新刊紹介:「歴史評論」8月号(その2:特集「日本の敗戦から70年」:人民日報記事から読む「日本の戦争」)

・(その1)の続きですね。
■「深まる日中歴史認識の相克:歴史認識共有の基盤をどこに見出すか」(伊香俊哉*1
(内容要約)
・日本ウヨと「あの戦争に対する認識の差がある」のは何も中国限定ではなく「大東亜戦争はアジア解放の聖戦(日本ウヨ)」「太平洋戦争は日本の侵略(欧米)」など他にもありますがここでは中国について述べられています。
日中戦争については日本ウヨメディアの主張より「人民日報(日本語版)の主張」に「そりゃアレは日本の侵略戦争だろ、中国が今も恨むのは当然だろ、居直る産経とか日本会議とかがおかしいんだよ」「大体日中共同声明とか天皇訪中とかで一応わび入れてる話だろうに居直る産経とかが(以下略)」と共感する俺からすれば「深まる相克って言われてもな、深まってるのは安倍みたいな極右だけジャン、大筋では俺、中国の安倍『歴史認識』批判に異論ナッシングだけど?」なんですが。ただ、まあアレが首相ですからね。アレを首相にするような奴(自民党公明党支持者?)の歴史認識は「アレと同レベル」なのかもしれない。まあ少なくともそう海外から見なされて日本社会が危険視されても仕方ないでしょう。
 「基盤をどこに見いだすか」て言われても「え、基盤を見いだすも何もあの戦争が侵略戦争て国際常識ジャン、東京裁判で戦犯裁いてるし」「つうかそれは一応建前では政府、自民党の公式見解だし。でなきゃ、中国と国交正常化なんかできないし」なんですが「安倍の首相就任」と言う悲劇を前に本当に何をどうしたらいいのか、て感じですね。
 まあ基盤を置くとしたら「既に存在する日中友好団体(例:日中友好協会(http://www.j-cfa.com/)、日中協会(http://jcs.or.jp/)、日本国際貿易促進協会http://www.japit.or.jp/)、日中文化交流協会http://www.nicchubunka1956.jp/)など)」つうのが一番自然でしょうが。あとは「財界の商業活動とか、文化交流とか日本人の留学と観光旅行とか」まあ、とにかく広い意味での日中友好全般ですかね。
 最後に「中国側は歴史認識共有の基盤をどこに見出しているか」を考える参考として「人民日報(日本語版)」の記事などを紹介しコメントしましょう。

人民日報
■『宮崎駿氏「侵略戦争は完全な間違い、反省しなければいけない」』
http://j.people.com.cn/n/2015/0715/c94473-8920451.html
 「日本を代表する国民的アニメ監督があの戦争を批判してるのですby人民日報」てことですね。まあ、これからいろいろと人民日報(日本語版)の記事を紹介していきますが、基本的にあちらは「ワシらはまともな日本人(例:宮崎氏)は評価し、まともじゃない日本人(例:安倍や産経)を批判してるだけ」「まともな日本人となら大いに友好関係築くつもりやから」てスタンスですから。「中国語が読めない」ので、中国語版人民日報までは俺も確かめませんがまあ、スタンスは同じじゃないんですかね。


■『「花岡暴動」70周年 中国人犠牲者の慰霊式が日本で開催』
http://j.people.com.cn/n/2015/0703/c94474-8915102.html
 花岡事件を追悼するような日本人となら中国は友好関係を築く用意があるという話です。


■『丹羽宇一郎*2「過去を無視した未来像は信頼を得がたい」』
http://j.people.com.cn/n/2015/0708/c94474-8917134.html
■『村上春樹氏「相手国がもういいというまで日本は謝るしかない」』
http://j.people.com.cn/n/2015/0421/c94473-8881459.html
■『「人間の証明*3原作者・森村誠一氏「七三一部隊の罪を暴き集中攻撃受ける」』
http://j.people.com.cn/n/2015/0824/c94473-8940365.html
■『(注:日中戦争被害を理由に日本政府を訴えた)中国人(注:原告)を20年間サポートする日本の弁護士団 「理解されないのが悲しい」』
http://j.people.com.cn/n/2015/0825/c94473-8941277.html
■『日本の「悪魔の飽食」合唱団がハルビン*4で公演』
http://j.people.com.cn/n/2015/0928/c94473-8956254.html
■『日本人作家*5、書籍通じて「旅順大虐殺」の真相語る』
http://j.people.com.cn/n/2015/0930/c94473-8957497.html
加藤紘一*6が死去 日本に侵略の歴史の反省を呼びかける
http://j.people.com.cn/n3/2016/0912/c94474-9113842.html
■外交部、加藤紘一氏の逝去に哀悼の意
http://j.people.com.cn/n3/2016/0913/c94474-9114427.html
南京大虐殺の真相究明のために闘う日本人女性・松岡環さん*7
http://j.people.com.cn/n3/2016/0921/c94473-9117806.html

 旅順虐殺事件*8は「日清戦争での蛮行」であって日中戦争には関係ありませんが「中国側の日本認識(要するに中国が問題にしているのは極右反動・侵略分子であって日本人全体ではないと言う事)」の参考として紹介しておきます。


