新刊紹介:中村政則「『坂の上の雲』と司馬史観」(2009年11月刊行、岩波書店:追記・訂正あり)

・著者は一橋大学名誉教授。
・以前も、「近現代史をどう見るか:司馬史観を問う」(岩波ブックレット)で、司馬の「坂の上の雲」に対する批判を行っており、本書はその続編である。*1
(なお、岩波ブックレット出版のきっかけとなったのは、藤岡信勝が司馬を前面に押し立てて、日露戦争韓国併合を正当化しようとしたことだという。ただし、著者も書いているが司馬は、日中戦争や太平洋戦争は批判していることに注意が必要だろう。そのため、藤岡は極右化するにつれ当初は持ち上げていた司馬を非難するようになる。)
 もちろん本書出版のきっかけはNHKによるドラマ化である。

・以下、著者の主張を紹介していく。

・著者が問題にする司馬史観とは「日露戦争*2は不可避の戦争であった」「日露戦争は防衛的性格が強かった」「(著者の言葉を使えば)明るい明治・暗い昭和」と言う史観のことだろう。
(人によっては「英雄中心史観」「上からの目線」「読者サービスのフィクションが多い、しかもフィクションと言う断りがない」*3と言う指摘をする人(例:佐高信)もいるが本書ではそれは批判のメインターゲットではない。なお、「司馬の小説はフィクション」と言う擁護論に対し、著者は「現実に歴史学と同一視する人がいる」「しかもそれを生前司馬が批判せず黙認していた(よく言えばファンへの優しさ、サービス。悪く言えば厄介事からの逃げ)」事を理由に支持できないとしている。司馬が生前、「事実扱い」する人間に突っ込みを入れてれば良かったんだがそう言う性格の人じゃないんだろうなあ。)*4
・司馬の「読者サービスのフィクションが多い、しかもフィクションと言う断りがない」で面白いのは、著者も一部紹介しているが、吉村昭関係のエピソードである。吉村は司馬遼太郎賞にノミネートされたことがあるが辞退している。それはどうやら吉村が司馬の「読者サービスのフィクションが多い、しかもフィクションと言う断りがない」事に批判的だったことが理由の一つらしい。
また吉村には、楠本イネを主人公とした「ふぉん・しいほるとの娘」という作品があるが、この作品を書くきっかけの一つは司馬の「花神」らしい。司馬は「花神」で、読者サービスとして、大村益次郎とイネが恋人であるかのように書いたがそう言う事実はないらしい。そのことに吉村が怒りを覚えたことが「ふぉん・しいほるとの娘」執筆の理由の一つらしい(月刊雑誌「歴史評論」(校倉書房)のエッセイか何かで読んだ覚えがあるのだが、詳しい事は忘れた)。

本書p16の司馬批判
 司馬は義和団事件において日本は残虐行為をしなかったかのように書いているが、実際には虐殺事件を起こしている。

本書p23の司馬批判
 司馬は朝鮮には改革能力が皆無であったかのように書いているが朝鮮内部の改革運動を無視しすぎである。

本書p29の司馬批判
 司馬は日露戦争について、(あえて言えばという断り付きでだが)「戦争責任はロシア8分、日本2分」と書いている。しかしその根拠は明確ではない。

本書p34の司馬批判
 政府の軍拡に国民の不満がなかったかのように司馬は書いているが事実に反する。例えば日本版ウィキペディアにも書いてあるが、第二次松方正義内閣、第三次伊藤博文内閣が倒れた原因の一つは、内閣が計画した地租増徴(増税)に野党が反対したからであった(増税目的の一つは軍拡)。増徴は第二次山県有朋内閣によって実現された。

本書p37の司馬批判
 司馬はロシアの侵略意図を強調するが、ロシアは当初から主戦論で一枚岩だったわけではない。日本の対応やロシア内部の政治動向によっては充分戦争回避はあり得た。実際には、両国とも戦争の方向に向かうわけだが(なお、日本も同様に当初から、主戦論一枚岩だったわけではない)。
 なお、当時の日本世論は主戦論だったかのように思われがちだが、そうではないことに注意。大国ロシアに勝てるのかという理由で消極的な人間は少なくとも、当初は少なくなかった。

