Mukkeさんの某エントリ(http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20141104/1415094349)が「本格ミステリ」について何か書いてたのに触発されての文章です。
まあ、大してミステリなど読んでないのですが、正直「本格ミステリ」てのは意味がわからない。また「本格」というと一般的には「本物」「本流(主流)」と同じ意味で使われることが多いわけで「お前ら自分をミステリ世界の保守本流だと自慢してるのか!」的な反感を感じるのて俺だけなんでしょうか。
一般には日本では「本格のライバル」としては長い間「社会派」というものがいてその雄が松本清張だったわけです。
ただ清張の代表作「点と線」はアリバイトリック崩しもの*1だし、短編小説「一年半待て」は一般に「本格派扱いされる」クリスティの「検察側の証人」の「清張流換骨奪胎*2」のわけです。短編「紐」も「アリバイトリック崩しか」と思わせて*3最後の落ちが「え、そういうトリックなの?*4」というのは何か「いわゆる本格ぽい気がします」けどね。
「ガラスの城」なんて叙述トリックもの*5もあります。
ガラスの城 (松本清張) - Wikipedia
「三上田鶴子の手記」と「的場郁子のノート」の二部構成となっている。
2-5 「新本格」以降 - 新・叙述トリック試論(孔田多紀) - カクヨム
押野武志*6「不連続殺人事件:本格ミステリと叙述トリック」(二〇〇六)も作品論。
松本清張『ガラスの城』(一九六二~六三)をとりあげます。同作は第一部が「三上田鶴子の手記」、第二部が「的場郁子のノート」という、手記形式の二部構成
有沢翔治の読書日記 : 松本清張『ガラスの城』(集英社)
いくつかのトリックが使われているのですが、目次を見た瞬間に一つは冊子がつきました。読み進めていくと案の定、信頼できない語り手でした。やったね。そもそも手記やノートが出てきたら、いや、一人称の推理小説は叙述トリックをまず疑ってかかるべきです。
つうことで「第三者の立場からの叙述」というありがちな書き方ではなくわざわざ「手記」を使ってる、てことで勘の鋭い人は「これはアクロイド殺しみたいな叙述トリックか?。叙述トリックが使いたいから手記なのか?」と勘づくかも知れませんけど。俺は気付かなくて「え、叙述トリックなの?」とびっくりですよ。相手が「社会派」「非本格扱い」される清張なので「油断してた」てのもありますけど、まあ、俺はミステリでは犯人あてとかできなくてすぐミスディレクションに引っかかりますね。
まあ、「砂の器」なんかは一応謎解きとは言え本格とは言えないかなとは思いますけど。
で「清張」でググって見つけた某エントリなんかは以下の通り「清張は本格だ!」と書いてるわけです。実は俺も同意見ですが。
http://d.hatena.ne.jp/sfx76077/20140206/1391659679
横溝が作品世界を、クイーンやクリスティのような洗練された都会に求めなかったのは、資質の問題も大きいだろうが、横溝は敢えて、見せかけの土着や怨念にどっぷり浸かりながら、緻密なミステリを展開したかったからではないのか。つまり、それ自体が壮大なミスディレクションとして機能するような。
実は、それは松本清張にも言えることだと思う。一度、社会派なるレッテルを貼られたら、精緻な本格ミステリであっても「ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうがやっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……絵空事で大いにけっこう。要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまでも知的に、ね」(綾辻行人『十角館の殺人』)といった考えから弾かれる作品群と見做されてしう。
しかし、清張は敢えてその手法を採らず、靴底をすり減らして捜査する刑事を登場させながら、本格ミステリを発表し続けたのだと思う。つまり、それ自体がやはり、壮大なミスディレクションだったってことですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~jb7y-mrst/BUN/03.html
こう見ていくと、「社会派」によって「本格」がすたれたのではなく、「本格」の作風が変化した、と捉えたほうが正しいようです。少なくとも松本清張作品はそうでした。
(中略)
ですから、「社会派推理小説」は「本格推理小説」と対立するものではなく、「本格推理小説」の昭和三十年代スタイル(のひとつ)として始まったのです。
(中略)
しかし、冒頭にも述べたように、昭和四十年代になると、社会派は急速に低迷します。昭和41年に企画され、翌年にかけて刊行された《新本格推理小説全集*7》によって、「社会派推理小説」はとりあえずの終焉を迎えた、といってもいいのではないでしょうか。
