新刊紹介:「経済」4月号

「経済」4月号の詳細については以下のサイトをご覧ください。
http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/

■『「安全保障」とは何なのか』(布施祐仁*1
(内容要約)
・未曾有の大災害の中、軍事費に金を使うことのどこが安全保障なのか、それよりも今苦しんでいる「震災被害者に金を使うことの方がよほど安全保障ではないのか」、戦争が起こらない限り無駄金となる軍事費に金を使う前に外交努力をすべきではないのか、といった布施氏の主張には俺的には全く異論はないが、異論のあるタカ派もいるのだろう。俺はそういうのにはまったく賛同できないが。


■世界と日本
【EUが危機打開策(宮前忠夫*2)】
(内容要約)
赤旗「EU新財政協定合意、首脳会議 安定機構 7月導入へ」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-01/2012020107_01_1.html)をより詳しく説明した記事だが今ひとつわかりづらい。問題は赤旗も指摘しているように「欧州労連が新財政協定に否定的であること」をどう評価すべきかという所だろう。


【協同組織金融の問題点(桜田氾)】
(内容要約)
信金信組の貸し出しが伸びていないことをを指摘、信金信組は「地域密着型金融」として地元企業への貸し出しという社会的責任を果たすべきであり、政府もそうした貸し出しを支援する政策を進めるべきとしている。


特集「大震災1年 復興・原発対策を問う」
1)3.11が日本に突きつける課題
【長期化する復旧、生活・地域再生を第一に(鈴木浩)】
(内容要約)
・話のポイントとしては「生活再建」「居住権保障」「脱原発」といったところか。


原発(事故)責任論から変革論へ(山科三郎*3、渡辺憲正*4)】
(内容要約)
原発事故については「一億総懺悔的な議論」が一部にあるが、これは間違っている。一般国民にも責任がないわけはないが、権力者とその責任の重さは当然軽重があってしかるべきである。
 今回の原発事故をきっかけに様々な変革論が提出されている。もちろん「エネルギー行政の変革(脱原発)」が急務であることは言うまでもないが、そのほかにも「都市と地方の関係」「労働差別の問題(被爆労働)」「民主主義や情報公開の問題」など、今回浮上した様々な問題について考えていく必要がある。


【昭和前期・東北振興事業の歴史的教訓(岡田知弘*5)】
(内容要約)
・昭和前期、三陸津波や冷害に襲われた東北の振興事業が国家レベルで推進されたが、それは「上からの改革」であり、必ずしも東北の地元ニーズとは密着していなかった。ここから得られる教訓は「災害復旧」は地元ニーズに立脚しなければいけないと言うことではなかろうか。


2)福島を取り戻す―地域復興・原発賠償
福島原発大事故―放射性核種による土壌汚染(浅見輝男*6)】
(内容要約)
 放射性物質による土壌汚染の現状についての説明。


【土壌の放射性物質汚染への対応策(関勝寿)】
(内容要約)
 除染方法等についての説明。

1)表土除去:デメリットとしてはコストの問題がある。コストの問題に配慮した対応法としては2)〜4)がある。
2)天地返し:表層土壌と下層土壌を入れ替える
3)粘土分の除去:放射性セシウムは土壌中の粘土に吸着されるため粘土分のみ除去することで土壌中の放射性物質を減らすことができる(勿論粘土は放射性廃棄物として処理する必要がある)。
4)化学洗浄:土壌を化学洗浄して放射性セシウムを除去する(勿論洗浄水は放射性廃棄物として処理する必要がある)。
 農地の土壌汚染対策としては、除染以外に次のようなことも考えられる。
5)カリウム肥料、カルシウム肥料の使用
 カリウム肥料を使用することで、作物への放射性セシウムの、カルシウム肥料を使用することで作物の放射性ストロンチウムの吸収を抑えることができる。ただし吸収をゼロにすることは困難。 
6)転作
 放射性物質を取り込みづらい作物に転作する。


放射能汚染と食の安全を考える(小倉正行*7)】
(内容要約)
・食の安全を守るため「放射性物質の食品への蓄積を避ける(除染の実施)」「基準値を超える放射能が検出された食品を流通させない検査態勢の充実」が必要である。


原発被害者とともに完全賠償をめざす(久保木亮介)】
(内容要約)
・東電の賠償への態度を「被害者が望むレベルの賠償」「生活再建が可能なレベルの賠償」(これを筆者は「完全賠償」と呼んでいる)」とはほど遠いとし、完全賠償を目指す訴訟を起こした弁護団メンバーのレポート。

