新刊紹介:「歴史評論」11月号(追記あり)

特集『2013年歴史学の焦点』
興味のある論文だけ紹介する。
詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

■「陵墓問題の10年と今後」(後藤真
(内容要約)
 前半が陵墓公開問題、後半が最近の陵墓研究を論じている。
 まず前半。陵墓公開運動が一定の成果を上げたことを筆者は認めながらも、それは「宮内庁の好意」によるものであること、宮内庁がいわゆる「陵墓指定」及び「陵墓の扱い方(通常の古墳とは違い文化財扱いしない)」を変更する気はかけらもない点に問題があるとしている。
 後半。最近の陵墓研究として、外池昇『幕末・明治期の陵墓』(1997年、吉川弘文館)、『天皇陵の近代史』(2000年、吉川弘文館)、『天皇陵の誕生』(2012年、祥伝社新書)、高木博志『近代天皇制と古都』(2006年、岩波書店)、『陵墓と文化財の近代』(2010年、山川出版社日本史リブレット)、上田長生『幕末維新期の陵墓と社会』(2001年、思文閣出版)を上げている。筆者の理解では近年、「近世、近代において陵墓がどのように扱われてきたか」と言う問題意識による近世、近代陵墓研究は深化してきたが、一方、古代、中世の陵墓研究は停滞しており、今後の奮起が求められる。


■「近世日本都市史研究の現在」(望月良親)
(内容要約)
・近世日本都市史研究の開拓者として、吉田伸之(著書『近世巨大都市の社会構造』(1991年、東京大学出版会)、『近世都市社会の身分構造』(1998年、東京大学出版会)、『巨大城下町江戸の分節構造』(2000年、山川出版社)、『伝統都市・江戸』(2012年、東京大学出版会)など)と塚田孝(著書『近世の都市社会史:大坂を中心に』(1996年、青木書店)、『歴史のなかの大坂:都市に生きた人たち』(2002年、岩波書店)、『近世大坂の都市社会』(2006年、吉川弘文館)など)をまず紹介した上で最近の様々な近世都市史研究を紹介。いくつか小生が紹介する。
・藪田貫*1『武士の町・大坂』(2010年、中公新書
 司馬遼太郎の影響などで従来「町人の町」として論じられる事が多かった大阪について「武士の町」と言う観点で論じる。
・浜野潔*2『近世京都の歴史人口学的研究』(2007年、慶應義塾大学出版会)
 歴史人口学の視点による近世京都研究。


■「ユーラシアの近世・中国の近世」(青木敦)
(内容要約)
 中国近世史についての筆者の見解が述べられるが正直なところ
1)「日本の中国近世史研究」において筆者が岸本美緒の諸著作(例:『東アジアの「近世」』(1998年、山川出版社世界史リブレット))を重要視していると言うこと
2)従来の伝統的中国史研究(内藤湖南宮崎市定)は「宋代」を「中国の近世」スタート時点と見なすが、岸本は「明代をスタート時点と見なすこと(理由は全く理解できなかった)」
くらいしか小生にはわからなかった。


■「アメリLGBT*3史のアプローチ―マイノリティ史からの行方」(中野聡*4
(内容要約)
 筆者曰く「過去に簡単なLGBTに関する論文*5を書いたとは言え自分の専門はLGBT史でないにもかかわらず、こうした依頼があったのは『日本の米国史研究におけるLGBT研究蓄積の薄さ』の証明であり、その点でこの論文には多々問題があるであろうし、いずれ捨て石になるであろうこと(と言うよりも捨て石になるくらい研究蓄積が生まれないといけない)をお断りしておく」とのこと。
・いろいろな著作があげられるが「邦訳が紹介されない」のには恐れ入る。邦訳がないのだろうが、英文(原文)なんか読めねえって。そして邦訳がないのでは評者の評価が適切かどうか素人には評価のしようがない。
 数少ない「邦訳がある著作」としてはハーヴェイ・ミルクの評伝『ゲイの市長と呼ばれた男:ハーヴェイ・ミルクとその時代』(上)(下)』(邦訳、1995年、草思社)があげられている。


