新刊紹介:「歴史評論」12月号

★特集「日韓基本条約50年」
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。
■「総論:これからの日韓関係50年を展望するために」(吉澤文寿*1
(内容紹介)
 日韓国交正常化についての先行研究として、高崎宗司*2『検証日韓会談』(1996年、岩波新書)、金斗昇『池田勇人政権の対外政策と日韓交渉:内政外交における「政治経済一体路線」』(2008年、明石書店)、李鍾元*3、木宮正史*4、浅野豊美*5共編『歴史としての日韓国交正常化(全2巻)』(2011年、法政大学出版局)、朴正鎮『日朝冷戦構造の誕生・1945〜1965:封印された外交史』(2012年、平凡社)、吉岡吉典*6日韓基本条約が置き去りにしたもの: 植民地責任と真の友好』(2014年、大月書店)が紹介されている。
 また最近の研究として、筆者の著書『[新装新版]戦後日韓関係:国交正常化交渉をめぐって』(2015年、クレイン)、『日韓会談1965:戦後日韓関係の原点を検証する』(2015年、高文研)、大田修『[新装新版]日韓交渉:請求権問題の研究』(2015年、クレイン)、木宮正史、李元徳*7共編『日韓関係史・1965〜2015(全三巻)』(2015年、東京大学出版会)が紹介されている。
 なお、ここで吉澤氏が指摘していることは以下の通り(金、柳、外村、大田論文など各論とも関わってくるが)
1)日韓国交正常化にプラス面がなかったとはもちろんいわないが、マイナス面もあり、そのマイナス面が「戦後最悪の極右政権・安倍政権」の誕生もあり、露呈していると言っていい。
2)日韓国交正常化の問題点の一つは「冷戦体制下ではやむを得ないことだったではあろうが」日朝国交正常化が実現しなかったことである。日本は「小泉訪朝」で日朝国交正常化に乗り出そうとしたがそれは右翼的世論の前に現時点では挫折している。 
3)日韓国交正常化では「日本の経済援助を望む朴政権が妥協し」、領土問題(竹島問題)、戦争賠償問題が棚上げされた。そうした問題点は「河野談話」「菅談話」など、後にある程度是正されたが、その是正が不十分なものであったことが「安倍政権による日韓関係破壊」をうんだと言える。


■「韓日請求権協定:解決されなかった「植民地支配責任」」(金昌禄)
(内容紹介)
 赤旗などの記事紹介で代替。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/11/13/2015111301716.html
朝鮮日報『強制徴用訴訟で原告勝訴 新日鉄住金に賠償命令=韓国地裁』
 太平洋戦争中に日本に強制徴用され新日鉄住金の前身の製鉄所で労役を強いられたにもかかわらず賃金が支払われなかったとして、韓国人被害者7人が同社に損害賠償を求めていた訴訟で、ソウル中央地裁は13日、1人当たり1億ウォン(約1000万円)の支払いを命じる原告勝訴の判決を言い渡した。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-06-21/2015062113_01_1.html
赤旗日韓条約50年 講演会、被害者への謝罪・賠償 避けて通れない』の一部引用
 日韓条約(1965年6月22日)締結50年を前に、講演会「敗戦70年・日韓条約50年『日本と朝鮮半島の平和な未来のために』」が20日、東京都内で開かれ、130人の市民が参加しました。日朝協会、歴史教育者協議会でつくる同実行委員会が主催しました。
 吉澤文寿(ふみとし)新潟国際情報大学教授が講演しました。
 吉澤教授は、日韓条約締結のために交渉してきた日韓会談で、植民地支配に関わる問題が語られなかったと指摘。「解決すべき問題が置き去りにされてきた。問題を先送りにしても被害者への謝罪・賠償の問題は避けて通れない」と語り、両政府が直視してこなかった問題に向き合う時期だとのべました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-10-20/2015102001_02_1.html
赤旗『戦争法成立1カ月 志位委員長が会見』の一部引用
 志位氏は会見で(中略)過去の日本の植民地支配をめぐる重大問題について、外務省文書を示して告発し、政府の姿勢を批判しました。
 志位氏が取り上げたのは、1949年作成の「割譲地に関する経済的財政的事項の処理に関する陳述」と、1950年作成の「対日平和条約の経済的意義について」という二文書。いずれも長く「極秘」扱いされ、2005年にようやく秘密指定解除されました。
 二つの文書は、朝鮮などの地域について、「当時としては国際法、国際慣例上普通と認められていた方式により取得され(た)」ものであり、その統治は、「世にいう植民地に対する搾取政治」ではなく、「経済的、社会的、文化的の向上と近代化は専ら日本の貢献によるものであった」などとしています。志位氏は、「ここには、むき出しの“植民地支配正当化論”が述べられている」と厳しく指摘しました。
 さらに志位氏は、この認識をベースに1965年に締結された日韓基本条約の問題点にもふれ、「日本政府は侵略戦争の反省以上に植民地支配の反省が遅れています。この問題の根っこには二つの文書があり、これを両国国民に隠したまま交渉していたのは日本外交の大問題です」と強調しました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-26/2011122602_03_1.html
赤旗主張『日本軍「慰安婦」問題、解決は世界への日本の責任』の一部引用
 日本政府は65年の日韓基本条約で、請求権の問題は「解決済み」といっていますが、これは通用しません。そもそも条約交渉当時、「慰安婦」問題は俎上にのぼっていません。交渉の日本側責任者であった椎名悦三郎*8外相も、条約の成立後「両国の解釈が重大な点において違うというような場合」は「両国の当局者が協議をすることも起こりうる」(65年8月5日、衆院外務委員会)とのべています。「解決済み」だとして韓国側の要求を拒否するのは成り立ちません*9

