今日の人民日報ニュース(6/18分)

宣伝会議ADK創業者の稲垣正夫氏が死去 「全員経営」掲げ一代で業界3位の地位築く』
http://www.advertimes.com/20150420/article190223/

 アサツーディ・ケイADK)創業者の稲垣正夫相談役が16日、死去した。
 稲垣氏は(中略)1956年*1ADKの前身「旭通信社」を4人で創業(中略)1997年には電通博報堂に次ぐ業界3位に押し上げた。1999年には同業の第一企画と合併し、ADKとして再スタート。同社の社長、会長を2010年まで務めた。
(中略)
 早くからグローバル化を志向し、1984年に米BBDOと提携、1998年には現在も続く英WPPグループとの業務・資本提携を結んだ。中国進出にも積極的で、1994年に北京に合弁会社を設立し、中国に進出する日本企業の支援に努めた。1987年には広告業界で初めて東証2部に上場(現在は1部)させるなど、成長期の日本の広告業界をリードする役割を担った。

 4/20の少し古い記事ですが。
 まさに日本広告業界に大きな足跡を残した偉人といっていいのでしょう。で、そんな稲垣氏についての最近(6/18)の人民日報追悼記事。

■人民日報『ADK創始者稲垣正夫氏お別れの会 中日友好に捧げた生涯』
http://j.people.com.cn/n/2015/0618/c94473-8908436.html

 アサツーディ・ケイADK)創業者の稲垣正夫氏が4月16日死去した。92歳だった。6月17日午前に東京都内で「お別れの会」が行われ、中国の程永華*2駐日大使が出席して献花した他、各国各界から2千人以上が出席した。稲垣氏は生前儒家思想に精通し、中日友好事業に生涯を捧げた人物。2008年の中国・四川大地震発生の際には被災地に1000万円の義捐金を贈り、日本の大相撲や歌舞伎の中国公演にも尽力した。
 会場には稲垣氏の生前の記念写真以外に、人民日報社の邵華沢元社長が題字したADK社の企業理念「全員経営」の四文字が飾られていた。この四文字には、社員ひとりひとりが経営者意識を持って働くという意味が込められている。
 稲垣氏は(中略)ADK社を日本三大広告会社の一つへと育て、世界的にも有名な広告配信企業へと成長させた。1963年には日本のテレビアニメ分野でも事業を展開*3し、日本の国産アニメPRの新たなモデルを形成し、かつて「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」といったアニメのPRを請け負った。1979年、稲垣氏は日本の広告業界の訪中団を結成して訪中し、後にADK社は中国に進出した初の日本の広告業者となった。現在、ADK社は香港や台湾地区を含め、中国に15の拠点を有する。

「1963年のアニメ事業進出」「1979年の訪中」と「電通博報堂が手薄なところ」をあえて狙っての業界三位躍進と言う事でしょうか。今でこそ日本企業の中国進出は全く珍しくないですが

1991年に新華社通信と業務提携(ウィキペディアアサツーディ・ケイ」参照)

というのはかなり先見の明があったと言っていいでしょう。天安門事件が1989年で「欧米の対中国経済制裁が解除される転換点となった天皇訪中」が1992年ですからね。
 人民日報がわざわざ追悼報道する辺り、中国側がいかにアサツーディ・ケイや稲垣氏を評価してるか伺えます。
 一方で産経のような反中国ウヨにとっては稲垣氏のような存在は実に不愉快でしょう。


参考
日経新聞『ADKが中国でアニメ事業 国営大手と、輸出拡大も視野』(2011年5/15)
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD1104I_U1A510C1TJC000/

 広告大手のアサツーディ・ケイ(ADK)は中国国営アニメ大手、中国動漫集団と提携し、中国のアニメ事業へ本格参入する。中国動漫のアニメ制作に協力。中国で放映するだけでなく東南アジアなど海外でも売り込む。中国はアニメなどコンテンツ産業を強化し、将来は輸出の柱の一つにしたい考え。日本のアニメ各社も中国進出を進めており、巨大市場を狙った日中企業による共同制作が活発となりそうだ。

*1:一方、電通博報堂は戦前からの老舗です。

*2:マレーシア大使、韓国大使などを経て現在、駐日大使

*3:ググったところ1963年のアニメ事業とは「エイトマン」(TBS系列)のこと