新刊紹介:「歴史評論」8月号(その1:特集「日本の敗戦から70年」)

・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。

巻頭言
 例年になく気が重い夏となりそうです。日本の敗戦から70年となる今年、国会では安倍政権が自衛隊の海外での武力行使を可能にする「安全保障」関連法案の成立を強行しようとしています。この動きは、近現代の無謀な侵略戦争と植民地支配への反省に立ち、まがりなりにも非戦と平和主義を貫いてきた戦後日本の歩みに逆行するものと言わざるを得ません。同時に、この動きを側面から支える様々な力が作用していることにも注意が必要です。例えば、昨年来の「慰安婦」報道をめぐる朝日新聞への異常極まるバッシング、改悪された教科書検定基準・教育委員会制度のもので行われる中学校歴史教科書の採択、戦後70年をめぐる「安倍談話」。今こそ私たちは、歴史の負の側面を否定し書き替えようとする動きと対決しなくてはなりません。
 いっぽうで、戦争体験世代の今後ますますの減少が避けられないなか、戦争の記憶、戦争責任、植民地支配責任を次の世代にどのように引き継ぐのか、歴史学にとっても困難な課題に直面しています。そこで、いまあらためて戦後70年のなかで積み残しにされてきた諸問題に向きあい、現時点での研究の到達点を確認しつつ今後の課題を展望するために本特集を企画しました。
 「いつか来た道」をもう歩いているのかもしれない、そう悲観する前にできることは何か。悲観を希望にかえてゆくための芽を本特集のなかに見出していただけると幸いです。  

 まあ、付け加えることもないですね。ほぼ同意見ですので。


■「戦争責任論の現在と今後の課題:戦争の〈記憶〉の継承の観点から」(山田朗*1
(内容要約)
・「日本の敗戦から70年」ということで、1945年に生まれた人も70才です。
 当然、「あの戦争に政財官界要人として積極的に関与した人間(例:大元帥昭和天皇(1901〜1989年)、満州国総務庁次長、東条内閣商工大臣などとして戦争を推進したA級戦犯容疑者・岸信介*2元首相(1896〜1987年))」「積極的関与ではないが兵隊や軍需工場労働者などとして戦争に協力した人間」はそのほとんどが「今生きていたとしてもどんなに若くても80才以上」で、既にあの世に行った人間がたくさんいる。
 「海軍主計少佐として当時東南アジアに行っていた*3中曽根康弘*4元首相(1918年生まれ)なんかは存命ですが、それにしたって「97歳という高齢」です。いつ死んでもおかしくない。つうか中曽根と同世代の「田中角栄*5元首相(1918〜1993年)、宮沢喜一*6元首相(1919〜2007年)」は既に死去してるわけです。
 こうなると山田氏も指摘していますが戦争責任というのは「戦争の直接実行者の責任」「戦前・戦中世代の責任」ということはもはや「主たる問題とはなりえない」と言えるでしょう。
 「戦後世代の戦争責任」ということになる。もちろん戦後世代だから「責任がない」なんてことはない。
 「戦後世代」には「直接の戦争実行責任はない」。しかし「あの戦争を語り継ぎ二度とあのような悲劇をおこさない責任」「あのような悲劇が起きないように隣国と友好関係を築いていく責任」というものはあります。
 安倍や産経のように「河野談話を否定したい」「南京事件の実在を否定したい」「大東亜戦争はアジア解放の聖戦だと強弁したい」だの「靖国参拝してA級戦犯を免罪したい」だの論外です。
・さて、「別エントリでも以前書いた覚えがありますが」、日本での戦争責任を巡る議論は「1990年代」に一つの転機を迎えます。
【転機その1】
・アジアからの日本への告発
 冷戦が崩壊したことで各国(例:台湾、韓国)で民主化が進展し、現地の独裁政権が力で抑え込んでいた「戦争被害者の日本批判」が抑え込めなくなり、批判が噴出します。その一例が1990年代の慰安婦問題の訳です。これに対し、日本政府は「今の安倍政権と違い」限界はあるものの、そして動機は「アジア経済進出のために戦争問題に片をつけたい」という実利的な動機ではあるものの、河野談話(1993年)、村山談話(1995年)、金大中大統領と小渕首相の「日韓共同宣言」(1998年)などで一定の誠意を見せるわけです。
【転機その2】
昭和天皇の死去(1989年)
 昭和天皇生前から、井上清*7昭和天皇の戦争責任』(初版は1975年、現代評論社→後に2004年、岩波現代文庫)など歴史学者昭和天皇批判はありました。ただし「昭和天皇批判」が盛んになるのはやはり「彼の死後のこと」でしょう。
 「スターリン*8死後、フルシチョフ*9スターリン批判が始まったこと」や「毛沢東*10死後、トウ小平*11の主導で脱文革が進んだこと」と似たようなことが日本でも起こったわけです。
 昭和天皇生前は「昭和天皇批判」とは批判者の主観に関係なく「天皇制への批判(特に天皇制廃止論)」と理解される傾向があった。昭和天皇が「現役の天皇だった」からです。
 しかし昭和天皇が死ねば「子どもの明仁天皇」は「1945年の敗戦当時は11才(1932年12月生まれ)」ですから明仁氏には「直接の戦争責任」は存在し得ない。
 「親の責任は息子の責任」という立場に立たない限り「昭和天皇批判」は明仁氏批判や「現行天皇制批判」を意味するわけでは必ずしもありません。
 1990年代以降の『昭和天皇の戦争責任』をテーマにした著書としては以下のようなものがあります。
・千本秀樹『天皇制の侵略責任と戦後責任』(1990年、青木書店)
藤原彰*12昭和天皇15年戦争』(1991年、青木書店)
・吉田裕*13昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書
山田朗大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房
・しかしこうした転機に対してはもちろん「残念ながら日本会議などの歴史修正主義、右翼的反動が存在した」わけでそれが「政治の中枢になってしまった不幸」が今の安倍政権の訳です。日本人の良識が問われている事態のわけです。


