「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート47(追記・訂正あり)

パート46の続き。

■「李英鎬(イ・ヨンホ)総参謀長*1の失脚 北朝鮮権力闘争の始まりか」にコメント・その1 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00861
 タイトルでおなかいっぱい。彼が失脚したのかどうかは現時点ではわかりません。北朝鮮の公式発表は病気辞任で、それを否定する材料は今のところありません。だからマスコミ各社は記事本文では「政治抗争による失脚」の可能性を指摘しても、記事タイトルで失脚と断定するようなバカはしていません。「更迭」「解任」と表現するにとどめ、失脚の可能性についてタイトルで触れるときも「失脚か?」などとして断定しないわけです。また政治的失脚だとしても「何故彼は失脚したのか」「彼の失脚は今後の北朝鮮政治にどのような影響を与えるのか」などについて正確に理解することは現時点ではなかなか難しいでしょう。
 当然、三浦のように

この権力闘争は北朝鮮独裁政権打倒のチャンス

などと北朝鮮崩壊論を唱えるマスコミなどありません。失脚かどうかわからない、失脚だとしても失脚理由などがまだよくわからない段階でそこまで言えるのは単に無責任なバカです。
どうすれば打倒できると三浦が思ってるのかさっぱりわかりませんし、「巻き添えで日本人妻やヘギョンさんが死ぬ危険性」などを考えたら打倒することが無条件でいいことだとも俺は思いませんが。
 俺はこのニュースを聞いたとき根拠もないのにバカウヨが「北朝鮮崩壊の兆し」とか言い出すんじゃないかと思ったら見事に三浦がそのバカ行為をやってくれました。三浦曰く李英和も三浦同様のバカを言ってるようです。

(参考)
時事通信「李英鎬軍総参謀長を解任=「病気のため」と説明−北朝鮮
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012071600034
産経新聞北朝鮮、強硬派を一転排除か 李英浩氏解任」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120716/kor12071622520003-n1.htm
毎日新聞北朝鮮:「病気は不自然」利権で対立か 正恩氏側近解任』
http://mainichi.jp/select/news/20120717k0000m030076000c.html
 
 
 ちなみに産経は「李氏は軍タカ派であり、軍タカ派から距離を置き、交渉路線にアクセルを踏みたい金正恩氏とその側近グループが彼を排除した」と言う見方を紹介しています。それが事実なら北朝鮮が対話路線に変化していると言うことになります。
 いずれにせよこういう「北朝鮮にいい意味での変化があったのではないか」と言う情報を全く伝えない三浦には呆れます。産経すら報じてるのに。
 自分の賛同しない意見でも「こういう意見もあるので一応お知らせします」と言うのがまともな人間でしょう。それどころか三浦は李英和の独自説「崔竜海がナンバーツーを狙っており、張成沢と権力闘争が起こるだろう」とする説(要するに通説的見解じゃない)を得意げに紹介する始末です。
 

(参考)

張成沢(ウィキペ参照)
 北朝鮮国防委員会副委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局委員、朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮労働党中央委員会行政部長。北朝鮮の最高指導者だった金正日の側近といわれ、金正日の妹・金敬姫朝鮮労働党政治局員、党軽工業部長)の夫。

 

崔竜海(ウィキペ参照)
 北朝鮮国防委員会委員、朝鮮労働党政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長、朝鮮人民軍総政治局長。崔竜海金正恩体制で最も昇格した人物である。また張成沢の最側近と言われる。


なお、三浦はこの文章で触れていませんが玄永哲氏と言う人物が次帥に昇格し、彼が李英鎬氏の後任として軍総参謀長になるのではとの見方が出ているようです。誰が李英鎬氏の後任になるのかも、李氏辞任を分析する上で重要な要素かもしれません。


(参考)
読売新聞「北、玄永哲大将に次帥称号…総参謀長後任か」
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120717-OYT1T00303.htm
東京新聞北朝鮮 次帥に玄永哲大将 解任の軍総参謀長後任か」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012071702000214.html


■何故俺はid:noharra先生を非難するのか
前もその理由は書いた気がするが改めて書く。改めて書くのはid:noharraの「人間屑ぶり」に向かっ腹が立ったからでそれ以上に書く理由は特にない。
 まず第一に、「先に俺に喧嘩を売ってきたのはid:noharra先生」というのがある。俺が「産経の朝鮮学校差別とそれを正当化するためのデマ記事は許せない」と書いたら、「俺を北朝鮮シンパであるかのように誹謗した」のがid:noharra先生だ。
 第二に「先生の卑劣な態度」がある。「質問大歓迎」「守る会への誹謗は許さない、いずれ反論する」と書きながら「守る会にはこういう問題点があると思うがどう思う」と俺に聞かれても返答せずに逃げ続けるとは卑怯にも程がある。また人にさんざんIDコールを送れと言いながら、IDコールも送らずにid:mujige氏を誹謗中傷しまともに謝罪しないこともあった。id:noharraはいい加減恥を知るべきだ。
 第三に先生の問題点があまりにも明瞭であること。たとえば「朝鮮学校の教科書記述は問題だと言いながら、守る会役員・三浦小太郎がつくる会を礼賛しても批判しない」「脱原発派を名乗りながら、三浦の『放射線ホルミシス効果飯館村は安全』主張を批判しない」「ツイッターで極右・西村幸祐の差別発言を非難しながら、何故か三浦が西村とつきあってることを批判しない」など。他にも先生のわかりやすい問題点はあると思うが。だからこそ反論もできず、かといって謝罪する誠実さもない先生は俺から逃げるしかないわけだ。
 この三つがなければこれほど俺もしつこく何度も非難しなかったと思う。要するに「他の人間に比べて、むかつくから非難してる」「他の人間に比べて非難しやすいから非難してる」わけだが、「守る会等の問題点を指摘した上で非難」、つまり「無茶な非難はしない」という最低線は守った上で非難するよう注意している。
 4つめの理由を挙げれば「俺の知る限り奴を非難してる人は少ない」かな。俺以外に非難してる人がいればここまでしつこく何度も非難しなかったと思う。
 非難していない人もid:noharra先生の非論理と不誠実さに呆れてるだけだろうが。
 なお、俺が「守る会」や「巣食う会」に突っ込むきっかけも実はid:noharraがきっかけだ。俺は「憎悪の念の強い」人間なので、俺に誹謗中傷を行ったid:noharraに憎悪の念を抱き、「野原が会員だという守る会や、守る会の友好団体らしい巣食う会disって野原罵倒してやるか、どうせ奴と同レベルのゴミ団体だろ」と思ったわけである。完全に私怨だが、それなりに根拠のある突込みをしているつもりだ。
 その結果、俺が思ってた以上に「巣食う会と守る会がろくでもないゴミ団体であること」や「野原がJSFなみにとんでもない人間であること(俺の守る会批判にまともに反論できないくせに「ボーガスには勝ってるつもり」など放言するなど、態度だけはでかい)」が大変よく理解できた。


JSFの酷さについて
はてなブックマーク『【アク禁オブイェクトJSF氏の言い訳が大津市教育委員会並みに酷い件』
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120715020655
 

■オレ流北朝鮮・韓国最新情報(2012.7/16分)
時事通信拉致問題で協力要請=民主・前原氏、韓国統一相と会談」
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012071600364
 竹島問題や慰安婦問題で韓国を挑発するまねしてどれだけ恥知らずなのか。まあ、韓国だって以前から協力してるわけでこんなのはパフォーマンス以外何物でもありません。重要情報が入ってきたら、日本にとっくに渡してるでしょう。


朝日新聞「中国人富裕層狙え…北朝鮮、外貨獲得へ観光ルート次々」
http://www.asahi.com/special/08001/TKY201207160510.html
産経新聞北朝鮮に小麦粉2千トン ロシアが人道支援
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120716/kor12071623270007-n1.htm
 これらの記事を読むと経済制裁による北朝鮮打倒論って現実性ないなと改めて思います。


産経新聞親北朝鮮派が代表選敗れる 韓国野党、大統領選影響も」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120715/kor12071522490002-n1.htm
 産経が実にうれしそうですが、今後の統合進歩党の情勢に注目したいと思います。


中国新聞北朝鮮代表団ら特例入国 サッカーU-20女子W杯」
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201207160068.html
北海道新聞「サッカー北朝鮮代表団ら特例入国 政府、100人規模容認」
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/387878.html

・また増元照明だの荒木和博だのが「入国させるな」とかバカなことを言い出しそうですがサッカー選手の入国を禁止して何がどうなるのかと。
 ブクマで指摘してる人もいますが、日本開催を決めたのはFIFAでしょうから、入国禁止なんかしたら日本サッカー協会がペナルティを受けかねない。そして入国禁止にした場合、北朝鮮サッカーチームの扱いをどうするつもりなのか。とれる一番現実的な手は、日本での試合で全勝したことにして特別に優勝扱いにでもする事でしょう。まさか全敗扱いにもできないでしょうし、とはいえ、実際に試合したわけでもないのにどの試合が勝ったか負けたか勝手に結果を決めるわけにもいかないでしょう。。
・むしろサッカー選手団に北朝鮮外交官が同行して秘密裏に、都内のホテルで日本外務省や民主党の幹部と密談でもやった方が拉致問題は解決するでしょうに。そう言うことをやるのかどうか知りませんが。むしろとっとと解除すべきですよね、入国禁止一般を。
中国新聞等の記事にもコメント。

金正恩第1書記の新体制となった北朝鮮は4月に長距離弾道ミサイル*2発射を強行したものの、その後3回目の核実験を見合わせていることを重視、選手団受け入れに柔軟対応すべきだと判断した。

そう言う問題じゃないですけどね。「スポーツに政治を持ち込むべきでない」という問題であって、核実験を実行したって受け入れるべき問題です。大体、入国禁止にしたら確実にFIFAからペナルティが来ますよ。変な理由を語るなんて何てバカな政府だろうと思います。受け入れるだけマシですけど。

