【ネタ】id:kojitaken氏に呆れる(追記・訂正あり)

 本当は私なんかよりずっと法律や歴史に詳しい人が突っ込めばいいと思うのだが。まあ、超適当だが思ったことをつらつらと。

「戦前には極右・平沼騏一郎が牛耳っていた検察」(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100118/1263824686)から

1914年、「ジーメンス事件」が起こる。ジーメンス社東京支店のタイピスト、カール・リヒテルがある秘密契約書および仕様書を盗み、ヘルマン支店長が日本海軍高官にリベートを渡しているとして金をゆすろうとしたことがドイツで発覚した。検事総長に昇格していた平沼はこれに目を付けた。平沼の指揮によって検察が政治へ介入した。そして、マスコミと帝国議会山本権兵衛首相を泥棒呼ばわりし世論を煽った。当時、山本内閣は大行財政改革を打ち出していたが、議会の紛糾によってそれは頓挫し、遂に内閣総辞職した。しかし、事件が沈静化した後、山本首相が全くの無罪であったことがわかった。

 ウィキペディアを見る限り、「ジーメンス事件」では海軍上層部に有罪者が出ている。
 山本個人が無罪だとしても、彼が海軍幹部である以上、政治責任を求める声が出たとしてもおかしくないと思うが?
 なお、単なる偶然に過ぎないが、この時、山本内閣の海軍大臣として引責辞任したのが、後に帝人事件で首相を引責辞任し、二・二六事件青年将校に暗殺される斉藤実である(暗殺当時は内大臣)。
 山本は後に再び首相になるが、虎ノ門事件(難波大助による皇太子(後の昭和天皇)暗殺未遂事件)で引責辞任
 こうしてみると山本と斉藤は不幸な星の下に生まれたのかも知れない(苦笑)。

1925年、普通選挙法を議会で審議中の加藤高明内閣に平沼は接近した。そして普通選挙法の成立を検察が妨害しないことを条件として、加藤内閣に圧力をかけて治安維持法を成立させることを認めさせた。この法律によって、検察は政友会を内部崩壊させ、「議会中心主義」を標榜する民政党を攻撃し、社会主義政党共産党を弾圧した。検察は政党政治を徹底的に破壊しようとしたのである。

 どうすれば検察が「普通選挙法(ただし男性限定)の成立」を妨害できるのだろうか?(なお、ウィキペディア普通選挙法」は「枢密院」の存在が「治安維持法成立」に影響したとしている。どっちにしろ、平沼一人で全てが決まったかのように言うのは陰謀論以外の何物でもあるまい)。
 また治安維持法以前にも治安立法は存在したし、社会主義政党共産党に対する弾圧もあった(そして保守政党はそう言うことに別に反対しなかった)と思うのだがそう言うのは無視するわけですか?
 なお、治安維持法によって「政友会を内部崩壊させ、民政党を攻撃し」というのは初耳である。治安維持法で宗教団体など共産党と関係ない団体(「少年H」にでてくるキリスト教系のホーリネスとか)が弾圧されたという話は聞いたことがあるがその中に保守政党まで入るわけですか?。一体どんな本にそんなことが書いてあるのか教えてほしい物だ。

そして1934年、平沼は枢密院副議長として、「帝人事件」の捜査を陰で操った。中島久万吉商相*1三土忠造鉄相ら政治家、大蔵官僚らを次々に逮捕し、斉藤実内閣が総辞職した。しかし、この事件は実に逮捕者約110人を出しながら、公判では最終的に、全員が無罪となった。「帝人事件」は空前のでっち上げ事件と言われる。

 ウィキペディアによれば杜撰極まりない捜査で拷問すらあったそうだから検察批判は当然である(平沼が裏で暗躍していようがいなかろうが、目的が倒閣であろうがなかろうが)。 しかし、ウィキペディアを見る限り、政財界に怪しい動きがあったのは確かなようだ。政治家には高い倫理が求められるのであり、「無罪だから」といって政治的にも問題ないかのように言うのはいかがな物だろうか?

