新刊紹介:「歴史評論」3月号

★特集「日本中世法慣習研究の現段階」
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。

■「「モノのもどり」をめぐる日本中・近世史研究 」(長谷川裕子)
(内容要約)
 論文タイトルの「モノのもどり」とはいわゆる「徳政」のことであり、徳政とはどういう性格のモノであったか、徳政を正当な行為と考える思想的背景は何かが論じられている(詳細については無能な小生には到底まとめられないので紹介は省略する)。


■「穢・祓の解釈と中世法慣習研究史」(渡邉俊*1
■「家を焼くこと」(井上聡
(内容要約)
・渡邉論文と井上論文はタイトルは違うかいずれも、「犯罪者の住宅を焼損してなくしてしまうという中世法慣行」について論じた勝俣鎮夫の論文『家を焼く』(網野他『中世の罪と罰』(1983年、東京大学出版会)収録)、『中世の家と住宅検断』(勝俣『中世社会の基層を探る』(2011年、山川出版社)収録)について論じている(詳細については無能な小生には到底まとめられないので紹介は省略する)。


■文化の窓「各地の資料ネットから8:宮崎歴史資料ネットワークの課題と活動」(山内利秋)
(内容要約)
・宮崎歴史資料ネットワークの活動紹介。

参考
■宮崎歴史資料ネットワーク
http://siryo-net.jp/tag/miyazaki/


■書評「阿南友亮*2『中国革命と軍隊:近代広東における党・軍・社会の関係』(2012年、慶應義塾大学出版会)」(評者:鈴木昭吾)
(内容要約)
中国共産党の公式見解では「土地革命による農民の支持→農民の軍事動員→国共内戦での共産党の勝利」ということになる。中国共産党が農村を根拠地にしたことを考えれば自然な見解とも思われるが、それは果たして正当な認識と言えるのかを「広東省での共産党軍」を元に論じるというのが本書の内容だとのこと。
・結論から言えば「軍事動員は土地革命の成功による農民動員とは言いがたい」とのこと。
 たとえば阿南氏の個人サイトの記述(http://www.law.tohoku.ac.jp/~anami/pg930.html)によれば、「南昌起義」を起こした共産党軍のかなりの部分は「賀竜*3がメンバーだった」秘密結社「哥老会」メンバーであり、初期共産軍は「農民ではなく」その武力のかなりの部分を各地の秘密結社から動員していたらしい(もちろんウィンウィンの関係であってイデオロギー的な意味での共産支持ではないだろう)。

参考
■阿南本のアマゾンレビュー

・著者は、「中国共産党が土地革命を始めとする一連の社会変革によって民衆の支持を獲得し、それによって革命に勝利した」とする伝統的な、そして中国の公式的な革命像に異議を唱える。
(中略)
 (注:中国の公式見解に対し)著者はいかなる新しい像を描き出そうとしているのだろうか。まず著者が描き出すのは、匪賊や秘密結社、武装した宗族などが跋扈する武装化した社会である。中国共産党は革命理論に基づいた近代的軍隊を形成しようとするが、現実は理論通りにいかない。そこで機能するのが基層社会と革命党との接点に位置する地元の党幹部である。彼らは両者の狭間にありながら、社会の武装勢力と利害関係に基づく協力関係を作り上げようと苦心した。そして共産党には黄埔軍官学校で育成された優秀な将校たちがおり、彼らの傭兵管理のスキルが共産党軍の強さの源泉であった。土地革命といった社会変革は軍事的勝利によって支配された地域において実行されたのであり、軍事的勝利の要因ではなく結果であった。