藤村氏らは選手らへの入国時の検査も過度にならないよう手続き面でも配慮すると申し合わせた。日朝政府間交渉が拉致問題をめぐり08年から暗礁に乗り上げていることを背景に、対話の糸口をつかみたいとの野田政権の思惑もありそうだ。政府、与党内には「100人規模が日本に2週間前後滞在することになれば、日本側関係者との接触の機会も増え、金正恩新体制の内情など、さまざまな情報が入ってくる」(政府関係者)との期待もある。

ブクマもついてるけど交渉したい、情報を知りたいのなら経済制裁をやめればいい。衛藤訪朝も全力で推進すれば良かった。
石原に煽られて尖閣購入なんて計画するバカな野田政権にはあまり期待してませんが、それにしても腹が立つ。家族会、巣くう会にどれほど媚びれば気が済むのか。


■「河信基の深読み」を読む(2012.7/16分)
「成長軌道に復帰した北朝鮮経済と新政権の課題」
http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute/44131456.html

 北朝鮮の経済はわずかながら伸びており、その背景には中国との交易がある、という、予想の範囲内の記事。経済制裁論の説得力のなさが改めて明らかになったと言えるでしょう。で、河氏は日朝国交正常化でむしろ日本が経済進出していった方が中国の政治的影響力が強くなり過ぎなくていいという考えのよう。俺も同感です。


id:motorunder氏のツイッターを読む(2012.7/9分)

サンジャポ民主党分裂に関する石原と橋下のコメントを並べて流してたんだけど、石原のあの悪意に満ちた吐き捨てるような発言の後に橋下のコメントを見ると、まるで感じのいい新進若手政治家のように見えてしまうことに驚愕した。生理的な嫌悪感という点では自分の中で石原の方がはるかに勝るようだ。

 俺的には「究極の選択」でどちらか選べと言われたら、迷うことなく即、石原セレクトだ。生理的な嫌悪感では橋下が遙かに勝る。いや生理的じゃなくてやはり「ある程度理性的判断」なのか?(肥満で糖尿病になるのと、酒の飲み過ぎで肝臓病になるのとどっちがいいかとか、練炭自殺と首つり自殺とどっちがいいか並の嫌な選択だが)。石原は橋下ほど常軌を逸した組合攻撃を「公然とは」やってない(非公然ならやってるのかもしれないが)。さすがの石原も、中之島図書館廃止に当たる暴論を突然公言するほどのキチガイでもない(石原の図書館政策を支持しているわけではない。支持するしない以前によく知らないが)。
尖閣購入論は正直「キチガイ」だと思うが「寄付を募ったり」「国への売却を唱えたり」するのは、いろいろ理由はあるのだろうが「都税で購入したら後がやばいかも」とびびってるのかもしれないとも思う。
正直、『橋下という「石原の方がまともに見える程、キチガイ」の人間がいる』ということに「驚愕した」。前も書いた気がするが名古屋の河村さえ橋下よりはマシに見える。俺の中で橋下を「悪い意味で」超える男はただ一人阿久根の竹原だけだ。
 あと「サンジャポ」は「橋下発祥の地の一つ」であり、今も「橋下所属事務所のタレント・爆笑問題」が出演してるのでそこは割引いた方がいい。明らかに「橋下美化の編集」がされてるだろう。要するに「生理的な嫌悪感という点では自分(id:motorunder氏のこと)の中で石原の方がはるかに勝る」かどうかはサンジャポだけでは疑問だと思う。


金日成が直接美濃部都知事に語ったよど号犯事件
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00860
 三浦が金日成と美濃部氏が嫌いなこと、及び岩波書店が嫌いらしいこと「だけ」はよくわかりました。この文章を読まなくても「三浦はウヨ」なのでサヨが嫌いだなんてことは想像が簡単につきますが。
 なお、俺は美濃部氏の「よど号犯に対する発言」の何が問題だかさっぱりわかりません。「よど号グループを早く日本に送り返せ」とでも美濃部氏に三浦は言ってほしかったんでしょうか。
 もちろん美濃部氏も大人ですからリップサービス、社交辞令というのは当然ありますし、正式な国交がない国に対して美濃部氏のような民間外交をすることは無意味な行為とは俺は思いません。
 ただある程度のリップサービスは仕方がないと思う俺でも、さすがに「ウイグル会議の靖国参拝尖閣献金」はウイグルが日本ウヨにこびへつらうにもほどがある、やらせるウヨもバカかと思いますが。三浦はそうは思わないんだろうな、ウヨの一員だから。

私もまた、後の時代からはこのように思われる発言を今しているのかもしれません

後の時代じゃなくても今の時代の視点だってお前は「アホとしか思えない」発言連発だろ。
朝鮮学校を無償化除外せよ」
北朝鮮スパイを取り締まるためにスパイ防止法を制定せよ」
「寺越武志さんを拉致認定せよ」
「菅前首相の『市民の党疑惑』を追及せよ」
金大中氏、宇都宮徳馬氏、徐勝氏は北朝鮮エージェントかもしれない」
藤岡信勝の『つくる会』を評価する」
「日本の朝鮮植民地支配は朝鮮を近代化した善政(そう言う一方でチベットを近代化した中国の統治は人権侵害を理由に否定するダブスタぶり)」
一色正春の情報漏洩は義挙」
放射線ホルミシス効果飯館村は安全という荒木さんの運動を支持する」
「山本美保さんDNA鑑定捏造疑惑という荒木さんの主張を支持する(その結果山梨県警への誹謗に荷担する)」
「フィリピン革命のバックには中国がいるかもしれない」
なんて発言(他にも三浦のアホ発言は山ほどあるし、三浦がスルーするお仲間の発言まで含めたらすさまじい数になるだろうが)がまともだと思ってるのかよ。頭がおかしいんじゃねえの。お前みたいなバカを役員に担げる「バカの集団」守る会会員(もちろん生きる価値のないバカid:noharraを含む)共々死ねよ、糞野郎。三浦やid:noharraみたいな「謙虚さのかけらもないバカ」が謙虚ぶったって気持ち悪いだけなんだよ。
 三浦は「でも当時は北朝鮮の実情はあまり知られてなかった」「金日成も拉致などの汚れ仕事をよど号グループにさせていることはさすがに認めていないし美濃部氏にわかるわけもない」という美濃部支持者の予想される反応に「誠実に対応したポーズ」をとって「当時の視点ではそうかもしれないが現時点では批判せざるを得ないと思う*3」「僕はただのアンチ美濃部ではないです」「僕だって後で間違いとわかる主張をしているかもしれない。間違いとわかった時点では勿論謝罪する容易はあります」アピールをしているのだろう。そう言うことを絶対にしない島田や荒木などに比べれば狡猾ではあるが、三浦ご本人が「将来の視点どころか今の視点でも、いつもバカな主張ばかり」なのでまるで説得力がないところが皮肉だ。
 「謝罪する用意がある」アピールするなら今すぐ山梨県警や、寺越さん、飯館村の人などに謝れよと言いたい。
 三浦の文章及び三浦が紹介する対談録について簡単にコメントしましょう。

いままで、スカルノシアヌーク、モディブ・ケイタ、コスイギン、周恩来など、多くの人がとまっていました。

名前の出た人についてウィキぺを元に簡単にコメント。シアヌークだけ存命で後は故人です(2012.10/15追記:シアヌークも故人となりました)。
スカルノ
 インドネシア初代大統領。しかし1965年に起こった9月30日事件を機にスハルト(後に二代大統領)に実権を奪われる。1998年、民主化運動の高まりで大統領辞任に追い込まれるまでスハルト独裁が続いた。長女メガワティ氏は第5代大統領。


シアヌーク
 カンボジアの国王。
1)シアヌークが容共派であることに反感を感じたアメリカは1970年、ロン・ノル首相を動かしてクーデターを実行させる。
2)シアヌークは北京に亡命し、ここで中国からポルポト派と手を握り、ロン・ノル打倒へ動くよう説得される。ポルポトを信用していないシアヌークだが他に打つ手がなく、渋々共闘。
3)1975年、ポルポト派がカンボジア全土を征圧。シアヌークは帰国するが、政治的実権はなく、ポルポト派の異常な弾圧体制に生命の危機を感じる。
4)1979年、ベトナムの支援を受けたヘン・サムリン派がポル・ポト派を打倒。
 ヘン・サムリン派(バックがベトナム)対シアヌーク、旧ロン・ノルポル・ポトポル・ポトは中国、他の二派はアメリカがバック)の三派連合で内戦が始まる。
5)1990年、「ポルポト派抜きだが」カンボジア和平が実現し、ベトナムは撤退。シアヌークも帰国し王位に復帰する。ただしロンノルクーデター時は政治的実権があったシアヌークですが、今は日本の象徴天皇制のような扱い。


モディブ・ケイタ:
 マリ共和国初代大統領。1968年に起こったムーサ・トラオレ大尉(後に二代大統領)のクーデターで失脚し、投獄され1977年に獄死。1991年、民主化運動の高まりで大統領辞任に追い込まれるまでトラオレ独裁が続いた。


コスイギン:
 ソ連の政治家。レニングラード市長(1938〜1939年)、第一副首相(1960〜1964年)、首相(フルシチョフ首相失脚時の1964年から1980年まで)などを歴任。


周恩来
中国の政治家。毛沢東(党主席)の信任が厚く、文革中に失脚しなかった数少ない党・政府幹部。首相(1949年の建国から死去する1976年まで)、外相(1949〜1958年)、政治協商会議主席(1954年から死去する1976年まで)などを歴任。

