■【消えた偉人・物語】神武天皇 古代史学の進展で実在確かに
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120204/art12020408240002-n1.htm
ちなみにこの産経記事については
ライプツィヒの夏「でたらめもいいかげんにしてほしい」
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/a52c786af042d9c311ff781fdd29c2a2
黙然日記「産経抄、呼び捨てる。他。」
http://d.hatena.ne.jp/pr3/20120204/1328366969
もご参照ください。
ブクマもつけましたが、いくら右翼色の強い皇學館大学とは言え、准教授ともあろうもの(専門は歴史学ではなく教育学のようですが)がいまどき神武天皇は実在の人物とは何考えてるんでしょうね。それじゃ卑弥呼の存在とか、神武と矛盾する存在をどう説明する気なんでしょうか?
そして
戦後の古代史学界では古事記・日本書紀の伝承が疑われ、その中で「消された」人物の一人として神武天皇がいらっしゃる。「神武天皇は実在しない」「記紀による創作」とする歴史学者の学説がはやったからである。
てのもねえ。戦前から神武なんてまともな歴史学者は誰も実在だなんて思ってませんよ。大体、古代人なのに寿命が120才って時点であり得ない話です(ウィキペ「神武天皇」でも指摘があるが、神武虚構説に立つ戦前の著名な学者として那珂通世、津田左右吉など)。
ただ、戦前は天皇主権で神話万歳だから、小学校レベルでは神話を史実として教えていたから、そのあたり適当にごまかしてただけ、おおっぴらに「神武は虚構」とは言えなかっただけなんですが。大学教育では勿論「神武は史実」なんて戦前でも教えてなんかいません。戦後は「天皇主権から国民主権になり」、「小学校レベルでも」、「神話は虚構」と教えることができるようになっただけです。
坂本太郎博士は「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」(『坂本太郎著作集』第1巻)としていたし、日本法制史の大家・瀧川政次郎博士も「神武天皇紀の大筋の事実は、終(つい)にこれを否定することができない」(『神武天皇紀の信憑(しんぴょう)性について』)と神武天皇架空説を批判していた。
そして、近年の古代史学界の流れも記紀の記述を裏付ける考古学的発見によって変化してきており、記紀の記載を検証した角林文雄氏は「日本資料は不思議なほど中国資料とうまく合ってくる」とし、さらに次のように述べている。「記紀は神武天皇を東南アジアに出自をもつ熊襲族の人として描いた。そんなことは後の皇室・貴族にとってなにか素晴らしいこと、誇るべきこととはとうてい考えられない。しかるにそのことを明確に、紛れもなく記述しているのだからそれが真実と考えるのが常識ではなかろうか」(『日本国誕生の風景』)
・ブクマでも指摘がありますが、考古学的発見といいながら考古学的発見の指摘がないってのがすごい。記紀の分析は考古学じゃないでしょうに。
・ブクマの指摘で気づきましたがもしかしたら「考古学的発見が裏付ける記紀の記述」ってのは「記紀の神武天皇記述」ではなく「広く記紀全体の記述」なのかもしれませんね。もしそうならこの文章は間違いではないでしょうが、「記紀の記述に考古学と一致するところがあること」を否定する歴史学者はいないでしょう。悪徳商法の「消防署の方から来ました」並の読者の誤読を狙ったただのインチキとしかいいようがありません。
・坂本氏や瀧川氏、角林氏が実在説を唱えてたら何だと言うんでしょうか?。単に彼らが間違ってるだけです。
誤読、曲解、ねつ造常習の産経では「神武やいわゆる欠史八代はもちろん虚構だが、全く100%の虚構ではなく、現実の古代史をある程度、反映してるのではないか(こういう説が正しいかどうかや、通説かどうかはひとまずおきます)」というだけの坂本氏らの主張を実在説だと強弁してる疑いも大ですが。常識で考えて「天地創造は文字通りの真実であることが証明された歴史的事実」だの「処女懐胎やイエス復活は文字通りの真実であることが証明された歴史的事実」だのと同レベルのトンデモ「文字通りの神武実在説(紀元前660年に即位したとか)」を唱える人がいるとはとても思えないので。
このように考古学や古代史学の進展によって、記紀の記述の信憑性は高まり神武天皇のご存在も確かなものになってきている。神武天皇を「初代」の天皇として記す中学歴史教科書が登場してきたこともそれをよく証しているといえよう