参考
赤旗原発被害 慰謝料は、賠償は…農家を対象に相談会 郡山」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-30/2012013014_01_1.html
yko1998のブログ「東電完全賠償実現へ 被害者要求を組織化 生業を返せ弁護団 安田団長に聞く」
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/1210-6327.html


3)これからの防災政策
【「地震国」日本の防災政策の転換にむけて(中村八郎*8)】
【「津波防災地域づくり法」と住宅復興の課題(坂庭国晴)】
(内容要約)
防災政策一般について論じた総論的文章が中村論文で、「津波防災地域づくり法」「住宅再建」を主として論じたのが坂庭論文。詳しくは直接お読みいただければと思う。


■「〔入門講座〕戦後日本資本主義の歩みから見る: TPPから日本の食と農を守るために ① アメリカの対日政策と農業」(暉峻衆三*9
(内容要約)
TPPについて論じるためには、「アメリカの対日経済政策」を歴史的に論じる必要があるのではないかとしている。
日本はアメリカの支援を得ながら高度経済成長を達成するがそれには光の部分と影の部分があったとし、次号以降、そうした影の部分への言及がされるようだ。


■「消費税増税ストップ! 社会保障充実・財政危機打開を: 日本共産党の提言について」(垣内亮)
(内容要約)
『消費税大増税ストップ!社会保障充実、財政危機打開の提言』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-08/2012020803_01_0.html)の詳しい説明。
詳しくはリンク先を読んでほしいが、基本的には「税の応能負担原則」「ヨーロッパ社民主義国家並みの福祉の実現」といったところか。


■「〔6問6答〕「社会保障のための消費税増税」は本当か」(河村健吉*10
(内容要約)
「6問6答で書こうとするとかえって書きにくい」ので適当にQ&A。

Q「社会保障のためは本当なのでしょうか?」
A「社会保障の財源にするのなら、逆進性と『消費に悪影響を与え、不景気を助長する』と言う問題のある消費税ではなく、むしろ所得税法人税増税を考えるべきです。日本のこれらの税金は、欧米と比べても決して高いものではなく、むしろ度重なる法人税所得税減税により安くなっている可能性もあります。このあたりはid:kojitaken閣下の「鍋党」云々とかで勉強なさるとよろしいでしょう」


■「戦後アメリカの原子力戦略と日本(上):日米原子力協定の締結」(山崎正*11
(内容要約)
 1955年の日米原子力協定締結、原子力基本法原子力委員会設置法制定までの経緯を説明(それ以降は次号以降の(下)で説明されるのだろう)。日米原子力協定は「当時の原子力学会の原発批判の影響から、原発推進と言うよりは原子力研究と言う側面が強いこと」「また中曽根や正力にとっては日米関係の強化と言う面がむしろ強かったこと」、「当時、商業炉は米国では存在しないことから当初は、英国の黒鉛炉導入が目指されたこと」が指摘される。もちろんこれらの協定や法律制定を推進したキーマンが読売グループのドン・正力(当時、鳩山内閣で初代科学技術庁長官、初代原子力委員会委員長。岸内閣でも科技庁長官、原子力委員長に留任)と、後の首相・中曽根(当時、岸改造内閣で科技庁長官、原子力委員長。その後、田中内閣通産相として原発推進のため電源三法を成立させる)の訳だ。
 中曽根「田中内閣通産相」についてはkojitakenの日記「「自立奪った電源三法」(朝日新聞)」(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20110817/1313540098)も

当時通産相を務めていた中曽根康弘の役割も大きかったと考えている。

と批判している。

参考

http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index.html
赤旗原発の源流と日米関係(1):“ラッキードラゴン”の衝撃/米が「広島に原発を」」
 「広島と長崎の記憶が鮮明なときに、日本のような国に原子炉を建設することは劇的であり、これらの街での(注:アメリカによる原爆投下という)大虐殺の記憶から(注:日本人を)遠ざけるキリスト教徒としての行いである」


