【産経抄】12月11日

 今日の産経抄は多少突っ込みどころがある気もしますが「強引な民主党叩きの時」などと違って実にまともだと思います。いつもこうならいいのに。

持統天皇が生んだ皇子で病弱だった草壁皇子天武天皇の後継者にするため、人気の高い大津皇子が排除されてしまった。事件について、そんな推測も昔から行われてきた。

ウィキペディアを見る限り、実際のところ、本当に謀叛計画があったのか、それとも冤罪(というより持統天皇のでっち上げによる政敵粛正という方が適切でしょうが)なのか、謀叛計画があったとしてどんなものだったのか、などはよく分からないようです。
・いずれにせよ病弱だった草壁皇子は若くしてなくなり、持統天皇の計画は挫折します。彼女の後継者は草壁の息子・軽皇子(後の文武天皇)となります。
・しかしその文武も若くしてなくなり、その後は「元明天皇」(文武の母)−「元正天皇」(文武の姉)と言う中継ぎを間において、聖武天皇(文武の息子)が即位します。
・まあ、草壁や文武が若くしてなくならなければ、女帝「元明」「元正」はおそらく誕生しなかったんでしょうね。また草壁が病弱でなければ、女帝「持統」は誕生しなかったんでしょう。病弱すぎて天武天皇死後いきなり、持統という中継ぎをおかずに草壁を即位させるのは強力なライバル大津皇子がいるし、リスキーすぎたと言うことでしょう。
 壬申の乱みたいなことを大津にされて、草壁が殺されても困ると。