■『映画「南京!南京!」 「ニコニコ動画」で配信へ』

http://j.people.com.cn/n/2015/0717/c94473-8921877.html
 日本最大の動画共有サイトニコニコ動画」は7−8月、歴史問題などを扱うドキュメンタリーを中心とした世界中の映像作品を配信する「ニコニコドキュメンタリー」を行う。中国の陸川*9(ルー・チューアン)監督が旗を振った「南京!南京!」やドキュメンタリー「靖国 YASUKUNI」、「1937 南京記憶」などの作品も次々と配信される。そのうち、「靖国 YASUKUNI」は日本で数多くの妨害を受けて、ようやく延期して公開された。ほかの2作品はこれまで日本の映画館やテレビで公開されていない。
 「ニコニコ動画」を共同運営するドワンゴニワンゴは15日、記者会見を開催し、7月末から、歴史問題を扱ったドキュメンタリーや映画、映像作品を配信することを発表した。
(中略)
 中国の陸川(ルー・チューアン)監督が旗を振った「南京!南京!」は、2009年に中国で公開され大きな話題となった。ただ、南京大虐殺をテーマとしているため、日本では2011年8月21日に一日限りの上映が行われただけで、映画館での上映やテレビでの放送は行われていない。同映画も、8月18日に、「ニコニコ動画」で配信される。
 中国の李纓監督が1997年から10年にわたって靖国神社を取材したドキュメンタリー「靖国 YASUKUNI」が8月15日に、中国系アメリカ人女性ジャーナリスト・張純如(アイリス・チャン)の著作を原作としたドキュメンタリー「1937 南京記憶」が8月24日にそれぞれ配信される。「靖国」は2007年12月、東京都内でマスコミ試写が行われた直後、日本の右翼に「反日映画」と呼ばれ、日本での上映は数多くの妨害に遭った。


■『在日本中国大使館、在日華僑界・抗日戦争勝利70周年記念座談会を開催』

http://j.people.com.cn/n/2015/0719/c94473-8922591.html
 在日本中国大使館は17日、「在日華僑界・抗日戦争勝利70周年記念座談会」を開催した。程永華*10駐日大使、在日華人・華僑、中国企業代表、留学生ら40人が出席した。
(中略)
 程大使はさらに「歴史を銘記するのは、恨みを抱き続けるためではない。侵略戦争を美化し、歴史を歪曲する人間に対して意見を述べる際、まず自らが歴史を理解する必要がある。在日華人・華僑の皆さんが、中日交流活動に積極的に参加し、自らの言動でもって日本人に正しい歴史の知識を伝え、中日関係の改善に向け引き続き積極的な役割を果たしてくれることを願う」と述べた。
 中国留日同学総会の汪先恩会長は座談会で発言し、「日本人の大部分は平和を望んでいるが、一部の人は歴史を歪曲し、歴史教科書の中で歴史を改ざんしようとしている人もいる。我々は日本語の書籍・資料を編纂し、在日華人・華僑が様々なルートを通じて日本でこれを拡散し、日本人に正しい歴史認識を伝えるべきだ。また、戦争を回顧して教訓を汲み取り、団結を強め、祖国をより美しく豊かな国にしていくべきだ」と述べた。


■平和の願いを歌声にのせて 日本の合唱団が北京で公演
http://j.people.com.cn/n/2015/0903/c94473-8945437.html

 組曲「再生の大地」は大門高子による作詞、安藤由布による作曲で「平頂山事件」「目覚めに向けて」「寛大な判決」「撫順のあさがお」など12部の楽曲から構成されている。「再生の大地」合唱団は2011年に設立され、「撫順の奇跡を受け継ぐ会」に所属する日本の日中友好協会の公益アマチュア合唱団で、団員の平均年齢は約70歳だ。
(中略)
 公演開始前、「再生の大地」合唱団団長で、「撫順の奇跡を受け継ぐ会」の姫田光義*11代表は流ちょうな中国語で日本による70数年前の中国侵略及び植民地化に対し謝罪の意を表明し、「世界反ファシズム戦争勝利70周年において、過去の日本が中国に対して行なった侵略や植民地政策などの残虐行為、中国国民にもたらした計り知れないほどの受け入れがたい屈辱と苦難に対して、謹んでお詫びする」と述べ、「今回の北京公演は、楽曲中に込められた真実の歴史、人間の美徳を称賛し、日中両国民の平和と友好への想いを表現するために、合唱団メンバーが一心に追い求めていた事です」と続けた。


