婦も「狭義の強制連行だけが問題だ」などとふざけたことを抜かすのは辞めたらどうなんでしょうか?
そして三浦は帰国事業が「日朝両国政府が事業主体」で「国際赤十字がそれに協力した事」をどう思ってるんでしょうか?
誘拐なら「日本政府と国際赤十字も共犯」なんですけどね。もちろん北朝鮮政府と朝鮮総連に責任がないとは言いませんが彼らを批判してすましていることが出来る立場に日本人はないわけです。
その結果、北朝鮮政府は日本から多数の人質を手に入れ、日本の親族は「金づる」として、また「工作員の協力者」として利用する対象にされてきました。
何時日本の親族が工作活動の協力などしたと公的に認定されたんでしょうか?。在日朝鮮人への差別を助長する言葉を書いて人として恥ずかしくないんでしょうか。こんなふざけたレイシスト団体に所属してid:noharraは恥ずかしくないんでしょうか?
問題の解決は北朝鮮の政権・体制の崩壊まではあり得ないのでしょうか。
いい加減現実性のない馬鹿な事を言うのも大概にしなさいよ。崩壊なんて当分あり得ないという認識の元に外交交渉で出来る限りのことをする、それ以外に道はないわけです。
講師も受講者も、多様な意見と疑問を出し合い、対立する見解も話し合い、問題解決への具体的な道筋を、知恵を出しあって見いだす機会としたいと思います。
またまた口から出任せを。三浦たちウヨが仕切る勉強会で「僕は太陽政策の支持者です」「朝鮮学校無償化除外は辞めるべき」「早期に日朝国交正常化をすべき」なんて言ったら罵声が飛ぶと思いますよ。ま、罵声が飛ばないとしても三浦一派がこういう意見に耳を傾けることはないでしょう。結論は最初から決まってるわけです。
講 師:関西はじめ関東の朝鮮研究者、ジャーナリストなど
現時点では何が何だかさっぱりわかりません。この種の勉強会で『朝鮮研究者、ジャーナリスト』などが呼ばれるのは当たり前ですし、勉強会の場所が関西なのだから、通常は関西の人間を呼ぶでしょう。要するに書かなくてもわかることしか講師について書いてない。
あと1ヶ月後だというのにこんなんでいいんでしょうか(まあ、どうせ、菅首相の「市民の党」疑惑なんて馬鹿な事を言った自称ジャーナリスト・野村旗守などろくでもないゴミが講師なんでしょうが。間違っても和田春樹東大名誉教授、田中均東大特任教授などは呼ばないでしょう)
まあ、これの実施報告でも出たら、また改めて突っ込むことにしましょう。
【追記】
サイトに掲載されたかるめぎ101号で講師の面子はわかります。「市民の党疑惑」という言いがかりを菅首相に対してした自称ジャーナリスト・野村旗守*2や、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表、西岡力巣くう会代表、萩原遼守る会名誉代表と、まあ、予想通りのゲス右翼面子しかいません。
■北朝鮮最新情報 :北朝鮮 韓国団体に慰安婦問題討論会の開催提案
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00303
ま、確かに北朝鮮最新情報ではあるんですが、三浦らが問題とする「北朝鮮の人権問題(強制収容所とか)」にはもちろん関係ありません。慰安婦は旧日本軍の犯罪行為ですから。
「河野談話否定派」三浦を役員とする「守る会」一派はどういう思いでこの記事を掲載したんでしょうか。
もちろん「北朝鮮も慰安婦問題の当事者」ですので「まともな討論会であるならば」何ら討論会実施に問題はないわけです(まともかどうかはこれだけではわかりませんが。呼びかけを受けた韓国側も「参加、不参加を決めるに当たってまずは北朝鮮側の詳しい計画内容を教えて欲しい」と応答しているようです)。そして俺的にはこの討論会が「慰安婦問題解決において何らかの貢献をし」、そして「南北交流の進展に少しでも役立つ」ならばいうことないですね。
ただ「河野談話否定派」三浦を役員とする「守る会」一派は『慰安婦なんて韓国の言いがかりだ』『その言いがかりに北朝鮮も参加してきた』としか思ってないでしょうが。違いますか?、守る会メンバーのid:noharraさん。
■8月15日 阿佐ヶ谷ロフトの「風立ちぬ」イベントに出ます(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1876
18:00頃より“古谷経衡の「嗚呼、知られざる戦争アニメ」”を開催いたします。お時間に余裕のある方は是非、お越しください。イベント本編は19:00より開始いたします
その戦争アニメとやらは何を扱う気なんですかね?。せめて扱うアニメくらい書けよ。いや、まあ、俺個人はバカウヨの戯言など聞きに行く気もないですけどね。
まあ、不親切きわまりないイベント紹介ですね。アニメ評論家らしい古屋や星はともかく、稲葉も田中も本業は経済学者であって「アニメ評論家」ではないので何でこのイベントに呼ばれたのかさっぱりわからない。そのくらい説明しろよと思います。稲葉や田中は趣味的な形ではアニメを論じてるのか?(ま、その場合でも、説明がないのでは何で本業が経済学者という人を呼ぶのかさっぱりわかりませんね。まさか「風立ちぬ」の経済学的分析をやるわけでもないでしょう。本業は経済学だけど、稲葉も田中も本職のアニメ評論家並みにすげえんだぜと言いたいなら、具体的理由を挙げてそう説明しましょう)
このうち、古屋、星、三浦は極右雑誌「ジャパニズム」に連載がある、あるいはあったという明らかな極右ですので、稲葉や田中も極右仲間で「極右的なお話」がされるんでしょうね(古屋について言えば、NHKの討論番組で右翼放言をして崔洋一監督を激怒させた御仁ですし)。まともな「風立ちぬ」分析がされるとも思えない。
今、稲葉氏の著作をアマゾンで注文したところだが、この日までに目くらいは通しておかねば。
・稲葉の著作って何なんですかね。彼は経済学者のはずなんですが。ウィキペ「稲葉振一郎」を見ても『ナウシカ解読―ユートピアの臨界』(1996年、窓社)というかなり昔の本しか「宮崎駿氏」に関係しそうな著作は出てきません。
・しかし謙遜にしたって三浦は言ってることが酷いですね。8/15って2週間後じゃないですか。2週間のうちに泥縄で勉強って。頼む方も頼む方なら引き受ける方(三浦)も引き受ける方です。責任感ってもんはないのか?
