新刊紹介:「経済」3月号

「経済」3月号の詳細については以下のサイトをご覧ください。興味のある記事だけ紹介してみます。
http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/

■随想「閲覧が禁止された図書」(西本武志)
(内容要約)
・筆者は日本勤労者山岳連盟(労山)会長で『十五年戦争下の登山:研究ノート』(2010年、本の泉社)と言う著書がある。
・安倍政権の特定秘密保護法強行採決を見て、戦前の「図書館閲覧禁止図書」を思い起こしたという話。
 その閲覧禁止図書とは『日本地理体系』全19巻(1930〜1932、改造社)。千代田図書館80年史(1968年)によれば1944年に「軍記保護に触れる恐れがある」との理由で閲覧禁止になったらしい。そうした「秘密主義国家」にならないよう一日も早く特定秘密保護法を廃止しよう、廃止前にも「不当な報道規制とは闘おう」というお話。


■世界と日本
欧州議会選挙が本格化(宮前忠夫*1)】
(内容要約)
 5月に予定される欧州議会選挙に触れている。この選挙でどのような結果が出るかがEU及び加盟国に影響するため、結果が注目される。

【安保戦略・防衛大綱の危険(白髭寿一)】
(内容要約)
 赤旗の記事紹介で代替する。

赤旗
『「国家安全保障戦略」・新「防衛大綱」・新「中期防」について:市田書記局長が談話』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-18/2013121802_02_1.html
『「戦争する国」へ大転換、安保戦略など閣議決定海兵隊能力を新設 敵基地攻撃能力に道』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-18/2013121801_01_1.html
『武器輸出三原則を廃止、国家安保戦略 新原則策定を明記』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-13/2013121301_04_1.html


特集「ASEAN*2と日本」
■座談会「東南アジアの経済と平和の共同」(堀中浩*3、古田元夫*4、毛利良一*5、西口清勝*6
(内容要約)
ASEAN(1967年、当初参加国はタイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール)はもともと反共主義同盟としての性格を持つものであった。フィリピンでは共産色の強いフクバラハップが政府に弾圧されているし、インドネシアでは1965年に「インドネシア現代史最大の暗黒史」ともいわれる930事件によって共産党員大虐殺が起こっている。
・しかしこうしたASEANの性格は1995年のベトナム、1997年のラオス加盟によって名実ともに変化したと言える。そうした背景には冷戦終結とそれに伴う地域情勢の変化(例:1992年にフィリピンから米軍が撤退)があった。
・1980年以降、ASEAN諸国は外資導入を積極的に進め、高い経済成長を実現している。
・日本もこうしたASEAN及び加盟諸国に対し、技術支援などを積極的に行っていくことが求められている。


■「ASEANにおける貿易構造の特徴」(小林尚朗*7
(内容要約)
・1980年代に「円高不況を克服するため」、日本企業は積極的に「製造拠点」としてASEAN諸国へ進出していった。こうしたこともあり従来、農産物輸出が主だったASEAN諸国も「工業製品輸出」が主たる輸出となっている。今後はいわゆる「中所得国の罠(成長が鈍化し、中所得国から高所得国へ移行できない状態のこと)」をどう回避するかが課題だろう。


■「マレーシアのアグリビジネス:パーム油開発のグローバル化」(岩佐和幸*8
(内容要約)
・1950年代、合成ゴムの開発により暴落した天然ゴムに変わる産品としてマレーシアで栽培が始まったのがパーム油*9の原料となるアブラヤシであった。
 1970年代から2000年代初めまで、マレーシアは世界最大のパーム油生産国であった。
・しかしこうしたアブラヤシ栽培は様々な問題を生んでいる。
 第一に熱帯雨林伐採による環境破壊である。
 第二に、2000年代以降の「インドネシアという強力なライバル」の誕生によるマレーシア・パーム油産業の不振である。
 第三にパーム油農場が低賃金長時間労働に頼っていると言う問題である(なお、第一、第三の問題はインドネシアのパーム油産業にも共通する問題である)。マレーシアのパーム油産業は大きな転換を迫られている。


