新刊紹介:「歴史評論」2月号(追記あり)

特集『大正デモクラシー再考』
興味のある論文だけ紹介する。詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

■『研究史整理と問題提起:1960〜1970年代を中心として』(千葉功*1
(内容要約)
・表題の通り研究史の整理が行われる。
・「大正デモクラシー」概念の提唱者*2については不明であるが、その概念の普及に大きく貢献した者としては信夫清三郎が上げられる。
 ただし信夫自身の著書『大正政治史(全4巻)』(1951〜1952年、河出書房)、『現代日本政治史第1(大正デモクラシー史・全3巻)』(1954〜1959年、日本評論新社)によって示された大正デモクラシー評価は決して高いものではなかった。
 信夫は
1)納税額制限を撤廃した普通選挙法の成立が大正末期(大正14年)であり、婦人参政権が認められない、治安維持法が同時に制定されるなどの限界があったこと
2)「吉野作造民本主義」はあくまでも「民主主義ではないこと」
3)「統帥権独立」「貴族院」「枢密院」といった非民主的制度は温存されたこと
4)そうしたこともあって日中戦争、太平洋戦争を避けられなかったこと
などからかなり低い評価をしていた。
 これに対し、ねずまさし*3は『批判日本現代史』(1958年、日本評論新社)で信夫の評価は過小評価であるとの批判を行った。
・一方、信夫以上に「大正デモクラシー」に批判的な人間としてはたとえば左派では井上清がいる。井上の弟子・松尾尊兌の著書『大正デモクラシーの群像』(1990年、岩波同時代ライブラリー)によれば井上は「民本主義とデモクラシー(民主主義)は違う」との理解の元、「大正デモクラシー」という用語を使用せず、「民本主義」と言う用語を使用し続けた。そのため、井上の著書『日本の歴史(下)』(1966年、岩波新書)には「大正デモクラシー」という言葉は一切登場しない。
・なお、井上のような左派だけでなく、右派からも「大正デモクラシー」概念への批判は行われている(伊藤隆の『大正期「革新」派の成立』(1978年、塙書房)、伊藤の弟子・有馬学の『日本の近代(4) 「国際化」の中の帝国日本:1905〜1924』(1999年、中央公論新社、後に2013年、中公文庫))。
・1960年代後半から1970年代前半にかけて「大正デモクラシー研究」は隆盛を迎える。代表的な論者は以下の四名である。
1)松尾尊兌*4
2)三谷太一郎*5
3)金原左門*6
4)鹿野政直*7
・1960年代後半から1970年代前半に隆盛を迎えた大正デモクラシー研究は現在ではそれほど盛んではない(この衰退を「大正デモクラシー概念に問題があったからか」「当時の研究者の問題意識はどういうものだったのか」など、どう考えるかという問題ももちろん重要である)
 ただし研究が全くないわけではない。1980年代以降の研究としては次のものがある。
1)栄沢幸二『大正デモクラシー期の政治思想』(1981年、研文出版)、『大正デモクラシー期の教員の思想』(1990年、研文出版)、『大正デモクラシー期の権力の思想』(1992年、研文出版)
2)安田浩『大正デモクラシー論:大衆民主主義体制の転形と限界』(1994年、校倉書房
3)岡田洋司『大正デモクラシー下の”地域振興”:愛知県碧海郡*8における非政治・社会運動的改革構想の展開』(1999年、不二出版)
4)源川真希『近現代日本の地域政治構造:大正デモクラシーの崩壊と普選体制の確立』(2001年、日本経済評論社

【2014年2/17追記】
・なお、千葉氏は何故か上げていないが、岩波新書から成田龍一*9大正デモクラシー』(2007年)が出ている。千葉氏が上げなかった理由は岩波新書は啓蒙書であり研究書ではないという理解であろうか?
・なお、本号と似たような問題意識(大正デモクラシーの限界)を『「『大正デモクラシー』はどうして戦争を止められなかったのか成田龍一氏インタビュー」』http://synodos.jp/politics/7102
で成田氏が述べているので紹介しておく。