■『平和を守るには日本国民との連帯が必要』

http://j.people.com.cn/n/2015/0921/c94474-8952667.html
(前略)
 1953年7月7日、日本の友人と華僑とが花岡事件の被害者の遺骨を中国に持ち帰った際、廖承志氏*12はこう言った。
「平和を愛する日本の人々が日本国内の軍国主義復活の陰謀を必ず粉砕し、アジアと全世界の平和を求める闘争の中で力を発揮してくれることを信じている」。
 靖国神社の本質に迫る学者、中国人被害者の裁判を助けて自宅まで売却した弁護士、侵略の罪に立ち向かい続ける政治家、侵略美化に異議を公で唱える企業家など、大勢の日本人の存在は、戦争反対と平和愛好の声は加害国でも大きな民意を形成していることを十分に物語っている。
 中国共産党は、侵略戦争を起こした日本軍国主義の悪の元凶と日本国民とを常に区別してきた。抗日戦争の時期には、八路軍は、人道主義的な捕虜政策を取り、日本の反戦同盟の拡大を促進した。毛沢東*13はかつて、「帝国主義政府とこうした国の国民とを区別し、政府内の政策決定者と一般の幹部とを区別しなければならない」と指示している。この方針は、中日国交正常化の実現を直接推進するものともなった。
 我々は今日も、日本の右翼勢力とその代表者と、平和を愛する大勢の日本人とを区別し、日本政治の右傾化に対抗する統一戦線を打ち立てなければならない。中国による抗日戦争勝利の記念式典や軍事パレード開催は、現在の日本に向けたものではないし、ましてや日本国民に向けたものでもない。抗日戦争の偉大な精神を記念し、平和への思いを強め、未来を切り開くためである。
(後略)

■中日両国の専門家・学者、戦後中日関係70年の回顧と展望

http://j.people.com.cn/n/2015/0924/c94473-8954845.html
 中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利70周年を記念するため、中国中日関係史学会主催の「回顧と展望:戦後中日関係の70年、中日関係国際学術シンポジウム2015」が22日、北京で開催された。
(中略)
 劉*14名誉会長は式辞で、「日本国内には戦後すぐ、二つの異なる勢力が形作られ、長期にわたり対立した。対立の焦点は、中国を敵と見るか、友と見るかということだった。その力比べは、後者の勝利に終わり、いかなる力も阻止することのできない奔流となった。この流れは、前進を続ける歴史の潮流へと合流し、1972年には中日国交正常化として結実された。だが現在、中日関係は谷間にさしかかり、両国民はこれを憂慮している」と述べた。「かけ違えた」ボタンをかけ直すには、日本側が歴史を尊重し、早期の会談で問題を平和的に解決し、中日関係を安定的・健全・正常な軌道へと戻す必要がある。
「中日関係はいつかは正常な発展軌道を進み始める。これは両国民の共同の願いであると同時に、両国民の共同利益にかなっている」

 このシンポについては赤旗も報じていますのでそれも紹介しましょう。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-09-24/2015092413_01_1.html
赤旗『日本の歴史認識に懸念、北京で「中日関係」シンポ』
 中国中日関係史学会主催のシンポジウム「回顧と展望―戦後70年目の中日関係」が22日、北京市内で開かれ、中国の研究者や日本からの参加者らが意見を交わしました。
 あいさつした中日関係史学会名誉会長で中国文化部元副部長の劉徳有氏は、安倍晋三首相の「戦後70年談話」や戦争法成立などを念頭に、「最近、日本で現れた一連の動きを目にして、長年見守ってきた中日関係の今後の成り行きについて考えざるを得ない」と懸念を表明しました。その上で、「両国の大局から考えれば、日本側が歴史を尊重し、『掛け違えたボタンをかけ直し』、会談を通じて問題の平和的解決をはかり、中日関係が安定的かつ健全で正常な軌道に戻ってほしい」と日本政府に求めました。
 シンポでは、日中関係学会*15会長で元駐中国日本大使の宮本雄二*16のメッセージが読み上げられました。宮本氏は「日本は中国とアジアを侵略したのであり、朝鮮半島を植民地支配した」と指摘。「そのことにたいする深い反省と、被害を受けた人たちに対する心からのおわびの気持ちは当然持つべきだ」と表明し、「安倍談話」など日本政府の歴史認識を暗に批判しました。


■抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第2期
浅野勝人*17・元内閣官房副長官 「平和と友好の精神を受け継ぎ、中日の共同発展を促進」』

http://j.people.com.cn/n/2015/0707/c94474-8916545.html
 今年は抗日戦争勝利70周年にあたる。戦争経験者の声に耳を傾け、歴史を回顧し、反省してこそ、未来に向かうことができ、中日両国の平和友好・共同発展を促進することができる。
(中略)
 1938年生まれの浅野氏は(中略)早稲田大学を卒業後、NHK政治記者となり、記者として1978年の「日中平和友好条約」調印という歴史的な出来事を体験した。浅野氏はその後、政界に進出し、衆議院参議院議員に当選。橋本*18内閣の防衛政務次官、森*19内閣の外務政務次官、第1次安倍内閣の外務副大臣、麻生*20内閣の内閣官房副長官を歴任した。政治記者として中国関連の報道を担当したことをきっかけに、浅野氏は中国と深い縁を持つようになった。浅野氏は多くの中日交流活動に参与し、外務副大臣だったころには中日文化・スポーツ交流活動の開催を担当したこともある。
 浅野氏は、中日両国の先代の政治家たちが中日関係の発展のために並々ならぬ努力をしてきたことをよく知っている。1974年、中日両国の直行便開通に関する交渉の際、浅野氏は同行記者として当時の(注:田中内閣の)大平正芳*21外相らと共に初めて中国を訪れた。
(中略)
 浅野氏は取材の中で、幾度も周総理や大平外相など、先代の政治家に言及した。浅野氏はこれらの政治家の中日関係に対する先見性と誠意、そして彼らの人間的な魅力に心服させられたという。
「幸運なことに、周恩来総理に接見していただく機会に恵まれた。周総理の中日関係発展に関する言葉は、かけがえの無い誇りと指針となり、今でも心に生きている」。
 浅野氏は2010年に政界を引退した後も、中日交流事業に力を注いだ。2011年以降、招きに応じて北京大学で7回にわたる講演を行い、学生たちに自らが体験した中日関係の発展の歴史を語り、中日友好への期待を伝えてきた。浅野氏はこうした交流を「草の根の交流」と呼ぶ。中日国交正常化に立ち会った1人である浅野氏は、先代の政治家たちが中日関係のために行った貢献を中日両国の若者に伝え、若者たちが「温故知新」し、そこから何かを学び、中日関係に正しく向き合い、素晴らしい未来を創造することを望んでいる。今年5月、浅野氏は北京大学など中国の大学で8度目となる講演を行った。

