新刊紹介:「経済」5月号

「経済」5月号の詳細については以下のサイトをご覧ください。
http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/

特集「マルクス経済学のすすめ2012」
■「マルクスの目で現代を見て社会を変える」(石川康*1
(内容要約)
 マルクス的な視点(ここで具体的に触れられている視点としてはたとえばブラック企業を許さない企業活動の制御の必要性といった視点)で現代を見ることの重要性の指摘。
 筆者の薦める本として
1)筆者が解説を書いた「理論劇画・マルクス資本論」(かもがわ出版
2)筆者の著書「マルクスのかじり方」(新日本出版社
3)比較的入手容易な新書として不破哲三マルクスは生きている」(平凡社新書)があげられている。


■「資本主義の危機とマルクス
【「99対1」が浮き彫りにした現代資本主義の病巣(高田太久吉*2)】
(内容要約)
 ウォール街デモは「貧困と格差の拡大」という「現代資本主義の病巣」の存在を明らかにした。この病巣をどう取り除くかは経済学の重大な過大である。

参考
赤旗ウォール街行動 全米へ、強欲な1%には我慢できない」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-08/2011100803_01_1.html


【グローバリゼーションとアフリカ:新興市場国・ナイジェリアの実情から(福田邦夫*3)】
(内容要約)
・ナイジェリアでのアバチャら独裁者の存在は、欧米石油メジャーおよび彼らと結託する欧米政治家たちによって支えられてきた。こういう問題を無視して、id:noharraや、奴が会員の「守る会」などが先軍朝鮮ばかりを非難するなど偽善もいいところだ。
・1995年、ケン・サロウィワらナイジェリアの環境活動家9人がアバチャに濡れ衣を着せられ、死刑を執行された。2012年、9人の活動家の一人・バリネム・キオベルの未亡人が「アバチャのでっちあげに国際石油メジャー・ロイヤルダッチシェルが荷担した」としてシェルを訴えている(今年6月に判決予定)。
これに対し、シェルと密接なつながりをあるイギリス政府、オランダ政府は「シェルに非はない」とシェルを露骨に支援している。 
IMFは、「行政の効率化と汚職撲滅」を理由にナイジェリアのガソリン補助金を廃止するよう勧告し、補助金は廃止されたが、大幅なガソリン値上がりが起こり国民の批判が高まっている。

参考

ケン・サロ=ウィワ(ウィキペ参照)
 サロ=ウィワは1950年代から原油の採掘が始まったニジェール・デルタの先住民の1つである少数民族オゴニの出身。オゴニ民族生存運動 ( MOSOP) の創立者の一人で国際石油資本、とりわけシェルの操業による環境汚染に反対した。
 1994年5月にサロ=ウィワは親軍的と思われた「4人のオゴニの長老への殺人教唆」の嫌疑で逮捕起訴された。サロ=ウィワは嫌疑を否定したが、軍の特別法廷で死刑が言い渡された。この裁判は多くの人権団体から批判を受けた。
 1995年11月10日、サロ=ウィワと他の8人のMOSOPの指導者がサニ・アバチャ軍事政権により絞首刑で処刑された。

サニ・アバチャ(1943年9月20日〜1998年6月8日:ウィキペ参照)
 ナイジェリアの軍人政治家。ナイジェリア暫定統治評議会議長(事実上の第10代大統領、1993年〜1998年)。
 彼は1983年のムハンマド・ブハリ将軍の軍事クーデターと、1985年のイブラヒム・ババンギダ将軍の軍事クーデターに参加した。1985年、ババンギダがナイジェリア大統領及び軍最高司令官に就任すると、アバチャは軍参謀長に任命された。また1990年には国防相に任命された。
 アバチャは1993年、アーネスト・ショネカン暫定政権からクーデターで権力を奪った。アバチャ政権は人権侵害で、とりわけ軍事法廷でオゴニの活動家ケン・サロ=ウィワを絞首刑に処したことで非難された。しかし、これは多国籍石油企業による開発に反対するオゴニの活動家に対する数多くの事件の内のたった一つに過ぎない。モシュード・カシマウォ・オラワレ・アビオラとオルシェグン・オバサンジョ(第5代、第12代大統領)は反逆罪で投獄され、ウォーレ・ショインカらも反逆罪で起訴された。アバチャ政権は民主活動家の批判に対し、政治活動全般を禁止し、特に報道を支配することで応じた。軍の主要な幹部は解雇され、アバチャは彼に忠実な約3,000人の武装兵に身辺を警護させた。
 アバチャは1998年6月にアブジャの大統領別邸で心臓麻痺で亡くなったと伝えられている。アバチャの遺体はその日の内に検死なしで葬られ、政敵に毒を盛られた可能性があるとの観測を煽った。アバチャの死後、防衛参謀長のアブドゥルサラミ・アブバカール大将が国家元首の地位を引継いだ。アブバカールは民政移管を直ちに宣言し、オルシェグン・オバサンジョ大統領の選出に至った。
■腐敗
 オバサンジョ政権は、死亡したアバチャとその家族の財産をナイジェリア国庫の財源として全て売却しようとした。彼の金権ぶりは、悪名高いアフリカの統治者(コンゴ大統領モブツ・セセ・セコなど)さえ凌いだと評されることもある。
■死
 アバチャは国民からはまったく嫌われており、彼が死去したニュースが伝わると人々は街路でその死を祝し、「天からのクーデター」とまで呼んだという。