■『デモクラシーのための国体:「大正デモクラシー」再考』(住友陽文*10
(内容要約)
・何故、大正時代にデモクラシー状況が出現したのか。その前提としてはいわゆる「日比谷焼き討ち事件」が重要である。「日比谷焼き討ち事件」で民衆は自らの政治的力を認識するとともにそれを「焼き討ちのような暴力的な形ではなく、合法的な形で表現する事」を当然望んだし、一方政府も、当然ああした民意の暴力的表現を望んでいなかった。そこで「デモクラシー(代議制民主主義)の形で民衆意思を解決する事」は政府にとっても民衆にとっても重要な課題となったのである。
・なお、日比谷焼き討ち事件でわかるように大正デモクラシーは当初から「排外主義的要素」を少なからず持っていた点に注意が必要である。
大正デモクラシーにおいては、主たる論者(例:吉野作造)は「天皇主権を批判し民主主義を唱えたこと」はなく、あくまで「天皇主権に立脚した民本主義」でしかなかった点に注意が必要である。
・なお、吉野が「天皇と国民(臣民)」の関係を「お互いに親密な愛情で結ばれた関係」としたことは重要である。「天皇主権」を否定できず、かといって「天皇専制的支配」を容認するわけに行かない吉野の苦肉の案と言える。なお、この吉野の主張はあくまでも「あるべき天皇・国民関係」という理念でしかない点に注意が必要。
 「天皇と国民は当然に愛で結ばれている」と言ってるわけではなく「そうあるべし」という話にすぎない。しかしこの吉野の見解が「当然の現実である」とされれば「天皇が愛を注いでるのだから当然お前ら国民はそれにこたえろ」という「忠君愛国の強制」「国民を縛る鎖」になってしまうわけである。


■『大正デモクラシーと紡績労働者』(三輪泰史*11
(内容要約)
・戦前の紡績労働者にとって「普通選挙制が実現するまでは選挙権がない以上デモクラシーは無縁」であった。
普通選挙後も「小選挙区制度では労働者政党の進出が困難な上、二大政党は保守政党」、「その結果、労組保護法規がなく、会社の労組潰しに有効な手が打てない」という状況下において、デモクラシーに対する評価は低く、むしろ「民主主義をブルジョアの支配思想に過ぎない」と見なし「社会主義革命」に対するシンパシーが強かったと考えられる。
・こうした状況は戦後大きく変化するが、そこには「労組保護法規が成立したこと」「社会党共産党が一定の政治力を有したこと」が大きい。
・そうした意味では大正デモクラシーは「階級下層」には広がりを持たない限界があったと言える。


■『「大正デモクラシー」と国民国家第一次世界大戦期の「横浜貿易新報*12」社説から』(加藤千香子)
(内容要約)
・加藤氏の理解では、有馬学『「大正デモクラシー」の再検討と新たな射程』・岩波講座『東アジア近現代通史4』(2011年)、住友陽文『皇国のデモクラシー:個人創造の思想史』(2011年、有志舎)など最近の研究は「大正デモクラシー」は「民主主義ではあったが排外主義や国粋主義の要素を含むもの」であり、「昭和ファシズム大正デモクラシーの断絶よりもむしろ継続を重視すべき事」を主張している。
 加藤氏も有馬や住友と同様の問題意識から「大正デモクラシーと昭和ファシズムの継続性」を指摘したのが本論文である。加藤氏は「デモクラシーによってベルルスコーニ(イタリア首相)やハイダーオーストリア首相)、ルペン、石原(東京都知事)、橋下(大阪市長)といった排外主義的政治家が登場する現代」においてそうした認識の重要性を指摘している。
・なお、加藤氏はこうした「民主主義と国家主義には時として親和性があるのではないか」という見方を広めた研究として、西川長夫の国民国家*13山之内*14の総力戦体制論*15をあげている。
・「横浜貿易新報」社説は民本主義普通選挙権実施という「大正デモクラシー的主張」を唱えたが、それは「民本主義普通選挙こそが大国日本にふさわしい」という国家主義的なものであった。
 またその「民本主義」はあくまでも「国内限定」であり「三一独立運動」については「武断統治批判」と、「文化統治への転換」は唱えられたものの「朝鮮独立」は何ら問題にされなかった。安倍の「中韓を蔑視しているとしか思えない外交方針」を考えるに戦後民主主義においても大正デモクラシーの「大国主義的デモクラシー」「日本国民限定デモクラシー」と言った性格は十分には是正されなかったと言える。「大正デモクラシーの限界」は今でも日本民主主義にとって現在進行形の問題なのである。

