竹田恒泰氏のアパ論文がヒドイ(追記・訂正あり)

アパのHP:http://www.apa.co.jp/book_report2/index.html
論文:http://www.apa.co.jp/book_report2/images/2009jyusyou_saiyuusyu.pdf

・内容も問題だが、脚注で上げられる、参考文献が美濃部達吉一冊、宮沢俊義二冊ってのもひどい(内容には既にブコメでも突っ込みが入っているが)。大学生の卒論やレポートでももっと、参考文献は上げるんじゃないか?
 しかも、美濃部、宮沢の本は「主権」の定義紹介で参照されているに過ぎない。論文のテーマ(論文で証明したいこと。竹田氏の場合、「戦後も天皇は主権者だ」「戦後も国体は変わらなかった」等)とは直接は何の関係もないのだ。要するに、テーマについて竹田氏が言ってることは「根拠はないけど俺はこう思う」ってことに過ぎない。それはエッセイや随筆ではあっても、少なくともまともな学術論文じゃないと思うぞ。*1
 一応学者でしょ?(みのもんたとか芸能人教授みたいな話題作り、客寄せパンダの扱いかもしれないが)
・これに英語版があるのが驚き。竹田氏本人が書いたのか、受賞を機にアパ側が翻訳してくれたのか、知らないが国際社会に通用すると本気で思っているのだろうか?

 早速突っ込んでみよう。

その象徴とは何の権限も無く、あくまでも形式的・儀礼的なものであって「もはや象徴に過ぎない」と形容されるものだという。

 まあ、戦前と違って実質的権限は、内閣にありますからね。トンデモな竹田氏ならともかく、そんなバカなことを今上天皇明仁氏はしないでしょうが、俺はこんな大臣の認証したくないと拒否しても、首相による大臣の任命に影響が出るわけではありません。

憲法の象徴たる天皇が、何らかの強大な権力を持つと思う人もいないだろう。

 そりゃそうです。

天皇主権が国民主権に変わった」という耳慣れした表現には、大きな嘘が隠されているのではないか。

 別に嘘などありません。戦前の憲法は素直に解釈すれば天皇主権としか理解できません。ただそれでは、民意とのずれという不具合が生じるため、美濃部憲法解釈学や吉野作造民本主義(民主主義ではない)が生まれ、民意との調整が図られたわけです(天皇機関説事件を機に、民意無視の方向に行きますが)。
 戦後憲法については説明の必要はないでしょう。

しかし、この嘘について書いた論文や書籍はほとんど無いようだ。

 そりゃ誰も嘘だなんて思っていませんから。

もし帝国憲法において天皇専制君主として自由に政治を決定する立場にあったという極端な仮説が正しいなら、「主権者から象徴に転落した」という表現は正しいだろう。

 専制君主でないと主権者じゃないんですか?。すごい理解ですね?。帝国憲法の制約(かなりゆるいと思いますが)がある以上、専制君主にはなれないでしょう。専制君主の定義にもよりますが。なお、教科書は「転落した」とは書いてないのに、何故「転落した」と書くんでしょう?

明治二十二年に帝国憲法が発布されてから現在までの我が国の憲政史上において、天皇が直接国策の決定を下したのは、昭和二十年の終戦の御聖断のただ一回だけである。

 嘘は止めてください。終戦の聖断に限らず、戦前は天皇が最終意思決定者だったことは、歴史学の本をきちんと読めば分かることです。(二・二六事件での天皇青年将校討伐方針や、満州某重大事件(張作霖爆殺事件)での田中義一首相失脚などがわかりやすい例です)
 終戦の聖断が保守派によってことさらにクローズアップされるのは、1)天皇のおかげで終戦になったとすることで天皇の戦争責任をごまかそうとするため(そもそも天皇が開戦しなければ良かったんだし、あの時点で降伏しなかったら国民も、天皇一家もやばいんで降伏せざるを得ないんですが)、2)ほとんどのケースでは天皇と首相などとの事前の意見調整がすんでおり、会議はセレモニーに過ぎないが、終戦の聖断では陸軍の事前了解が取れなかったため、*2会議で天皇を前面に出さざるを得なかった、ためでしょう。