ケインズ新自由主義マルクス:資本主義批判と社会認識の変革(屋嘉宗彦*4)】
(内容要約)
ケインズ経済学、新自由主義経済学との対比でマルクス経済学への筆者の見解が語られる。
世界恐慌に対し、十分な対応ができなかった事で、それまでの新古典派経済学の威信は傷つき、新たな経済学として登場したのがケインズ経済学であった。
・しかし1970年代、様々な経済問題に対するケインズ経済学の無効を主張し、登場したのが新自由主義の経済学である。
・「自由に任せれば全てうまくいく」という新自由主義経済学がおよそ現実をとらえていないこと、かえって貧困と格差の拡大を招いていることは明白だろう。筆者はもちろんマルクス経済学の立場に立つが、「格差・貧困問題への関心」や「経済のコントロールが必要」と言う観点では、ケインズマルクスには共通するところが多いとして一定の評価をしている。


■「『資本論』の視点で現代を読み解く」
【過労死、過重労働の根絶へ:過労死防止基本法の必要(森岡孝二*5)】
(内容要約)
 ・過労死の深刻な現状を指摘するとともに「過労死防止基本法(仮称)」の制定を主張している。勿論現状の法制度でも、サービス残業の撲滅などできることはあるし、過労死を助長していると思われる諸制度(例:いわゆる36協定)の改廃も行うべきことは言うまでもない。


【現代の土地問題と「資本論」:金融の肥大化、都市膨張時代の終焉(山田良治*6)】
(内容要約)
・副題の「金融の肥大化の終了」とはいわゆる「土地バブル」の終了という意味である。「都市膨張時代の終焉」とは、少子高齢化などによって、都市に人が集まり膨張しつづけると言う時代の終了という意味である。
・土地問題の理解においては土地が公共性を持っている点への注意が必要である。資本論は土地問題理解の大きなヒントになると思われる。


■「経済学の変革とマルクスの理論的飛躍――不破哲三『「資本論」はどのようにして形成されたか』を読む」(山口富男
(内容要約)
・不破の著書の説明。俺ごときには要約しようがないのでアマゾンのレビューを紹介してみる。

1)
資本論』形成史をトータルに把握しようとする一つの試み, 2012/2/5
By サンザンクロース (東京都内)
 不破哲三氏ほど『資本論』形成史の研究に熱意を持ってとりくんだ人はいないだろう。本書以前にも、『マルクスと「資本論」』3冊、『エンゲルスと「資本論」』2冊、『「資本論」全三部を読む』7冊と、すでに関連本を12冊も出している。専門家でもこれだけ出している人はいない。それはすでに素人の域を大きく超えており、細部においてはアカデミズムの専門家には及ばないにしても、そうした専門家にとってもおそらくいろいろと参考になる水準に達している。
 新メガにおけるドイツ語版『資本論』草稿集の出版とその日本語訳の部分的出版のおかげで、『資本論』形成史の研究は一気に深まった。しかし、その草稿集があまりにも膨大すぎるため、また論じるべき論点があまりにも多いため、草稿集の研究はきわめて断片化、詳細化し、ほとんど考古学と化している(とくに執筆順序をめぐる論争)。それは普通の学習者や専門外の研究者にはとうてい手の届かないものとなってしまっただけでなく、専門家ですら、第1部から3部にまでいたるトータルな『資本論』形成史を描き出すことができなくなっている。
 そうした中で、本書において不破氏はあえて『資本論』全3部のトータルな形成史を描き出すことに挑戦した。もちろん、無数の論点すべてにおいてその形成史をたどることなど不可能な話であるから(何らかの1つの概念の形成・発展史を詳細に追うだけで1冊の書物になってしまうだろう)、著者自身の問題関心と力量に応じた論点の絞込みが必要になる。不破氏はこれまで長年にわたってマルクスにおける恐慌論の形成と発展に取り組んできたこともあって、基本的にそれを基軸にして、それと関連するいくつかの論点の形成史を踏まえつつ、『資本論』全3部の形成史をトータルに提出しようとしている。
 細かい話はおいて、不破氏が提出するオリジナルな解釈は次の4点である。