■「フィリピン:経済発展の課題とグローバル化の波」(和田幸子)
(内容要約)
・フィリピン経済の特徴は「海外出稼ぎ者の多さ」である。国内に働く場がなければ、出稼ぎせざるを得ないのであり、国内雇用を生み出すだけの製造業がないことが非常に問題である。
・また財閥が大きな力を持っていることもフィリピン経済の特徴である。財閥は政治腐敗の温床でもあるし、また、今後のフィリピン経済の動向によっては「韓国経済危機(1998年)」によって現代財閥、大宇財閥が破綻したような事態も起きかねない。財閥問題の解決は今後の課題と言える。

参考

財閥(ウィキペディア『フィリピン』参照)
 植民地時代・独裁時代に一部の特権階層が経済を独占してきたアシエンダ制(大農園)の影響が残っており、財閥による寡占状態にある。不動産開発で成功したアヤラ財閥、砂糖プランテーションから不動産開発に多角化したアラネタ財閥、Ortigas Centerを所有するオルティガス財閥、ミンダナオのバナナプランテーションや銃器メーカーArmscorで有名なツアソン財閥、コラソン・アキノ大統領の父Jose Cojuangcoの興したホセ・コファンコ・アンド・サンズ社を擁すコファンコ財閥、Alfonso Yuchengco率いるユーチェンコ財閥、John Gokongwei率いるコーヒー会社や食品会社Universal Robinaで有名なゴコンウェイ財閥、ヘンリー・シィ率いるSM Prime Holdingsを擁すシューマート財閥などが知られている。


■「ミャンマーの歩みとASEAN」(西沢信善*10
(内容要約)
・1962年、当時の国防相ネ・ウィンがクーデターを起こしいわゆるビルマ社会主義を開始した。しかしこうしたビルマ社会主義は挫折し1988年の民主化運動をもたらすことになる。
民主化運動によってネ・ウィン政権は崩壊するが軍部クーデターが起こり、軍事政権が誕生。民主化指導者アウンサンスーチーが長期にわたり軟禁される。これに対し欧米諸国は制裁を実施、一方、中国やASEAN諸国は制裁に反対。1997年にはミャンマーASEANに加盟する。
・しかし長期の経済制裁に耐えかねたミャンマー軍事政権は民政移管へと動くことになる。
 2010年11月にミャンマー総選挙を実施。「総議席の1/4」はあらかじめ軍部に割振られた上、スーチーの国民民主連盟(NLD)が「軍への1/4割り振り」「スーチーが軟禁状態であること」など、軍事独裁政権に有利な選挙への抗議の意思表明として選挙をボイコットしたため、「選挙議席の8割」を「軍部の流れを汲む連邦団結発展党」を獲得するという問題の多い代物だった。
 しかし、軍部独裁体制がこれを機に終焉へ向かうこととなる。
・2011年3月には1992年より長くミャンマーの最高指導者だったタン・シュエ国家平和発展評議会議長が退任。
 2010年総選挙議会によってテイン・セイン*11連邦団結発展党党首が大統領に選出される。
 2012年4月にはスーチーの軟禁を解くとともにスーチーらNLDの選挙立候補を認め、スーチーを含む40名が当選するNLDの圧勝となる。
・問題は今後のミャンマー民主化の歩みである。スーチー解放とNLDの活動容認は大きな出来事だが「軍部の1/4議席割り当て」など軍部に有利な政治体制はまだ変わっておらず、政治犯が全て釈放されたわけでもない。またカチン族やカレン族との紛争も続いている。今後も民主化進展が推進されるよう国際社会の監視が必要であろう。
・一方、我らの麻生財務相がそう言う考えは多分あまりなくて「中国封じ込め&金儲け」の観点から円借款に気前良く応じたことは非常に問題だろう(例えば、日経『麻生財務相ミャンマー経済支援表明へ 3日に大統領と会談』(http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS01002_S3A100C1NN1000/)。