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-06-22/2015062201_05_1.html
赤旗主張『日韓国交50年、真の和解と友好への転機に』の一部引用
 50年前、(ボーガス注:日韓)両国では国民から条約署名に反対の声が上がっていました。日本共産党も、条約が戦前の日本による植民地支配への反省と賠償を欠いていること、(ボーガス注:北朝鮮の存在を無視して)韓国を「朝鮮にある唯一の合法的政府」と規定していることなどを批判しました。当時の韓国が軍事独裁政権だったという問題もありました。
 しかしその後の両国関係は、とくに1980年代後半から、歴史的な変化が起こりました。韓国では国民の大きな運動で軍事政権が倒され、民主化が実現。1991年には北朝鮮とともに国連に同時加盟し、韓国が朝鮮半島の「唯一合法政府」との規定は事実上否定されました。
 その変化のなか、これまで声を上げられなかった韓国の元日本軍「慰安婦」の被害女性たちが名乗り出るなど、日本の過去の侵略戦争と植民地支配の責任と反省を問う動きも、両国で顕著になりました。運動と世論の広がりを前に日本政府が出したのが、当時の「河野*10官房長官談話」(1993年)や「村山*11首相談話」(1995年)でした。
 1998年には当時の小渕恵三*12首相と韓国の金大中(キムデジュン)大統領が、共同宣言「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」に署名しました。そこでは「(日本が)韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びを述べた」と明記されました。
 これは、日韓基本条約が1910年の「韓国併合」を「もはや無効」とのべるだけで、日本側の責任や反省になんら触れていないのとくらべ、大きな進歩でした。今の日韓関係の困難を打開するうえで日本側に必要なのは、こうした到達に立ち返り、それにふさわしい行動をとること、過去の侵略戦争や植民地支配を肯定・美化する動きを許さないことです。
 とくに、日本軍「慰安婦」問題の解決は、被害者らの年齢を考えても緊急の課題です。


■「文化財返還交渉からみた日韓国交正常化50年」(柳美那)
(内容紹介)
 日韓国交正常化では「日本の経済援助を望む朴政権が妥協し」、文化財返還問題が棚上げされた。
 そうした問題は菅*13首相談話と「菅首相談話後の一部文化財返還」である程度是正された*14が全面解決したとは到底言えない状況である。
 なお、略奪文化財の返還と言えば、例のI濱先生が自ブログやツイッターで「中国に何故返す!。フランスに失望した!」とか馬鹿な事抜かしてた「アロー戦争時にフランスが略奪した文化財の中国への返還」を思い出しますね。
 あの時は「略奪文化財返すのは当たり前だろうが。バカじゃねえのか?」とI濱先生には心の底から呆れさせて頂きましたが。

参考
【日韓間の文化財問題】

http://japanese.joins.com/article/278/188278.html
中央日報『日本、韓日交渉時に略奪文化財を組織的に隠ぺい』の一部引用
 1965年、韓日請求権交渉の締結交渉の一環として行われた文化財返還交渉の過程で、日本政府が強奪した韓国文化財の内訳を隠していたことが分かった。国交正常化交渉の過程に関した文書公開を求める訴訟の控訴審判決文と日本の外務省の控訴理由の陳述書などを通してあらわれた。
 25日、東京高裁民事第8部は韓日の市民団体関係者が日本政府を相手に起こした文書公開の拒否処分の取り消し請求控訴審で、原告の一部勝訴判決を下した1審を覆して公開文書の範囲を大幅に減らした。2012年10月の1審裁判は原告側が提起した382件の文書のうち268件の公開を命じた。
 控訴審裁判が公開を覆した文書は48件だ。ここには宮内庁書陵部所蔵の書籍目録、東京国立博物館所蔵の韓国文化財一覧表および美術品リスト、韓国関係の重要文化財一覧、寺内文庫関連記録など文化財関連の文書が入っている。
 東京高裁の判決文によれば、日本政府は韓日会談が進行中だった1963年、第1・2代の朝鮮統監である伊藤博文*15と曽祢荒助*16が在任中に持ち出して宮内庁書陵部に保管した書籍(計163部、852冊)について日本国内の専門家に調査させて希少性のある品目に表示をした。日本政府はこの文書に対する非公開を主張した。「この目録が公開されれば韓国が今後、対日交渉で希少本の返還を要求し、今まで韓国に返した書籍の選定基準について非難する恐れがある」というのが日本の外務省が裁判所に提示した理由だ。
 希少性を自ら評価した日本政府が価値の低い文化財から返還していたという状況も明らかになった。昨年、小野啓一・外務省北東アジア課長が日本政府を代理して提出した陳述書からだ。小野課長は「韓半島朝鮮半島)由来(略奪)の書籍、特に韓国側に引き渡す予定の書籍についての評価が低かったということを知りうる発言内容が詳しく出ており、韓国がこれを知ることになれば両国の信頼関係が損なわれる可能性がある」として宮内部所蔵の書籍の関連文書を公開できないと主張した。初代朝鮮総督である寺内正毅*17が略奪した書籍関連の文書についても「搬出の経緯についての学者の推測的見解だが、韓国側としては納得し難い経緯が書かれており、これが公開されれば韓国政府と国民が日本に対する強い批判的感情を持つようになることを容易に察することができる」と明らかにした。