1.
 マルクスは当初、「利潤率の傾向的低下法則」を基軸にして恐慌論と危機論を展開しようとしたが(その典型は「経済学批判要綱」)、1863〜65年草稿の一部である『資本論』第2部第1草稿の最初の章(資本循環論)において、商人資本と信用を通じた流通過程の短縮化の傾向が恐慌の契機になることを発見し、それを通じてマルクス恐慌論の認識に大転換が起き、不破氏の言う「恐慌の運動論」を理論的基軸にするようになった(無制限に拡大しようとする生産と構造的に制限された消費との矛盾が、流通過程における信用と商人資本の介在によって恐慌として爆発する)。
2.
 このような転換の一つの契機となったのは、1861〜63年草稿で発見されその後半部で詳細に議論されるようになった「独自の資本主義的生産様式」論の確立であり、マルクスはこれを通じて機械と大工業が持つ決定的に重要な意義を認識するようになった。1861〜63年草稿が機械論の途中で中断されたのは、最初はこの機械論の独自の決定的意義をつかみきっていなかったからである。マルクスは中断中に『剰余価値学説史』を執筆しつつ、機械論について独自の研究を積んだのであり、その上で機械論の記述を再開し、独自の資本主義的生産様式論を本格的に展開することができるようになった。この機械論に関する認識深化が、一方では生産と消費の矛盾という本来の恐慌論を展開する理論的基盤を獲得することができるようになり、他方では、機械が賃労働者の地位や状態に及ぼす影響についても具体的に展開できるようになった。
3.
 この理論的転換によって、マルクスは「利潤率の傾向的低下論」を自己の恐慌論や危機論から完全に放逐し、利潤率低下論は単に生産力上昇の資本主義的表現を示すものにすぎないものとなった。『資本論』第3部主要草稿の第3編における利潤率低下論ではまだ恐慌論と結びついているが、これは過渡期における叙述であり、生産と消費との矛盾による恐慌論と利潤率低下論による恐慌論という「2つの恐慌論」の流れが混在している。そして、この直後に書かれた第2部第1草稿執筆以降は、マルクスはこのような混在を克服し、生産と消費の矛盾論に一本化することになった。その証拠に、これ以降、マルクスの記述の中に利潤率低下論を恐慌論と結びつけるような叙述はなくなった。
4.
 こうしたマルクスの理論的発展、および再生産表式論や方法論やその他の点でも発展があったおかげで、マルクスは「資本一般」という当初のプランを完全に放棄し、当初予定していた6部構成のほぼすべて(前半体系だけでなく)を『資本論』に取り入れることにした。このプラン変更においてとくに重要だったのは、賃労働と土地所有の主要な内容が『資本論』のうちに吸収されたことである。労働日論と機械論の発展を通じて、マルクスは「賃労働」を「資本」とは別に執筆するのではなく、資本の生産過程を叙述する中で「賃労働」の主要問題をすべて解明することにした(「労賃」編の追加もその一つの証拠)。また土地所有については、その主要な構成部分の一つ目である本源的蓄積論を1巻で論じ、その2つ目である資本主義的地代論は3巻で論じたので、「資本」とは別に「土地所有」を論じる必要もなくなった。


 以上のオリジナルな論点に関しては、私はいろいろ異論を持っているが(とくに1と2。また4についても後半体系も含めて現行版『資本論』に包含されたとするのはやはり無理があるだろう)、ここでは触れないでおく。だが、不破氏がそれなりに首尾一貫した論理で『資本論』の形成史をトータルに再構成しようとしていることは高く評価できる。
 このようないわば「無謀な」試みは誰が行なっても異論百出だろう。しかし、アカデミズムの『資本論』研究者たちが細部にあまりにもこだわりすぎて、トータルな『資本論』形成史を提出していない以上、このような試みは非常に貴重なものであるし、『資本論』形成史には興味あるが専門家の詳細すぎる議論にはとうていついていけないと感じている読者層の期待にも応えるものであるだろう。