朝鮮大学*4をなんら総連側の主張を疑うことなく認可した美濃部氏

 くだらねえ、まるで美濃部は認可するなとか、石原にこれから認可を取り消してほしいような口ぶりだな。民族学校を認可して何が悪いんだか。
 三浦は「美濃部氏が北朝鮮に好意を抱いていたから不当に認可された」とでも言いたげですが、美濃部氏が北朝鮮に対して好意を抱いていたかどうかに関係なく、民族学校の認可は認められて当然でしょうに。美濃部氏以前の知事が本来認めるべきだったのが遅れてしまった、美濃部氏が認めなければ在日差別状態が続いて日本の恥だったと言う話です。
何度も言うが三浦みたいなゲスは「守る会」のバカ共(もちろん生きる価値のないバカid:noharraを含む)と一緒に死ねよ、クズ。


金日成絶対化の中で犠牲になった北朝鮮の芸術家たち 
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00859
まあ、「北朝鮮において芸術家の表現の自由が犠牲にされた」という、三浦が書いてることは間違いではないでしょうが読んでて不愉快になるのは、三浦に「戦前日本軍国主義の中で犠牲になった芸術家達」(一番わかりやすい例は小林多喜二の虐殺でしょう)、「戦後日本で表現活動を侵害された芸術家達」(例:最近のニコン事件)への思いなんかまるでないからでしょうね。
 たとえば三浦が映画「靖国」「ザ・コーヴ」の上映妨害やニコンの写真展問題などで「表現の自由を守れ」というかといったら「表現の自由の侵害者がお仲間の右翼」ということもあっておそらくそんな事は絶対言わないわけです。
 あるいは「文楽を抹殺したいらしい大阪市長・橋下」に「補助金をカットして文楽をどうしたいのか?。あんたのいいなりにならないから、あるいはあんたが嫌いだから潰すのか?。権力乱用も甚だしい」などと抗議したりもしないわけです。
 しかし北朝鮮や中国など自分の嫌いな国に対してだけは言うと。どれほどふざけたゲス野郎ですかね。


■7月27日 戦略情報研究所セミナー  現地調査報告並びに西村真悟氏講演会
http://hrnk.trycomp.net/syukai.php?eid=00171
この講演会紹介の文章で何が一番酷いって

国家権力による理不尽な圧力を受けながら闘ってきた

って文章ですね。何が「国家権力による理不尽な圧力」か、具体的に書けないのもせこいですが、一体いつ西村がそんな圧力を受けたというのか。もし西村が逮捕・起訴され有罪判決を受けたこと、そして逮捕・起訴を理由に民主党を除名されたことが「理不尽な圧力だ」というなら詭弁にも程がある。西村が逮捕・起訴され有罪判決が下ったのは犯罪を犯したからでしょうに。文句があるのなら再審請求して無罪判決を勝ち取って下さい。
どうせ「裁判所と権力はぐるだから再審請求しても無駄だ」「再審請求してるほど暇じゃない」などといって言ってしないんでしょうが。コレ、他の「気にくわない政治家」が西村と同じ事をやっても賛同できるんですかね。まあ、賛同しないで「再審請求しない癖に無罪を主張するとは往生際が悪い」とか言い出すんでしょうが。
犯罪者が有罪判決を受け、再審請求もしていないの「俺は権力に弾圧された」と公言し、それを「守る会」は平然と会サイトに載せるとはどういう神経をしてるんでしょうか。ぜひid:noharra先生には会員として「守る会」のこの愚行についてご意見をどうぞ(毒)
「犯罪者西村の居直りを容認する、三浦小太郎ら守る会執行部を、会員として許せない、私id:noharraは執行部に強く抗議する、執行部が反省の意を示さないなら抗議退会も検討する」でも
「西村先生は無実だ、この文章に何ら問題などない。逮捕起訴した捜査当局、有罪判決を下した裁判所、除名した民主党、そして彼らを支持し西村先生を非難するボーガスが間違ってる」でも
「この文章は問題だと思うが西村先生と『守る会』はしがらみがあるし、政治家として先生は一定の評価もできると思う。大目に見てよ」でも
結構ですので。まあいつも通り「華麗にスルー」で「逃げ続ける」んでしょうが。id:noharra先生には誠実さとか知性とかはどこにもないようです。松下昇とか金時鐘とか言っていつもかっこつけてるけどね。いつもながらせこい人格だな、id:noharraは。


■国連専門機関、北朝鮮やイランにコンピューターなど提供
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00231
ばかばかしいとしか言いようがありませんね。国連機関が国連安保理決議違反行為をやるとはとても思えませんが。アホな言いがかりも大概にしろと。まあ、百歩譲って本当に違反行為だとしても「横の連携がうまくいってない」ってこともありうるでしょうが「そもそも安保理決議自体が常識人には理解困難な代物」って可能性もありますので単純に非難はできないでしょう。


カラヤン帝国興亡史(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1157
 俺は性格が歪んでるので三浦がほめてる本というのはけなさずにはいられない。とは言え読んでない本はけなしようがない。
 三浦のほめ方があまりにもトンデモな場合は「なんだそのトンデモなほめ方は」「その本、駄本と違うんか」と突っ込めるが今回は残念ながら、そうではない。
 こういう時便利なのがアマゾンレビューだ。で、アマゾンレビューから酷評、ないしかなり微妙な評価をしている物を引っ張ってみよう。もちろん三浦のような高評価レビューもあるがそれは三浦嫌いの俺は断固として無視する。
 まずは「カラヤン帝国興亡史」(幻冬舎新書)の酷評。

零点, 2009/4/5
By レイチェル君
 何もわからずあなたの本を2冊も購入してしまいました。
 その本は「巨匠たちのラストコンサート」と「カラヤン帝国興亡史」でした。
 本屋になかったので興味本位で発注をしてしまいました。
 今となってはとても後悔をしております。
 本を読んでいくうち、とても不愉快というか、釈然としない気持ちでいっぱいでした・・・
 なぜこんなに悪意に満ちた気持ちで本が書けるのだろうか?
 それと、このくらいの知識で音楽を語れるのだろうかと思いました。
 小生は本を購入するのは、小生を高みに連れていってくれる為であります。
 それなのにあなたの本はどうも違うのです・・・
 とても高みに連れていってくれる本ではないと感じました。
 もちろん表現の自由はありますが、著者として本を出すからにはそれなりの品格・品性が必要で、何でも書けばいいというものではないと、どうしても思ってしまいます。
 小生はあなたのように文章は下手で*5、うまく表現できないのが残念ですが・・・・・
 一度ご自分の本を再度検証して頂けませんか。
 その中で何もお感じにならなければそれまでですし、今後小生もあなたの本を二度と購入致しません。

初心者にとっては面白いかもしれないが, 2008/5/7
By ノーツオンザロック (東京都)
 東フィル*6の会報に、カラヤンに師事した大町陽一郎*7がアーヘン時代のひとこまを語っている。音楽監督とはいえ歌劇場の楽団員たった30人。
 話をつけて周辺のアマチュア合唱団をバスでアーヘンまで運んだ。若いカラヤンブラームスドイツ・レクイエムなどの大曲もそうやって勉強した。「今の日本でそういう苦労をしてきた指揮者はいないでしょう」。貴賓席のヒトラーの前でミスをして屈辱を味わったことも紹介している。
 確かに、カラヤンの時代はレコード産業が勃興し、オーディオヴィジュアルという技術革新とともにクラシック音楽のあり方が大きく変わった。彼は寵児としてその波に乗った。だからといって生前からカラヤンにまとわりついた「帝王」「帝国」「権力」「覇権」といったレッテルを羅列して決めつけるのは、ある種の初心者にとっては面白いかもしれないが、薄っぺらなゴシップものと変わらない。
 大町氏の話はほんの断片に過ぎないが、こうした証言や事実を丁寧に積み上げ、芸術論や産業論、あるいは人間論としての本質を解明していく作業と、本書とは全く別のものだ。大衆芸能スター*8の成り上がりと没落を楽しむのは大衆の権利で「そんなの関係ねぇ」かもしれないが、見識のある読者であればそこのところは先にわきまえておくべきだろう。

事実の整理には絶好の書, 2008/4/2
By kewpie
 カラヤンの音楽界における権力拡張と縮小とを描いた作品。著者自身が編集長を務める「クラシックジャーナル」に連載された原稿を加筆修正してまとめられた。前著「カラヤンフルトヴェングラー」の続編に位置する。
 前著に比べ、記述がこなれている。簡潔明瞭に整理された記述は、独自資料に基づくものではないにせよ、読者の頭を整理する上で大変好都合である。前著よりも客観性を増しているのに無味乾燥な文体ではない点も好もしい。ある程度基礎知識があって読むと、本書の良さがわかると思う。
 しかし、概ね公平とはいえ、おそらく著者はカラヤンを嫌いなのであろう、その内心を慮る記述では、カラヤンへの悪意または嫌悪がにじみ出ている部分が多いように思われる。また、権力奪取への手練手管を悪いことのように書いているのは、私としては解せない。第一に著者は「すごい名演を聴かせてくれるならどんな悪人でも構わない」という意味のことを何度か活字にしているから、カラヤンの動きは容易に容認されるはずだ、ということ、第二に、この程度の動きは、自身にとって最良の行動を選択できる人間なら誰しも行うであろう動きだからである。それを批判するのは、現状把握力に乏しい人の僻みであろうと私は思うのである。現にカラヤンは権力(富)のための権力(富)を欲するような俗物ではなかった。彼の私生活は実に質素なものであったという記述は本書の参考文献にも書かれているはずであるが、そうした重要なポイントが本書で述べられていないのはおかしい。いかにもジャーナリスティックな表題であるが、そもそも「帝国」の形成など、カラヤンは意図していなかったはずである。
 彼のすべては仕事の達成という目的に捧げられたのだと私は考える。私の傍にカラヤンが居たらきっともの凄く迷惑だろうけれど、英雄とは本来そのようなものである。