ビルマ社会主義(ウィキペ参照)
 政権を掌握した軍部によって作られた革命評議会は、社会主義路線の採用を発表。ただし科学的社会主義マルクス主義)は否定し、ビルマ族の主要宗教である仏教を社会主義の根幹に据え、ビルマ共産党とは対立した。
 なお、農業は国有化が実施されず、農作物の政府による強制買取にとどまった。都市部の個人商店は全て国営となった。旧ユーゴスラビアからの技術支援を受けて工業化も進められたが、「鎖国」政策による外資の排除や社会主義政策による非効率により工業化が達成される事は無かった。
 民族主義的政策として、外資排除の他、外国人の短期入国(1970年代には入国した外国人は24時間以内に退去しなければならないという法令が出された)さえも拒否して事実上の「鎖国」体制を築いた。 外交的には旧東側諸国とは旧ユーゴスラビアを除いて疎遠であり、旧東側諸国はビルマ社会主義を「紛い物の社会主義」と非難した。ビルマは東南アジアでは早い時期に中華人民共和国を承認した国であったが、中華人民共和国ビルマ共産党に対する軍事支援を開始すると、一気に対立状態に至った。 社会主義的政策をとる一方でビルマ共産党と激しく軍事衝突している事は、アメリ国務省の関心をひきつけた。一方、ネ・ウィンも反米政策は取らず、その結果、ネ・ウィン政権は1980年代半ばまで限定的にアメリカの支援を受けていた。
 外資や外国文化は「ビルマの価値を損なう」として基本的に拒絶の姿勢を取った。特に旧宗主国のイギリスについては影響の排除が徹底的に図られ、1970年には対面交通がイギリス式の左側通行から右側通行に変更された。また、それまでビルマ国内で活動していた海外企業、世界銀行などの国際機関や外国の各種団体(ミッションスクールを運営するキリスト教団体やNGOなど)も閉鎖や追放となった。農業においては完全な国営化は実施されなかったものの、小作農から地主への小作料の支払いが廃止された。これにより、イギリス統治時代から存在していたインド系の地主が生活基盤を失い、その多くがインドに引き揚げた。また、ナイトクラブ、ダンスホール、競馬場、レストランといった各種遊興施設も閉鎖が強行された。
 土着化していた華僑や印僑の商店や企業も強制的に閉鎖されて、その穴埋めとして軍人が経営に乗り出す事となった。経営の実務に未熟な軍人が乗り出すことによって経済は混乱した。また、華僑や印僑の出身国である中国やインドとの関係も緊張する事となった。
 また、ウー・ヌ政権同様、仏教を政治の根幹の一つとしている事から、キリスト教の多いカレン族やカチン族と対立し、民族紛争の要因ともなった。
 1961年のクーデターにより政党は全て解散・非合法化されて、ビルマ社会主義計画党による一党独裁制となった。しかし、「ビルマ国民は国軍を父とせよ」というスローガンに見られるように、ネ・ウィンの支持基盤は軍部であり、計画党員の大半は軍人であった。この軍部の強い関与はビルマ社会主義の大きな特徴であり、体制崩壊後のミャンマー軍事政権の大きな足がかりとなった。
 1980年代には政策が行き詰まりを見せ、他の社会主義諸国同様に闇経済がはびこる事となった。ネ・ウィン政権はこの闇経済に打撃を与えるべく通貨チャットの一部廃貨など強硬策を打ち出した。これらの事も要因となり、1988年に民主化運動が勃発するに至った。その直後に発生した軍部クーデターによりネ・ウィンは引退に追い込まれ、ビルマ社会主義は終焉した。