2)
歴史の中で資本論を読む, 2012/1/30
By tomo1943 (茨城県つくば市)
 「資本論」は難しいというので、その解説書を読むと、これまた難しいということがしばしばです。本書は、そうならずに、よく分かるようになる解説書のひとつです。だだし、下記の通り、いわば中級者以上向けです。
 本書は、著者の”歴史の中でマルクスを読む”という方法による「資本論」形成史第3弾です。すなわち、第1回が「エンゲルスと『資本論』(上・下)」、第2回が「マルクスと『資本論』−再生産論と恐慌(全3冊)」です。本書では、それらふたつの著書の成果を含め「資本論」形成史に関する10数年にわたる研究の結果をまとめています。内容は、主として経済学変革の画期をなした四つの発見と「資本論」第1部の完成稿にいたる理論展開が中心です。四つの発見とは、絶対地代、経済表マルクス版、恐慌の運動論、独自の資本主義的生産様式の規定を指します。マルクスの草稿準備から完成に至る過程を綿密、具体的に追います。
 この形成史解明は、資本論そのものとともに、その諸草稿のうち、「(18)57〜58年草稿」「61〜63年草稿」「63〜65年草稿」を、また多くの書簡などをも読み解きながら進みます。本書を深く理解するためには、これら草稿などを読んでいる必要はないのですが、前提として「資本論」を通読していることが必要で、先行する上記2著書をも読んでいればベターです。さらに、著者が「資本論」全体を読み込みながら形成史に関してもしばしば触れている「『資本論』全三部を読む(全七冊)」を参照できると理解が一層深まると思われます。
 さて、本書を読んで驚くのは、著者の旺盛な探求心もあるのですが、マルクスの「資本論」が、完成した理論の書ではなく、マルクスの経済学研究の発展の経過が強く反映した書であると知らされることです。「資本論」には、研究の結果得られた結論の理論的記述のほか、試行錯誤の過程がそのまま書かれていたり、宿題のまま残されたことも多々あることが見てとれます。そして、マルクスが、経済学の理論的発展に大きな貢献をしただけでなく、変革のための研究、たとえば閉塞感の漂う現代日本の変革に向け力を鼓舞するほどの実践的研究を展開したところに類い稀な凄さを感じます。


■「新MEGA(マルクス・エンゲルス全集)編集・刊行状況と日本人研究者の参画」(赤間道夫*7
(内容要約)
・新MEGA(マルクス・エンゲルス全集)編集・刊行状況の説明。


■各地の学習会
(内容要約)
 首都圏青年ユニオンが勉強会に映画上映(ビデオ上映)を取り入れているというのが興味深いというか面白いというかそういう風に思った。
 単なる文献解釈で終わらせたくないと言うことだろう。
 上映したという映画作品の名前を参考までに上げておく。
ケン・ローチ「ピケをこえなかった男たち:リバプール港湾労働者の闘い」
 ローチ同志はイギリス左翼映画の巨匠である。
 他にもスペイン内戦を題材とした「大地と自由」、中南米からのアメリカ移民労働者による労働条件改善運動を題材とした「ブレッド&ローズ」、アイルランド問題を題材とした「麦の穂をゆらす風」、外国人移民問題が題材の「この自由な世界で」がある。
 最新作は「アメリカ軍事ビジネス」を題材とした「ルート・アイリッシュ」。
 なお、ローチ同志の息子で映画監督のジム・ローチ氏も最近、『1970年代まで、労働者として13万人以上の孤児をオーストラリアなどの英連邦諸国に不当に送り込んでいたという、英国政府最大のスキャンダル“児童移民制度”に鋭く切り込んだ「オレンジと太陽」』なる社会派作品を作成したらしい。

参考
朝日新聞「不都合な事実、赤裸々に ローチ親子が作品への思い語る」
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201203240221.html
産経新聞「親子で新作 社会派競演 「政府の責任を問う」「痛みが突き刺さる」」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120330/ent12033008070001-n1.htm