この全集の監修者は、企画の主旨を次のように述べています。(「推理小説通史」から引用)正直にいって、この時期に推理小説はその本来のあるべき性格を失いつつあった。その理由の一つは題材主義に倚りかかりすぎたためであり、一つはジャーナリズムが多作品を要求したため不適格な作品が推理小説の名において横行したことであり、もう一つは、その結果、推理作家自体の衰弱を来したことである。(中略)今や推理小説は本来の性格にかえらなければならない。社会派、風俗派はその得た場所に独立すべきである。本格は本格に還れ、である。
こう言って「新本格」を提唱した監修者は、なんと社会派の嚆矢とされた松本清張です。
(中略)
たしかにこの時点で「新本格」という名称が一般化することはありませんでした。しかし、他ならぬ松本清張によって、「社会派の役割は終わった」と宣言されたことは、記憶しておくべき事柄だと思います。
ここで、分類方法の話になります。
「社会派推理小説」は、通常、社会性の強い題材(社会問題)をテーマ、もしくは背景に選んだ推理小説につけられます。つまり、作品の題材によるジャンル名です。
ようするに「歴史ミステリ」「ご当地ミステリ」と同じようなジャンル分けです。「本格ミステリ」とはジャンル分けの方法が、根本から違うのです。
「歴史ミステリ」が「本格」かどうか、という議論が虚しいことは、誰しもすぐに理解できるでしょう。「本格」もあれば、そうでないものもある。ジャンルを分ける項目が違うのですから、当然です。
「社会派推理小説」には「本格」と言えない作品も含まれると思います。中にはミステリでさえないものもあるかもしれない。邦光史郎*8の作品などは、「サスペンスがかった企業小説」だと思います。(昔、一冊しか読んでないので、イメージだけで言っています)もっとも、「サスペンスがかった企業小説」もミステリの中にいれる人もいるでしょうけど。
ですから、「社会派推理小説」というカテゴリーを設定してもかまわないし、そういうテーマで一連の作品を語ることは可能だと思います。
でも、それは「本格推理小説」と対立させて語るべきではありません。
いわゆる「社会派推理小説」がすたれたとされる昭和四十年以降も、社会的なテーマを中心にすえたミステリー*9は書き続けられましたし、現在も多く出版されています。それを「社会派」という概念でくくって、そこになんらかの共通項を見出し、時代によるテーマのとらえ方の違いだの、題材となる社会悪の変遷を語ることは、有意義だと思います。それによって社会の移り変わりにより、大衆小説が社会問題をどう処理していったか、という興味深い問題が浮かび上がってくることもあるでしょう。
それと「本格推理小説」について語るのとは、語る次元が違います。昭和三十年代に「社会派」のせいで「本格」がすたれた、という言い方は、「本格」が最も大事にしなくてはいけない「論理性」を無視した論調です。
以上の今回の内容をもう一度まとめると、こうなります。
松本清張の(初期)作品は「社会派推理小説」と呼ばれたが、これは昭和三十年代型の本格推理小説だった。しかし、清張やそれ以後の作家の商業的成功によって、ミステリ味の少ない作品まで「社会派推理小説」の名前でくくられるようになり、「社会派推理小説」対「本格推理小説」という概念ができ上がってしまった。
もともと「社会派」と「本格派」は、分類すべき概念が違うのであり、対立すべきでも並列すべきでもない。
【追記あり】
Mukkeさんがリンク張ってる
■「本格(Honkaku)」という言葉が米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』のブログで紹介される
http://togetter.com/li/731215
にコメント。
なお、
■『ミステリの分類:その1 「本格」という言葉について』
http://www.asahi-net.or.jp/~jb7y-mrst/BUN/01.html
によれば「本格」の言葉の最初の生みの親は戦前のミステリ作家・甲賀三郎*10です。
ただ甲賀の場合、今の「本格」とは意味が違い
甲賀三郎のいう「本格だけが探偵小説である」という趣旨の言葉は、現在において解釈すれば、「パズル・ストーリイだけが推理小説である」という意味ではなく、「怪奇小説や異色短篇は推理小説ではない」ということになるのではないでしょうか。
(中略)
ここまでの「本格探偵小説」の解釈は、長谷部史親氏*11の『日本ミステリー進化論』[日本経済新聞社、1993]の主張に、ほぼのっとっています。というよりも、長谷部氏の主張を、私なりの解釈で言い直したに過ぎません。
長谷部氏は甲賀説を、英米流リアリズム文学の手法に則って犯罪の謎を追う推理小説が「本格」であり、そうでないものが「変格」なのである。
(中略)
当然ながら、フレッチャーやエドガー・ウォーレス*12らの活劇スリラーも、甲賀にとっては「本格」だったのである。とまとめ、さらに、「甲賀三郎の時代には、アメリカのハードボイルド推理小説はまだ勃興期であったが、もしも読まれていたならば「本格」に分類されていたのは疑いない。」と述べています。
