新刊紹介:「歴史評論」11月号

特集『戦争と平和アーカイブズ/第45回大会準備号《世界史認識と東アジアⅡ》 』
歴史評論」11月号の全体の内容については「歴史科学協議会」のサイトを参照ください。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/


■「原爆・核実験被害関係資料の現状―ABCC・米軍病理学研究所・米原子力委員会―」(高橋博*1
(内容要約)
・ABCCの収集した被爆実態調査は軍事機密扱いされ、なかなか公開されてこなかったが運動の成果もありかなり公開されてきた。
 今後も公開要求運動を行い、そうして得られた情報についての歴史研究を進めることが必要である。

参考

ABCC(原爆傷害調査委員会:ウィキペ参照)
 原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために、アメリカが設置した機関。
 ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。ただし、ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
 1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所に改組された。


■「太平洋戦争の開戦と在豪日系企業記録」(和田華子)
(内容要約)
・太平洋戦争の開戦に伴い、連合国は日系企業の資産を接収した。この接収資産の中には当時の日系企業の経営実態を分析するのに役立つ書類が多数残された。これらの資料を用いた研究が上山和雄『北米における総合商社の活動:1896〜1941年の三井物産』(日本経済評論社、2005年)、天野雅敏『戦前日豪貿易史の研究:兼松商店と三井物産を中心にして』(勁草書房、2011年)など最近いくつか発表されている。
・なお、筆者に寄ればオーストラリア政府の兼松への扱いは他の在豪日系企業に比べきわめて穏和なもので資産接収は受けなかったという(当然接収書類に兼松の書類はない)。筆者は『創業40周年、創業者・兼松房治郎17回忌に当たり記念事業としてシドニー病院に兼松病理学研究所(1933年竣工)を寄贈』(ウィキペ『兼松』参照)などの寄付行為が評価されたのではないかとしている。
・一方で資産接収をにらみ、日系企業によって多数の重要書類が開戦直前に廃棄された点にも注意が必要である。



■「歴史記録としての戦争体験―口述記録の証拠性と公開性をめぐって―」(加藤聖文*2
(内容要約)
・第二次大戦の戦争体験については必ずしも資料化が進んでおらず、体験者の高齢化が進んでいる現在、早急な資料収集が求められている。また「口述記録(オーラルヒストリー)」については、歴史学に於いてまだ方法論が充分確立されておらず、今後の課題である。
・口述記録において重要なことは「証拠性の確保」(いつどこで誰が、誰に対して何の目的で記録したのかという記録の経緯を残すことがこの点で重要である)と「公開性の保障」(原則的には全ての人間が口述資料を制約なく使える)である。
・なお、口述資料は聞き手の影響によって、語り手の話す内容が異なることがあるため文字資料に比べ価値が低いかのように見なす主張もあるが、文字資料も外部の様々な影響によって書く内容が異なることがあり得るので、口述資料の価値をそのように低く見なすことは適切ではない。


■「沖縄県伊江島反戦平和アーカイブズ―阿波根昌鴻*3資料調査会の活動―」(安藤正人*4
(内容要約)
・沖縄の政治運動家・阿波根昌鴻の残した資料(蔵書、日記、阿波根の伊江村議員時代の議会報告、阿波根が関わった各種市民団体の機関誌など)を収集、整理することを目的として発足した阿波根昌鴻資料調査会の活動報告。


■「日本軍占領下「蘭領東インド*5」の記憶と記録―オランダにおける「戦争の遺産」の記録化プロジェクト」(前川佳遠理)
(内容要約)
・オランダにおける日本軍占領下「蘭領東インド」時代の記録化の流れについての説明。


以下は第45回大会《世界史認識と東アジアⅡ》で各報告者がどのような報告を予定しているかの簡単な報告。
■「織豊期王権の成立と東アジア」(堀新*6
(内容要約)
 いわゆる秀吉の三国国割構想(「明朝を征服し、首都を北京に移し、当然天皇や秀吉も北京に移住する」など)は実現の可能性の低い妄想として扱われ、余り論じられていないように思われる(初戦の大勝に気をよくした秀吉だが、戦争の苦戦から明朝征服をあきらめ、目標を朝鮮支配にトーンダウンさせたがそれすら失敗を認めざるを得なかった)。しかしたとえ妄想であったとしても、日本の権力者がこうした構想を表明したことはもっと論じられてしかるべきではないか。


■「生成する地域・地域意識―清末中国の地方社会―」(山田賢*7
(内容要約)
平野義太郎、戒能通孝のいわゆる「村落共同体論争」を前提に「清末中国の地方社会」について戒能と平野が全く違った図を描き出したのは何故だったのか、「清末中国の地方社会」はどのように理解すべきかを考える。


■「中国における支配の正当性論理と社会」(三品英憲)
(内容要約)
中華人民共和国、特に毛沢東期(言うまでもなく大躍進とか文革とかあるので余りほめられたものではない)における中国共産党・政府が「いかにして、自己に政治支配の正当性があると理解し、宣伝していたか」を分析しようというものらしい。
 で、あるのなら「毛沢東期中国における支配の正当性論理と社会」とか「中国共産党における支配の正当性論理と社会」とした方がタイトルとして適切な気がするが、筆者的には「毛沢東期中国」に「ある種の中国的なる物」が現れていると理解しているのだろうか?(そう言う理解が正しいかどうかはもちろんひとまず置く)
 そうした筆者の「中国における支配の正当性理解」とやらが「毛沢東プーチンは昔の中国皇帝、ロシア皇帝みたい」とか「日本の世襲政治家は昔の藩主みたい」と言うくだらない、学問的検討に耐えられない印象論でなければ幸いだがはてさて如何?
・いうまでもないが如何なる国家指導者であっても、(前近代ならともかく近代なら)実態がどうであれ「俺がやりたいようにやるんだ、お前らは家来だ」と露骨にジャイアニズムを発動する事はありえない。たとえ詭弁であっても「自らの政治支配の正当性」をアピールするのである。


■私の原点「宇都宮清吉『僮約研究』」(渡辺信一郎*8
今月号から、研究者が自らの原点となった論文、書籍を紹介する新コーナーがスタート。
『僮約研究』は宇都宮『漢代社会経済史研究』(1955年)に収録された研究論文。

*1:著書『封印されたヒロシマナガサキ―米核実験と民間防衛計画』(2008年、凱風社)

*2:著書『「大日本帝国」崩壊』(2009年、中公新書

*3:著書『命こそ宝―沖縄反戦の心』(岩波新書、1992年)

*4:著書『記録史料学と現代』(1998年、吉川弘文館)、『アジアのアーカイブズと日本』(2009年、岩田書院

*5:今のインドネシア

*6:著書『織豊期王権論』(2011年、校倉書房

*7:著書『中国の秘密結社』(1998年、講談社選書メチエ

*8:著書『中国古代の王権と天下秩序』(2003年、校倉書房