ちょっと露悪的過ぎるかな・・・, 2008/4/7
By チャックモール (神奈川県)
 かつてクラシック界の頂点に君臨したヘルベルト・フォン・カラヤン
 確かに彼の帝王っぷり(法外なお金を要求する、絶対服従を求める、写真は同じ角度から撮らせるなど)は有名だ。
 そんな彼がいかに音楽界の頂点に上り詰めたのか、そしてその「帝国」がいかに崩壊していったのかを追っていくのが本書。
 国取り物語的な面白さで、厚さの割には一気に読むことができる。
 というわけで、読み物としては面白いのだが、正直ちょっと脚色が過ぎる気がして仕方がない。
 「帝国が」「覇権が」などという表現がしょっちゅう出てくるが、カラヤンが常にそんなことを考えていたはずがないのは、どちらかというと「反カラヤン」の私にだってわかる。
 彼の中心はあくまで音楽で、人より少々、権力的なものに対する意識が高かった、ということに過ぎないだろう。
 著者もそのあたりは認めていて、「あえて音楽的な側面を取り上げなかった」と書いてある。だが、それはつまり、俳優や歌手のゴシップばかりを取り上げるワイドショーと一緒だと宣言しているようなものである。
 前作『カラヤンフルトヴェングラー』は文句なしに面白かったが、本作はちょっと露悪的に過ぎる気がする。
 もっとも、あくまで単なる人間ドラマとして捉えるなら、十分面白い一冊。

最後に俺が紹介した批判的書評は著者にかなり好意的だと思うが、それでもカラヤンファンが読めばマジギレしそうな「地雷本」であることが想像つく。

「あえて音楽的な側面を取り上げなかった」と書いてある。だが、それはつまり、俳優や歌手のゴシップばかりを取り上げるワイドショーと一緒だと宣言しているようなもの

とか

なぜこんなに悪意に満ちた気持ちで本が書けるのだろうか

とか言う本はちょっと読む気にならんなあ。
次に三浦は取り上げていないが

なぜこんなに悪意に満ちた気持ちで本が書けるのだろうか

と書いた方「レイチェル君」が著書名を上げた「巨匠たちのラストコンサート」(文春新書)の酷評を紹介する。なお、酷評を書いた人の一人「ノーツオンザロック氏」は「カラヤン帝国興亡史」も酷評している。

よい子は読まないようにしましょう, 2009/6/14
By ノーツオンザロック (東京都)
 名演奏家9人の各々の「最後の演奏」を紹介したもの。「ボーナストラック」と称してなぜかモーツァルトの「最後の演奏会」もある。
 この著者は、指揮台を権謀術数の場ととらえて読み手の歓心をあおった著作(「カラヤン帝国興亡史」「カラヤンフルトヴェングラー」)で名を成した。もともとは編集・出版業。どれほどのクラシックへの思い入れがあるのかよくわからない。
 出版界にあったので音楽関係の著作には精通している。そうした評論、評伝の類書を引用してつぎはぎの小論をつくるのが持ち味。カラヤンフルトヴェングラーも同じだが、あそこにはあからさまなスポーツ紙・大衆芸能誌的な内紛のぞき趣味がある。特にカラヤン嫌いとフルトヴェングラー信奉者に迎合していたところがあって、その分、罪作りだが趣旨としては明快だった。
 ところが本書では、自分は「カラヤンを通してクラシック音楽の世界に入った」とか「フルトヴェングラーは『倒すべき敵』だった」などと気持ちの悪いことを言う。ファンの裏には必ずアンチがいる。どうやら、そういうことを踏まえ、教養志向をくすぐる新たな『大衆迎合』の手法らしい。
 もともと思い入れが希薄で記述が表面的なので、何がいいたいのか全くわからない。毀誉褒貶、両論併記みたいな内容なので、読んでいて居心地が悪い。ロストロポーヴィチの章などがその典型だ。第一、エピソードのほとんどが「音楽」の本質とはほど遠い。
 私のようなひねくれ者ならよいが、「よい子」たちには決して読んでほしくない。

知性と愛情の欠落, 2008/11/4
By amadeo -
 音楽の好きな人であれば当然興味をそそられる題名であるが、全く期待はずれであった。
 その理由は全く知性の感じられない文章と、登場する巨匠に対する愛情と敬意のなさにある。大体、クラシック音楽に対してこの程度の思い入れしかない人間が、このような本を出版するということ自体が間違いであると思う。クラシック音楽愛する人が購入しても、何ら得るところのない本である。

面白い読み物ではあるが, 2009/10/2
By himajin "アナログファン" (岡崎市)
 演奏家の最後のコンサートに焦点を置き、そこから彼(彼女)の人生や音楽を浮き彫りにしようとする興味深い企画である。ただ、残念なことに、筆者の音楽に対する造詣はあまり深くないようで、音楽的な興味を主体として読むとがっかりしてしまう。週刊誌的な面白さはあるが、音楽評論としては首をかしげてしまう記載が多い。


次に「カラヤンフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)の酷評。

素人マニアの労作 2007/12/6
By kewpie
 カラヤン*9フルトヴェングラー*10との確執の物語。事実関係は、おおむね合っていると思われるが、プロローグの4行目には早くも誤りがあるし、その後もときどき気になる誤謬がある。それはまあ誤差の範囲内としよう。
 しかし、内容は偏見に満ちていると言わざるを得ない。人物把握は実に単純で、権力志向のカラヤン、優柔不断でナイーヴなフルトヴェングラー狂言回しのような奇人チェリビダッケ*11は、自身の役柄に応じた思考・行動をとり続けることになっている。そして著者の評価は、カラヤンに厳しく、フルトヴェングラーに甘い。典型的な日本人クラシックマニアの思考形態から一歩も出ていないと思われる。また、登場人物の気持ちを勝手に忖度して自身の解釈を補強するような記述方法は、著者自身がエピローグで断っているものの、本書のあるべき性格になじまない。
 立て続けに重量級の評伝を読んできた目からは、些かお粗末な筋書きの芝居のようにみえる。わかりやすい文章なので読みやすいが、文体はぶつ切りの蕎麦のようで、味わいはない。素人マニアの労作、といったところだろうか。

戦後は遠くなりにけり, 2007/4/13
By ノーツオンザロック (東京都)
 ここにあるのは、ベルリン・フィルの首席指揮者という栄誉と権力をめぐって、フルトヴェングラーカラヤンに嫉妬し彼を排除しようとし、カラヤンが巧妙かつ執拗にそれに対抗し、本来の後継者であるチェリヴィダッケからそのポストを簒奪するという定められた図式である。これにナチというファシズムをめぐっての各々の人々の迎合と贖罪についての告発の構図がからむ。芸術論、芸術史的な論点や人間史的な視点にはほとんど目を向けず、徹底的にこうしたステレオタイプで記述を組み立てていく。しかしその記述は、すでに公刊されている自伝、書簡集、評伝といった文献からの断片をつなぎあわせた積木細工に過ぎない。断片と断片の積木のすき間から、こうした仮説を真実かのようにほのめかしたうえで「…という確かな記録はない」「史料はそこまでは明らかにしていない」「…かどうかは確証がない」と検証をさけてしまう。チェリヴィダッケも含めた3人やその他の指揮者たちは私にとってはほぼ同時代の生身の音楽家である。やりきれないほどに空疎な本だ。戦後は遠くなりにけり、か。

面白く読めました。が・・・ 2008/1/2
By ラーメン食べたい
 移動中や待ち時間など、手持ち無沙汰なときに1時間かそこらで手っ取り早く読める読み物としては楽しめました。
 あくまでテレビのワイドショー的なゴシップ感覚で。ただ、それ以上のものではないように思います。
 著者自ら取材をしたとか、原典にあたったとかいう一次資料の参照は皆無で、既刊本、それも翻訳ものをカット&ペーストして隙間を著者の想像で埋めたという代物で、到底ドキュメンタリーなどと呼べるものではないし、小説のように創作された世界を描いているというわけでもない。
 プロとしてこういうものを躊躇なく世に出すというのは、ある意味大変勇気のあることだと思います。
 専門家や有識者が、自分の専門分野について一般向けに手軽に概説するといった従来の新書の在り方に一石を投ずると言えなくもないかも知れません。
 まあ、それなりに時間つぶしにはなったし、たかだか800円かそこらで売られているものにあれこれ言っても仕方がないのかなってことで★2つ。

要するにただのコピペ本と言う批判。


最後に「20世紀の10大ピアニスト」(幻冬舎新書)の酷評。

誤認 2012/1/16
By イワノフカ
 著者が明らかに誤解している部分があると思います。
 P.32-33でハロルド・C・ショーンバーグ氏がラフマニノフのことを『「チャイコフスキーの足元でロシアの涙を流すだけの、創造面では無に等しい存在」と斬り捨てる』との記述がありますが、引用元であるショーンバーグ氏の著書 The Lives of the Great Composers を読めば、斬り捨てていると批評しているのは書かれた当時のプロ音楽家のことであること、ショーンバーグ氏のラフマニノフ作品に対するスタンスは決して否定的ではなかったことが明らかであると思います。
 後段でラフマニノフの多くの作品が演奏され続けていることにふれ、「自らの存在を立証するのに、作曲家はこれ以上どんなことをしなければならないと言うのだろうか?」とまで述べているのですから。
 ショーンバーグ氏を「酷評する批評家」の代表例として挙げるのは、氏に対する冒涜だと思います。
 原著の一部をまったく違うニュアンスで引用するのはいかがなものでしょう。