帝国憲法第一条は「大日本帝国万世一系天皇之ヲ統治ス」と記すが、これは天皇が自由に政治を行うことを意味しない。
第五十五条が、国務大臣天皇を輔弼して政治責任を負うべきことと、法律・勅令などは国務大臣の副署を必要とすること等を記す他、第五条は、天皇帝国議会の協賛により立法権を行使することを明記する。また軍令については統帥部の長が天皇を輔翼してその責任を負う慣習が成立していた。このように、帝国憲法下においても現在と同様、天皇は国策の決定に関与する実質的な権能を持たなかった

 意味不明な文章です。挙げられた例は天皇が好き勝手出来たわけではない説明にはなっても、「国策の決定に関与する実質的な権能を持たない」という説明にはなっていません。協賛や輔弼とは、アシスト、アドバイスという意味なのですから、最終決定者は天皇です。
 むしろ「権能を持ってるじゃん」と言うのが普通の人の感想でしょう。

現在の憲法では、天皇の国事行為は内閣の助言と承認によって行われ、内閣がその責任を負うことになっているが、天皇以外の機関が国策を決定し、その機関が責任を負うという構造は、新旧憲法で違いはない。

 戦後憲法の「助言と承認」とはいわゆる言葉の綾です。文字通りに理解して、じゃあ、天皇が意見(例:麻生内閣は早期解散した方が良い)を出したら、内閣がアドバイスとかだめ出しするんですねなんて言ったら、笑われます(戦前と違い、天皇には実質的な政治的権能はありません)。
 戦前とは内閣と天皇の関係が全然異なります。
 戦前、天皇無答責の根拠は、帝国憲法三条(神聖にして不可侵)です。一方、戦後、天皇無答責なのは、国事行為の実質的決定権は天皇にはないからでしょう(戦前と違い天皇無答責についての明文規定は憲法にはありませんがそう解釈されています)。国事行為を拒否など出来ません。極論すれば天皇は内閣のロボットなのですから、責任など問えるわけがありません。

帝国憲法下においても、天皇には国策の決定に関与する実質的な権能は無かったのであるから、まして天皇専制政治は行われていなかった。ならば「主権者から象徴に転落した」という表現は俄かに怪しいものになる。

 何度も言いますが、まず「天皇に政治に関する実質的権能があったか」と「天皇の政治が専制的な物だったか」は別問題です。
(そもそも「実質的権能があったか」は事実問題ですが「政治が専制的だったか」は価値観の問題なので問題の性質が違います。)
 第二に、戦前の天皇には政治に関する実質的権能はありました。ないと解釈する人はまともな憲法学者や、歴史学者では保守派でもいませんし、ないと解釈すると、説明のつかないことがたくさん出てきます。
 「ないのに皇道派天皇親政を主張したのは何故なんだろう」とか「ないなら、何故、天皇二・二六事件の討伐方針を軍は無視できなかったんだろう」*3とか「ないなら、何故、田中義一天皇に叱責された事を理由に辞任したんだろう」とか「帷幄上奏権(アバウトに言うと軍が内閣を無視して直接天皇に上奏する権利)って何のためにあるの」とか。

だがその姿は、現在の憲法における天皇とほとんど同じではないか。帝国憲法下の天皇の権能と、現憲法下の天皇の権能は、各論において多少の違いがあろうとも、また形式的な違いがあろうとも、実質的・本質的な違いは無い。

 もちろん実質的・本質的な違いはあります。例えば現在首相の事実上の任命権を持っているのは戦前とは違い、天皇ではなく、国会です。正直、竹田氏は今までまともな憲法や歴史の勉強をしてこなかったとしか思えません。

一般に主権とは「国の政治のあり方を最終的に決定する力」と理解されている。(中略)帝国憲法下でも日本国憲法下でも、国の政治のあり方を決定するのは国民で、それを実行に移すのは天皇である。

 嘘も大概にしてほしい物です。戦前の主権者は天皇なのですから、国の政治のあり方を決定するのは天皇です。もちろん、戦後とは違って権限が制約されているとは言え、選挙で選ばれた議会があるので、天皇が好き勝手やっていたわけではありませんが。
 また実質的意義のない国事行為を「実行に移す」とまで言うのは過大評価でしょう。

