今日のMSN産経ニュース(6/20分)(追記・訂正あり)

■【河野談話検証】「信用性を問う性格のものではない」、但木敬一座長(会見要旨)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140620/plc14062023430021-n1.htm

 「河野談話作成過程検討チーム」の但木敬一座長が20日、報告書提出後に行った記者会見の要旨は次の通り。
【検証作業のスタンス】
 できるだけ公正な立場で、河野談話が出てきた経緯を検証しようとした。信憑性には立ち入らないことになっていた。
【談話作成の背景】
 当時の日韓両政府は、慰安婦問題を乗り越えて新しい未来志向の日韓関係を築きたいという願いがあって、互いの立場を踏まえて談話の文言の調整を行ったと考える。
【聞き取り調査の目的】
 (検証作業の結果、)聞き取り調査は、これまでの調査結果が客観的に正しいものであるかどうかの確認作業と、日本政府が慰安婦の方々に寄り添って心情をくみ取ることに主眼があった。必ずしも、新しい事実を発見するとか、談話の文言を確定するとかの目的ではなかったので、法廷証拠のような信用性を問う性格のものになっていない。
 「裏付け調査がなかったから聞き取り調査は大欠陥がある」というのは、聞き取り調査の目的とずれている気がする。

 太字部分(小生による太字強調です)なんか、どう見ても産経の河野談話への因縁を支持していない、むしろ吉見義明氏*1らの言い分を支持してるようにしか見えませんが産経的にコレでいいんですかね。
 もちろん、だからといって小生は「安倍首相の検証作業は河野談話否定が目的でなかった」だの「この検証作業に問題はない」だの言うほどバカでもありませんが、「ありませんが」、国内外の批判、特に米韓の批判(それも特に米国の批判)に怯えた安倍が「公然と河野談話撤回は出来ない」「検証チームの面子もあまり露骨に変な人間は入れられない」と考えたがゆえに検証とやらの結論が「河野談話のどこが問題なの?(検証批判派)」「いやそもそも問題があるなんて言ってないんです(但木座長)」という「安倍の当初予定とは全然違う、ねじれた代物」になってしまった事は事実です。 


■【河野談話検証】「日韓指導者は大局的判断を」 検証報告に河野洋平*2
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140620/plc14062019530014-n1.htm
 まあ、河野氏としては正直、自分を侮辱する連中とつるんでる安倍に不快感で一杯でしょうが
・動機はともかく安倍が談話継承を一応認めた
・談話を否定したい思い満々の安倍による検証チーム設立だったが米韓の批判で露骨に談話否定の方向に持っていく事を安倍が断念した(産経は談話発表前の韓国との事前交渉に言いがかりつけてますし、安倍も本心ではそれに乗りたいのでしょう。が別にそんな事は談話の否定根拠にはなりませんし、さすがの安倍も公然とそうした言いがかりに荷担は出来ない訳です)
ことを「それなりに評価し」あえて波風立てない方がいいという判断でしょう。
 「自分が騒ぐと日韓関係がぐちゃぐちゃになってかえってまずくないか」「息子(河野太郎*3議員)の立場が悪くならないか*4」などいろいろと悩みもあるのでしょう。


■【河野談話検証】「談話の見直しは事実上不可能」、菅官房長官記者会見(一問一答)
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140620/plc14062021140016-n1.htm

日本が韓国と談話を外交交渉で発表したわけだから、相手がいるので一方的に見直すことはできない

そんなことは「検証」なんぞやる前からわかっていた事でしょうに。それとも「一方的には見直さないが、共同作業での見直しを要求する」んでしょうか。応じないだろ、向こうが。


■【河野談話検証】元検事総長を座長に5人中3人は女性、検討チーム顔ぶれ
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140620/plc14062021150017-n1.htm

 平成5年の河野洋平*5官房長官談話の作成過程などを検証した検討チームは、但木敬一検事総長を座長に、慰安婦という女性にとってデリケートな問題を扱うことに配慮し、5人中3人が女性で構成された。
 但木氏のほかは、現代史家で慰安婦問題に詳しい秦郁彦*6国際法国際紛争の司法解決を専門とする秋月弘子*7亜細亜大教授と河野真理子早大法学学術院教授、さらに元慰安婦におわびの手紙と「償い金」を支給した「アジア女性基金」で理事を務めたジャーナリスト有馬真喜子氏がメンバーに入った。