糊と鋏で作ったような駄作 2012/1/3
By エイハブ船長
 Amazon.co.jpで購入済み各種文献資料を渉猟して、挙げられたピアニストのエピソードを並べただけの駄作である。著者(編者か?)は最初に「『お話』を書きたいのであって、芸術論・音楽論・演奏論・技術論を書きたいのではない」と断っているが、そうではないだろう。芸術論や演奏論は書きたくても書けないだけの話じゃないか。読んでいてバカらしくなって何度も途中で投げ出したくなった。クラシック音楽を聴きだしてもう半世紀以上経つが、こんな腹立たしい本には初めて出会った。吉田秀和*12の『世界のピアニスト』(ちくま文庫)や青柳いづみこ*13の『ピアニストが見たピアニスト』(中公文庫)などには足下にも及ばない駄作である。

ライター・編集者は伝記をつまみ食いして丸写しするのが仕事か? 2011/11/24
By 辛酸なめ男
 評判のよさに手にしてみたが、演奏自体にはほとんど全く触れていない。ただ有名なピアニストの伝記をいくつか寄せ集めて丸写ししだだけの粗悪品だ。よくこういうものを出せたものだと思うが、それぞれのピアニストには翻訳された伝記があるのでそちらを読むのがまっとうな読書人のあり方だ。
 10大ピアニストを選んだ基準として現役のピアニストは人生が完結していないなどと書いているがようするに伝記があるピアニストに限ったと言うだけのことではないか。
 たとえばショスタコーヴィッチであれば自伝以外に二種類の伝記が翻訳されている。
 こういう風に伝記を省略してまとめて本にして一儲けするのはそれぞれの伝記作者に対する侮辱でありアーティストに対する冒涜である。
 クラシックの初心者には伝記的事実は入りにくいし、通であればきちんと翻訳された伝記を読むべきだ。
 ピアニストの伝記に興味を持ったならブログなどで伝記を紹介すれば事足りる。いちいち引き写すのはあまりにおろかで無駄な作業だ。
 ましてそれに金を出すのはばかばかしい。参考文献に挙げられている伝記の翻訳者たちはこの本の存在を知れば怒り心頭に発するだろう。
 本当にクラシックを愛するなら「現代ピアニスト列伝」で検索して見ることが出来る自伝・伝記のリストにある本に直接あたってほしい。
  この本はまじめな読書の喜びを奪う劣悪な書物であるとあらためて主張したい。

これまた、ただのコピペ本という批判。
この際、三浦がべた褒めするこの中川右介という人物についての酷評アマゾンレビューだけここに紹介してみるか(毒)。内容が浅い、薄い、コピペにすぎないって批判が多いな。


カラヤン 帝王の世紀 孤高の天才指揮者、波乱の100年」(宝島社新書)

カラヤン年表 2008/5/17
By nowaki-n
 カラヤンがどういう時代を生きたのかを、ざっと知りたいという人にはいいかもしれない。
 しかし、本当に年表であり羅列であるので、カラヤンその人を知りたい場合は他の評伝を読むべきだろう。写真などが一切ないのも残念だった(諸処の事情で使えないのかもしれないが)。

悪ノリし過ぎた便乗本 2008/4/10
By kewpie
 カラヤンあるいは音楽界の年表というのは簡単に手に入る。通常の歴史年表においては尚更である。本書は、両者を組み合わせ、単に平文に直しただけの、実にお粗末な本である。
 他社から出した「カラヤンフルトヴェングラー」「カラヤン帝国興亡史」を準備する際にまとめた資料を、そのまま文章化しただけではないかと憶測する。同じ表現が何カ所か出てくるし、文章はほとんどが過去形で互いのつながりが乏しく、著者の表現意欲はごく一部の記述を除きまったく感じられない。典型的な「羅列」である。これで各文が改行してあれば「箇条書き」に他ならない。
 歴史の流れを一望するのに、本書が多少の意味をもつこともあろう。しかし、こんな落ち穂だけで商売するとは読者をなめていると思うし、他社作品の下準備のための資料(らしきもの)をありがたがって出版する方も出版する方だと私は呆れつつ思う。カラヤン生誕100年の悪しき便乗本、と総括したい。

過去にこの人が書いたカラヤン本の劣化コピペに過ぎないという批判。


「昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃」(幻冬舎新書

所詮、三島の周辺をぐるりと回っただけではないか, 2010/11/16
By ヒマジン2
 あえて三島と盾の会が「事件」当日、どう事を運んだかには触れず、「そのときあなたはどこで事件を知ったのか」に絞ってまとめたオムニバスアンソロジー。徹頭徹尾、同じトーンで貫かれる。ドキュメンタリーでオムニバスが難しいとされるのは、作者がひとりの場合、どうしても視点が固定され、単調になることが挙げられるが、この作品も同様の欠点から免れてはいない。読んでも読んでも「新しい三島由紀夫」は見えて来ないからだ。むしろこの本に価値があるとすれば、若き日の作家、浅田次郎*14がいかなる日常を送っていたかとか、同じ日に、ルポライター児玉隆也*15田中角栄の女性問題の取材のことで、宴席で角栄自身から「釘」をさされていたとか、三島に関係ない「それぞれの11・25」の面白さであろう。それを「ある時代」と呼べない事はないだろう。ただ三島の本質は語られてはいないに違いない。意地悪く捉えるなら、この著者ははたして三島の思想と行動に本当に関心を持っているのだろうか。ただ単に猟奇事件の「ひとつ」くらいに考えてミーハー的に取り上げているにすぎないのではないか。読後にふと思ったのだが、選手としては天才、監督としては凡才の長島茂雄が後楽園の天覧試合で逆転満塁ホームランを飾ったときのことだ。それはそれでいいのだが、よく聴かされる話は「俺はそのとき三塁側のスタンドにいたんだよ。そしたら長島が三塁を回ったときにチラッと昭和天皇がいる貴賓席を見るんだよ」式のさも歴史の決定的瞬間を目撃したんだといわんばかりの老人のくりごとだ。この本って結局それじゃないの?。三島がこの本を読んだらなんというだろうか・・・。

 三島が死んだ日に角栄児玉隆也を恫喝してたってのは、雑学ネタとしては面白いでしょうが、三島事件には全く関係ない。「角栄の女性問題について」とか、「児玉隆也について」とか書くならともかく。くだらない駄本の臭いがぷんぷんします。本当の三島好きはこういう駄本は書かないでしょう。


『3時間でわかる「クラシック音楽」入門』(日経プレミアシリーズ)

何の役にも立たない本、むしろ有害, 2011/6/21
By yutoato
 クラシック音楽の欠点として「曲が長い」という点を挙げておきながら、入門曲として何でもかんでも交響曲を薦めるのは、全くスジが通っていない。
 たとえば、シューマンの作品には素晴らしく「短い」ピアノ作品などが一杯あるのに、なぜシューマンさえも長くて難解な交響曲から入門しなくてはならないのか。
 ほかの方のレビューにもあるが、「まず何を聴けば良いか」といった本は他に幾つでもあり、この本よりも適切に紹介されているので、そちらを当たったほうが良い。
 この本を読んでクラシックに入門しようとすると、逆にクラシックが嫌いになるのではないかと思う。それ以外にも読むべき点が全くなく、新しい情報も全く得られず、実に内容が薄い。

あまり役に立たん, 2010/7/4
By まーくん
 クラシックをききだして10年以上になるけど、新たな視聴分野を開拓しようと思って手に取ったけど・・・あまり役に立たんという感想。何を聞けばいいかなんて、クラシック名曲名鑑を本屋で立ち読みすればそれで事済む。また、国内オーケストラ軽視しすぎ、チケット代が高くなるほどいい演奏に巡り合える確率は高くなると思うけど国内主要オーケストラでも感動する名演があるはず。この本をあまり鵜呑みにするべきでないと思う。


松田聖子中森明菜」(幻冬舎新書

哀しすぎます 2007/12/29
By せぷたか。
 まだメディアでは伝えられていない真実が記された上での比較論を期待し購入した。
 しかし、内容は既に報じられたものと、ベストテンの順位を基にした論調と、非常にお寒い内容であった。
 「松田聖子中森明菜」とのタイトルながら、松田聖子の話に重きが置かれているのも釈然としなかった。
 久しぶりに、金返せ〜〜!と叫びたくなる書物であった

ある意味誰でも書ける本, 2011/5/5
By Kmattyo
 この本を読めばすぐわかる事だが、この著者は自分では一切取材していない。すでに出版されている百恵と聖子と明菜の本をもとにして、そこに自分なりの解釈をつけて書いた本ですね。という事は分析力がミソなわけです。
 聖子のアルバムには当時のアイドルには珍しくスタジオミュージシャンの名前が入っていたことや、「裸足の季節」の時も「SWEET MEMORIES」の時も、まずは彼女の声の魅力が茶の間に伝わった事など、鋭い指摘はありました。しかし、松田聖子は表面さえ良ければ中身はどうでもいいと思っているというような記述や、松本隆の歌詞に対する厳しすぎる評価など納得いかない部分も多々ありました。膨大なデータをまとめた労力は認めるが、このぐらいの内容なら熱狂的なファンなら書ける人はたくさんいるように思えます。でも逆に御用記事みたいになってつまらないかなあ、この著者みたいな人でも聖子の声と歌唱力は認めざるをえなかったんだと考えた方が楽しいかなあ、なんて思ったりもします。ただ一つ言えることは、この著者の文章からは聖子に対しても明菜に対しても愛情が感じられなかったということです。

決定本ではないが、読み物としては合格点, 2010/8/21
By 辻雅之
 タイトルの二人にとどまらず、アイドル全盛期に発刊された資料を中心に構成された80年代アイドル史についての本。情報量は多く、読み物としては十分。
 ただ、不満は残る。まずタイトルに反して中森明菜についての記述が少ない点。これは資料取材に偏った結果だろう(聖子と明菜の資料数に大きな差があるため)。当事者たちの大半は健在なのだから、インタビュー取材によって明菜資料の不足をカバーすべきだった。新書でそれは難しいという人もいるだろうが、それでもしっかりやっている人もいる。

