今日のMSN産経ニュース(10/28分)

■【正論】拓殖大学客員教授藤岡信勝 反日教育の果ての尖閣弱腰外交

 1950年代初め、日本共産党が火炎ビン闘争など武装闘争にうつつを抜かしていたころ、当時の共産党幹部の一人、志賀義雄は次のように批判したとされる。


 「なにも武闘革命などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育をほどこせば、30〜40年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる」

・藤岡さんたちは平気でデタラメなことを言うし、この話はソースもなければ、日時などもあいまいなので話半分に聞いておきます。大体、当時、「反日」なんて言葉が当時、共産党内で使われていたかどうか疑問です。
 「反日」という言葉はむしろ藤岡さんたちが左翼への罵倒言葉として広めたものではないんでしょうか?
・しかもこの指摘が百歩譲って事実だとしても志賀は後に除名されています。除名された人間の考えが今も共産に影響していると考えるのは変すぎます。

共産党は、ダミー団体を隠れ蓑(みの)にして歴史だけでなく国語、算数、理科、社会などの教科書をつくり

 根拠があるのか?。これは共産党名誉毀損で訴えられても仕方がないレベルの暴言でしょう。どうせ「教科書会社の社長が共産党員」と言う話でしかないんでしょうが。
 言うまでもないことですが、共産党員が教科書会社を作ることに何の問題もありません。

教科書を採択するのは日教組五十万の教師

 何の意味か説明がないので「はあ?」と思う人が多いでしょうが、昔は自治体の教委ではなく個々の先生に教科書の採択権がありました。大学なんかと同じと考えればわかりやすいでしょう。憲法、刑法、民法という同じ科目の授業でも、違う先生の授業を取れば大学では教科書が違うことがありますね。教科書をどれにするか決めるのは先生ですから。
 ただ、自民党の教育統制でそうした制度は変更されるわけです。個人的にはこの教員個人の採択制度復活させればいいんちゃうん、と思います(政治的に困難でしょうが)。そうすれば首長がトンデモでもトンデモな「つくる会」教科書が阻止できますからね。教師であれを採用しようとするトンデモな人は少ないでしょう(だからこそ産経やつくる会はこの制度の復活をもちろん望んでいない)。
 それにしても「教師=日教組」扱いは酷い。加入率の高い昔だって非日教組の先生もいたわけですから。

55年8月、当時の保守政党である日本民主党(今の民主党とは別の政党)は、「うれうべき教科書の問題」という52ページのパンフレットを発行した。その中で、「ソ連中共をことさら美化・賛美し、自分たちの祖国日本をこき下ろすタイプ」の教科書として、周郷博、高橋●一、日高六郎らの執筆になる小学校社会科の教科書を例にあげ、その日中関係の記述について、次のように評した。

 「歴史の前半において、中国をまねし、学び、膝を屈し、貢(みつ)ぎ物を奉(たてまつ)った日本は、その歴史の後半において、一転して、東洋鬼子と化し、あくなき暴虐をつくして、中国人民をいじめぬいたと、この教科書には書きならべてある」

●=石へんに眞

ソ連中共をことさら美化・賛美し、自分たちの祖国日本をこき下ろす」と批判する人があったと言うこととそれが事実かは全く別問題です。頸がんワクチンを「民族滅亡ワクチン」という人もいますがアレはデマですよね?

「歴史の前半において、中国をまねし、学び、膝を屈し、貢(みつ)ぎ物を奉(たてまつ)った日本」
 「膝を屈し」はともかく、「まねし」「学び」は事実です。遣唐使とか知らないんでしょうか?。日本は中国から多くを学んだと言うだけの教科書記述を曲解してる疑い大です。