本書p56の司馬批判
 旅順攻略戦での犠牲を理由に司馬は乃木希典を愚将扱いする(その反面、児玉源太郎が名将と評価される)。しかし、そうした認識が妥当かどうかは疑問である。例えば、著者によると、伊藤之雄山県有朋」(文春新書)はむしろ大山巌(当時・満州軍総司令官)の責任が大きいとしているという。

本書p66の司馬批判
 司馬は日露戦争当時、ロシアで情報工作に従事した明石元二郎を好評価している。しかし明石工作の効果については疑問視する歴史学者が多い(例えば、日本版ウィキペディアが紹介する稲葉千晴『明石工作―謀略の日露戦争』(丸善ライブラリー))。司馬の評価は過大評価ではないか。

本書p78の司馬批判
 司馬の小説では、東郷平八郎が当初から対馬海峡バルチック艦隊を迎え撃つつもりであったように描いている。しかし当初、東郷らがバルチック艦隊を迎え撃つ場所と考えていたのは津軽海峡である。

本書p80の司馬批判
 司馬は日本海海戦で丁字戦法が使用されたと書いているが疑問である。大江志乃夫*5バルチック艦隊」(中公新書)は丁字戦法実在説に否定的である。

本書p157の司馬批判
 司馬は「明るい明治・暗い昭和」と理解しているようだがこの見方は問題である。
 例えば司馬は統帥権独立を問題視するがこのシステム自体が生まれたのは明治である。
 また、この見方では大正時代のとらえ方が難しくなるのではないか。

本書p215の司馬批判
 司馬は昭和天皇死去時の追悼文「空に徹し抜いた偉大さ」(産経新聞)で戦争中、天皇は「空に徹し抜いた」(君臨すれども統治せず)とし、評価する。しかしそうした主張は天皇の戦争責任を免罪する誤った理解に過ぎない。

【12/19追記】
1)なお、本書については上田亮氏が、一定の評価をしながらも「ところどころ認識が古かったり、解釈が大雑把だったりするところもあり、鵜呑みにできない」としていることを念のため指摘しておく。
「上田亮の只今勉強中:NHKドラマ『坂の上の雲』批判、中止のお知らせ」
http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20091214/1260772864

2)これに関連して赤旗(インターネット版)のQ&Aを紹介。
日清、日露戦争は、よい戦争だったか?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-02/ftp20080402faq12_01_0.html

日露戦争をどう考える?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-08-19/2004-08-19faq.html

*1:司馬を批判したり学問的に取り扱ったりした本(礼賛本でない本)には他にもいろいろある。著者が参考文献として紹介しているものでは、中塚明「司馬遼太郎歴史観」(高文研)、成田龍一「戦後思想家としての司馬遼太郎」(筑摩書房)などがある。

*2:近年の日露戦争研究書として、著者は、井口和起「日露戦争の時代」(吉川弘文館)、山室信一日露戦争の世紀」(岩波新書)、横手慎二「日露戦争史」(中公新書)、原田敬一「日清・日露戦争」(岩波新書)、山田朗「世界史の中の日露戦争」(吉川弘文館)を紹介している。

*3:著者は司馬の小説にフィクションが多いことを「司馬文学と歴史学:『峠』を中心に」(神奈川大学評論27号・28号)で批判したことがあるという。ちなみに日本版ウィキペディアの「峠(小説)」には司馬の小説と史実との違い(例:小説では河井継之助福澤諭吉と関係があったかのようになっているがそうした史実は存在しない)が記述されているが元ネタはもしかして著者の論文だろうか?

*4:司馬を批判する場合、司馬の執筆した時点においても彼の記述が問題だったか、それとも当時としてはやむを得なかったのかは重要だと思うが本書はその点をあまり重要視していないようなので私も注意しないで話を進める(本書では司馬本人よりもむしろ彼の記述を事実扱いする人間が批判対象になっているからだろう)。少なくとも「日露戦争は不可避の戦争であった」「日露戦争は防衛的性格が強かった」「(著者の言葉を使えば)明るい明治・暗い昭和」は司馬の執筆した時点でもかなり問題だと思うが。

*5:他にも日露戦争関係の著書として「日露戦争軍事史的研究」(岩波書店)、「日露戦争と日本軍隊」(立風書房)、「兵士たちの日露戦争」(朝日新聞社)、『世界史としての日露戦争』(立風書房)がある。