ちょっと思い込みが激しいような, 2010/12/3
By YUKI
著者の認識にちょっと違和感がある。
「85年、松本隆はマンネリに陥らないように一曲ごとに異なる女性を描き、ひとりに任せたがゆえに聖子作品は多様性を得た」とある。明菜も同じです。明菜の楽曲は多様です。しかし「明菜は、数曲しか描かなかった作詞家が明菜らしい女性を描き、不幸と孤独を繰り返すことになった」と言ってる。85年の明菜のシングル「ミ・アモーレ」は愛・喜びを歌い上げる幸せな曲だし、80年代の明菜の楽曲は、幸せな純愛の歌も浮かれた女の歌も沢山あるので、80年代の明菜の楽曲のイメージを「不幸」で纏めてしまってることには違和感がある。
(中略)
「難破船」「AL-MAJI」等はカバー曲で、元々は明菜のためには作られてない。明菜は自分とは関係ない、現実とは別の異世界を作り出して必要な表現をしてただけで、聖子とは世界観は異なるけれど、同じようなことをやってたと思う。松本隆が行ったという「歌詞から意味を排除」。これも明菜もよくやる。明菜のことももうちょっとよく分析すればいいのに。著者は明菜に関しては楽曲をよく聞かずに、思い込みからくるイメージだけで、無理矢理聖子と対照的な存在にしようとしてるように思えてしまう。

題名がしっくり来ない。, 2009/8/20
By ポチR (神奈川県)
 読み終えての感想は、タイトルは「山口百恵松田聖子」、もしくは「松田聖子とその時代」にした方がしっくり来る。松田聖子に関しては資料もしっかりしているのかとても詳細に語られているが、中森明菜については本の中に出てきたその他のアイドル達とほとんど変わらない程度の記載しかない。

編集者の力量も疑問, 2008/1/28
By ゆる(熊本県)
 アイドル論というのは余り読んだことがなかったが、80年代に小学生時代を過ごし、ベストテンに親しみを持つ世代としてそして中森明菜のファンとして思わず手に取りました。
 文芸論として論じるというスタンスは面白いですが、ほとんどが松田聖子論で、中森明菜に関しては論考は量・質ともに物足りなく、二人を比較しての論考を期待していたのだがそれもいまいちで、がっかりさせられました。
タイトルが「松田聖子の世界」だったら納得なのですが、明菜ファンとしては「コノヤロー、ネタに使いやがって!」という気分です(笑)。
(中略)
この程度の本でも売れてしまう、松田聖子中森明菜の名前の偉大さは改めて感じます。

「明菜」ってすごいんだなあという感想。レビューが正しければ明菜のことなんか全然書いてないのに商売のために明菜ってタイトルにつけたわけですから。まあ、そう言うのって人としてゲスの極みですよね。さすが三浦の紹介する本の著者はゲスですね(毒)


「教養のツボが線でつながるクラシック音楽と西洋美術」(青春文庫)

責任のある記述をしてほしい。, 2009/12/4
By とし
 お金を取れるレベルに責任記述・編集していないものは出版すべきではないと思います。
 個人のブログなら責任を問われる訳でもなく何を書いてもいいでしょうけど。
 ベートーベンの節では「音楽作品が、後世に残る芸術となるのは、このあたりからなのだ。」などとよく書けたものです。
 ベートーベン以前には後世に残る音楽作品はないとでもいうのでしょうか。
 このような根拠希薄な記述が各所にあるのが気になります。

以上でも以下でもなく 2009/11/6
By 黒い魚
 この筆者の本は、ほかの本(カラヤンフルトヴェングラー (幻冬舎新書)、世界の10大オーケストラ (幻冬舎新書))はたいへんおもしろかったので、期待していたのですが……
 歴史に関する記述は世界史の教科書レベル、個々の芸術家に関する記述にも、特に目新しいものはなく、これも教科書レベルのものです。何か筆者独自の歴史観、芸術観が示されるのならばともかく、それらも特になく、教科書以上のものは特に得られませんでした。
 教科書が悪いとは言いません、しかし、学校ではないのだから、やっぱり教科書では教えてくれないような知識を楽しみたいのですよ。


ショパン 天才の秘話」(静山社文庫)

よろしくない, 2011/7/5
By あずき
 ショパンの実像を知りたい、と、伝記をお探しの方にはこの本はオススメできません。 まず、この本の中に、秘話が私にとっては皆無… そして、編集が読みづらい。もっとよい本があります。 『ショパン 生涯編』(音楽之友社)。非常に読みやすいのに、様々なエピソードの、いきさつ、描写も丁寧に書き込んであって、 見事に構成してあるので、ぜひこちらの本をオススメします。 遠山一行さんの『ショパン』(新潮文庫)も、悪くありませんでしたが、上記の本に比べると、…


「ブームはどう始まりどう終わるのか」 (岩波アクティブ新書)

ノンフィクション風体験談, 2006/4/20
By 萩原湖太郎
 社会現象としてのブームの盛衰について論じた学術寄りの本かと思ったら、違った。クラシックカメラブームの渦中にいた、あるカメラ雑誌編集長の体験談である。
 正直なところ、彼の個人的な体験を一般化することも典型例と見なすこともできないと思うし、彼の論じるブームについての一般論にも統計的・実証的な根拠があるわけではないと思う。しかし、(俺の注:クラシックカメラブームという)1つの事例を追った一種のノンフィクションとして読むと、それなりに面白い。もちろん当事者の語る体験談だから、真実のある一側面しかとらえられていないとは思うが。

タイトルが良くないという批判。「クラシックカメラブーム体験記」とでもすればこういう批判はないでしょうね。


坂東玉三郎」(幻冬舎新書)

歌舞伎素人の感想 2010/11/7
By もちお
 これから歌舞伎ファンになりたいという、“歌舞伎素人”の自分が読んで思った率直な感想なので、あまり参考にならないかもしれませんが…、
 坂東玉三郎が好きすぎるあまりに、偏った視点で書かれた読み物だと思いました。
 確かに事実や記録などは事細かに調査されており、データとしてはとても参考になりました。
 また、偉大な女形の陰に押し込められていたという素晴らしい才能を、こうして文章で改めて知ることができるのは非常に良いことだと思います。
 自分も坂東玉三郎について改めて興味を持った次第です。
 しかし、いかんせん文章がうるさい…。
 逐一、六世中村歌右衛門への皮肉を挟んでこられるので、素直な文章を期待した者にしてみれば単なる歌右衛門の『悪口本』のように思えてしまう。
 「坂東玉三郎側の視点で書く」ということについて、どこか歪曲していて、客観性には乏しいと感じます。
 坂東玉三郎ファン、かつ、アンチ・六世中村歌右衛門にとっては絶賛される本であるとは思いますが、“歌舞伎”ファンにしてみればあまり気持ちの良い本とはいえないかもしれないです。

迷惑な褒め殺し本 2010/7/3
By 中村雅楽
 こうした本を書かれた玉三郎に、心底同情する。
 この本は、玉三郎と、彼が敬慕した六代目歌右衛門への侮辱以外しかないからだ。
 歌舞伎をいつから見始めたかという観劇歴の浅さや、本人に直接インタビューしていない、という批判はこの際あたらない。
 渡辺保*16は、「女形の運命」(岩波現代文庫)を、六代目歌右衛門と全く無面識で書いた。
 役者にとって、舞台が全てであって、権力闘争のために彼らは芝居をしているわけではない。
 著者にはそのことが全くわかっておらず、芸について語らない。
 語るだけの見識がないということか。
 こうした俗説本がふりまかれ、歌舞伎ファンの目を曇らせているのは、悲しいというほかない。

ググったら玉三郎氏とはある種の改革派で、一方、歌右衛門と言う人はある種の保守派だったようです。だからといって芸の力とか、対立理由とかいろいろなことを全く無視して「保守派・歌右衛門にいじめられるかわいそうな改革派・玉三郎万歳」的な歌右衛門全否定的な本を書けばそりゃ歌右衛門ファンは激怒するでしょうね。歌右衛門を矮小化して玉三郎ファンに媚びるのも大概にしろと。


南モンゴルの現状について7月28日に学習会開催(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1149
 南モンゴルというのはいわゆる内モンゴル自治区のことです。しかし前も書きましたが「個人ブログには政治ネタはあまり書かない」といいながら実際には書きまくるという三浦の醜態はいい加減どうにかしてほしい物ですね。

漢民族の開発業者が本来モンゴル民族の故郷である大地を買い取ろうとしています。自由、人権、民族伝統、そして大地までもが奪われようとしているのです。

開発業者が土地を買ったってそれ自体は何ら違法行為でも何でもないでしょう。ただ三浦の紹介する文章を信じると相当無茶苦茶な開発業者のようですが、それは「開発のやり方が無法」という話であって、開発それ自体が問題という話ではない。漢民族が買い手というのも何ら関係ないでしょう。まともな開発なら漢民族でも問題ないし、無茶な開発ならモンゴル族でも問題です。
それはともかく「アレ、中国って土地私有化されてるの?」と思っちまいました。共産国なので、てっきり土地の「所有権」は政府が持ってる国有で、「利用権」だけが売買とかされてると思っていたんですが。

内モンゴル自治区弾圧の歴史
遊牧民殺害事件の背景
月刊日本編集部

月刊日本ってのは諸君だの正論だの、ウィルだのと同レベルのウヨ雑誌です。そんなのに出るなよと思う。

一九一三年にはモンゴル軍が内モンゴルのほぼ全域から中華民国軍を追放した。だが、ロシアが内モンゴルからモンゴル軍を撤退するよう圧力をかけたため、再びモンゴルは南北分裂に陥る。