ここで注目して欲しいのは、主権を国民が単独で行使することはできず、また天皇が単独で行使することもできないということだ。
分かりやすくするために憲法の改正を例に挙げよう。(中略)
日本国憲法には憲法改正の手続きが明記されていて、国民投票の手続法も作られた。憲法改正の内容を決めるのは、国会と国民投票なので、国民が改正の内容を決定する力を持つと言える。また、新旧いずれの憲法においても、天皇には憲法改正案を決定する過程に関与する実質的な権能は無い。
ただし、国民の力だけで憲法が改正されるかといえば、そうではない。憲法第七条の規定に従い、天皇がこれを公布する必要がある。そして、天皇が公布することによって憲法改正が法的な要件を満たし、効力を発する。改正の内容を決定する力を国民が持つのに対し、既に決定された内容に従って実際に憲法を改正する力を持つのは天皇、ということになる。

 まず、戦前憲法の改正手続に天皇がノータッチというのがそもそも嘘です。
 第二に、天皇の国事行為(公布に限らない)には実質的意味などありません。国事行為は拒否できないんですから(もちろん拒否しても無意味です)。拒否出来るし、拒否すれば法律成立や大臣任命などを阻止できる、では、天皇が政治的権能を持ってしまい現行憲法四条(国政に関する権能を有しない)と矛盾しますから。
 まあ、天皇が国事行為をすることによって、その時点で法的効力が発生するのでしょうから、それを政治に関与した、天皇も主権者だと、言いたければ言えばという感じですね。
 選挙権、被選挙権がなくても天皇は主権者だ、なんてのは特異な主張なので、話が混乱するだけだと思いますが。

歴史的に天皇の権威は、一部の例外を除き、常に形式的・儀礼的だった。

 これまた嘘です。実際には天皇は政治権限を思う存分ふるいたかったが、公家や武家によって権限を奪われてきたというのが正しい理解でしょう。天皇は元々、国王なのですから。それに「常に形式的・儀礼的」なら、「承久の乱」だの「建武の中興」だの「大政奉還」だのの説明が付かなくなります。

以上示してきたように、国民が憲法改正の内容を決定し、天皇がこれを公布するという二つの段階を経て、憲法が改正される。よって、国民が単独で憲法を改正することはできず、また、天皇も単独で憲法を改正することはできない。

 天皇の公布がなければ、改正手続きは終了しないという意味では、おっしゃる通りかもしれませんが、それにここまで重い政治的意味を持たせるのは間違いでしょう。しつこいですが、公布は形式的手続きに過ぎず天皇は拒否できませんし、拒否しても無意味ですから。

主権の定義によって主権者はいかようにも変わる

 そりゃそうでしょう。ただ一般的な主権定義では天皇は主権者とは言いませんし、それは別に嘘ではありません。

帝国憲法において、国策を実質的に決定する主権の実質的側面(権力)を担っていたのが天皇でないとすると、それは一体誰か。それは帝国憲法の条文と、その運営方法を見れば分かる。それによると、法案や予算案について決定するのは議会であり、国務はそれぞれの国務大臣が決定する。また軍事に関しては、軍政は陸海軍大臣、軍令は軍令部の長がこれを担い、内閣総理大臣の人事は総理経験者から成る重臣会議が行った。これらが帝国憲法下で国策を決定する権力者であり、いくつかの機関や人が主権の実質的側面(権力)を担っていたのである。

 だからそれら様々な機関(内閣、軍部など)をコントロールする、より上位の存在が天皇なんですが。
 なお、揚げ足取りを一つだけしておきましょう。
・「内閣総理大臣の人事は総理経験者から成る重臣会議が行った。」と書いていますが、ウィキペディアによれば、重臣会議は元老が西園寺公望ただ一人となり、元老制度が機能しなくなったことから生まれたそうなので、重臣会議が首相人事を行ったと書くのは厳密には問題があります。明治、大正時代には当然、重臣会議はありませんから(重臣会議誕生以前は元老たちの話し合いで決まっていたと言うことでしょう)。
 また重臣会議のメンバーは必ずしも首相経験者ではありません(ウィキペディアでは木戸幸一内大臣)、鈴木貫太郎(枢密院議長)等の名前があがっている。)。

教科書は主権には二つの側面があることを隠しながら、都合の良いように両方の定義をわざと混同させながら用い、さも天皇が自由に政治を動かした専制政治から、国民が政治を動かす政治体制に移行してきたかのような誤解を与えてきたのである。

