今日の産経ニュース(8/14分)(その2)(追記・訂正あり)

■【経済インサイド】インフラ投銀とは話が別!? 日本政府、人民元国際化に「試行錯誤」「深謀遠慮」
http://www.sankei.com/premium/news/150814/prm1508140012-n1.html
1)「人民元の国際通貨化は当面進展しない」という判断によるリップサービス
2)「人民元の国際通貨化は不可避」あるいは「むしろ日本にとってメリット」と言う判断による本気の発言か
はともかく日本政府は「人民元の国際通貨化」に反対する気はないそうです。


■【経済インサイド】日銀が警戒する「物価上昇に伴う追加緩和期待」とは!?
http://www.sankei.com/economy/news/150814/ecn1508140001-n1.html
 「もう緩和したくない、出口戦略を考えたい」と日銀・政府サイドが思ってるらしいことが読み取れる記事です。
 とはいえ「2%の物価上昇」なんて目標は実現できてない。
 緩和でもたらした「円安」「株価や国債の高値」は反動で「円高」「株価や国債の安値」をもたらしかねない。
 つうことで「もっと緩和しろ」の声が財界辺りから起こるかも知れないが「それは困る」つうのが日銀・政府の考えのようです。


■【西論】『絶歌』出版は“暴力” 匿名*1で遺族を傷つけ、身勝手に生きる…元少年の「更生」は成功したか
http://www.sankei.com/west/news/150814/wst1508140007-n1.html
 全くもって「やれやれ」です(元少年がではなく産経が)。「今のところあの種の凶悪犯罪を起こしてない」と言う意味では「更生は成功」でしょう。
 また、元少年の出版については「経済的に苦しかったので、出版社・太田出版の提示するカネを断る余裕なんかなかった」という話も出てるのですがね(真偽は不明ですが)。
 であるのなら、「本の内容に問題がある*2としても」一方的に元少年を非難するのもいかがなものか。「経済的に苦しいのは自業自得」と切り捨てるのなら元少年の方も「俺が経済的にどうなろうと自業自得と切り捨てるあんたらに俺の更生がどうとか言われる筋合いない」「事情はどうあれ、カネを提供してくれた出版社の方が何倍もありがたい」となるでしょう。
 更生を云々するのなら最低限「元少年を社会でそれなりに支える必要がある」でしょう(まあ最初に述べたように「今のところあの種の凶悪犯罪を起こしてない」と言う意味では「更生は成功」ですが)。
 ろくに支援もしないで「更生しろ」てのは自分勝手な話です。大体、元少年がこの本を出さない限り元少年の更生になど何の関心もないのが産経でしょうに。


■【産経抄】元気で征きます 8月14日
http://www.sankei.com/column/news/150814/clm1508140004-n1.html

 長崎・川棚の臨時魚雷艇訓練所の学生全員が集められたのは、昭和19年4月だった。特殊兵器要員の募集である。その夜、小俣嘉男さんは教官の部屋に呼ばれ、半紙に血で書かれた志願書を見せられた。
▼同じ慶大出身で、2段ベッドの上段の隣同士だった塚本太郎さんのものだった。長男だったからか、塚本さんは、選に漏れていた。
「これをどう思うか」。
教官の問いかけに、小俣さんは答えた。
「本人の希望をかなえさせるのが、本当ではないでしょうか」。
▼塚本さんは20年1月21日、人間魚雷「回天」の金剛隊員として、西太平洋のウルシー海域で散華した。21歳だった。魚雷艇の艇長として終戦を迎えた小俣さんには、悔恨の念が残っていた。教官に、違う答えをすべきではなかったか。あるとき、塚本さんの母親が、東京都内で銭湯を営んでいるのを知り、訪ねたことがある。
▼「太郎はそういう子供でした。だから私の子供であっても、お国のため、私の子供ではないような気がしておりました」。
 息子をしのび、「太郎湯」と名付けた母親の言葉に、救われたという。

 やれやれですね。どうも産経抄を信じれば小俣氏は「お母さんの言葉」を免罪符にしたあげく特攻を美化してるようですが冗談じゃありません。ならお母さんに「何故息子を死に追いやった!」と非難されたら、小俣氏は自分の非を認めるのか?
 まあ、お母さんが何考えてるのかは分かりません。小俣氏に対して怒りや恨みを覚えながらも「息子が志願書を書くような時代だったし、小俣氏を責めるのは酷だ」「小俣氏が『いったん決めたことをこういう志願書で変えるのは問題だと思います』といったところで息子は回天で死んだろう」と思って批判しなかったのかも知れない。
 あるいは未だに「本心か自己欺瞞かはともかく」、息子の死を誇りだと思ってるのかも知れない。
 いずれにせよこんなことで「俺の発言は間違ってなかった」と居直るのも大概にして欲しい。

参考
NHKアーカイブズ【人間魚雷 悲劇の作戦 〜回天特別攻撃隊〜】
証言『「回天特攻で死んだ兄」』(回天特別攻撃隊隊員・塚本太郎さんの弟・塚本悠策さん)
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001100547_00000