今回くらい、宮崎駿が、人に見せたい、楽しませたいという意識よりも、自分が撮りたいものを撮ったことはないと思います。私が観たとき、子供連れのお客さんもいましたが、子どもははっきり言って退屈してたんじゃないかな。
何を根拠にそんなことをいうんですかね。宮崎氏はあくまでも「プロ」としてアニメ商売をやってるんであって、「単なる趣味」でアニメ映画を作って仲間内だけで公開してるんじゃないんですからそこは彼なりに「商売(客を楽しませること)」と「創作意欲(自分が作りたい物を作る)」のバランスを取ってるでしょう(少なくとも彼の主観では取ってるだろうし、出資者など彼の周囲だって彼の好き勝手にやらせるわけがない)。
商売をかなり度外視してたといわれるドキュメンタリー映画『柳川掘割物語』とは意味が違う。
参考
高畑勲(ウィキペ参照)
『風の谷のナウシカ』は興行的成功を収めたことから、宮崎はこの映画で得た資金を有意義に使いたいと考え、今度は高畑が監督する映画を製作しようと提案した。その結果、福岡県柳川市の風情をとらえたドキュメンタリー映画『柳川堀割物語』を撮影することになり、高畑が脚本・監督を務め、宮崎の個人事務所「二馬力」が製作を担当した。しかし、高畑があまりにも巨額な製作費を費やしたため、宮崎が用意した資金を全て使い果たした挙句、宮崎の自宅を抵当に入れざるを得ない事態となった。困惑した宮崎は徳間書店の鈴木敏夫に相談し、『柳川堀割物語』の製作費を回収するには、新作アニメーション映画を製作しその収入で賄うしかないとの結論に至る。その後、宮崎と鈴木は新作映画『天空の城ラピュタ』の製作を目指し奔走することになる。
大体、「風立ちぬ」は『実在の人物である堀越二郎(零戦開発者)をモデルに、その半生を描いた作品』『堀辰雄の小説「風立ちぬ」からの着想*3も盛り込まれている*4』(ウィキペ『風立ちぬ』参照)なんて代物だから「子ども向け映画」じゃないでしょう。子どもが退屈するのも当然です。そう言う意味で「子どもを楽しませたい」と言う意識は今回はない(過去にはあったのかどうか知りませんが)かも知れません。
しかし、さすがに「客の評価など知ったことか」ってのはないでしょう。
【追記】
ウィキペ「宮崎駿」には次の記述が出てきます。
『崖の上のポニョ』制作の過程を追った『ポニョはこうして生まれた』で「僕はもう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない」「自分の作品の大衆性が低くなっている」と発言している。
これが事実ならさすがに「客はどうでもいい」とは思ってないでしょうが、「客に受けたい」という意識は昔に比べると落ちてるのかも知れませんね。それがいいか悪いかはともかく。
【追記終わり】
宮崎氏が最近、憲法9条擁護や歴史問題*5に対していろいろ発言していることも話題になっていますが、この映画、特にヒロインの描き方を観れば、むしろ戦前日本の美学、道徳に宮崎氏がものすごく魅かれているのは明瞭。こういう女性を真正面から描いたのも初めてじゃないかな?今の宮崎氏の政治的発言はその自分の矛盾への混乱から思わず出たもので、作品評価とは全然関係ない。
何がどう矛盾してるんですかね?。「矛盾してること」にして「ファンである宮崎氏」が「安倍に批判的で護憲派であること」や「戦争責任問題で中韓の言い分を支持してること」を「改憲派で歴史捏造主義者(河野談話否定者)、安倍シンパ」の三浦がまともに受け止めたくないだけでしょう。
矛盾してるという根拠はどこにもない。
宮崎氏による「ヒロインの描き方」が「昔は良かった、女性がおしとやかで」とでもいった「古くさい描き方である」(本当にそうなのかどうかしりませんし、たとえそうでもそれは宮崎氏の女性観と必ずしも同一視できないでしょうが)」と「安倍シンパ」「改憲派」「歴史捏造主義者」でないとおかしいんですか?。矛盾なんですか?。全く理解不能な論理です。「女性観が古風だから」といって「改憲派」「安倍シンパ」「河野談話否定派」扱いされてはたまったもんじゃない。
それとも「零戦開発者が主人公だから矛盾」なんですか?。さすがに「零戦開発者が主人公」でも三浦やそのお仲間じゃあるまいし、宮崎氏も「あの戦争を全面正当化するほどのバカではない」と思いますが(いずれ俺も映画そのものや、各種メディアの映画評を見ようかなとは思います)。
大体、vanacoralの日記『スタジオジブリ、憲法改悪阻止に動く 』(http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20130719)も指摘していますが以前から宮崎氏は小冊子『熱風』において政治的発言をさまざまな形でしてきたわけで、単に今回は「安倍の登場によって改憲が現実性を持ってきたから」、宮崎発言が注目されてるに過ぎません(今回、盟友・高畑氏の主張があまり注目されないのは彼が熱心な共産党支持者であることは以前から有名だから、なんですかね)。
「作品評価とは全然関係ない」
そりゃ政治的発言と作品評価は必ずしも関係ないでしょうね。わざわざ言うまでもない。
たとえば自民でも公明でも何でもいいんですが、小生の支持政党・共産党の支持者についてみてみましょう。
たとえば、赤旗
『「日本共産党に期待します」、各界著名49氏が表明』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-04/2012120401_04_1.html
でいろんな方が共産党支持を表明していますが小生の知ってる著名人だと
・「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」などで知られるアニメ映画監督の高畑勲氏
・「ズッコケ三人組シリーズ」で知られる作家の那須正幹氏
・「あばれはっちゃく」「おれがあいつであいつがおれで」などで知られる作家の山中恒氏、なんかがいますが、彼らの作品評価と政治的発言とは直接関係ないでしょう。
あるいは党員であることを公言していた著名な映画監督として故人ですが
・「ひめゆりの塔」「真昼の暗黒」などで知られる今井正氏
・「不毛地帯」「華麗なる一族」などで知られる山本薩夫氏
がいますが彼らの作品評価と政治的発言だって直接関係ないでしょう。
20年くらい前のインタビューだったと思いますが、この人は平然と(確か東欧諸国の民主化、ソ連解体の折)「肉は並んで買うくらいの方がいいですよ、そのほうが自然がきれいですよ」と平然と言うようなひとでした。
そのことと「護憲発言や歴史認識発言」を「三浦が、『宮崎氏の矛盾』と理解すること」と何の論理的つながりがあるのやら。何らないでしょう。
そんな貧しい社会だったらアニメなんか作れないってことは自分でよくわかった上で言ってるところがじつにこの人らしいと思った。
「三浦の指摘が事実」として、宮崎氏がいいたいことは「貧しくても(精神的に豊かであれば?)いい(三浦の理解)」ってことじゃなくて「便利さを追い求めるだけでいいのか、そういう考えが環境破壊とか問題を生んでるんじゃないか」ってことでしょうよ。それが「肉は並んで買うくらいの方がいいですよ、そのほうが自然がきれいですよ」と表現されるのはいかがなものか、不適切だと思いますが。注目を集めるために、あえて極論を言ってるんですかね?。俺個人はそれが戦略として適切とは思えませんが。むしろ「旧ソ連体制を美化してる」と誤解されるだけじゃないですかね(追記:コメ欄でのid:Bill_McCrearyさんのご指摘から、三浦の引用が正確かどうかも、宮崎発言の前後の文脈がどういうものかも、わからないのにここまで俺が言うのは不適切だとあとで気付きましたがこのまま残しておきます)。
一番尊敬している人は宮沢賢治
と言う割にはウィキペ「宮崎駿」によれば、宮崎作品に宮沢賢治原作はありません。一方、盟友・高畑氏には『セロ弾きのゴーシュ』(1982年)という作品があります。
【追記】
(その1)
日刊イオ『夏休みまであと少し…』
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/c263ee2dd537461f55c2de77fe92f9db
朝鮮総連系の月刊誌・月刊イオ編集部員による「風立ちぬ評」です。まあ好意的な評だと思います。
少なくとも「零戦設計者の映画なんて宮崎に失望した!」って評価ではない。もちろん「在日の方」だからといって「日本の戦争加害にセンシティブ」とは限らないでしょうが、後で紹介する「スーパーワークショップエンタテイメント」とだいぶ評価が違うので「いやあ、感想を書くにはやっぱ見ないとあかんのやろうな」とは思います。
(その2)
ブログ『スーパーゲームズワークショップエンターテイメント』(http://roodevil.blog.shinobi.jp/)の宮崎批判をいくつか紹介しておきましょう。宮崎は「ただの軍オタのアニメ屋」に過ぎず、「海外(特に日本の被害国たる中国、韓国、東南アジア)にアニメを売るために」「自分の軍オタぶりをごまかす必要があって護憲発言してるに過ぎないんだ」というある左派の方の批判です(さすがに宮崎は極右とまでは言っていませんが)。
いくつか「うーん」と言う記述があります。「ちょっと宮崎映画を見て頭を整理してからでないと何とも言えないな」という記述ですね。手放しで賛同できないが、切って捨てるわけにも行かないかなと。ちょっと小生、宮崎に好意的すぎたかなと思い始めています。
http://roodevil.blog.shinobi.jp/Date/201307/2/
宮崎駿のスタジオジブリ最新作はよりにもよってゼロ戦設計者の堀越二郎の話だという。
(中略)
宮崎駿の作品について言うならば、公開前という事もあって事前のストーリー紹介を見た限りでの評価になるが、本当にゼロ戦は自慢するほどの戦闘機だったのかという事と、なぜこの時期にゼロ戦の開発者のアニメなのかという点に尽きる。
