【産経抄】9月23日

 造船疑獄で検察が揺れた昭和29年

正確には「造船疑獄への指揮権発動で検察が揺れた昭和29年」でしょう。

郵便不正事件では、重要な証拠品であるFDの更新の日付を、改竄(かいざん)したとして逮捕されたのは、大阪地検特捜部の主任検事だ。
(中略)
「嘘(うそ)をつかない検察」を標榜(ひょうぼう)した伊藤が存命なら、嘆きの大きさはいかばかりか。

・伊藤時代に本当にこの種の行為がなかったかどうかは分かりません。村木氏のように気づいた人間がいなかっただけかも知れない。
また、検察官による証拠捏造はともかく、「警察が拷問で取った自白を見抜けなかった」or「故意にスルーした」件はたくさんあると思いますけどね。足利事件とか。これだって立派な検察不祥事でしょう。
ゼネコン事件では東京地検特捜部の金沢仁検事(正確には特捜部に応援に来ていた静岡地検の検事ですが)が自白を取ろうとして被疑者への暴行事件を起こして特別公務員暴行陵虐致傷罪で裁かれています。
また他にも検察不祥事としては、いわゆる料亭花蝶密会事件や則定スキャンダル、三井環事件(「検察裏金内部告発への報復、私は無実」という三井氏の言い分が正しいにせよ、三井氏を起訴した検察の言い分が正しいにせよスキャンダルである)も忘れてはいけませんね。

日通事件(ウィキペディア
 1968年に発覚した汚職事件。

■概要
 日本通運が1940年(昭和15年)以来独占輸送をしている米麦などの政府食糧について、国鉄をバックにした全国通運が新規参入を目指して猛運動を展開し、1967年(昭和42年)4月の衆議院予算委員会社会党の猪俣浩三、民社党の竹本孫一*1が「米麦輸送をなぜ日通にだけ請け負わせるのか」と攻撃した際に、社会党の大倉精一(元日通労組委員長)と自民党福田派の池田正之輔*2に対し、議会発言をしないよう働きかける見返りとして、大倉には200万円、池田には300万円を渡したとされている。
 井本台吉検事総長東京地検次席検事の河井信太郎が対立した結果、河井が失脚し、東京地検特捜部がこの後、ロッキード事件田中角栄*3を逮捕するまで、8年の長い眠りについたきっかけとなる事件との評価もある。

■経緯
1968年(昭和43年)2月23日:東京地検特捜部が管理課長を業務上横領の疑いで逮捕。
1968年(昭和43年)4月8日:東京地検特捜部が福島敏行前社長と西村猛男前経理担当副社長を業務上横領の疑いで逮捕。
1968年(昭和43年)4月19日:新橋の料亭「花蝶」で池田正之輔、福田赳夫*4(当時:自民党幹事長)とともに、井本台吉検事総長が会食。
1968年(昭和43年)6月4日:東京地検特捜部が大倉精一をあっせん収賄の疑いで逮捕。
1968年(昭和43年)6月23日:検察首脳会議で、池田正之輔を逮捕すべきだとの河井信太郎東京地検次席検事はじめ東京地検の意見に対し、井本台吉検事総長は逮捕に反対した。7月7日に迫る参院選に影響を与えるとの理由であった。結局、最高検刑事部長の山本清二郎が提示した「池田正之輔を逮捕せず、大倉精一と同時に起訴する」という折衷案が通った。
1968年(昭和43年)6月24日:東京地検特捜部は池田正之輔と大倉精一を起訴し、家宅捜索を行う。このときに4月19日新橋の料亭「花蝶」での領収書が見つかる。東京地検特捜部は、大倉の逮捕は認めたが、池田の逮捕を井本が強硬な態度で認めなかったことと、花蝶の会合とは無関係ではあり得ないと激怒した。
1968年(昭和43年)9月2日:共産党機関紙赤旗が、4月19日新橋の料亭「花蝶」での井本台吉検事総長と池田正之輔との会食を掲載。井本は、「この会食は日通事件とは関係がない。検事総長に就任したときに池田正之輔が祝いの宴を開いてくれたので、そのお返しとして一席設けただけだ。代金も、ポケットマネーで払った。福田赳夫は私の友人として出席しただけだ」と記者会見で語った。なお、井本と福田はともに1905年(明治38年)に群馬県で生まれ、旧制第一高等学校から東京大学へ進んだ友人であり、福田(当時:大蔵省主計局長)が昭電疑獄で逮捕・起訴されたときに(注:井本が公安検事だったため)公職追放中の井本が弁護士として無罪判決に寄与したという関係がある。
 1968年(昭和43年)9月9日:河井信太郎は東京地検次席から最高検検事へ棚上げされた。この後、水戸地検検事正に異動し、二度と東京に戻ることがなかった。
1977年(昭和52年)10月14日:最高裁判決で、池田正之輔は懲役1年6月、追徴金300万円の実刑が確定。

則定衛(ウィキペディア
 1999年、月刊誌「噂の真相」が則定の女性スキャンダルをスクープとして報道し、朝日新聞が同年4月9日付で「噂の真相」を引用する形で一面トップ記事としたことから主要新聞、スポーツ紙、週刊誌も大々的にこの問題を報じ、東京高検検事長辞任に追い込まれた。

三井環ウィキペディア
 大阪高検公安部長時代に検察庁の調査活動費の裏金化を内部告発
 2002年4月22日に暴力団組長の親族名義で、競売された神戸市のマンションを落札したが、居住の実態がないのに登録免許税を軽減させたとして、詐欺容疑で逮捕される。逮捕当日、三井は裏金問題に関してテレビ朝日の報道番組『ザ・スクープ』の収録ならびに『週刊朝日』副編集長との対談が予定されていた。現職検察幹部が初めて裏金問題について証言するビデオ収録当日の朝に任意同行を求められそのまま逮捕されたことから、三井の支援者からは検察による口封じではないかと批判され、『ザ・スクープ』をはじめテレビや新聞、週刊誌でも口封じ逮捕に関する特集が組まれる事態へと発展した。
 その後、捜査情報を得ようとした元暴力団組員から利益供与を受けたとして、収賄罪や公務員職権濫用罪でも起訴される。
 2008年8月29日最高裁は三井の上告を棄却(有罪判決が確定)。2010年1月17日の深夜零時に満期、18日朝に釈放、静岡刑務所出所。 

・要するに検察不祥事は今回だけではないと言うことです。
・伊藤が今生きていたら、もしかしたら「なぜばれたか」「今後はばれないようにやれ」と思っているかも知れません(毒)
・大体、伊藤は朝日新聞に連載した「秋霜烈日」で神奈川県警の共産党盗聴事件をなぜまともに捜査しなかったのかという問いに、政治的判断と平気で書く人間ですからね。今回もマスコミが騒がなければ政治的判断でスルーしたかも知れません。評価できるような人間なのかと(毒)

*1:民社党政策審議会長を長く務めた

*2:池田内閣で科学技術庁長官

*3:岸内閣郵政相、自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣蔵相、自民党幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣通産相などを経て首相

*4:岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣外相、田中内閣蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相