【1/24追記】
id:kojitaken氏は「帝人事件に関するメモ」(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100123/1264256802)で帝人事件を次のように紹介している。

 九年一月、武藤山治*2が社長をしている時事新報*3が「番町会を暴く」という記事によって斎藤内閣のバックである財界グループ(私注.もちろん「番町会」のこと)の不正を暴露し始めた。その一つが帝人問題である。帝国人絹会社は、鈴木商店系の会社で、業績が向上しつつあった。当時、この会社の株式二十二万株が台湾銀行の担保に入っていたのを、鈴木の大番頭金子直吉がこの買い戻しを計り、鳩山一郎(私注.後の首相。斉藤内閣では文相)、黒田英雄大蔵次官らを動かし、そのあっせんを番町会の永野譲、正力松太郎(私注.読売新聞社長)らに頼んだ。この為十一万余株の払い下げが実現したが、間もなく増資決定の為、同株は一株二、三十円の値上がりを見せた。
 これが贈収賄の容疑を招いたとして、高木帝人社長、島田台銀頭取、永野、そして黒田次官、銀行局長大久保偵次らが検事局に召還され起訴された。この為、新聞は大蔵省と斎藤内閣を攻撃し、内閣は七月三日ついに総辞職した。しかし、十二年十月結審した帝人事件裁判の結果は全員無罪であった。
豊田穣西園寺公望(下)」  P.261)

 私が書いたように、やはり政財界に怪しい動きはあったようだ。 もちろん検察の捜査が違法だったことは非難されて当然である(id:kojitaken氏が言うように平沼による倒閣目的の捜査ならなおさらだが、そうでなくても)。
 しかし、無罪だから政治的にも問題ないとは言えないように思うが?

 第二次世界大戦後、1947年4月の総選挙では社会党が第一党に躍進し、民主党と連立で片山哲内閣が発足した。保守と革新が交互で政権を担当する健全な議会制民主主義が日本に定着する可能性があった。しかし検察はこの政権を容赦なく攻撃した。
 当時、政党への政治献金は届出制となっていたが、社会党西尾末広書記長が50万円の献金を受けながら届けなかったとして起訴された。これは本来、形式犯として起訴に値しないもので、最終的に西尾は無罪となった。
 昭和電工の社長が占領軍の民政局や政官界に接待や献金の攻勢をかけた「昭電事件」という贈収賄事件が起きた。大蔵省主計局長・福田赳夫(私注.もちろん後の首相)を筆頭に官僚13人、西尾を筆頭に政治家15人が逮捕起訴され、民間人を入れると計64人が裁判にかけられたという大事件となった。しかし、この事件も最終的に被告のほとんどが無罪となった。

 ウィキペディアによれば昭和電工の日野原元社長(贈賄側)と栗栖赳夫経済安定本部総務長官(後の経済企画庁長官に当たる。収賄側)には有罪判決が確定しており、検察ファッショなどと言って良いか疑問。
 また、検察ファッショ説を採る論者にしても占領下でアメリカの意向が働いたのではないかということを重視しており独立後にまで話をスライドするなど無茶苦茶だろう。
 なお、ウィキペディアは片山内閣の崩壊原因としては「社会党右派内での勢力争い(西尾末広官房長官と平野力三農相*4との対立)」、「社会党左派の造反による補正予算の否決」*5をあげている。首相退陣後に芦田本人が逮捕された芦田内閣はともかく、片山内閣は西尾が検察に追及されたから崩壊したわけではない。

西尾は議会制民主主義を志向する現実主義者であったが、この2つの事件で社会党内での発言力を失った。

 この事件がなかったとしても反共親米の西尾に社会党での居場所などなかったと思うが?。西尾は60年安保では岸首相支持の立場を取ったのですがその方が良かったとでも?(西尾が社会党を離党し民社党を結成したのは、60年安保がきっかけ)
 なお、ウィキペディアによれば岸は、友人・三輪寿壮(社会党右派の幹部政治家。A級戦犯容疑者となった岸の弁護を担当)のつてで当初社会党入りを目指していたという(社会党左派の反対から、挫折し自由党入りすることになるが)。
 このエピソードからも分かるように西尾のような社会党の最右翼と岸との間に違いなど大してないと思う。