■「植民地支配責任論の系譜について」(板垣竜太*14
(内容要約)
・「植民地支配責任」といった場合、当然ながらそれは「広い意味(?)」では日本の話にとどまりません。欧米も植民地支配していたわけですから(例:アメリカのフィリピン支配、英国のインド支配、フランスのベトナム支配、オランダのインドネシア支配など)。
 また「植民地」の定義の仕方によっても話はどんどん広がっていくわけです。
 たとえば「明治新政府アイヌ統治や琉球統治」「英国のスコットランド統治」「アメリカのハワイ統治」「中国のチベット統治」「イスラエルパレスチナ支配」「現在進行形の問題である沖縄基地問題」なんかも人によっては「植民地支配みたいなもん」と見なす人もいるでしょう(例:フリーチベットを叫ぶid:Mukke氏)。
・ただ、この特集号は「日本の戦後70年」ですので「植民地支配責任の話は日本限定の話じゃないですよ」と簡単に触れるだけにとどまっています。また日本の植民地は大きいもんだけでも「台湾と朝鮮」があるわけですが、板垣氏が「朝鮮史家」ということで朝鮮に限定して話は進められています。
 で、まあ、「無知な小生」でも「日本の朝鮮植民地支配、つまり韓国併合以降の問題」「あるいは日韓併合に至るまでの問題」「1945年の南北朝鮮独立以降も残った朝鮮・韓国人差別の問題」つうのはいくつか思いつきます。
・「江華島事件による不平等条約の押しつけ」「明成皇后暗殺」「義兵闘争や三一独立運動の弾圧」「関東大震災での朝鮮人虐殺」「慰安婦問題*15」「創氏改名問題」「世界遺産登録問題で改めてクローズアップされた朝鮮人強制労働問題」「慰安婦問題や関東大震災での朝鮮人虐殺、端島炭鉱での朝鮮人強制労働などを否定しようとする歴史修正主義の存在(例:産経や日本会議)」「指紋押捺問題」「石原の三国人発言や在特会ヘイトスピーチに象徴される今も残る偏見」などなど。まあ興味のある方はググれば「朝鮮日報」「中央日報」など韓国メディア(日本版)の記事や赤旗の記事などがヒットするかと思います。安倍のせいで最近はそう言う記事が多いですから。もちろん本屋や図書館でそう言うコーナーを漁ってもいいでしょう。
・なお「歴史学的見地」という視点からは外れるでしょうが小生的には「朝鮮学校差別への反対」「朝鮮総連潰し(例:例のビルからの追い出し)の策動への批判」なんてのも「小生なりの植民地支配責任」への対応ではあります。まあ「反北朝鮮」なんてのは「日朝交渉が停滞して」拉致の解決にも逆行しますしね。かの国にはレアアースが埋まってるそうですし、経済的見地からも「早く国交正常化して」仲良くしておいた方がいいでしょう。
 なお、板垣氏は「id:noharraのような、極右・三浦小太郎とつるんで恥じないゲスとは違う」ので、確か「朝鮮学校無償化除外」という在日差別には強く反対していたかと思います。