http://japanese.joins.com/article/840/193840.html
中央日報「日本、個人所有文化財の返還約束守らず」の一部引用
 日本の良心とされる老学者、荒井信一*18駿河台大学名誉教授(88)の声には寂しさが感じられた。荒井教授は「朝鮮王室儀軌」などの返還を支援した市民団体「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」を日本で結成した後、今まで率いてきた。今年9月、東京で荒井教授に会った。
 文化財の返還がきちんと行われたと見るか。
「日本政府は65年の韓日協定で返還問題は終わったと主張したが、これは間違った見解だ。合意した議事録を見ると、『日本の個人所有の文化財を自発的に韓国に寄贈すれば、両国間協力増進に寄与するため、日本政府はこれを奨励する』となっている。しかし日本政府はこのような努力を全くしなかった」
 韓国側に言いたいことは。
「多くの日本人は文化財返還に対する意識がない。したがって韓国側で政治的イシュー化すれば感情的に抵抗感が生じるしかない。忍耐心を持って慎重に接近しなければいけない」

http://www.sankei.com/world/news/150912/wor1509120036-n1.html
産経新聞『流出文化財めぐり学術会議 ソウルで日韓有識者』の一部引用
 日韓併合前後に朝鮮半島から日本に流出した文化財をめぐる日本と韓国の有識者による学術会議が12日、ソウルで開かれた。韓国が求める文化財返還の問題について「韓国人のアイデンティティーに関わる重要な問題だが、日本では理解が不足している」「これまでの引き渡しの実績も評価すべきだ」などの意見が出された。
 ソウル大大学院の李根寛教授(国際法)は、国際的には元植民地に文化財が返還された例は多くないとし「(一部の文化財引き渡しを決めた2010年の)菅直人首相談話なども評価していくべきだ」と指摘。日韓が互いの立場の違いを認識し歩み寄るよう求めた。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-12-19/2011121903_02_0.html
赤旗『朝鮮王朝儀軌の返還、文化財は元の国に、生かされたユネスコ条約の精神、韓国還収委「日本共産党と連帯」』の一部引用
 日本共産党が儀軌の問題を知るきっかけとなったのは、2006年12月に韓国国会が全会一致で採択した国会決議でした。決議は、儀軌について「朝鮮王室の正統性を受け継いだ韓国と韓民族アイデンティティーに深くかかわる記録遺産・文化遺産」だと強調。「貴重な文化財は元ある国に戻す」というユネスコ(国連教育科学文化機関)条約の精神に基づき、韓国に返すように求めていました。
 報道を通じて、このことを知った緒方靖夫*19参院議員(当時)は2007年5月、参議院で儀軌について質問。これを契機に、還収委との交流が始まりました。
 2007年7月には、日本共産党の紹介で、還収委と外務省の面談が実現。緒方、笠井*20両氏は、日韓両国の与野党国会議員、政府間でこの問題の共通認識を広げるため奔走しました。
 日本政府は、「韓国併合」100年にあたる昨年8月、植民地支配を謝罪する菅直人首相談話を発表し、儀軌など朝鮮半島由来の図書を引き渡す方針を表明。両国の協定が結ばれ、今年12月6日、儀軌など1205冊の返還が完了しました。

文化財返還問題一般】

http://globe.asahi.com/feature/110605/04_1.html
朝日新聞文化財は誰のものか:国際ルールは不在 当事者間の交渉だのみ』
 古代ギリシャパルテノン神殿にあった大理石の彫刻群。19世紀前半に、当時の英国大使が持ち出した。大英博物館は、この展示のために特別な部屋をつくっており、見学者にとってはロゼッタストーンと並ぶ目玉のひとつとなっている。
 遺物の「故国」返還をめぐって世界の耳目を集めたのが、ロンドンの大英博物館にある「エルギン・マーブル」をめぐる一連の騒動だろう。
 古代ギリシャパルテノン神殿に飾られていたこのレリーフ群は1801年、イギリス大使だったエルギン卿によってオスマン帝国支配下ギリシャから持ち出され、英国議会に買い取られたのち、大英博物館に収められた。
 ギリシャ政府は1980代以降、文化大臣だった元映画女優のメリナ・メルクーリを先頭に、返還運動を繰り広げる。収蔵するための新博物館の建設まで計画し、「2004年のアテネ五輪を機に帰還を」と働きかけたが、英国政府は一貫して拒否の構えを崩さなかった。
 その背後には、「一つ返還すれば、五月雨式に要求が続き、際限がなくなるとの危機感がある」と、九州大学教授(国際文化財法)の河野俊行は指摘する。
 文化財の返還問題の解決を難しくしているのは、多国間で話し合う国際的な枠組みが存在しないことだ。
 主な国際条約としては、1970年にユネスコ総会で採択され、2年後に発効した「文化財の不法な輸入、輸出及び所有権譲渡の禁止及び防止の手段に関する条約」がある。日本も2002年に受諾した。
 しかし、条約は発効前にさかのぼっては適用されない。植民地支配の時代に持ち出された文化財は対象外だ。結局は、事例ごとに当事者同士の交渉ではからざるを得ない。
 ただ、返還を求められている文化財には、世界的に第一級の資料が並ぶ。
 ナポレオンがエジプトに遠征した1799年に発掘され象形文字解読のきっかけとなった「ロゼッタストーン」(大英博物館)や、1912年にエジプトで出土しドイツに持ち出された彫刻の優品「ネフェルティティ王妃の胸像」(ベルリン博物館)、トルコのペルガモン遺跡から遺構ごとドイツに運ばれた「ゼウスの大祭壇」(ペルガモン博物館)、同じくトルコのトロイ遺跡でシュリーマンが発掘しドイツに運ばれたのち、第2次世界大戦の終結時に旧ソ連に持ち出された「プリアモスの遺宝」(プーシキン美術館)、1820年オスマン帝国下のギリシャで発見された「ミロのビーナス」(ルーブル美術館)。
 これらを保有している国や博物館は、交渉に応じないケースも多い。
 「人類共通の財産だ」「返したら適切に管理されるか不安だ」「戦乱などで失われたかもしれない文化財を守ってきた」というのが「持ち続ける」論理だ。
 しかし、返還要求が増えるにつれ、こうした主張への批判は高まってきている。交渉に持ち込もうと、返還を求める国や団体が、保有国の裁判所に提訴することも多くなった。そんななか、「保有国が返還の求めに応じる事例は、着実に増えつつある」と河野は話す。
 2005年には、イタリア政府が(ボーガス注:イタリアの植民地だった)エチオピアアクスムオベリスクを返還した。米エール大学は今年、ペルーにマチュピチュ遺跡の出土品を送り始めた。
 日本でも、2006年には東京大学ソウル大学に「朝鮮王朝実録」を「寄贈」。さらに今年5月末には、宮内庁所蔵の「朝鮮王朝儀軌」などを韓国に「引き渡す」ための日韓図書協定が参議院で承認された。
 文化財持ち出しの正当性をめぐる議論はひとまず棚上げして、返還実現という実利を求める「知恵」も生まれてきたように見える。
 今後、文化財の返還要求が増えていくことは間違いない。略奪や違法な輸出に限らず、商取引を通じて流出した美術品など、より解決が難しい例も出てくるだろう。一筋縄ではいかないが、交渉の事例が増え、「知恵」を積み重ねる先に、返還をめぐる一定のルールが出来ていくことを期待したい。