 引用が長くなりましたが、中国が「歴史認識共有の基盤をどこに見出しているか」を考える上で、一つの参考になるかと思います。中国は別に「日本人や自民党をいたずらに敵視しているわけではない」わけです。
 つうか、別に浅野氏のようなスタンスは「自民党の歴史の中では」特に珍しいもんじゃないんですけどね(特に国交正常化以降は)。
 浅野氏のインタビュー動画も見ましたがまあ、おおむね同感ですね(以下は一言一句正確なわけではなくオレ流の要約です)。
朝鮮戦争で米国は対日占領政策を変えちゃうんです。共産主義の脅威と戦うためには右派政治家も活用すると。公職追放されてた人間が政府、自民党復権した。A級戦犯で無期刑を受けた賀屋興宣(東条内閣蔵相)すら仮釈放され池田*22内閣法相などとして復権した。結果的にあの戦争についての認識があいまいになってしまう。それを払拭しようとしたのがたとえば河野談話村山談話なんです」
 「日本は終戦後長い間、平和だったので若い方は平和であることは自然に感じていると思う。でも平和とか友好関係とか言うのは自然に生まれるものじゃないんです。そのために努力しないといけない」
 まあ、浅野氏に賛同できないところもあります。福田康夫*23元首相は「中国政府の安倍政権・安保法案への危惧は理解するが、私個人は安保法案には賛成の立場だ」「日中友好は大事であり、中国に対し、安保法制は中国がターゲットではない旨、説明し理解を得るべきだ」と語っていますが、浅野氏も同じ立場だそうです。そう言う意味では彼は「安保法制それ自体に批判的な山崎拓*24・元自民党副総裁」などとは違うわけです。
 ただし一方で中国は「そうした浅野氏であっても」『日中友好は大事だ』、『日本は戦争加害を直視せよ』という浅野氏の主張についてはそれはそれとして評価するわけです。


■抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第6期『中日交流を促す日本の元軍人』

http://j.people.com.cn/n/2015/0814/c94473-8936284.html
 金子広太郎さんは1927年11月24日に宮城県で生まれ、今年で88歳になる。「88は中国ではとても縁起の良い数字」と笑顔で話す。金子さんは1980年に友好団体「日中友好元軍人の会(「日中友好8・15の会」の前身)」に入会し、その後事務局長となって数十年来反戦と中日友好事業に尽力してきた。
(中略)
 大学卒業後は大手広告会社である電通に勤め、あっという間に35年が過ぎた。
(中略)
 仕事や他の対中友好的な人々と接する中で、金子さんは次第に中国に興味を抱くようになった。1966年、金子さんは日本のメディアと共に訪中し、周恩来総理の接見を受けた。これが初の訪中となり、深い印象を残した。金子さんは中国人民解放軍の軍服に識別のための肩章や襟章が誰一人つけられていないのを見て、これこそが理想の民主平等だと感じたという。これは当時特有の情況ではあったが、金子さんにとってそれは中国に特別な思い入れを残すこととなった。
 70年代初め、金子さんが勤める電通に中国で生まれ育ったという日本人が就職した。この日本人の家族は戦前偽満州国で仕事をし、戦後中国に残って新中国と共に成長した。彼の物語は金子さんの心を強く打った。その後中国に関心をもつ同僚らで中国語学習サークルが結成され、中国から帰国したその日本人が中国語教師となった。
 金子さんが「日中友好元軍人の会」に入会し、真に中日友好交流活動に取り組むようになったのは元日本兵で元陸軍中将の遠藤三郎*25と出会ってからだった。遠藤さんは戦後日本の著名な対中友好の人で、日本の侵略戦争の真相を紹介し、侵略戦争の反省と中日友好を主張し、「日中友好元軍人の会」を設立した人物だ。遠藤さんの推薦の下、金子さんは1980年に正式に同会に入会した。
 金子さんが電通を退いてからは、この会の活動が主な仕事となり、その後事務局長を担うことになる。「日中友好元軍人の会はこれまで中国の友好団体と連携を図り、相互訪問交流を展開してきた。定期的に中国側の訪日客を受け入れ、日本での生活や勉学をサポートし、反対にこちらから訪中した際には手厚いもてなしを受ける」と話す。
 かつて経費が十分に確保されていた時には、同会は毎年3、4人の中国側交流訪問者を招き、こちらの会員の家に住み、同会の支援の下日本の大学で学んだ。しかし、会員が高齢化するにつれ、退職する会員も増え、受け入れにも経済的圧力に直面し、中国側訪日数は2年に1回に減らさざるを得なくなった。
 また、交流活動は近年の両国政治関係の影響も受け、一時交流が途絶えた時期もあった。金子さんは安倍政権の歴史と戦争に対する姿勢を批判しており、安倍政権の安保法案や歴史認識における誤った認識が中日関係の大きなマイナス要素となっていると指摘している。政治関係がどうあれ、民間交流は持続的に展開していくべきとも語った。
 両国関係の未来について、金子さんは両国の若者に大きな期待を寄せている。「今日多くの中国人観光客が日本を訪れており、中国語を学ぶ日本人も多い。ビジネス交流のためだけの相互学習に留めるのではなく、両国の若者にはしっかりと歴史を学び、とりわけ両国の交流史をしっかり学んでもらいたい」と語った。