【2014年2/17追記】
きちんと読んでないが本号をとりあげた『都市伝説となっていた「大正デモクラシー」』(http://bushoojapan.com/scandal/2014/02/17/14471)を紹介しておく。何つうか俺だって同じネタを扱ってるのにブクマ数が違うのどういう事よと思う。あれか「釣りタイトル」か、そうじゃないかの違いか。
 ぶっちゃけ本号論文の要約部分(事実指摘部分)はともかく意見部分は俺に言わせれば酷すぎる。アホか、手前。
 なお、「都市伝説」という表現は明らかに不適切だと思う。
 大正時代に「ある種のデモクラシー」が存在したのは事実だが、それには問題(大国主義、排外主義など)があったとしてある種の見直しが進んでいることを「都市伝説」と呼ぶのはおかしいだろう。

戦後民主主義に対する同時代の危機意識があり、その危機が近年さらに深まっている」、つまり安倍政権批判なわけですが、大正デモクラシーが安倍政権攻撃への武器となりうるかもしれないと特集してみました、ということですね。

何でそういうとんちんかんな理解になるの?
掲載論文を読んだ上で考えるに、「大正デモクラシーが戦争を止められなかったこと」と「戦後民主主義が右翼宰相・安倍晋三を生み出したこと」には共通点があるのではないか、そこを注目してみようって話でしょ?。
あるいは「大正デモクラシーそのもの」じゃなくて「大正デモクラシー認識を深めること」が日本民主主義認識を深め、安倍批判に役立つんじゃないかって話でしょ?

ぶっちゃけると、左翼的な歴史観で生まれた概念です。

 おいおい、である。「ぶっちゃけると」なんか左翼に偏見持ってないか、お前。大正デモクラシーの中心人物として評価される吉野作造は左翼なのか?
 そもそも「大正デモクラシー」について、井上清は否定的だったと歴史評論掲載の千葉論文で指摘されてる(俺も上で指摘した)のに何で「左翼的な歴史観」云々となるのか。
 『元号制批判:やめよう元号を』(1989年、明石書店)、『天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)などといった本がある井上はガチ左翼だろうが。
 で井上清が「大正デモクラシー概念に否定的だった」という千葉論文の部分はどう扱ってるのかな、と思いきやびっくり仰天触れてない。おいおい。何で井上清をガン無視なんだよ。千葉氏は「大正デモクラシー概念は少なくとも過去においては左右双方からおおむね支持された」という世間に広まっている認識に対する批判として井上の名を上げてるのに。

冒頭の「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのかの問いの答えは、「大正デモクラシー」なんて無かった、という身も蓋もないものになりますが。

 だから「大正デモクラシーがなかった」んじゃなくて「大正デモクラシーは、排外主義、大国主義と言った問題点のある、限界のあるデモクラシー」だったの。評価出来る面はあるが手放しでは評価できんと。何で歴史評論論文の立場が読めないかね。
 なお、こうした「デモクラシーの限界性を問う」と言う理解は「何故、過去において欧米デモクラシーが植民地主義を容認したか」とか「何故民主主義国家イスラエルパレスチナに酷いことが出来るか」とかいった世界史理解にもおそらく有効だろう(そこまでは歴史評論掲載論文は言っておらず俺の個人的理解だが)。
 「デモクラシーの限界性」は現在においても重要な問題だろう。
 もちろん「だからデモクラシーなんて虚妄」とはならないのは言うまでもないが。


■『大正期の部落問題論と解放運動:支配の正当性と全国水平社の創立をめぐって』(関口寛)
(内容要約)
大正デモクラシー期の重要な事件の一つとしては「全国水平社の結成(大正11年)」を上げることが出来る。
・全国水平社については従来、「政府批判的な要素」に着目した研究が多かったが最近では「全国水平社といわゆる政府主導の融和運動との関係(全くイコールの訳はないが単純な対立関係でもない)」「一君万民論に基づく水平社の活動」「水平社の戦争協力」といったテーマの研究が行われている。
 また融和運動についても従来は限界を指摘し、水平社の優位を唱える研究が多かったが近年では「融和運動の限界」を指摘しつつも一定の評価を与える研究が出ている。
 そうした研究としては秋定嘉和『近代日本の水平運動と融和運動』(2006年、解放出版社)、朝治武『アジア・太平洋戦争と全国水平社』(2008年、解放出版社)などを上げることが出来る(なお、関口氏は解放同盟への批判が極めて手厳しい*16からなのか、著書名を何故か上げていないが金静美『水平運動史研究:民族差別批判』(1994年、現代企画室)もそうした著書の一冊であろう)。