http://www.tsugami-workshop.jp/blog/index.php?id=1349627617
■書評:「中国革命と軍隊」 阿南友亮著(津上俊哉*4
 本書の主題は、この広東共産党の軍事組織育成の過程を実証的に分析することにより、共産党の正統史観であった「土地革命戦争」が、多分に神話であったと明らかにすることである。
 「土地革命」とは、共産党が制圧したソビエト地区で、地主の土地を貧農・小作農に分配することにより、恩恵を受けた農民の「参軍参戦」を促すことをいう。土地分配が進展したことが大量の農民を解放軍に参集させ、国共内戦勝利に繋がっていく。
 これが正統史観であり、広東省はその実践の場として位置づけられてきた。
(中略)
 清朝末期に遡る広東社会の混乱である。統治権力の衰微に伴う社会の荒廃、流動化のせいで匪賊が横行し、街と言わず村と言わず、自衛のための武装集団(郷団、民団、保衛団、商団等々)が無数に成立していたという。これら武装集団は匪賊との戦いだけでなく、地域間抗争、宗族間抗争(同姓からなる宗族と他の宗族の抗争であり「械闘」と呼ばれる。今日もなお時折発生している)に明け暮れていた。
 著者は、当時の広東社会は「武装農民と武器弾薬が溢れるように存在」する「武装社会」だったと評している。また、共産党といわず国民党といわず、初期の軍事組織は、これら武装集団との協力、対立、併呑を通じて行われ、その軍事行動も地域、宗族間の武力抗争と表裏不可分な場合が多かったことを明らかにした
(中略)
 共産党の軍事組織は、どのような兵士によって構成されていたのか。
(中略)
 軍事科学院の研究によれば、1948年半ばの段階で、解放軍の「大部分の部隊」は、国民党将兵、一般の国民党員、土地革命に反対した「地主富農家庭の子弟」、「流氓」、「兵痞」を多数抱え込み、「大多数の連隊」では、補充兵の半分以上が国民党軍からの捕虜によって占められていた、とのことである。共産党が「土地分配」を「看板」に掲げたにも関わらず、土地の分配を受けて参軍した農民は、(中略)少数だったし、そういう農民は少数いても、土地や宗族意識に束縛された存在だった。
 第三は、売り物の「土地分配」はどのように行われ、又は行われなかったのかである。「農民参軍」がうまく実現しなかった理由はハッキリしている。海陸豊や東江など初期に成立したソビエト地区においても、土地分配は殆ど実行できなかったことが内部文書で明らかにされる。
(中略)
 共産党側の軍事組織の中には、有力宗族に対抗するために共産側に就いていた弱小宗族も多かった。
 宗族には当然地主階層もいるので、下手に「土地公有化」を進めれば彼らを離反させてしまう。また、農地の所有権・利用権を巡る現地の複雑な慣習は、経験の浅い共産党幹部の手に余る代物だった。
(中略)
 著者は以上を総合して、次のような結論を導く。
(1)1920〜30年代の広東において、土地革命を通じて土地を得た農民が能動的に参軍して紅軍の基幹兵力や新兵の供給源になるという現象は、実際には起きなかった
(2)それにも関わらず、紅軍が成立した理由は、①「武装社会」に見られるように、武器の取り扱いに慣れ、戦闘の経験もある膨大な数の民衆が中国社会に存在していたこと、②北伐や党内抗争で戦力が分散していた国民党軍との戦いで紅軍側が武器・弾薬・兵士という養分を吸収しえたこと、③共産党がある程度の実効支配を成立させた地域では、住民を強制的に徴用することが可能になったこと等にあると。