■抗日戦争勝利70周年インタビューシリーズ第9期・中国侵略日本軍元兵士「日中友好の前提は侵略を認め反省すること」
http://j.people.com.cn/n/2015/0918/c94474-8951914.html

「私は人を殺さずにすんでよかった」。
 取材の後、中国侵略日本軍の元兵士である94歳の高橋哲郎氏(以下敬称略)は人民網の取材にそう語った。中国人を「殺さずにすんだ」というこの日本人元兵士は、その生涯の多くを、日本軍国主義の侵略の罪を懺悔し、歴史の真実を人々に伝えることに費やしてきた。「歴史への理解と反省なしに日中友好を実現することはできない」と高橋は語る。
(中略)
 戦線拡大で日本の兵力不足の状況も深刻化し、日本軍は一般の日本人を大量に強制召集し始めた。徴兵検査で「乙種」(すぐに入軍の必要なし)の評価を受けていた高橋も1944年4月、入軍することとなった。
(中略)
 中国語のできた高橋は6カ月の新兵訓練の後、「宣伝広報班」に配属された。
(中略)
「私の任務は、前線に行って戦い、銃をかついで中国人を殺すことではなかった。占領地の中国人の人心安定工作を行い、中国人による日本軍への協力を促すことだった」
 「宣伝広報班」に入った高橋は、京劇愛好家の中国人50人余りを現地で集め、京劇団を設立し、済南周辺の村々で公演した。中国では当時、京劇が大流行し、庶民の人気が高かった。高橋らは、中国人との距離を縮めるために京劇を使った宣伝を行ったのである。ただ日本軍の当時の政策では、演目は中国で広く愛される「水滸伝」や「三国志」などの武侠物がほとんどで、あからさまな政治プロパガンダはなかった。
 高橋は戦場に行ったわけではないが、戦場は高橋から遠くはなかった。京劇団を率いて各地を公演している間にも、済南の周囲に駐屯する日本野戦軍は中国の軍民を「討伐」「掃蕩」し、いわゆる「秀嶺作戦」を着々と展開していた。済南市内の司令部で務めていた高橋は、日本軍の焼き討ちや殺害、略奪の現場を見ることはなかった。
「多くの行動は秘密で行われ、行動は上級士官にのみ報告され、下級の兵士同士は仲間が何をしているのかさえはっきり知らなかった」。
(中略)
 高橋の属していた第59師団は1945年7月、ソ連赤軍が予定していた日本関東軍への進攻に対抗するため、朝鮮に異動させられた。まもなくして8月15日、日本は降伏を発表した。
(中略)
 降伏したなら日本にすぐ帰れるだろうと思っていた高橋だが、その後の事情はそううまくは運ばなかった。
(中略)
 日本の捕虜たちはその後、極寒のシベリアに連れて行かれ、伐採や炭鉱、鉄道工事などの労働をすることとなった。
(中略)
「若者の多くが過労と栄養失調でシベリアで死んだ」
(中略)
 1950年、建国したばかりの中華人民共和国は、当時国際社会が制定していた戦犯処理規定にのっとり、ソ連政府から引き渡される日本人戦争捕虜の受け入れを始めた。同年7月、高橋哲郎を含む1000人近くの日本人戦争捕虜は、B級・C級戦犯としてシベリアから遼寧省の撫順戦犯管理所に移された。
(中略)
 日本に帰った後、戦犯に対する国際社会の処理と比較して、高橋は初めて、日本人戦犯に対する中国の寛容が例を見ないことだということを知った。
「戦争捕虜を教育・支援することなど、ほかの国では考えられない」。
「米国や英国などの戦勝国は戦犯を死刑にしただけだった。悪いことをしたのだから罰するというだけだ」と高橋は語る。
「中国政府は最初から我々を死刑にする気はなかった。平和を愛する人に我々を教育し直そうとしただけだった」。
「日本に帰って初めて、我々は中国の心遣いを理解した。今に至るまで感謝している」
 高橋は日本に帰国後、同じような経歴を持つ戦争捕虜とともに日中友好を積極的に促進し続けた。彼らは日本人に対し、「我々はかつて中国を侵略し、これ以上ない犯罪を犯した。死刑になっても当たり前だったが、中国人は我々を助けた。我々は中国人にとても感謝している。我々は二度と銃口を中国に向けてはならない」と訴え続けて来た。高橋は、「我々がこのように言うのは当たり前だ。我々自身がそう思っているのだから」と語る。
 1957年、生活面での相互援助と日中友好の促進をねらいとして、中国から日本に帰った戦争捕虜らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を設立した。高橋はこの事務局長を務めたこともある。高橋は数十年にわたって、日中友好交流事業に力を尽くし、日本各地の中帰連のメンバーを率いて中国に交流訪問に行き、すでに博物館に改造された撫順戦犯管理所を見学し、管理所で働いていた教員を見舞ってきた。
 メンバーの高齢化と人数の減少に伴い、中帰連は2002年、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」と改名し、「中帰連」が提唱する歴史の反省と平和友好の精神が受け継がれていくように、若い世代の参加も可能とした。高橋は語る。
「現在の協会の交流活動はすべて若い世代が展開している。このようにしてこそ日中友好は子々孫々にわたって伝わっていくはずだ」
 日本社会の歴史観に対しては、高橋は大きな憂慮を抱いている。日本に帰ったばかりの頃、中帰連のメンバーらの暮らしは苦しく、保障もなかった。一部の日本人は彼らに同情を寄せるどころか、彼らを「洗脳された人」として扱った。高橋は語る。
「戦争が終わって70年になるのに、日本国内にはまだ侵略を認めず、民族的な優越感を持っている者がいる。右翼の人は、日本はすでに中国に何度も謝ったのだから、日中関係が改善しないのは被害者の方の問題だと主張している。侵略の歴史を認めて反省することは自虐史観とされてしまっている」
 高橋は、日中友好を実現するためには、加害者である日本がまず自らの犯した罪を認めなければならないと主張する。この前提があって初めて、被害者である中国は日本を理解し、その犯した罪を許せるようになる。こうして初めて和解は実現できる。