■歴史の眼『安倍政権の「教育再生」政策は教科書をどう変えようとしているのか*17』(俵義文*18
(内容要約)
 もちろん「歴史評論」掲載論文なのでこの場合の教科書とは「歴史教科書」のことである。
 そして安倍がどのように変えようとしているか、詳細はともかく「おおざっぱな内容」は
1)安倍自らが河野談話否定論者で側近(下村*19文科相、稲田行革相など)も否定論者揃い
2)安倍が要職に登用した百田尚樹長谷川三千子NHK委員)、櫻井よしこ*20中教審委員)、八木秀次*21教育再生実行会議委員)もつくる会教科書を支持し、南京事件慰安婦の違法性や実在を否定する歴史捏造主義者揃い
ということで俵論文を読まなくてもバカでない限り誰でも予想がつく。「いわゆる近隣諸国条項の廃止」などにより「日本の加害記述(南京事件慰安婦など)を教科書から消したり、矮小化したりすること」である。
 問題はそうした安倍の愚行が今だ充分にマスコミ等に批判されていないこともあって、安倍の支持率が高い事である。
 道徳的にもそうした行為は許されるものではないが、それ以前に安倍靖国参拝で既に極度に悪化している中国、韓国との関係がさらに悪化させ、経済にも大ダメージとなるであろう。もちろんそうした安倍の行為は「東京裁判等により日本の侵略戦争を断罪して成立した戦後国際秩序への重大な挑戦」であり国際社会の認める物ではない。靖国参拝中韓だけでなく米国、EU、ロシア、東南アジア諸国などから批判されたのと同様の事態を招くであろう。
 安倍の暴挙をどう阻止していくか、まさに日本の戦後民主主義が問われていると言える。

参考
赤旗
『日本軍「慰安婦」、強制を否定、安倍首相が賛同、米紙に意見広告、4閣僚*22も、国内外の批判は必至、昨年11月』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-06/2013010601_01_0.html
『♪ナンバーワンにならなくてもいい♪、SMAPのヒット曲、この歌が子どもをダメにする!?、安倍政権「教育再生」メンバー*23の危険な持論、強制頼みの教育観、ゆがんだ歴史認識主張』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-27/2013072701_04_1.html
『教委を首長付属機関に、中教審答申 教育への権力支配に道』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-14/2013121401_03_1.html
教科書検定、政府見解記述求める、審議会、基準改悪の報告』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-21/2013122101_03_1.html
『「教育再生」の暴走:子どものため、みんなで阻止を』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-01-12/2014011202_01_1.html


吉川弘文館の新刊広告】
・平山優*24『長篠合戦と武田勝頼(敗者の日本史9)』
 長篠合戦*25で敗北したことや、武田家を滅亡させたことで「父・信玄と比べ暗愚の武将」と思われがちな勝頼だが『高天神城の戦い(1574年)』の勝利などから同時代人には一定の評価がされていた。「暗愚の武将」視されてきた勝頼の実像に迫る。
・木村涼『七代目市川團十郎の史的研究』
 「歌舞伎十八番」を制定し、歌舞伎界に功績を残した七代目。贔屓や成田山との関係、風俗取締政策などから、人物像を浮き彫りにする。(アマゾンの「内容紹介」)
・宮崎賢太郎*26カクレキリシタンの実像:日本人のキリスト教理解と受容』
 彼らは隠れてもいなければ、キリスト教徒でもなかった! オラショ(祈り)や諸行事に接し、日本民衆のキリスト教受容の実像に迫る。 (アマゾンの内容紹介)
 「隠れていなかった」は意味がわからない(明治維新後のキリスト教容認後も「カクレキリシタン」信仰が続いたという意味か?)。
 が「キリスト教徒でなかった」は想像がつく。
 鎖国キリスト教禁止政策によって「外国人宣教師の指導を受けることが出来ず」、次第に「隠れキリシタン」は「カクレキリシタン」とでもいうべき特異な新興宗教と化してしまったということだろう。
築島裕歴史的仮名遣い:その成立と特徴』(シリーズ・読み直す日本史)
 1986年に中公新書から刊行された著書の復刻。戦後に今の「現代仮名遣い」が登場するまで使われていた『歴史的仮名遣い』はどのように成立したのか、その歴史をたどる。

*1:著書『旧外交の形成:日本外交・一九〇〇〜一九一九』(2008年、勁草書房)、『桂太郎:外に帝国主義、内に立憲主義』(2012年、中公新書

*2:一般に信夫清三郎であると誤解する者が多くウィキペ「信夫清三郎」にも「提唱者」と記述されている。しかし千葉氏によれば信夫自身はそれを否定しており、提唱者と見なすのは適切ではない。