http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-b208.html
■ものろぎや・そりてえる「【メモ】阿南友亮『中国革命と軍隊:近代広東における党・軍・社会の関係』」
 なぜ中国共産党国共内戦を勝ち抜くことができたのか、その理由について研究者の間ではいまだにコンセンサスの得られた結論は出ていない。共産党が実施した社会革命によって農民の支持を取り付け、彼らの積極的な参加によって内戦に勝利したというストーリーが公的に定説とされているが、アカデミックな検証を経ているわけではない。
 共産党の社会革命、具体的に言うと土地改革によって土地の分配を受けた農民が革命運動の担い手となったというモデルは、共産党が軍隊を形成し始めた初期の段階から語られている。実際にはどうであったのか? 本書は軍隊に兵員を供給する社会的背景との関係に注目し、1920〜30年代の広東省における共産党軍の動向について当時の史料を駆使しながら丹念に検証を進めるている。下記にメモしたように、「革命の論理」が標榜されつつも、その背景には伝統的・土着的社会との連続性が垣間見えてくる。本書の着眼点を地域的・時代的に広げて検証を続ければ、共産党の「建国神話」を相対化し、ひいては中国現代史を大きく描き変える可能性すら感じさせ、興味深い。
共産党による階級闘争や社会革命の推進によって土地を分配された農民たちが革命戦争へ積極的に加わったというのが従来の通説であった。当時の共産党が党の指導下で動員し得る近代的軍隊の形成を目指していたのは確かである。しかしながら、当時の史料を調べてみると、実際にはうまくいっていない。
・当時の広東省には潤沢な武器弾薬が流れ込み、農民たちが高度に武装して宗族単位で自衛集団が形成されていた。共産党はむしろ、もともと広東に存在していた宗族間の対立関係に乗っかる、つまり、ある宗族が国民党の後ろ盾を得ているなら、敵対する宗族は共産党に従うという伝統的な分類械闘の論理を利用する形で武力を確保した。
・実際に動員された農民たちはあくまでも自分たちの生き残りが目的であった。従って、革命事業の推進という共産党の理念と宗族の生き残りという地元民の伝統的な思惑との二つの論理をかみ合わせることで当時の広東における共産党の軍事力は成立した。地元出身で宗族と血族的な関係のある党員が接着剤となり、二つの論理を読み替えながら共闘関係を作り上げる必要があった。
・社会変革の進行による農民の支持によって軍事力が形成されたのではない。既存の武力を一定レベルまで確保できさえすれば、その武力を後ろ盾に一定の管理・監視権力を行使して住民の徴発が可能となり、軍隊が拡大される。つまり、共産党が試みた土地革命とは関係なく、様々な手段を駆使して既存の武力をかき集められたからこそ、それがその後の活動を展開する基礎となった。

 個人的には「随分と書類が残ってるんだなあ」て感想ですね。散逸した文書も勿論あるでしょうが「戦乱状態(日中戦争国共内戦など)」でも文書というのは、残そうとすれば結構残るモンなんでしょう。

http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20121008/p2
■覚え書:「今週の本棚:加藤陽子*5・評『中国革命と軍隊』=阿南友亮・著」、『毎日新聞』2012年10月7日(日)付
 国民党との内戦が始まった1927年以降、広東省東部のある根拠地で、共産党軍が勢力拡張を図った事例の紹介がすこぶる面白い。例えば、ある地域の防衛拠点と商業経済の中心地を長らく支配してきた宗族(同一の姓を持つ父系の血縁集団)があったとする。それを仮に、呉という姓を戴く呉姓宗族とし、その呉姓宗族は国民党の側に立っていたとする。その時、勢力拡大を図りたい共産党はどう動いたか。共産党は、その地域において、呉姓の宗族支配に長年不満を抱いていた、二番手の勢力を誇る宗族と連携し、国民政府軍と呉姓宗族の二つながらの打倒を図った。共産党の内部文書を縦横に用いた著者は、共産党軍が、伝統的な宗族間の対立を利用し、武装した宗族をそのまま取り込むという、まことに大胆な戦術をとった経緯を描き出した。

 加藤書評の指摘は、「黒猫でも白猫でもネズミを捕るのがいいネコだ」というトウ小平*6の「現実主義的名言」を思い起こさせる話ではあります。


■書評「手嶋泰伸*7『昭和戦時期の海軍と政治』(2013年、吉川弘文館)(評者:小池聖一)
(内容要約)
・目次は以下の通りです。

http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b122279.html
■序章『戦時期の政治史研究における海軍』
■第1部『戦時期の海軍の政治的特徴』
第1章:海相就任前後の米内光政
海相就任以前の米内/海相としての米内〉
第2章:第一次日独伊三国同盟交渉*8における海軍
海軍省内の上下疎隔/第一次日独伊三国同盟交渉期における海軍〉
第3章:調査課によるブレイントラストの設立とその影響
高木惣吉の政治活動/嘱託の拡充/嘱託拡充の影響/ブレイントラスト整備とその影響〉
第4章:対米開戦決定の政治過程における海軍
〈「帝国国策遂行要領」の形成過程にみる海軍の意識構造/第三次近衛内閣の総辞職における問題の争点/嶋田繁太郎*9の対米開戦決意の要因〉など)
■第2部『終戦の政治過程における海軍』
第1章:東条英機内閣末期における海軍の倒閣運動*10
第2章:小磯国昭内閣における海軍
第3章:対ソ和平交渉決定過程における米内光政
第4章:ポツダム宣言受諾前後の米内光政
■終章『戦時期の政治過程における海軍』