ブクマもつけたけどそれ「つくる会」の教科書でしょ。ただのマッチポンプじゃない。当人もそれを自覚してるからどこの教科書か、詳しく書かないでごまかしてるんでしょう。
さすがに検定があるので「実在説」なんか書いてないでしょうが、原文は「実在説」で、文科省に「伝説だろ!」と突っ込みが入って書き直したんでしょうか。嫌だな、そんな教科書。多くの学校で採択されないのも当然じゃん。
・なお建国記念の日についていえばなぜ2月11日かというと「神武が即位した紀元前660年の元日」を現代換算すると2月11日になるからです(俺も最近まで知らなかったし、知らない人が多いでしょうが)。ウヨの中にはそういう理由から「むしろ元日が建国記念の日の方がよくね?」と言う人もいます。大体、換算自体正しいか怪しいですし。
ちなみにこの【消えた偉人・物語】、今回の神武ほど酷いのはあまりありません(ほかは全部実在の人物ですから)が、過去のも相当面白いので突っ込んでみましょう。
■【消えた偉人・物語】昭憲皇太后*1 慈愛と権威とを有する天使
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120107/art12010708170001-n1.htm
昭憲皇太后がろくでもない人とは言いませんがこれやってることは産経が非難する「金正恩君のお母さんの神格化」なんかと全くかわらないんですが。何考えてるんでしょうか。
■【消えた偉人・物語】小学国語読本 牛若丸 声に出して読みたい名調子
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120128/edc12012808000002-n1.htm
消えたのは国語教科書から「牛若丸と弁慶の出会い」であって「源義経」が歴史教科書からではありません。別にいいじゃんとしか思わないのですが。
■【消えた偉人・物語】忠臣蔵と大石内蔵助 君父の讐は倶に天を戴かず
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111217/art11121707510002-n1.htm
別に歴史教科書から消えてはいません。昔のように「皆さん、大石を見習って主君に仕えましょう」云々というたぐいの教育がなされなくなっただけです。
■【消えた偉人・物語】橋本左内 西郷が悼んだ「濃密な生涯」
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111210/art11121007450002-n1.htm
「忠臣蔵と大石内蔵助」もそうですが橋本左内だって歴史教科書から消えてなどいません。大体「安政の大獄」といえば幕末の超重要事件なのに左内が消えるわけがないでしょう。単に「今の左内の教え方」が「忠君愛国万歳」的な色合いが薄いので産経文化人には気にくわないだけでしょう。
■【消えた偉人・物語】文天祥 節義を全うし誠を尽くした人
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111203/art11120308180002-n1.htm
戦前の教科書に「文天祥」なんて出てたのか知りませんが、確かに戦後の日本史教科書には出てこないでしょうね。
幕末の志士の中に傾倒した人がいるってだけでは重要性が低いと見なされても仕方がないのでは?。中国の人ですし。
■【消えた偉人・物語】貝原益軒 「予する」という教育論の本質
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111112/art11111208070003-n1.htm
何でもかんでも勝手に消されたことにするなとしか言いようがないんですが。戦前に比べて扱いが小さいというならまだしも歴史教科書において消されてなんかないんですが。もしかしたら最近の道徳の授業で使われてないとか言い出すのかもしれませんが、江戸時代の古典をつかわなくてもいくらでも道徳教材はあるでしょうに。そんな古くさいもの持ち出しても子供がそっぽ向くだけでしょうに。
■【消えた偉人・物語】神風 心を一にして国難にあたる
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111105/art11110507450001-n1.htm
神風は人じゃねえってのはともかく、それこそ「神風」は歴史教科書から消えてないんですが。元寇とか、戦前の軍国主義とか理解する上での重要タームですから。
まさか戦後の神風特攻隊批判が許せない、戦前のような神風万歳教育をしろとか言い出さないでしょうね?