 産経とともに慰安婦を侮辱するネトウヨ脳の秦*8を除けばまあ、「女性ジャーナリストとは櫻井よしこ*9ではないのか」などと「危惧されたより」はまともな人選だったといえるでしょう。
 特に意外なメンバーが「元アジア女性基金理事」の有馬氏ですね。
 有馬氏の参加を「慰安婦に対する裏切り、安倍への屈服」と見るか、「変な見直しがされるくらいなら元女性基金理事の自分が面子を引き受けるという、苦悩の末のある種の現実主義」と見るか、どう見るべきかはともかく、「その経歴からして絶対に河野談話撤回など認めるわけがない」有馬氏を参加させた時点で「河野談話全否定」という「日本にとって最悪の路線(一方で産経が最も希望する路線)」を安倍が放棄したことは否定できないでしょう。米韓が「河野談話撤回など認めない」と言う意思を明確にしているのに、それを無視して米韓を完全に敵に回す路線を安倍はさすがにとれなかったわけです。
 こうしてみると安倍が「委員の名前を隠し続け、議論も公開しなかった」のは左派が危惧したような「ウヨ委員でがっちり固める」ということではなく、「よりによって元女性基金理事の有馬なんかメンバーにしやがって!」「秦さん以外俺達の仲間と言える人が一人もいないじゃないか!」などというウヨの抗議を恐れたからで皮肉にも安倍のしている事は「韓国政府と談話の事前調整をしながらそれを隠し続けた宮沢*10政権関係者」と同じである事を安倍本人や菅官房長官らはどう思ってるんでしょうか。
 そしてたぶん産経や島田洋一安倍信者連中は安倍に向かって「元女性基金理事の有馬なんかメンバーにしやがって」とは絶対に言わないでしょうね。首相が安倍以外なら「有馬がメンバーってどういう事だ!」位平気で言ってるでしょうが。


参考

http://www.awf.or.jp/3/persons-16.html
アジア女性基金の償い事業実施に関わった関係者の回想
有馬真喜子:アジア女性基金理事
 1933年生。57年朝日新聞社入社、68年よりフジテレビ・ニュースキャスター。国連婦人の地位委員会日本代表。95年アジア女性基金理事、副理事長。98年国民生活センター会長。04年よりユニフェム日本国内委員会理事長。06年女性人権機構設立、理事長。


 その日の朝に、発言のテキストの英語と日本語が合致してなかったの。それを刷り直したんですよ。大使館を挙げてやってくださっていました。・・・ロサさんたちは4人おいでになるはずだったんです。ところが3人に減ったんです。お一人はどうしても顔を出したくないということでした。入ってこられたとき、みんな晴れ着じゃないですか。とっても明るい。びっくりしました。あれは本当うれしかったですね。・・・やっぱりあのときは涙が出ましたね。本当に、晴れやかな格好をして、穏やかにおばあさんたちが座ってるじゃないですか。この人たちが少女のときに慰安婦にされて、兵たちが毎日、それこそ性奴隷にしてたんだって思うと、私たちの国は何をしてきたんだという感じがありましたね。