・『昭和戦時期の海軍と政治』と言うタイトルですが評者に寄れば分析対象のメインは米内光政(戦前、林、近衛、平沼、小磯、鈴木内閣で海軍大臣)です。
 そのため、たとえば、第2部第2章が「小磯国昭*11」をタイトルに入れながら、小磯の政策の分析(たとえば小磯が設立した最高戦争指導会議をどう見るか)が不十分だとしています。
・第1部第3章は「海軍省官房調査課長」高木惣吉が推進した「調査課によるブレイントラストの設立」とその影響について、「ブレイントラストは高木の個人的力に影響されるところが大きく、組織としての力は弱かった」「先行研究はブレイントラストや高木を過大評価してきたのではないか」としているようです。
・評者は「対米関係を決定的に悪化させ、日米開戦の方向を決定づけた1941年の南部仏印進駐」の分析がない点に不満を示しています。
 最後に『昭和戦時期の海軍と政治』と内容がかぶる『日本海軍と政治』(2015年、講談社現代新書) のアマゾンレビューについてコメントしてみます。

■『日本海軍と政治』(2015年、講談社現代新書)のアマゾンレビュー

ゆうさん:投稿日 2015/1/23
 本書に記載の事実を基にすれば、政治との関わりで日本海軍の最も大きな問題点として挙げられるのは、(高木惣吉という卓越した政治的能力を持った例外的な人物はいたとしても)海軍という組織がそもそも政治にコミットするのに必要な人材をほとんど持っていなかったという点にあるのではないか。東条内閣において、米国との開戦に踏み切るかどうかを決定するという最も重要な時に、前職が横須賀鎮守府長官で、「自分ハ場末ノ位置ヨリ飛ヒ込ミ未タ中央ノコトモヨクワカラサルモ」と述べるような全く政治能力のない嶋田繁太郎海相として送り込んだことが全てを象徴していると思われる。

 
 うーん、そういうことになるんですかね。

やまと: 投稿日 2015/1/29
 本書の特徴は「日本海軍の意識構造を説明する際の、政治と軍事の棲み分け意識と執行責任によって構成される管掌範囲認識」という視点で読み解くことに特徴があります。
著者は以下の通り説明します。
日本海軍は伝統的に政治に口を出すことに慎重であった*12
日本海軍は管掌責任*13を重視した。
日本海軍は海軍軍事についての専門家として拘りをもっていた。
 それはそれで当たっていると思います。
 しかし、米内光政は日中戦争トラウトマン工作を打ち切る*14など、海軍は政治的な動きをしている事例も多多あります。
 陸軍の参謀次長の多田駿が熱涙をもって事変拡大に反対した事実を記憶して良いと思います。
 この時は陸軍の参謀本部が交渉継続を主張しています*15

 なお、この件について、手嶋氏は「首相の近衛文麿*16、外相の広田弘毅*17陸相杉山元*18」の3大臣が和平工作に否定的な以上、「むしろ交渉継続論にコミットすることの方が海軍の政治干渉と理解した」として「レビュアー・やまと氏」とは違い「政治干渉に否定的な海軍」という事実認定に反する物とは思っていないようです。
 ただし

内閣総辞職になるぞ!」と恫喝して(多田を)黙らせた(ウィキペ「多田駿」参照)

