今日の産経ニュース(12/20分)(追記・訂正あり)

■安倍首相と橋下氏、憲法改正や安保を議論 19日の会談、菅氏明かす
http://www.sankei.com/politics/news/151220/plt1512200009-n1.html
 以前からわかりきってることではありますが「大阪ダブル選挙での敵だったはずの橋下」と公然と親密交際できる安倍や菅には心底呆れます。大体「松井大阪府知事(おおさか維新党首)ならともかく」橋下は政界引退したはずなんですが。
 「市長退任をねぎらった」てのも無茶苦茶な話で、過去の自民党系列市長ですら首相がそんな扱いをした人間がどれほどいたのかて話です。しかも「市長退任をねぎらう場」で大阪市政について振り返るのならまだしも「憲法改正や安保を議論」。意味不明な話ですが、これを平然と語れるのが安倍や菅、橋下という人間のわけです。


■【戦後70年〜東京裁判とGHQ(1)】火葬場から盗み出された7人*1の遺灰は… 広田弘毅は無理な罪状にも「自ら計らわず」
http://www.sankei.com/premium/news/151220/prm1512200024-n1.html
・遺骨が正式な形では渡されなかったのは「右翼のアイドル化」する危険性を恐れたからでしょう。実際「火葬場から盗み出された死刑になったA級戦犯7人の遺灰」は明らかに「右翼のアイドル化」してるわけで複雑な気持ちですね。
・広田が「斎藤*2、岡田*3、近衛*4内閣外相」「首相」として戦争政策に関与した以上「死刑が適切だったかはともかく」無罪とはとても言えないと思いますけどね。
 なお、広田が仮に「自ら計らわず」だとしてそれは、「法的な刑罰の問題はともかく」、日本を敗戦国としたことについては道義的・政治的責任は免れない、死刑になっても仕方がない過ちだったと達観していたからでしょう。
 一方、広田と違い「日本は悪くない」としか言わない愚か者が産経のわけです。

 文官ながら広田よりよほど戦争に関与していた*5元首相の近衛文麿A級戦犯リストに入れられた直後に服毒自殺した。

 ちなみに「生存していたら東京裁判で戦犯として裁かれたかも知れない人間」で自決した人間には次の人物がいます。
阿南惟幾(1945年8月15日死去)
 陸軍省兵務局長、人事局長、第11軍司令官、第2方面軍司令官などを経て鈴木内閣陸軍大臣
杉山元(1945年9月12日死去)
 陸軍省軍務局長、陸軍次官、参謀次長、陸軍教育総監、林*6、近衛、小磯*7内閣陸軍大臣、北支那方面軍司令官、参謀総長などを歴任。
・本庄繁(1945年11月20日死去)
 関東軍司令官、侍従武官長、傷兵保護院(後に軍事保護院)総裁、枢密顧問官などを歴任。

 元外相の松岡洋右*8も公判中に病死してしまった。代わりに広田がターゲットになったと言ってもよい。

 どうなんですかね。豆知識として書いておくと広田、松岡以外の起訴された「非軍人」としては次の人物がいます。
大川周明
 民間右翼活動家。起訴されたものの、精神病と判断され裁かれなかった。
賀屋興宣
 近衛、東条内閣蔵相。東京裁判で終身禁固刑の判決が下るがいわゆる逆コースによって、1955年釈放。政界進出し自民党政調会長(池田*9総裁時代)、池田内閣法相など歴任。また日本遺族会会長を務めた。
木戸幸一
 木戸孝允の孫。元商工省官僚。政界に進出し、近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任。東京裁判で終身禁固刑の判決が下るがいわゆる逆コースによって、1955年釈放。
重光葵
 東条、小磯内閣外相。東京裁判で7年の禁固刑。服役後は政界に進出、改進党総裁、日本民主党副総裁、鳩山一郎*10内閣外相を歴任。
白鳥敏夫
 元・駐イタリア大使。東京裁判で終身禁固刑の判決が下り、獄中で病死。
東郷茂徳
 東条、鈴木*11内閣外相。東京裁判で禁固20年の判決が下り、獄中で病死。
平沼騏一郎
 検事総長大審院院長を歴任した大物司法官僚。山本*12内閣司法相、枢密院議長、首相、近衛内閣内務相など歴任。東京裁判で終身禁固刑の判決が下る。1952年仮釈放されるが直後に病死。
星野直樹
 満州国では国務院総務長官を務め、満州国の実力者「弐キ*13参スケ*14」の一人と呼ばれた。その後、近衛内閣企画院総裁、東条内閣書記官長を歴任。東京裁判で終身禁固刑の判決が下るがいわゆる逆コースによって、1955年釈放。釈放後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任。

