【産経抄】7月14日(追記・訂正あり)

かつて製鉄業で栄えたドイツのオーバーハウゼンという地方都市の水族館で飼われているタコが、占った8戦すべての勝敗を当ててしまったのだからすごい。

 単なる偶然でしょう。また、水族館の仕込みの可能性もあります。抄子はアホかと。


 以下、面倒なので引用はしません。
 抄子が言うように今回マスコミの選挙予想は、民主と自民に関する限りかなり大きく外れました(みんなの党躍進とそれ以外のミニ政党苦戦は当てましたが)。
 最近ではこうした大外しは珍しいことです。但し過去にこうした例が少なくとも3回あることをid:kojitaken氏が指摘しています。いやあ、博学ですね。頭のいい人はうらやましいですな(氏の主張には賛同できないことが多いですが)。ちなみに1979年衆院選、1983年衆院選、1998年参院選だそうです。なお、id:kojitaken氏によれば、土井たか子が「山が動いた」と言ったことで知られる1989年参院選は、自民大敗社会党躍進自体は選挙結果が分かる前から予想されていました。
 3回の予想外しは、全て「自民勝利」(予想)→「自民敗北(とは言え、政権を失ったわけではありませんが)」「自民支持者真っ青」と言う、自民支持者が「マスゴミの陰謀」と言いたくなるような悲惨な結果。自民の友達・産経さんには思い出したくもない過去でしょう。さてこの時、産経は何と言っていたでしょうか。
 今回選挙での抄子のように予想が外れたのは「自民党への支持は日を追うごとに予想を超えるペースで減って」いったからだと言い訳したのでしょうか。首相辞任した橋本龍太郎は良いとして、敗戦責任を取らなかった、つまり首相を辞任しなかった大平正芳中曽根康弘を非難したのでしょうか。たぶん、してませんよね。いつも通りのご都合主義(苦笑)
 それはともかく、常識で考えれば選挙予想をマスコミが今まで大筋で当ててきたことの方が驚きです(特に選挙区選挙は)。比例ならば支持率が得票数や議席数に直結するでしょうが、選挙区選挙はそうではないですから。
 選挙結果は当日の天気(雨ならば投票率が下がると言われます)などさまざまな不確定要素に影響されるものですから本来当てるのは難しい。繰り返しますが今まで予想を当ててきたことの方がスゴイと思います。もちろん、今回の件で「どうせあたらない」と投げやりになるのではなく、今後も予想的中の向上につとめて欲しいとは思いますが。

【参考】
「気まぐれな日々:マスコミの総選挙予想は当たるか」
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-980.html


 3回の選挙結果についても簡単に触れておきます。


1979年衆院選
 大平首相が大型間接税導入を訴え、国民の反発を買い、今回の菅首相のような醜態を見せたことで知られる選挙(毒)
 しかし事前の世論調査を見る限り、自民勝利が有力でした。
 1979年、1998年、そして今回、まさに増税は選挙の天敵です。
 この敗戦を理由に、「大平は首相を辞めろ」と反主流派(福田派、三木派)は活気づきますが、大平は盟友の田中角栄の支持をバックに辞任を拒否、いわゆる自民党40日抗争が始まり、反主流派が首相候補福田赳夫を担ぐという異常事態が発生します。結局、第2次大平内閣が成立しますが、実現はしなかったものの、大平は新自由クラブ公明党との連立を考えるまで追い込まれます(公明との連立話については後に、当時、委員長だった竹入義勝朝日新聞に発表した回顧録の中で暴露している。なお、この回顧録で竹入が「政教一致と言われても仕方ないところがあった」「委員長になったのも辞めたのも池田大作氏の命令だった。私には自由などなかった」云々と書いたことに公明党創価学会は「嘘を書くな」と激怒、竹入と完全な対立関係に入ります。委員長まで務めたのに竹入さんかわいそう(苦笑))。
 また、反主流派との対立は続き、いわゆる1980年のハプニング解散(野党の出した不信任案に対し、反主流派が大平を潰すために欠席したために不信任案可決。しかし大平は辞任せず解散に打って出ます)につながります。
 この総選挙で自民は大勝、ひとまず危機は遠のきます。

1983年衆院選
 直前の田中角栄ロッキード裁判一審有罪判決が影響したのではないかと言われています。
 衆院過半数割れしたことで、中曽根は新自由クラブを抱き込み過半数をキープ(新自由クラブ代表の田川誠一自治相として入閣)。
 1986年衆院選で自民は大勝することで危機を脱します(1986年選挙で新自由クラブは不振な結果に終わり大半の議員が自民に復党、党は消滅します)。

1998年参院選
 ウィキペディアによればマスコミ予想は60議席台前半で勝利だったのが実際は44議席の敗北ですから、痛過ぎます。
 橋本の行った消費税増税が敗北の原因と言われます。
 橋本は退陣し、小渕恵三が首相に就任。危機を脱するため、この時から「自自連立→自自公連立(ここまで小渕内閣)→自公保連立(森、小泉内閣)→自公連立(小泉内閣以降)」が始まります。

【追記】
産経の無茶苦茶な文章にあまりに激高したのでよく読まず突っ込み忘れていたところがあったので突っ込みましょう。

ことに落選のレッドカードを突きつけられた千葉景子法相までが留任するとは開いた口がふさがらない。

 既に多くの方がいろんな突っ込みをしていますが私も突っ込みましょう。
 千葉氏は「神奈川の選挙民」に「議員」としてレッドカードを突きつけられたに過ぎず、別に「国民」に「法務大臣」としてレッドカードを出されたわけではありません。また、大臣は民間人でも就任可能です。私もきちんと調べたわけではありませんが、自民時代にもそう言うことはいくらでもあったのでは?
 大体そんなことを言うなら、2003年衆院選で議員を落選したのに、小泉内閣の総理大臣補佐官になった山崎拓先生はどうなるんですか?(ウィキペディア山崎拓」参照)。そのとき産経さんは何と言っていたんですか?。まあ、聞くだけ野暮ですが(苦笑)