■「日本軍「慰安婦」研究の現状と課題」(林博史*16
(内容要約)
・後でいろいろ書いてみたいと思いますが、まずはid:scopedog氏に「いいニュース」をお伝えしておきましょう(既にscopedog氏もご存じかも知れませんが)。この林論文においては「ネット上には慰安婦問題について質の高い議論を展開している論考が少なくない」として、その一例として
誰かの妄想・はてな版『慰安所関連の規定・営外施設規定』
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130314/1363275892
を好意的に紹介しておられます(要するに慰安所は軍が軍用施設として管理しており民間施設を軍が単に利用していたわけではないって事です)。小生のような凡人からすればscopedog氏がうらやましい限りです(林氏は「こうしたネット上での質の高い議論の成果を学者の側がどう生かしていくか」「また学者の側もこのような形でネットで情報発信していくこと」が求められるだろうとしています。端的に言えば「まだまだ我々学者はネット活用が不十分だ」ということですね)。
 なお、このid:scopedog氏エントリについては
id:Apeman氏も

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130718/p1
•吉見義明*17、「【資料紹介】第三五師団司令部「営外施設規定」」、『季刊 戦争責任研究』、第80号(2013年夏号)、pp.55-57
 史料名でピンときた方もおられると思いますが、scopedogさんが発掘された史料が『季刊 戦争責任研究』の最新号に掲載されております。吉見先生による解説では、scopedogさんのダイアリのコメント欄での永井和*18先生のコメントにも言及あり。野戦酒保規程の改正によって抽象的に与えられた軍「慰安所」の設置根拠が現地軍レベルの実務においてどのような形で具体化されたか、を示す本史料によって、「慰安所」制度研究に欠けていたピースの一つが埋まったと言えるのではないでしょうか。scopedogさんの地道な努力に敬意を表しつつ、ご紹介させていただきます。

として紹介しています。
・なお林氏曰く林氏の新刊『日本軍「慰安婦」問題の核心』(花伝社)が6月末に刊行予定*19だそうです(ググったら既にアマゾンで購入可能ですね)。
・まあ、要約するのも結構大変なので「ググって見つけた記事」をいくつか紹介して要約の代わりにしたいと思います。


赤旗『「慰安婦」問題 政府は資料収集を、塩川氏に参事官 「扱い調整する」、衆院内閣委』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-28/2015032804_04_1.html