http://mutsuji.jugem.jp/?eid=56
国際政治学者・六辻彰二*21のブログ『シリーズ 新・貧困と格差の国際政治 15)文化財返還要求の高まり:新たな南北問題』
 今日もクローズアップ現代から。今日は先進国に対して、流出した文化財の返還を求める新興国開発途上国の動きについて取り上げていました。番組中でも取り上げていましたが、この問題自体は何も新しいものではありません。この問題は、18〜19世紀に本格化した西欧諸国による植民地支配の爪あとを、如実に物語るものですが、新興国開発途上国の経済成長を背景に、「南北問題」に新たな局面をもたらしているといえるでしょう。
 大英博物館に行ったとき、あまりのスケールに圧倒されました。確かにそのコレクションは、世界の全地域にまたがる素晴らしいものです。
(中略)
 しかし、そのコレクションがかつての植民地主義の遺産であることは、いうまでもありません。
 異文化、異文明の遺産を収集するという行為は、「知の植民地主義」と呼ばれます。
(中略)
 4月8日、カイロで25カ国が集まり、植民地時代に持ち出された文化財の返還を先進国の博物館などに求める決議を採択しました。これに対して、先進国の博物館の言い分は、主に以下の主張に要約されます。
 「合法的な取り決めに従って持ち出された」、「文化財の研究に我々は貢献したのであり、いまさら返せというのは一方的だ」、「我々が保管していなければ、破損する恐れがあった」、「これらの文化財は人類の遺産であり、一国が独占してよいものでなく、我々の手元にあれば世界中の人々が鑑賞できる」、などなど。
 これらはいずれも一理あるといえます。特に「合法的」という言葉は強い説得力を持ちます。しかし、圧倒的な軍事力を背景に、列強が結んだ取り決めが公正なものであったかと問われれば、同意することは困難です。当時、欧米列強はアジアやアフリカを対等な相手とみなしておらず、日本も江戸時代末期から明治初期にかけて、不平等条約を課されていました。著しく不平等な内容で、あるいは相手に内容を周知しないで契約書にサインさせるという、悪徳金融業者まがいのやり方を頻繁に行っていたのであり、この観点からすれば欧米諸国の「合法性」には強い疑義があるのです。また、先進国がこれまで行ってきた保管や展示、研究の実績も否定できませんが、これは結果論に過ぎず、持ち出したこと自体を正当化する論理にはなりません。
 日本もこの流れとは無縁でありません。韓国は宮内庁に保管されている朝鮮王朝の蔵書661冊の返還を求めています。繰り返しになりますが、仮にその当時の法的基準に照らして合法的なものであったとしても、それが圧倒的な力の格差を背景に推し進められたものであったことに鑑みれば、商業ベースで取引されたものを除き、要求に応じて原則的に返還することを検討すべきと思います。合法性や保管実績に拘泥して、あくまでこれを拒否するというのであれば、植民地主義を正当化することになりかねないのです。


■「戦後日本政治の中の在日朝鮮人問題:日韓条約成立に至る時期を中心に」(外村大*22
(内容紹介)
 民団(在日本大韓民国居留民団*23)幹部・権逸*24の言動を取り上げることにより、「在日朝鮮人運動内部における左右対立、南北対立」とでも言うべき「民団と朝鮮総連在日本朝鮮人総連合会)の対立」が「右派系の民団が『ダライラマのように』日本ウヨと野合することにより左派と対立すると共に日本右派(自民党や各種ウヨ団体)の問題言動を追及できない、また反共を理由に朴チョンヒや全斗煥軍事独裁を容認する」「一方、左派系の朝鮮総連は右派を厳しく批判したが、冷戦構造の中、『敵側陣営・北朝鮮』の関連団体ということで政治的影響力を発揮できない」という悲劇を生んでいることが指摘される。
 こうした悲劇は「朝鮮学校無償化除外を民団が『恥知らずにも』支持している」「未だに民団が過去の韓国軍事独裁支持について『恥知らずにも*25』公式には謝罪も反省も表明していない」現在、決して過去のものとはなっていない。
 なお、筆者は「あくまでも少数意見であることを指摘した上で」1956年頃に岡田広*26が「在日朝鮮人への配慮」として「日本の義務教育機関(小学校、中学校)」に「朝鮮語教育の特別講座」を設置することを提言*27していたとしている。できれば詳しく知りたいところではある。
 「朝鮮学校無償化除外に狂奔するid:noharraら守る会の在日差別者一味」と「義務教育での朝鮮語教育を主張する」岡田との間には「岡田の思惑が何でアレ」あまりにも大きな落差があると言わざるを得ない。