 別に「隠し」たり「わざと混同」しているわけではなく、竹田氏の主権理解が特異なため、教科書と話がかみ合わないだけの話です。
 それにしても文部科学省検定済み教科書を嘘つき呼ばわりする神経には呆れる。いっそ、竹田版社会科教科書をつくって、それが検定を通過するか試してみてはいかがでしょうか?。通過しなかったら訴訟を起こせばいいし(皮肉)。

エリザベス女王は英国を象徴しているだろうが、中国国家主席が中国を、また米国大統領が米国をそれぞれ象徴しているとは筆者には思えない。悠久の歴史を国民と共に歩んできた天皇だからこそ日本を象徴することができるのだ。

 別に竹田氏がそう思うことは個人の自由であり否定しませんが、それは氏の勝手な感想に過ぎません。学問的に証明できることではない。
(なお、日本人、特に庶民が天皇を強く意識するようになったのは明治以降のことでは?。それ以前は自らの生活に関係ない天皇を強く意識するようなことはなかったのでは?)

現在の日本においても、天皇なくして国の政治は何も動かないのである。このことは、平成二十一年七月に両陛下がカナダをご訪問遊ばされた折に、新聞各紙で、天皇の外国御訪問中に衆議院の解散は困難であるとの見解が記事になったことから分かる。

そういう見解はただのトンデモです。皇太子を代理に立てれば良いだけですから。天皇・皇后両陛下も解散を遅らせる口実に使われてはいい迷惑です。しかも各紙と言いながら、竹田氏が紹介しているのは産経新聞だけです。他の新聞は?

【追記:11/4】
 後で気づいたのだが、麻生総理自身が、マスコミの取材に対し「皇太子殿下を代理にたてればいいのですから、両陛下外遊中の解散でも問題はありません」と答えていたらしい。

衆議院の解散を決定するのは内閣だが、憲法第七条に規定されるとおり、実際に衆議院を解散するのは天皇なのである。

天皇の国事行為は実質的な中身はないのにずいぶんと過大評価です。

天皇は日本国の「祭り主」であって、ローマ法王のように、将軍や国王等の権力者を超越する存在だった。

主張の是非はともかく、論文なら根拠を出してもらいたい物です。(なお私の個人的見解を言えば、建前では天皇はずっと「日本国王」であり、武家や公家は天皇の政治権限を天皇の許可を得て代行しているという事になっているので、ローマ法王と同一視するのは不適切だと思います。そう言う建前だから、大政奉還が成り立つわけです。)

日本は国家としてだてに二千年以上続いてきたわけではない。

国の起源が古けりゃ偉いって訳ではないでしょう。大体日本より国の歴史をさかのぼれる国なんかいくらでもあるのでは?

 これで300万もらえるなんて本当にふざけています(大体審査員に学者が二人しかいないというのもヒドイ。普通は審査員には学者がもっといる物でしょ?。しかも、一人は元新聞記者で、純粋な学者は一人だけ。その一人も渡部昇一じゃなあ。)。こんな事に金を使うくらいなら、アパはまともな学者に対する経済的支援制度でもつくったらどうなんでしょう?

【追記】
この件について、Apeman氏がエントリを書いているのを見つけたので紹介。短い文章で巧くまとまっていて、うらやましい。
アパグループ第2回懸賞論文最優秀賞」http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20091102

*1:主権の問題を扱いながら宮沢のいわゆる八月革命説や、宮沢・尾高論争(宮沢と法哲学者・尾高朝雄との間の主権に関する論争。)など、過去の主権を巡る学説や論争に全く触れないのも悪い意味ですごいと思う。なお、八月革命説や宮沢・尾高論争については巧く説明できないので、興味のある方はすみませんが調べてください。

*2:陸軍は降伏には否定的だった。陸軍超強硬派に至っては降伏阻止のためのクーデター未遂事件(映画「日本のいちばん長い日」の元ネタ)まで起こしてしまう。

*3:陸軍には荒木貞夫や真崎甚三郎のような青年将校に好意的な人間もおり、彼らは青年将校に有利な方向に話を進めようとしますが天皇の強硬方針を前に挫折します。