ケン・ローチ(ウィキペ参照)
 左翼を自称し、一貫して労働者階級や第三世界からの移民たちの日常生活をリアルに描いている。
 2003年、日本の高松宮殿下記念世界文化賞の映像・演劇部門に選ばれた。彼はこの賞のスポンサーが反動メディアであるフジサンケイグループであり、中曽根康弘元首相がバックにいること(当時、主催の日本美術協会会長は中曽根のブレーンとして知られた瀬島龍三)も知っていたが、敢えてこれを受けた。ローチはその賞金の一部を、日本のどこか適当な労働運動に寄付したいと考え、人の勧めで国鉄分割民営化に反対したためにJRから閉め出された闘争団に寄付した。ローチはイギリス国鉄民営化で、労働条件の切り下げやリストラに揺れる様を描いた『ナビゲーター ある鉄道員の物語』(2001年)を発表しており、かねてから民営化反対論者であった。ローチは「ナカソネなどからの賞金を受け取って、そのカネをナカソネが進めた国鉄分割・民営化に反対して闘っている人にカンパするってのはなかなかいいよね」と発言した。

マイケル・ムーア「シッコ」

シッコ(ウィキペ参照)
 アメリカの医療制度とキューバなどの医療制度との対比をテーマとした2007年のアメリカ映画

 

マイケル・ムーア(ウィキペ参照)
 1989年、生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画『ロジャー&ミー』で監督としてデビューする。アポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材する手法が話題を呼んだ。
 1994年、『ジョン・キャンディの大進撃』を監督。冷戦が終結して敵のいなくなったアメリカが、隣国のカナダを無理やり仮想敵国に仕立てるコメディ映画で、常に外敵を必要とするアメリカ政治を滑稽に笑い飛ばした。
 1997年に監督したドキュメンタリー映画『ザ・ビッグ・ワン』では『ロジャー&ミー』と同様の取材方法で、アメリカ国内の工場を閉鎖して失業者を増やしながら生産工場を国外に移して利益をあげるグローバル企業の経営者たちに直撃取材を敢行している。
【映画作品】
ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年)
 高校生2人が彼ら自身の在籍する学校で10数名を殺傷したコロンバイン高校銃乱射事件に題材をとり、銃社会アメリカについて考察したドキュメンタリー映画
華氏911」(2004年)
 アメリカ同時多発テロ事件へのジョージ・W・ブッシュ政権の対応を批判する内容のドキュメンタリー映画
キャピタリズム〜マネーは踊る〜」(2009年)
 世界金融恐慌を取り上げた映画。
【著書】
アホでマヌケなアメリカ白人』(2002年、柏書房
『おいブッシュ、世界を返せ!』(2003年、アーティストハウス)
『アホの壁 in USA』(2004年、柏書房
華氏911の真実』(2004年、ポプラ社
マイケル・ムーアへ―戦場から届いた107通の手紙』(2004年、ポプラ社
『どうするオバマ? 失せろブッシュ!』(2008年、青志社

・土屋トカチ「フツーの仕事がしたい」
参考:ドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」
http://nomalabor.exblog.jp/


■「資本主義は欲望のシステムなのか:山田玲司著『資本主義卒業試験』(海星社新書)へのもう一つの答え」(紙屋高雪
(内容要約)
 紙屋研究所http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/)の中の方が山田の漫画をネタに自らのマルクス理解を語ったもの。今の時点でこれを「紙屋研究所」にアップしたりすると明らかに売れ行きに影響するので無理だろうが、6月号刊行以降には簡単にこの論文に触れた文章をサイト掲載してくれるとありがたい。
・紙屋氏の理解によると山田本は次のようなもの。
 主人公は山田がモデルと思われる漫画家「山賀怜介」(どこまで実際の山田を反映してるのかはわからないが)。山賀は漫画家として成功を収めるが、仕事に追われ、精神的ストレスから体を壊し、また仕事の忙しさから、家庭崩壊に至ってしまう。
 山賀は「仕事に追いまくられる社会システム=資本主義」を変革する(卒業する)必要があるのではないかとの結論を出す。
 ここまではマルクスや紙屋氏の問題意識と近いだろうし、「マルクス主義を支持する・しない」に関係なく「過労死」などの問題を生んでいる日本の経済社会は変革する必要があると思う人は多いだろう。
・で、山賀の出す結論の詳細については詳しくは、山田本を読んでほしいとしているが、一点だけ紙屋氏は「山賀の出した結論」について触れている。
 山賀は「自分が体や家庭を壊したこと(資本主義の害悪に対し有効な対策がとれなかったこと)」を「金を儲けること」「世間で名声を得ること」などにとらわれて「本当の自分を見失っていたから」とする。
 これについて紙屋氏は「マルクスや自分の考える結論」とは違う、かなり問題のあるものとしている。
 山賀の結論は結局「自分の精神性を高めること」となるのだろうし、山賀の行っている個別具体的な方法論の評価はともかく、一般論・抽象論としては「自分を高めること」それ自体は何ら悪いことではないだろう。
 しかしそうすると資本主義の諸問題は「個人個人の心の問題」となり、「社会制度の問題」ではなくなり、制度分析した上で、制度を改善していこうという方向性はとりづらくなってしまう。「資本主義という制度の分析」に基づく「制度改革」というマルクス的視点(マルクスの方法論はともかく)によってこそ「資本主義を変革する(卒業する)」ことができるのではないかというのが筆者の結論である。