【参考:岡田広が政治基盤とした軍恩連の現状】

http://www.asahi.com/senkyo2009/special/TKY200908260048.html
朝日新聞『細る軍恩、「最後の一兵まで」』
 (ボーガス注:政権交代後)民主党になびく「自民支持団体」が相次ぐなかで、軍恩の姿勢は揺るがない。終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が廃止した軍人恩給を「復活させてくれた恩義を忘れない」からだ。
 軍恩はかつて郵政、(ボーガス注:日本)遺族会と並ぶ自民支持団体の「御三家」と言われ、「100万会員」を誇った。2001年参院選比例区でもなお、組織候補を30万票で4位当選させた。だが、(ボーガス注:会員の死亡や高齢化で)年々細り、2008年には会員7万7千人に。
 活動できない県連が増え、軍恩連盟全国連合会は今年3月に解散、活動を続ける35都道府県を協議会に再編成した。
 宮城の会員は1200人。厳しい残暑に動員はかけず、街頭で仲間の姿を見かけはしなかった。軍恩の県事務所にはこの日も支部解散の了承を求める電話があった。だが、(ボーガス注:宮城県軍恩連会長)菊地さんの思いは変わらない。
「最後の一兵まで自民党を支持する」

 軍恩連てもはや完全な右翼団体ですよねえ。遺族会もそうですけど、もともとはそういうもんじゃなかったでしょうに。


■「二重の被害をめぐる政治:日韓国交樹立と在韓被爆者」(太田修*28
(内容紹介)
 著書『偏見と差別:ヒロシマそして被爆朝鮮人』(1972年、未来社)、『無援の海峡:ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』(1983年、影書房)で在韓被爆者問題を取り上げた先駆的なジャーナリストとして中国新聞記者・平岡敬(後に広島市長)が紹介されている。
 しかし日本政府は勿論、日韓国交正常化時の朴チョンヒ政権も「在韓被爆者」に対しては冷淡な対応であった。
 その後、平岡が批判した「在韓被爆者問題」については一定の改善が見られるが問題は解決したとは言えない状況である。

参考
京都新聞『在外被爆者判決、速やかに救済を進めよ』
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20150910_4.html

http://www.asahi.com/articles/ASH984R29H98UTIL02Y.html
朝日新聞『在外被爆者にも医療費支給へ 最高裁が判決』
 海外に住む被爆者にも被爆者援護法に基づく医療費の支給が認められるかどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁は8日、支給を認める判決を言い渡した。第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は「在外被爆者が国外で医療を受けた場合も法は適用される」と判断。医療費の支給を認めた二審・大阪高裁判決が確定した。
 最高裁が、在外被爆者に対して援護法に基づく医療費の支給を認めたのは初めて。判決を受け、厚生労働省は原告に医療費を支払うほか、広島、長崎地裁で支給を認めない判決が出て控訴中の原告にも同じ対応をとる方針。さらに、4千人以上いるとされる在外被爆者らに対しても、医療費支給に向けて見直しを検討するという。
 原告は、広島で胎内被爆した李洪鉉(イホンヒョン)さん(69)と被爆者の遺族2人。いずれも韓国に住む。医療費の支給を大阪府に申請したが、海外にいることなどを理由に却下されたため、この処分の取り消しを求めて2011年に提訴。13年の一審・大阪地裁判決は医療費の支給を認めて処分を取り消し、昨年の二審・大阪高裁判決もこれを支持したため、府が上告していた。
 この日の最高裁判決は、援護法について「原爆被害の特異性や重大性から、被爆者の健康状態に着目して救済する目的で定めたもの」と指摘。医療費の支給対象は「国内に住んでいるかどうかで区別していない」としたうえで、「医療を受けるために海外から日本に渡航するのは困難。医療費を受けられないのは法の趣旨に反する」と述べ、府の上告を退けた。

http://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2015/07/0709.html
NHK『置き去りにされた被爆者〜韓国の被爆者の現状』
 広島・長崎への原爆投下から70年。被爆者には海外で暮らす外国人もおり、その中でも韓国人は約2万人にのぼるとみられている。日本政府は医療費を助成するため「被爆者健康手帳」を交付しているが、現在、韓国の被爆者で手帳を受け取っているのは約3千人。まだ手帳を受け取っていない人も数多くいる。いまだに被爆が認められず苦しむ在韓被爆者の現状を伝える。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201510/CK2015101502000259.html
東京新聞「在韓被爆者証言を記憶遺産に」 民間団体が登録運動へ
【ソウル=共同通信
 広島と長崎で被爆した在韓被爆者の団体が、被爆証言や記録を集め国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産登録を目指す運動を始めることが十五日、分かった。「韓国原爆被害者協会」の元貞夫(ウォンジョンブ)ソウル支部長が明らかにした。
 韓国には被爆者の支援を国に義務付ける法律がなく、裁判所も政策が不十分と指摘してきた。登録運動を通じ被爆者の存在を国内外に訴え、韓国政府による支援と、日本政府の賠償を求める足掛かりにしたい考えだ。元氏は「日本の被爆者とも連帯し被害を知らせたい」と述べた。
 一方、在韓被爆者三百七十一人が、韓国政府が日本に賠償請求権の存在を確認する措置を取ろうとしないのは違法だとして、韓国政府に損害賠償を求める訴訟を十六日に起こすことも分かった。
 韓国では、既にほかの被爆者七十九人が同様の訴訟を起こし、ことし六月にソウル中央地裁は請求を棄却したが、地裁は韓国政府の被爆者政策について「十分とは言い難い」と指摘。七十九人は控訴した。新たに多数の被爆者が訴えることで政府の対応を促したい考えだ。