*3:ただしねずの著書の多くは『現代史の断面・ノモンハンの惨敗』(1993年、校倉書房)、『現代史の断面・ミッドウェー海戦』(1997年、校倉書房)など昭和史が対象

*4:大正デモクラシー関係の著書に『大正デモクラシーの研究』(1966年、青木書店)、『大正デモクラシー』(1974年、岩波書店、後に1994年、岩波同時代ライブラリー、2001年、岩波現代文庫)、『普通選挙制度成立史の研究』(1989年、岩波書店)、『大正デモクラシーの群像』(1990年、岩波同時代ライブラリー)

*5:大正デモクラシー関係の著書に『日本政党政治の形成:原敬の政治指導の展開』(1967年、東京大学出版会)、『大正デモクラシー論:吉野作造の時代とその後』(1974年、中央公論社

*6:大正デモクラシー関係の著書に『大正デモクラシーの社会的形成』(1967年、青木書店)、『大正期の政党と国民:原敬内閣下の政治過程』(1973年、塙書房)。なお千葉氏によると金原の1973年著書による原評価は「普通選挙法に原が否定的であったこと」「いわゆる我田引鉄政治(利益誘導政治)で当時から批判を受けていたこと」「政権維持のため、元老・山県有朋に妥協的態度を取ったこと」などからあまり高くない。

*7:大正デモクラシー関係の著書に『大正デモクラシーの底流:土俗的精神への回帰』(1973年、NHKブックス)、『日本の歴史27:大正デモクラシー』(1976年、小学館)。千葉氏によると鹿野の1973年著書は「大本教」「青年団運動」「中里介山(小説『大菩薩峠』で知られる作家)」など従来大正デモクラシーとは結びつけて考えられていなかった事柄に着目した点が特徴とのこと。

*8:愛知県にかつて存在した郡

*9:著書『司馬遼太郎の幕末・明治:『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』を読む』(2003年、朝日選書)、『増補・〈歴史〉はいかに語られるか:1930年代「国民の物語」批判』(2010年、ちくま学芸文庫)、『近現代日本史と歴史学:書き替えられてきた過去』(2012年、中公新書)など

*10:著書『皇国のデモクラシー:個人創造の思想史』(2011年、有志舎)

*11:著書『日本ファシズムと労働運動』(1988年、校倉書房)、『日本労働運動史序説:紡績労働者の人間関係と社会意識』(2010年、校倉書房

*12:現在の神奈川新聞社の前身

*13:西川『国民国家論の射程:あるいは「国民」という怪物について』(1998年、柏書房)など

*14:著書『ニーチェヴェーバー』(1993年、未來社)、『マックス・ヴェーバー入門』(1997年、岩波新書)、『日本の社会科学とヴェーバー体験』(1999年、筑摩書房)など

*15:山之内『総力戦と現代化』(共著、1995年、柏書房)など

*16:金静美本をきちんと読んだことはないが斜め読みした限り、全国水平社とその歴史を継承した部落解放運動(特に最大組織・部落解放同盟)に相当手厳しいと感じた

*17:もちろん「道徳教育の必修化」「教育委員会制度の廃止(ないし教育委員会権限の縮小による首長権力の強化)」など安倍の進めようとする右翼的教育制度改変は歴史教育の分野にとどまるものではない事を指摘しておく

*18:著書『ドキュメント 「慰安婦」問題と教科書攻撃』(1997年、高文研)、『徹底検証あぶない教科書:「戦争ができる国」をめざす「つくる会」の実態』(2001年、学習の友社)、『「つくる会」分裂と歴史偽造の深層:正念場の歴史教科書問題』(2008年、花伝社)、『「村山・河野談話」見直しの錯誤:歴史認識と「慰安婦」問題をめぐって』(共著:2013年、かもがわ出版

*19:第一次安倍内閣で副官房長官

*20:国家基本問題研究所理事長

*21:つくる会会長、現在、日本教育再生機構理事長

*22:下村文科相、稲田行革相、新藤総務相、古屋国家公安委員長

*23:八木秀次櫻井よしこのこと

*24:武田氏研究が専門。著書に『川中島の戦い』(2002年、学研M文庫)、『武田信玄』(2006年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『山本勘助』(2006年、講談社現代新書)、『真田三代:幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る』(2011年、PHP新書)など

*25:なお、いわゆる三段撃ち(従来は通説的見解だったが)が事実でないことは現在では明白である。

*26:著書『カクレキリシタンの信仰世界』(1996年、東京大学出版会)、『カクレキリシタン』 (2001年、長崎新聞新書)