【from Editor】フルシチョフの良心

 フルシチョフの話はジョークでしょ?。何、事実扱いしてるんだか。

「戦争はいけない」と叫ぶことは、どこかに「戦争はいいこと」と叫ぶ者がいて初めて意味をなす言葉である。いったい、いまの日本のどこに「戦争賛成」「戦争をやれ」と叫んでいる人がいるのだろうか。

・「太平洋戦争、日中戦争は正義の戦争だった」「旧日本軍は戦争犯罪などしなかった」「アメリカのイラク戦争は正義の戦争」という産経の分際で白々しいというか何というか。
・書き換えてみよう。
ネトウヨや産経が「土下座外交はいけない」と叫ぶことは、どこかに「土下座外交はいいこと」と叫ぶ者がいて初めて意味をなす言葉である。いったい、いまの日本のどこに「土下座外交賛成」「土下座外交をやれ」と叫んでいる人がいるのだろうか。」


ネトウヨや産経が「自虐史観教育はいけない」と叫ぶことは、どこかに「自虐史観教育はいいこと」と叫ぶ者がいて初めて意味をなす言葉である。いったい、いまの日本のどこに「自虐史観教育賛成」「自虐史観教育をやれ」と叫んでいる人がいるのだろうか。」


 何が言いたいかというと主観と客観は違うと言うことです。産経は主観的には「戦争賛成」と言ってる気はないとしても客観的にはそれはどうでしょう。それをいうなら例えば菅政権だって「土下座外交」などしてるつもりはないし、歴史教師も「自虐史観教育」などしてるつもりはないでしょう。

「なぜ戦争をしたのか」、あるいは「戦争にならないようにするにはどうしたらいいのか」を問いかけること

 で、そう言う問いかけを太平洋戦争や日中戦争でやると自虐とか言うわけです、産経は(毒)
 なお、数は少ないかも知れませんがそう言う問いかけを行おうとする番組もNHK教育を中心にいくつかあります。私は見てないけど、例えば海軍反省会などそうでしょう。

出征した人の多くは「国のため」「家族のため」「愛する人のため」「アジア解放のため」に、苦労を承知のうえで勇んで戦地に赴いたのである。

 そう言う人もいるでしょうがね。そう言う人ばかりだったと言うのも嘘でしょうよ。
 だったら、「拝啓マッカーサー元帥様」(袖井林二郎)なんてことが起こるわけがない。
 しかも「国のため」「家族のため」「愛する人のため」「アジア解放のため」と思ったからと言ってそれが正しいとは限らない。
 主観と客観は全く別です。
 ホメオパシー信者が「子どものため」と思っても児童虐待にしかなっていないのがその良い例です。

「騙されていたのだ」という人も多いが、それなら、現代のわれわれも誰かに騙されていないといえるのか。

 もちろん現代の我々もいろいろと騙されていますよ。
 例えば「対馬は平穏無事なのに対馬が危ないという自称全国紙」とか「松本サリンの犯人は河野さん」(後でマスコミと警察は謝罪したが)とか「イラクには大量破壊兵器がある」とか「ホメオパシーを信じこまされた不幸な人」とかいろいろとね(毒)。で、それが何か?
 「騙す奴は許さない、ペナルティを与えよう」「騙されないよう知恵をつけよう」ってだけの話でしょうが?

自身は安全地帯に身を置いて、後付けの議論で過去を断罪することは誰にでもできる。

 ナチドイツとか文革とか、外国の過去や、左翼の過去だと平気で断罪する癖に何様だ。

われわれはせめてフルシチョフなみの良心をもちたい。

 フルシチョフの話(ジョークですが)は良心じゃなくて居直りでしょうが。産経って本当に常識がないな。
 ちなみにハンガリー動乱ソ連からの自立をめざしたハンガリーのナジ首相が反革命分子としてソ連に連行され処刑)は「良心的」なフルシチョフ時代の事件ですが、産経的にはどうでもいいんですか、そうですか(毒)。