■「復員軍人の〝温存〟とその目的:占領下の就労問題を事例として』(関口哲矢)
(内容紹介)
 復員軍人が政府機関内に「温存」された目的について論じている。
 つい、「河辺虎四郎*29」「辰巳栄一*30」「服部卓四郎*31」など政府に「温存」された「旧軍幹部」には「日本再軍備」に関わった物が多いため、「温存=再軍備」と言った眼で見がちである。筆者に寄れば、過去の研究もそうした「再軍備の観点からの物が多い」という。ただし、筆者はそうした再軍備は「少なくとも当初の温存目的ではなかった」と見る。
 当初は「失業軍人が町にあふれることによる社会問題を防ぐための温存」と言う要素が強かったと筆者は見る。
 だからこそ温存軍人のほとんどは「復員業務を担当する復員行政機関」に所属したのである。
なお、復員行政機関は以下の物があった。
第一復員省、第二復員省(1945〜1946年)
 陸軍省が廃止され第一復員省に、海軍省が廃止され第二復員省になり、それぞれ陸軍軍人、海軍軍人の復員業務を担当した。なお、大臣は首相(幣原喜重郎*32吉田茂*33)の兼務であった。
・復員庁(1946〜1947年)
 第一復員省、第二復員省が統合してできた官庁。なお1947年に復員庁は廃止され、業務は厚生省に移された。


■歴史の眼『女性の活躍か、女性の動員か:アベノミクス「女性が輝く」政策の闇』(竹信三恵子*34
(内容紹介) 
 タイトルで「内容がある程度わかる」とは思う。
 アベノミクス「女性が輝く」政策とは「少子高齢化による労働力不足を女性労働力で補おう」とする面が強く、「女性の人権」という視点が弱い(あるいは、そもそもない)ため、仮に女性労働力が増えたとしても「低賃金長時間労働女性がほとんどではないか」と言う批判である。
 当然ながらそうしたものは筆者にとっては「女性の活躍」ではなく「女性の動員」でしかない。

参考
赤旗
■主張『「女性の活躍」、差別と格差の是正こそかなめ』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-10-28/2014102801_05_1.html
■『企業のための「活用」、安倍政権の「女性活躍」 塩川氏が批判』
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-06-09/2015060904_03_1.html


■文化の窓『「使用言語」:前近代日本史学徒のパリ体験2』(大橋幸泰*35
(内容紹介)
 「フランス語に対し強い誇りを持つ」フランスでも今や「英語による発信が重要視されており」、日本人も「英語による情報発信」が必要だと改めて思ったという話(なお、筆者は英語以外の外国語による発信を軽視しているわけではないが現実問題、重要度としては落ちるだろうとしている)。
 もちろん筆者の専門である「日本近世史研究」をやるにおいては英語ができる必要は必ずしもないし、「海外の日本近世史研究者」も多くは日本語が読めるそうだが
1)いわゆる学際研究、分野横断的研究
2)「日本近世史研究者ほどの知識も興味関心もない(当然日本語も読めない)」が「日本近世史に多少は関心があるんです」という一般の外国人*36
のことを考えれば「外国語(筆者が最も重視しているのは英語だが)での情報発信」をしないわけにもいかないだろうとしている。


■私の原点『『歴史評論』「水平社・日農*37創立50周年」特集号』(塚田孝*38
(内容紹介)
 被差別部落史研究を研究テーマの一つとしている筆者が、「私の研究の原点」として『『歴史評論』「水平社・日農創立50周年」特集号(1972年4月号)について語っている。
 この歴史評論には以下の論文が掲載されていたとのこと。
・三浦圭一*39『近世未解放部落成立期の基本問題』
・鈴木良『近代日本における水平運動の位置:水平社創立をめぐって』
・真岡二郎『近世部落史研究の動向』


■紹介『家永三郎*40生誕100年記念実行委員会編『家永三郎生誕100年』』(江連恭弘)
(内容紹介)
 2013年8月に行われたシンポジウム『生誕100年 家永三郎さんの学問・思想と行動の今日的意義:歴史認識と教育を考える』を元とした著書の紹介。
 安倍政権による「歴史修正主義」が問題となる中、家永氏の研究と運動(家永教科書訴訟)を発展的に引き継いでいく必要があるとしている。


追想『鈴木良*41さんを偲ぶ:学問・研究に捧げられた生涯』(佐々木隆*42
追想『鈴木良さんを偲ぶ』(広川禎秀*43
(内容紹介)
 最近なくなられた鈴木良氏への追悼の言葉が述べられている。


■編集後記(小嶋茂稔*44
(内容紹介)
 最近なくなられた犬丸義一氏*45への追悼の言葉が述べられている。

参考
■どこへ行く、日本『犬丸義一先生が、今月2日にお亡くなりになった』
http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/45630904.html