■「エジプト「6月30日革命」とオリエンタリズムの罠―中東に対する国際社会のまなざし」(栗田禎子*6
(内容要約)
・何つうか、俺ちゃん的には全く賛同できない論文である。掲載して良かったんかいと思う。大体「エジプト情勢評論」って『2013年の歴史学振り返り』と全然違うやん。
・「6月30日革命」とは2013年6月30日に行われた「ムルシ大統領(当時)辞任を求める大規模抗議集会」のことである。この抗議集会についてはたとえば赤旗『エジプト 数百万デモ、大統領退陣求める声 全土に』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-02/2013070201_03_1.html)を参照。
・さてこの後にムルシ政権は「7/4のエジプト軍軍事クーデター」によって打倒され、現在、エジプト軍最高司令官、エジプト国防相のシシ氏が事実上の支配者である。
・こうしたエジプト軍事クーデターについては「ムルシらムスリム同胞団の統治の独裁性」や「そうした独裁性に対するムルシ批判派の一定の正当性」を認めながらも「軍事クーデターは手法と言い目的と言いおよそ正当化出来ない(目的は民主化ではなくムルシ批判をこれ幸いと利用した軍部独裁体制の復活)」とし、「ムルシ批判派はムルシだけでなく、軍も批判しなければいけない、ムルシ打倒万歳では問題である」とし、であるにもかかわらず「ムバラク体制を支えた欧米」がエジプト軍事クーデターに厳しい態度をとらないことや「一部の民主派(ムバラク、ムルシ批判派)」が「ムルシ打倒万歳」で軍に日和ってしまったこともあり、エジプトにおける軍批判派の立場は極めて苦しいものであるとするのが大方の良識派の見方であろう。
 こうした見方についてはたとえば高林敏之氏のツィート(https://twitter.com/TTsaharawi)参照。

たんげしにくお ‏@tangeshinikuo 9月23日
タマッルド運動*7を代表とする市民の反モルスィ勢力は、もともと「モルスィ辞めろ」って言ってただけで、同胞団をテロリストとは誰も言ってなかったし、活動停止なんかも求めてなかった。それが今や軍の権力争いにうまいこと利用されその主張を丸呑みし、右に倣え状態。本当にろくでもない状況。
(高林敏之さんがリツィート)

ところが栗田氏は「7/4事件を軍事クーデターとするのはオリエンタリズムの罠に陥ってるのではないか」とし、「欧米は軍事クーデターのレッテルを貼ってシシ政権を打倒しようとしているのではないか、カダフィ大佐リビア)やフセイン大統領(イラク)、アフガンのタリバン政権を打倒したようにシシ打倒の軍事介入すらあり得るのではないか」「シシ氏に対する欧米の態度はアラービー・パシャの乱でのパシャに対する欧米の態度を想起させる」というのだから絶句せざるを得ない。シシのどこがパシャなのだろうか?。エジプト国防相という以外に共通点などないだろうに。悪い冗談としか思えない。
 栗田氏はムルシらムスリム同胞団の問題点に着目する(これ自体は正当であり軍事クーデターを理由にムルシら同胞団の非を免罪することは許されないのだが)が故にシシらエジプト軍を異常なまでに美化するという過ちを犯しているようにしか見えない。こういう「敵の敵は味方」という「単純な物の見方」はやめてほしい。
 大体俺には「シシらエジプト軍が反米的」だの「欧米がシシらに批判的」だのとはとても見えないが。本気でシシを打倒する気ならとっくに打倒してるだろう。7/4時点において既にそうした見方は明らかに誤っていると思う。栗田氏がこの論文を執筆したのがいつかわからないが今後こうした見方の「誤謬性」はますます明らかになっていくと思う。

【2013年12/6追記】
 拙エントリのコメ欄で高林敏之氏も小生と同様の栗田批判をされている。高林氏のエントリ『エジプトの政変は「アラブの春」への反動クーデタである:教条的「反イスラーム主義」に立脚した「民衆革命の継続」論の虚構』(http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=156)を紹介しておく。高林氏が批判するサミール・アミン*8の見解は栗田氏の見解に近い物と言っていいと思う。


【第47回大会準備号/歴史における社会的結合と地域】
 11/16、17開催の歴史科学協議会第47回大会での発表の概要説明。

(第1日目:世界史の中の日本国憲法
■「日本国憲法平和主義原理の二つの側面」(和田進*9
(内容要約)
 「二つの側面」とは「天皇制を護持するために日本へのペナルティとして保守政治側が飲んだ」と言う側面と、であるにもかかわらず「日本の戦後平和運動のバックボーンとなった」と言う側面のようだ。


■「沖縄から『平和憲法』を問い直す」(新崎盛暉*10
■「ペルー憲法史と日本国憲法」(川畑博昭*11


(第2日目:地域社会と宗教的契機)
■「古代播磨の地域社会構造:『播磨国風土記』を中心に」(古市晃*12
■「中世後期の宗教的結合と都市社会」(三枝暁子*13
(内容要約)
 比叡山延暦寺の結合の内容とそれが京都という都市社会に与えた影響を論じる。


