・「ダビンチコード」批判本を面白そうだなと思っていくつか持ってるので紹介。
(1)皆神龍太郎*1「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」(文芸社)
(2)ハンク・ハネグラフ&ポール・L・マイヤー「ダ・ヴィンチ・コード:その真実性を問う」(いのちのことば社)
(3)ホセ・アントニオ・ウリャテ・ファボ「反ダ・ヴィンチ・コード:嘘にまみれたベストセラー」(早川書房)
・本を読む前は、しかし、何故、一部のキリスト教徒はダビンチコードに怒ってるんだろう、所詮フィクションじゃないと思っていたが、批判本を読んでみてそりゃ怒るだろうなと思った。
(2)や(3)によればダビンチコードには「昔は性に対し社会は寛容だった」→「しかし、性に厳格なキリスト教のせいで(以下略)」みたいなことや「キリスト教のない昔は良かった。フリーセックス万歳」みたいなことが書かれてるらしい。
ネタでも笑えないし、まじめなキリスト教徒の中には、「所詮、ほら話」とスルーする人もいるだろうが、「バカにするな」「ふざけるな」と怒る人も出るだろう。しかも、後に撤回したは言え、話題作りのために当初作者は「全て真実」みたいな事を言っていたのだから。
・いちおう「下ネタ」と言うか「エロ関係」のネタだけ紹介(「下ネタ」以外もかなり問題だと思うが)。
(3)のp123
「聖婚(ヒエロス・ガモス)はエロティシズムとは無縁であるとラングドンは説いた。(中略)
『女性と通じることで、男性は絶頂の瞬間を迎え、頭が空白になったその刹那に神を見ることができるんだ。』」
(ダ・ヴィンチ・コード七四章105〜106ページ)
(3)のp126
「ラングドンの講義を受けるユダヤ系の学生も、初期のユダヤ教の習わしに儀礼としてのセックスが含まれていたと聞かされると、総じて面食らった様子を見せる。よりによってヤハウェの神殿においての話だからだ。(中略)
男性は精神の充足を求めて神殿を訪れ、巫女―すなわち聖娼―と交わり、肉体の結合を通じて神にふれようとした。」
(ダ・ヴィンチ・コード七四章106〜107ページ)
セックスすると神が見えるんですか?。大変素晴らしいですね(棒読み)。
キリスト教やユダヤ教に対しても失礼だと思うけど、ハーバードに対しても失礼なんじゃないか?(ラングドンはハーバードの教員という設定)
*1:と学会会員の一人。