今日の産経ニュース(2/11分)(追記・訂正あり)

■【月刊正論】連合国正戦史観を駆逐するインドの独立戦争史観
http://www.sankei.com/life/news/150211/lif1502110003-n1.html

 モディ首相も安倍首相との夕食会で「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される*1。自慢できることだ。判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と発言するなど、親日家ぶりを発揮した。

 リップサービスを本気にして、あるいは「本気にしたふり」をして「モディ首相は俺達ウヨと東京裁判認識が一緒だ!(産経)」と言い出すとは正気じゃない。まあ、モディ氏もこんな事言うのは「安倍限定」でしょう。欧米や中韓相手に言える話じゃない。
 なお、ここでのモディ発言が「パール判事が日本で有名でインド人として鼻が高い」という話でしかない点にも注意が必要でしょう。モディ氏は一言も「パル判事の無罪判決を支持する」とは言ってないわけです。ましてや大東亜戦争アジア解放論なんか全然支持してない。
 大体このモディ発言
1)今の日本国首相が「大東亜戦争聖戦論」の安倍だから
2)今のインド首相が「安倍に媚びることに躊躇しない」モディ氏だから
と言う要素が大きいでしょう。今の日本国首相が安倍でなければモディ氏はこんな事言わないでしょう。
 また今のインド首相がモディ氏でなければさすがにこんなウヨへの媚び発言は躊躇してしないかも知れません。

 この二人*2は欧米指導層から警戒されている点でも一致している。

そんな事で一致することは何ら自慢できることではないですが。

 実は、モディ首相はそのヒンズー民族主義を危険視され、グジャラート州首相時代に起きた(注:ヒンズー過激派がイスラム教徒を襲った)暴動での(注:ヒンズー暴徒に甘い)対応を口実に、政権を獲得するまで米国政府の入国禁止対象者となっていた。

 口実も何も、インド国内のイスラム教徒などが「暴動を助長した」「ヒンズー民族主義者だから暴動取り締まりを本気でしなかったんじゃないか」とモディ氏を非難してるのは事実です。

しかし、モディ政権が成立した途端、ジョン・ケリー国務長官は早速インドを訪問し、関係改善に動く。気に食わなくても損得勘定から、政権基盤が強固な大国のリーダーを敵視し続けたりはしない。相も変わらぬ、都合のいい米国の「良心」である。

 いや、「グジャラート州首相」ならともかく、大国インドの首相を「入国禁止対象にし続ける」なんてできることじゃないですからね。「政権基盤が強固」か知りません*3が、強固でなくたってそんなことはできないでしょう。せいぜい抗議意思の表明として「モディ氏が訪米してもオバマ大統領など政府高官が面会をしない」程度が関の山です(実際には面会しましたが)。
 「インド首相になったら入国禁止対象から外すなんてインチキな正義だ」て本当に入国禁止対象にし続けたら産経はなんて言うのやら。
 ちなみに同様の理由で米国は中国ともそれなりにつきあってるわけです。

 パールは偉大な学究である。しかし、本国では無名に近く、インド国民一般にアピールする力は残念ながらない。

 であるなら「インド人は大東亜戦争聖戦論を支持してる」とはとても言えないと思いますが、ここでパルの代わりに産経が持ち出すのが「自由インド仮政府首班、インド国民軍最高司令官」として日本軍と野合したチャンドラ・ボースです。ただし産経は「ボースがインドで評価されてる」という根拠を何も出さないので
1)本当にボースが産経が言うほどインドで評価されてるのか
2)仮に評価されてるとしても「日本軍との野合」までもが産経が言うほど「無条件で手放しで」「留保条件なしで」評価されてるのか
ははなはだ疑問ですが。
 また連合国側に立ったガンジーやネール(初代首相)のことを考えれば「ボース万歳」と言うほど話は単純ではないでしょう。

 近年米国で出版され、(注:日本軍人としてボースに協力した)藤原少佐や国塚少尉の見方と比較的近い視点から書かれたボース伝『国王陛下の敵』には、安易なレッテル貼りは通用しない。著者のスガタ・ボースは歴史研究の主流も主流、ハーバード大歴史学教授なのだ。そして、その名からもわかるとおり、チャンドラ・ボースの縁者であり、正確には大甥(甥の息子)である。
 『国王陛下の敵』は、インドの著名な歴史学者ルドラングシュ・ムカージーによって、現時点のみならず今後もボース伝の決定版であり続けるだろうと絶賛された。

・「藤原や国塚の見方」というのは藤原『F機関*4』(1966年、原書房→2012年、バジリコから復刻)、国塚『インパールを越えて:F機関とチャンドラ・ボースの夢』(1995年、講談社)のことでしょう。
・まあ、これだけではスガタ本は何とも評価出来ませんね。何せ相手は「デマ常習産経」ですから。


■【主張】建国記念の日 「よりよき国に」の覚悟を
http://www.sankei.com/column/news/150211/clm1502110002-n1.html

日本書紀によれば日本国の誕生(建国)は紀元前660年で、その年、初代神武天皇が橿原の地(奈良県)で即位した。明治6年、政府はその日を現行暦にあてはめた「2月11日」を紀元節と定め、日本建国の日として祝うことにしたのである。

・その日というのはちなみに「元日」です。どう見ても「元日=おめでたい日、年の始まり=初代天皇即位の日にふさわしい」と言う考えから生まれた後付けの神話に過ぎないわけです。まあ、神武の寿命が100才越えてる時点で事実の訳がないですが。
・で、その日というのは、明治新政府の理解では「太陰暦」です。「紀元前660年の元日(太陰暦)」を太陽暦に直すと「2/11」ということで「2/11=建国の日(紀元節)」と明治新政府はしたわけです。太陰暦の正月(旧正月)は太陽暦の正月とは、ずれがあるわけです(ちなみに中国、台湾は「春節」と呼んで今でも旧正月を祝うそうです)。
 仮に「神武即位日=建国記念の日」とするにしても「太陽暦の元日でええやん」て気もしますけどね。経緯を知らないと「2/11てどういう意味?」て首をひねることになりますから。

 中国の領海侵入などで日本の主権が脅かされているばかりか、国際的なテロ組織によって国民の命が危険にさらされてもいる。
 だが、わが国の現状は、自らの国防力を高めるための法整備も十分ではなく、その隙をつかれて攻撃される恐れもある。紀元節制定時に倣って今こそ、国を挙げ「日本人自身が日本を衛る」覚悟を決めなければならない。

実に産経らしい右翼的結論ではあります。

*1:マジレスすればウヨを除けばパル判事を知ってる日本人なんてほとんどいないでしょう。ガンジーならまだしも。一方、インドでもパルは無名の存在であり、パルについて話をするインド人などまずいないそうです。

*2:安倍とモディ氏のこと

*3:赤旗『反汚職の第2党圧勝、インド首都圏議会選 国政与党が大敗』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-02-11/2015021107_01_1.html)を見る限り産経が言うほど盤石でもなさそうですが。

*4:藤原が機関長を務めた陸軍秘密機関。チャンドラ・ボース工作に携わった。後にボース工作は、岩畔豪雄の岩畔機関に引き継がれた。