今日のMSN産経ニュース(9/24分)

■【正論】先の大戦を忘れたふりした代償(都留文科大学教授・新保祐司
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140924/plc14092405010005-n1.htm

 (注:日本人は)自ら大東亜戦争とは一体何であったのかという大いなる問い*1に向き合わなければならないのではないか。
(中略)
 「紀元*2二千六百年*3」を祝う行事はさまざまに催されたが、音楽についていえば、多くの「奉祝楽曲」が書かれた。私が本欄で度々触れている信時潔の交声曲「海道東征」もそのうちの1曲*4である。
(中略)
だが、時代は変わろうとしている。来年11月20日、信時の生まれた大阪で「海道東征」の演奏会が産経新聞社の企画で開催されることになった。戦後70年以降の日本の「弥栄」を祝う最大の行事といっていいのではないか。今年2月11日には熊本で戦後2回目の演奏会があった。来年は大阪だ。遂に「東征」が始まったのである。

ばかばかしいですね。産経など右翼が右翼的思惑から「海道東征」の演奏会をやることのどこが「時代は変わろうとしている」なのか?
 つうか俺個人は「海道東征」でも何でもやりたきゃやればいい、「日本人なら海道東征を称えよ」なんて馬鹿な事を言わない限りいいと思いますが、そんなことしたところで「紀元二千六百年当時に日本がした戦争(日中戦争、太平洋戦争)が正しかった」事になるわけでも何でもありません。
 産経はどうやら「紀元二千六百年当時に日本がした戦争が正しかった」事にしたいようで、「海道東征」の演奏会もそう言う意味があるようですが。

 (注:紀元2600年記念行事の)このとき、日本人の作曲家(注:信時潔)だけではなく、外国の著名な作曲家*5にも作曲の依頼がなされた。その中でも特に有名なのは、ドイツのリヒャルト・シュトラウスの作品である。しかし、この曲もめったに聴ける曲ではない。R・シュトラウスの音楽としては重んじられていないからである。
 その曲が6月15日にNHK Eテレの「クラシック音楽館」で放送されたのには驚いた。指揮者はネーメ・ヤルヴィ、4月23日にサントリーホールで行われたNHK交響楽団の定期公演の録画であった。恐らく、NHKで放送されたのは、戦後初めてではないか。
 こんな「戦後民主主義」に合わない曲*6を演奏することになったのは、インタビューを見ると、指揮者の意向によるものであったことが分かる。この人は、いわゆる名曲を指揮するのは退屈で、珍しい曲を指揮したいと言っていた。
 それで、今年生誕150年のR・シュトラウスの音楽を揃(そろ)えた公演で、演奏されることの稀(まれ)なこの曲を取り上げたのであろう。
(中略)
 初めて聴いたが、つまらない曲であった。ドイツ人の祝典曲は、凡作でも演奏して放送するが、同じ祝典曲でも日本人・信時潔の傑作「海道東征」は取り上げない。ここに「戦後民主主義」の欺瞞が露呈している。

やれやれですね。取り上げられないシュトラウスの曲は「凡作だから仕方ない」呼ばわりし、一方同様に取り上げられない信時潔の曲は「名作なのに。取り上げないのは偏向だ」呼ばわり。何か客観的評価基準があるのかと言ったら多分ないでしょう*7。苦笑するしかないですね。

*1:既に国内的にも国際的にも「太平洋戦争(大東亜戦争)=無謀、無法な侵略戦争」で片がついてますがそれを産経は認めず「自衛」だの「アジア解放の聖戦」だの言い出すわけです。

*2:この紀元とは神武紀元のこと。神武天皇の即位(紀元前660年)から数える。もちろん神武は実在の存在ではない

*3:西暦1940年、昭和15年のこと

*4:ウィキペ「皇紀2600年奉祝曲」によれば他にはゴジラで知られる伊福部昭の「越天楽」、黒沢映画で知られる早坂文雄の「序曲二調」など。産経が信時「海道東征」にこだわる理由は不明です。

*5:ウィキペ「皇紀2600年奉祝曲」によればシュトラウス以外ではブリテン(イギリス)、ピツェッティ(イタリア)、イベール(フランス)、ヴェレッシュ(ハンガリー

*6:ウィキペ「日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲」によれば、この曲はわかっているだけでも2014年のN響の他にも「1955年、1958年のN響」、「1988年の読売日本交響楽団」、「1999年、2000年の仙台フィルハーモニー管弦楽団」、「2009年の東京フィルハーモニー交響楽団」があり、別に演奏がタブー視されてるわけでもないらしい

*7:どちらも、ユーチューブで聞くことができるのでちょっとだけ聞きましたが、2つの曲にそれほどの大きな違いがあるとも思いませんね。傑作かどうかはともかくシュトラウスの曲はまあ新保が酷評するほど酷くもないでしょう。好き嫌いで言えば2つともそれほど好きになれる名曲でもないですが、それは俺の趣味に過ぎませんので。