1976年のロッキード事件では、岸が大いに嫌っていた田中角栄が逮捕された。(中略)岸信介が検察にやられにくい体質を持っていたとはいえると思うのである。

 そもそも岸に限らず日本の大物保守政治家で「検察にやられた」人間などほとんどいないと思うが?(特に造船疑獄での指揮権発動以降は)
 大物政治家絡みの疑惑で、その大物が司直の追及を受けなかったケースは、岸(ダグラス・グラマン疑惑、インドネシア賠償疑惑等)に限らず「九頭竜川ダム疑惑」(池田勇人首相。小説「金環蝕」のモデルとなった)とか「リクルート疑惑」(中曽根康弘首相)とかいろいろありますわな(あまり詳しくないのでこれ以上あげられない)。
 田中の逮捕(日本戦後政治史では彼レベルの大物が逮捕される方がレアケース)にしても、「事件の発覚はチャーチ委員会の調査」「当時の政権が反田中の三木政権だった」とか「日本共産党が民主連立政権構想を唱えるほど野党の力が強まっていた」と言った背景事情を無視するのはおかしすぎる。しかも田中は逮捕されても「闇将軍」として隠然たる権力をふるい続けたのだが?(盟友・大平を総裁選で勝利させ、福田の長期政権の野望を砕いたのも田中)
また、田中も数々の疑惑(信濃川河川敷問題、虎ノ門国有地払い下げ疑惑等)がマスコミ(立花隆が特に有名だ)や野党によって指摘されたが司直にマトモに追及されたのはロッキードぐらいしかなく、しかもロッキード最高裁判決は田中の生前ではなく、死後に出されたことをid:kojitaken氏はどう思っているのだろう?
陰謀論になってしまうが、田中への判決が生前ではなく、死後出されたことには最高裁自民党への遠慮があったとしか思えない。最高裁は事実審理は原則やらない(法律審理しかやらない)し、ロッキード事件・田中ルートって死後に出さざるを得ないほど難しい審理ですか?)

【1/23追記】
シートン俗物記「疑問」(http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20100122/1264168533)にも絶句した。
一応批判。

足利事件の再審公判で菅家利和さんに対する「推定有罪」がどう「事実を明らかにする場」を歪めていったのか、が問われている真っ最中にもかかわらず、小沢民主党幹事長に対して「有罪」が前提となっているのはなぜなのか?

田中角栄が逮捕されたとき、自民党は同じようなこと(推定無罪)を言って田中をかばいましたけど、それも支持するわけですか?
中村喜四郎(ゼネコン汚職で逮捕)の「自分は金丸と小沢にはめられた」と言う言い訳は?(他にもいろんな疑惑政治家の言い訳があったと思う)
それと、高い倫理が求められる政治家には説明責任があるし、刑事責任がなければ何やってもいい訳じゃない。
また、菅家氏のような非権力者ならともかく、小沢氏のような権力者(与党№2)相手にデタラメな捜査ってのも考えづらいと思うんですがね。
もちろん、マスコミの報道姿勢の是非(小沢側の言い分ももっと報道すべきでは、とか)等は議論すべきでしょうが、どう見ても屁理屈で小沢擁護してるとしか見えないな。
今回「リークがどうとか」言ってる人間は常日頃のマスコミの犯罪報道はどう思ってらっしゃるんでしょう?。自民党議員(故・松岡利勝氏とか)が小沢氏と同じ目にあったときはどう思ってらっしゃたんでしょう?
なかには「カナダで日本語」(http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-1908.html)のように小沢以外ではマスコミ報道で「推定有罪」炸裂させてる方もおられるようですな。殺人容疑で逮捕状が出たわけでもないのに。