・僕はこれ*3読んでいつも思うんですけど、ここにも書いてある、何とかして愚人でいたいっていうのはあるんですね。利口になるなってことを、一生懸命。利口になったら死ねないわけですよ。だから、何とかしてバカになるために努力をするとか。
・(注:最後の帰省の日に)「悠策」って言われて、(兄に)殴られたとき、意味が全然わかんなかったんですよ。なんで?。何もいたずらも何もしてないし、そのときにね。で、何か急に。兄が殴ったこと、今までなんか全然なかったですからね。だから見てみると、こうやって見てると、僕以外、殴る人いないですよね。両親は上だし、理由もできないし。
(中略)
 殴ったっていうのは、よっぽど何かたまってたものが。いちばんやりやすかったんでしょうね。

他の証言もいくつか見てみます。
吉留文夫さん(元回天特別攻撃隊隊員)

・何ていうのかな、死っていうことを意識しないって言ったらちょっとあれだかと思うけども、意識しなかったんだな。頭ん中では、ふだんから全然。そして生活してたから、そんなもの真剣に考えたら、1年なんてあのもたないだろうな、人間は。死ぬとか死なないとかっていう。だから、どうしていまから考えると、あんなに単純でいられたのかな。だから、マインドコントロールされたって言えばそれまでの話なんだけども、そういうものを意識しない、ただその、まあ平たく言えば、お国のためっていうところに、もうずうっとのめり込んでったな。
・「回天戦用意」あると、もう今度は死ぬと思って緊張して行くだろう。すると1時間半ぐらい乗ってても、「搭乗員、下りれ」とこう来るだろう。そういう死の、何というか、緊張感というのは毎日のようにあるわけだよ。そして死ねねえわけだよ。これの連続だったらね、そのまな板の上にある魚ではなくてさ、もう早くなんとかおろしてくれねえかっていうね、もう感じになったね。もうつらくて。
 もう緊張しちゃってあんた、艦長室に全部集まって、あんな、天皇陛下からもらったお酒だから飲まされて、別れの盃やって乗ってさ、また帰ってくるときのバツの悪さね。

梶原貞信さん(軍医)

・それはもう最後のあがきで、あがいてるだけのことだな。戦争に勝つなんて思ってねえもの、ああなったら。ただ、我々が戦ってね、敵をやっつけること、(注:局地戦でも)敵を勝つこと、それがね、とにかく目的だったんだよね。我々だけがね、国のあれは政治家がなんかやるんで、我々はとにかく(注:局地戦でも)戦って勝つこと。
(中略)
 「回天」っていうのは、戦局をね、変えるね、「回天」で、それの名前をつけたんだけど、変えれっこねえじゃないのよ、あれだけやられれば、それでそういう名前つけたんだよ、戦局を変えようっていうんで。「回天の兵器」、ねえ。でもそのとおりになりっこねえよね。もう最後のあがきだよ、ああいう兵器は。

岡田純さん(元回天特別攻撃隊隊員)

 (注:終戦の時は)何ていうかね、緊張の糸が切れたっていう感じだったね、あのときは。
 まあ虚脱感というかねえ、まず半面、生き残ったかという感じだね。まあほっとしたっていうところだろうなあ、ほんとの気持ちはね。実際。自決しようなんて気はひとこと、一つもわたし自身は思ったことない。実際われわれの同期生でそんなの一人もおらんけどね。

河崎春美さん(元回天特別攻撃隊隊員)

・僕らとしたら、飛行機のほうが苦しかっただろうと思う。飛んでいく途中の島に逃げようとすれば逃げられないことはなかったわけ。それにその欲を抑えて突っ込んでいくというほうが、きつかっただろうと思う。

鈴木節造さん(元回天特別攻撃隊隊員)

Q:
 初めて回天っていうのを見たわけでしょ?そのときの事を覚えていますか。
鈴木:
 そりゃびっくりや。びっくり仰天や。あの中入るんかいなって。だからわしが入ったときなんか、回天なんて言わないもん。「カンオケ、カンオケ」言うとったもん。もうあれに乗ったら帰られへんっていう事になっとんだから。どうせ死ぬんならねぇ。戦果派手に死なな。つまらんなっていう風になってしまうわね。そういうような情況に人間っていうのは慣れるようになっとるん違う?第一に親姉弟の事を思うね。自分一人が犠牲になったら、親姉弟や後いくばくは生き残れるん違うかっていう。一縷(いちる)の望みで。走っていくん違うか?
・(注:訓練中の事故で)医務室に行って寝転がされてからは全然覚えていない。それから十日経ったんか、十五日たったんか、もう日にちは元気になってから逆算したらね、一週間以上十日間以上は意識不明だったらしい。わたしは。それも初めて大小便を取ってくれたのも誰か全然覚えていない。それでまぁ、歩けるようになったんやから、ずーっとトイレまで歩いていって。そのまま歩いているときに、最初に会ったのは、軍医長や。それは覚えておるわ。というのは、軍医長が言う事がふるっておるもん。
 「お、鈴木、鈴木少尉。もう歩けるか。」
 それだけや。病気の経過も何も聞かれた覚えはなし。診察もしてもらった覚えはない。
(中略)
 だから海軍病院は全然知りません。海軍病院に行けとも何とも言いもせんわ。身体の調子もどうやとも言わん。要するに使い捨てやな。はっきり言うて。もう元気なもんから元気なもんからどんどん潜水艦のある間は。鉄砲の弾と一緒やから。それが実像と違う?。軍隊にある間はそんな事言われへんわな。今やからこれはっきり言うとるけれど。

*1:匿名でなければメディアリンチを受けかねませんし、本の内容がまともなら匿名かどうかは関係ないと俺個人は思います。

*2:読んでないので評価できませんが

*3:太郎氏の手記のこと