 ウィキペ「モンゴル」によれば、当時の帝政ロシアは「中華民国ともモンゴルとももめたくなく」、間を取って「外モンゴル独立支持」になったようです。

外モンゴルでは、一九二四年にソ連の衛星国としてモンゴル人民共和国が樹立された。

1919年にロシア革命が起こるとその混乱がモンゴルにも波及します。ロシアの軍人・ウンゲルンがレーニンらが率いる赤軍ソ連軍)への反撃のため、「一時、武力を蓄えよう」とモンゴルに侵攻、モンゴルの支配者になります(お飾りとしてボグド・ハーンと言う人を立てたようですが)。
 しかし誰だって外国人支配者などいやですし、またウンゲルンという人は「善政を敷く立派な人」では全くなかったわけです。
 その上、ウンゲルン打倒を目指す赤軍はモンゴルへ侵攻する気は当然あったでしょう。そう言う中、モンゴルの共産主義者ソ連と手を握りウンゲルンを打倒し、「モンゴル人民共和国が樹立」されたわけです。
 モンゴルからすれば「ウンゲルンさえ来なければ」と言ったところではないでしょうか。ウンゲルンがいる限りソ連による侵攻の危険性がありますし、ウンゲルンは「善政してるわけじゃない」んですから、ソ連と手を握りウンゲルン打倒は自然な話です。
 それともウンゲルンが来なくても「中華民国との対抗上」ソ連と手を握るという選択をしたんでしょうか。中華民国はモンゴル独立には否定的だったようですから。この時期のモンゴルの扱いは相当微妙で、中華民国は独立を何とかして否定したかったようです。

一方、一九三二年に満州国が建国されると、内モンゴル東部は満州国となった。一九三九年には、徳王が日本の支援を受けて蒙古連合自治政府を樹立している。

内モンゴル東部は満州国
 まあ、満州国のメインは内モンゴルではないですが。「内モンゴル」を満州国蒙古連合自治政府にぶったぎって問題と思わないという扱いから日本がモンゴルに好意的とは言い難いことがわかります。
「徳王が日本の支援を受けて蒙古連合自治政府を樹立」
 モンゴル人にはモンゴル人の思いがあるでしょうから、こう言うのを一概に「日本の傀儡」で切り捨てる気もありませんが、これを理由に日本は内モンゴル独立運動を支援したとか言う右翼に吐き気がします。単に中華民国への対抗上、支援したに過ぎず、徳王の側だってそんな事は百も承知でしょう。

北京政府には、内モンゴル自治区のモンゴル人たちには「中国に対する忠誠心」が希薄だと映っていた。その理由を楊海英氏は『墓標なき草原』において、次のように書いている。
「ウラーンフーなど自治区のモンゴル人高官たちは北京政府が推進する『文明人』の生活、農耕生活の導入を拒否した。広大な草原を農地に開拓してもっと大量の中国人農民を移住させるのにも抵抗していたからである」
さらに、中ソ対立が、中国の指導者を不安に駆り立てていた。中国共産党は、ソ連と衛星国であるモンゴルが北京に攻め込み、中国国内のモンゴル同胞がそれに呼応することを過剰に恐れたのだ。やがて、北京当局にはウラーンフーが「反旗を翻している」ように映るようになり、一九六六年五月一日、ウラーンフーは失脚、党・政府・軍の職務を剥奪された。
ウラーンフーの失脚は、文革の号令が全国に鳴り響く直前のことであった。楊氏は、ウラーンフーらを排除するための情報収集の活動が早くも一九六四年から極秘に始まっていたこと、内モンゴル自治区が中国のほかのどの地域よりも早く動乱に巻きこまれたことなどから判断すると、毛沢東共産党内モンゴル自治区から文化大革命を開始させたのだと主張する。
ウラーンフー拘束後、激しく彼を攻撃していたのが、華北局第一書記の李雪峰と、李の指示で動いていた内モンゴル自治区書記処書記の高錦明である。
李や高は、ウラーンフーが草原を開墾して農地化するのに反対したと批判している。これについて、楊氏は「こうした批判の背後には文明間の衝突がある。内モンゴルの草原が破壊され、砂漠化がすすみ、黄沙が世界中に飛ぶようになったのは、漢人農民による開墾の結果である」と書いている。

長々と引用しましたが。
ここからは、楊海英氏が次のように主張してることがわかります。
「1 文革の開始はウランフ失脚がスタートと見なすべきだ」
 この辺りは何を持って「文革」を定義するかという問題ですのでなかなか難しいと思います。
「2 文革以前からモンゴル族漢民族(政府中央)の対立はあったがそれが頂点に達し、暴力的な形で『解決』されたのがウランフ失脚以降の内モンゴルでの文革だった。しかしこのことはモンゴル族との関係を非常に悪化させてしまう」
「3 モンゴル族漢民族の対立の主原因は、牧畜に対する態度であった。漢民族は大規模農業化による近代化を目指し『牧畜』を遅れているとみなしたが、そうした態度にモンゴル族は従わなかった」
「4 当時の中ソ対立で、外モンゴルソ連支持の立場だったことから中国中央政府は『外モンゴルソ連の支持を得て内モンゴル併合を目指し侵攻すること』を恐れた。そのこともウランフへの態度に影響した」
 中ソ対立ってそこまで深刻だったんだなと。
「5 内モンゴルの草原が破壊され、砂漠化がすすみ、黄沙が世界中に飛ぶようになったのは、漢人農民による開墾の結果である」
 「1〜5」については無知なため、コメントはあまりしないことにします。ただ簡単にコメントするとこういう「農耕民と牧畜民の対立」「近代化による伝統の軽視、無視」「開発による環境の破壊(日本のそうした問題、たとえば長良川河口堰問題などについて何も言わないで中国など気にくわない国だけ非難するのが三浦のようなゲス右翼です)」などは中国限定の訳ではむろんないですから複雑な気がします。そしてこれは共産主義がどうこう言う話では全くないでしょうから、おそらく蒋介石中国でも「規模は小さかったかもしれない」が似たようなこと(大規模な農業開発の実行とそれに反対する人々への弾圧)は起こったでしょう。

参考

 ウランフ(1906年12月23日〜1988年12月8日、ウィキペ参照)
 1945年10月に内モンゴル民共和国臨時政府代表に就任。1947年には内蒙古自治区を設立、自治区政府主席に就任する。その後、内蒙古軍区司令員兼政治委員、中共中央東北局委員を兼任。1949年の中華人民共和国建国後、中央人民政府委員となり、中央民族事務委員会主任・党組書記、華北行政委員会委員、中共中央華北局副書記、内蒙古分局書記、綏遠省人民政府主席などを歴任、中央民族学院の初代学長も務めた。
 1954年9月、国務院が発足すると、国務院副総理に任命される。内蒙古自治区党委員会第一書記、自治区人民委員会主席、内蒙古軍区司令員兼政治委員、内蒙古大学学長、党中央華北局第二書記、内蒙古自治区政治協商会議主席などの職務も引き続き兼任した。翌1955年9月、中国人民解放軍上将の階級と一級解放勲章を授与される。1956年の第8回党大会において中央委員に昇進し、第8期1中全会で中央政治局候補委員となる。しかし、1966年に発動された文化大革命では分裂主義者として攻撃されて失脚、党・政府・軍の職務を剥奪された。周恩来の保護を受け、北京で軟禁生活を送った。
 文革中の1973年、第10回党大会で中央委員に復帰。1975年1月、第4期全国人民代表大会常務副委員長に選出される。1977年5月には党中央統一戦線工作部部長に就任。同年8月の第11期1中全会において中央政治局委員に選出される。翌1978年、第5期全人代常務副委員長と第5期全国政治協商会議第一副主席に選出。
 1983年6月、中華人民共和国副主席に就任。1988年4月に退任後、第7期全人代常務副委員長に転出するが、その年の12月、北京で死去した。

中国共産党の成立以来、自治区への漢民族の移住が急速に進み、いまや二千四百万人のうちモンゴル人はわずか二割に低下、漢民族が八割を占めるようになっている。

移住自体は禁止するわけにもいかないのでは?。もちろんそれによって生じる軋轢には適切な対応をする必要がありますし、どうやらその点かなり問題があるようですが。

反政府運動の高まりを警戒する中国政府は、巧みな懐柔策もとっている。政府は、メルゲン氏を殺害した犯人に肩代わりして、家族に対して賠償金五十六万元を手渡し、五十五平米のマンションを提供した。しかし金銭ですむ問題ではない。

 「金のばらまきで黙らせようとする」ってのが何か「沖縄に対する政府の態度」「原発立地自治体に対する政府の態度(電源三法による補助金)」を連想させます。ウヨの三浦にはそう言う視点はないでしょうが。
 金銭ですむ問題ではないのはその通りですが、くれるというなら遠慮なくもらえばいいでしょう。「懐柔策」などと非難しなくてもいいでしょう。その結果、遺族がどう動くかは遺族の自由です。抗議運動して中国ともめたくないというならそれも遺族の自由。金はもらうがそれと開発への抗議は別だとして抗議運動するのも遺族の自由。周囲がやってはならないのは「金もらったんだから抗議するな」(中国)、「金もらって抗議をやめるなんてそれでもモンゴル族か、だったら金なんかもらうな」(モンゴルの中国批判派)なんて言うことです。
 「殺害」(ただし殺意があったかどうかは現時点ではわからないようですのでカギ括弧をつけました。まあ日本で言う業務上過失致死は間違いなく成立するでしょう)それ自体は遺族が金で納得すれば問題ないという代物じゃありませんから、真相究明(単なる事故か、犯罪か、犯罪だとして背後関係があるのかなど)と犯人の厳重処罰は要求すべきでしょうが。また似たり寄ったりの事件が起こってはかないませんから。あとは「環境に配慮した開発」の要求ですかね。いずれにせよこの問題に話を限れば、自治権とか独立とか関係ない話ですが。

我々モンゴル人の生活は草原と切り離すことはできない。

環境を無視した無茶苦茶な開発は非難されて当然ですが正直「遊牧こそがモンゴル族の伝統」を言いつのるダイチン氏に対しては「本当にそんな事が現実的に可能なのか」「仮に独立したって開発自体は不可避では?」と言う疑問を感じます。外モンゴルはどうなんですかね?。ググったら今や外モンゴルの主要産業も鉱業らしいんですが。