「ゼロ戦は旧日本軍が開発した当時高性能の戦闘機」という話が今でもまことしやかに伝えられ、日本ではそれを右翼軍国主義者ばかりか、左翼や反戦主義者でさえ事実と認定しているようだ。あの水木しげるでさえ「コミック昭和史」でゼロ戦が高性能な戦闘機であったと言っていた(水木しげるは評価すべき漫画家だが、この辺りに彼の限界を見る事も出来る)程だから、日本人の「ゼロ戦信仰」はほぼ天皇崇拝にも等しいほど抜き難いものなのだろう。だが実際のゼロ戦の性能は大した事がなく、当時の敵国だったアメリカやイギリスはおろか、同盟国だったドイツのものと比べても極めて劣っていたという。要するに日本がアメリカと戦争して負けたのは当たり前だったという事であり、「ゼロ戦神話」は事実を無視した見苦しい負け惜しみに過ぎない。
(中略)
実際に当時ゼロ戦と交戦した事のある米軍パイロット達は後に「何で日本の戦闘機はああも簡単に撃墜されるのか」と疑問を呈したそうだ。ゼロ戦は装甲が薄くてちょっと弾を食らっただけで撃墜される事で有名であり、安全性に著しく欠ける飛行機だったのである。
(中略)
さらに筆者が腹立ちを感じるのは、その堀越二郎の設計したゼロ戦でどれだけの人間が特攻隊として犬死させられたかという事だろう。
(中略)
堀越二郎はそうした兵器の開発者であり、戦争犯罪人でしかない。多くの人間が自分の作った戦闘機で特攻し、しかもその中には植民地朝鮮から徴用された者もいた。それを堀越は気も狂わずに見ていられた上に、戦後も80年代まで生き延びて「ゼロ戦設計者」としての栄誉に与っていたのだから、これは昭和天皇の冷酷さにも匹敵する。殺人兵器の設計者としての後ろめたさは微塵も感じられない。後世の人間が語るべきはそうした理不尽さと冷酷さへの批判であり、それを美化する事では決してないだろう。
http://roodevil.blog.shinobi.jp/Date/20130723/
今度の新作はゼロ戦設計者の話である。
(中略)
ゼロ戦とは日の丸・君が代と並ぶ大日本帝国の象徴そのものなのだから。戦闘シーンがないからといって、そのような戦闘機の設計者を美化した映画が「日本軍国主義の礼賛映画」でないはずがあるまい。むしろ悪質なぐらいだ。当時の暗い世相や軍事ファシズム体制、神風特攻隊(朝鮮人もこれに動員されてずいぶんと犬死を強要された)などを一切描かずに「(日本は)負けただけじゃなかった」というのだから。戦争の悲惨さや天皇ファシズム体制の暗さを完全に脱色して戦前の日本を美しく描くなど、そこらの右翼・タカ派と違わない。安倍晋三や石破茂の大日本帝国観とほとんど同じだろう。宮崎駿が「風立ちぬ」でやった堀越二郎礼賛の手口は、右派の論客が倭王・裕仁(昭和天皇)を賛美する時のそれと酷似している。裕仁の戦争責任・侵略責任は一切無視してあたかも平和主義者であるかのように描き、「平和を愛する陛下の御心」とか何とかいったおためごかしを並べ立てる。そして「(天皇は)悪い人じゃなかった」と結論付けるおなじみのパターンだ。「風立ちぬ」はそれをそっくり堀越二郎に対して適用しただけではないか。
http://roodevil.blog.shinobi.jp/Date/20130801/
腑抜けと化した韓国の既存メディアはともかく、一般の民衆の意見や反発までもあのようなおためごかしで抑えきる事は出来ない。案の定、宮崎の「護憲」発言の後には「風立ちぬ」の予告編を見た韓国のネットユーザーから反発の声が上がり始めた。http://www.j-cast.com/2013/07/23180008.html?p=all
韓国ネット民が「英雄」宮崎駿監督をバッシング 「風立ちぬ」は零戦を美化し戦犯国としての反省がない!上記記事にあるように「殺傷用兵器を作った人を描くなんて宮崎監督に失望した」「慰安婦問題の批判は、映画の韓国上映を狙った擦り寄りだった」「零戦を組み立てたのは徴用された朝鮮人、中国人だ」という韓国ネットユーザー(ネチズン)達の見解や反応こそまともで正しいのである。ジブリや宮崎駿・鈴木敏夫らの舌先三寸に丸め込まれるJPニュースや連合ニュースこそイカレているのだ。
(中略)
(注:韓国マスコミが宮崎に好意的という)情勢が一変するのは(注:韓国マスコミ相手に宮崎が記者会見した)その2日後の28日夜である。26日会見の夜すぐに宮崎の発言をそのまま垂れ流してくれたはずのハンギョレが、何とそれまでとは一転して「風立ちぬ」の批判記事を載せたのだ。ハンギョレだけではない。京郷新聞系列のスポーツ京郷もまた同じ28日の夜に、短いが「風立ちぬ」への批判記事を載せた。前述したようにそれまでジブリ・宮崎駿・「風立ちぬ」への批判を避け、むしろ礼賛傾向すらあった韓国マスコミがここへ来て態度を変え始めたのである。何があったのか? それを考える前にハンギョレと京郷に載った「風立ちぬ」批判記事を実際にお読みいただきたい。
(中略)
正直言ってこれらはいずれも手ぬるい内容で、それほど十分な批判とは思わない。「風立ちぬ」に対してはもっと厳しく突っ込む所があるだろうと思うが、それでもこれらを取り上げるのは、これまで宮崎駿らの「護憲」発言に高評価一色だった韓国マスコミの流れが変わった口火であるという意味が大きい。なぜここに来て韓国マスコミの「風立ちぬ」に対する印象が変わってきたのか?
一言で言えば「百聞は一見にしかず」だったという事であろう。それまでの宮崎やジブリに対する韓国メディアの反応とは、まだ映画現物を十分に見ていない段階でのものだった。ジブリ広報誌の「熱風」や宮崎・鈴木らのインタビュー記事(中略)などを見て、韓国のメディアは「宮崎駿は護憲派で、安倍政権を批判している」と判断していたのである。宮崎駿のような巨匠が軍国主義を礼賛するはずがない、あるいはその巨匠に日本の右傾化を食い止める力になって欲しいという、「宮崎駿ブランド」にすがった他力本願な韓国側の卑屈な願望も少なからずあっただろう。ところがいざジブリ側のセッティングした試写会に行って実際に映画全編を見てしまった所、そうした韓国メディア達の抱いてた幻想はあっさり吹っ飛んでしまった訳だ。
(中略)
「ナチス主力戦闘機Me109の設計者であるメッサーシュミット博士をこのように描いていたらどうであったか」という指摘はまさにその通りだろう。それを宮崎駿は実際にやっちゃった訳だ。しかもそれを「一生懸命生きただけ」と言い訳して正当化しているのだから。
最近批判精神をなくしつつある韓国マスコミでさえ、映画現物を「一見」してしまったらさすがにこれは駄目だと、しょせん宮崎や鈴木の言う「護憲」「従軍慰安婦への賠償」発言が「営業トーク」に過ぎないという事に気付いたのだ。
(中略)
率直に言ってこのような映画は韓国での上映が中止になってしかるべきであるし、その方が良いと筆者は思う。ジブリ側がどんなにごまかした所で、これは戦争加害国の日本を美化する内容でしかないのだから。
(その3)
スーパーゲームズワークショップエンタテイメントとは別の宮崎アニメ批判「スパイク通信員の軍事評論」を紹介しましょう。小生が時々ブログを参照しているid:dj19氏曰く「先週、観てきたけどこれまで読んだ批評のなかで一番同意できる。」とのことです。
まだ見ていませんが、彼らの批判が「よほど酷い曲解」でない限り、「結果的にであれ零戦開発賛美にしか成ってない」と言う批判は宮崎アニメの失敗の証明でしょう。もちろんこの場合の失敗とは興行的失敗とか芸術的失敗ではなく、政治的失敗ですが。宮崎は「戦争賛美の意図はない」と言ってるわけですから。
http://spikemilrev.com/media/stock/ka/kazetatinu.html
この作品が零戦の設計者、堀越二郎氏の伝記アニメだと最初に聞いた時、まず疑問を感じました。憲法改正や自衛隊の国防軍化が叫ばれる中、旧軍の主力戦闘機の開発物語を制作することへの疑問です。あるいは、戦争の問題は切り離して、単純に堀越二郎氏へのオマージュかも知れないとも思いました。しかし、それでも、私の信条には合致しないものがあります。
観賞した結果、この作品は最初に自分が予想したのに近いものだったと分かりました。そして、この作品は、やはり制作すべきではなかったと結論しました。軍事問題を考え続けてきた者として、『ウォームービー・ガイド 映画で知る戦争と平和』*6を書いた者として、この作品は支持できまないのです。以下に、その理由を書きます。
(中略)
作品には堀辰雄の『風立ちぬ』から、病気の妻の物語が挿入されていて、堀越氏の生涯をさらに純粋なものに見せようとする脚色がなされています。堀越氏の生涯を表現する上で、史実を変更すること自体、私は問題だとは思いません。それは最近の伝記映画の傾向ですし、そうすることで作品の意図がより明確になる場合があるからです。しかし、そのために、脚色の意図は評論の対象とならざるを得ません。
小説は、作者が実際に体験したことを元にして書かれており、本作へ挿入したものとはかなり内容が異なります。この小説をあえて取り込んだ理由は、一つしか考えられません。それは堀越氏の生涯をより純粋なものとして描くためです。堀越氏がカプローニの飛行機に純粋に惚れたように、彼を純粋に愛する女性を登場させ、彼の生涯をより強く表現したいという演出方針だと考えられます。
それは理解できるものの、あまりにも無邪気に武器開発の現実を無視した表現を、私は評価できないのです。戦場においては、この上なく強い意志も、暴力により簡単に打ち破られるということを、私は戦史の研究で知っています。劇中で二郎が意志を貫けたのは、私に言わせると、戦場から遠いところにいたからです。どんなに動機が純粋でも、現実に製作された兵器がもたらした災厄を無視することはできないと、私は考えるのです。
これとは離れて、劇作上の手法としても、菜穗子に関する描写が少なすぎて、人物像がはっきりと分からない点で、菜穗子は二郎の脇役にしかなっていない点も問題です。菜穗子が死期を悟り、最後の時間を二郎と過ごすためにサナトリウムを出る経緯の描写は、明らかに不足しています。二郎の手紙を読んで山を下りるため、単に彼女は二郎が恋しくなり、思いつきだけで行動したようにしか感じられません。このため、観客は菜穗子がサナトリウムに帰る段階になって、ようやく彼女の本心に気がつくことになります。二郎の描写に比べると、菜穗子の描写はあまりにも熱意が感じられず、足りていません。私にはこれは男性優位的な考え方のようにも思われるのです。
制作動機を支持できない理由
『風立ちぬ』には、美しい戦前の日本が描かれているという、評価できる部分はあるものの、結局のところ、飛行機趣味が制作動機であり、そのために、それ以上のものは見出せません。純粋な心を描くつもりだったとしても、これは零戦の設計士が妻の死という苦難を乗り越えて、優秀な戦闘機を作り出した英雄話のようにも見えるのです。
