id:noharraの紹介するオーセル女史の文章が酷すぎる話について(その2)(追記・訂正あり)

その2というか、その1へのid:noharra先生の批判「シモツカレ氏はツェリン・オーセルへの罵詈雑言を撤回せよ」(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120309/p5)へのオレ流応答の訳だが。罵詈雑言が「あんな女死ねばいい」とかそう言うのを意味するなら我ながら言い過ぎたと思うので撤回するが、どうもそうではないらしい。「オーセルは自殺扇動した、許せないという批判」自体に賛同できないらしい。

オーセルが言っているのは、白い絹を投げかけた女性は「周囲の人々は、すさまじい火炎が彼女の命を奪うまで、なすすべもなく、ただ鋭い叫びをあげるだけ」に比べて、死に対して恐れることなく近づき敬意を払ったのです。
自殺だからといって、その死に敬意を払った女性を鬼畜と呼ぶ、シモツカレ氏のほうが、鬼畜であるのは、明らかだと考えられます。

ふーん、そう思うんですか?
俺は自殺に対して「ただただ叫び声を上げることしかできなかった人」の方にこそ「暖かい人間性」を感じますが。

オーセル氏が他人の自殺を絶賛している、とは読み取れないのだが。

ふーん、そうですか?。自殺はやめるべしと言わず(後では言いましたがあの時点では言ってない)、ただただ偉大な抗議としか言わない行為は自殺扇動以外何物でもないと俺は思いますが。

シモツカレという人が不思議なのは「「もちろん中国は悪いのだろう」とは思うがね。」が、まんざら嘘でもないみたいなところだ。
そうであれば、なぜオーセル氏をひどい言葉で罵るのか、頭の構造がどうなっているのか、理解しがたい。

オーセルの自殺扇動は人として許せないとはっきり書いてるでしょうに。「オーセル批判=中国支持」「オーセル支持=中国批判」とでも思ってるんでしょうか?
「オーセルも中国も批判する」というポジションは理解できないようですね。

そもそも、「信仰を守」ろうとしても不可能である現状への抗議、「自由」を根本的に奪われていることへの抗議を、焼身自殺で行うことはやってはいけない事なのか?

俺が問題にしてるのはあくまでも「自分は自殺しない癖に、オーセルが無責任に自殺を煽ってること」なのですが、ご理解いただけないようで残念です。
なお、俺個人はそう言う抗議手段を「抗議としての有効性の観点(有効とは思えない)」からも「人命尊重の観点」からも支持しませんが、どうしてもやりたいというなら、友人や家族といった身内でない赤の他人である以上、止めるわけにもいきません。身内ならともかく、赤の他人には止める資格もなければ、止める能力もないでしょうから。

そこに意義はないのか?ある。信仰を守ることと、自由を奪還することだ。

俺はこの件に限らず基本的に自殺に意義など認めません。自殺者の真摯な思いをくみ取り、その実現に尽力する必要はあるでしょうが、それは「自殺賛美」とは違うと思います。

人民の自発性の連鎖を、誰かの政治的策略としか理解しない、政治主義者だな、シモツカレ氏は。

自殺者は自発的かもしれませんが、オーセルは明らかに煽っていると思います。

政治主義者なら自分の都合の良いときだけ「何があっても自殺はやめましょう」などふりかざすな。吐き気がする。

はあ?。俺がいつ「自分に都合のよいときは自殺を賛美した」のでしょうか?。根拠もあげずにそう言う言いがかりをつけるあなたのほうこそ俺は吐き気がしますが。
もしかして拙エントリ「特攻を絶賛する奴らはアリス・ハーズや由比忠之進をどう思うね?」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110918/1316296778)のことですか?。
ただし俺はあそこで他人(ベトナム人)の痛みを自分の痛みとして真摯に悩んだアリスや由比を尊敬するとは書きましたが、自殺が抗議手段として有効とは思わない(実際ベトナム戦争はその後も続きました)し、人命は大事だと今回と同じようなことを書いていますが。「id:noharraの紹介するオーセルとか言うバカ女の文章が酷すぎる話について(その1)」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20120307/5643098721)でもそう言う考えは【追記】で書いていますがお読みになってませんか?

シモツカレ氏はそもそも「抗議」の意志をもっているのか?「もちろん中国は悪いのだろう」とは思うがね。」という表現は、抗議の意志の不在を示している。

なるほど、「ボーガス某はチベット問題について中国批判の立場に立たないのだからオーセルを批判するな」ですか?
勝手に中国批判してないと決めつけること自体、俺に対し失礼ですが、そもそも俺が中国支持者なら「オーセルは自殺扇動したというボーガス某の非難はいいがかり」とか「オーセルは自殺扇動していい」とか理解していいんでしょうか?
 「オーセルのあの文章への評価」と「中国のチベット支配評価」と全然関係ないでしょうに。
 そう言う意味で俺は批判動機が何であろうと、中国のチベット支配に問題があろうと「後で紹介する人民日報の自殺批判記事」には全く同感しますが。