朝日新聞慰安婦問題研究者が訴訟で論戦 吉見・秦両氏』
http://www.asahi.com/articles/ASH7F3K4JH7FUTIL00Q.html
 まあ、裁判は桜城(吉見氏を誹謗した維新のチンピラ議員)が負けるでしょう。まともな人間から見れば「秦が歴史学者ではなく名実ともに右翼活動家であることが改めて明白になっただけ」であって行われてるのは「論戦」ではなく「秦の詭弁に対する吉見氏の突っ込み」でしかありません。秦はもはや歴史学者と呼ぶに値しない。ただのプロ右翼活動家です。あまり秦がふざけたこと抜かしてるようならば将来的には「秦が吉見氏の訴訟ターゲットになること」も充分ありうるでしょう。


■「戦後社会と象徴天皇制明仁天皇美智子皇后に焦点をあてて」(河西秀哉*20
(内容要約)
・まずNHKの世論調査天皇についてどう思うか」についての回答結果が紹介されます。
 河西氏曰く「昭和時代は『何とも思わない』→『尊敬』→『好意』→『反感』の順だったが、最近は『好意』→『尊敬』→『何とも思わない』→『反感』と変化が見られる」そうです。つまり「何とも思わない」から「好意」「尊敬」への大きな移動がみられるわけです。
 でまあ、この変化の分析はそう簡単ではないでしょう。河西氏は「あの戦争に責任がある昭和天皇から、責任がない*21明仁天皇という違いが大きいのではないか」としていますが、あくまでもそれは「仮説にとどまる」わけです。
 まあ、少なくとも「天皇への好意的意見の増加は、安倍政権誕生に象徴される右傾反動化の現れ」と見なすのは適切じゃない気が個人的にはしますが。
・さて河西氏も指摘していますが明仁天皇とその一家の特徴といえば「極右主義から明らかに意識的に一定の距離を置いている」というところでしょう。まあ、こうした言動を「天皇はリベラルだ」など過大評価するのもどうかと思います。彼と彼の家族のそうした言動は「天皇制度の生き残り戦略」といった要素は否定できないわけです。単純な「真意の表明ではない」でしょう。
 いずれにせよ「極右からの距離感」は天皇一家の重要なポイントではあります。そうした天皇一家に対する不満が右翼サイドから表明され「美智子妃の失語症→右翼による文春や宝島社への銃弾打ち込み」という事態が引き起こされたのが1993年のいわゆる「大内糺騒動」です。
・最後にウヨ連中が敵視し反発する明仁天皇の言動をウィキペ「明仁」などから引用しておきましょう。

ウィキペ「明仁
・「国民と共に日本国憲法を守り、国運の一層の進展と世界平和、人類の福祉の増進を切に希望して止みません。」
 1989年(平成元年)1月9日、即位後朝見の儀にて
・「私自身としては、桓武天皇の生母*22百済武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。」
 2001年(平成13年)12月18日、誕生日に際する記者会見にて。
・「私にとっては沖縄の歴史を紐解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました。」
 2003年(平成15年)12月18日、誕生日に際する記者会見にて(母方の祖母である久邇宮邦彦王妃・俔子妃が薩摩藩主だった島津家の出身である)。
・「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね。」
  東京都教育委員で日本将棋連盟会長(役職は当時)米長邦雄の「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させるのが私の仕事です」という発言に対して。2004年(平成16年)10月28日、秋の園遊会にて。
・「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います。」
 2005年(平成17年)12月19日、誕生日に際する記者会見にて。
・「1930年から1936年の6年間に要人に対する襲撃が相次ぎ、総理または総理経験者4人*23が亡くなり、さらに総理1人がかろうじて襲撃から助かる*24という、異常な事態が起こりました。そのような状況下では議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。」
 在日外国報道協会代表質問「教育基本法改正に伴い愛国心の表現を盛り込む事が、戦前の国家主義的な教育への転換になるのでは」に対し。2006年(平成18年)6月6日、シンガポールタイ王国訪問前の記者会見にて。
・「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。」
 2009年(平成21年)4月8日、結婚満50年に際する記者会見にて。
・「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
 2013年(平成25年)12月23日、誕生日に際する記者会見にて。