http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/716bce3591f17789de861a9b4ab61f1e
■矢嶋武弘*11の部屋「有馬真喜子さんのこと」
 書こうか書くまいか迷っていたが、やはり書こう。有馬真喜子さんと言ってもほとんどの人は知らないが、先日、たまたまテレビを見たら彼女が出ていた*12。有馬さんはフジテレビの番組審議会委員長*13だそうだ。私は急に懐かしくなって、胸に熱いものが込み上げてきた。それほど懐かしいのである。彼女は御年80歳になるが、相変わらず若々しくて愛らしい(笑)。とても80歳には見えない。なんだか有馬さんにゴマをすっているようだが、もちろん他意はない。
 有馬真喜子さんに出会ったのはもう40年以上も昔になるが、履歴*14によると、彼女は1968年にフジテレビとニュースキャスターの専属契約を結んだとある。その頃のことはよく知らないが、それから数年して報道の現場で出会ったのが最初だと思う。
 有馬さんは朝日新聞の記者からテレビキャスターに転進*15したのだが、その頃は女性の新聞記者も極めて珍しかっただろう。まして、新参の民放テレビ局には女性記者などは皆無だった(ただし、NHKを除く)。もちろん、女性のニュースキャスターなどはいなかったと思う。ごめん。唯一、TBS出身の木元教子さん*16が女性初のキャスターになっていただろうか。
 あまりに昔のことなのでよく覚えていないが、とにかく有馬さんは木元さんと並んで、女性テレビキャスターの“草分け的”存在だった。その頃は保守反動(?)のフジテレビが、よくも木元さんや有馬さんをキャスターに抜擢したもの*17と感心するが(笑)、それも時代の流れだったのだろう。こうして私は有馬さんに出会ったのだが、女性が報道の現場にいるということが非常に珍しい時代だった。
 そういう意味で有馬さんは大いに注目されたが、(注:新聞記者出身で)アナウンサーではないから、原稿を読むのは決して上手とは言えなかった。つっかえたりミスをしたりと周りをハラハラさせたが、われわれは“紅一点”の彼女を大いに支えたつもりだ。というのも、彼女は明るい性格で誰からも好かれる人柄だった。8歳年下の私から見れば、愛らしい“お姉さま”という感じだった。それで皆が有馬さんを支え励ましたと思うが、彼女ももちろん、一生懸命努力したと思う。
 取材の現場に行くと、よく朝日新聞の記者から言われた。「有馬は大丈夫なの?」とか「あの有馬がニュースキャスターとはね・・・」とか、なかなか厳しいご意見である。私はもちろん彼女をかばったが、朝日の記者の中には、昔の有馬さんのことを暴く者もいた。彼女が駆け出しの記者時代に、ある凄惨な事件現場に行ったら“腰を抜かした”などと古い失敗談を披露するのだ。しかし、これも有馬さんが当時珍しい女性記者だったから注目を集めていたのだろう。
 このように、何事も草創期の人たちは苦労する。まして、記者やキャスターなど完全に男性優位の職場に1人の女性が立ち向かっていくのは、今では想像もできないほど大変だったろう。そういう意味で、有馬さんはよく頑張ったと思う。いま80歳の彼女がとても元気そうなのを見て、私もなにか励まされたような感じだ(笑)。胸に熱いものが込み上げてくる。“お姉さま”を強引に飲み会に誘ったり、私のどうでもいい自費出版の本を無理に贈呈したりと、懐かしい思い出がよみがえってくる。
 まだ書き足りないが、自分自身のボロがあまり出ないうちに止めておこう。番組審議会委員長はどうでもいいが、有馬さんがますますお元気に活躍されるよう陰ながら祈る。最後はやはりゴマすりになってしまったか。

http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-6544.htm
有馬真喜子
■職歴・経歴
 1933年生まれ。57年、津田塾大学英文科卒業。同年、朝日新聞社入社。記者として、横浜支局・本社学芸部などに勤務。68年から85年まで、フジテレビと専属契約し、ニュースキャスターとして「奥様ニュース*18」等を担当。88年、(財)横浜市女性協会常務理事、横浜女性フォーラム館長に就任。91年から02年まで同理事長、98年から03年まで国民生活センター会長を務める。02年、(財)横浜市女性協会顧問に就任(05年に(注:横浜市男女共同参画推進協会に)組織名変更)。04年、NPO法人ユニフェム日本国内委員会理事長に就任。
 主な公職として、国連婦人の地位委員会日本代表、世界人権会議日本政府代表、第4回国連世界女性会議日本政府代表顧問、国連子ども特別総会総理大臣個人代表等を歴任。他に、国民生活審議会、中央社会福祉審議会、雇用審議会、男女共同参画審議会等の委員、(社)農山漁村女性生活活動支援協会会長等を歴任。現在、フジテレビ番組審議会委員長、国民生活センター特別顧問、(学)津田塾大学理事等。


