ちょっと子安宣邦氏をdisってみようか(追記・訂正あり)

 id:noharraが高く評価してるらしい人間を、「そんなに立派かよ」とdisることにしたい(自覚してるけど性格歪んでるね、俺)。で、子安宣邦*1先生(ホームページhttp://homepage1.nifty.com/koyasu/)をネタにする。ただし揚げ足取りや言いがかりではなくそれなりに正当性のあるものを一応めざしてる(つもり)。

日中戦争−文学作品を通して考える」という(注:彦坂諦氏の)講演を聞いた。火野葦平の『麦と兵隊』*2石川達三の『生きている兵隊』*3に対して高く評価する通説的なものであった(注:通説と評価する根拠は何?)。火野は文学者であるより兵隊であった。兵士として戦い、それを書いた。その戦いの正・不正を問うことはなかった(注:石川だって多分問うてないと思うぞ)。
 石川は文学者として戦地に派遣され、戦争を見ただけである。その石川は日中戦争の残虐(注:と言うか南京事件の記述)を伝える唯一の作品(注:「生きている兵隊」のこと)を書いた。火野はただ戦う兵士であった。ただの兵士はその戦いを問わない。その火野に高い評価を与え続ける評論家の見方に疑問がある。彼らはある人生態度を評価しているだけだ(注:「ある人生態度」ってどういう意味?)。
「時到れば喜んで一兵卒として戦う」だけであって、「文学者の覚悟」などといったものはない、といったのは小林秀雄である。シナ事変(注:日中戦争のこと)にあたっての文学者の覚悟を問われたことへの回答である。ここにあるのも兵隊火野と同じ《人生態度》である(注:火野と小林を同列に見てるのならば後で指摘するように間違いだと思う)。
(子安氏のツイッター

 彦坂諦氏は「九条*4の根っこ」(れんが書房新社)、「餓死の研究 ― ガダルカナルで兵はいかにして死んだか」(立風書房)など、ご著書のタイトルから考える(要するに著書を失礼ながら読んではいない)に、どうやら平和活動家のようであり、彦坂氏なりに平和主義の観点から評価してるのだと思うが。子安氏が言いたいことが俺にはさっぱりわからない。彦坂氏は小説技術の巧拙で火野を上と評価してるが、それには賛同できないと言いたいのか?
 なお、石川は従軍作家として小説を書き、当時の有名雑誌*5中央公論に発表してるので、戦争を正確に伝えることがいいことだと思って書いた*6のであって「政府批判の意図」で書いたのではなく、そんな気はないのに弾圧されたと見るのが正しいだろう。要するに弾圧される危険性に気づいてれば恐らく書かなかっただろう(後で紹介する笠原「南京事件論争史」もそうした見方をしている)。そんな人間を高く評価する子安先生はおかしいのではないか。
 俺の持ってる笠原「南京事件論争史」(平凡社新書)p39によれば石川はその後、軍部への恭順を示すためか、時局便乗的な作品「武漢作戦」*7を執筆し海軍報道部員として活躍したそうだが、それは子安氏にとってどうでもいいのか(それとも小説「武漢作戦」を知らないのか)。
 しかも火野は戦後「革命前後」なる自己批判小説(そこでの自己批判のレベルはひとまずおく。そもそもポーズでも自己批判した作家は少ないのではないか?)を書いてるそうなのに、戦後も「反省しない」と居直ったらしい小林秀雄と同列扱いするとは酷すぎだ(彦坂氏は「革命前後」*8に触れなかったのだろうか?)。