視点を変えてみてください。開発するのが零戦ではなく、化学兵器の「サリン」だったら、同じ物語を描こうと思いますか。私がこの点にこだわるのは、科学者たちがいとも簡単に金のために良心を売り、武器開発に走ることを知っているからです。劇中に「俺たちは武器商人じゃない」というセリフがありますが、正にこれこそエンジニアの逃げ口上です。自分たちは作っただけで、使ったのは兵士。彼らに命じたのは軍であり政府。めでたく自分たちは責任を回避できるというわけです。この作品は、将来を担う子供たちに、武器開発者になるための言い抜けの業を教えています。
もう一つ視点を変えてみてください。ドイツのフォン・ブラウン博士は宇宙ロケットを作りたくて、金を出してくれる軍と手を結びました。彼は弾道ミサイルを開発し、それはイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国に多数撃ち込まれました。純粋な思いが、大量破壊兵器に変貌したのです。弾道ミサイルは現在の世界にも脅威を与え続けています。純粋なら武器を開発しても許されるとは言えないのです。(中略)
なぜ、アニメは人ではなく兵器を熱心に描くのでしょう?。戦争で一番大きな要素は人的な部分だと、私は常に考えています。関係者の考え方にこそ、戦争を推し量るヒントが含まれています。しかし、アニメが一番重要な事柄に光をあてた例しはありません。
宮崎駿氏は、その飛行機趣味から、意図せずして、戦争を肯定する作品を創ってしまったと、私は考えます。他の同種の作品と同じく、この作品は戦争を肯定するために制作されたのではありません。しかし、結果的には戦争という人類の病に深く切り込むことはありませんでした。「生きる」ということがテーマだとしても、私には納得がいきません。当時、日本などよりも数段貧しく、物を持ち合わせない国もあって、日本はそういう国にも攻め込んでいるのです。韓国人は南洋の島々にまで連れて行かれ、日本軍の基地建設のために酷使されました。「生きる」という言葉は、彼らにこそ相応しいのです。
戦争に関して、劇映画が描いていない事柄、これから描くべき事柄は他に沢山あります。それを描き、後世に戦争の潜在的な危険を知らせることこそ、我々がやるべきことです。(2013.8.5)
(その4)
紙屋研究所氏の「風立ちぬ」批判を紹介しましょう。基本的にはスーパーゲームズワークショップエンタテイメントや「スパイク通信員の軍事評論」と同じで、「今の時期に零戦設計者の伝記映画を作る必要があったのか」ですね。「安倍政権の右傾化を助長している」という韓国からの批判をかわせているとは思えないという話です。
紙屋研究所
『映画「風立ちぬ」を批判する』
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130818/1376755046
■これは歴史に無知*7すぎる 麻生氏発言の全く間違ったナチス引用*8(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1870
タイトルだけみればまともそうですが、はっきり言って三浦はまともじゃないですね。
正確に言えば「『ナチスはこっそりどころか、暴力で政権を獲得した』というまともな麻生批判部分もあるが、まともでない部分も多い」、そして「まともな部分も批判として遅すぎる」。
麻生発言直後にブログで麻生批判している人もいるのに、
1)「サイモン・ウィーゼンタールセンター」「中韓両国政府」「野党各党」などから批判が続出し
2)マスコミ取材を受けた菅官房長官が「真意がわからないので何とも言えない、麻生氏に聞いてくれ」と事実上、麻生を見殺し
3)慌てた麻生が発言撤回(「覆水盆に返らず」「綸言汗のごとし」であって今更撤回しても海外の日本評価は変わりません)
4)その後、三浦が批判、ですからね。どう見ても成り行きを見定めていたようにしか見えない。麻生批判が思ったほど盛り上がらず、麻生も発言を撤回しなかったらこのエントリを書かなかったと断言していいでしょう。しかしそうはならず国内外の批判から麻生も発言を撤回、ついに与党からも批判が出たので「安心して麻生批判を始めた」、というかこのままでは麻生批判しないと麻生擁護者と誤解されてまずいと麻生批判を始めたという話でしょう。しかしそれでも「麻生に財務相辞任は求めない」「結局、中途半端な批判で終わってかばう」と。
三浦とはそういうゲスです。
こんなまともでない人・三浦が副代表の会に入って平気でいられるid:noharra氏の脳みそは俺には理解不能です。
ここで氏が言っていることの全部が間違いではない。
いやいや、ほとんど全部間違いだと思いますよ。後で突っ込みますが。
大体「ナチス発言」と言う重大な失言をしているのに「他にはいい発言もあった」なんていったところで、仮にそれが事実だとしても何のフォローになるんでしょうか?。こんなアホなフォローをするのは三浦ぐらいのものです。
ナチスについて、特にこの部分の発言は全く歴史的事実を無視したもの。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。 」
この後、「ナチスは国会議事堂放火事件(共産党弾圧事件)、長いナイフの夜事件(突撃隊最高幹部レームなどを暗殺)などで反対者を暴力的に粛清したから歴史認識として間違いだ」という三浦。三浦の文章で唯一まともな部分です。ただし三浦の指摘には問題点もある。もちろん、「麻生の誤った歴史認識」はそれはそれで問題ですよ。
でも一番問題なのは「気付かないで変わった、あの手口を学んだらどうか」ってところでしょう。要するに「憲法をこっそり変えたい、自民党案への批判が出ないようにしたい」という反民主主義性。
森氏の首相時代の失言「無党派は選挙当日は寝ていて欲しい」と似たり寄ったりの考え。これだけで「ナチス云々」がなくても充分問題発言です。
その上、「そうした手法を使ったナチスは偉い」と言う趣旨の発言「あの手口学んだらどうかね」でナチス賛美という非常識性。
ここが一番問題なわけです。しかし三浦は何故かその部分を批判しません。まあ「何故か」は何となくわかりますけどね。三浦も「こっそり変えたい」んでしょう。
麻生発言批判に限ればスターリン主義云々など書く必要はないのですが書かずにいられないところがウヨの三浦らしい。
麻生氏の発言は共感できるところはもちろんあります。憲法改正は静かな議論の中で行うべきこと
抽象論としては「静かな議論」云々を否定する人はいないでしょう。
しかしこの場合の、麻生の「静かな議論で改憲」とは「こっそり改憲すること」「議論をほとんどせずに改憲すること」と同じ意味ですので全く俺は共感できません。前後の文脈を無視した「つまみ食い」で麻生を正当化するのも三浦は大概にしろと言いたい。改憲という重大事を「こっそり改憲したい」と言う男・麻生に共感するとは三浦はどういう神経をしているのか?。こんなバカ・三浦が副代表の「守る会」に入って、このバカを何一つ批判できない、しないヘタレの屑・id:noharraも、三浦や「三浦が評価する」麻生と同様に「こっそり改憲したい」のか?。まあ、「トンズラするしか能のないid:noharra先生」が俺を完全無視することはわかりきっていますが今日もid:noharra先生のゲスさに怒りを覚えたのでいつも通り、罵倒させていただきました。
なお、社民党は麻生の「静かな議論」について
「けん騒の中で決めないでほしい」とも発言しているが、憲法はそれこそ国民的論議を行い最終的に主権者である国民の意思で決定すべきものである。国民的論議を「けん騒」と捉え、ナチスの手口に倣って、国民が騒がないような環境を作り出して、世界に誇る日本国憲法の停止・死文化を図ろうというところに本音があるのではないか。
と「改憲についての国民的議論」を「封殺しようとしているのではないか」と麻生を批判しています。 麻生を評価する三浦と、批判する社民党とどちらが正しいか、まともな人間には説明の必要すらないと俺は思います。もちろん社民党の方が適切な認識でしょう。
・つうかネットでも指摘がありますが、安倍が「内閣法制局長官」をわざわざ「安倍に近い人間」にかえ「法制局見解」を「集団的自衛権否定から容認」へ変えようとしていることはまさに「麻生の言う『静かな改憲』」のわけです。これを「反民主主義だ」と批判するメディア(例:東京新聞)もありますがもちろん三浦はそんな批判はしません。
憲法を変えたからと言ってそれですべて問題が解決するわけではないこと
やれやれですね。むしろそれは護憲派が「麻生のような改憲派」に対して「改憲したからと言って、領土問題がすぐに解決するわけではない」などとして、行っている批判ですが。そんな当たり前のことは今更麻生に説教されなくてもまともな人間は皆わかっています。
民主主義にはナチスのような政権を生み出す危険性があること
そんなことは麻生に説教されなくても(以下略)。
ナチスの恐怖を経験したからこそ日本国憲法96条は「衆参両院の単純過半数ではなく」、「衆参両院の2/3以上」プラス国民投票の過半数というきびしい改憲要件を作っているわけですし、他の国の憲法も多くは日本と同じような厳しい改憲要件があるわけです(ナチスは議会占有率は1/2以上であったが、2/3はとっていませんので)。
三浦や麻生が『民主主義にはナチスのような政権を生み出す危険性があること』を認めるなら「ナチスのような事態を防ぐための憲法96条」を緩和しようなどという気にならないと思うのですがね。にもかかわらず96条緩和論を唱えるとはどういう脳みそをしているんでしょうか?。まあ口からデマカセって事でしょうが。
靖国神社への発言なども理解できるところはあります。
何をどう理解できるのかはっきり言って欲しいですね。「中韓が抗議しようと知ったことか、俺は参拝する」「マスコミが騒ぐから悪い」と言う趣旨の麻生の暴言を理解できる三浦の脳みそは理解不能です。
「バカ右翼」三浦の「バカ右翼集団・守る会」に入って恥じない「バカ右翼」id:noharraさんなら「バカ右翼・麻生の靖国発言」が理解できるんでしょうか?