「政治家にも人権ある」枝野氏が小沢氏擁護、検察を批判
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/344466/

 民主党枝野幸男衆院議員は10日の民放番組で、(中略)自民党が求めている小沢氏らの証人喚問に応じる必要はないとの認識を示した。

まさかとは思いますが枝野氏のように「証人喚問」や「参考人招致」も必要ないとか言い出さないでしょうね。自民の疑惑では求めていたくせに。

検察批判をすると「陰謀論」扱いする“ミンス嫌い”で“小沢嫌い”のネトウヨどもは、二次元ポルノ問題や痴漢冤罪などで警察も検察も信用できない、とか云っていなかったっけ?

「違法捜査批判」ならまだしも、ろくな根拠もあげず、「検察は小沢潰しを画策してる」とか言えば「陰謀論」扱いも当然。
つーか、何ですか、この文章は?。あなたに賛同しないと「“ミンス嫌い”で“小沢嫌い”のネトウヨども」なんですか?。やれやれ。

【1/24追記】
 シートンさんからコメントが付いたので紹介。
 シートンさんとしては「検察の捜査のあり方」と「検察情報を垂れ流してるとしか思えないマスコミのあり方」に疑問を呈しただけであって、「民主党や小沢氏の対処の仕方」を(「カナダで日本語」や植草氏が典型的だが)擁護したわけではないようだ。
 であるなら、私の上の文章は少し不適切だったかなと思う(そのまま残しますけど)。 私の問題意識は「検察・マスコミ批判を口実に説明責任から逃げているとしか思えない小沢氏や民主党のあり方」だったので、シートンさんとは問題意識がずれていたと言うことだろう。
 なお、本当に検察の捜査やマスコミの報道が問題なら、民主党はただ問題だというのではなく、次のようなことが必要だろう。そうでなければ「単なる言い逃れ」と「誤解」されても文句は言えないだろう(私個人は「もっと小沢氏側の言い分を流してもいいかな」とは思うがそれ以上は何とも言えない。疑惑政治家が検察やマスコミに反発するのはいつものことなので、それだけでは検察やマスコミが不当とは言えない。また、現時点では、少なくとも小沢氏の説明がまともな物とは言えないと思う)。
・一日も早い捜査の可視化
・捜査が不当だというなら、捜査妨害にならないよう注意した上で、国会で検察捜査の問題を議論すべきではないか?
・捜査当局(検察や警察)リークが問題だというなら、この問題に限らず、過去の問題も含めて捜査妨害や報道の自由侵害にならないよう注意した上で、国会でこの問題を議論すべきではないか?
・本当に捜査に問題があるのなら、捜査妨害にならないよう注意した上で、千葉法相が適切に指揮権発動すべきではないのか?
(指揮権というと、造船疑惑の事例から「捜査をストップさせること」というイメージがあるが指揮権自体は検察官に対する管理権に過ぎないから「違法捜査を止めさせる」のも指揮権である)

*1:ウィキペディアによれば、中島は大臣就任前、雑誌に足利尊氏を評価する論文を書いたことが右翼(貴族院議員・菊池武夫など)に「逆賊をほめるとは何事か!」と問題視され辞任に追い込まれている。逮捕は辞任後のこと。

*2:カネボウ社長、政治家としても知られる

*3:戦前は大新聞社だったが戦後は経営不振から消滅。ウィキペディアによれば、紆余曲折の末、「時事新報」の権利は産経が持っているようだが、今のところ、時事新報を復刊するなど、時事新報の権利で何かしようという動きは産経にはなさそう

*4:ウィキペディアによれば西尾との対立の結果、平野は大臣を更迭され、その後公職追放を受ける。追放解除後も、保全経済会(オレンジ共済とか豊田商事系の怪しい会社)顧問になったことがたたり政界引退を余儀なくされる

*5:このグループは党を除名され、一時、労働者農民党(後に多くは社会党に戻るが)を結成することになる