■季刊・中帰連2号(1997年)『中国人民の寛大政策について』(藤田茂*26
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/02/hujita_kandaiseisakunituite.htm

■1974年*277月7日、日中戦争開始の原因となった盧溝橋事件37周年に中帰連が主催した「日本軍国主義を告発する」報告集会において為された藤田茂・(注:中帰連)初代会長の講演内容です。
 この文章は藤田茂氏の生前の文章のうちもっともよく知られている文章であるとともに、日本人戦犯の「認罪」について、その状況をよく説明しているものです。『季刊・中帰連』第2号にも収録されていますが、多少の異同があるため、本文は、中帰連編『私たちは中国で何をしたか』*28より転載いたしました。


(前略)
 中国の人々の寛大で暖かい処遇にはただただ頭のさがる思いでした。
 先般、中国を訪問した知人が私に申しました。
「中国の人々は、過去の戦争のことは忘れましょう、将来の平和と友好のため話し合いましょうと言いました。さすが中国人は大国の人民だ。あの日本軍の侵略による損害を水に流そうというのです」と。
 私はこの言葉を聞いて大変情けなく思いました。誰が親兄弟を殺され、先祖伝来の家を焼かれてこれらを忘れられましょうか。私は「過去のことは水に流そう」と言っておられる中国人民の奥深い心情を、正しく理解する必要があると痛感いたしました。
(中略)
 広州*29で、あるレセプションに出席いたしましたとき、その席上で広州市革命委員会の副首席の方の挨拶がありましたが、その一節で「私の故郷は河北省であります。そこでは軒並みに日本軍によって殺された人がたくさんいました。私は日中問題について長い間悩んでいました。毛沢東思想の学習と党と政府の辛抱強い指導によって、ようやく日本人民と日本軍国主義を区別することができるようになりました」と言っておられました。
 中国の東北*30から海南島に至るまで、かつて日本軍が侵略した地域には、中国人民の血の跡が残っているのです。このことを私たちは銘記しなければなりません。日本が中国を侵略したことは拭い去ることのできない歴史の事実であります。
 私は、侵略戦争の実態をよく見つめて侵略戦争を心の底から憎むとき、はじめて「過去のことを水に流して日中友好を願う」中国人民の心情を理解することができるのだと考えています。過去の侵略戦争を反省し、日本軍国主義の告発こそ、日中友好の基礎であると私は確信しております。
 訪中した際、周恩来総理は私に対して次のように述べられました。
「今度、日中両国の間に国交が回復したことはまことに喜ばしいことです。これは経済的基盤の異なる両国の総理が紙の上で約束したものであります。しかし、本当の友好はこれからでありましょう。中国人民と日本人民がお互いにもっともっと理解を深め、その相互理解の上に信頼の念が深まってこそ、初めて子々孫々に至るまで変わることのない友好関係が結ばれることでしょう。これにはまだ永い年月がかかることでしょう。日中友好のためお互いにいっそう努力しましょう」
 私はこの言葉こそ今日、中国人民の心情であると感じております。
 私は老骨に鞭打って、侵略戦争反対、軍国主義の告発、日中友好のために今後も邁進する覚悟です。


