今日の産経ニュース(2/27分)(追記・訂正あり)

■元中国人技能実習生に無期求刑 「言葉の壁から孤独を募らせた。死で償わせるべきではない」と検察側 広島、カキ加工場9人殺傷
http://www.sankei.com/west/news/150227/wst1502270043-n1.html
 死刑相当事件(2人殺害)であるにも拘わらず検察側から

「言葉の壁から孤独を募らせた。死で償わせるべきではない」

として無期求刑という辺りが興味深いですね。死刑求刑でなかったことは良かったと思います。


■【正論】歴史認識問題の淵源と朝日新聞 拓殖大学総長・渡辺利夫
http://www.sankei.com/column/news/150227/clm1502270001-n1.html

歴史問題をもって中韓が日本に鋭く迫るようになったのは1980年代に入ってからのことである。1980年といえば戦後はもう30年以上も経過していた時期である。その間、歴史問題は存在しておらず、もとより外交問題ではまったくなかった。

「歴史問題がなかった」のではなく「文革などの国内混乱でそれどころではなかった」だけの話です。それを「歴史問題は存在しない」と勘違いしてウヨが好き勝手やったことが「1980年代以降に歴史問題が浮上すること」につながるわけです。そのとき適切に対処していれば、つう話です。いや「宮沢談話」「河野談話」などが出てるので自民党政権も「100点満点ではないにせよ」それなりに対処していたのですが、今それをぶちこわしにしようとしてるのが安倍であり産経です。

今日、歴史認識問題といわれる慰安婦、首相の靖国参拝、歴史教科書などはすべて80年代に入ってから提起されたものである。

 「嘘つくな」です。慰安婦はともかく他は1980年代以前から問題になっていました。
 まず靖国。当初靖国及びそのシンパは「靖国国営化」を狙い1970年代にはそうした法案を自民党に何度も出させていました。しかし、野党や宗教団体*1の反対でこの企みは挫折します。その結果、1980年代に「次善の策」として出てきたのが「首相靖国参拝」で実行者が中曽根首相です。そして当然ながらこうした行為は中韓だけが批判してる訳ではない。1970年代に「靖国国営化法案」を批判してきた宗教団体なども批判してる訳です。
 次に教科書問題。これについていえばたとえば「うれうべき教科書の問題」なる右翼パンフを当時の保守政党日本民主党(党首・鳩山一郎*2)が作成し「左翼偏向歴史教育批判」をしたのが1950年代、「第一次家永*3教科書訴訟」がおこされたのは1960年代のことです。単に「中韓の抗議が強くなったのが1980年代以降」にすぎません。

事実のみを述べれば、82年6月、旧文部省の教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えさせられたという日本の時のジャーナリズムの誤報に端を発し、その報道に中韓が猛烈に反発したことが出発であった。中韓の反発を受け、近現代史の記述において近隣アジア諸国への配慮を求める「近隣諸国条項」といわれる新検定基準が同年8月に内閣官房長官宮沢喜一*4の談話として出され、日本の歴史教科書に対する中韓の介入に有力な根拠を与えてしまった。

 まあ、やれやれですね。
 先ず第一に誤報と言っても単なるケアレスミスがあっただけです。「日本の教科書検定が侵略を矮小化しようとしてる」という本筋には影響ない。影響ないからこその宮沢談話であり、談話に基づく「近隣諸国条項」のわけです。
 なお、当時は、ある程度情報公開がされる今と違い文部省はメディアの取材に対して「どういう検定意見をつけて、どう修正されたか」ろくに取材に応じてはくれず、取材源はもっぱら教科書会社や執筆者でした。つまり誤報の原因は教科書会社または執筆者の誤解だったのであり別にメディアによる故意の捏造という話でもありません。
 第二にタイトルでも分かるように「朝日、朝日」とウヨは朝日を目の敵にしますが、ウィキペ「近隣諸国条項」にはっきり書いてあるようにこの件を最初に報じたのは日本テレビです。朝日は「報道時期」についていえば、同業他者同様、日テレの後追い報道だったわけです。にもかかわらず「朝日、朝日」言うんだから呆れます。昔は「最初に報じたのは朝日」と書く輩もいましたが最近はそういう記述がなくなったのは「最初に報じたのは日テレだ、嘘書くな」という批判が浸透してきたからでしょう。
 しかしそれでも「朝日ガー」であり「最初に報じた日テレ」は何故かウヨは批判しません。

85年8月の中曽根康弘*5首相の参拝にいたるまで首相の靖国参拝は恒常的であったが、外国からの反発はなかった。

 恒常的かどうかはともかく「首相参拝それ自体」は中曽根以前にもあったようです。
 注意しなければ行けないのは「中曽根以前は私的参拝が強調されていたこと」でしょう。一方中曽根は「可能ならば公式参拝にしたい」という態度が見え見えだったし、中曽根と言えば過去の総理と比べ相当のタカ派の訳です。扱いが違うのも当然でしょう(もちろん文革などで中韓の国内が混乱していたという問題もあります)。なお、以下、この渡辺の駄文では「慰安婦問題は朝日ガー」などという馬鹿げた主張が出ます。細かく突っ込むのは面倒なのでしませんが「国連の報告書(クマラスワミ報告、マクドガル報告)も朝日ガー」「米国下院決議も朝日ガー」「日本の歴史学会の通説も中韓の主張も朝日ガー」などいう暴論が成り立つわけもないでしょう。

*1:この中には自民党支持の宗教団体も加盟する全日本仏教会(全日仏)や新日本宗教団体連合会新宗連)もありました

*2:戦前は田中義一内閣内閣書記官長(今の官房長官に当たる)、犬養、斉藤内閣文相などを歴任。戦後は首相、自民党初代総裁などを歴任。

*3:東京教育大学教授、中央大学教授を歴任。著書『太平洋戦争』(2002年、岩波現代文庫)、『戦争責任』(2002年、岩波現代文庫)、『一歴史学者の歩み』(2003年、岩波現代文庫)など

*4:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も、小渕、森内閣蔵相を歴任。

*5:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣防衛庁長官、運輸相、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相