http://j.people.com.cn/n/2015/0716/c94474-8921293.html
 1992年10月23日、天皇皇后両陛下が正式に訪中し、楊尚昆*25(注:国家)主席が人民大会堂で開催した盛大な歓迎晩餐会の席で、「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。戦争が終わった時、我が国民は、このような戦争を再び繰り返してはならないとの深い反省にたち、平和国家としての道を歩むことを固く決意して、国の再建に取り組みました」と述べた。明仁天皇が北京で、中日間の不幸な歴史に関する思いを公の場で表明したことは、各方面から幅広い認可を得た。天皇の訪中成功は、両国の善隣友好関係の促進に重要な役割を果たした。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gaikoku/gaikoku-h04-china.html
宮内庁中華人民共和国ご訪問に際し』(平成4年)
問1
「日中の長い歴史の中で初めての天皇訪中が実現いたします。その意義について,陛下はどのようにお考えでしょうか。また,念願の訪中にあたりまして両陛下の抱負をお聞かせ下さい。」
天皇陛下
「日本と中国は地理的に極めて近く,長い交流の歴史がありました。日本人は古くから中国の文化を学び,それを元にして漢字から仮名を作り出したように,様々な面に日本の文化を育ててきました。したがって両国の間には似ている面と異なっている面が入り交じっていると聞いております。このような関係にある両国の間で関心を持っている人々が互いに理解を深め合い,友好関係を増進することは極めて重要なことと考えます。この度の訪問がこのような契機となれば幸いと思います。短期間の限られた地域への訪問でありますが,中国の文化や歴史に接するとともに,多くの人々と交わり,相互理解を深め,友好関係の増進に資するよう努めていきたいと思っています。」
皇后陛下
「私も陛下のおっしゃいましたことと同じ気持ちでおります。この訪問を楽しみに,心を込めて務めを果たしてまいりたいと思います。」
問2
「陛下は李鵬*26首相が来日した際に,『近代において不幸な歴史があったことに遺憾の意を表します』と述べられたと伝えられています。この度の訪中には,どのようなお気持ちで臨まれるのでしょうか。」
天皇陛下
「日本と中国は,古くから平和に交流を続けてきましたが,近代において,不幸な歴史がありました。戦後,日本は,過去を振り返り平和国家として生きることを決意し,世界の平和と繁栄に努めてきました。この度,国交正常化20周年の機会に中国を訪問することになりましたが,これを契機として,日本が世界の平和を念願し,近隣の国々と相携えて,国際社会に貢献しようと努めている現在の日本が理解され,相互信頼に基づく友好関係が増進されことを願っております。」
問3
「今回の訪中をめぐりましては,内外に様々な反対意見もありました。この点について陛下のお考えをお聞かせ下さい。」
天皇陛下
言論の自由は,民主主義社会の原則であります。この度の中国訪問のことに関しましては,種々の意見がありますが,政府は,そのようなことをも踏まえて,真剣に検討した結果,このように決定したと思います。私の立場は,政府の決定に従って,その中で最善を尽くすことだと思います。」
問4
「中国とその国民に対して両陛下はどのような印象をお持ちでしょうか。また,いよいよ訪問が間近に迫っていますが,準備の方はそれぞれいかがでしょうか。特にお読みになっている本などがあればお聞かせ下さい。」
天皇陛下
「小さい時から中国に関しては話を聞いたり,また,本を読んだりして関心を持っていました。中国の古典や歴史から学ぶことがたくさんあります。私が好きな言葉に忠恕ということがありますが,これは自分に誠実で,そして人の心を思いはかるという意味のことです。これは論語にある言葉であり,また,私が小さい頃,当時の穂積*27東宮大夫は,新訳孟子をちょうど在職中に書いていましたけれども,その新訳孟子も後に興味深く読みました。日本人はこのような中国の文化の恩恵に浴してきました。遠い昔からこのような文化を生み出した中国に対して深い敬意の念を持っております。また,中国の人々に接した,私が接しました人々には,非常に親しみを感じております。準備の方としましては,いろいろ行事も多く忙しい日々を過ごしていますので,今までに読んだ本や,読まない本を含めて,ところどころに目を通すという程度しか出来ません。」
皇后陛下
「小学校の何年生の頃でしたか,音楽の時間に揚子江の歌を教わりました。水を満々とたたえた川が,昼も夜も滔々と流れて大陸の沃野をうるおす,という意味の歌でした。歌いながら子供の心にも何か広々としたもの大きなものが感じられ,その印象が今も私の中にとどまり,中国や,そこに住む人々の姿と重なっています。準備の方は,期間も短く,決して十分とは申せませんが,陛下お始めいろいろな方面の方々にお教え頂きましたり,中国各地の民話等を少しずつ読んでいます。」
(中略)
問9
「陛下は皇室と中国の関係をいかがご覧になるでしょうか。それは三つの時代についてお尋ねいたしますが,一つは昔の時,もう一つは明治維新以来終戦までの時と,現在の時をお伺いしたい。」
天皇陛下
「皇室と中国の関係につきましては,古くは天皇が遣隋使,遣唐使を派遣し,それに伴って留学生も隋,唐に渡り中国の文化を学ぶように力を尽くしてきました。遣唐使が廃止されてからは,(注:皇室と)中国との関係は,政治が将軍の手に移ったこともあり,なくなりましたが,中国の文化が皇室に深い影響を持っていたことは,例えば天皇の即位礼でも孝明天皇までは中国から取り入れた礼服という式服によって行われていたことにもうかがえます。明治以降は,世界の変動の様々な影響を受け,両国の関係も様々に変化しますが,その間には不幸な歴史もありました。戦後は,国交正常化の後両国の関係は緊密化を強めてきていることは喜ばしいことと思います。両国の関係は過去を踏まえて,それを乗り越え,相互信頼に基づく末永い友好関係が今後培われていくことを念願しております。」


