【主張】世界柔道の成功・ルールが導いた原点回帰

 タイトルを見て、世界柔道で日本が沢山の金メダルを取って良かった、これも選手、コーチたちが過去なぜ日本は柔道王国として君臨したのか原点に立ち返って研究、練習をかさねたからだ、と言う内容か、でもなぜ「ルールが導くんだろ」と思ったら、内容は思いつきとしか思えないトンデモ。

タックルまがいの足取り技や抱きつく行為を反則とした新ルールで戦われた大会

だったから、「しっかり組んで投げ合う好勝負や、美しい一本勝ちが多」く、そうした事が得意な日本が金メダルも沢山取れたのだそうです。原点回帰とは「しっかり組んで投げ合う好勝負や、美しい一本勝ち」のことのようです。
 ふーん(棒読み)
 「美しい一本勝ち」の部分はいいとして、金メダル云々の部分に根拠はあるんでしょうか?。たぶんないんでしょうが。
 それが事実だとしても今後は外国人選手もそれに対応してくるでしょうから、日本も油断は出来ないと思いますが。
 それに日本人選手にだって新ルールでは不利な人もいると思うんですが。

新ルールは2年後の12月31日まで適用され

暫定ルールとして実施し、特に問題がなければ「2年後の12月31日」以降もこのルールで行くと言うことのようです。
 

 「JUDO」を、その心とともに世界に広めた功労者は、昭和39年、東京五輪無差別級を制し、歓喜のあまり畳に上がろうとするオランダ関係者を押しとどめたアントン・ヘーシンク氏だった。

 何でいきなりヘーシンク氏の名前が出てくるんでしょうか?。たぶん親日家とか講道館関係者と親しいとかその程度のことなんでしょうが。
 それと「その心とともに広めた」かはともかく、戦前から海外への柔道普及活動は行われてるんですが。

 来賓の石原慎太郎都知事は「北京五輪で見た柔道はにわとりのけんか*1のようで、ちっとも美しくなかった。あんなものは柔道じゃない。柔道の芸術性は一本にある」と語った。

 「にわとりのけんか」
 さすが失言王。北京五輪の選手に失礼だとは思わないのでしょうか?。当然の発言のように引用する産経社説も何を考えてるんだか。

その北京五輪では、最重量級を制した日本人金メダリスト(注:石井慧のこと)が「きれいな一本を見たければ体操会場に行けばいい」と話したことが記憶に残る。

・石井、そんなことを言ってましたっけ?。石井なら言いそうですが。
・まあ、柔道は一本が全てなんてその人個人の価値観に過ぎませんから。嘉納先生がそう言ってたとか何か根拠があるんでしょうか?。「一本勝ちになぜそれほど拘る?」と石井のように思ってる選手は他にもいるかも知れません(さすがに石井のような過激というか乱暴な言い方はしないでしょうが)。

 柔道は壊れかけていた。

 もう少し物には言い様という物があるのでは?

 好結果は、ルールが作った。ルールは危機感が変えさせた。この事実は、柔道、スポーツ界にとどまらない教訓として、広く参考にしたい。

「好結果は、ルールが作った。」
 根拠レスで適当なことを言うな。

「この事実は、柔道、スポーツ界にとどまらない教訓として、広く参考にしたい。」
 何の参考になるんだか?

*1:闘鶏のこと?