今回の事件については、日本の報道機関も報じてくれた。しかし、中国政府への配慮も感じられる。例えば、テレビ東京は、「炭鉱開発に反対していた遊牧民の事故死」と報じた。「事故」ではなく、虐殺事件なのだ。

気持ちはわかりますけど証拠がなければ殺人呼ばわりできない。根拠もなく殺人扱いしたら名誉毀損で訴えられかねません。

中国の他民族に対する干渉、膨張的な政策を直視しないと、やがてそれは日本の危機を招くことになる。

国内問題たる内モンゴル問題と対外問題たる尖閣問題と同じわけがない。こういうバカみたいな中国脅威論はやめてほしい。事実じゃないから。

日本政府が経済的な面で中国との友好関係を必要としていることは、我々も理解している。しかし、経済的利益以上に、人権の問題や安全保障の問題は重要なはずだ。

どっちも大事です。多くの日本企業が中国へ進出している現在、経済関係を犠牲にすることなどできるわけもない。これは日本に限った話じゃありませんが。「ぬるい」と言われても「経済関係をキープしながら、人権問題で苦言を呈する」しかない。それだって中国の反発を考えたら難しいですけどね。
そして人権問題はともかく内モンゴルは「外モンゴルの安全保障ならまだしも」日本の安全保障に関係あるわけがない。言葉を選ばずに言わせてもらえば内モンゴルがどうなろうと日本の安全保障には全く関係ない。


世界ウイグル会議日本語翻訳資料「東トルキスタンに対する表現の自由の侵害」発行(残部は少数)その2(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=1137
 その1の続き。三浦が紹介するイリハムの講演録への突っ込みが書ききれなかったので。ちなみにこの講演録の筆者は三浦です。

http://freeasia2011.org/japan/archives/1292
アジア自由民主連帯協議会 第三回講演会報告

 このイリハム講演録でわらえるのは「その1」でも突っ込みましたが、靖国昇殿参拝へのいいわけがかなりの分量を占めてることです。百歩譲って「昇殿参拝が問題ない」「批判は誤解」としましょう。しかし「各方面から誤解」を受けてまでやる価値のあることかといったらないでしょう。言い訳するくらいならやらなきゃいい。

今回のウイグル会議の開会を日本の憲政会館*17で開催できたことに触れ、中国政府が、自分たちの世界ウイグル会議をテロ組織と誹謗してきたことに対し、日本の国会議員の方々の力で衆議院管轄の憲政会館という場で開催されたということは、このウイグル会議やウイグルの運動は、テロ組織ではないと日本の政治家の方々が世界に向けて発信してくれたことになる、これは今まで、中国の圧力に屈してきた世界各国に対しても、大きな衝撃を与えたことは、各紙や国際社会の報道でも明らかだと述べました。

日本は「南京の真実」試写会が国会内で行われるような国なのでねえ(「国会で『南京の真実』試写会」(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080414/p1)参照)。
憲政会館での開催ってそんなに自慢できるものなのか。
別に「そうだ、中国の言うとおりテロ組織だ」と思ってる国はあまりないと思いますけどね。単に「テロ組織じゃない」と日本政府がアピールしたいだけなら、「テロ組織という見方はどうかな」と言えばいいだけです。日本でウイグル会議なんぞ開催する必要はない。
「大きな衝撃を与えたことは、各紙や国際社会の報道でも明らか」
まあ、大きな衝撃を与えようが与えまいが、その集会に価値があろうがなかろうがニュースバリューがあると思えば報じますよね。
極端な例ですが、在特会のアンチフジデモをマスコミが報じたからと言って別にそれは「デモが正しいと評価してるわけじゃない」わけです。もちろん「ウイグル会議が在特会集会なみのゴミ」と言ってるわけではないので念のため。

私たちはラビア・カーディル氏を含めて全員で、堂々と靖国神社を訪問したと強調しました。

本当に「堂々と参拝」したのかどうか自体疑問ですが「堂々」とやれば「間違ってない」「正しい」わけではありません。「主観的な正しさ」(自分が正しいと思ってること)が「客観的な正しさ」を保障するなら誰も苦労しません。

イリハム氏は、中国が今回ウイグル会議のメンバーが靖国を訪問したことを、第2次世界大戦の戦犯が祭られていることを問題にし、ウイグル会議が政治的意図があって靖国に行ったとか、中国人の心を傷つけたなどと言っているけれども、では、靖国神社にこれまで訪れた外国人はすべて政治的意図があったのか、中国が現実にウイグルを支配し、わが民族を弾圧していることに対して私たちが心から傷ついていることはどう思うのかを問いたいと述べました。

その1で書き忘れたので一言。意図がどうかも勿論重要ですが、善意であっても間違った行為というのはあるわけですが。

これまでラビアさんがなかなか立場上言えなかったことも発言することができたいいシンポジウムだったとイリハム氏は評価

「なかなか立場上言えなかったことも発言することができた」
発信すべきでない日本ウヨへのこびへつらいでなければいいのですが。

中国政府は翌日の新聞、特に新疆自治区ウイグル語の新聞で、ラビア氏の発言をゆがめたり、YOUTUBEにあげられた動画での発言を中国国内では観られないようにしたり、また悪意で改ざんしたりするなどして、ラビアは売国奴だ、という大キャンペーンを貼っている、このような情報操作で人々を対立させる手法は共産党政府がずっと行ってきたことだと述べました。

「発言をゆがめたり」はともかく「尖閣は日本領」といえば「尖閣は自国領」の立場を取る中国は売国奴と言うでしょう。しかも中国側が問題視する反中国政治家・石原と懇ろになればなおさらです。それは是非はともかく、別に情報操作ではないでしょう。前も書きましたが、尖閣など全くウイグル問題と関係ないんだから「ウイグル問題に関係ないのでノーコメント」「日本側の主張が事実ならば中国の態度は問題だと思うがこの問題の素人なのでわからない」「私はウイグル問題で頭がいっぱいで関係ないことにまで気を遣いたくない」とでも言った方がいいでしょうに。

ここ日本に、中国の警察関係者が入国し、日本在住のウイグル人を脅迫して回る計画も進んでいるようだとイリハム氏は述べ

そう言うことはそう言うことが起こってから言えば?。中国を誹謗してると言われて反論できる証拠が今あるのか?
「間違いない」と言える証拠がないなら「証拠がないので表に出せないがそう言う噂があるらしい、お互い気をつけよう」レベルの内輪話にとどめておくべきだと思うよ。
実際に脅迫なんかしたら中国の警察関係者だろうと日本警察に逮捕されるだろうから、そんなバカなことはしないと思うが。

*1:党政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長も兼務

*2:だから衛星ロケットと言えと。反朝鮮宣伝も大概にしろよ

*3:しかしこういう「現時点では批判すべき」を三浦が適用するのは「敵」だけで「韓国軍事独裁」や「日本の植民地支配」といったお仲間の愚行は当時の視点で平然と肯定することは言うまでもない。当時の視点でも韓国軍事独裁や日本の植民地支配が肯定できるかは疑問だが。

*4:正確には朝鮮大学校

*5:「あなたと違って文章は下手で」でないところが痛烈な皮肉

*6:東京フィルハーモニー交響楽団

*7:著書『クラシック音楽を楽しもう!』(2004年、角川oneテーマ21

*8:カラヤンのことか

*9:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者

*10:カラヤンの前任のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者

*11:ウィキペ曰く、フルトヴェングラーナチス問題で休業せざるを得なかったときに、フルトヴェングラーが復帰したら地位を譲るとの約束で一時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮者をつとめたらしい。しかし毒舌家であることが災いし、ベルリンフィルを去ったらしい。

*12:著書『モーツァルト』、『モーツァルトの手紙』(講談社学術文庫)、『私の好きな曲』、『名曲三百選』、『世界の指揮者』、『モーツァルトをきく』、『音楽の旅・絵の旅』、『世界の演奏家』、『セザンヌ物語』(ちくま文庫)、『マーラー』、『フルトヴェングラー』(河出文庫)、『パブロ・カザルス』(朝日選書)、『オペラノート』、『モーツァルトを求めて』(白水uブックス)など

*13:著書『ドビュッシー』、『ピアニストは指先で考える』(中公文庫)、『翼のはえた指―評伝安川加壽子』(白水uブックス)、『青柳瑞穂の生涯』(平凡社ライブラリー)、『ボクたちクラシックつながり―ピアニストが読む音楽マンガ』(文春新書)

*14:日本ぺンクラブ会長。『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で日本冒険小説協会大賞特別賞、直木賞、『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、『お腹召しませ』で中央公論文芸賞司馬遼太郎賞、『中原の虹』で吉川英治文学賞、『終わらざる夏』で毎日出版文化賞を受賞

*15:のちに「田中の愛人にして秘書」の佐藤昭をネタにしたルポ「淋しき越山会の女王」で有名になる人物。しかし三島事件当時は、宴席に呼び出されて権力絶大な田中(当時、自民党幹事長)に「女性問題を書けばどうなるかわかってるのか」等と脅されれば屈服する程度の「小物ジャーナリスト」だったわけだ。

*16:著書『日本の舞踊』(岩波新書)、『黙阿弥の明治維新』(岩波現代文庫)、『芸の秘密』、『歌舞伎の見方』(角川選書)、『能のドラマツルギー』(角川ソフィア文庫)、『歌舞伎』(ちくま学芸文庫)、『勧進帳』(ちくま新書)、『私の「歌舞伎座」ものがたり』(朝日新書)、『芝居の食卓』(朝日文庫)、『忠臣蔵』(中公文庫)、『東洲斎写楽』(講談社文庫)

*17:正確には憲政記念館