 米原子力委員会のトーマス・マリー委員のこの言葉に示されているように、米国による原爆投下の責任をあいまいにし、日本国民に原発を受け入れさせることで、「原子力の平和利用」の象徴にしようという狙いがありました。(ニューヨーク・タイムズ54年9月22日付)
 さらに露骨なのが、商業原発推進派のシドニー・イエーツ下院議員。広島に6万キロワット級原発を建設する法案を提出しています。(ワシントン・ポスト55年2月15日付)

http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index04.html
赤旗原発の源流と日米関係(4):原子力協定の攻防/湯川氏、抗議の辞任」
 「本件発表は慎重を要する」。外務省の解禁文書(1955年3月18日付メモ)にある「本件」とは、同年1月11日、米国が日本政府に示した、対日原子力援助に関する口上書のことです。
 アイゼンハワー大統領が提唱した「原子力の平和利用」政策の具体化として、濃縮ウランや原子炉の提供が盛り込まれました。井口貞夫駐米大使はただちに、「日本においても推進するとの建前をとること内外共に時宜を得たる」(55年1月25日付公電)との見解を示します。
 しかし、「朝日」同年4月14日付で暴露されるまで、口上書の存在は極秘扱いでした。「原子炉建設に関する米国の協力に対する一部学界の反対ないし原子力問題に関する敏感な一般世論に無用の刺激を与えることを避けるため」(前出メモ)という理由からでした。
 「科学者の国会」と言われる日本学術会議は、第五福竜丸事件が明らかになった直後の54年3月18日の原子核特別部会で、「自主・民主・公開」の原子力研究3原則を決めました。
 ところが原子力協定の米国案9条に「動力用原子炉(原発)についての協定が行われることを希望しかつ期待し、その可能性について随時協議する」との規定がありました。
 濃縮ウランも、原子炉も米国産。しかも、米原子力法に沿って機密保護まで求められていたのです。「自主・民主・公開」の3原則に真っ向から反する内容でした。
 財界は米国からの原子炉購入を強く主張しましたが、政府は9条の削除と機密保護条項の適用除外の要請を決断。「動力用原子炉に関する日米間協定の実施から独占的米国資本の導入を誘致し、またわが方の学術的研究の自主性を毀損する恐れある云々との有力にしてかつ多分に感情的なる意見をも考慮」(55年6月7日、井口大使宛て公電)した結果でした。
 55年11月、原発建設を前提としない「日米原子力研究協定」が調印されました。
 自立的な原子力研究が担保されたかに思われましたが、初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏は56年1月4日、「5年後に原発建設、米国と動力協定の締結」構想を発表しました。14日には米原子力委員会のストローズ委員長が「正力構想」に対する異例の「歓迎」声明を出しました。56年末には原子力協定見直し作業が始まります。
 これに抗議して原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。


「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」(『原子力委員会月報』57年1月号)


 しかし、原子力委員会は歴代自民党政権に牛耳られ、安全性を二の次にした原発推進機関に変貌してしまいました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/html/senden/2011_genpatsu/index05.html
赤旗原発の源流と日米関係(5)「逆立ち」のスタート/米のウラン義務付け」
 米国、フランスに次ぎ、世界3番目の54基もの原発が林立する日本―。米国は、原子炉の燃料となる濃縮ウランの提供をテコにして、日本を危険極まりない“原発列島”に仕立て上げました。
 この濃縮ウラン提供を取り決めたのが、日米原子力協定です。
 最初の協定は、1955年11月調印の「日米原子力研究協定」です。「研究」用に米国が日本に濃縮ウランを最大で6キログラム(ウラン235の量)貸与することを定めました。
 日本の原子力開発の動きは当初から米国の世界原子力戦略に呼応していましたが、建前上は「自主開発」が基本とされていました。
 政府の原子力委員会が57年12月に刊行した『昭和31年版原子力白書』でも、「わが国の原子力開発がスタートした際には、わが国の原子力開発はすべて国産技術を基礎から培養しようとする心構えであり、原子力技術の育成計画もこの線に沿ってたてられていた」と述べています。
 ところが「日米原子力(研究)協定が登場するにおよび事情は一変した」(前出の『原子力白書』)のです。
 日本政府は、日米原子力研究協定の仮調印(55年6月)を受け、貸与されることになる濃縮ウランを使用するため、米国から研究用原子炉の購入を計画。「濃縮ウランの受入れは、小規模かつ長期にわたって低い処から自力で原子力技術を養ってゆくという考え方を、海外(米国)からの援助を取入れて急速かつ大規模に行うという風に計画を変える大きな要因となった」(同)のです。
 原子力の研究計画もないのに原子炉築造予算を計上(54年度)し、導入する炉型の判断もなしに濃縮ウラン受け入れを決め、炉を設置する研究所(原子力研究所)の設立(56年6月)は最後になりました。こうしたやり方は、世界に例のない「逆立ちした研究のスタート」と指摘されました。
 こうした「逆立ち」は、それ以後も続きます。
 55年の研究協定は58年、動力用原子炉の開発を目的にした新たな協定(6月調印)に置き換えられます。同協定は、米国から日本への濃縮ウラン提供量を拡大し、最大で2・7トン(ウラン235の量)を貸与できることを明記。これと一体に実験用動力炉が導入されました。
 さらに、68年2月に調印された日米原子力協定では、日本で建設中または計画・考慮中の原発に、今後30年間必要なウラン235の量を個々に明記。その総量154トンを日本が米国から受け入れることが義務付けられました。その中には、東日本大震災で事故を起こした福島原発も含まれていました。