火野「革命前後」のAmazonレビュー
終戦前後の混乱と戦争責任, 2011/2/13
By 南コータロー (横浜市) -
「花と龍」*9を読んだすぐ後で、本書を購入した。
本書は、火野葦平自身を主人公にして(仮名になっているが)終戦前後の様々な混乱や作家としての戦争責任に向き合う苦悩が描かれている。
「花と龍」ではヒーローとして描かれていた父親も登場するが、本書ではかなりかけ離れた人物として描かれており(多分こちらの方が本当に近いと思われ)、「花と龍」のファンはがっかりするかも知れない。
葦平は戦時中に「麦と兵隊」などの従軍記でベストセラー作家となるが、終戦後は戦犯作家と批判されて公職追放の処分を受けたりしている。
本書の中で、敗戦後の混乱する駅で見知らぬ復員兵から、「あんたは報道班員で戦地で文章書いて大金儲け、また、あんたが勝つ勝つと言うものだから一所懸命にやって来たがこのザマだ」となじられ、大勢から嘲笑される場面があり、実際にはその様なエピソードは無かったらしいが、終戦後の復員兵らの姿に接して葦平はそんな風に批判されても仕方がないと感じたのだろう。
最後の方で米軍将校から尋問される場面があり、葦平が戦争責任について自身の考えを堂々と述べるのだが、尋問が終わった後で日頃考えていることをそのまま語ったつもりだったのに、言葉に出してしまえばみな嘘になってしまう、と自己嫌悪に陥り、同時に真実は文学を通して表現するしか方法はないのだと悟る。
その文学を通しての弁明が、まさしく本書で書かれている事に他ならないと思うのだが、そんな葦平の苦悩が何の虚飾もなく正直に語られていると感じられた。
本書を書き終えた翌年に葦平は自殺を遂げており(注:ただし自殺理由は不明)、本書はまさに著者が全身全霊を傾けて完成させた傑作だと思う。

【追記】

劉暁波の為の新しい論集『「私には敵はいない」の思想』(藤原書店)が出た。私はこれへの論文の収録は承知しても、書名を承知したのではないし、私の関わることでもない。だがこの書名に強い違和感をもっている。岩波の例にしろ藤原の例にしろ、劉暁波問題は日本ではぐちゃぐちゃになってしまう。

 単に子安と他の人の劉暁波理解が異なる、それだけの話を「俺は異論があるんだ」と言わないで「劉暁波問題は日本ではぐちゃぐちゃになってしまう」と意味不明なツイッターをする子安先生。論集の書名に異論が出るだの、ある思想家や学者の解釈に異論が出るなんて事は劉に限らず珍しくないでしょう。で、そのときに「日本では○○(マルクスでもケインズでも何でもいいが)はぐちゃぐちゃになる」なんて普通言いますか?。何訳の分からないこと言ってるんだか。
 そして、そんなにご自分の意思を通したければあなた一人(あるいはあなたと意思を同じくする仲間たち)だけで劉の本を造ればよいでしょう。
 こういう変な人でも専門領域では立派な業績を上げてるんでしょうか?。天才と変人は紙一重って奴?。まあ、子安先生のようなツイッターを見る限り変そうな人とは俺はつきあいたくないなあ。

*1:著書『「事件」としての徂徠学』(ちくま学芸文庫)、『江戸思想史講義』『福沢諭吉文明論之概略」精読』『日本近代思想批判』(岩波現代文庫)『本居宣長とは誰か』(平凡社新書

*2:新潮文庫

*3:中公文庫

*4:もちろん日本国憲法9条

*5:今も有名だが

*6:載せた中央公論側もそうだろう。「残虐行為を書くことによって軍がそう言う不祥事はなくそうと動くんじゃないか」とか

*7:武漢作戦」は俺は読んでいないので「時局便乗的」は笠原先生のご判断だが俺は笠原先生を信用してるので現時点ではこう書いた。まあ、「時局便乗的」という評価が間違っていた場合、「笠原先生が悪い」ではもちろんすまないが、その場合は謝罪した上で書き換える。ただ、反軍的な人間が軍の仕事をまた受けるとは思えないし、過去に「不祥事」を起こした人間に仕事を頼む場合、軍も再度「不祥事」が起きないようチェックをするだろうから、そう言う意味で笠原先生の評価でおそらくいいのだろうと思う。あまり知られてないらしい石川の黒歴史(だと俺は思う)を(この本の本筋でないから簡単にしか触れてないが)指摘したこの新書本って意外とすごくね、と俺は思っている

*8:光人社文庫。ただ既に絶版状態のようだ

*9:岩波現代文庫