 興亜観音の境内には34年4月、(ボーガス注:南京事件の責任者として処刑されたA級戦犯)松井*15の友人らが「殉国七士之碑」を建立した。揮毫したのは広田と外務省同期入省の元首相、吉田茂*16だった。

これだけでは吉田の考えについては、何とも言えませんが吉田がこうした「右翼的運動」にはっきりと「ノーと言わない立場」だったことは事実なのでしょう。吉田の態度は、非常に問題だと俺は勿論思います。

 満州事変の責任を問われ、処刑された元第7方面軍司令官、板垣征四郎*17(陸軍大将)の次男で元参院議員の正(91)はこう語った。
東京裁判GHQ占領政策の一環であり、裁判に値しない。だが、心ある日本人がGHQに屈しなかったからこそ7人の遺灰が今に至るまで大切にされた。ありがたいことです」

 やれやれですね。「死刑囚でも遺骨を遺族のもとに残したいと思うこと」と「死刑囚を英霊としてほめたたえること」は違うと思いますが、産経や板垣正の中ではその区別はないようです。
 自分の父親・征四郎がやらかした中国侵略に対する反省などと言う物は正には何一つないのでしょう。なにせウィキペディア「板垣正」曰く

慰安婦問題についての米下院121号決議に対して、2007年7月13日にアメリカ大使館に手渡された極右の抗議書に賛同者として名を連ねている。水島総日本文化チャンネル桜社長、「頑張れ日本!全国行動委員会」幹事長)が監督した南京事件否定映画『南京の真実』の賛同者。南京事件否定論者・田中正明*18の親友として知られており、田中の死去(2006年)に際して葬儀委員長を務めた

なんて人間です。
 こうした正の態度が「本心」か「板垣の息子ならウヨ発言すれば、ウヨが支持してくれるからという右翼的計算による物か」はともかく困った人間だと思います。


■【衝撃事件の核心】“爆買い”中国人をだます無資格の中国人ガイド 「観光立国」に影落とす可能性も(森浩、加藤園子
http://www.sankei.com/premium/news/151220/prm1512200022-n1.html
 タイトルだけで内容は想像がつきますね。
1)“爆買い”中国人を「安い店に連れて行くと称して割高な店に連れて行く」など、だます無資格の中国人ガイドのせいで
2)「日本に旅行に来るんじゃなかった」という声が起こり
3)「日本旅行ってそんなにやばいのか」と日本旅行ブームがしぼんだら
4)「観光立国が実現しないかもしれん、無資格ガイドの取締など、対応策をとらないと」「こうした悪評は中国人観光客だけじゃなくて他の国(欧米、韓国、東南アジアなど)にも波及するかもしれないし」と言う話です。
 「中国大嫌いな阿比留」辺りなら「別に中国人観光客が来なくても無問題」と言いそうですが、まあ、まともな産経記者はこういう記事を書くわけです。 


■【書評】ジャーナリスト・櫻井よしこが読む『翁長*19知事と沖縄メディア』仲新城誠著 「県民を不幸と悲惨の道に追いやる」と断じた著者の声は届くか
http://www.sankei.com/life/news/151220/lif1512200009-n1.html

沖縄の2大紙『琉球新報』と『沖縄タイムス』はスジ金入りの左翼勢力と言ってよい。

 基地問題で政府を批判しただけで左翼呼ばわりとは、まあ、「よしこらウヨにとっての左翼」が「安倍自民党批判勢力」と同義でしかないことがよく分かります。
 そのうち小林節氏や河野洋平*20のような保守派まで「左翼の一員」扱いするのかもしれません。

 沖縄の11市の中で翁長支持は名護と那覇市長の2人だけ、残りは全員辺野古埋め立てを承認した仲井眞弘多*21前知事の支持です

 だから何だって話です。翁長知事を県民が支持している事実に変わりはないわけです。ちなみに来年年明けには宜野湾市長選挙があるので、ここで自公候補に勝ってこうしたよしこらの強弁に鉄槌を下したいところです。まあ、よしこだと自公候補が勝ったら「自公の基地政策が沖縄に支持された」と強弁する癖に、負けたら「宜野湾市が沖縄の全てじゃない」と強弁するでしょうが。
 なお、現在の那覇市長、名護市長は以下の通りです(ウィキペディア参照)。
那覇市長:城間幹子
 那覇市教育長、副市長(翁長市政)を経て現職
・名護市長:稲嶺進
 名護市総務部長、収入役、教育長を経て現職


