今日のMSN産経ニュース(6/21分)(追記・訂正あり)

【消えた偉人・物語】独立国家の気概 古代史に刻まれた外交の神髄
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120630/art12063007580004-n1.htm

コレに俺は次のようなブクマをつけました。

産経が未だに朝鮮を下に見てるらしいことがよくわかりました、ありがとうございました

 続日本紀の「席次についての記述」が正しいとして、当時の日本的には席次を朝鮮(新羅)やチベット吐蕃)より上にしてもらったことは何か意味のあることなのかも知れませんが、現代の我々にとってはどうでもいいことです。「何故当初は日本の席次が朝鮮やチベットより低かったのか。なぜそれが結局上がったのか」「席次があがったことはその後どういう意味を持ったのか」「朝鮮、日本、チベットというのは当時の中国(唐)にとってどんな存在だったのか」などという歴史学的な意味があるに過ぎません。
 むしろこういうことを騒ぎ立てることによって「今も日本は朝鮮やチベットを目下と見ているのか」と相手(朝鮮やチベット)に理解されていいことは何もありません。
 まあ、産経と産経文化人の場合「誤解」ではなくそれが「正解」なのかもしれませんが。

煬帝は不承不承ながら対等関係を承認したとみてよい。

 冗談も大概にしてほしい。小生も歴史に詳しいわけではありませんが、このとき対等外交なんか成立しなかったことぐらいは知っています。
 ウィキペ「小野妹子」には「隋の皇帝・煬帝からの返書を彼が紛失し、朝廷に処罰された(後に恩赦されますが)」「紛失の事情については諸説ある」と言う趣旨のことが書いてあります。
 返書が紛失した以上煬帝の意思はわかりようがないでしょうが、想像はつきます。
 返書が都合良く(?)紛失するなど、できすぎにも程があります。大体、本当に返書*1を紛失したら、重大な失態ですから処罰されてそれで終わりでしょう。後に恩赦された上、出世するなんてことはないでしょう。しかも煬帝が日本からの国書について「無礼だ」と激怒したと言うことが中国の史書に残っています。
おそらく
1)「煬帝は無礼な日本の態度にマジギレしたが、しかし高句麗遠征を控えて妹子を手討ちにするとかそこまで乱暴な態度はとれなかった」
2)「とはいえ日本の求める対等外交など論外であった。そこで『今回は大目に見るが2度とこういうバカなことをするな』と警告する返書を出した」
3)「そう言う返書を朝廷に提出すると対等外交路線の失敗が明白になるので、返書を紛失したことにして失敗を糊塗した」
 もちろん返書のあらすじは十分理解しているでしょう。
4)「隋使の裴世清もそうした事情を知りながらあえて事を荒立てずに済ませた」
 返書の内容を理解したうえで、それにそった対応を日本がするのであれば裴にとって「何故返書を紛失した!」などといって事を荒立てる必要はどこにもないでしょう。ただ返書を紛失した人間がノーペナルティーでは「紛失はインチキだ」とバレバレ、いくら裴でもスルーするわけにいきませんから、朝廷が妹子に罰を与えた上でほとぼりが冷めた頃に復権って話でしょう。
と見るのが自然でしょう。諸説の一つとしてウィキペ「小野妹子」が紹介する『隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって : 遣隋使覚書』(http://jairo.nii.ac.jp/0001/00002729)も「諸説の一つ」に「故意に紛失したという説」があることを指摘し、自らもその説を支持するとしています。
 要するに対等外交など全く成立しなかったわけです。
 だからこそ続日本紀において日本は、中国相手(この時代は隋ではなく、唐ですが)に対等外交なんかしていないわけです。
 そもそも対等外交だったら席次が朝鮮やチベットの下になることははなからありえないでしょうに。

*1:特にそれが対等外交の証明になるような物だったらなおさらです