【産経抄】10月24日

山歩きを愛してきたドイツ文学者の池内紀氏によれば、ヒグマとの最良の親しみ方は「出くわさぬこと」(岩波新書『森の紳士録』)だそうである。

別に出くわしたくて出くわしてるわけではないでしょう。クマも人間も。

人間とクマは不幸な出会いを重ね過ぎたらしい。続出しているクマの事件を見てもわかるように、互いの「不信感」がピークに達しているかのようだ。

 別にクマに不信感などないでしょう。クマはクマの生きたいように生きているがそれが人間の生き方とぶつかってるだけです。クマの事件が続出してるのは山に食べ物がないからでしょう。だから人里に降りざるを得ないと。何とかクマを殺さずに済む方法があればいいのにと思います。

クマが強いばかりでなく頭が良く見えることもあって「獰猛(どうもう)」「狡猾(こうかつ)」といった言葉を勝手に押しつけてきた。

クマのプーさん」とか「クマのパディントン」とかいるから、ネガティブイメージオンリーではないと思いますが。

尖閣諸島をめぐっては、反日デモなどでさんざん脅した後

 まるでデモは官製デモだと言いたげな抄子。根拠はあるのでしょうか?

「棚上げしよう」と言ってきているという。うっかり乗ると、長年の日本の固有の領土が「白紙」に戻ってしまう。その上で奪ってやろうという魂胆だろうから、何ともしたたかな戦略だ。

 棚上げがなぜ白紙になるんでしょうか?
 「俺(中国)も俺の領土だって言うのを控えるからそっち(日本)も控えてくれよ」というのが棚上げでしょうに。北方領土竹島と違い、尖閣は日本が実効支配してる以上、棚上げされると困るのはむしろ中国です。実効支配してる以上、うるさく「俺(日本)の領土だ!」と言う必要もないと思いますが。
 「したたか」も何も棚上げ以外にどんな選択肢が中国にあるんですか?。「俺の領土」と言い続けそれを日本に認めさせることも、「日本の言う通り」といって領有権主張をやめることも、少なくとも今の時点では現実性に乏しいでしょうが?

歴史的にみても「遠くからそっとながめる」のがいい国なのかもしれない。

「本日の産経SHOWと阿久根政界NOW:ヒグマから出るとは トンデンもない話だ」(http://d.hatena.ne.jp/slapnuts2004/20101024/p1)が突っ込んでいますが「歴史的に見たら」、日本は「遠くからそっとながめる」どころか、中国との関係抜きでは日本史が語れないほど深い関係にあるんですが。
 また、日清戦争以降1945年までに限れば日本は中国を植民地化してきた国であり、まるで常に日本が中国の脅威におびえてきたかのように書くのはアホかと思う。
 それと中ソ対立の頃は、ソ連への対抗として、中国との国交正常化をしたという面もあるのですがね。要するに「歴史的に見たら」絶対に「遠くからそっとながめるのがいい国」とは書けないと言うことです。
 そもそも遠く離れた国ならともかく隣国では「遠くからそっとながめる」なんて無理な話ですが。

責任の一端は、ヒグマ(注:中国の例え?)を縫いぐるみの子グマと勘違いして、安易に近づいた日本人にある。

 意味不明。具体的にどうしろと?。ヒグマとつきあうな(国交断絶)とでも?