■【記憶遺産】「見解が全く違う」義家*22副大臣南京事件登録で不快感、中国文科相「歴史決定」と反論
http://www.sankei.com/politics/news/151219/plt1512190020-n1.html
 過去には赤旗や岩波世界にコラムを持ちリベラルぶってた男が随分と劣化したもんだと心底呆れます(まあ、世間をだましていただけで昔からこういう男だったんでしょうが)。
 しかし「身内しかいない自民党集会ならまだしも」、「南京事件」で中国の文科相相手にこういう事言って本当にバカですね。正面から中国に「日本と我が国と見解の何がどう違うのか、説明してみろ」と言われて説明できるんですかね。しどろもどろになるのは眼に見えています。日本の政府公式見解は勿論「南京事件実在論」ですので、下手な事言えば日本の国際的評判がさらに落ちるんですけど。

【追記】

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-12-13/2015121307_01_0.html
赤旗『旧日本軍関係者が語る南京大虐殺、恥ずかしい安倍政権の反発』
 ユネスコが「世界記憶遺産」として中国申請の資料を登録した(10月10日)ことで、話題となった日本軍による南京大虐殺事件(南京事件)。1937年12月13日の南京入城を前後し、南京攻略戦と占領時に日本軍がおこなった戦時国際法・国際人道法に反する、中国の軍民への不法残虐行為です。日本軍関係者の資料を中心に南京大虐殺を見てみます。(若林明)
 安倍晋三首相は記憶遺産への登録に、「遺憾」を表明しました。菅義偉官房長官は、登録を不満としてユネスコへの拠出金停止や減額を検討するといい、馳浩文部科学相が記憶遺産制度の「改善」を求めました。
 日本政府が10月のユネスコ会合に同行させた高橋史朗明星大学教授は「『南京大虐殺』の歴史捏造を正す国民会議」の呼びかけ人の一人です。同会の「声明文及び要請文」(10月23日)は、記憶遺産登録について「歪められ捏造された歴史『事実』を登録承認したことに、強い憤りと危機感を抱く」と、「南京事件否定論」を述べています。
 しかし、南京大虐殺は、「捏造」どころか、学問上も、国際的にもみとめられた歴史上の事実です。
■中国戦線の岡村大将/“市民に暴行は事実”
 旧日本軍の岡村寧次*23(やすじ)は、1932年に上海派遣軍参謀副長に着任以後、支那派遣軍総司令官として終戦を迎えるまで、中国戦線を指揮した中心的な軍人です。岡村は、戦後、防衛庁(当時)の戦史室に依頼されて「戦場体験記録」をまとめています。(『岡村寧次大将資料 上巻―戦場回想編―』として刊行)
 岡村は南京事件の直後に、南京攻略戦に参加した第6師団*24や第9師団を含む第11軍を率いて、漢口攻略戦を指揮します。司令官着任直後(38年9月)に、「南京攻略戦では大暴行が行われたとの噂を聞き、それら前科のある部隊を率いて武漢攻略に任ずる」上での必要性から、「南京事件」について将校らに聞き取りを行いました。
 その結果について「一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜(ふりょ)(捕虜)を殺してしまう弊がある。一、上海には相当多数の俘虜を収容しているがその待遇は不良である。一、最近捕虜となったある敵将校は、われらは日本軍に捕えられれば殺され、退却すれば督戦者に殺されるから、ただ頑強に抵抗するだけであるといったという」とまとめています。
 岡村は南京での日本軍の性的暴行や捕虜虐殺を確認したのです。岡村は「戦場体験記録」に「南京事件の轍を覆(ふ)まないための配慮」「軍、風紀所見」を記しています。
 日本陸軍の中枢にいた人物が、当時から「南京大虐殺」を事実として認めていたことは明らかです。
■旧陸軍将校の親睦団体/“非はわれわれの側に”
 旧陸軍将校と元自衛隊幹部の親睦団体「偕行(かいこう)社」は、機関誌『偕行』に「証言による『南京戦史』」を連載します。(1984年4月号〜85年3月号)
 「多くの敗残兵を捕えたが、“ヤッテシマエ”と襲いかかるケースが多かった。城内掃蕩中でも、獅子山付近で百四・五十名の敗残兵を見つけたが、襲いかかって殺した」(島田勝巳第二機関銃中隊長の遺稿)、「大勢のなかには刺殺、斬首などの真似をした 馬鹿者も居りました」「入城後数日、下関(シャーカン)で毎日、捕虜が処分されているという噂を聞き、又実際にその光景を見ました。…一人ずつ歩かせて桟橋の端に来た時、突き落として小銃で射殺していました」(石松正敏第二野戦高射砲兵司令部副官の述懐)など戦場にいた兵士から証言が寄せられています。
 『偕行』(83年11月号)は、「いわゆる『南京事件』に関する情報提供のお願い」という読者に投稿を呼びかける記事を掲載しました。よびかけの目的は、「虚妄の批難に対し、具体的な反証する手だてがないのが現状であり、『南京大虐殺』などという茫漠たる表現をもって一括され、20万、30万という膨大な数が日本軍の暴虐のあかしとしてまかり通っている」ことへの反論だとしています。
 ところが、集められた証言は、先に引用したように、「大虐殺」を認めるものが少なくなかったのです。
 連載の最終回(1985年3月号)で『偕行』編集部の執筆責任者の加登川幸太郎氏は「(死者数の)膨大な数字を前にして暗然たらざるを得ない…この大量の不法処理には弁解の言葉はない」と虐殺の事実を認めざるを得ませんでした。加登川氏は「中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」「特に被害者である中国の人びとが、日本軍の非行を何と告発、非難されようが、非はわれわれの側にある。これは何とも致し方がない」と述べています。
 なぜ大虐殺が起こったのか。日本軍の中国侵略を研究する伊香俊哉*25都留文科大学教授は「南京占領戦は基本的に旅団長や師団長から、捕虜をとらないという方針が出ていました。大量の中国軍を降伏させてもどう扱うかきちんとしていなかった。それが虐殺につながった。さらに中国軍、中国人に対する日本側の蔑視がありました。中国人捕虜なら殺しても問題にならないという感覚があった」と指摘します。
 南京大虐殺の犠牲者数で、現在の学問研究で有力な説は「十数万以上、それも二〇万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になった」(笠原十九司南京事件*26)です。ただしこれは、現在の資料の発見状況からの推定です。日本軍は連合国の追及を恐れて、敗戦前後に、多くの資料を焼却しました。陣中日誌などの資料が公開されているのは、全部隊の3分の1程度だといわれています。
 情報統制によって国民には知らされていなかった南京事件は外務省の官僚*27や、「陸軍大学の学生」まで多くの軍関係者は知っていました。さらに、海外のジャーナリストや外交官によって世界に発信されました。戦後、連合国は南京事件を重視します。日本の戦争責任を裁いた極東軍事裁判東京裁判)で南京戦の司令官の松井石根(いわね)大将は死刑になりました。
 笠原十九司*28都留文科大学名誉教授は「南京事件負の遺産として、日本だけでなく人類的に見て教訓にすべきです。なぜ、あんな残虐な事件が起こったのかを記憶としてとどめておくべきでしょう。記憶遺産登録に反発するのは、否定論に立っているということを国際的にしめすことになり、恥ずかしいことです」と指摘します。


