「在特会」はどのように生まれたのか――樋口直人『日本型排外主義』(追記あり)

Mukkeさんエントリ
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20141126/1417005007
にコメントする形で私見を書いておきます。

本書『日本型排外主義――在特会外国人参政権・東アジア地政学』は在特会に関する初めての本格的研究であり,従来の在特会理解に修正を迫るものである。

 Mukkeさん曰く「従来の在特会理解」とは在特会について本を書いたジャーナリスト・安田浩一氏の理解です(安田『ネットと愛国:在特会の「闇」を追いかけて』(2012年、講談社))。
安田氏は在特会を「社会に不満を感じてる人間(典型的には経済的弱者)」と見ているが果たしてそうなのか、というのが樋口氏の批判です。経済的強者の在特会支持者だっているではないか、と。
 「Mukke氏が支持する」樋口氏曰く

不安を抱えていた人びとがたまたま引き寄せられたのが在特会だったのではなく,もともと保守的・右派的なイデオロギーに親和的な人びとが在特会という極右に引き寄せられた

という話です。「誰でも在特会になる」のではなく「右翼的な奴が在特会になる」んだ。「経済的不満」は右翼になるファクターの一つであるだろうが皆が右翼になるわけではないと。
 まあ、そうなんだろうなと感覚的には思います。ここは異論ない。ただ他は俺にとって異論大ありです。「大あり」つうと言い過ぎかな。ちょっと違和感を感じるつうか何つうか。まあ、あくまでも「Mukke氏の紹介を読んだ限りでは」ですが。

本書は「排外主義運動が保守主義に起因するというよりは,歴史修正主義の一変種である」(同)と主張する。

 いや、日本に置いては「産経、読売」「神社本庁」といった既成保守が露骨に「歴史修正主義河野談話否定論、南京事件否定論など)」なんですから「海外はともかく」日本では「歴史修正主義保守主義(主流の保守でないにせよ少なくとも有力な保守の流れ)」でしょう。樋口氏の言ってる事は訳がわかりません。樋口氏のいう「保守主義」とは「現実の保守主義運動」とは関係のない理念概念なんでしょうか。

これについて本書は,右派論壇における言説を計量的に分析し,右派論壇が在日外国人の問題にさほどの関心を払ってこなかったことを指摘する。

 「在日外国人の問題」が何を意味するのか知りませんが、「在特会のような差別」を意味するのならそれは過去においても「1980年代の指紋押捺問題での右派の押捺制度支持」など様々な形で存在したと思いますが。仮に近年外国人問題についての言及が以前より増えてるとしてもそれは
1)中国、韓国の経済大国化
2)少子化グローバル化により移民問題が現実化してること。たとえば移民ではないが「外国人研修制度」「経済協定によるインドネシア人看護師の導入」などの形で外国人の労働市場参入は進んでいる
といった状況変化によるもんでしょう。全く過去において右派が外国人問題に無関心だったかのような物言いってどんなもんでしょう。

冷戦期,右派にとっての最大の敵はソ連および共産主義だったが,ソ連崩壊後,徐々にその「敵」は東アジア諸国にシフトしていくことになる。

と言う理解が果たして適切かどうか。ソ連崩壊前でも「中曽根内閣の歴史教科書、靖国問題」など様々な形で「東アジア諸国」と敵対していたのが日本右翼です(もちろんソ連崩壊で「共通敵・ソ連に対抗するために歴史問題はなあなあにしよう(日韓両国政府)」という態度がとれなくなったことは事実でしょうが)。何というか「在特会研究の意義(特にわざわざ在特会会員に樋口氏がインタビュー調査の労を執ったこと)」は認めますが「冷戦崩壊をやたら重要視しすぎじゃね」と言う違和感を感じますね。

 毒花に苦しめられ,藁をも縋る状況に置かれている被差別者が手を差し伸べてくる根に頼ってしまうこと*1があるのはわかるけれど,少なくともマジョリティに属す人間は根を温存することに与してはいけないはず。

やれやれですね。ペマギャルポが露骨に歴史捏造主義に荷担しそれをチベット亡命政府も黙認してる事態を何一つ批判しないid:Mukke氏の態度は

根を温存することに与してるマジョリティ

以外の何物でもないのですがid:Mukke氏当人はそうは思ってないらしいのが大変滑稽です。

標的として在日コリアンが選ばれた理由

 そんなのは簡単な話だと思うんですけどね(もちろん簡単な話でも「学問的に証明する」のは難しいでしょうが。まあ「何をもって証明て言うのか」て問題もある)。
 過去において「征韓論(明治時代)」「朝鮮皇后を公然と日本人暴徒が白昼暗殺(明治時代)」「関東大震災での朝鮮人虐殺(大正時代)」「日立就職差別事件(1970年)」「国士舘高校のウヨ生徒による朝鮮学校生襲撃事件(1970年代)」「いわゆるチマチョゴリ制服切り裂き事件(1990年代?)」などという「輝かしい朝鮮人・韓国人差別、迫害」の歴史が明治以降ずーっとあるのが我らのウヨ国家・ニッポソ国です。
 「小松川女子高校生殺害事件(1958年)や金嬉老事件(1968年)」で「これは在日差別が事件の遠因ではないか」と言われたり、あるいは逆に「在日は怖い」と在日朝鮮・韓国人への差別発言がされたりした国が「我らのレイシスト国家・ニッポソ」です。
 何も在特会以前にあのような差別言説がなかったわけじゃない。そう言う意味では「明治の征韓論や脱亜論からずーっと日本人は東アジアを差別し続けそれを引きずってるだけじゃない」んですかね。
 何かid:Mukkeさんの書評だと「もっと複雑で高尚なこと」を樋口氏は言ってるみたいで「樋口って言ってることおかしくね?」と思って読む気がほとんどなくなりましたですけど。
 まあ、平たく言えば『日本人マジョリティは明治時代からずっと在特会と同レベルの差別集団だった、最近何故かそれが表面化してるが昔から「いわゆる、むっつりスケベならぬ、むっつり差別主義者」だった』とでも考えるのが正しいと思いますね。


【2014年12/7追記】
 Mukkeさんエントリでのコメ欄でのやりとりが面白いので一読をお勧めします。
 要するに、『id:Mukkeさん、あんた、昔は在特会と同レベルのネトウヨだったやないか』という批判です。別に「在特と同レベル」だったから在特批判するなという話ではなく、「どうせ在特批判するなら一言でも、『私も昔は在特と同レベルのウヨでそのことを反省してる、だからこういう書評を書いた』とか、自分の過去に触れたらどうなんや、自分の黒歴史をなかったことにして、昔から在特批判派面かい」と言う批判です。
 Mukkeさんもこれには「そんなことはない、過去は反省してる」と平身低頭の態度ですが「コメ欄で指摘されるまで自分の黒歴史をなかったことにしていた」んだから説得力のない話です。

*1:いずれにせよ多くの差別荷担者はそんなご立派なもんじゃないでしょう。まあ、ご立派(?)な動機だって差別に荷担した時点で「被差別者(例:在日朝鮮・韓国人)」にとってはたとえば「日本ウヨとつるむダライラマ一味やペマギャルポ」は憎むべき差別者の同類でしかないのですが。