■「中国人になった」日本人ドラマー ファンキー末吉さん
http://j.people.com.cn/n3/2016/0602/c94473-9067079.html

 中国のロックミュージックが誕生して今年で30年を迎える。今回は、中国ロックの黎明期に北京を訪れ、四半世紀にわたって中国ロックの発展に貢献し、外国人でありながら中国ロックの歴史に名を刻む日本人ドラマー、ファンキー末吉さんをご紹介したい。
 中国ロックは、今から30年前の1986年5月9日、「中国ロック界の父」と呼ばれる歌手・崔健(ツイ・ジェン)が、連合国国際平和年を記念して北京工人体育館で開催された第一届百名歌星演唱会(第一回100人歌手コンサート)で「一無所有(俺には何もない)」という名曲を歌ったときから始まる。後に中国ロックは紆余曲折を経ながら広まりを見せ、米国ロックの40年の歴史をわずか10年の間に駆け抜けていった。その黎明期に当たる1990年に北京を訪れ、中国ロックの発展を支え、その盛衰を見届けてきた人物がファンキー末吉さんだ。

 まあ戦争関連記事じゃないですが。こういう「日中友好的記事」を載せることにより中国は「日本の反中国的な側面を批判してるのであり反日ではない」というアピールをしているわけです。


NHK731部隊のドキュメンタリーを放送
http://j.people.com.cn/n3/2017/0815/c94474-9255527.html
■歴史の真相を暴く日本の識者の勇気を賞賛
http://j.people.com.cn/n3/2017/0816/c94474-9255957.html

http://j.people.com.cn/n3/2017/0816/c94474-9255957.html
 外交部(外務省)の華春瑩報道官は15日の定例記者会見で「中国側は歴史の真相を暴く日本の識者の勇気を賞賛する。日本側が国内外の正義の声に真剣に耳を傾け、侵略の歴史を正しく認識し、深く反省することを希望する」と表明した。
【記者】
 日本のNHKは13日、日本の中国侵略戦争敗戦72年前夜に特別番組「731部隊の真実」を放送した。日本の731部隊が罪を認める20時間以上の録音を掘り起こし、中国侵略戦争中に同部隊の犯した途方もない大罪を復元した。これについてコメントは。
【華報道官】
 第2次世界大戦時、中国侵略日本軍は中国の人々に対して細菌戦を発動し、残虐非道な人体実験を行ない、反人類の途方もない大罪を犯した。この史実は動かぬ証拠があり、否認は許されない。歴史を正しく受け止めてのみ、日本は歴史の重荷を下ろすことが可能になる。
 われわれは歴史の真相を暴く日本の識者の勇気を賞賛する。

■歴史を直視して初めて恒久平和へ向かえる
http://j.people.com.cn/n3/2017/0815/c94474-9255601.html

 過去10数年、日本の各テレビ局は戦争関連の特別番組を制作してきた。大半は太平洋戦争時の日本の戦場に集中し、日本人がいかに苦難をこうむり、日本の軍人が日本を守るためにいかに決死の戦いをしたかを一面的に強調し、自らを典型的な「被害者」に装うかに努力してきた。今年、いくつか積極的な変化があった。NHKは12、13日に特別番組「本土空襲全記録」と「731部隊の真実」を放送した。前者は日本が米軍の大規模爆撃を受けたことを再現したものの、日本軍が重慶に対して行なった200回余りの爆撃、及び真珠湾奇襲の事実も再現した。番組は、先に悪いことをしたのは日本人であり、日本は人類の歴史において初めて無差別爆撃を行なった国であり、同様の報いを受けるのは当然だと日本人にはっきりと伝えた。後者は元731部隊隊員が罪を認める20時間余りの録音を初めて公開し、731部隊がいかに毒ガス弾を製造し、いかに人体実験を行なったかという犯罪事実を完全な形で世界に示した。

 NHK731部隊報道を好意的に評価する人民日報です。中国側の態度はあくまでも「日本右翼批判」であり「反日」ではないわけです。

*1:著書『近代日本と戦争違法化体制:第一次世界大戦から日中戦争へ』(2002年、吉川弘文館)、『満州事変から日中全面戦争へ』(2007年、吉川弘文館)、『戦争はどう記憶されるのか:日中両国の共鳴と相剋』(2014年、柏書房)など