■【新聞に喝!】指導者の性格に着目した“読ませる”国際報道を 関西学院大学国際学部教授・鷲尾友春*29
http://www.sankei.com/column/news/151220/clm1512200007-n1.html

 日経(同2日付)は、米国のタルボット元国務副長官のオピニオンという形でプーチン氏の行動パターンを解説した。
 それによると、(中略)ロシアがシリアへの軍事介入を決めた背景に、ウクライナやクリミアから世界の耳目を移す目的があったとし

 それは誰が考えても「主たる目的」ではないでしょう。ロシアがシリアへの軍事介入を決めた最大の目的、それは「アサド政権の維持が国益に資する」でしょうね。どういう認識の元に「アサド政権の維持が国益に資する」と考えてるのかはともかく。

またプーチン氏は、ウクライナの前政権は米国に転覆させられたと信じており、「怒りの根底」には米国がロシアの政権交代も望んでいる、との疑心が潜んでいるという。

 前者について言えば信じるも何も事実としてそうでしょう。「転覆した」は言い過ぎにしても、転覆した勢力が親欧米派であり、欧米の支援を受けていたであろう事、そして欧米が政権転覆を歓迎したことは事実でしょう。
 後者について言えば、米国保守派は明らかにプーチンを敵視してるでしょうしこれまた全く根拠のない話ではありません。

*1:板垣征四郎関東軍参謀長、近衛、平沼内閣陸軍大臣、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任)、木村兵太郎関東軍参謀長、ビルマ方面軍司令官など歴任)、土肥原賢二関東軍ハルピン特務機関長、第7方面軍(シンガポール)司令官、陸軍教育総監など歴任)、東条英機関東軍参謀長、近衛内閣陸軍大臣などを経て首相)、広田弘毅(元首相、外相)、松井石根(元中支那方面軍司令官)、武藤章陸軍省軍務局長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任)の7人。