*1:著書『[新装新版]戦後日韓関係:国交正常化交渉をめぐって』(2015年、クレイン)、『日韓会談1965:戦後日韓関係の原点を検証する』(2015年、高文研)など

*2:著書『反日感情:韓国・朝鮮人と日本人』(1993年、講談社現代新書)、『朝鮮の土となった日本人:浅川巧の生涯(増補三版)』(2002年、草風館)、『植民地朝鮮の日本人』(2002年、岩波新書)、『検証日朝交渉』(2004年、平凡社新書)、『帰国運動とは何だったのか:封印された日朝関係史』(朴正鎮との共編著、2005年、平凡社)、『検証日朝関係60年史』(共著、2005年、明石書店)、『定本「妄言」の原形:日本人の朝鮮観』(2014年、木犀社)、など

*3:著書『東アジア冷戦と韓米日関係』(1996年、東京大学出版会)、『日朝交渉:課題と展望』(編著、2003年、岩波書店)など

*4:著書『韓国:民主化と経済発展のダイナミズム』(2003年、ちくま新書)、『国際政治のなかの韓国現代史』(2012年、山川出版社)など

*5:著書『帝国日本の植民地法制:法域統合と帝国秩序』(2008年、名古屋大学出版会)、『戦後日本の賠償問題と東アジア地域再編:請求権と歴史認識問題の起源』(2013年、慈学社)など

*6:赤旗編集局長、日本共産党参院議員、日本共産党名誉役員を歴任。歴史関係の著書に『侵略の歴史と日本政治の戦後』(1993年、新日本出版社)、『日本の侵略と膨張』(1996年、新日本出版社)、『日清戦争から盧溝橋事件』(1998年、新日本出版社)、『史実が示す日本の侵略と「歴史教科書」』(2002年、新日本出版社)、『総点検日本の戦争はなんだったか』(2007年、新日本出版社)、『「韓国併合」100年と日本(2009年、新日本出版社

*7:著書『日韓の共通認識:日本は韓国にとって何なのか?』(編著、2007年、東海大学出版会)

*8:日韓基本条約締結時の外相(佐藤内閣外相)。戦前、岸信介商工相の下で商工次官を務めた。戦後、政界入り。岸内閣官房長官、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、自民党副総裁(田中、三木総裁時代)を歴任。一般には三木武夫自民党総裁に指名したいわゆる椎名裁定で知られる。

*9:また「国家としての請求権が否定されただけで個人の請求権は否定されてない」「個人の請求権を国家が個人の了解もなく剥奪できると見るのは適切ではない」とする学説も有力である。

*10:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*11:社会党国会対策委員長、委員長などを経て首相

*12:竹下内閣官房長官自民党幹事長(海部総裁時代)、副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*13:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、民主党代表代行(鳩山代表時代)、鳩山内閣財務相などを経て首相

*14:この点では菅氏は「日韓友好に尽力した総理」として一定の評価がされてしかるべきだろう。

*15:元老の一人。工部卿、内務卿、宮内卿、首相、枢密院議長、貴族院議長、韓国統監などを歴任。韓国の民族活動家・安重根によって暗殺された。

*16:伊藤内閣司法相、山県内閣農商務相、桂内閣蔵相、韓国統監を歴任。

*17:桂、西園寺内閣陸軍大臣朝鮮総督、首相を歴任

*18:著書『日本の敗戦』(1988年、岩波ブックレット)、『ゲルニカ物語:ピカソと現代史』(1991年、岩波新書)、『戦争責任論:現代史からの問い』(2005年、岩波現代文庫)、『空爆の歴史:終わらない大量虐殺』(2008年、岩波新書)など

*19:共産党副委員長・国際局長。著書『日本共産党の野党外交』(2002年、新日本出版社)、『イスラム世界を行く:中東・湾岸六カ国の旅』(2003年、新日本出版社)など

*20:衆院議員、日本共産党政策副委員長。著書『政治は温暖化に何をすべきか:日本共産党、ヨーロッパを訪ねて』(2008年、新日本出版社

*21:著書『世界の独裁者』(2011年、幻冬舎新書)など

*22:著書『在日朝鮮人社会の歴史学的研究:形成・構造・変容』(2004年、緑蔭書房)、『朝鮮人強制連行』(2012年、岩波新書)など

*23:なお、一時滞在イメージがある「居留」は実態に合わないとして1994年に「在日本大韓民国民団」と改称されている。

*24:1961〜1967まで民団中央本部団長

*25:大事なことなので2度『民団は恥知らず』と書きました。

*26:軍恩連理事長を経て、1974年の参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補して当選し、3期務めた。1992年に引退(ウィキペディアを参照)。

*27:もちろん岡田の意見は少数派であり、その後実現することはなかった。

*28:著書『朝鮮近現代史を歩く:京都からソウルへ』(2009年、思文閣出版)、『[新装新版]日韓交渉:請求権問題の研究』(2015年、クレイン)など

*29:戦前、陸軍航空総監部次長、参謀次長などを歴任。戦後、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)参謀2部(G2)のウィロビー部長に接近し、1948年、特務機関「河辺機関」を結成。河辺機関へのGHQからの援助は1952年で終了したため、河辺機関の旧軍幹部(佐官級)はG2の推薦を受けて保安隊に入隊している。河辺機関はその後、内閣調査室のシンクタンクである「世界政経調査会」になった。そのため、初期の内閣調査室には河辺機関出身者が多く流入している。(ウィキペディア「河辺虎四郎」参照)

