今日の産経ニュースほか(5/28分)(追記・訂正あり)

■政府に北への賠償請求提案も 新潟知事、拉致調査1年で
http://www.sankei.com/region/news/150528/rgn1505280040-n1.html
 新潟県知事は、人気取りで馬鹿な事抜かすのも大概にして欲しいですね。まあ、さすがに安倍も無視するでしょうが。


■【正論】橋下氏は敗北で何を勝ち得たか(竹内洋
http://www.sankei.com/column/news/150528/clm1505280001-n1.html
 以前「民社党は浅沼暗殺の同情票に負けた」などトンチキ言ってた御仁ですが今回は意外とまともです。いや「まともじゃないところ」もありますけど。

 橋下氏の知事・市長時代の改革となると、(中略)目に見える大きな業績があったとは思われない。橋下氏の功績としては、なにかやってくれそうだという期待感をふくらませたことのほうが大きかった。
(中略)
 ところが、手形の額面がふくらめばふくらむほど、現実主義の住民は、そんなうまい話はないだろうと眉に唾をつけはじめる。
(中略)
 住民投票の結果が判明したあとの橋下氏の記者会見のあの爽やかさはどうしてだろう。
(中略)
 1つは、期待をつなぎとめ、反対勢力の壁を突破するためにいいこと尽くめにふくらませた大阪都構想が、実現には多くの困難が伴うものであることをなによりも一番よく知っていたのは橋下氏自身だったからではないだろうか。
 賛成多数で改革実施となれば、お祭り騒ぎのいけいけどんどんだけでは進まない。
(中略)
 であれば、敗北は一面では安堵(あんど)でもあったのではないだろうか。

まあここまではおおむね異論はない。

 勝利した都構想反対派も、住民投票の過程で府・市の改革は当然とするようになったことである。橋下氏は府と市の改革マインドを都構想反対派の政治家はもとより市民・府民に確実に刷り込んだ。そのかぎりでは完敗とはいえない。橋下氏の敗北後の言葉の清々(すがすが)しさは、このような感慨によるものではないだろうか。

 所詮は産経文化人のトンチキさんです。橋下は「そういうことにしたい」のでしょうし「そういうことにしたいから」、さわやかな会見とやらを演じて見せたのでしょうがそもそも誰も「一般論としては改革には反対してない」しそう言う意味では「都構想の影響なんか何もない」。
 共産党だって安倍の「教育改革」「景気対策アベノミクス)」には反対していても「教育改革一般」「景気対策一般」には反対しないのと同じようなもんです。

 
■【産経抄】平和の反対は 5月28日
http://www.sankei.com/column/news/150528/clm1505280004-n1.html

「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」。マザー・テレサの言葉はこうも言い換えられる。「平和の反対は戦争ではなく、今そこにある危機への無関心である」と。

 やれやれですね。マザーテレサも「平和の反対は戦争ではない」などという産経の詭弁に自分の言葉が悪用されるとは思っても見なかったでしょう。

 
■【ソウルから 倭人の眼】現実無視できず プライドも捨てられず「孤立」憂う韓国の“独り相撲”
http://www.sankei.com/premium/news/150528/prm1505280003-n1.html
 ということにアンチ韓国産経はしたいわけです。もちろん「米国が政治的思惑(集団的安保、沖縄基地問題、TPPなど)から安倍批判を控えてる」「安倍批判をやめたわけではないが中国は一応安倍と首脳会談した」「景気が今ひとつ良くない」状況で朴氏も悩ましいところでしょうが、「米国は安倍の歴史認識を容認してるわけではない」。

(注:訪韓した米国の国務長官)ケリー氏が慰安婦問題について「甚だしい人権侵害」との表現を使った

というのはそういうことです。「安倍や産経が勘違いしないように」最低限度の駄目出しをしておいたわけです。
 産経の「孤立」云々と言う物言いは極めて一面的でしょう。