*2:桂、西園寺、山本内閣海軍大臣朝鮮総督、首相など歴任。内大臣在任中に226事件で暗殺される

*3:田中、斎藤内閣海軍大臣、首相を歴任

*4:貴族院議長、首相、枢密院議長など歴任。戦後、自殺

*5:広田は斎藤、岡田、近衛内閣外相、首相を歴任したことを考えれば「近衛の方が戦争に関与した」とは言えないと思いますね。

*6:近衛師団長、朝鮮軍司令官、斎藤、岡田内閣陸軍大臣などを経て首相

*7:陸軍省軍務局長、朝鮮軍司令官、朝鮮総督などを経て首相

*8:南満州鉄道総裁、近衛内閣外相を歴任

*9:吉田、石橋内閣蔵相、岸内閣通産相などを経て首相

*10:戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相など歴任。

*11:海軍軍令部長侍従長、枢密院議長などを経て首相

*12:山県、伊藤、桂内閣海軍大臣などを経て首相

*13:星野と、関東軍参謀長を務めた東条英機のこと

*14:満州重工業開発社長・鮎川義介満州国総務庁次長・岸信介(戦後、首相)、南満州鉄道総裁・松岡洋右(後に近衛内閣外相)のこと。

*15:第11師団(香川)長、台湾軍司令官、上海派遣軍司令官、中支那方面軍司令官など歴任

*16:東久邇、幣原内閣外相を経て首相

*17:関東軍参謀時代に石原莞爾らとともに満州事変を実行。関東軍参謀長、第5師団(広島)長、近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任。

*18:著書『南京虐殺の虚構:松井大将の日記をめぐって』(1984年、日本教文社)、『「南京事件」の総括』(1987年、謙光社→後に、2001年、展転社、2007年、小学館文庫)、『パール博士の日本無罪論』(1992年、慧文社→後に『パール判事の日本無罪論』(2001年、小学館文庫)と改題し復刻)

*19:那覇市議、沖縄県議、那覇市長などを経て県知事

*20:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長を歴任

*21:沖縄県副知事(大田昌秀県政)、沖縄電力社長、会長などを経て県知事

*22:第二次安倍内閣文科大臣政務官、第三次安倍内閣文科副大臣を歴任。自民党国会議員就任後の著書として『ヤンキー最終戦争:本当の敵は日教組だった』(2010年、産経新聞出版)。自民党入りする前は日教組云々などとは何一つ言ってなかった男、それどころか岩波世界や赤旗にコラム持ってた男がこれですから心底呆れます。どこまで権力亡者の恥知らずなのか。そこまでして政治家になりたいか?。なりたいんでしょうね、このクズ男は。まあ、俺が義家の立場だったら、国会議員になりたいとしても「赤旗や岩波世界にコラムを持ちリベラル派ぶってた手前」、民主党からリベラル派として出馬ならまだしもこんな右翼変節さらしてまで議員になりたくないですけどね。

*23:上海派遣軍参謀副長、関東軍参謀副長、第11軍司令官、北支那方面軍司令官、第6方面軍司令官、支那派遣軍総司令官など中国戦線の要職を歴任

*24:なお、戦後のBC級戦犯裁判で当時の第6師団長・谷寿夫に死刑判決が下っている。一方、当時の第9師団長・吉住良輔は何故か谷と違い裁かれてはいない。

*25:著書『近代日本と戦争違法化体制:第一次世界大戦から日中戦争へ』(2002年、吉川弘文館)、『満州事変から日中全面戦争へ』(2007年、吉川弘文館)、『戦争はどう記憶されるのか:日中両国の共鳴と相剋』(2014年、柏書房)など

*26:1987年、岩波新書

*27:これについては例えば■『日高信六郎氏の証言』(http://www.geocities.jp/yu77799/hidaka.html)参照。日高氏は当時、南京にあった日本大使館参事官。その後、上海総領事、駐中国公使、駐イタリア大使などを歴任。

*28:著書『南京事件』(1997年、岩波新書)、『南京難民区の百日:虐殺を見た外国人』(2005年、岩波現代文庫)、『南京事件論争史:日本人は史実をどう認識してきたか』(2007年、平凡社新書)など

*29:ジェトロ日本貿易振興機構)海外調査部長、理事(アジア、オセアニア担当)などを経て現在、関西学院大学国際学部教授。著書『20のテーマで読み解くアメリカの歴史:1492〜2010』(2013年、ミネルヴァ書房)、『6つのケースで読み解く日米間の産業軋轢と通商交渉の歴史』(2014年、関西学院大学出版会)など