「その歴史の後半において、一転して、東洋鬼子と化し、あくなき暴虐をつくして、中国人民をいじめぬいた」
 事実でしょう。日中戦争侵略戦争ではなかったとでも?。

サハリン残留韓国人を利用して戦後補償という闘争モデルを創始した官房長官

闘争モデルも何も仙谷氏は弁護士なんだから、弁護士は依頼人の利益のため、依頼人の依頼に応えて弁護するだけですよ。アホか?。創始とか言ってるって事は根拠レスで言いがかり裁判とかバカなこと思ってるんだろうな、このオヤジは。

 以下、あまりにばかばかしいのでほとんど突っ込む気にもなりませんが、いくつか突っ込みます。
1)
菅氏がシン・ガンスの釈放要求書に署名したことを拉致犯罪の故意の隠滅であるかのように非難していますが、この件については菅氏はそう言う事実をうかつにも知らなかったとして謝罪しています。
 そもそもこの要求書にはシン以外の「本当の思想犯」の名前もありました(なお、当時の韓国は民主化されたばかりで直前まで軍事独裁です)。
 また、当時はシンの存在はあまり知られていませんでした。うかつといえばうかつでしょうが、「故意の隠滅」であるわけがないでしょう。そもそも日本警察がシンの事件について公式に拉致認定をするのはずっと後のことでしょう?。
2)
 尖閣問題を解決するには自虐教科書の是正が必要と訳の分からないことを言っていますが関係ありません。社民、共産と言った左派も含めて、中国の主張を支持する人などほとんどいないのですが?
 また民主党政権媚中派扱いしてるのも頭が痛い。もしそうならそもそも船長を逮捕なんかしないで即国外退去ですよ。小泉政権がそうしたように(毒)。まあ小泉政権親中派だからと言うよりお利口だから「危ないことには手を出さない」と言う考え、厳しい言い方をすれば「事なかれ」でそうしたんですが。私はいいと思いますよ、落としどころを考えない強硬論よりは事なかれで。


■【それでも撲滅できないのか】(4)怒鳴りながら父は娘を殴った…文学に現れたる虐待の近現代史

弁護士で明治大学法科大学院の平田厚教授(50)=民法=が、明治大正期の文学に現れた親子関係に関する法意識を研究したところ、体罰や、虐待とも受け取れる行為の描写が現れるのは明治30年代以降であることが分かった。
 平田教授は「明治中期までの小説には体罰が出てこず、戦国時代のルイス・フロイスや明治初期のお雇い外国人の指摘と合致していた」。ではなぜ明治後期から子供への暴力が増え始めたのか。
 明治31(1898)年施行の民法は、子供への「懲戒権」を含む強力な親権を設けた。同時に「戸主」が一家を統括する家父長的な家制度を作った。平田教授は「戸主である父親は家長として君臨し、家の秩序維持のため体罰も辞さない『おそろしい父』『明治の父』となっていった」。

 平田氏の主張が正しいかどうか知りませんが常日頃の産経の主張(明治時代は良かった!)と違うのが興味深いところです。まあ、平田氏のような主張は一歩間違うと「無茶苦茶な反近代」に向かう危険があるとは思いますが。

茨城大学の数井みゆき教授(49)=発達心理学=は「虐待は、養育モデルが崩壊した親たちに起きる。どうやって子育てしていいか分からない親がやってしまう。それが始まったのは戦後の高度経済成長期だった」とし、続けた。


 「日本人は農村を出て都市住民となり核家族化した。父親は企業戦士で家庭を顧みず、子育てが母親に押しつけられるという現在まで続く状況はそのころ生まれた。虐待の主な加害者の6割が実母という現状へとつながっていった」


 大阪万博の開幕を1カ月後に控えた昭和45年2月、東京・渋谷のコインロッカーで乳児の遺体が見つかった。4年間で60件が続発した「コインロッカーベビー事件」。今でいうネグレクト(育児放棄)への予兆だったのかもしれない。

 数井氏の主張が正しいかどうか知りませんがこれまた常日頃の産経の主張(戦後教育が悪い!)と違うのが興味深い。まあ、まともに児童虐待を考えれば「戦後教育が悪い」とか無茶苦茶なことは言えるわけがないのですが。