個人的には、私のような50代世代よりも若い世代の方を評価する姿勢は私とほぼ100%同じ意見と言ってもいい。
やれやれですね。麻生発言をよく読めばわかりますが、麻生は「自民党の改憲案は50代よりも若い世代に支持されている*10らしい」と言う情報(麻生は世論調査云々と言っていますが「麻生の勝手な思い込み」か、「マスコミの世論調査など根拠のある話」か知りません)をもとに、「俺達を支持しない50代なんてだめな奴ら!。若い奴らは立派!」と放言してるに過ぎません。まともな理由で若者評価してるわけじゃない。こんな放言は普通の人はただ笑うだけの話です。
そんな放言に対して「私とほぼ100%同じ意見と言ってもいい」という三浦は「よほど文章読解力がないか」、「麻生の真意(「自民の改憲案支持するなんてすばらしい」という自分勝手きわまりない若者評価)を理解したうえで故意に曲解している」かどっちかでしょう。三浦は全くどうしようもない野郎です。
私は安倍政権を支持しています
やれやれですね。まともな人間なら「慰安婦問題への態度」だけでも安倍なんかは支持しません(他にも安倍の問題点としては「統一協会への態度」や「安晋会疑惑」などもありますが)。要するに「未だに安倍支持を公言する」三浦は河野談話否定論者だということです。まあ、以前、「河野談話は事大主義」と暴言を吐いた男が三浦ですので予想の範囲内ですが(事大主義とは平たく言うと「長いものには巻かれろ」「強きを助け弱きをくじく」タケちゃんマンやスネ夫のような生き方のことです。三浦曰く「韓国という長いものに巻かれたのが河野談話」で「強き(韓国)を助け弱き(日本ウヨ)をくじいている」んだそうです。呆れて物も言えませんね)。三浦のようなバカが副代表の「守る会」に入ってる癖に、そして三浦の「河野談話への誹謗中傷」を何一つ批判しない癖に、「河野談話支持者面」してる人間のくずがid:noharraです。正直、id:noharraほどの屑には未だに出会ったことがないと思います。今後もないんじゃないか。
だからこそ、誤解を招くこのような発言は国際的にも日本の損失を招くと危惧します。
・何がどう誤解なんでしょうか。あれは「麻生によるナチス賛美」としか理解できないし、それで正解でしょう。
・そしてこの期に及んで、誤解だの何だの言って麻生をかばい、「麻生の財務相引責辞任や議員引責辞任、自民党からの除名」といった「麻生への懲罰」を何一つ主張しない、主張できない三浦の屑ぶりには心から呆れますし、そんな三浦が副代表の「守る会」に入って恥じないid:noharraの屑ぶりにも心から呆れます。
たとえば、社民党は公式サイト(http://www5.sdp.or.jp/)において又市征治*11幹事長の名前で麻生の自発的な大臣辞任、議員辞職を求める声明を発表しています。また、五十嵐仁の転成仁語『麻生副総理は「ナチス発言」を謝罪して辞任するべきだ』(http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2013-08-02)はタイトルではっきりと麻生の財務相引責辞任を要求しています。タイトルどころか本文ですら「麻生財務相辞任」を要求しない三浦は人間として終わっています。ま、所詮、三浦はゲス右翼ですから。
・「日本の損失」というなら「橋下が慰安婦への暴言を吐いたとき」に既に損失があるし、「三浦の主張する朝鮮学校無償化除外」も国際社会では「極右の差別」と認識され大いに日本の名誉を汚しているのですがね。「何を今更」というか、三浦は寝言も大概にして欲しい。
私見では橋下発言、西村発言よりも問題を含むものとして、批判させていただきました
先ず第一に「橋下発言、西村発言よりも問題を含む」という三浦ですが、それは「橋下や西村の発言は間違いだ」と認識した上での主張なんでしょうか。それとも「橋下や西村の発言は問題じゃない」と擁護してるんでしょうか。はっきりと「橋下、西村の慰安婦認識は間違ってる」といえないところはさすがゲス右翼の三浦です。
第二にこういう問題は「橋下や西村と比較して云々」という話じゃないでしょう。そんな比較をする必要はどこにもないし、そんな比較をすれば「橋下や西村を免罪したいのか」と疑われても文句は言えないでしょう。まあ、実際問題「免罪したい」んでしょうが。もちろん「無名のアホ右翼」三浦が何ぬかそうとも免罪できるわけもありませんが。
【追記】
1)朝日新聞『「麻生副総理、ナチズム肯定している」共産・志位委員長』
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201308010324.html
まあ、志位氏の指摘「麻生発言はナチズム肯定」「そういう政権だから過去の戦争への反省がなく、未だに中韓との首脳会談が出来ない」こそが麻生発言の最大の問題点なんてことはまともな人間なら誰もがわかることです。志位氏以外もそういう批判をもっぱらしている。
たとえば琉球新報社説『麻生氏「ナチス」発言 看過できない重大問題だ』(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-210369-storytopic-11.html)とか探せばいくらでもそういう批判は見つかります。
にもかかわらず「ナチス礼賛発言だ」「そんなことだから隣国と首脳会談できない」などとは批判できず「麻生発言は歴史的事実と違う」云々としか言えない「守る会副代表」三浦の馬鹿さとそんな三浦を一言も批判できない「守る会会員」id:noharraには心底呆れます。
2)社民党サイト(http://www5.sdp.or.jp/)に掲載された麻生批判声明から三浦の主張とかぶる部分を紹介しておきましょう。もちろん社民党は「三浦が批判しなかった部分」も批判していますし、それによって三浦の政治的偏向がよくわかりますが。
「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた」という点は全くの誤解だ。決して、「いつの間にか変わっていた」のではないし、「落ちついた環境」などでもなく、麻生大臣の歴史的な事実に対する認識不足は疑うべくもない。
3)赤旗の麻生批判記事をリンクしておきます。
赤旗
主張『「ナチス肯定」発言、国際社会に通用しない暴言だ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080201_05_1.html
『国際政治にも国政にも参加する資格なし、麻生氏のナチス肯定発言 志位委員長が批判の見解』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080201_01_1.html
『麻生氏のナチス肯定発言 内外から批判』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080201_02_1.html
『「地獄と恐怖を忘れたのか」 海外の批判、麻生副総理“ナチスの手口に学べ”発言』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080203_01_1.html
『麻生氏の過去の発言 ナチズムと酷似、「一国家、一文明、一言語、一文化、一民族…ほかの国にはない」』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080202_01_1.html
4)三浦エントリでのコメント欄の指摘。
麻生氏が、自民党員に、改憲を民意に反して実現させるための手口を教えている場面にしか見えない。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と言った後の「(改憲を)喧噪のなかで決めてほしくない」を自然に解釈すれば、 改憲を民意に反して実現させるためには、 国民に感付かれないようこっそり変えるやり方の方がいいという意味になります。
まあ、そうなんですが麻生の「喧噪の中で決めてほしくない発言」に共感する珍人物が三浦です。そして「喧噪の中で決めてほしくない発言」に共感すると書きながら、こういう「事実上の三浦批判コメント」を躊躇なく掲載する珍人物が三浦です。三浦はこの方にどう応答するんですかね。やはりスルーでしょうか?(追記:予想は外れ、応答しています。「麻生批判に共感する」そうです。しかしそれでも麻生に財務相辞任を求めるつもりは何故かないようです)
■ぷかぷか 日本の酒飲みミュージック*12(1)(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1864
私がたばこ会社だったらこの曲をCMソングでぜひ使って、肩身の狭い愛煙家を応援するのだが。
と三浦が言うのに該当するのは一番の歌詞です(この歌は一番から4番まで歌詞がある)。
おれのあん娘はタバコが好きで
いつも プカ プカ プカ
体に悪いからやめなって言っても
いつも プカ プカ プカ
遠い空から降ってくるって言う
「幸せ」ってやつがあたいにわかるまで
あたい タバコ やめないわ
プカ プカ プカ プカ プカ
しかしこれって愛煙家の歌じゃないと思いますけどね。「あん娘」ってのは普通に考えれば「奥さん」でしょうがどうなんですかね。「奥さんとつきあう以前の彼女」「想像の産物で、実在の人物をモデルにしたわけではない」と言う可能性もある。
4番の、トランプ占いの部分はすごい。西岡氏は自ら死を選んだけど、この初期の作品ですでに死のイメージを歌っていたんだなあ。
と三浦が言う歌詞は以下の通りです。
おれのあん娘はうらないが好きで
トランプ スタ スタ スタ
よしなって言うのに おいらをうらなう
おいら 明日死ぬそうな
あたいの うらないが ピタリと当るまで
あんたとあたいの 死ぬ時わかるまで
あたい トランプ やめないわ
スタ スタ スタ スタ スタ
まあ、こういう歌を作ったからと言って自殺傾向があるとは言えないですけどね。1999年自殺し、享年50歳だそうだから若死にとは言えるでしょう(老齢なら自殺していい訳じゃないですけど)。実に勿体ない。
■日韓連帯の原点こそ大東亜戦争である
http://gekkan-nippon.com/?p=5439
三浦が右翼雑誌「月刊日本」2013年8月号に掲載した文章ですが、もうタイトルだけで読む気がなくなりますね。
今時「太平洋戦争(あるいはアジア・太平洋戦争)」ではなく、「大東亜戦争」なんて言葉を使ってるという意味でも、「大東亜戦争以前の日韓関係はどう理解してるの?」と言う意味でも。言うまでもないですけど「古代の渡来人」とか「江戸時代の朝鮮通信使」とか「有史以来、日韓はずっとつきあいがある」わけで「大東亜戦争になって突然つきあいが始まったわけじゃない」ですから。
どう見てもバカ右翼・三浦の戯言としか思えませんが、まあ、でもちょぼちょぼ読んで突っ込むことにしましょう(追記:ただしネット上では一部しか読めません)。こういうのをid:noharra先生はなんとも思わないんですかね?