■「〔入門講座〕戦後日本資本主義の歩みから見る: TPPから日本の食と農を守るために(2)」(暉峻衆三*8
(内容要約)
・高度経済成長は「農業の機械化」というプラスの面もあったが、「商工業に重きを置き、農業を軽視する傾向の始まり」というマイナス面もあった。そうした農業軽視路線の極地がTPPといえるだろう。


■「ベトナム経済の現状と今後」(鎌田隆)
(内容要約)
ベトナム経済の現状と今後」についての筆者の見解が語られている。
1)ベトナムがTPP参加に前のめりであるという指摘は意外だった(勿論批判意見もあるが)。基本的に「外資導入」や「市場開放化」はいいことというのがベトナム政府の立場らしい。
2)ベトナム側の自国経済認識が中国の「社会主義初級段階」とは違い、「社会主義志向の市場経済」と言うのが意外だった。つまりベトナムは自国を「社会主義経済」とは認識していないらしい。実質、中国もベトナムも大してかわらねえだろとか、「社会主義初級段階なんてただの建前だろ」と言えば確かに変わらないだろうし「初級段階なんてフィクション」だろうが、これは「今社会主義の訳ねえだろ」と認めるベトナムの方が現実的と見るべきなのか、「やっぱ建前はないとまずいよ」という中国が現実的なのか?

http://www.21ccs.jp/kenkyu_seika/keizaiyohgo_jiten/keizaiyohgojiten_01.html
社会主義の初級段階
 「社会主義ではあるが、生産力が立ち遅れ、商品経済が未発達で、まだ初級の発展段階にある社会主義」と定義される。1987年に開かれた第13回党大会の趙紫陽*9政治報告で提出された。


■シリーズ統計でみる「構造改革」と国民生活⑧「失業と雇用保険の動向」(松丸和夫)
(内容要約)
統計データからは日本の失業問題の深刻さがうかがえる。
1)失業者数の増加
2)有効求人倍率の低迷
3)正社員の有効求人倍率が、非正規社員の倍率よりも低い


■2012ワールド・ウォッチング④「党大会迎える中国―強まる世論の力」(平井潤一)
(内容要約)
 中国において民衆運動が一定の成長を遂げており、党、政府中央もそれに配慮した政治を行わざるを得ないという話。

参考
1)「烏坎村」について
産経新聞
「腐敗抗議の村で村長選 中国・烏坎、運動終結へ」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120303/chn12030313060005-n1.htm

住民運動指導者が当選 抗議運動で勝ち取った自治 中国広東省烏坎村長選」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120303/chn12030320030011-n1.htm

毎日新聞「中国:広東省烏坎村の自主選挙に理解」
http://mainichi.jp/select/world/news/20120306k0000m030079000c.html

朝日新聞「中国の「自治の村」烏坎、初の村議選 投票率8割超」
http://www.asahi.com/international/update/0211/TKY201202110387.html

2「中国高速鉄道事故」について
赤旗「中国高速列車事故、「人命軽視」問われる」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-08-04/2011080401_04_1.html

*1:著書『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社

*2:著書『金融恐慌を読み解く』(2009年、新日本出版社

*3:著書『独立後第三世界の政治・経済過程の変容―アルジェリアの研究事例』(2006年、西田書店)

*4:著書『新版・マルクス経済学と近代経済学』(2003年、青木書店)

*5:著書『働きすぎの時代』(2005年、岩波新書

*6:著書『私的空間と公共性―『資本論』から現代をみる』(2010年、日本経済評論社

*7:著書『再生産論成立史研究序説』(1994年、青葉図書)

*8:著書『日本資本主義の食と農―軌跡と課題』 (2011年、筑波書房ブックレット)

*9:首相、中国共産党総書記を歴任。天安門事件を機に失脚。