【追記】
どんどん話がずれてしまいますが、「有馬氏ってどんな人やろ?」と思ってググって見つけた矢嶋武弘氏のブログエントリがなかなか面白いので一つ紹介してみる。

http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/6f2214790ed7da2fcd93383b64fdcaa3
 Fテレビ社屋の移転のことである。新宿・河田町の社屋が狭くて不十分なのは分かっているが、さてどこに移転するのかと皆が関心を持つようになった。色々な候補地があったようだが、最終的に台場の埋立地に決まった時は驚いた。東京湾に面した何もない所に行くのかと、多くの社員がいぶかったのは無理もない。
(中略)
 埋立地は東京都のものだから、都と賃貸借契約を結ばなければならない。水面下で色々な交渉があったのだろう。その頃だったか噂があれこれ流れたが、中川一徳氏の著書『メディアの支配者』(講談社文庫*19)によれば、お台場の土地取得をめぐってFテレビが、当時の鈴木俊一*20知事に1000万円の闇献金をしたとはっきり書いてある。もちろん、私のような平社員は何も分からないが、日枝社長*21らFSグループの幹部は相当な手を打ったのかもしれない。
 もう一つ不可解だったのが、総工費1350億円と言われるFテレビ本社ビル建設の受注先が、鹿島建設一社だったことだ。これほどのビッグプロジェクトはふつうジョイントベンチャー共同企業体)で施工されると思うが、なぜか鹿島だけが受注したのである。
(中略)
 昔からFテレビと仲が良かった北野建設長野市)の社長などは烈火のごとく怒ったという。一部でも受注できると期待していたのが裏切られたからだろう。
(中略)
 日枝社長が鹿島建設から金を貰ったのではという噂話が出たが、果たせるかなその後、某週刊誌が日枝さんの「新居移転」に関する記事を載せた。また、右翼だかの政治団体が連日、台場のFテレビ前で宣伝カーに乗ってうるさく抗議したりした。詳しいことは覚えていないが、日枝社長が練馬区石神井から杉並区・西荻南の豪邸に移る際、鹿島建設から資金援助を受けたというのである。しかし、そんなことは一社員に分かるわけがない。私はそのまま忘れてしまったが、この話はその後も尾を引いた。だが、もうそんな話は止めよう。だんだん不愉快になってくるだけだ。
(中略)
 いろいろ書きたいことはあるが、“個人攻撃”みたいになるのは本意ではない。この連載はひとまず休止するとして、Fテレビと自分のことについては、また別の角度からアプローチしていきたいと思う。今回の連載は、労働組合派VS非組合派の葛藤を軸にまとめたつもりである。それでは又(未完)(2012年2月17日)

*1:著書『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット

*2:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長などを歴任

*3:小泉内閣総務大臣政務官、法務副大臣などを歴任

*4:本来、親と子は別人格ですがそういう常識が安倍一派に通用するとも思えません。

*5:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*6:著書『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮選書)

*7:著書『国連法序説:国連総会の自立的補助機関の法主体性に関する研究』(1999年、国際書院)

*8:秦のメンバー入りは予想通りですけどね。そこは吉見義明先生一択だろ。先生が断るかもしれんが。

*9:もちろん実際には有馬氏

*10:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣蔵相を歴任。

*11:ブログプロフィールによれば元フジテレビ社員

*12:「有馬氏がフジテレビの番組審議会委員長」という話の流れからしてその番組とは「週刊フジテレビ批評」か?

*13:フジテレビサイト(http://www.fujitv.co.jp/company/action/shingikai/meibo.html)参照。フジテレビの表記は「酒井真喜子」だが、たぶん酒井か有馬のどちらかが「旧姓」なのだろう(どっちが旧姓か調べるほどの興味はさすがにない。個人的にはこういうのは混乱を招くからやめて、どちらか一つに統一して欲しい)。なお、単なる偶然か必然か知らないが「今回、河野談話見直し検討会座長の但木元検事総長がフジテレビ番組審議会副委員長である」。「フジテレビ番組審議会委員2人(有馬氏、但木氏)が見直し検討会メンバー」とは偶然にしては出来すぎの気もするし「フジテレビと言えば安倍とずぶずぶのフジサンケイグループ」だがこれ以上書くと完全に陰謀論になるので疑問を指摘しておくだけにしておく。フジテレビ番組審議会委員メンバーに「日本教育再生機構理事長・八木秀次」、「元・産経抄担当者の石井英夫」がいるのはフジサンケイグループ企業らしい。

*14:http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-6544.htm参照

*15:朝日記者からキャスターに転進した筑紫哲也氏や、毎日記者からキャスターに転進した鳥越俊太郎氏の先輩と言えるか。

*16:TBS(当時・ラジオ東京)に嘱託採用アナウンサー(編成局嘱託)として1956年に入社(1957年5月社員採用)。1958年3月、TBSを退社し、フリーとなり、フジテレビ「小川宏ショー」(1965年〜)、「3時のあなた」(1968年〜1969年)の初代司会者となった。その後、フジテレビと契約、初のメイン女性ニュースキャスターとなる(ウィキペ「木元教子」参照)。

*17:つうかあのフジテレビが朝日出身者をキャスターに抜擢するのが理解できない。産経はあれほど朝日を敵視してるのにやはりフジは少し違うのか?

*18:1966年4月から1982年3月までフジテレビで放送されていたスポットニュース(ウィキペ「FNN奥さまニュース」参照)

*19:2009年刊行

*20:自治事務次官、岸内閣官房副長官東京都副知事東龍太郎知事時代)、日本万国博覧会事務総長、首都高速道路公団理事長などを経て都知事

*21:役職は当時。現在は会長