なんて米内の態度が「三大臣が交渉に反対だからそれに従う」なんて消極的な態度なんですかね。
 手嶋説の正当性については十分な検討が必要じゃないか。

*1:著書『中世社会の刑罰と法観念』(2011年、吉川弘文館

*2:東北大学教授(中国近現代史)。個人サイト(http://www.law.tohoku.ac.jp/~anami/home.html)。なお「阿南姓&中国研究者」ということで「もしかしてあの阿南惟茂・元駐日大使の血縁者?」と思ったが、ググったところどうも阿南元大使の息子さんらしい。ちなみに阿南元大使の父親が有名な「戦前最後の陸相阿南惟茂」である。阿南陸相は「日本のいちばん長い日(1967年の岡本喜八版)」で三船俊郎が演じた役ですね。今度(2015年公開予定の再映画化)は役所広司が阿南陸相をやるそうですが

*3:南昌起義の中心人物。副総理、党中央軍事委員会副主席など歴任。文革中迫害を受けて1969年に病死するが1982年に名誉回復。

*4:経済コンサルタント。著書『中国台頭の終焉』(2013年、日本経済新聞出版社)、『中国停滞の核心』(2014年、文春新書)とどう見ても「反中国右翼傾向」なので眉唾、話半分に津上氏の意見は聞いた方が良かろう。もちろん中国の発展には「高度成長期後の日本」のようにさすがにややブレーキがかかりつつあるようだが、当面はそれなりの発展が続くだろうし、続かないと日本経済に悪影響なので続いてもらわないと困る。日本だって高度経済成長期以降もバブル景気があったし、今は不況とは言え、それなりの経済力を日本は有しているわけだしおそらく中国の未来も同じようなものだろう。なお、中国素人の俺は、阿南本にどうこういう気は全くないが、阿南氏はともかくアンチ中国の津上氏がこの本を取り上げた動機は「中国公式史観に異を唱えてるからだろう」と何となく予想がついて思わず苦笑。

*5:東大教授(日本近現代史)。著書『戦争の日本近現代史:東大式レッスン!・征韓論から太平洋戦争まで』(2002年、講談社現代新書)、シリーズ日本近現代史(5)『満州事変から日中戦争へ』(2007年、岩波新書)など。個人サイト(http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/

*6:第一副首相、党副主席、党中央軍事委員会副主席、人民解放軍総参謀長などを経て国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席

*7:福井工業高等専門学校助教。著書『海軍将校たちの太平洋戦争』(2014年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本海軍と政治』(2015年、講談社現代新書)など

*8:「第一次日独伊三国同盟(まあ、第二次同盟ってないですから)」の交渉ではなく「日独伊三国同盟」の「第一次交渉」と言う意味のようです。なお、「この第一次という区分け(4次まであるようです)」は定説ではなく手嶋氏のオリジナルのようです。

*9:東条内閣海軍大臣軍令部総長を歴任。戦後、A級戦犯として終身禁固刑(いわゆる逆コースによって1955年に仮釈放)

*10:海軍の掌握を狙って、永野修身軍令部総長を更迭し、自分に近い嶋田繁太郎海軍大臣軍令部総長を兼任させた東条首相の行為はかえって海軍の反東条派(岡田啓介海軍大臣、米内光政元海軍大臣ら)を勢いづかせ倒閣運動までもたらすことになった。

*11:陸軍省軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督などを経て首相。戦後A級戦犯として終身禁固(服役中に病死)。後に靖国に「昭和殉難者」として合祀されている。

*12:単なる大勢順応主義にも見えます。平たく言えば「長いものに巻かれる卑怯者」ということですが。

*13:要するに厄介な問題が発生すると「それは海軍の管轄外」として逃げちゃうと言う事です。たとえば「仏印進駐」なんかは基本的に陸軍マター、「日独伊三国同盟」なんかは基本的に外務省マターですから、「海軍の管轄外」と言えば言えなくもないわけです。

*14:正確には「打ち切り論に賛成する」

*15:ただし陸軍中央(杉山陸相)は交渉に否定的だった

*16:戦後、A級戦犯に指名された後に自殺。

*17:斎藤、岡田、近衛内閣外相や首相を歴任。戦後、A級戦犯として死刑判決

*18:林、近衛、小磯内閣陸軍大臣参謀総長を歴任。終戦後の9/12に自決。