■【消えた偉人・物語】小木曽つぎ女 父を立ち直らせた真心、孝心
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111029/art11102907510004-n1.htm
そんなまるっきり無名の人間を出されてもね(苦笑)
■【消えた偉人・物語】徳川光圀 完成までに250年、世界に比類なき史書
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111022/art11102207470001-n1.htm
水戸黄門が歴史教科書から消えたとか信用する人間がいると思ってるんでしょうか。幕末のさまざまな事件(桜田門外の変とか)なんか水戸学抜きではわけがわからないんですが。
まあ、「水戸学万歳」「皇室万歳」という教育がされてないという話なんでしょうが。
面倒くさくなってきた、飽きてきたのでこれぐらいでやめますが、「消えても別にいいだろ、つうか消えないとむしろやばいんじゃね。消さないにしても戦前と同じ教え方は無理だろ(例:軍神・広瀬武夫 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110716/art11071608120001-n1.htm)」「そもそも消えてないけど。今の教え方が気にくわないのかもしれないが」と言うのが多すぎ。
【追記その1】
ネットニュースでは
坂本太郎博士は「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」(『坂本太郎著作集』第1巻)としていた
と書いていた産経ですが紙媒体ではとんでもない誤植をやらかしていたようですね。
産経新聞愛読者倶楽部「紀元節に神武天皇の記事を訂正した産経新聞」が
http://d.hatena.ne.jp/sankeiaidokusya/20120212/p1
と紙媒体の誤植に突っ込んでいます。
ただ、じゃあネットニュースが問題ないかというとそういうことにならない。なぜなら
「神武天皇はもとより、崇神天皇以前九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」(『坂本太郎著作集』第1巻)
というのが本当は正しい「坂本著作集1巻」の文章だからです。
つまり、ネット記事は内容は正しいんですが、存在しない文章を引用するという別の意味でまずいことになっている。産経の校正がネットに載せる段階で「神武が初代なのにおかしいぞ」と気づいたのはいいんですが「坂本著作集」を確認しないで勝手に文章を書き換えるというとんでもないことをしたんでしょう。
「神武天皇はもとより、崇神天皇*2以前九代の天皇」(坂本著作集の文章)も「神武天皇以後九代の天皇」(産経ネット記事の文章)も意味的には同じ事ではありますけどね。
いや同じじゃないのか?。坂本著作集だと「非実在扱いされる天皇」に「崇神天皇*3も入る」が「産経ネット記事」だと「崇神天皇は入らない」のかな?(頭が混乱してきた)
しかしこれ産経が渡邊准教授の原稿を新聞記事化するときに間違ったのか、もともとの渡邊准教授の文章が間違ってたのかどっちなんでしょうね?。どっちにしろ「産経がお粗末」な事に違いはないんですが。
「産経新聞愛読者倶楽部」の中の人も突っ込んでますが、4日付けの紙媒体記事の訂正を11日に出すってのも酷すぎ。4日に出したネット記事は書き換えてる(ただしすでに指摘したように問題大ありの書き換えですが)んだから、誤植に気づいてないわけないんです。
まあ、出さないでとぼけ続けるのよりはましですが。読者から「なぜ訂正文を出さない」と抗議でもあったんでしょうか。
これ戦前だったらゴロツキ右翼が産経に金せびりに行きかねませんよ(そういう話を雑学本で読んだことがある)。
「尊皇の思いが足りないからこういう事になる。反省の意思表明として、我らの運動に活動資金を!」と言う形での恐喝。
【追記その2】
神武の実在をめぐる議論(2)
http://sicambre.at.webry.info/201202/article_19.html
と言うトラバが送られてきたのでコメント。
この産経新聞の記事は、神武の実在が確かだとまったく立証できておらず、こんな随筆をおそらくは肯定的な意味合いで堂々と掲載する産経新聞が嘲笑されるのも仕方ないかな、とは思います。
それもそうですが、それだけではなくこの産経記事の神武実在説は「紀元前に即位して寿命120歳」という「文字通りの実在説」としか理解できないでしょう。
必ずしも卑弥呼の存在が神武と矛盾するとは言えないだろう、と私は考えています。
(中略)
『日本書紀』の世界観では、天皇というか朝廷は最初から「全国支配」を達成していたわけではなく、それどころか、神武によるヤマト平定から崇神の即位前までは、せいぜい後の畿内とその周辺地域までが舞台であり、とても「全国支配」を達成した政権とは思えませんので、卑弥呼の時代の倭国の範囲が(いわゆる邪馬台国九州説にしたがって)九州北部程度だとすると、卑弥呼の存在が神武と矛盾するとは言えないでしょう。
うーん、そうですか、それは失敬。じゃあ別の例を出せばよかったのか。
ただこの方も指摘するように邪馬台国畿内説によれば少なくとも「産経のような文字通りの実在説」は矛盾するわけですが。