現在の日韓関係が余りにも悲惨な状態を呈していることを危惧し、かつて雑誌『正論』に発表した、日本軍として戦った韓国兵へのインタビューを一部再録しつつ、日韓連帯の原点がどこにあるべきかを考察してみたい。
言ってることが全く意味不明。
「現在の日韓関係が余りにも悲惨な状態を呈していることを危惧」するなら「閣僚の靖国参拝」「河野談話見直し論」などで韓国を挑発し、「悲惨な状況」を作り出した安倍政権を批判すればいいことです。「日韓連帯の原点」だの「雑誌『正論』に発表した日本軍として戦った韓国兵へのインタビュー」だの全く関係ない。
もちろん三浦がおつきあいのある「正論」や「月刊日本」は極右ですから「河野談話否定派」「靖国参拝支持派」であり、当然三浦も同意見ですから安倍政権批判なんかやりません。全く呆れますね。
id:noharra先生は「自称・安倍政権批判派」だそうですが、そんな人間が「安倍シンパの三浦が役員の『守る会』に入って」平然としている。三浦批判などしない。全く持って「自称河野談話支持者・id:noharra先生の三浦への態度」は
1)「TPP反対!」と支持団体・農協に向かって言いながら「安倍政権のTPP参加方針」に何も言えない自民党農政族議員並みの
2)自民党中央は基地県内移設方針なのに「県内移設反対」という沖縄自民党並みの
怪しさ、醜悪さですね。要するに「自民党農政族議員のTPP反対」「沖縄自民党の県内移設反対」並みに怪しいのが「id:noharraの安倍政権批判」です。ま、id:noharra先生の安倍政権批判なんて口から出任せって事でしょうが。
現在の余りにもゆがめられた歴史論争
何がどう歪んでるんですかね。ま、三浦はウヨだから「慰安婦は違法じゃない」とかふざけたこと抜かしてくれるんでしょうが。
慰安婦問題での韓国の主張にどう与しないのか、三浦ははっきり言ってみろと言いたい。
「河野談話なんか間違ってる」「クマラスワミ報告もマクドガル報告も間違ってる」「米国の地方議会や米国下院の慰安婦決議は間違ってる」「吉見義明氏やマイク・ホンダ議員は間違ってる」「国連の慰安婦問題での勧告(日本は河野談話否定論の撲滅に全力を挙げよ)は間違ってる」「慰安婦は違法でも不当でもない」とでも言う気か?。とりあえず「河野談話」「吉見義明氏の橋下や維新の怪への批判」「吉見氏による維新議員(桜内文城)への名誉毀損訴訟*15」「米国下院や地方議会の慰安婦決議」「マイク・ホンダ氏」「国連の慰安婦問題での勧告」についてどう思うか、自分の考えを言ってみろよ、ゲス右翼。慰安婦問題で日本批判してるのは韓国だけじゃねえし、「一番数が多いのが韓国人慰安婦」ってだけで「インドネシアやフィリピンなんかにも慰安婦はいる」しアジア女性基金だってそういった「韓国以外の慰安婦」に償い金払ってるのによくもまあ、寝言が言えるな。
お前の意見はどうせ島田や西岡なんかと同じ「河野談話否定論」だろうが。穏健保守ぶってる手前、自分の意見がはっきり言えない卑怯者野郎。自称「河野談話支持者」id:noharraは自分が入ってる会の役員・三浦が「河野談話否定論者」でも何一つ批判しないんだから呆れます。で、こういう突っ込みを俺からIDコール付きで食らってもガン無視しやがるid:noharra。内心では俺の批判「三浦の河野談話否定論を批判しろよ」について正当性を認めざるを得ないが「わかりました、ブログで三浦氏を批判します」とは言えないから逃げるしかないのだろう。どんだけ三浦を恐れてるんだよ。三浦批判したら守る会内部で「三浦先生を批判するような奴は守る会にいるな!」とか君のつるし上げが始まるのか?
そんな会なら辞めちまえよ。こういうid:noharraのような輩が朝鮮総連に向かって「北朝鮮批判しろ」と言うのだから呆れて物も言えない。「三浦ごとき小物」を「いろいろなしがらみ」で批判できない「ヘタレ」の手前が、「北朝鮮といろいろしがらみのあるであろう総連」に向かって「北朝鮮批判しろ」とかふざけたことを抜かせると思ってるのか?。
日韓併合時に、日本がどれだけ韓国に経済的な発展と近代化をもたらしたかという保守派の論考にも抵抗感を持つ。
・よく言うぜ。『書評・日本統治時代を肯定的に評価する』(http://miura.trycomp.net/?p=391)で「日本の統治による韓国近代化万歳!」と書いたのはどこの誰なんだよ。お前じゃないか。
・なお、「韓国近代化に植民地統治が関係なかった」とは言いませんが、「韓国近代化においては朴チョンヒ時代の高度経済成長が大きいこと(いわゆる漢江の奇跡)」「同じ植民地支配を受けた北朝鮮が韓国と比べ経済成長していないこと」を考えれば日本の植民地統治を過大評価することは出来ないでしょう。
確かに近代化に結果として日本統治が寄与したことは確実な事実だが、本稿の一つのテーマであるように、近代化=欧米化というものは、必ずや前近代の美徳や伝統を破壊する宿命を持つのだ。
おいおい。「植民地における近代化」が批判されるのはそういう「近代化って前近代のいいものを捨て去る危険性があるよね」って「日本の明治維新などを含む近代化一般に該当する弊害」じゃないだろうが。
「宗主国が宗主国のためにやる近代化」であって「現地民のためになってるとは限らない」し「当然、現地民が反対してもやる」から問題なんだろうが。
この近代の生みの苦しみを、他民族によって与えられたことへの苦悩については日本人も一片の理解を持つべきだろう。
いやだからな、そういう問題(近代化による前近代のいいものの破壊)がないとは言わないが植民地統治において問題にされてるメインの問題はそういうことじゃないだろ。
仮に日本統治が経済復興や豊かさをもたらしたことをもってすべてを肯定するならば、戦後日本がアメリカによって事実上「統治」*16されたことによって、少なくとも戦前よりは近代化され経済的に豊かになったこと*17をも肯定すべきこととなる。そのような一面的歴史観を受け入れるならば、それは保守派とは言えまい。
言ってることが意味不明。基本的に「三浦らウヨの支持政党」自民党は「戦後日本がアメリカによって事実上「統治」されたことによって、少なくとも戦前よりは近代化され経済的に豊かになったこと」を肯定してるぜ?