と言う話です。
さてそれでは■「本格(Honkaku)」という言葉が米国『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』のブログで紹介される
http://togetter.com/li/731215
にコメント。
「ホンカクは当時日本のミステリ界で権勢を振るっていたシャカイハ(shakaiha)への反動として生まれた」。「現代の欧米のミステリは多くがシャカイハかヘンカクのどちらか、またはその両方だ」とも。ヘンカクについては「人の心の謎を反映させたもの」との説明。
「社会派と本格は対立概念じゃない」と思う俺がこのツイッターに賛同できないことは言うまでもないでしょう。
大体社会派が生まれたのは清張以降ですが、清張以前に既に「本陣殺人事件(横溝)」など本格は存在します。反動で生まれた訳じゃない。
また「変格」は提唱者・甲賀三郎の定義では「本格以外」と言う消極的定義でしかないので「社会派か変格」といった認識は正直理解ができません。
【2015年1/15追記】
なお、ふと思いついたのですが、清張全盛期には「ミステリではありません」が、
・山崎豊子『白い巨塔』(1963〜1965年、サンデー毎日連載)、『華麗なる一族(1970〜1972年、週刊新潮連載)』、『不毛地帯』(1973〜1978年、サンデー毎日連載)
・城山三郎『官僚たちの夏』(1975年、新潮社)
など社会派的な作品がいろいろと書かれてるわけで「社会派的な作品が受ける時代」だったんでしょう。
*1:「トリックのレベルが低い」とかそういうことは「本格性」の否定にならない気がします。
*2:と書くのはやはり「ネタバラシ」なんでしょうね
*3:実際アリバイトリック崩しはありますが、それは「点と線」とは違い、メインのネタじゃありません
*4:どういうトリックか一応知ってますが、さすがにそこまでネタバラシはしません。
*5:これもネタバラシなんでしょうね。
*6:北海道大学教授(日本近代文学研究)。著書『童貞としての宮沢賢治』 (2003年、ちくま新書)、『文学の権能:漱石・賢治・安吾の系譜』(2009年、翰林書房)等
*7:鮎川哲也『積木の塔』(後に、光文社文庫「鬼貫警部事件簿」等に収録)、高木彬光『黒白の囮』(後に光文社文庫「近松検事シリーズ」等に収録)といった一般に本格ミステリ扱いされる作家の作品も収録
*8:1922~1996年。1962年『社外極秘』で直木賞候補(なお、受賞作は、山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』、杉本苑子『孤愁の岸』)。1966年に『海の挑戦』で日本推理作家協会賞候補(なお、受賞作は、中島河太郎 『推理小説展望』)((邦光史郎 - Wikipedia参照)
*9:俺の知ってる作品だと1981年江戸川乱歩賞受賞作、長井彬『原子炉の蟹』 (講談社文庫)。題名で分かるように殺人の背景として原発問題が取り上げられている。
*10:1893~1945年。1915年(大正4年)、東京帝国大学工科大学に入学。1918年(大正7年)7月に東京帝大を卒業。和歌山県和歌山市の由良染料株式会社に技師として就職。1919年(大正8年)8月、染料会社を辞め、翌1920年(大正9年)1月、農商務省「臨時窒素研究所」の技手となり、窒素肥料の研究に従事。この研究所の同僚に、後に推理作家となる大下宇陀児(1896~1966年)がいた。1923年(大正12年)8月、研究所在職中に、雑誌『新趣味』の懸賞小説に応募した『真珠塔の秘密』が一等入選。探偵小説家としてデビューする。応募のときに、郷土である長野県諏訪地方の伝説上の勇者である「甲賀三郎兼家」になぞらえて、筆名を「甲賀三郎」とした。1928年(昭和3年)1月28日付で窒素研究所技師を辞任し、作家専業となる。著書『日本探偵小説全集1:黒岩涙香・小酒井不木・甲賀三郎集』(1984年、創元推理文庫)、『緑色の犯罪』(1994年、国書刊行会)、『甲賀三郎探偵小説選』(2003年、論創社)、『蟇屋敷の殺人』(2017年、河出文庫)、『甲賀三郎探偵小説選2、3』(2017年、論創社)、『強盗殺人実話:戦前の凶悪犯罪事件簿』(2018年、河出書房新社:初出は1929年、平凡社)、『甲賀三郎・大阪圭吉』(2018年、光文社文庫)、『甲賀三郎探偵小説選4』(2020年、論創社)(甲賀三郎 (作家) - Wikipedia参照)
*11:1954~2022年。1992年、『欧米推理小説翻訳史』(本の雑誌社→後に双葉社文庫・日本推理作家協会賞受賞作全集72巻(2007年))で日本推理作家協会賞受賞。著書『海外ミステリ歳時記』(1994年、講談社現代新書)等
*12:1875~1932年。一般には「キング・コング」の作者として知られる(エドガー・ウォーレス - Wikipedia参照)