【元気のでる歴史人物講座】(89)頭山満・伊藤博文との問答

日露戦争は挙国一致の国民戦争であった。軍部はもとより政府、元老、議会、財界、学界・思想界、在野有志、そして一般国民が、戦わざれば亡国あるのみとして国家民族の生存、独立のため乾坤一擲(けんこんいってき)の挙に出たのである。

むしろ闘った方が亡国の危険性があったんですけどね。
別にあの戦争は「国家民族の生存、独立のため」ではなく「韓国をどちらが自分の支配下に置くか」と言う戦争だったんですが。
従って、「ロシアが韓国を支配しても良い」と言う立場に立てば避けることは可能でしたし、「どうしても韓国を日本の支配下に置きたい」場合でも話し合い解決の可能性はゼロではなかったでしょう。

 日露戦争を不可避とした「対外硬(たいがいこう)」と呼ばれた在野勢力の巨頭が頭山満(とうやま・みつる)である。

「対外硬」
 要するに明治時代の外交タカ派です(昭和時代にも国際連盟脱退を支持するなどの「外交タカ派」はいたが「対外硬」とは言わない)。今でいえば竹島問題や尖閣問題で、韓国や中国相手に戦争しても構わないとか国交断絶とか経済制裁とか吠えまくる極右みたいなもんです。しかし、「日露戦争を不可避とした対外硬」っておいおい。産経的には日露戦争は防衛戦争じゃなったのかよ?
 外交タカ派がいなきゃ融和外交で戦争を回避できたのか?

「在野勢力の巨頭」
・はっきり、右翼結社玄洋社の総帥と書けよ(笑)。要するにプロ右翼ですね。
・なお、玄洋社員・来島恒喜が大隈外相に爆弾を投げ重傷を負わせるなど、玄洋社は時にテロも辞さない団体です。
・来島が自殺したため背後関係は不明のまま終わったが、玄洋社がノータッチということはないでしょう。なお、来島の犯行理由は大隈の不平等条約改正案(外国人判事の導入)が国辱的という「対外硬」的な理由とみられます。不平等条約改正は後に陸奥宗光小村寿太郎によってなされます。

 明治36年暮れ、頭山らは伊藤のもとを訪れた。頭山は開口一番、「伊藤さん、あなたは今日本で誰が一番偉いと思いますか」と問うた。思わぬ問いかけにとまどう伊藤に「おそれながらそれは天皇陛下にわたらせられるでしょう」と述べ、続けて「その次に誰が偉いと思いますか」と言った。伊藤は頭山め何を言い出すやら、と思っていると頭山は「あなたでしょう」と言い、厳然たる態度で「そのあなたがこの際、しっかりしてくださらんと困りますぞ」と結んだ。
 これに対して伊藤は「その儀なればご心配くださるな。確かに伊藤は引き受けました」ときっぱり答えた。すると頭山は「やあ、それだけ承ればもう宜(よろ)しい。さあ皆さん帰ろう」と辞し去った。そのころ、伊藤は対露戦の不可避を覚悟していた。頭山しかできぬ見事な応対辞令であった。

 頭山が大物ぶってるだけのような気もしますが(笑)。伊藤は何ら具体的なことを言っていませんし。
 まあ、こういう「大物ぶり」「はったり」もある種の「才能」でしょうが。