むしろ「日本は米国の言いなりすぎる」「経済的に豊かにはなったが公害とかいろんな問題がある」と戦後日本に「三浦の言うような意味」である程度、批判的*18なのは共産党や社民党(社会党)のような左派だろうに。
日本統治下、朝鮮半島では民衆も知識人も、多くは他民族に支配される悔しさはあれども、自ら率先して、身分制度から解放された朝鮮民族としてのナショナル・アイデンティティを持ちはじめていった。
やれやれ。「身分制度から解放したのは日本だ。その結果ナショナルアイデンティティが生まれた」とでも言って植民地支配を正当化したいようです。
「ナショナル・アイデンティティ」を産んだ最大の原因は「日本による植民地化への怒りや悲しみ」「何とかして独立を回復するんだという朝鮮民族の思い」だと思いますけどね。
基本的に植民地統治ってのはどんなにソフトな態度は取っても、「最終決定権は宗主国が持つ」以上、そのソフトさには限界がある(たとえばウィキペ「朝鮮総督府」が指摘していますが、3・1事件後は「文民でも総督になれる」法改正が行われましたが、その後も歴代総督は、全て軍人です)。
また「ソフト」云々というなら「アメリカがフィリピンに自治権を認める(1916年)」とか、この時代は「ある程度ソフトでないと植民地統治がやっていけないという認識が広がった」時代だったわけです。
三浦が言うように日本が偉いとかそういう話じゃない。
日本人と朝鮮人の間にもそれなりの交流が生まれ、連帯意識も存在した。
だから何って話です。抗日運動する朝鮮人もいたし、朝鮮人差別する日本人もいた。
そして三浦が糞味噌に罵る「中国のチベット統治」においても「漢民族とチベット人の間にもそれなりの交流が生まれ、連帯意識も存在」するでしょうね。
植民地統治ってのは「長期継続」が前提ですから、可能な限りある程度のあめ玉は現地人にも与えられるし、それを喜び「交流、連帯する」現地人だっているでしょう。でそんなことは植民地統治の正しさの証明には何ら成らない。
大体、植民地支配なんかしなくたって交流も連帯も出来るでしょうに。「朝鮮植民地支配前の日韓関係(古代の渡来人や江戸時代の朝鮮通信使など)」もそうなら、今現在の日韓関係もそうでしょう。
■脱北帰国者の日本受け入れのために(上) 2006年に書いたものです(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1852
■脱北帰国者の日本受け入れのために(下)(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1854
今の私は正直この時の意識とは変わった面が多いのですが、とりあえずこれが原点でしたね。明確に間違ったところもあります。それはそれで恥としてそのままにしておきます。
「恥は恥として(注:書いた文章を訂正しないで)そのままにしておく」のは三浦の勝手ですが「この時の意識とは変わった面が多い」「明確に間違ったところもあると思う」のならその点について追記、注記するのが誠実な態度ってもんじゃないんですかね。「間違ってるところや意見が変わったところがある」なんて文章を追記、注記もつけずにブログにあげられても読み手が迷惑です。いつも思うことですが三浦ってのは誠実性の全くないゲスですね。
小生もこの問題に詳しいわけではないので「明らかにおかしいんじゃないか」と言う部分だけに突っ込みます。
この法案に反対した日本共産党や社会民主党は、この法案は内政干渉(脱北者の救援が内政干渉?)である、排外主義*21である、審議が足りないなどと述べている。
ま、この法案についての共産党の主張は赤旗にありますのでリンクを張っておきましょう。
赤旗
『北朝鮮人権法案を可決、共産党反対 拉致問題解決に有害、衆院特別委』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-13/2006061302_02_0.html
『「脱北者」は内政問題、北朝鮮人権法案 外務省認める、緒方議員質問、参院委で可決』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-15/2006061502_04_0.html
『北朝鮮人権侵害問題対処法案、緒方議員の質問(大要)、参院特別委』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-16/2006061604_06_0.html
俺個人は三浦より赤旗記事に賛同しますね。脱北者に対して「一般的な難民救済」として対処するなら、まだしも「脱北者に限定した法」をつくることは「北朝鮮への不当な内政干渉ではないか」とか「ミャンマー難民など、他の難民よりも脱北者を優遇するのは、他の難民に失礼ではないか」と言った意味で極めて問題だと思いますね。
勝手な決めつけも大概にして欲しい。「関心を払ってない」んじゃなくて「三浦らとは関心の払い方が違う」だけです。「自分らの関心の持ち方だけが正しい」とはどれほど思い上がれば気が済むのか。
生活保護は、本来、高齢者、障害者を除けば、一時的に生活を維持し、再就職、自立を目指すための制度だ。
認識が根本的に間違ってますね。生活保護は「生活困窮者を支援するための制度」であって別に「再就職、自立を目指すための制度」じゃない。大体就職したって「低賃金で」生活が困窮してるいわゆるワーキングプアなら受給受けていいんですから。三浦は「受給者は全部失業者」とでも思ってるんでしょうか。無知きわまりないですね。
この様な福祉*22には、しばしば甘えてしまうのが人間の弱さである。
一般的に言って、甘えられるほど日本の生活保護は甘くはないですが。だからこそ生活保護を受けられず餓死なんて悲惨な事件が時々発生する(甘え以外の何物でもない「ヤクザの不正受給」なんてのは生活保護全体から見たらごくわずかです)。そして「生活保護を受けざるを得ない状況にあること」、つまり「就職できないこと」や「就職したけどワーキングプア状態」ってのは甘えなんですか?。努力すれば就職できる、ワーキングプアから脱出できると全てを自己責任にする気ですか?
私は(注:脱北者の)生活保護の受給については賛成*23だが、あくまで期間限定の処置である事を明確にするべきだと思う。一案として、50歳代以下の脱北帰国者に関しては、この生活保護受給は、1年間、もしくは1年半とする。
何を訳のわからないことを言ってるんですかね。「生活が苦しければ受給できる、受給して当然の権利」が生活保護ですよ。「脱北者は生活保護の受給制限しよう」とか考えることの意味がわからない。
「失業者やワーキングプアを減らすなどして、生活保護を受給しなくて済むようにしよう」なら異論はないですよ(それは、「生活困窮者全般」に当てはまる話であって、別に脱北者に限らないですけど)。しかし「それでも生活保護受給せざるを得ないケースはある」でしょう。その場合に「受給制限」なんてことが何で思いつくのかさっぱりわからない。三浦って生活保護受給者を差別していて、片山さつき当たりが主張する「受給制限論」に対して好意的な人間ではないのかと疑います。
職業訓練や就職支援は、ハナ院的な施設にて、将来の自立のためにも彼らに提供されるべきではないだろうか。その様な処置なくして、単に一定期間で生活保護が打ち切られるようでは、最悪の場合はホームレスを生み出すことになりかねない。
「最悪の場合はホームレスを生み出すことになりかねない」
だったら最初から生活保護受給制限なんか言わなければいいでしょう。「脱北者に限らず」生活困窮者の職業訓練や就職支援なんて当たり前の話だし、大体職業訓練や就職支援すれば、「生活保護受給制限」していいんですか?。「生活保護受給を受けないで済む、それなりの賃金の安定した職業」に「誰でも当然に」就職できるんですか?。日本人の生活保護受給者ですらそんなに甘くはないでしょう。
別に平島さんが帰国して良かったとは言いませんし、彼女に対する精神的ケア、サポートも不十分だったのかもしれないけど、この問題は「帰国しない方が良かった」「家族離ればなれの方が良かった」とは言えないですよねえ。基本的にこういう問題は「精神的ケア、サポートしていれば帰国しない」とか「帰国しない方が当然に幸せ」とか言えないと思いますよ。「やっぱり家族一緒にいたい」ってのは一つの価値観としてあり得るでしょうし、それを止めることなんかできないでしょう。
そういう認識がないらしい三浦には本当に呆れる。
「移民の運命」(藤原書店)で、移民、難民問題の原則を提示したエマニュエル・トッドは、60年代以降の「差異の権利」という概念が、逆に人種対立を招き、極右の台頭を招いた事を指摘する。
(中略)
トッドは、日本では評判の悪い「同化」*24という言葉を肯定的に使い、移民、難民のフランス社会への同化を必然的なものとして提示すると共に、フランス国民に対しては「開かれた同化主義」を推奨する。
何で脱北者の受け入れ問題で同化主義がどうこう言い出すのかさっぱりわかりませんがそれはさておき。
トッド本を読んでないので何とも評価に困ります*25がこういう物言いは「同化主義の正当化」につながりませんかね?。で、いわゆる同化主義が正しいかといったら正しくないでしょう。そもそもチベット問題で「中国は同化主義だ」と非難する三浦がこういう文章を平然と引用できる神経は理解に苦しみます。
大体、トッドは神様でも何でもないでしょうに(トッドだけでなく、あとで三浦が持ち出すスティール云々も同じ事です)。まあ、俺が思うにトッドやスティール*26はともかく三浦のような極右は単に「日本社会への同化」を民族的マイノリティに強要したいだけでしょうし、三浦一派の例の「朝鮮学校差別」も「朝鮮人に対する日本社会への同化の強要」が目的でしょう。でそうした同化主義を正当化するために「トッド先生やスティール先生も同意見だ」と宣伝すると(まあ、外国人を持ち出すことはなかなか狡猾とは言えるかも知れません)。知らんがな、そんなの。大体トッド批判派、スティール批判派だってフランスや米国に当然いるわけです(トッドやスティールが批判対象にしているという文化多元主義者は「トッドやスティールの方こそ間違ってる。彼らはイスラム文化などの他文化、異文化を否定するただの同化主義に過ぎない。詭弁で居直ってるだけだ」などと反論しているでしょう)。大体、何度も書くけど「同化主義を正当化する立場の人間(三浦)」が「中国のチベット支配は同化主義だ」と何で偉そうに中国非難できるの?