■歴史の眼「教科書はだれのものか:平成26年度検定をめぐって」(山田耕太)
(内容要約)
 赤旗の記事紹介で内容要約にかえる。

赤旗
■『「慰安婦」記述を大幅削除、中学校教科書検定 歴史問題など安倍色前面』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-07/2015040701_02_1.html
■『中学校教科書検定結果について:党国会議員団文部科学部会長・畑野君枝議員の談話』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-07/2015040702_02_1.html
■『育鵬社自由社の教科書、憲法敵視、改憲へ誘導 引き続き侵略戦争美化』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-07/2015040714_01_1.html
■『「旧土人保護法」はアイヌに「土地あたえた」?、中学教科書 歴史ゆがめる検定』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-04-17/2015041714_02_1.html


■書評「栗田禎子*28『中東革命のゆくえ:現代史のなかの中東・世界・日本』(2014年、大月書店)」(田浪亜央江*29
(内容要約)
 以前拙エントリ『新刊紹介:「歴史評論」11月号(追記あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20131020/5210278609)で栗田禎子氏の論文を批判しましたが、この書評を読む限り、栗田氏は未だに「エジプト軍政に値する甘い見方」を変えてないようです。「ムスリム同胞団やムルシ政権(当時)を批判すること」と「ムルシ打倒のエジプト軍クーデターを容認すること」は別問題だと思いますが「ムルシへの批判意識からクーデターを容認する」と言うとんでもない路線に突入しているのが栗田氏のようです。
 そして評者の田浪氏も「本気で栗田支持なのか、栗田氏との間に師弟関係など何らかのしがらみがあるのか知りませんが」明確な栗田批判をしません。
 そんなんで田浪氏及び「歴史評論編集部」はいいんですかね。山田朗論文、林博史論文などがまともなだけに何だか痛々しい気がします。