■「「聖なる飛礫」からモンテ・ディ・ピエタへ:中世イタリアのユダヤ人とキリスト教徒」(大黒俊二*14
(内容要約)
・中世においてキリスト教では利子を取ることは禁じられておりそれを乗り越える方策が「利子禁止ルールのないユダヤ教徒」に銀行業務をゆだねることであった。
ユダヤ人はキリスト教徒にとって「イエスを磔にした仇敵」といえる存在であり、その関係は微妙であった。それを示すものが「聖なる飛礫」という中世の慣習である。
 これは「復活祭の前日3日間は、キリスト教徒がユダヤ教徒の家に石飛礫を投げて攻撃しても罪に問わない」という慣習であった。ただし「許される行為は飛礫の投擲のみ」「許される期間は復活祭の前日3日間のみ」「これを破った場合は処罰される」という規制があった。ユダヤ人に銀行業務をゆだねている以上、こうした規制はキリスト教徒にとって必要なものであった。
・このようにユダヤ人とキリスト教徒の間にはある種の「共存関係」があったがそれが崩れるきっかけと成ったのが「モンテ・ディ・ピエタ」という一種の公益質屋であった。「ピエタ」はキリスト教に反しないという論理が構築されたことにより、キリスト教徒にとってユダヤ人金貸しは必ずしも必要なものではなくなった。
ピエタとほぼ同時期にいわゆるゲットーが誕生しているのもそうした事の表れである。


■書評:松下冽*15『グローバルサウスにおける重層的ガバナンス構築:参加・民主主義・社会運動』(2012年、ミネルヴァ書房)(評者:後藤政子)
(内容要約)
 インド・ケララ州でのインド共産党の政権獲得と、ブラジル・ポルトアレグレ市でのブラジル労働者党(現在は国政与党でもある)の政権獲得を題材に「反新自由主義運動の展望を考える」というのが本書の内容らしい。
 ただし、著者はともかく、評者自体はインド共産党やブラジル労働者党を「反新自由主義」とまではいえず「漸進的新自由主義」と見なしているようであり、その評価は決して好意的ではないようだ(一方赤旗などは一応「広義の反新自由主義」、つまり社民主義と見なしているが「力不足から妥協することが多くその点では手放しで評価できない」と考えているようである)。

*1:著書『近世大坂地域の史的研究』(2005年、清文堂出版

*2:著書『歴史人口学で読む江戸日本』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*3:Lが確かレズビアン(女性の同性愛者)、Gがゲイ(男性の同性愛者)、B、Tはよく知らない。要するに「性的マイノリティ」と理解しておけばよろしかろう

*4:著書『フィリピン独立問題史:独立法問題をめぐる米比関係史の研究(1929〜46年)』(1997年、竜渓書舎)、『歴史経験としてのアメリカ帝国:米比関係史の群像』(2007年、岩波書店)、『東南アジア占領と日本人:帝国・日本の解体』(2012年、岩波書店

*5:中野「ゲイ権利運動とアメリカ政治」木本貴美子・貴堂嘉之編『ジェンダーと社会』(2010年、旬報社

*6:著書『近代スーダンにおける体制変動と民族形成』(2001年、大月書店)

*7:栗田氏の言う「6月30日革命」のこと

*8:著書『価値法則と史的唯物論』(1983年、亜紀書房)、『不均等発展』(1983年、東洋経済新報社)、『階級と民族』(1983年、新評論)、『開発危機:自立する思想・自立する世界』(1996年、文真堂)

*9:著書『戦後日本の平和意識:暮らしの中の憲法』(1997年、青木書店)

*10:著書『現代日本と沖縄』(2001年、山川出版社日本史リブレット)、『新版・沖縄現代史』(2005年、岩波新書

*11:著書『共和制憲法原理のなかの大統領中心主義:ペルーにおけるその限界と可能性』(2013年、日本評論社

*12:著書『日本古代王権の支配論理』(2009年、塙書房

*13:著書『比叡山室町幕府:寺社と武家の京都支配』(2011年、東京大学出版会

*14:著書『嘘と貪欲:西欧中世の商業・商人観』(2006年、名古屋大学出版会)

*15:著書『現代ラテンアメリカの政治と社会』(1993年、日本経済評論社)、『途上国の試練と挑戦:新自由主義を超えて』(2007年、ミネルヴァ書房)、『現代メキシコの国家と政治: グローバル化市民社会の交差から』(2010年、御茶の水書房