【産経抄】8月15日

ラジオの玉音放送もかなり聞き取りにくかったという。

戦争末期は餓死者が出るような、今の北朝鮮並みのボロボロの経済状態でした。ラジオがおんぼろでも全く不思議ではない。

「詔」そのものも格調高い文語調だった。それだけにラジオを聴いた人たちの多くは、事態を正確に知るのに時間がかかったようだ。

言葉を選ばず、わかりやすく言えば昭和天皇が卑怯者と言うことでしょう。敗北したと言うことをはっきり言いたくないから「むにゃむにゃ」と言う意味不明な表現になったと。

「みんなあんなに一生懸命戦ったのに。若者も壮年も老人、女、子供、みんなが国のために心身をすり減らしたのだ。私の涙の中には確かに戦友意識にも似た同胞への想いがあったと思う」

 そりゃ一つのことを皆で一生懸命やればある種の「戦友」意識は生まれるかもしれません。しかし、高校の文化祭とか会社のプロジェクトとか地域の夏祭りとか趣味のサークルとかボランティアとか住民運動(地域に密着した政治活動)とか平和で有意義なものならまだしも戦争、それも多数の犠牲者をだした無謀な侵略戦争で戦友意識が出来たことを良いことのように言われても困るんですが。

そんな気持ちを持てたからこそ、奇跡ともいえる復興をなしえたのだ。65年たとうと、忘れてはならない。

「そんな気持ちを持てた」から復興できたんですか?。違うと思いますが。
そもそも「そんな気持ち」って何ですか?。間違っていても皆で一緒にやる戦友意識ですか?。戦争を二度と起こしてはならないという言葉がどこにも出てこないのがすごいな。