*1:著書『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)など

*2:戦後、自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相

*3:中曾根の東南アジア軍人生活については例えば赤旗『「土人女を集め慰安所開設」、中曽根元首相関与示す資料、高知の団体発表』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html)参照。中曽根のような男が果たすべき「戦争責任の取り方」の一つは当然ながら「中曽根自ら荷担した慰安所設置の事実を素直に認め、慰安所設置の生き証人の一人として河野談話否定論を批判すること」のわけです。もちろん中曽根にはそういう誠実さはないわけですが。

*4:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*5:岸内閣郵政相、自民党政務調査会長(池田総裁時代)、池田内閣蔵相、自民党幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣通産相などを経て首相

*6:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相。

*7:著書『日本帝国主義の形成』(2001年、岩波モダンクラシックス)、『明治維新』(2003年、岩波現代文庫)、『自由民権』(2003年、岩波現代文庫)、『日本の軍国主義』(2004年、岩波現代文庫)、『明治維新』(2006年、中公文庫) など

*8:ソ連共産党書記長

*9:ソ連首相、ソ連共産党第一書記

*10:中国共産党主席

*11:副首相、党副主席、人民解放軍総参謀長などを経て国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席

*12:著書『南京の日本軍:南京大虐殺とその背景』(1997年、大月書店)、『餓死した英霊たち』(2001年、青木書店)、『中国戦線従軍記』(2002年、大月書店)、『天皇の軍隊と日中戦争』(2006年、大月書店)など

*13:著書『天皇の軍隊と南京事件』(1986年、青木書店)、『日本の軍隊:兵士たちの近代史』(2002年、岩波新書)、『日本人の戦争観:戦後史のなかの変容』(2005年、岩波現代文庫)、『アジア・太平洋戦争』(2007年、岩波新書)、『兵士たちの戦後史』(2011年、岩波書店)など

*14:著書『朝鮮近代の歴史民族誌』(2008年、明石書店

*15:なお、慰安婦は台湾にもいます

*16:個人サイト(http://www.geocities.jp/hhhirofumi/)。著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『沖縄戦・強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)など

*17:著書『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)、『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)、『「慰安婦」・強制・性奴隷:あなたの疑問に答えます』(林博史氏らとの共著、2014年、御茶の水書房Fight for Justiceブックレット) など

*18:個人サイト(http://nagaikazu.la.coocan.jp/)、個人ブログ(https://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/)。著書『近代日本の軍部と政治』(1993年、思文閣出版)、『青年君主昭和天皇と元老西園寺』(2003年、京都大学学術出版会)、『日中戦争から世界戦争へ』(2007年、思文閣出版)など。

*19:雑誌発行は7月ですが林氏の原稿提出それ自体は当然ながら「6月末より前」なので「刊行予定」と言う表現になります。

*20:著書『「象徴天皇」の戦後史』(2010年、講談社選書メチエ

*21:終戦時11才

*22:高野新笠のこと

*23:右翼テロリストの狙撃が原因での浜口首相の病死、515事件での犬養首相暗殺、226事件の高橋元首相(暗殺当時は岡田内閣蔵相)、斎藤元首相(暗殺当時は内大臣)の暗殺

*24:226事件岡田啓介首相が暗殺されかけたこと

*25:全国人民代表大会常務副委員長、国家中央軍事委員会副主席、党中央軍事委員会副主席、国家主席などを歴任。

*26:電力工業大臣、国家教育委員会主任(日本の文科相に当たる)、首相、全国人民代表大会常務委員長(日本の国会議長に当たる)などを歴任。

*27:東大法学部長、最高裁判事をつとめた民法学者・穂積重遠のこと

*28:著書『近代スーダンにおける体制変動と民族形成』(2001年、大月書店)など

*29:著書『「不在者」たちのイスラエル:占領文化とパレスチナ』(2008年、インパクト出版会