「俺(三浦)の同化主義はきれいな同化主義、中国の同化主義は汚い同化主義」とでも言いたいんでしょうがそれただの詭弁と違うの?
要するに朝鮮学校への三浦の態度は「同化の強要」であって、id:noharra先生が強弁するような「朝鮮学校に通う子どもの人権の配慮」なんかでは全くない。違いますか、俺の質問にトンズラするしか能のないチンカス野郎のid:noharra先生。改めて聞きますけど「id:noharra先生は自分の糞ぶりに生きてて恥ずかしくない?」。まあ、id:noharra先生は屑だから羞恥心なんか皆無だろうと言うことは良く理解していますが。
どうすればあなたや三浦のような「生きる価値のないゲス」が誕生するのか是非教えて欲しいもんです。小生はあなた方ほどの恥知らずではありませんので。あなたや三浦の両親はゲスなんだろうと言うことだけは想像がつきます。
「開かれた同化社会」の原則は日本語習得*27
呆れて物も言えませんね。もちろん日本社会において日本語が使えないと生活は不便ですよ。
そしてそうである以上、「日本語習得を希望する」外国人が日本語を習得する機会を作る必要が政府にはあるでしょう。
とはいえ「日本語が使えなくてもある程度生活できるようにする」という方策だってあり得るわけです。JRの駅の表記に「英語、中国語、ハングル表記」があるのは例えばそうした考えの表れでしょう。
先日、野暮用で、群馬の大泉町に行ったら、「ポルトガル語の看板が結構あってびっくりしました」がそれもそうした考えの表れでしょう(ご存じの方も多いでしょうが大泉には日系ブラジル人がスバルの工場などに沢山出稼ぎに来ています。で、ブラジルの公用語はポルトガル語です)。
何で「外国人は皆日本語が使えるようになれ、それが『開かれた同化主義』だ」とか抜かすのか?。日本語習得を希望しない外国人がいたら何か問題があるのか?。思い上がるにも程がある。
さすが「朝鮮学校での朝鮮語教育に無関心なゲス右翼」だけのことはあります。
大体その理屈だと「開かれた同化社会の原則は中国語習得」「『差異の権利』概念が問題をかえって深刻化させている」「チベットが同化すれば対立もなくなる」と、中国政府がチベット人相手に言っても文句言えないんじゃないですか?。日本の同化主義を無理矢理正当化すれば、中国の同化主義への批判が出来なくなると思いますが、三浦は「俺(三浦)の同化主義はきれいな同化主義、中国の同化主義は汚い同化主義」という詭弁を吐いて恥じないようです。まともに「あんたの同化主義と、中国の同化主義とどこが違うの?」と聞かれてもおそらく三浦にはまともな返答なんか出来ないでしょう。
最後に、戦後民族派思想家の雄、葦津珍彦氏の言葉を引用して、この小論を閉じようと思う。
(中略)
「私が、ここで力説したいのは、日本国が明治以来、世界に先駆けて主張してきた人種平等、移民の自由という公正な国際原則主張の歴史を銘記すべきで、その誇りある歴史に反して、多少の利害やショーヴィズムに流されて、八紘一宇、世界大同の理想に反してはならないということです。」(葦津珍彦著「天皇」神社新報ブックス、原文旧かな)
脱北帰国者受け入れ問題で様々な困難に直面した時、私は常にこの言葉を思い起こすことにしている。
絶句です。右翼活動家・葦津の文章を好意的に引用するとは三浦は「日本国が明治以来、世界に先駆けて主張してきた人種平等(在日朝鮮人差別などなかったと強弁する気なんでしょうか?)」だの「八紘一宇」だのという葦津の主張を支持するんでしょうか?
「八紘一宇」というのは「世界を天皇のもとに一つの国家にする」という意味で侵略思想以外の何物でもないんですけどね。大体何で『脱北帰国者受け入れ問題で様々な困難に直面した時』にこんな言葉を思い起こすの?。わけがわからない。
しかしid:noharra先生もよく「八紘一宇」なんて言葉を使う極右・三浦が役員の「守る会」に恥ずかしげもなく入れるよな。
*1:ウイグルだって最大組織「世界ウイグル会議」のトップであるラビア・カーディルは独立要求なんかしていなかったと思いますが
*2:予想大当たり!
*3:多くの人がそう思うでしょうが、本来何の関係もない「堀越二郎」と「風立ちぬ(堀越をモデルにした小説では全くない)」が何故宮崎的にはつながることになるのかは気になりますね。
*4:もちろん小説からヒントを得た着想を入れている以上、単純な堀越の伝記映画ではないわけです。堀の小説は堀越とは関係ありませんし。
*5:はっきりと慰安婦問題とか靖国問題とか言えないところが無様ですね
*7:後で指摘しますが「歴史への無知」とやらだけしか批判しない三浦は馬鹿すぎる。発言から想像される麻生の反民主主義性も充分問題です。
*8:後で指摘しますが「ナチスの引用」がなくても充分、問題発言です。そうした理解が出来ない三浦はバカです。
*9:ファシズムと書かないところがウヨの三浦らしい。ナチス以外(ムソリーニイタリアや戦前日本)は擁護したいんでしょうか?
*10:事実なら俺にとって恐ろしい話ですが。若者にとって自民改憲案はメリットがあるとも思えませんのでね
*11:社民党参院議員。福島瑞穂参院議員の党首辞任後は党首代行を兼務
*12:もともとのタイトルは「ブルースミュージック」だったのがいつの間にか「酒飲みミュージック」になっています。三浦の「酒飲みミュージック」とやらの定義は不明です。
*13:カギ括弧つける必要性がどこにあるのやら。今時「従軍じゃない。軍に勝手についてきただけだ」とでもほざく気でしょうか?
*14:「など」って具体的に何だよ?
*15:この訴訟について詳しくはたとえば朝日新聞『吉見教授、維新議員を提訴 慰安婦問題の著書巡る発言で』(http://www.asahi.com/national/update/0726/TKY201307260069.html)参照
*16:独立前の「GHQ時代」ならともかくサンフランシスコ講和条約による独立回復後においても「事実上統治された」とまで言っちゃう?。韓国植民地支配と同一視しちゃう?。にもかかわらず共産党のようには米国批判しないと。わけがわからん。
*17:少なくとも「経済的に豊かになった事」それ自体は肯定的評価して当然だろ。それで公害問題などさまざまな問題がチャラになると言ったら間違いだが
*18:もちろん全否定ではない
*20:あれだけの激しい独立運動が起こって武断政治を全く改めなかったらその方がおかしい。柔軟性なんて褒める話じゃない
*21:法案自体が排外主義かどうかはともかく三浦ら右翼が排外主義であること、この法案をそうした目的に悪用しようとしたことは否定できないでしょう
*23:そもそも生活保護受給は生活困窮者の当然の権利でしょう。脱北者なら保障されないってもんじゃないでしょう。
*24:何も同化概念が評判が悪いのは日本に限りません。「日本のアイヌ同化政策」「米国のインディアン同化政策」など歴史上存在した同化政策の多くは「民族文化無視」として批判されていますし、現代においても「中国のチベット支配」などにおいてそうした批判がされるわけです。
*25:もちろん、後で三浦が持ち出すスティールについても本は読んでいませんので正確な評価は無理です。
*26:トッドたちも三浦と同レベルの排外主義ウヨではないかと俺は疑いますが。トッドやスティールへの批判をご存じの方がいたらご教示いただきたいですね。たとえば「フランス人」トッドが「フランスのブルカ禁止法」についてどういう態度を取っているのかとか。まあ、「多分、ブルカ禁止法支持か容認なんだろうな」と何となく想像が出来ますが。俺は勿論ブルカ禁止なんて民族文化否定は許しませんよ。そこに「女性差別的な点」があったとしても関係各位の自主努力に任せるべきで権力的介入など思い上がるにも程があります。
*27:この三浦の主張が「開かれた同化社会論者」トッドの主張からヒントを得ている(つまりトッドはフランス語の習得を同化社会の原則としている)のかどうかは不明です。