*30:戦前、第12方面軍参謀長、第3師団長など歴任。警察予備隊の幹部人選に吉田茂首相の腹心(吉田内閣で軍事顧問)として関与した。一方で米国中央情報局(CIA)の協力者として内閣調査室(現在の内閣情報調査室)や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流していた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書記録管理局における機密解除資料調査で確認された(有馬『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』(2010年、新潮新書)参照、有馬本では辰巳以外では河辺虎四郎、有末精三、服部卓四郎、辻政信が取り上げられている)。1975年1月から1978年12月まで旧陸軍将校の親睦団体・偕行社会長を務めた(ウィキペディア「辰巳栄一」参照)。

*31:戦前、参謀本部作戦課長。戦後、謀本部時代の経験と知識を買われ、第一復員庁史実調査部長(後に資料整理部長)となり、GHQ参謀第2部 (G2)による太平洋戦争の戦史編纂に協力した。戦史編纂業務が一段落した1948年末、G2部長ウィロビーは服部を中心とした日本再軍備研究のための秘密組織「服部機関」を発足させた。後に創設される警察予備隊(後に保安隊を経て今の自衛隊)の幕僚長には服部か旧内務省官僚(警察官僚)のどちらを任命するのかで意見が別れた。ウィロビーらG2が服部を推したのに対して、ホイットニー民政局長や首相吉田茂、吉田の側近・辰巳栄一元陸軍中将などが反対し、服部の幕僚長就任は実現しなかった。鳩山一郎政権下では国防会議参事官への起用が検討されたが、与野党ともに反発が強く、断念に追い込まれた。作家の保阪正康は「責任ある立場にあって最も無責任」だったとして、辻政信と共に「昭和の愚将の筆頭」として服部の名を挙げている(ウィキペディア「服部卓四郎」参照)。

*32:加藤、若槻、浜口内閣外相を経て首相

*33:東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*34:著書『女の人生選び・仕事、結婚、生きがい:リスクをどう最小限にするか』(1999年、はまの出版)、『「家事の値段」とは何か:アンペイドワークを測る』(1999年、岩波ブックレット)、『ワークシェアリングの実像:雇用の分配か、分断か』(2002年、岩波書店)、『ルポ雇用劣化不況』(2009年、岩波新書)、『女性を活用する国、しない国』(2010年、岩波ブックレット)、『ルポ賃金差別』(2012年、ちくま新書)、『災害支援に女性の視点を!』(編著、2012年、岩波ブックレット)、『家事労働ハラスメント:生きづらさの根にあるもの』(2013年、岩波新書)など

*35:著書『検証・島原天草一揆』(2008年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『潜伏キリシタン:江戸時代の禁教政策と民衆』(2014年、講談社選書メチエ)など

*36:まあ日本にだって「韓国語は読めないけど韓国の歴史に興味が少しはあるんです、韓国ドラマ大好きです」て人なんかがいますからねえ。

*37:日本農民組合の略称

*38:著書『近世身分制と周縁社会』(1997年、東京大学出版会)、『身分論から歴史学を考える』(2000年、校倉書房)、『都市大坂と非人』(2001年、山川出版社日本史リブレット)、『歴史のなかの大坂:都市に生きた人たち』(2002年、岩波書店)、『近世大坂の都市社会』(2006年、吉川弘文館)、『近世大坂の非人と身分的周縁』(2007年、部落問題研究所)、『大坂の非人:乞食・四天王寺転びキリシタン』(2013年、ちくま新書)、『都市社会史の視点と構想:法・社会・文化』(2015年、清文堂)など

*39:著書『日本中世賎民史の研究』(1990年、部落問題研究所出版部)、『中世民衆生活史の研究』(1991年、思文閣出版)、『日本中世の地域と社会』(1993年、思文閣出版)など

*40:著書『太平洋戦争』、『戦争責任』(いずれも、2002年、岩波現代文庫)、『一歴史学者の歩み』(2003年、岩波現代文庫)など

*41:著書『教科書のなかの部落問題(改訂増補版)』(1990年、部落問題研究所)、『近代日本部落問題研究序説』(2000年、兵庫部落問題研究所)、『水平社創立の研究』(2005年、部落問題研究所)など

*42:著書『世界史の中のアジアと日本:アメリカの世界戦略と日本戦後史の視座』(1988年、御茶の水書房)、『サンフランシスコ講和』(1988年、岩波ブックレット)、『現代天皇制の起源と機能』(1990年、昭和出版)、『戦後政治支配と部落問題:「解同路線」はどう形成されたか』(1995年、部落問題研究所ブックレット)、『新安保体制下の日米関係』(2007年、山川出版社日本史リブレット)、『占領・復興期の日米関係』(2008年、山川出版社日本史リブレット)など

*43:著書『近代大阪の行政・社会・経済』(編著、1998年、青木書店)、『恒藤恭の思想史的研究:戦後民主主義・平和主義を準備した思想』(2004年、大月書店)、『戦後社会運動史論:1950年代を中心に』(編著、2006年、大月書店)、『近代大阪の地域と社会変動』(編著、2009年、部落問題研究所)、『戦後社会運動史論2:高度成長期を中心に』(編著、2012年、大月書店)など

*44:著書『漢代国家統治の構造と展開:後漢国家論研究序説』(2009年、汲古書院

*45:一時、『歴史評論』編集長を務めた。著書『歴史科学の課題とマルクス主義」(1970年、校倉書房)、『日本人民戦線運動史』(1978年、青木書店)、『「日本共産党の研究」の研究』(1980年、現代史出版会)、『日本共産党の創立』(1982年、青木書店)、『戦後日本労働運動史』(共著、1989年、学習の友社)、『第一次共産党史の研究(増補版)』(1993年、青木書店)など