*2:伊藤忠会長、元中国大使。現在、日中友好協会会長

*3:おそらく中国で最も有名な森村作品が『人間の証明』なのでしょうが攻撃対象は勿論『悪魔の飽食』ですのでこのタイトルはいかがなもんだろうと思います。

*4:日中戦争時には満州国の一都市であり、731部隊が置かれていた。今は黒竜江省省都

*5:『旅順虐殺事件』(1995年、筑摩書房)の著者・井上晴樹氏のこと

*6:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)などを歴任。日中友好協会名誉会長。

*7:2002年、松岡氏編纂の証言集「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて:元兵士一〇二人の証言」(社会評論社)を刊行。また、南京事件の被害者宅や関係場所を訪れて、数百人の中国人被害者や元日本軍人加害者をインタビューした『南京・引き裂かれた記憶』というドキュメンタリー映画(武田倫和監督)を制作した(ウィキペ「松岡環」参照)

*8:詳しくは井上晴樹『旅順虐殺事件』(1995年、筑摩書房)、一之瀬俊也『旅順と南京:日中五十年戦争の起源』(2007年、文春新書)。「日中50年戦争(一ノ瀬氏)」とは要するに日清戦争(1894年)からカウントしているのでしょう。

*9:監督作品『ミッシング・ガン』(2002年)、『ココシリ』(2004年)、『項羽と劉邦:鴻門の会』(2012年)

*10:駐日公使、駐マレーシア大使、駐韓国大使などを経て現在、駐日大使

*11:中央大学名誉教授(中国史)。著書『中国革命に生きる:コミンテルン軍事顧問の運命』(1987年、中公新書)、『「三光作戦」とは何だったか:中国人の見た日本の戦争』(1995年、岩波ブックレット)、『中国革命史私論』(2000年、桜井書店)、『戦後中国国民政府史の研究:1945〜1949年』(編著、2001年、中央大学出版部)、『林彪春秋』(2009年、中央大学出版部)など

*12:中日友好協会会長

*13:中国共産党主席

*14:著書『時は流れて(上)(下):日中関係秘史五十年』(2002年、藤原書店)など

*15:公式サイト(http://www.mmjp.or.jp/nichu-kankei/

*16:外務省アジア局中国課長、駐中国公使、駐ミャンマー大使、駐中国大使など歴任。著書『これから、中国とどう付き合うか』(2011年、日本経済新聞出版社)、『激変・ミャンマーを読み解く』(2012年、東京書籍)、『習近平の中国』(2015年、新潮新書)など

*17:著書『北京大学講義録:日中反目の連鎖を断とう』(2013年、NHK出版)

*18:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、村山内閣通産相などを経て首相

*19:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相

*20:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)など歴任。

*21:池田内閣官房長官、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相。田中内閣外相時代に日中国交正常化を果たし、「日中国交正常化当時の田中角栄首相」「日中平和友好条約締結時の福田赳夫首相、園田直外相」などとともに中国では評価されている

*22:吉田、石橋内閣蔵相、岸内閣通産相などを経て首相

*23:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*24:宇野内閣防衛庁長官、宮沢内閣建設相、自民党政務調査会長(橋本総裁時代)、幹事長、副総裁(小泉総裁時代)などを歴任。山崎氏の批判については■赤旗『戦地に派兵「戦うしかない」、山崎元自民幹事長「戦争法案」を批判』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-05-22/2015052202_04_1.html)、『戦争法案「国策を大きく誤る」、山崎・亀井・藤井・武村氏 元自民幹部ら反対表明』(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-06-13/2015061301_01_1.html)や、■山崎拓の主張『集団的自衛権』(http://www.taku.net/voice/show_text.php3?ID=6LABE&PHPSESSID=a66c5cd3db226bddf93c98414371ef20)、『安保法制:ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパンインタビュー記事』(http://www.taku.net/voice/show_text.php3?ID=6LABG&PHPSESSID=a66c5cd3db226bddf93c98414371ef20)など参照

*25:陸軍航空士官学校長、陸軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局長官などを歴任。

*26:第59師団師団長(陸軍中将)。戦後、中国帰還者連絡会中帰連)会長。藤田氏や中帰連については人民日報『「中帰連」から「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」まで、日本国内の反戦の声』(http://j.people.com.cn/n/2014/0723/c94474-8759380.html)、『日本人戦犯2人目・藤田茂の供述書を公開 村民を虐殺(一)』(http://j.people.com.cn/n/2014/0707/c94474-8751784.html)、『日本人戦犯2人目・藤田茂の供述書を公開 村民を虐殺(二)』(http://j.people.com.cn/n/2014/0707/c94474-8751836.html)、『日本人戦犯2人目・藤田茂の供述書を公開 村民を虐殺(三)』(http://j.people.com.cn/n/2014/0707/c94474-8751838.html)参照

*27:なお、1972年の田中首相、大平外相訪中によって日中国交は正常化された。

*28:1987年、三一書房刊行。なお、中帰連の編集した著書には他にも『完全版三光』(1984年、晩聲社)、『覚醒:撫順戦犯管理所の六年』(1995年、新風書房)などがある。また、中帰連をテーマにした著書として星徹『私たちが中国でしたこと:中国帰還者連絡会の人びと(増補改訂版)』(2006年、緑風出版)、岡部牧夫他『中国侵略の証言者たち:「認罪」の記録を読む』(2010年、岩波新書)などがある。

*29:広東省省都

*30:満州、今の東北三省(遼寧省吉林省黒竜江省)のこと