http://www.niigata-nippo.co.jp/jyusyou/report/08_03.html
新潟日報「揺らぐ安全神話 柏崎刈羽原発
第7部 閉ざされた扉−原子力産業の実相
第3回 二つの神話
 日本の原子力政策の在り方を定め、55年に公布された原子力基本法
 第2条の基本方針に掲げられた「民主、自主、公開」の3原則は、日本学術会議原子力の平和利用について提言したものだ。しかし、その中に「安全」という文字はない。
 世界で唯一の被爆国である日本なのに、なぜ「安全」が入らなかったのか。
 同法は議員立法によって生まれた。中心となって動いたのは元首相・中曽根康弘(90)と旧社会党の故松前重義*12らだ。当時、原子力の平和利用には積極的だったという旧社会党の政策審議会でエネルギー政策を担当して松前を支え、後に衆院議員を六期務めた後藤茂(82)は振り返る。


 「基本法の内容を話し合うため松前さんは中曽根さんと何度も打ち合わせをしたが、安全の論議はほとんどなかった」


 抜け落ちた「安全」の論議は56年の原子力委員会発足時も同様だったという。


「ほぼそのまま導入できる技術が(海外で)既に開発されていたから、委員会でそれをどう使うかという組織や体制の話が中心だった」


 米国などから与えられた安全の中に浸りきって法制度を見直してこなかった国と業界の姿勢が、ゆがんだ神話を生む結果を招いたといえる。

 中曽根、正力が中心人物だが、社会党も少なくとも「1950年代においては」原発推進に協力した事は指摘しておかないといけないだろう。


■「農家経営とバイオマス・エネルギー:ドイツ・バイエルン州の事例調査」(村田武*13
(内容要約)
・筆者によるドイツ・バイエルン州での現地調査報告。主な内容は「農家のバイオガス(牛糞発酵等によるメタンガス)発電」と「木材チップを原料にした熱利用、地域暖房システム」である。


■「2012 ワールド・ウォッチング③:緊縮財政下のイギリス」(岡崎衆史)
(内容要約)
 イギリスの現在の経済政策を緊縮財政と見た上で、それに対する批判運動を紹介。


■「研究余話6:レーザー教授のこと」(林昭)
(内容要約)
 レーザー氏とは元フンボルト大学教授(倫理学専攻)で、「ユダヤ人を生きる―20世紀の煉獄 アウシュビッツヒロシマを越えて」(邦訳:1988年、徳間書店)の著者。
 林氏によれば、レーザー氏の著書は必ずしも東ドイツ上層部には好意的に受け入れられておらず*14ユダヤ人を生きる」も出版されたのは、東ドイツに絶望した氏が西ドイツに亡命した1983年のことだという。

*1:著書『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(2010年、岩波書店

*2:著書『人間らしく働くルール―ヨーロッパの挑戦』(2001年、学習の友社)

*3:著書『自由時間の哲学』(1993年、青木書店)

*4:著書『イデオロギー論の再構築―マルクスの読解から』(2001年、青木書店)

*5:著書『地域づくりの経済学入門』(2005年、自治体研究社)

*6:著書『福島原発大事故:土壌と農作物の放射性核種汚染』(2011年、アグネ技術センター)

*7:著書『放射能汚染からTPPまで―食の安全はこう守る』(2011年、新日本出版社)、『TPPは国を滅ぼす』(2011年、宝島社新書)

*8:著書『これからの自治体防災計画』(2005年、自治体研究社)

*9:著書『日本資本主義の食と農―軌跡と課題』 (2011年、筑波書房ブックレット)

*10:著書『娘に語る年金の話』 (2001年、中公新書

*11:著書『日本の核開発:1939〜1955―原爆から原子力へ』(2011年、績文堂出版)

*12:東海大学創立者

*13:著書『戦後ドイツとEUの農業政策』(2006年、筑波書房)

*14:とはいえ、レーザー氏なりに気を遣った上での批判のようだが