■「インドネシア経済の復興・成長と現局面」(林田秀樹)
(内容要約)
インドネシアは世界第4位の人口(約2億5000万人)の人口を抱える国であり、また2007年以降2012年まで、世界金融危機の影響で成長が4%に落ち込んだ2009年を除けば、年平均6%の経済成長を達成しており注目されている。
インドネシアが現在抱える問題としては以下のことが上げられる。
 第一に貿易赤字の問題である。
 第二に財政赤字の問題である。政府は財政赤字の主要因を「石油への補助金」とみなして削減を検討しているが補助金削減による「石油価格の高騰」による国民の反発にどう答えていくかが問題である。
 第三にインドネシア通貨・ルピア安の問題である。ルピア安によって輸入物価の高騰が懸念される。
 第四に賃金の上昇である。低賃金をウリに外資を誘致してきたが、賃金の上昇によりミャンマーなどより安い賃金の国へ外資が行くようになっている。賃金上昇という不利な条件の中、どのように外資を誘致するか、また外資誘致とは別にどう民族資本を育てていくかが課題だろう。


■「日本企業の株主構成の変化と財界の蓄積戦略の新段階」(藤田宏)
(内容要約)
・2000年代に入るまで日本にはメインバンクの区別による、いわゆる6大企業集団(6大企業グループ)が存在した。
 具体的には三菱、芙蓉(富士銀行)、三井、三和、第一勧銀、住友の6つである。
 しかしグローバル化対応により2000年代以降、銀行再編が進み、6大企業集団も再編されることになる。具体的には三井住友、東京三菱UFJ*12、みずほ*13の三大銀行に再編された。
・2000年代以降の大きな変化としては他に外資株主の増加、信託銀行株主(日本マスタートラスト信託銀行*14日本トラスティ・サービス信託銀行*15)の増加が上げられる。


■「外需依存的成長の限界と転換の課題」(村上研一*16
(内容要約)
2000年代以降の日本経済を「外需依存経済(対外輸出依存経済)」とした上で、
1)「内需を軽視し、外需依存にとって有利な経済環境」を作り出すために構造改革(非正規雇用の増加などによるコストカット)が実施された
2)しかしそのことにより内需が縮小し、不況を深刻化させた
3)賃金増大や雇用の安定化、社会保障の充実によって内需を拡大することが景気回復の上でも重要であるとする。

*1:著書『週労働35時間への挑戦:戦後ドイツ労働時間短縮のたたかい』(1992年、学習の友社)、『人間らしく働くルール:ヨーロッパの挑戦』(2001年、学習の友社)

*2:現在加盟国はインドネシアシンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイベトナムミャンマーラオスカンボジア

*3:編著『グローバリゼーションと東アジア経済』(2001年、大月書店)

*4:著書『ベトナム人共産主義者の民族政策史:革命の中のエスニシティ』(1991年、大月書店)、『歴史としてのベトナム戦争』(1991年、大月書店)、『ベトナムの世界史:中華世界から東南アジア世界へ』(1995年、東京大学出版会)、『ベトナムの現在』(1996年、講談社現代新書)、『ホー・チ・ミン:民族解放とドイモイ』(1996年、岩波書店)、『ドイモイの誕生:ベトナムにおける改革路線の形成過程』(2009年、青木書店)

*5:著書『グローバリゼーションとIMF世界銀行』(2001年、大月書店)、『アメリカ金融覇権終りの始まり:グローバル経済危機の検証』(2010年、新日本出版社

*6:著書『現代東アジア経済の展開:「奇跡」、危機、地域協力』(2004年、青木書店)

*7:編著『東アジアのグローバル化地域統合』(2007年、ミネルヴァ書房

*8:著書『マレーシアにおける農業開発とアグリビジネス:輸出指向型開発の光と影』(2005年、法律文化社

*9:マーガリンや石けんの原料。最近はバイオ燃料としても注目されている

*10:著書『ミャンマーの経済改革と開放政策:軍政10年の総括』(2000年、勁草書房

*11:軍事政権において国家平和発展評議会第一書記

*12:東京三菱銀行UFJ銀行が合併。なお、UFJ銀行三和銀行東海銀行の合併で誕生した

*13:第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行が合併

*14:東京三菱UFJ銀行系列

*15:三井住友銀行系列

*16:著書『現代日本再生産構造分析』(2013年、日本経済評論社